半可通フェミニスト
沖縄タイムス《「山の神」は妻を卑しめる呼び方との指摘も 玉城デニー知事のツイートに驚く識者》[掲載日 2021年5月7日 15:54] を読んで驚いた.下のことが書かれていたからである.
《玉城知事はツイートの中で、妻を指す卑称とされる「山の神」という言葉も使った。女性史家の宮城晴美さん(71)=那覇市=はどういう意図で投稿したのか分からないとした上で「かつて男尊女卑で使われていた言葉で前近代的だ。知事という公の立場の人が使うのにふさわしくなく、驚いている」と語った。》
沖縄の玉城知事は,玉城知事に限った話ではないが,他人には厳しく自分に甘い人物のようで,過ぐる大型連休中に沖縄に国の「まん延防止等重点措置」が適用されている最中,自分の実家と夫人の実家でバーハベキューを楽しんだことが批判されている.同知事はこの期間中は県民に「飲食に繋がるイベントは控えるように」と要請していたからである.
しかも,こっそり隠れてする悪知恵もなく,SNSで「GWの予定は実家と山の神の実家庭でのBBQ。他ほぼ読書」(原文は既に削除されているため,各メディアが報道した文面を借用する) と投稿していたのである.
まあ,上級国民のやることだからこんなもんだろう.首相も自民党幹事長も公明党のホープも,みんなやっていることだ.
で,それはそれとして私が驚いたのは,私よりも一世代若い玉城知事が「山の神」という現代の日常生活では死語と化した言葉を使ったことと,冒頭の記事の中に登場する宮城晴美 (琉球大学非常勤講師;昭和二十四年に座間味村に生まれた私と同い歳の七十一歳) という女性が,「山の神」は《かつて男尊女卑で使われていた言葉》だと述べたことの二つだ.
日常生活で「山の神」という古めかしい言葉を使ったことのある世代は,おそらく私よりも一世代高齢の,今なら八十歳過ぎの人々だとしてよい.いわゆる団塊世代とその少し上の年齢の男で,妻を「山の神」と呼ぶ者を私は一人も知らないからである.
さらに言えば,この「山の神」は男たちに広く使われていた言葉ではなかったのである.
そのことを述べる前に,まず辞書的な意味をおさらいしておく.
Wikipedia【山の神】から下に引用する. (引用文中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
《実際の神の名称は地域により異なるが、その総称は「山の神」「山神」でほぼ共通している。その性格や祀り方は、山に住む山民と、麓に住む農民とで異なる。どちらの場合も、山の神は一般に女神であるとされており、そこから自分の妻のことを謙遜して「山の神」という表現が生まれた。》
《転用
山の神は女神であり、恐ろしいものの代表的存在であったことから、中世以降、口やかましい妻の呼称の一つとして「山の神」が用いられるようになった。》
上の記述は,なかなか考えられた解説である.
まず大切なことは,Wikipedia【山の神】が《自分の妻のことを謙遜して》と正しく述べているように,「山の神」は謙譲語 (謙遜語) であり,宮城晴美氏が言うような「女卑」の表現ではなかったということである.
大学で講義をする立場の人間なら,少しはものを考えて言うがよい.どう考えても「神」を卑称に使うはずがないではないか.どこでそんな素っ頓狂なことを覚えたのだ.しかも琉球神道で知られる信仰の島,沖縄の生まれでありながら何ということだ.このスットコドッ
「山の神」 (山神,ヤマガミ,サンジンとも) は,天照大御神の系譜に連なる偉い神様ではないが,日本全国に無数の「山の神」がいてその頂点に立つ最強最上の神こそ,富士山の神体にして富士山本宮浅間大社 (静岡県富士宮市) と配下の日本国内約千三百社の浅間神社に祀られているコノハナサクヤビメである.どれだけ「山の神」が偉いかはほとんど常識である.
そのようなわけで庶民の男は,他人に「うちで一番エライのは実は妻なんです」ということを言外に込めて,古来より妻を「山の神」と言っていたのである.
その用例として,室町時代の狂言「花子」(読みは「はなご」) を挙げる.
「山の神」の用例を調べていくと,大抵の文献が「花子」から文例を引いている.
私は能狂言には門外漢だが,おそらく研究者は,「山の神」がどのようにつかわれた言葉かを示すのに「花子」がもっともよい資料だとしているからであろう.
さて,大倉浩《狂言記における妻の呼称 : 諸流派の台本との比較》(文藝言語研究,言語篇35巻,p.156-141,1999/3/30) によれば,太郎冠者などが主人の妻に対する敬称として用いるのは次の各語である.
おうへさま
おかつさま
おくさま
おごうさま
おないぎ
おないぎさま
かみさま
以上に対し,男が,仏に祈願して授かった妻を敬愛して呼ぶときは「おつま」(妻の敬称) というようだ.
また,男が妻に対して,親しみ,ヘリ下り,恐れを込めて言う場合の呼称は次の各語である.
かか
つま
女房
女房ども
めぢやもの
やまのかみ
わをんな
をんなども
ここで「花子」に出てくる「山の神」の話に戻る.「山の神」は特別な語で,時代劇でお馴染みの「かか」が親しみを表現しているのに対して「山の神」は恐れを表している.
