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2021年6月23日 (水)

つい最近のことも覚えていないNEWSポストセブン

 NEWSポストセブンの無署名記事《職場や大学で横行する「ワクチンハラスメント」 過剰な同調圧力社会の悲惨な末路》[掲載日 2021年6月23日 7:05] を読んで「無署名記事だからって嘘をつくんじゃねえっ」と思った.次の箇所である.(文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
新型コロナウイルスのワクチン接種が広がるとともに、世間にまた嫌な緊張感が漂ってきた。副反応のリスクだけではない。ワクチン接種を強制したり、拒否した人が差別的な扱いを受けたりする「ワクチンハラスメント」が横行しているからだ。
 昨年の今ごろ暗躍した「自粛警察」や「マスク警察」、そして10年前の東日本大震災直後の「不謹慎狩り」を思い出す人は少なくないだろう。
「自粛」が「他粛」に転化
 考えてみればおかしな話である。「自粛」「不要不急」「不謹慎」…いずれも主語は自分であり、自分が判断すればよいはずだ。ところが、いつの間にか周りから自粛を強要されて「他粛」になり、何が不要不急か他人が勝手に判断するようになった
 
 昨年,新型コロナウイルス感染症が拡大し始めた当初,東京都の小池知事ら自治体首長が「不要不急の外出を避けてくだい」と連日国民に呼びかけたところ,これに対する次のような強い反発が起きた.

何が「不要」で「何が不急」なのか意味がわからん!
知事は「不要不急」の具体的な基準を示せっ!
 
 私のような年寄りは,人生の色々な場面で,どんなことが「不要不急」なのか自分で判断して対処してきたから,「不要不急の基準を示せっ」という国民的大合唱に驚き,呆れた.
 そんなことも他人に教えてもらわにゃいかんのか,と.
 私が会社員だった頃を思い起こしてみれば,昭和の会社員というのは,仕事を自立して実行できる者が二割で,あとの八割は「指示待ち」の能無し社員ばっかりであった.(「パレートの法則」を基にして唱えられた経験則で,昭和のビジネス界で流行した説)
 つまり《何が不要不急か他人が勝手に判断するようになった》は大ウソのコンコンチキで,平成,令和の世でも日本国民の八割は能無しで,自分では「不要不急」の判断ができず,そのため自治体に「不要不急の判断基準を示せっ!」と大合唱するに至ったのだ.これは日本社会の反映であった.
 自治体や医師会の公式サイトには「不要不急」の基準を解説した記事が現在も多数ある.それらは昨年,指示を求める国民たちに向けて,半ば呆れつつ書かれたものなのである.(日医ニュース《「不要不急」》[掲載日 2020年6月20日] など)
 
[追記]
 昨年の今頃,「不要不急の判断基準を示せっ!」とテレビの情報番組も新聞もネットメディアも声を合わせて自治体を批判したのだが,「私にとって今夜の飲み会は,不要ではなく不急でもない」と判断した国民がやたらと多かったため,渋谷も銀座も酒を求める暗愚大衆であふれた.
 飲酒が人生の目的と化した連中が,夜な夜な京都鴨川の畔で車座になってウンコ座りをして酒を飲み,喫煙して吸い殻をポイ捨てし,あるいはヨロヨロと馬鹿踊りを踊っている様子がテレビで報道された.(新聞報道は産経新聞《「自粛を」「息抜き」路上飲みで行政側と若者らせめぎ合い 京都・鴨川河川敷や大阪》[掲載日 2021年4月29日 19:28] ほか)
 インタビューに対して「飲み屋が自粛しちゃっているから仕方ないっす」と馬鹿どもは答えていた.飲んだあと,ゴミはもって帰りましょう.

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