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2021年7月21日 (水)

糾弾し続ける

 スポーツ報知《古市憲寿氏「死ぬまで誰かを許さない社会は、やっぱり違う」「『正義』の暴走は、不幸を生んできた」》[掲載日 2021年7月20日 14:42] から,下に一部を引用する.
 これは,例の小山田圭吾が,普通の人間なら言葉にするのをためらうほどの鬼畜なやり方 (実際,どんな鬼畜なやり方であったかを明らかにしているメディアは少数だ.それはいじめの程度を越えてほとんど拷問に近いからだと思われる) で「障碍者いじめ」をし,それをある種のメディア上で得々と自慢してきたことについて,日本社会から激しい非難を浴びていることに対して,その非難は正しくないと古市氏は主張しているのだが,それをスポーツ報知は記事にしている.
 
古市氏は「死ぬまで(もしくは死んでも)誰かを許さない社会は、やっぱり違う」とし、「何かの理由があるとして、糾弾し続けるのは違う。実際『正義』の暴走は、いくつもの不幸な事件を生んできた。『あなた』は新しく誰かが傷ついたり、死んだりするのを見たいのだろうか。そうではない社会の変え方というのもあるよね」とツイートした。
 
 私のような高齢者は,古市氏のごとき最新流行の言葉遣いを聞くと嫌な感じがする.
 上記引用文中の「違う」がそれで,「正しい状態と一致しない」ことは,かつては「間違っている」とするのが平易な日本語だった.
 しかし字数制限がある条件下では「間違っている」では字数が多すぎるので,若い人たちはこれを単に「違う」と書くようになった.
「たがう (たがふ)」の本義は「異なっている」であるが,最近の語義変化によって今では「正しくない」や「間違っている」よりも,「違う」と書き言うのが普通になっている.
 言葉の変化は,無知無学無教養な者による語義や文法の誤りが発端であるが,古市氏のような知識階級の人がその種の誤用をおもしろがることで,言葉の変化は加速すると私は思う.
 古市流儀の 幼稚な 言葉遣いを,戦後に生まれて今や墓場に行こうとしている私たち老人にもしっくり理解できる書き方に,日本語らしい添削を施すと「何かの理由があるとして,糾弾し続けるのは正しくない」と古市氏は言いたいのである.(赤い字のところが,私が添削した箇所である)
 ところがこの文意は「理由があってもなくても,糾弾し続けるのは正しくない」ということであり,「糾弾をやめていつかは赦せ」ということである.
 だがなぜ糾弾し続けてはいけないのか.説明なしにそう言われても私たちは困惑するしかない.
 
 ここで「糾弾し続ける」ということの最も有名な例を挙げる.
 それはナチスの戦争犯罪である.
 実はこれについては困った資料が一件あって,これがよく読まれているらしい.検索で上位にくるのだ.
 それは,しんぶん赤旗《ドイツの場合 ナチ犯罪に時効なし 戦犯温存の日本と違い》[掲載日 2014年3月14日] である.一部を下に引用する.
 
ナチ指導部の政界復帰皆無
 日本では、A級戦犯容疑者として逮捕・勾留された岸信介が首相になるなど、太平洋戦争を推進した張本人たちの一部が戦後政治の中心に座りました。ドイツではナチス指導者が戦後、政界に復帰することはありませんでした。
 1968年11月7日、キリスト教民主同盟の党大会でキージンガー首相(当時)が「ナチ」と叫びながら駆け寄った女性に平手打ちされる事件は有名ですが、同首相はナチ党員で外務省に勤めた前歴がありました。指導的地位になく、ユダヤ人虐殺には加担しなかった同氏ですが、その経歴は常に問題になり、国民が歴史認識をさらに問い直す機会になりました。
 
ホロコーストの事実否定も犯罪に
 ナチスの犯罪に時効はありません。2013年、ナチスの犯罪を追及するドイツの公的機関「ナチス犯罪解明のための司法行政中央本部」は新たに40人ほどのアウシュビッツ強制収容所の元看守をリストアップして調査。この調査を元に、2月20日には、ドイツ検察当局が南西部バーデン・ビュルテンベルク州の88歳、92歳、94歳の3人の男を逮捕しています。
 同中央本部のクルト・シュリム所長は本紙に、「ナチス・ドイツの犯罪は世界史的に見ても際立ったものです。長い時間をかけてもその罪を償う責任があり、それは義務でもあります」と語っています。
 
