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2021年5月12日 (水)

上海ジビエ,広州野味

 今から三十数年前のこと,食品工場視察と食材調査の仕事で,中国とベトナム,タイに行った.私一人ではなく,食品会社の管理職で構成された調査団に参加したのである.一行は十名ほどであった.
 三井物産のかたがアテンドしてくれたが,現地ガイドさんの付いた観光も組み込まれていて,至れり尽くせりの旅行だった.
 
 出発当日は羽田から空路で上海に入った.
 戦前から既に上海は大都市であったが,上海が昭和の東京と異なっていた点は,ビジネス・オフィス街が,完全なビル街ではなかったことである.
 大きな近代的ビルとビルのあいだに,唐突に雑多なものを商う食料品の市場が存在していたのである.
 この市場の商い物である青果と魚介 (上海蟹やスッポンなど) は日本人にも納得できるのだが,驚いたのは食肉売り場だった.
 平台の上に檻が並べられ,中には生きたハクビシンとかイタチに似た動物,猫に似た動物,明らかに犬である動物,鶏,鼠,蝙蝠など様々な動物が生きたまま販売されていた.虫の類ではサソリが調査団の目を引いた.
 現地ガイドさんに訊いたら,当時はまだ中国では電力事情が悪く,この種の伝統的な市場では冷蔵庫が普及していないため,枝肉 (精選版日本国語大辞典「枝肉」の解説《えだにく【枝肉】〘名〙 牛や豚などの頭部・尾・肢端・内臓を取り除いた骨付きの肉をいう》) あるいはさらにそれを加工した食肉を売ることができないのだと教えてくれた.つまり生きたままの動物 (これは保存性抜群だ!) が料理店や一般家庭向けに販売されているのだった.
 調査団一行はしばらく市場内を見学してあるいた.
 すると,あまり清潔とは言い難い,いやかなり清潔とは言い難い市場の中に,日本でいえば東京大手町の企業に勤める会社員といった雰囲気の女性がいた.
 グレーのスーツで,スカートはタイトなミニスカートであった.おまけに美貌であった.
 彼女は,屠殺して血抜きしてあるらしき鶏の首をつかんで手に提げ,カツカツとヒールを鳴らして市場を出て行った.
 いささかホラーな光景だったが,彼女のうちの夕食は鶏料理に違いないと思われた.
 
 さて,チャーターしたバスで一行はその日のホテルに向かったのだが,バスの中で現地ガイドさんが「日本には野良猫がたーくさんいますね.でも上海には野良猫は一匹もいません」と言った.
「どうしてだと思いますか」との質問に続いて,すぐ正解を語った.
「中国人は,四本足は机と椅子以外みんな食べます.だから街の中に犬も猫もいません.なぜならみんな食べ物だからです.あ,二本足も食べます.鳩もいませんねー」
 なにしろ昔のことなのだが,ガイドさんの説明はおおむねこんな感じであった.もっとも「四本足…云々」は,日本人受けする笑話だったと思う.
 この少々自虐的な笑話についてネットを調べてみると,現在は「空を飛ぶものは飛行機以外みんな食べる.海を泳ぐものは潜水艦以外みんな食べる」の如き発展形になっているらしい.だが昭和の終り頃はまだ「中国人は机と椅子以外の四本足はみんな食べる」だったと思う.また,この笑話を「ことわざ」と書いているブログがあるが,いくら何でも「ことわざ」ではないだろう.
 さて,その翌日,私たちは空路で上海 (直轄市) から広州 (広東省) まで移動した.
 広州では,大規模かつ有名な貿易展示会である「広州輸出入商品交易会」を見学し,そのあとはチャーターのバスに乗って深圳市まで移動する.
 見渡す限りの田園地帯を走る国道は,行けども行けども飽きるほど田園地帯を走って行くのであったが,時折,道に面してポツン,ポツンと建物が見受けられた.
 屋根の上に大きな看板が設置されていて,どうやら郊外型レストランのようであった.
 現地ガイドさんの説明によると,それらは普通のレストランではなく「野味」を食わせる料理店だという.
「野味」とは野生生物の料理を意味する.
 上海でも,外国人があまり来ないような辺りに「野味」レストランはあるのだが,野生生物といってもあまり突拍子もないものはないという.好意的に言えば仏語のジビエに,蛇料理と犬料理と蛙料理を足したくらいのものらしい.こう書くと突拍子もないような気がするが.
 だが広東省は「野味」の本場だそうで,こちらはかなり突拍子もないものが食材として市民権を得ている.
 私は実際に野味レストランで食事したことはないのだが,知人に野味の経験者がいて,彼が言うには,そして写真を見せてくれたが,正体不明の小型げっ歯類や蝙蝠,蜘蛛やサソリなど節足動物の料理 (姿煮とか姿焼きとか,生きていた時の形そのままのもの) は,いくらカネを積まれても食べたくないとのことであった.写真を見ながら私は深く同意した.
 