粗筋は日本大百科全書 (ニッポニカ) の解説「花子」から引用する.
《狂言の曲名。女狂言。洛外(らくがい)に住む男(シテ)は、先年美濃(みの)国野上(のがみ)の宿でなじみになった花子が上京したので、嫉妬(しっと)深い妻をだまして会いに行こうと、近ごろ夢見が悪いから諸国行脚(あんぎゃ)に出たいというが許されず、一夜だけ邸内の持仏堂に籠(こも)ることを承諾させるのがやっとである。そこで、妻が見にきたときの用心に、嫌がる太郎冠者(かじゃ)に座禅衾(ざぜんぶすま)をかぶせて身代りにし、喜び勇んで出かけて行く。案(あん)の定(じょう)見舞いにきた妻は、窮屈そうな姿に同情し無理に衾をとり冠者と知って腹をたてるが、こんどは自分が衾をかぶり、夫の帰りを待ち受ける。そうとは知らず、夢見心地で帰宅した夫は、顔を見ては恥ずかしいからそのまま聞けと、花子の宿所を訪ねてから後朝(きぬぎぬ)の別れまでの一部始終を、妻の悪口まで交えて小歌で長々と語り尽くす。さて衾をとって驚く夫を妻が追い込む。》
これは男の浮気がバレて酷い目に遭うという話である.
そもそもこの時代の男は,単に旅に出るだけなのに妻の許可が要るのである.まるで現代日本のようだ.w
で,男が出かけようとするのを妻は監視している.そのおかげで遊女花子に逢いに出かけられないのだと,男が太郎冠者に説明する下りに「山の神」が出てくる.
汝よびだし 別の事でない さてなんじも知る通り 花子の方から度ゝ文を下されども 例の山の神が付いてまはるによつて なかなか逢いにまいる事はかなはぬ それ故きよう山神めをたばかうて ようよう一夜の暇をもろうた
(資料《馬瀬狂言資料の紹介》(学苑・日本文学紀要第八九一号,五十一~六十九,二〇十五・一) にある原文を,読みやすいような漢字と,仮名表記の文に変えた)
この箇所の意味はわかりやすい.妻の監視が厳しい (例の山の神が付いてまはる) のだが,持仏堂に籠るとか何とか言って騙し (山神めをたばかうて),一晩の外出ができることになった,というわけである.
このあとは粗筋にあるように,男は太郎冠者に座禅衾 (達磨が座禅するときに着た衣服 [参考画像]といえばわかりやすいか;これをウェブで検索すると狂言花子が用例として上位に並ぶ;植物ザゼンソウは座禅衾の形に似ていることからそう呼ぶ) を頭からすっぽり被せて身代わりにし,るんるんと花子に逢いに行くのだが,残念ながら,男が本当に座禅しているかどうか点検に来た妻に,ばれてしまう.
この時,妻は身代わりを務めた太郎冠者に「掴み殺してくれようか」 (原文は「つかみころしてくりようか」) と言って脅迫する.激怒すると室町の女はかくも恐ろしいのである.
続く展開は《馬瀬狂言資料の紹介》を検索して読んで頂くとして,狂言「花子」は,「許してくれい許してくれい」と逃げ回る男を「やるまいぞやるまいぞ」と妻が「追い込む」お馴染みのエンディングとなる.
ここに登場する妻すなわち「山の神」は,家庭内において夫を暴力的に支配するDV女なのである.さすれば一体「山の神」のどこが《かつて男尊女卑で使われていた言葉》(by 宮城晴美) なのか.
実は日本において性差別が次第に激しくなった江戸期以降においても,男尊女卑が完全に徹底していたわけではなかった.
恐妻家という男たちがいたからである.
男を支配する傾向のある女と結婚してしまった 運の悪い 男たちは,自分の妻を日本の中世の古めかしい呼称の「山の神」と呼んだ.
この記事の上のほうで私が《この「山の神」は男たちに広く使われていた言葉ではなかった》と書いたのは,そういう意味である.
日本近世以降の一般の男たちは,配偶者を男尊女卑のニュアンスをもって「家内」(これが多かった),「女房」,「嫁」(関西に特有の用法),「家人」(読みは「かじん」で,妻と使用人を一緒くたにしてこう呼んだ),あるいはニュートラルに「妻」などと呼んだが,「山の神」はそれらとは明らかに異なって,家庭内の力関係が女尊男卑である恐妻家御用達の言葉だったのである.
繰り返すが,琉球大学講師の宮城晴美氏は私と同年齢である.従って本当なら,室町から現代に至る「山の神」の用法を知っていなければならない.私と同世代の人々は,「山の神」という言葉がほぼ死語化する前の時代を生きてきたからである.
しかるにこの人は,「山の神」は《かつて男尊女卑で使われていた言葉》だと無知蒙昧な主張をし,その口で大学でジェンダー論を教育しているのである.なんとまあ薄っぺらい学問だこと.
話はかわって,沖縄の玉城デニー知事は,さぞかし奥様 (これも宮城氏は男尊女卑の言葉であると攻撃するんだろうなあ) の尻に敷かれていらっしゃるのだろう.微笑ましいことである.
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