玉兎と玄兎は同じ兎か
十月になってもまだ私は半袖のTシャツと短パンで過ごしている.
それどころか,このところの数日間は気温が夏のようなので,日中は机の横に置いた縦長というかタワー型というか,扇風機を回している.
それでも陽が落ちて暗くなれば,さすがに秋の気配がある.気配は,虫の声と月の姿である.
昨日は新月だったから,月の気配はなかったが.
寝床に仰臥して,夢枕獏『陰陽師 玉兎の巻』を読んだ.
この短編集に収められた「嫦娥の瓶」に登場する兎が玉兎であり,それから巻名が採られている.
玉兎は,Wikipedia【玉兎】に《『神異記』に「月中に玉兎あり、杵を持ちて薬を擣く」とあり、月には仙薬が伝わっていて、その材料にする薬草を杵でつき砕いて薬を作るともある》とある.
つまり玉兎はいわゆる「月の兎」だ.「嫦娥の瓶」は,お馴染み安倍晴明と源博雅が,地上に降り立った月の兎の願いを聞き届けるというお話である.
この記述中の『神異記』にはWikipediaからのリンクがないので,あれこれ調べてみたら『神異記』は誤りで,正しくは『神異経』だった.
しかし,『神異経』が正しい資料名とわかったのだが,日本版Wikipediaには『神異経』の項目がない.
さらに調べると英語版Wikipediaの“Book of Gods and Strange Things”が『神異経』であり,前漢の東方朔が著者とされていることまではわかるが,それ以上の情報は書かれていない.(ちなみにWikipedia【東方朔】は『神異経』を『神異録』と記していて,このあたりのWikipediaの記載はもう滅茶苦茶である)
そこで国会図書館のサイトで『神異経』を検索してみた.すると『中国古典小説選1』(竹田晃/編,明治書院,2007年) に『神異経』の抄訳が収められていることが判明した.
しかしこの本,古書価格がかなり高い.しかも抄訳だから,「玉兎」の伝説が書かれているかどうかわからない.
仕方なく「嫦娥の瓶」のもとになった中国の伝説を調べるのを当面は先に送って,「嫦娥の瓶」を読み進める.
ある日,藤原兼家の屋敷で兎が捕らえられた.
奇怪なことにこの兎は人語を話し,さらには二本足で立つものだから,兼家は驚き,子の道長に,安倍晴明を呼んでくるように命じる.
道長の案内で兼家の屋敷に到着した晴明は,この兎が何者かについて,次のように兼家と博雅に語る.
《新月に合わせて、毛なみの黒きときは玄兎、白くなれば玉兎、いずれも同じお方の名前にござりまするぞ、博雅さま──》
玉兎は月の満ち欠け (蝕) に従って体毛の色が変化する.つまり満月の時は全身が白く,これを玉兎という.反対に,晴明の言葉によれば「日が作った地の影に月が入る」と兎は全身が黒くなり,これが玄兎だ.
ここで玉兎と玄兎を対比してみた.国語辞典のレファレンスである精選版日本国語大辞典の記述は以下の通り.
《ぎょく‐と【玉兎】
〔名〕(月の中に兎が住むという伝説に基づいて) 月の異称。》
《げん‐と【玄兎】
〔名〕(月には黒いウサギがいるという伝説から) 月の異称。》
これだけである.
さあ,玉兎と玄兎は別ものなのか.
《新月に合わせて、毛なみの黒きときは玄兎、白くなれば玉兎、いずれも同じお方の名前》は夢枕獏の創作なのか.
こうなると,やはり『神異経』にどう書かれているかを確かめねばなるまい.
実は神奈川県立図書館と横浜市立図書館に「神異経抄」が収められた『中国古典小説選1』が所蔵されている.
しかし神奈川県のコロナ禍の中心地帯である横浜駅周辺には行きたくないなあ.どうしようか.
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