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2021年4月 8日 (木)

太公望呂尚は魚を釣る気がない

 今日放送されたTBS系《プレバト!!》で,俳優の勝村政信は次の俳句を詠んだ.
 
公魚の 欠伸気づかぬ 太公望
 
 これを評者の夏井いつき先生は,次のように添削した.
 
太公望たいくつ 公魚の欠伸
 
 勝村政信の句は太公望の故事の,よく知られた伝承をそのまま下敷きにしたものだ.
 すなわち紀元前十二世紀から紀元前十一世紀頃,中国殷代末期の周国に姫昌という諸侯がいた.
 姫昌は,西伯,西伯侯,西伯昌とも書かれる.後の周の文王である.
 姫昌はある日,狩りに出かけた.
 渭水の畔までくると,老人が川面に糸を垂れていた.
 姫昌が老人に「何が釣れるのか」と問うと,老人は「わしは魚を釣りにきているのではない」と答えた.
「天下が釣れるかも知れぬと思うてな」と言う老人の釣り糸の先には餌がついていなかった.
 おもしろい人だと思った姫昌はその老人と語り合ううちに,軍師としての才能に惚れ込んで自分の補佐役に採用したという.
 この老人こそ,『史記』の『斉太公世家』に描かれた呂尚すなわち太公望である.
 
 というのが,太公望の伝承の一つである.
 太公望というと釣り人の印象があるが,そうではない.後の太公望,呂尚には魚を釣る気はないのである.
 ただ釣り糸を川に垂れていただけであり,呂尚の頭脳の中は,天下国家の政と軍事の計略で一杯なのであった.
 だから,釣る気のない呂尚の糸の周りでは,魚が欠伸をしていたであろう.またそんな魚の欠伸に呂尚は無関心であったに違いない.
 これが,勝村政信の句の趣旨である.
 
 この伝承を踏まえれば,太公望呂尚は,全く退屈なんぞはしていなかったのである.
 おそらく俳句評者の夏井いつき先生は,広く流布しているこの太公望の逸話 (無論,史実ではない) を御存知ないのであろう.だから勝村の句を「太公望たいくつ」と添削してしまった.
 夏井先生は太公望を,私たちが承知しているのとは正反対の人物に描いてしまったのである.
 
 私は釣りをしないのでホントかどうか知らぬが,釣りを好きな人はせっかちだという.
 はやりの言葉なら釣り竿に全集中しているのであって,釣りの最中に退屈している暇はないらしい.

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