 かつて,広東省における野性生物の喫食が,SARS (重症急性呼吸器症候群) と関係があるのではないかと疑われた.(読売新聞《野生動物の売買取り締まり逃れ後絶たず…中国・広東省》2003年)
 この流行の時の中国第四代最高指導者は胡錦濤であったが,胡錦濤政府はSARS (病原体はSARSコロナウイルスである) の発生を隠蔽した.
 流行が終息したあとも中国政府は感染症に対する徹底的な保健政策を採らずに,中国人の野生生物喫食を放置した.
 中国政府は人民の基本的人権の抑圧には熱心だが,感染症制圧には関心がなかったのである.
 そして習近平は胡錦濤の前轍を踏んで,今回の新型コロナウイルス感染症の発生にも隠蔽を図った.もはや隠蔽は中国のお家芸である.
 SARSのときに中国政府が得た教訓は,この隠蔽芸と通底している.
 中国政府は,SARSの隠蔽を国際社会から強く批判された.このことから,中国から感染症が世界中に拡散流行するのが今後も避けがたいとすれば,それによって中国が国際的な非難を浴びるのを回避すればいい,と考えたのだろう.中国という国は,大人に叱られなければ,どんな悪さも平気でする子供なのだ.
 そこで中国はWHOを中国の支配下に置くことを計画し,実行した.
 Newsweek日本版《アメリカの無関心が招いた中国のWHO支配 How America Ceded the WHO to China》[掲載日 2020年4月21日 19:40] が,中国によってWHOが乗っ取られた経緯を書いている.
 
中国の担ぐ候補者が初めてWHO(世界保健機関)の事務局長に選ばれたとき、それを聞いたアメリカ合衆国大統領が眉をつり上げることはなかった。その数年前に、中国ではインフルエンザに似た未知の感染症SARS(重症急性呼吸器症候群)が発生していた。彼らは当初、その事実を隠蔽した。その後も事態の深刻さを過小評価し続けたが、アメリカは意に介さなかった。大統領は中国との間で波風を立てたくなかったし、政権内部にもWHOの人事に異を唱える者はいなかった。
 香港出身で医師のマーガレット・チャン(陳馮富珍)が加盟国の過半数を超える票を集めてWHO事務局長(任期5年)に選ばれたのは2006年11月9日のこと。その2日前、アメリカでは与党・共和党が中間選挙で大敗し、上院でも下院でも少数与党に転落していた。イラク戦争はますます泥沼化し、ジョージ・W・ブッシュ大統領は国防長官の更迭に踏み切らざるを得なかった。政権の基盤が揺らいでいた。誰がWHOのトップになろうと、知ったことではなかった。
 5年後も同じだった。親中国派の人材を次々に登用したチャンが再びWHO事務局長に選ばれても、当時のオバマ政権は静観していた。そして2017年春にチャンの後継としてテドロス・アダノムが事務局長に立候補したときも、大統領就任直後のドナルド・トランプや政権幹部が気に留めることはなかった。
 そもそもトランプは選挙戦の段階から、中国と言えば貿易のことしか頭になかった。「あの頃は誰もWHOなど気にしていなかった」。国家安全保障会議(NSC)のある職員は匿名を条件に、そう語った。
 元エチオピア外相のテドロスは中国の強力な支援を受け、アメリカが義理で推していたイギリス人のデービッド・ナバロを133対50で破り、医師の資格を持たない初のWHO事務局長となった。ニューヨーク・タイムズ紙は当時、アフリカからWHO事務局長が出るのは初めてだという型どおりの記事を載せている。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログ筆者が行った)
 
 こうして習近平はWHOを手に入れた.
 事務局長のテドロス・アダノムは期待通りの働きをした.Newsweek日本版は,上の箇所に続いて次のように記した.
 
自国の大都市で発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する中国の隠蔽と情報操作。そして死活的に重要な初期段階でWHOがそれを黙認したこと。これは大スキャンダルだ。その影響は何年も尾を引くだろう。
「このウイルスはヒト・ヒト感染しないという中国側の主張を、WHOは少なくとも1月14日まで認めていた。おかげで中国のごまかしが可能になった」。米食品医薬品局(FDA)の元長官スコット・ゴットリーブはそう指摘する。》(引用文中の文字の着色強調は当ブログ筆者が行った)
 
 テドロス事務局長は,中国国内の感染拡大が続いている時は,これはパンデミックではないと主張した.
 そしてヨーロッパで感染爆発が起きた時になって,ようやくこれはパンデミックだと断定した.
 これはパンデミックの発生源を中国からヨーロッパになすり付けるものだと欧州首脳が一斉にWHOを批判したとき,テドロスは全く平然と中国の弁護を続けた.
 怒った当時のトランプ米大統領がWHOへの資金提供を停止したときもテドロスは動じることなく米国に屈しなかった.そして習近平はWHOへの資金供給を増やした.
 テドロスは中国発の感染が拡大しているときには「マスクは無意味だ」としていたが,医療従事者向けのN95マスクや不織布製サージカルマスクの世界最大の製造国となった中国が「マスク外交」を開始すると,掌を返してマスクの有効性を主張し始めた.見事なまでの幇間ぶりであった.
 こうして中国は,将来,どんな感染症が中国発で発生しようとも,そしてそれを隠蔽しても,WHOに批判されることはなくなった.
 人間の食生活は極めて保守的である.
 いつの時代に始まったのか皆目資料が見つからないが,中国南部における野性生物喫食の食習慣はなくならないだろう.
 中国政府は,野性生物の取引を禁止するというポーズを見せているが,「野味」は地下に潜っただけである.
 人々の食習慣を政治が強権的に抑圧するとどうなるかは,かつて米国の禁酒法が示した.それは中国政府も知るところだろう.
 従って中国人はこれからも野生生物を食い続けるだろう.
 そして私たちは,これからも中国南部の食習慣に起因する感染症リスクを負い続けるのである.

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