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2021年5月30日 (日)

昭和の昔は二十歳を「はたち」または「にじっさい」と読んだ

 日刊SPA!に,鴻上尚史氏が《はたち?にじゅっさい?『二十歳の原点』誰も知らない本当の読み方》[掲載日 2021年05月12日] を書いている.いささか驚いたので,ちょっと長めだが,一部を引用する.
 
70歳の女性が認知症になった結果、自分のことを20歳と思い込む所から始まる物語です。彼女は、1970年代初頭に生きてると思い込むのですが、その頃のアイテムのひとつ『二十歳の原点』が登場します。
 知ってます?
 鉄道自殺を遂げた立命館大学生、高野悦子さんの1969年1月から6月までの日記です。出版は1971年。現在まで版を重ねて230万部の大ベストセラーになっています。
(中略) 
でね、話は少しそれるのですが、『二十歳の原点』を「はたちの原点」と読むか「にじゅっさいの原点」と読むか、の問題です。
 ウィキペディアでは、「正しくは『にじゅっさい』のげんてん」である」と書かれていて、腰が抜けそうになりました。
 ただし、「国立国会図書館の蔵書検索においては『はたち』のげんてんと登録されている」とも書かれています。
 当然です。あの時代、圧倒的多数は、「はたちの原点」と読んでいました。
 1971年に出版された単行本の「二十歳の原点」では、読み仮名が振られていませんでした。
 ですから、多くの一般的読者は自然に「はたち」と読んだのです。が、今回、文庫本を買うと、タイトルに読み仮名が振られていて「にじゅっさい」となっていました。
 そもそも、「二十歳の原点」は、高野悦子さんの日記の中の有名な文章、「『独りであること』『未熟であること』、これが私の二十歳の原点である」から取られています。
 ですから、高野さんがこの文章を「はたち」と読んだのか「にじゅっさい」と読んだのかが問題なのですが、それは今となっては、残念ながら誰にも分からないわけです。
 
 鴻上尚史氏が《ウィキペディアでは、「正しくは『にじゅっさい』のげんてん」である」と書かれていて、腰が抜けそうになりました》と書いているのを知って,私は腰が抜けた.
 そこでWikipedia【二十歳の原点】を開いたら,確かに次の記述があった.
 
注釈
 1 正しくは「はたち」でも「にじっさい」でもなく「『にじゅっさい』のげんてん」である[1]。国立国会図書館の蔵書検索においては「『はたち』のげんてん」と登録されている。
 
 そして《正しくは「はたち」でも「にじっさい」でもなく「『にじゅっさい』のげんてん」である》とした根拠は,新潮社公式サイトにおける書籍広告ページ《高野悦子 二十歳の原点》(1979年発売) において,書名に「ニジュッサイノゲンテン」とふり仮名が振られていることであるとしている.
 もしもこれが「新潮社は,《二十歳》をニジュッサイと読むと主張しているが,国立国会図書館は書名を《『はたち』のげんてん》としている」と書かれているなら,百科事典の記述として問題のない客観的記述である.
 しかしWikipedia【二十歳の原点】は,「二十歳」を「ニジュッサイ」と読むのが「正しい」としている.これは,このWikipedia項目を執筆した者が,いかに無学で日本語が不自由な大馬鹿野郎のコンコンチキであるかを示している.
 それについて説明する前に,国会図書館の「納本制度」について解説する.下に,Wikipedia【納本制度】から抜粋引用する.詳細は国立国会図書館公式サイトの《納本のお願い》も参照されたい.
 
日本における納本制度
 現在の日本では、国立国会図書館法(昭和23年法律第5号)の第24条 - 第25条の2によって規定されている。
 制度の概要
 納本の対象となる出版物は、図書、小冊子、逐次刊行物(雑誌や新聞、年鑑)、楽譜、地図、マイクロフィルム資料、点字資料およびCD-ROM、DVDなどパッケージで頒布される電子出版物(音楽CDやゲームソフトも含む)などである。これらのうちCDやDVD、CD-ROMなどのいわゆるパッケージ系電子出版物は、2000年の国立国会図書館法改正によってはじめて法定納本の対象となったものである。なお、映画フィルムも納本の対象としてうたわれているが、国立国会図書館の発足当初から当面の納本は猶予するとされており、現在まで実際の納本の対象とされたことはない。日本国内で作成された映画フィルムは、東京国立近代美術館フィルムセンターが非制度的な網羅収集を行っており、納本図書館の役割を事実上代替している。
 出版物が発行されたときは、国の機関やそれに準ずる機関(独立行政法人や一部の特殊法人等)及び地方公共団体やそれに準ずる機関(地方独立行政法人、土地開発公社等)が出版者の場合は直ちに、民間の出版者の場合は発行日より30日以内に、最良かつ完全な状態の出版物を法定の部数分だけ国立国会図書館に納入しなければならない。
 