 上記の二ヶ所の引用のうち,上は大学受験生のレベル以下であり,こんな世界史の学力では不合格確実である.
 大体「しんぶん赤旗」の読者層というのは事実を自分で確かめることはせずに,党の教育宣伝を信じるから,それをいいことに高校一年生みたいな学力の記者が記事を書いて,こんな恥を世間に晒してしまうのである.
ドイツではナチス指導者が戦後、政界に復帰することはありませんでした》と書かれているが,だいたい「ドイツ」とは何か.欧州の複雑な歴史を,国の通称で済ますような粗雑な頭では,新聞記事を書いてはいけないのである.
 以下,それについて簡単に触れる.
 現在のドイツ連邦共和国に近い版図に,かつて十八世紀にプロイセン王国があった.
 この時代は,旧神聖ローマ帝国を構成していたドイツの三十五の領邦と四つの帝国自由都市との連合体が存在したのであるが,この連合体は1866年の普墺戦争において,プロイセン王国の勝利をもって解消された.
 十九世紀になると,プロイセン国王ヴィルヘルム一世 (1797年3月22日 - 1888年3月9日) が,1871年の普仏戦争に勝利してドイツ帝国の皇帝に即位し,ドイツ統一を達成した.
 こうして帝政ではあるが,この辺りから「ドイツ」という国家の漠然とした骨格が出来上がった.(高校世界史の知識レベルで)
 ドイツ領邦と自由都市の連合体時代の時代のことは教科書もザッと扱うだけだが,ドイツ帝国の成立あたりから記述が詳しくなってくる.(私の受験生時代の記憶では,だが)
 ドイツ帝国は英仏露各国と対立して第一次世界大戦で消耗戦を戦ったが,戦力の低下とドイツ革命の勃発によって倒れ,帝政ドイツは終焉してヴァイマル共和国が設立された.
 この時にドイツ帝国と連合国の間に締結されたヴェルサイユ条約がヴァイマル共和国の経済を破綻させ,国家社会主義ドイツ労働者党 (ナチ党) の台頭を招き,ヒトラーはナチ党一党独裁体制を築き,ここにナチス・ドイツが成立した.
 ここから第二次大戦の終結までの経過はきちんとした歴史書を読む必要があり,私の文章で解説するわけにはいかないので省略し,一足飛びに戦後処理のことに触れる.
 さて戦争が終結し,ベルリン宣言 (1945年6月5日) によりドイツは国家として消滅し,米英仏露四ヶ国による分割統治が開始された.
 しかしその後,統治国間の対立が激しくなって1949年,西側連合国の占領地域は,ボンを暫定的な首都とするドイツ連邦共和国(西ドイツ;BRD)に,ソ連の占領地域はベルリンの東部地区(東ベルリン)を首都とするドイツ民主共和国(東ドイツ;DDR)として独立し,ドイツは分断国家としての道を歩むことになった.
 すなわち,終戦後にナチス・ドイツが消滅したあとの四年間の四ヶ国分割統治時期ののち,ドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国が再統一されるまでかつてのドイツ帝国を源とする二つの国家が存在したのである.
 この両国はその後,全く異なる歴史的経緯をたどった.すなわち,しんぶん赤旗は《ドイツではナチス指導者が戦後、政界に復帰することはありませんでした》としているが,「ドイツの戦後」は存在しなかったのだ.実際に存在したのは「ドイツ連邦共和国の戦後」と「ドイツ民主共和国の戦後」なのである.この点で日本共産党の欧州史の認識は,まさに捏造と言わざるを得ない.
 ではなぜこの二つの国家の戦後を分けて考えなければいけないか.
 それはこの両者で,ナチス・ドイツに対する姿勢が異なったからである.
 ドイツ民主共和国では,ソ連によって元ナチス党員に厳しい処置が行われたが,国家としてはドイツ民主共和国はナチス・ドイツの継承国ではなく全く無関係の国であると言う立場をとった.
 これに対してドイツ連邦共和国は,ナチスの追及が占領軍ではなくドイツ人によって行われた結果,ナチス追及はおざなりなものになった.
 Wikipedia【ドイツの歴史認識】に次の記述がある.
 
