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2021年10月22日 (金)

コメ・プリマ

 私が小学生の終わりごろから中学生時代にかけて「カンツォーネ」が流行した.イタリアの流行歌のことだ.
 Wikipediaには1960~1970年代にかけて流行したイタリアのポップスと書かれているが,そんなに長い期間に流行ったわけではない.1960年代に日本でヒットしたイタリアン・ポップスというのが実際のところである.
 もっと正確には,イタリアン・ポップスというより,サンレモ音楽祭で歌われたポップスだ.
 Wikipedia【サンレモ音楽祭】にこう書かれている.
 
最初は小規模な音楽祭に過ぎず、第1回(1951年)の出場歌手はわずか3組、応募した20曲を繰り回して歌っていた。その後、規模も順次拡大し、1953年から参加曲を2組のアーティストが歌う方式となった。1958年の優勝曲「Nel blu dipinto blu(ヴォラーレ)」が、アメリカでミリオン・セラーを記録し、第1回グラミー賞を受賞したことによって、サンレモ音楽祭は一躍世界的に認められ、その後も「Piove(チャオ・チャオ・バンビーナ)」「Al di la(アル・ディ・ラ)」をはじめ、多くの曲を生んでいる。1960年代に入ってもジリオラ・チンクェッティ、ボビー・ソロ、ウィルマ・ゴイクなどのスターを輩出し、コニー・フランシス、ポール・アンカ、ディオンヌ・ワーウィック、ヤードバーズなどの外国アーチストも出場。日本からも新宿音楽祭金賞歌手が本番組に派遣されたこともあり、また伊東ゆかりや岸洋子が参加し、カンツォーネ・ブームがおこるなど、サンレモ音楽祭は最盛期を迎えたが、1960年代末からはイタリア経済の衰退もあって、段々と楽曲のレベルが低下し、規模の縮小を余儀なくされた。》(文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
 上に示した引用部分は,カンツォーネのブームについて要領よくまとめている.
 カンツォーネの流行は《1958年の優勝曲「Nel blu dipinto blu(ヴォラーレ)」が、アメリカでミリオン・セラーを記録し、第1回グラミー賞を受賞したことによって》米国で始まったのであった.
 日本のポップスは,まず海外曲のカバーから始まったから,米国の流行を追ってすぐ日本でもカンツォーネが流行った.
 そしてそれから十年後,上の引用に書かれているようにサンレモ音楽祭の衰退と同時に,1960年代末にカンツォーネの流行は終わったのだった.
 
 さてカンツォーネのヒット曲の中でも,カバーする米国歌手の多かったものの一つに“Come Prima” (邦題「コメ・プリマ」) がある.
 オリジナルは1958年にTony Dallara (トニー・ダララ) がヒットさせた(録音は1957年末) のであるが,そのイタリア語歌詞を英訳した曲が“For The First Time”で,初期メンバー時代のザ・プラターズ (リード・ボーカルはトニー・ウィリアムズだった時期) がカバーしてヒットさせた.同名の映画の主題歌に使われたと英語版Wikipediaにある.
 彼らの歌唱では《YouTube;The Platters / For The First Time (Come Prima)》が音質良好だが,ただしこの録音は,解散した初期メンバーが後に再結成したあとのものではないかと思う.
 話は戻って,オリジナルであるトニー・ダララの歌唱は,1977年に来日した時のテレビ放送録画が残っている.貴重な音源だが,しかしデビュー当時とは声質が変わって荒れているし,中年太りでがっかり.《YouTube;COME PRIMA コメ・プリマ  トニー・ダララ UPG‐0008
 ではほんとにダララが二枚目だった若い頃の録音がないか探したら,《YouTube;Tony Dallara - Come prima - Classici della Musica Italiana》が見つかった.懐メロカンツォーネを聴くならこれがよい.
 
 日本の歌手によるカバーは,ザ・ピーナッツが最初だったと思う.彼女らが十八歳でデビューした1959年にはもうこの歌を歌っていたという.
 だが残念ながら,まだ彼女らは恋の歌を歌うには若すぎた.《YouTube;ザ・ピーナッツ,コメプリマ》を聴けばわかるように,一所懸命に声を張り上げて歌っているが,ダララの歌唱にある情感が全く欠落しているのが残念だ.
 
 米国でこの歌をカバーした歌手は多いが,コニー・フランシスが他の追随を許さなかった.イタリア系米国人である彼女は,英語以外に,イタリア語,フランス語,ドイツ語など14ヶ国語に堪能という驚異的な歌手で,日本の曲を日本語でカバーしたりもした.
 コニー・フランシスはザ・ピーナッツ双子姉妹よりも三歳年上でトニー・ダララの二歳年下である.日本なら小学生に相当する年齢でショーの舞台を踏み,最初のレコード・ヒット曲は二十歳のときだったが,早熟で,大人びた非凡な歌唱力を示した.
 彼女の《YouTube;Connie Francis - Come prima》は原歌詞に“For The First Time”の歌詞を挿入している.これを聴くと,昭和中頃の日本人歌手がカンツォーネをイタリア語歌詞で歌うのは無理なのだったと思わざるを得ない.

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