 昭和四十六年五月,新潮社は国立国会図書館法の規定に従って,新刊『二十歳の原点』を国立国会図書館に納本した.
 国会図書館は,納本された『二十歳の原点』の書誌資料を作成したが,その書誌データにおいて新刊単行本の書名は「はたちのげんてん」となっている.これはすなわち,当時の新潮社自身が書名の読みを「はたちのげんてん」としていたことを示している.(後述)
 なぜなら,国立国会図書館は,書誌データを作成するとこれを公開するが,仮に誤りがあればこの段階で出版社の申し出により訂正されるからである.
 従って令和三年の現在,国立国会図書館の書誌データにおいて『二十歳の原点』の書名が「はたちのげんてん」となっていることは,昭和四十六年の時点で新潮社は,『二十歳の原点』の読みを「はたちのげんてん」としていたことを示しているのである.
 参考までに,国立国会図書館の蔵書『二十歳の原点』の書誌事項は以下の画像の通りである.
20210520b
 この書誌資料のどこにも「はたちのげんてん」とは書かれていないが,国立国会図書館蔵書検索システムに「はたちのげんてん」と入力すれば『二十歳の原点』がヒットする.つまりこのデータには書名の読みかたが埋め込まれているわけだ.
 しかし「ニジッサイノゲンテン」(ニジッサイは「二十歳」の伝統的に正しい読みかた) および「ニジュッサイノゲンテン」 (ニジュッサイは昭和の末期に現れた訛り) と入力したのでは,何も出力されず,上の書誌資料は閲覧できない.
 つまり国立国会図書館は『二十歳の原点』の書名を「はたちのげんてん」だとしているのである.上に述べたように,新潮社も単行本出版時点では「はたちのげんてん」としていたのである.
 
 ところが新潮社は,昭和四十六年時点では『二十歳の原点』を「はたちのげんてん」としておきながら,現在では新潮文庫『二十歳の原点』の広告ページにおいて,書名に「ニジュッサイノゲンテン」とルビを振っている.(下はその広告ページのスクリーン・ショットである)
20210520a
 また,単行本の表紙および奥付のどこにも「ニジュッサイノゲンテン」という言葉は存在していないが,単行本の八年後に出版された文庫版の奥付において,唐突に書名に「にじゅっさいのげんてん」と平仮名でルビが振られている.
 それだけならまだしも,文庫版奥付には「にじゅっさいのげんてん」と書いておきながら,文庫版『二十歳の原点』の広告ページ (上に示した画像参照) にはなぜか一貫性なく片仮名で「ニジュッサイノゲンテン」とルビが振られている.
 これは,新潮社という出版社が,かつて昭和四十年代の青年たちに大きな影響を与えた『二十歳の原点』という書籍を,いかにいい加減に扱っているかを示すものだろう.
 そこそこの企業であれば,法務担当社員がいる.新潮社にもいるはずだ.
 新潮社は,文庫版『二十歳の原点』を出版した時点で,書名の読みかたを「はたちのげんてん」から「にじゅっさいのげんてん」に変更した.
 それは別に構わぬが,それならそれで国立国会図書館に対して,蔵書検索用書誌データの訂正を求める必要があった.
 それを現在に至るまで怠っているということは,新潮社の法務担当者は国会図書館法をないがしろにしていることを示している.
 上に述べた「平仮名も片仮名も一緒くた」という件もそうだし,このコンプライアンス欠如のこともそうであるが,本当にだめな出版社である.出版文化の担い手であるという責任感がないのではなかろうか.
 
 ところで,日刊SPA!の記事の中で鴻上尚史氏が紹介しているが,『二十歳の原点』の書名をどう読むかについて検討しているウェブページがある.《高野悦子「二十歳の原点」案内》だ.
 このウェブページの筆者の「どの読みかたが正しいか」という結論は,どっちつかずではあるが,次の通りである.
 
ここまでまとめると現在のところ、〝二十歳〟の読み方については、出版社では「にじゅっさい」に定め、日記の原文もその方向が強いが、「はたち」を誤りとは言い切れず、実際にそう読む人が多かったということになるだろう。
 
『二十歳の原点』は,著者は高野悦子さんということになっているが,実際には高野悦子さんが遺した日記を材料にして,元新潮社出版部長である大門武二氏が構成したノンフィクション作品である.出版に至る経緯は《高野悦子「二十歳の原点」案内》にあるコンテンツ《元新潮社出版部長・大門武二氏「ピンときたタイトル」》に書かれている.
 なにしろ実質上の著者である大門氏が『二十歳の原点』の書名を《僕自身は最初から「にじゅっさい」って呼んでた》と証言している (取材は大門氏が八十歳である2017年) のだから,『二十歳の原点』をどう読むかという問題は「にじゅっさいのげんてん」で決着である.
 大門氏が「二十歳の原点は,にじゅっさいのげんてんと読みます」と言うなら,私たち常識人はそれに従うしかない.
 大門氏が「二十歳の原点は,スットコドッコイと読みます」と言うなら,私たちは「恐れ入りました」と平伏するしかない.馬鹿には勝てな
 だがしかし,大門氏がどう言おうと,はっきりと言っておかねばならないのは,「にじゅっさい」は東京下町の言葉,東京方言だということである.
 