BRDでは当初は占領軍の手でナチスの追及が行われたが、占領期の後期にドイツ人の手に委ねられた結果「非ナチ化はいまや、関係した多くの者をできるだけ早く名誉回復させ、復職させるためだけのものとなった」と評価される事態となった。このため「非ナチ証明書」はナチス時代の汚点を拭う事実上の「免罪符」となった。それは罪を洗い流す証明書だということで、洗剤のブランド名をとって「ペルジール証明書」と皮肉られた。
 そしてBRD建国後、わずか1年あまりの1950年にはアデナウアー政権の元で「非ナチ化終了宣言」が行われた。その結果、占領軍の手で公職追放されていた元ナチ関係者15万人のうち99%以上が復帰している。1951年に発足したBRD外務省では公務員の3分の2が元ナチス党員で占められていた。
 更に再軍備に伴い国防軍による戦争犯罪とナチスのユダヤ人迫害は故意に切り離され、「戦争犯罪とは無縁のクリーンな国防軍」という「国防軍神話」の成立により略奪や虐殺といった戦争犯罪の追及はおざなりとなっていった。
 
 ナチス・ドイツ解散時にナチス党員は八百五十万人,協力者は三百万人いたとされる.驚くべき人数だ.
 上の記述によれば,ドイツ連邦共和国の戦後に公職追放された者 (つまりナチスの指導者層) 十五万人のほぼ全員が戦後程なくして復帰したという.
 しんぶん赤旗つまり日本共産党は,上に挙げた記事の中で,ドイツ (正しくはドイツ連邦共和国) では日本と異なり戦争犯罪が厳しく追及されたかの如く書いているが,これは嘘で,何のことはないドイツ人も日本人も自分には甘い同じ穴のムジナなのであった.すなわち両国民とも自らの戦争責任に正面から向き合うことは避けて,世界大戦前の在りようを復活させてしまったのである.
 ただし,日本共産党がドイツ人を持ち上げているのは,日本国民をミスリードせんとする何らかの政治的意図があるのではないと私は思う.
 しんぶん赤旗の記事は,どうみても単なる無知に基づくものにすぎないと,日本共産党の名誉のために私は書いておく.どういう名誉だ.
 
 さてドイツ人も日本人も,普通の人間は他者を糾弾するのが好きではない.他者を糾弾して,それが自分の身にブーメランで戻ってきてはたまらんからである.
 従って,あなたも私も堅いことは言わずに何事もナアナアにしておくに限る.
 だがそれをそのまま言ったのでは身も蓋もない.
 そこで色々と言い方を変えてみる.例えば誰かさんのように「糾弾し続けることで新しく誰かが傷ついたり,死んだりするのを,あなたは見たいのだろうか.そうではない社会の変え方というのもあるよね」とかなんとか.
 ところが,そうは考えない人々もいるのである.
 上に述べたナチス・ドイツが行った「人道に対する罪」をそれこそ「死ぬまで許さぬ」人々がいたのである.
 彼らを「ナチ・ハンター」という.
 ナチ・ハンターの中でも最も有名なのはサイモン・ウィーゼンタールだろう.オーストリア人ユダヤ教徒であるウィーゼンタールは,Wikipedia【ナチ・ハンター】で次のように紹介されている.
 
ヴィーゼンタール (1908 - 2005) は彼がウィーンに設立したユダヤ人迫害記録センターの資料に基づいて、特に、ゲシュタポのユダヤ人移送局長官でアウシュヴィッツ強制収容所へのユダヤ人大量移送に関与した元親衛隊中佐アドルフ・アイヒマンの情報を収集し、イスラエル諜報特務庁に提供したことで知られる (1961年、死刑判決)。また、ソビブル絶滅収容所・トレブリンカ強制収容所所長であった元親衛隊大尉フランツ・シュタングル、ラーフェンスブリュック強制収容所・マイダネク強制収容所の元所長ヘルミーネ・ブラウンシュタイナー、アウシュヴィッツ強制収容所で人体実験を行った元親衛隊大尉ヨーゼフ・メンゲレらの戦犯者を追い続けた。さらに、1970年代には元ナチス突撃隊将校のクルト・ヴァルトハイムなど、ナチス戦犯に関与したオーストリア人官僚の過去を暴露した。1977年、ロサンゼルスにサイモン・ウィーゼンタール・センターが設立された。ウィーゼンタールに因んで命名された同センターにはホロコーストに関する記録が保管されており、エフライム・ズロフ所長を中心に、ナチス戦犯追及のための情報収集・提供活動を行っている。》(文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 彼の名を冠したサイモン・ウィーゼンタール・センターは,今も反ナチスの活動を継続している.
 東京五輪開閉会式の音楽担当だった小山田圭吾が辞任に追い込まれてすぐ,今度はオリンピック開会式でショーの演出担当を務める元お笑い芸人の小林賢太郎が東京五輪・パラリンピック組織委員会に電撃解任された (7/22).
 この小林賢太郎を解任に追い込んだものこそ,サイモン・ウィーゼンタール・センターである.AERAdot《ホロコースト揶揄の五輪演出担当・小林賢太郎氏を解任 「今からでも五輪辞めろ」の声が相次ぐ》[掲載日 2021年7月22日 13:00] は次のように伝えた.
 
