昭和期の弁当を拵えてみる
FNNプライムオンライン《“昭和初期”を再現した弁当を宮崎のスーパーが発売…担当者「あまり売れない予感しかありません」》[掲載日 2021年10月17日 11:20] から引用する.
《昭和時代の初期の食事を再現した弁当が、ネットで密かな注目を集めている。
容器には九州産の白米が敷き詰められ、その上にはおかずとして、国産の真イワシ、宮崎県産の大根を使ったたくあん、福岡県産の梅で作った梅干し、昆布の佃煮が乗っている。この弁当の名前は「昭和初期」。価格は215円(税込)で、宮崎県のスーパーマーケット「ナガノヤ」「ウメコウジ」の計10店舗で、10月1日から発売しているという。》
この弁当の外観は,引用した記事に掲載されている画像を見て欲しい.
《ワイドナショー》で松本人志とヒロミが「弁当ってのはこういうのでいいんだ」と絶賛した.
ネット上の評判も概ね好意的で,「これで199円は高い」とのコメントがあったが,弁当惣菜類のコスト構成を知らぬ者がケチをつけているだけだ.
で,極めてローカルな商品なので,地元の人以外は,この弁当そのものを購入するのはできないが,似たものを自分で作るのは簡単だ.
ということで私は,食材を買いに街に出た.
「昭和初期」弁当のメインのおかずはメザシだ.他にたくあん,梅干しと昆布の佃煮が入る.
これらをどこで買うか.
藤沢駅北口の近くのスーパーにはダイエーとサミットがあり,鮮魚店としては藤保水産がダイエーと同じ通りで営業している.
デパート地下では,北口の「さいか屋」と小田急デパートに「北辰」という鮮魚店が入っている.そのほかに,さいか屋には干物を主に扱う「浜作」がある.
駅の南口を出るとすぐ「フジサワ名店ビル」があり,その地下に鮮魚店「魚つる」がある.
藤沢駅から歩いて数分のところにディスカウント・スーパーの「オーケー藤沢店」があり,ここの鮮魚コーナーも安くて人気がある.
このように魚屋をいくつも挙げてみたのは,事前にウェブ検索して調べてみたら,「鰯の目刺」には伝統食品と,そうではない偽物があるらしいことを知ったからである.
なにしろ私がメザシを食べたのは小中学生だった頃の話で,商品知識がないのである.
さてまず私はサミットでメザシを探した.なんか私の脳内イメージのメザシとちょっと違うなー,と思いつつ,トレー・ラップ包装のメザシを買ってきた.
帰宅してラップを取ってみたら,トレーの中に少量の水がある.どうやらこの商品は冷凍してあるのを解凍したものらしく,氷が解けた水がトレーにたまっているのであった.
そもそもメザシは干物 (ひもの) である.簡易な保存食品である.それをわざわざ冷凍するということは,なんのためか.
干物の通常の賞味期限をこえる長期保存をするためである.それ以外にはない.
スーパーでは,冷凍倉庫から冷凍メザシ (たぶん発泡スチロールとかダンボール箱に包装されている) を出し,トレー・ラップに包装し直して冷蔵ショーケースに並べていると思われる.
毎朝の開店後,メザシはショーケースの中で解凍され,トレーに水がたまるという寸法である.
で,トレーから取り出したメザシを手にして,私の疑念は深まった.
そのメザシは,ヘンな表現だが,活きがよかったのである.体表にツヤがあってシワが全くなかった.頭を持って振ると,ふにゃふにゃと揺れて柔軟性があった.
そして指で押すと,弾力があった.
こいつは,目にストローを刺したあと,乾燥することなくすぐに冷凍したものだ.私はそう思った.
これは干物ではない.そう確信した.
ここでウェブの資料を読んで勉強してみた.干物は除去する水分の程度によって本干し (全乾品) と生干し (半乾品) に分類されるという.生干し(若干し,とも)や一夜干しは,軽く水分を抜いただけで保存が効かないため冷蔵庫で貯蔵する.
若干しの製法は,魚に低温下で冷風を吹き付け,表面の水分を飛ばしたものであると海産物業者のサイトに書かれている.それらのサイトに掲載されているメザシ若干しの画像を見ると,表面にシワがあり,私がサミットで買ったメザシよりも,明らかに乾燥の進んでいることが見て取れる.
次に,ガス台の魚焼きグリルで焼いて食べてみた.