 東京という土地の厄介なところは,東京方言を話す人々が「自分は全国共通語の発音をしている」と思いがちなことだ.
 今はもう絶滅危惧種みたいなもんだが,東京生まれ育ちの老人は「あさししんぶん」が共通語だと思っているのだ.
 私の知人にもいて,「朝日新聞は,あさししんぶんじゃないよ,あさひしんぶんだよ」と言うと「だからー俺はちゃんと,あさししんぶんって発音してるよ!」とキレたりする.
 人間は耳から入った音の情報を,脳で勝手に変換してしまうから,こういうことが起きる.「訛る」のである.
 余談だが私の父親は新潟県人だったので「い」と「え」の区別ができなかった.つまり色鉛筆を「えろいんぴつ」と発音した.卑猥な鉛筆みたいだが,これが訛りというものだから仕方ない.かつて田中角栄も「エロエロな政策」と言っていたが,別に日本列島はエロく改造はされなかったので、エロエロ政策は特に問題とはされなかった.
 閑話休題.しかし知的レベルの高い人は,自分が訛っていることを認識することができる.
 小谷野敦氏は1962年12月21日に茨城県水海道市 (現常総市) に生まれたが,著書『頭の悪い日本語』(新潮新書,2014年,p.49) に次のように書いている.
 
【十戒・十手】
 「じっかい」「じって」と読む。五十点は「ごじってん」である。私は長いことこれを知らず、小学生の頃、小学館の学習雑誌に載っていた『ケーキ屋ケンちゃん』の漫画で、近所のおじさんが、「ケンちゃんならごじってんくらいだろう」と言っているのを見て、変ななまりと思ったものである。
 しかし『銭形平次』の主題歌で、舟木一夫は「野暮なじゅってはみせたくないが」と歌っている。高野悦子の『二十歳の原点』の新潮文庫版には「にじゅっさいのげんてん」とルビが振ってある。「はたちのげんてん」だと思っている人もいるだろうが、「にじっさい」が正しい。
 
 小谷野敦は,ごく常識的なことを書いている.小谷野氏が小学生の頃には茨城県にも東京方言が広まってきていて,氏は二十歳を「にじゅっさい」と読むのかと思っていたが,さすがに中学生になって国語の勉強をしっかりやるようになると,「にじゅっさい」は誤りで「にじっさい」が正しいと知った,というわけである.
 では,なぜ「にじゅっさい」が訛りで,なぜ「にじっさい」が文法的な整合性のある伝統的に正しい発音なのか.
 これについては『お言葉ですが…』(文春文庫,1999年,p.295) の中に昭和の碩学高島俊男先生 (先月五日に御逝去なさった.享年八十四) の解説があるので私は説明を省略するが,高島先生は,「十」の読みかたについて「ジッ」と「ジュッ」のどちらが正しいかに関して次のように書いていらっしゃる.
 
それは、「ジッ」のほうが正しいのです。「ジュッ」は東京なまり。
 いったい東京なまりというのは、ちょっとひねくれたところがあって、新宿をシンジク、手術をシジツというふうに横着をするかと思えば、逆に、十本をジュッポンとむずかしく言ったりする。
 ただ、なんといっても東京言葉は強い。東京人は自分たちの言葉に自信を持っている。小生この件について、さる東京生まれ現在五十歳前後の婦人に御意見をうかがったところ、「いやだジッポンだのジッテンだなんて。いかにも田舎者の鈍くさいオッサンという感じ」とのたもうておりました。だから、もとはせまい一東京地域のなまりだった「ジュッ」が、今や周辺に向かって、特に若い人を中心に拡張中。その分「ジッ」は後退中、という形勢でしょう。
 
 高島先生の《なんといっても東京言葉は強い。東京人は自分たちの言葉に自信を持っている》という指摘は,元新潮社出版部長である大門武二氏 (高島俊男先生と同年齢) の次の証言を読むと,なるほどなあと腑に落ちる.
 
