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2021年6月 5日 (土)

じり焼の謎

 テレビの料理番組を観ていると,希に乾物のサクラエビを使った料理が紹介されることがある.
 サクラエビは日本の数ヶ所で生息が確認されているが,漁業として行われているのは駿河湾のサクラエビ漁で,その歴史は古くはなく,明治二十七年に始まったとされている.
 静岡県外には,水揚げされた浜で天日乾燥した乾物が流通するが,駿河湾に面したあちこちでは乾物に加工する以外の食べ方も行われる.中でも,静岡県の郷土料理といってもいいのは生のサクラエビのかき揚げで,これは農水省の「農産漁村の郷土料理百選」に入っている.
 私が幼少の砌は,乾物のサクラエビはそれほど高級な食材ではなく,玉ねぎと乾物のサクラエビのかき揚げは庶民的な惣菜であった.
 それがこのところ不漁が続き,乾物のサクラエビは高級食材の仲間入りをしている状況である.
 同等のものが台湾からも輸入されているが,駿河湾産は台湾産の二倍近い店頭価格だ.
 
 さて話代わって,私の郷里の群馬県には,家庭で作る「じり焼」という食い物がある.超シンプルな「お好み焼き」みたいなもので,小麦粉に少々の具材を混ぜ込んでフライパンで焼いたものだ.
 この系統の食い物は,近畿地方の「一銭洋食」が有名だ.Wikipediaにも項目が立てられていて,Wikipedia【一銭洋食】に次のように解説されている.
 
一銭洋食(いっせんようしょく)は、水に溶いた小麦粉にネギなど乗せて焼いた鉄板焼き料理。「洋食焼き」、「壱銭焼き」、「べた焼き」などとも呼ばれる。
 大正時代の近畿地方の駄菓子屋では、水で溶いた小麦粉に刻みネギやわずかな肉片などを乗せて焼き、ウスターソースを塗ったものが「洋食」と銘打って売られていた。当時は小麦粉やソース自体がエキゾチックな食材と見なされており、お好み焼きのルーツのひとつとされる料理である。
 東京のどんどん焼き(お好み焼き)を起源とする説もある。神戸では同種の料理を「肉天」と呼び、洋食という言葉は使用されない。
 洋食焼きは当時1枚1銭で売られていた為に「一銭洋食」と呼ばれるようになった。 具材はねぎ、千切りキャベツ、ひき肉、すじ肉、こんにゃく、かまぼこ、もやし、魚粉、豆類、天かすなど多岐にわたり、店や時代によって様々である。
 洋食焼きは戦後も「拾円焼き」「五〇円焼き」などと銘打って店舗の軒下などで作られてきた。岸和田市のかしみん焼きや高砂市のにくてんのように、現在も一銭洋食系統の粉物料理が作られ続けている地域もある。懐古的に商品化された京都市の壹錢洋食や、ねぎ焼、キャベツ焼きのような例もある。
 また名称は「お好み焼き」に変えたものの、戦前と同じ様式で作り続けられている地域も少なくない。広島では戦後、洋食焼きをベースに独自の地域的発展を遂げ、広島風お好み焼きが誕生した。》
 
 上の記述にあるように,「一銭洋食」は駄菓子屋などで子供相手に売られていた食べ物であり,家庭料理 (というほどのものではないが) ではない.
 今でこそ家電のホットプレートが普及しているが,昔は鉄板で焼く料理は外食に限られていたからである.まあ外食といっても見栄えの良い店舗ではなく,駄菓子屋とか縁日の屋台が主だったのであるが,それがいつしか具材に肉や魚介を使うようになり,高級化して「お好み焼」になった.
 東京の「もんじゃ焼」も同じで,今でこそ月島あたりの名物料理になってしまっているが,ありゃあ昔は駄菓子屋の店先に置かれた小さな鉄板で子供たちが作って食ったものが,今は大人の食い物に昇格したもんだと年寄りは言っている.
 群馬の「じり焼」も同じで,腹を減らした子供が,勝手にフライパンで焼いて食ったものだ.
 さて,ここでタイトルに「謎」と書いたのは,同じ名称でちょっと様子の異なるものが大分県にもあるからだ.
 これは農水省のサイトのコンテンツ《うちの郷土料理》に《大分県 じり焼き (じりやき)》として紹介されている.大分県は豊後大野市という地方に伝わるものだそうだ.このコンテンツにダウンロード・フリーの画像があるので,下に示す.
 