米国のユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」は、「どんな人にもナチスの大量虐殺をあざ笑う権利はない。この人物が東京五輪に関わることは600万人のユダヤ人の記憶を侮辱している」と声明を発表。小林氏にネット上で批判の声が殺到していた事態を受け、組織委は即座に解任に踏み切った。
 
 先の大戦におけるナチス・ドイツの戦争犯罪を,戦後半世紀以上を経ても,今もなお追跡糾弾し続ける人々が存在しているのだ.
 彼らは,人道に対する犯罪者たちを《死ぬまで,もしくは死んでも》なお,糾弾し続けている.
 この事実を前に,古市憲寿氏は何と言うのだろう.
 
『正義』の暴走は、いくつもの不幸な事件を生んできた。『あなた』は新しく誰かが傷ついたり、死んだりするのを見たいのだろうか。そうではない社会の変え方というのもあるよね
 
 ナチ・ハンターの生涯を賭けた活動は,世界各地に逃走潜伏したナチス指導者たちを洗い出して処刑に追い込んできた.
 古市氏は,小山田圭吾を非難する人々に《そうではない社会の変え方というのもあるよね》と諭す.小山田圭吾を糾弾し続けるのではなく,許してやれと言う.
 ならば古市氏は《死ぬまで誰かを許さない》サイモン・ウィーゼンタール・センターにも,戦争犯罪を糾弾し続けるのではなく,《そうではない社会の変え方というのもあるよね》と諭すべきだろう.そして小林賢太郎を糾弾せず,許してやれと言うべきだ.古市氏がそれをしないのはフェアでないと私は思う.
 
 ちなみに,しんぶん赤旗すなわち日本共産党は,
 
日本では、A級戦犯容疑者として逮捕・勾留された岸信介が首相になるなど、太平洋戦争を推進した張本人たちの一部が戦後政治の中心に座りました。ドイツではナチス指導者が戦後、政界に復帰することはありませんでした。
 1968年11月7日、キリスト教民主同盟の党大会でキージンガー首相(当時)が「ナチ」と叫びながら駆け寄った女性に平手打ちされる事件は有名ですが、同首相はナチ党員で外務省に勤めた前歴がありました。指導的地位になく、ユダヤ人虐殺には加担しなかった同氏ですが、その経歴は常に問題になり、国民が歴史認識をさらに問い直す機会になりました。
 
と書いているが,ドイツ連邦共和国のキージンガー首相を,キリスト教民主同盟の党大会席上で《「ナチ」と叫びながら駆け寄っ》て平手打ちにした女性こそ,著名なナチ・ハンターの一人,ベアテ・クラルスフェルトであった.
 反ナチスの闘士ベアテ・クラルスフェルトが,ナチス・ドイツ政権下で外務省宣伝部の官僚であったキージンガーの過去を暴いたことはよく知られたことだ.しかるに日本共産党は,しんぶん赤旗の記事《ドイツの場合 ナチ犯罪に時効なし 戦犯温存の日本と違い》の中で《ナチス指導者が戦後、政界に復帰することはありませんでした》と主張した.しかし,ナチス指導者を党幹部に狭く定義することにより,ドイツ連邦共和国政府が反ナチスの立場であったと見せかけるのはフェアでないと言うべきだ.
 またキージンガーを平手打ちにした女性の名を隠して「ベアテ・クラルスフェルト」だと書かないのも,フェアでない.
 ただしこれは,しんぶん赤旗が読者をミスリードするためにしたことではなかろう.単にこの記事を書いた記者が無知だったに過ぎないと,同党の名誉のために書いておく.どんな名誉だ.

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