私の記憶にある昔の,つまり昭和三十年代のメザシは塩味がしっかりしていて,一匹あれば御飯が食べられたのであるが,藤沢駅北口のサミットで買ったメザシは,白い飯なしで食べることができた.塩鮭なら甘塩というか甘口というか,どちらかというと酒の肴にちょうどよい塩加減であった.
どうやらサミットで買ったメザシは,宮崎県の「昭和初期」弁当をまねるのに相応しいものではないと思われた.
ちなみに,後に大勲位となった中曽根康弘に請われて第二次臨時行政調査会長 (昭和五十六年~) に就任した土光敏夫氏は,質素な暮らしぶりから「メザシの土光さん」と呼ばれて国民の尊敬を集めたが,土光さんが食べた当時のメザシはしっかり乾燥した噛み応えのある「上乾」と呼ばれる種類の干物だったらしい.今でも通販で手に入るが,もはや嗜好品のようであり,送料込みで化粧箱入り八尾が数千円もする.安いものではないから「昭和初期」弁当には向かないと思う.
もう一つちなみに,昭和初期に普通の成人男子がどれくらいの米飯を食べたかというと,昭和六年の宮澤賢治「雨ニモマケズ」(青空文庫〔雨ニモマケズ〕) に《一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ》とある通りである.
搗精歩留まりを90%強とすると,宮澤賢治のような勤め人でも一日に三合六勺の白米を炊いて食ったのである.
また,宮澤賢治は《一日ニ玄米四合》としているが,明治の陸軍軍医森林太郎鴎外は,兵士には一日に白米六合を給食すべしと主張したことがよく知られている.
明治の末から昭和初期にかけて,日雇い労働者は,外寸約1000mlのアルマイト製弁当箱に飯を詰め込んだ弁当を遣ったので,このサイズのアルマイト製弁当箱 (明治四十年頃に普及した) を土方弁当,略してドカベンという.
このような兵隊あるいは肉体労働者向けに大量の白飯を詰めた弁当のおかずは何がいいのだろう.
私は以前,戦前の「新婚の妻の心得」のようなことが書かれた雑誌資料を所有していたのだが,残念なことに紛失してしまった.
その資料には,諸兄が少年時代に押入れの奥に隠してあるのを見つけた『婦人画報』の特別綴じ込み付録「新妻の心得」みたいな,あっち方面のことは全く記載されておらず,家事全般のことが解説されていた.
その中に「夫に持たせる弁当」の一節があり,それによると弁当のおかずには,メザシと梅干しの他に干瓢,高野豆腐,煮豆,蒟蒻等の煮つけがよいとあったと記憶している.メザシは由緒正しい質素弁当のおかずなのである.
閑話休題
サミットで買ったメザシはハズレだったので,次にデパート地下に行ってみた.「さいか屋」の地下にある浜作だ.
冷蔵ショーケースの中を覗くと,食品パックに包装されラベルに「うるめ丸干し」と書かれた商品があった.
製造者は株式会社ヤマジン (大分県佐伯市) である.
ラベルに表示されている商品名は「うるめ丸干し」であるが,四尾の目をストローで通して一連となっているメザシで,これが二連入っている.
中身をしげしげと見つるに,ウルメイワシの乾燥具合も丁度よく,私のイメージするメザシはまさにこれであった.
あら嬉しやと買い求め,帰宅後にだいどこで食品パックのフタを開けると,上に置かれた一連四尾のイワシは堂々たる大きさであるが,下に隠してある四尾は貧相な体格で,まことにわかりやすい姑息さであった.
しかし,そんなことより食べ物で大切なのは,おいしいかどうかだ.
そこで実食.こぶりのやつを二匹オーブントースターで焼いて食べてみた.
すると,これが実によい加減の塩で,掛値なく,うまい.
藤沢駅周辺の店を巡り探すことなく,運よく二店目で「これだこれだ感」があるメザシを得ることができたのである.
さて次は副菜だ.
(1) 昆布の佃煮 成城石井で購入 製造者;川原食品株式会社 (広島県尾道市)
原材料;醤油,砂糖,昆布,還元水飴,金ごま,食酢,みりん,鰹節エキス,酵母エキス,寒天
(2) 梅干し さいか屋で購入 製造者;株式会社田中屋本店 (神奈川県小田原市)
原材料;梅,漬け原材料 [食塩]
(3) たくあん 成城石井で購入 製造者;道本食品株式会社 (宮崎県宮崎市)
原材料;干しだいこん,漬け原材料 [食塩,砂糖,醤油,醸造酢,米ぬか]
三品とも,日持ち向上剤や酸味料等の余計な材料を使っていない,昭和初期という弁当コンセプトに適合するものを選んだ.
