貧者の天むす
米の飯が大好きでたまらぬ高齢者諸兄は既に「悪魔のおにぎり」を御存知であろう.
このお握りが広く世に知られたのは,日テレ《世界一受けたい授業 (2018年6月30日 放送) 》(リンク先の「南極で人気だったリメイク料理レシピ」参照) が話題に取り上げたからである.
私は三年前のこの時の放送を観たのでよく覚えているが,このお握りを番組で紹介したのは渡貫淳子さんというかたで,青森県生まれで調理師.「エコール辻東京」を卒業後,南極観測隊の調理隊員にチャレンジして三度目の挑戦で見事合格し,調理隊員となって第57次南極地域観測隊 (2015年~) に参加した.帰国後は伊藤ハム株式会社に所属し,講演等の活動している.
「悪魔のおにぎり」が生まれたのは,綿貫さんは南極基地で食事を作る仕事をしていたわけだが,食後に残った米飯を活用しようと考えたことに端を発する.
彼女は残った御飯で夜食の「たぬきおにぎり」を作ったのである.「たぬきおにぎり」という名称は綿貫さん御本人が語った名称である.
お握りにはローカル性が少しあって,ある地方ではよく作られているのに他の地方では全く一般的でないということがある.
一例を挙げると,今でこそ,お握り屋が商売としてあちこちにあるので珍しくもないが,昔は関西ではごく普通の「おぼろ昆布」を全体にまぶしたお握りを関東人の私が食べて知ったのは,およそ五十年前のことで,つい最近だ.w
昭和三十年頃に三重県津市の天ぷら店で考案され,その後,名古屋で有名になり,今では全国で パクリ よく似たお握りが売られている天むすも,元はローカル色のある食べ物であった.
昔からの食べ物である野沢菜とか油炒めの高菜を具材にするお握りも,それぞれの地方色ある家庭のお握りだったといっていいだろう.
そういう古くからのお握りではないが,綿貫さんが南極基地でよく作ったのが「たぬきおにぎり」だ.具材に揚げ玉 (天かす) を使うので「たぬき」である.
綿貫さんの「たぬきおにぎり」は南極基地の隊員に大好評で,悪魔的にうまいというので,隊員たちが「たぬきおにぎり」ではなく「悪魔のおにぎり」と呼ぶようになったとのことである.
静岡県に天神屋という県内では知名度の高い弁当惣菜業者があり,天神屋が販売しているお握りに「たぬきむすび」というのがある.それほど古くからの商品ではないが三十年くらい前から販売しているという.これは同社のサイトに《天かすとネギに醤油で味付けした、天神屋創業当時まかないとして生まれたオリジナルむすび。最近では「悪魔のおにぎり」と呼ばれる物と酷似していると言われますが30年ほど前から創っている天神屋の看板商品です》(文字の着色強調は当ブログ筆者が行った) と書かれているが,嘘ではない.私も昔食べたことがある.たぶんテレビで「悪魔のおにぎり」が紹介されたあとで「たぬきむすび」は「悪魔のおにぎり」のパクリだと指摘されたので,パクリではないとの断り書きをしているのだろう.
綿貫さんが「たぬきおにぎり」を独自に考案したのか,それともローカル食品である天神屋「たぬきむすび」を知っていたのか定かでないが,レシピは少し異なる.
この二つのお握りのオリジナリティを議論するのは無意味だ.天むすと同様に「たぬきむすび」は伝統的なお握りではなく,つい最近の昭和wの食べ物だからである.
ただし,綿貫さんの「たぬきおにぎり」が有名になったあとだと思うが,天神屋は「たぬきむすびの素」を売り出した.白飯に混ぜ込んでお握りを作るというよくある商品だが,このパッケージには「たぬきむすび」の開発は五十年前だと書かれている.ありがちなことだが,話を盛るとあちこちに齟齬が生じる.w
ところが話がややこしくなるのは,ここからだ.
綿貫さんが三年前に《世界一受けたい授業》(2018年6月) に出演したあと,早速ローソンが「悪魔のおにぎり」を発売したのである (2018年9月).
ローソンの「悪魔のおにぎり」は,南極基地の「悪魔のおにぎり」とレシピは少し異なるが,ネーミングは完全にパクリである.これは商道徳的にいかがなものかと思ったら,やはりパクリだとの指摘がネットでなされたためか,ローソンは現在,「悪魔のおにぎり」を販売終了している.そりゃそうだろうね.一般人 (南極基地の隊員) が考えたネーミングをそのまんまパクルのは大会社のやることではない.ローソン製「悪魔のおにぎり」はよく売れたようで,名称をパクって「悪魔のおにぎり」にしなかったら定番のお握りになったかも知れないのに,ローソンは失敗したと思う.
さて,本題.
深谷かほる『夜廻り猫』第二巻の181話に,料理が不得意な若い女性が登場する.
同棲しているカレは料理ができるのだが,彼女はできない.
二人は交代で食事当番をするのだが,カレは自分で料理するのに,彼女は弁当を買ってくることしかできない.
彼女がそれを悲しんでいると,夜廻り猫の平蔵が現れて,簡単なお握りの作り方を教える.平蔵は猫だけど.
《揚げ玉にめんつゆをしみ込ませて 刻んだみつ葉と炊きたてご飯を混ぜて ラップで握るだけ》と平蔵が言うと彼女は《安い天むす?》と訊く.
すると平蔵は《「貧むす」です》と答える.
「貧むす」は「貧者の天むす」ということだ.
『夜廻り猫』第二巻は南極の「悪魔のおにぎり」が知られる前の出版だから,「貧むす」は深谷さんの考案だろう.
「貧むす」のレシピは,細ネギではなく三つ葉を使うところに工夫があるし,私はこれがたぬき系お握りの中では一番おいしいと思う.
ちなみに各種たぬき系お握りの材料を下に記す.
南極基地/天かす 青のり 天つゆ (綿貫さんは関東言葉の「揚げ玉」ではなく「天かす」と言っている)
天神屋/天かす 細ネギ 醤油 (静岡でも「揚げ玉」ではなく「天かす」と言う)
ローソン (推定) /天かす 細ネギ 青のり めんつゆ (ローソンの原材料表示は未確認だが,おそらく「天かす」だっただろう)
夜廻り猫/揚げ玉 三つ葉 めんつゆ (深谷かほるさんは「天かす」ではなく「揚げ玉」と書いている)
この他にも細ネギではなく長ネギを入れる (伝グッチ裕三「たぬきにぎり」のレシピ) とか,大葉のみじん切りを入れるなどのバリエイションがある.
「悪魔のおにぎり」は綿貫さんのレシピがオリジナルだとして,他はたぬき系お握りと呼ぶのがいいように思う.その中では,私は「貧むす」が好きだが,たぬき系のお握りは諸兄が色々と工夫しておいしいものを作るとよいと思う.
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