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2021年4月28日 (水)

昔の人が「食うな」と言ってるものを食うんじゃないっ

 東洋経済ONLINE《「合法的無銭飲食」体験者だけが知る驚きの世界 求めよ、さすれば全て与えられる(byアフロ)》から引用する.
 
かぼちゃのわたも食べるし、今ではかぼちゃの種も食べる。どれもこれもとくに劇的にうまいというわけではないし、まあまあ硬いが、よくよくかんで食べる。かむ練習になると思って食べる。
 そうそう種といえば梅干しの種。ペンチで割って中のナッツのようなものを食べる。これは「じん」と言いましてですね、実にうまい。そして、しつこいようだが非常に健康にいいそうである。
 
 上記の記事の筆者は稲垣えみ子さん.御存知のかたは多かろうが,稲垣さんは元朝日新聞論説委員で,NHK教育あたりの番組によく登場する,ちょっとちゃらちゃらした女性である.
 稲垣さんは梅干しのタネの中にある「仁」が《非常に健康にいい》と述べている.
 これを私のような老人が聞いたら「阿呆なことを言うもんじゃないっ」と一喝するところである.その理由を以下に述べる.
 
 米国の生化学者 Ernst Krebs が1970年にトンデモ論文を有名な論文誌に投稿して掲載された.
 後の世に害悪を流した悪名高い論文なので,諸兄がウェブを検索する手間を省けるように,タイトルとその論文へのリンクを載せておく.
“The Nitrilosides (Vitamin B-17)
Their Nature, Occurence and Metabolic Significance (Antineoplastic Vitamin B-17)”Ernst T. Krebs, Jr.,Reprinted from the Journal of Applied Nutrition, Volume 22, Numbers 3 and 4, 1970.
 
 論文著者のエルンスト・クレブスは,高校生でも知っているクエン酸回路で有名なハンス・クレブス (Hans Adolf Krebs) とは全く別人の,米国のがん研究者である.クレブスにも色々いるのだ.
 まず論文の題からして間違いであると指摘しておかねばならない.
 二十世紀に入ったあと,鈴木梅太郎がビタミンB1を発見したのちのことだが,科学者の間で「ビタミン発見競争」が起こった.
 有象無象の学者が,我も我もと「ビタミンらしきもの」を自然界から精製しては,これに「ビタミン ○○」と命名するのが流行したのである.
 余談だが,筒井康隆に,この「ビタミン発見競争」を戯画化した「ビタミン」という短編があって,これがおもしろい.文庫は絶版だが,この作品を収めた筒井康隆全集が古書で流通しているので読むことはできる.
 で,このブームが去ったあと,ビタミンの定義と名称は整理されて現在に至る.
 そして,整理されてなくなってしまった似非ビタミンの一つがB17だった.
 E.クレブスは上記の論文において,青酸配糖体 (Nitrilosides) と総称される化合物が,がんの増殖を抑制すると述べている.青酸配糖体は,バラ科サクラ属の植物であるアンズやウメ,モモ,スモモ,アーモンド,ビワなどの未熟果実の種子にある「仁」(じん) 含まれている自然毒である.
「仁」に含まれる青酸配糖体は,アミグダリンという.アミグダリンは「仁」に多量が含まれるが,未熟な果肉にも含まれている.そのため,未熟な梅の果肉をたくさん食べると,アミグダリンが腸内細菌の酵素で分解され,生じたシアン化水素 (青酸) が吸収されて急性の致死性食中毒を起こす.
 この事実は平安時代の昔から知られていて,未熟な梅の果肉はたべてはならぬと戒められてきた.
 梅酒を作るため青梅は,アミグダリンが多く含まれる未熟の時期を過ぎてもまだ枝についているものを収穫するが,これは適切な熟れ具合を知っている農家にまかせたほうがいい.自分の家に梅の樹があっても,これで梅酒を作ろうとは思わぬのがよい.
 梅漬け (梅干し) は,樹についたまま完熟してから落果した果実を用いるとよいものができる.(茨城県農業総合センター)
 梅酒,梅漬けのいずれも,長期保存のあいだにアミグダリンが消失して可食となる.
 このように先人は,有毒な梅の実から,アミグダリンが消失した梅酒や梅漬けを作り出して食生活を豊かにしてきたのであるが,ここに降って湧いたのが「アミグダリンはがんに効く」という妄説だった.
 そしてこの妄説に目を付けたのが健康食品業界だった.
 狭義のサプリメントを製造販売している大手企業は別として,「いわゆる健康食品」(正しい意味の健康とは無縁の「食品のようなもの」を,「いわゆる」を付してこう呼ぶ) の流通販売は闇に紛れている部分が多くてよくわからないのであるが,一つには訪問販売がある.
 訪販といっても色々あるが,業者が消費者宅でホームパーティー形式の販売会を開く手口が有名だ.(Wikipedia【ホームパーティー商法】)
「いわゆる健康食品」販売業者は,当該健康食品とは無関係の形をとって,例えば「驚異の梅仁! がんが完治!」などというタイトルの書籍 (「バイブル本」と呼ばれる) を出版する.(Wikipedia【バイブル商法】)
「いわゆる健康食品」販売業者は,怪しげな「いわゆる健康食品」のホームパーティー即売会で,その書籍を実質的に宣伝媒体として「梅の仁」を加工した商品を売るのである.
「アミダグリンはがんに効く」説はデタラメだったことが,E.クレブスの論文発表後,信頼できる研究機関 (米国国立癌研究所) によって否定されたのであるが,現在でも我が国では「梅の仁」の効果効能を宣伝するバイブル本が通販で流通しており,「梅の仁」を加工した商品が販売されている.
 このように,いったん広まったデマを根絶することはなかなか難しいのである.
「いわゆる健康食品」の多くは,毒にも薬にもならないハナクソみたいなものなのだが,「梅の仁」を加工したものは健康被害の生じるおそれがあることから,行政機関がその危険性を国民に啓蒙し続けている.その例を下に挙げる.
 