20210605a
 
 掲載されている解説には《地粉を水で溶いたものをクレープのように薄く焼いて、細かく砕いた黒砂糖やかぼちゃのあんを巻いて食べる》とあり,「お好み焼」ではなく,素朴な甘い菓子に近いもののようだ.
 この記事の元になったのは,大分県が作成した《次代に残したい大分の郷土料理》に掲載されている《じり焼 (豊後大野市)》である.
 大分県はこうして県の公式サイトにレシピを記しており,他のウェブコンテンツと参照比較しても内容に間違いはないようである.
 しかし私の郷里の群馬県は,《次世代へ伝えたい ぐんまの郷土料理・伝統料理》の中で
 
群馬県の特産品である小麦粉を使って手軽に作ることができる「やきもち」は、群馬の粉食文化を代表する郷土食です。小麦粉を使い、丸く焼き上げるほかには特別な決まりはなく、地域や家庭によって生地や具、作り方や呼び方も少しずつ違い、県内各地でいろいろな味の「やきもち」があります。地域によって「おやき」や「じり焼き」などと呼ぶこともあります。
 
と述べており,「じり焼」は「やきもち」の別称であるとしている.
 群馬県の公式サイトにレシピが書かれていないので,「じり焼」がどのようなものかが不明である.(しかも掲載されている写真は明らかに「じり焼」とは別物である)
 それなのに《小麦粉を使い、丸く焼き上げるほかには特別なきまりはな》い,と書かれている.作り方に決まりがないようなものが,すなわちレシピのない食べ物が,どうして《群馬の粉食文化を代表する郷土食》になり得るのか.小麦粉を材料にして丸く焼けば「じり焼」であるなら,ホットケーキもドラ焼も,「一銭洋食」も「お好み焼」もすべて「じり焼」だということになる.そんなわけがあるもんか.少しは考えてものを言うがよい.
 大分県が「じり焼」の典型的レシピを示して,これが「じり焼」だとしているのに比較すると,我が郷土,群馬県という地方 (の人間) のいい加減さが際立っている.
 こんな有様だから,テレビ番組《踊る!さんま御殿!!》や《秘密のケンミンshow》で中山秀征 (群馬県出身) が「群馬県人はホットケーキに砂糖醤油をつけて食べる」なんてことを言い始めるのである.(中山秀征は子供の頃「じり焼」をホットケーキと呼んでいたらしい w)
 そこで群馬県の「じり焼」について書かれたレシピを探してみた.
 すると群馬県玉村町の公式サイトにそのレシピを発見した.
 それがこれ
 まずキャプションが次のように記述され,次にレシピが掲載されている.
 
群馬県南部は、古くから米麦二毛作と養蚕が盛んで、多様な粉もの食が生まれてきました。また、県内の他の地域と同様「かかあ天下と空っ風」と言われるように、上州独自の風土や気質が知られ、女性も男性と一緒に働き仕事を終えてから食事作りをすることから、簡単・時短で栄養もとれる「おっきりこみ」や、おやつとして「おやき」などが食されてきました。「じり焼き)」は、ご飯が少し足りないときに、小麦粉に野菜や桜海老などを具として混ぜ、お好み焼きのように焼き、ご飯の足しにしました。また、小麦粉の生地に少し余ったご飯も具として他の具材と一緒に混ぜ込み、子どものおやつなどにしました。
 