大人になる境目が二十歳=にじゅっさい。読み方として美しいし、迫力もあると思った。
 自分の言語感覚から言って「はたち」より「にじゅっさい」と読む方が現代的じゃないかな。そういう現代的なものに値する内容だと思ってるしね。
 確かに以前は日常生活で普通に「はたち」が使われてて、「君もはたちになったじゃないか」と言う方が「にじゅっさいになった」より通っていた。でも『二十歳の原点』は、昔の人…「はたち」世代のね、述懐じゃないんだから。そういったニュアンスもある。
 その後も「にじゅっさい」で作業した。当然、関係者や周囲との打ち合わせは全て「にじゅっさい」でしたし、そこで三郎さんからも、アシスタントを頼んだ女性部員からも何の異論も出なかった。
 ルビが振られていない初版の奥付 「二十」なんて数字に「にじゅっ」って読み方のルビを振るってやぼったいじゃない。それに「にじゅっさい」と読むのが常識、当たり前と思っていた
 
 なんという驕り昂りだろうか.
 この人物には,東京方言は全国各地にある方言の中の一つに過ぎないという謙虚さが微塵もないのだ.東京方言が共通語だと勘違いしている.
 私のような東京以外の土地の人間からみると,「にじっさい」がきっぱりとした印象を与えるのに対して,「にじゅっさい」はジュルジュル,ジュクジュクという湿った音に聞こえるのだが,大門武二は「にじゅっさい」は「美しい」「迫力がある」「現代的」「常識」「当たり前」だというのだ.これを読むと,我田引水とか井の中の蛙,夜郎自大などという言葉が頭に浮かぶ.w
 大門武二は『二十歳の原点』は「にじゅっさいのげんてん」と読むのが「常識」「当たり前」だと思った出版したのだが,案に相違して,青年読書人たちは皆書名を「はたちのげんてん」と読んだ.
 国立国会図書館も『二十歳の原点』の読みを「はたちのげんてん」と登録した.
 これを知った大門氏の茫然とする顔が目に浮かぶようだ.
 東京方言が「美しい」「現代的」だと思ってきた自信満々な田舎者(*) の《言語感覚》が,木端微塵に粉砕されたのである.(*皮肉なことに,かつて週刊新潮に拠った山口瞳は,大門氏のような井の中の蛙を「田舎者」と呼び,「東京の生まれ育ちでも田舎者はいる」と述べた)
 だが単行本の『二十歳の原点』に「にじゅっさいのげんてん」とルビを振らなかったのは正解だった.
 そんなことをしたら,出版界の笑い者になっただろう.
 そもそも「二十歳」を「はたち」と読むのではない.和語「はたち」に「二十歳」の字を当てたのである.その「二十歳」を,「にじっさい」ならまだしも「にじゅっさい」と読んだのでは,元の言葉が何だったかわからぬことになる.
 
 また取材に対して大門氏は《昔の人…「はたち」世代》とも語っているが,『二十歳の原点』を出版した際に新潮社の社員以外は,読書人は皆「二十歳」を「はたち」と読んだ.これは,大門氏の理屈では日本人はみんな昔の人だということになる.支離滅裂である.
 私と同世代の河島英五は,山本寛之の『野風増』(作詞:伊奈二朗/作曲:山本寛之) にサブタイトル「お前が20才になったら」を付けてリリースした.オリジナルの歌詞はもちろん「おまえがはたちになったら」で始まる
 これを大門氏は「おまえがにじゅっさいになったら」と歌うのが「美しい」「現代的」だと言うのである.こうなるともう付ける薬がない.
 
 私は小谷野敦よりも一世代の上の人間で,しかも東京文化圏からはかなり遠い北関東群馬県の生まれだったから,「にじゅっさい」という東京訛りを知ったのは,大学に入って上京してからあとのことだった.もちろん大学の同級生で東京以外の地方から来た諸君も「にじゅっさい」なんて訛りは知らなかった.
 埼玉,神奈川,千葉,茨城の東京隣接県出身者も,二十歳は「はたち」または「にじっさい」と発音したのだ.
 いわゆる共通語を学ぶということは大学受験勉強することの効果の一つで,当時,まともな東京の大学生は誰一人「にじゅっさい」とは発音していなかったはずである.
 高野悦子さんは昭和二十四年一月に北関東栃木県に生まれた.私よりも高校は一学年上だが,ほぼ同時代の若者だった.
 高野さんは県立高校を卒業後,立命館大学に進んだ.
 昭和二十五年三月に栃木県の隣の群馬県に生まれ,県立高校を卒業後に東大理科二類に進学した私は確信をもって言うが,高野さんは二十歳を「にじゅっさい」と発音する東京方言を耳にしたことはなかったはずだ.
 新潮社は,高野悦子さんの遺稿を出版するのであれば,詩を書く女性であった彼女の言語感覚を尊重すべきであったと私は思うのである.
『二十歳の原点』に,敢えて東京方言の「にじゅっさい」とルビを振るなら,その理由を新潮社は説明しなければならぬ.
 

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