特にたくあんは見映えや日持ちをよくするために添加物を多用した商品が多いから,買うときに原材料表示を読んだほうがいい.
ただし,上の (3) のたくあんは,食品添加物の使用を避けてはいるが,しかし伝統的な製法というわけではない.
本来のたくあんは,干した大根を糠床に漬け込むのであるが,(3) は,調味液に少量の糠を混ぜ,これに干した大根を漬ける製法だ.これは「漬け原材料」の中で米糠がもっとも少量であることからわかる.伝統的な製法に対して,これは「たくあん風だいこん浅漬け」とでも呼べばいいだろう.
最近,キュウリでもナスでも,製法は調味液に漬けてすぐ完成という「浅漬け」なのに,あたかも糠漬けであるかのように誤解を呼ぶ (騙す) 製法が増えてきた.
調味液に米糠を混ぜたところで風味に変化が生じるわけでもなく全く無意味なのであるが,伝統的製法であると消費者に誤解させたい (騙したい) との意図が見える.
とはいえスーパーの店頭では,添加物を多用して味の悪い浅漬け「たくあん」が多く並んでいる中,(3) はまあまあ許せる範囲だろうと思って採用した.
このようにして吟味した食材で拵えた宮崎県「昭和初期」弁当のコピーが下の画像である.
本家の「昭和初期」弁当よりも,戦前の弁当の品質に近いはずである.
ただし,オリジナルよりも昭和初期の弁当に近づけるために白飯の量は三百グラムを詰めた.
コンビニ弁当やテイクアウト弁当の白飯量は二百~二百五十グラムらしく,下の写真の弁当箱は今の普通の弁当と比較すると大盛なので,メザシが一匹ではさみしいと思って二匹に増やした.
もちろん,戦前の勤め人が銀シャリ弁当を食べていたはずがない.だから下の弁当例の白飯を,麦飯 (米七,押し麦三) に変更すれば完璧だ.
[追記]
* 作ったあとで思うのだが,上の弁当製作例の問題点は,やはりたくあんだろう.
昭和三十年代は私の小学生時代なのだが,毎年秋になると,父がたくあんと白菜を漬けた.
私はそれを手伝わされたので知っているが,当時の漬物は正真正銘の乳酸発酵食品だった.
両方とも保存性の高い醗酵食品であり,野菜の乏しい冬のおかずとして,春の声を聞くころまでずっと食卓にのぼるのであった.
晩冬になるとたくあんも白菜も乳酸醗酵が進みすぎて,口がひん曲がるほど酸っぱくなる.
そのため毎朝,漬物樽からその日に食べる分の漬物をとり出し,水で塩抜きをした.塩抜きとはいうが,これは乳酸を除去するのが目的で,こうするとかなり食べやすくなる.
酸っぱいたくあんを長い時間かけて塩抜きし,酸味も塩分もなくなったら,トウガラシと醤油で油炒めにする.これは全国的によく知られた昭和の家庭惣菜であり,私の好物であった.そのレシピの例がクックパッドに載っている.(ご飯がすすむ!大根古漬けのきんぴら*)
余談だが,冬の漬物でもっとも有名なのは信州の野沢菜漬けであるが,あれも本来は塩抜きして食べるものなのである.
* テレビを観ていると,世の中のことを全く知らない若くて美人の管理栄養士が出てきて「漬物は醗酵食品ですから,からだにいいんですー」などと言う.
ところが本物の醗酵食品である漬物は,もはや絶滅危惧種的食品であり,そんじょそこらのスーパーやデパ地下では入手が困難なのだ.
伝統食品である醗酵食品の漬物を製造している専門業者から通販で取り寄せるか,あるいは自作するしかないのである.
従って,テレビに出てくる知識はないが若くて美人の管理栄養士は,正確には「漬物のうちで,醗酵食品の漬物は,からだにいいんですー」と言わねばならぬのだ.
というのは漬物にも色々あって,調味液に漬けただけでできてしまう漬物はただの味付け野菜であり,特に健康にいいということはないからである.
* 上の弁当例は,オリジナルの「昭和初期」弁当に倣ってたくあんを一切れ添えたが,一切れは人斬れに繋がるというわけで,二切れにするのが昭和の流儀であるという.
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