[じり焼き ]
材料
材 料 4個分
地粉(小麦粉)   200g
水         200ml
キャベツ      160g
長ネギ       140g
さくらえび     20g
かつお節      10g
紅しょうが     20g
油         小さじ2
しょうゆ(ソース) 小さじ4
① キャベツは細切りに、長ねぎは小口切りにする。
② 小麦粉と水を混ぜ、生地を作る。
③ ②の生地に具を加え混ぜる。
④ フライパンに薄く油をひき、③を流し入れて中火で焼く。焼き色がついたらひっくり
返し、ふたをして火が通るまで弱火で焼く。
⑤ 適当に切り分け、しょうゆ、またはソースをかける。
※ 具は玉ねぎやニラ、小女子やじゃこなど家庭にあるものを使い、残りご飯を混ぜ込む
こともあります
 
 およそのところは上のレシピでよいのだが,「キャベツ,かつお節,紅しょうが」を入れると具だくさんの「お好み焼」感が出てしまう.
 つまりクレープ状にはならず,ぼってりとした食感になってしまう.
 そうではなくて,群馬県で終戦後から昭和三十年代にかけて,腹を減らした子供たちがフライパンで焼いて食っていたプアな代用食は,小麦粉,長ネギの小口切り,サクラエビを焼いたものであった.(群馬の農家が農作業の間に食べる間食は「おやき」「やきもち」と言うが,これと「じり焼」を混同している人が多い.また最もよく知られている「おやき」は長野県の名物だが,それは群馬のものとは異なる)
 ここまできてようやく冒頭に振ったサクラエビの話を回収しよう.
 あくまで「昔は」の話であるが,群馬県の「じり焼」の具材は,長ネギの小口切りとサクラエビだったのである.
 それくらい,サクラエビは身近で安価な乾物だったのである.
 一つ付け加えると,昭和三十年代の群馬県では,庶民にとって鰹節は高級食材であった.味噌汁や蕎麦つゆなどの出汁を取るには専ら煮干しが用いられ,鰹節は正月の雑煮のすまし汁など,ハレの日の食材であった.
 
 その思い出のプアな代用食「じり焼」を再現してみた.
 調理に用いる熱源だが,プロパンガスはまだ普及していなかった時代である.
 小学校低学年の当時,私は「じり焼」を作る時はまず七輪に炭火を熾した.飯は,台所の「へっつい」で羽釜と薪で炊いたが,調理には七輪または灯油のコンロが用いられた.
 食パンを焼くにも七輪だ.灯油コンロでは石油臭いにおいがついてしまうからである.七輪なら遠赤外線効果でトーストされるわけで,あれはうまかった.思い出は最上の調味料である.
 閑話休題.下がその再現「じり焼」である.
 
 20210604a
 
 小麦粉は市販の「お好み焼粉」で代用できる.玉村町のレシピに従うと,26センチのフライパンで三枚を焼ける.
 生地には下味を付けず,焼いた「じり焼」にはウスターソースをかけるのが昔風だが,なければ中濃ソースでよい.
 豊後の人がこの写真を見たら「これがじり焼?」と思うかも知れないが,これが上州の「じり焼」である.
 で,私が以前から不思議に思っているのは,九州と北関東という遠く離れた二つの地方で,全く異なる食べ物がなぜ「じり焼」という同じ名で呼ばれているのだろう,ということである.
 江戸時代からある郷土食では,殿様の国替えの結果,ある地方の食べ物が別の地方でも食べられるようになったという例はあるが,豊後の殿様が上州に転封されたことはないようだ.
 私はかねてよりそういう疑問を持っていたが,群馬県人である中山秀征の世代でも,もはや「じり焼」を食べたことがないことから考えると,群馬の「じり焼」は滅びたのだろう.だから私の疑問は無意味なものになった.大してうまい食い物ではないから,それもよかろうと今は思っている.
 

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