農水省《ビワの種子の粉末は食べないようにしましょう》から引用.
果実を未熟な状態で食べてしまったり、果実を種子ごと食べてしまったりすることは稀ですので、通常、果実を食べることによる健康影響は無視できます。
 しかし、種子を乾燥して粉末に加工などした食品の場合は、シアン化合物を一度に大量に食べてしまう危険性が高まりますので、ビワの種子の粉末は食べないようにしましょう。高濃度のシアン化合物が検出されて回収が行われているビワの種子粉末食品のうち、特に濃度が高いものでは、小さじ1杯程度の摂取量でも、健康に悪影響がないとされる量を超えて青酸を摂取してしまう可能性があります。》(註;ビワ種子の乾燥粉末と同様に,「梅の仁」の乾燥粉末が売られている)
 
独立行政法人国民生活センター《ビワの種子を使用した健康茶等に含まれるシアン化合物に関する情報提供 体内で分解して青酸を発生するおそれがあるため過剰な摂取に注意!
 
国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所《アミグダリンについて (Ver.190121)
 
 ビワの「仁」を乾燥した粉末は,高濃度のアミグダリンが検出されたために,2017年に製品回収が行われた.
「梅の仁」の乾燥粉末ではまだ健康被害は報告されていないが,その可能性は高い.
 稲垣えみ子さんは,飯のおかずにした梅干しの仁を一つ二つ食っただけで知ったかぶりして《非常に健康にいい》と書いたのかも知れない.
 しかし,梅干しの仁は,殻が硬いので取り出しにくい.おまけに一つ二つを食っても旨くもないし腹の足しにもならない.
「いわゆる健康食品」業者が消費者につけ込むのはこういう種類の素材だ.
「このカプセル一粒に,なんと千個の梅の仁が濃縮されているのです!」という類の言い方が,この手の業者の常套宣伝文句だ.多くの人はテレビのCМで類似の宣伝文句を耳にしたことがあるはずだ.
 これを聞いた消費者が「梅の仁は稲垣えみ子さんが勧めていたから,買ってみよう」と考えたとする.
 稲垣えみ子さんは,危険な「いわゆる健康食品」の宣伝塔の役を果たしたことになる.
 それでいいのですか,稲垣さん.
 日本の消費者国民は「食品の安全安心」の意識が高いといわれる.しかるに元朝日新聞論説委員の稲垣えみ子さんは,自分が食べるものの安全安心を調べようともせず梅の仁は《非常に健康にいい》とデマ記事を書き飛ばしている.何事も「調べずに伝聞だけで書く」のは物書きの自殺行為だ.まことに元論説委員の知的退廃を絵に描いたようなものである.
 
 稲垣えみ子さんは次の通りのことを書いている.
 
そこらの野草を採って食べるという体験は、ただ食費を浮かすとかそういう小さなことにとどまるものではない。一度その体験をしてしまったら、そのささやかな行動は小さな種となって自分の奥底に止まり、次第にムクムクと成長して人生そのものを根底から覆えす可能性を秘めているのだ。
 私が、そうだった。
 だって「旬のグルメ」「季節限定」なんてプレミアムなレストランのうたい文句と思い込んでいたら、そこらの空き地にすべてがタダでワラワラと埋まっていたのである。「結局さ、お金がなけりゃどうにもなんないっしょ」という身もフタもない圧倒的現実の横っちょに、案外でっかい穴が堂々と開いていたんである。そんな間抜けすぎる現実を見てしまったら、笑うしかないではないか。》(文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 この引用部分の前半は,修辞を並べただけの高校の文学少女みたいな文章で情けないが,問題はそのあとだ.
 稲垣さんも大人なんだから,はしゃがずに落ち着いてくれ.
 常識的に考えて《そこらの空き地にすべてがタダでワラワラ埋まって》いるわけがないではないか.
 空き地にワラワラ生えている植物の中から,食べても安全なものを選び出すには,大変な勉強が要るのである.知識はタダでは手に入らない.時間と努力というコストがかかるのだ.
 調べれば簡単にわかることなのに,梅の仁が《非常に健康にいい》などと嘘の情報をまき散らす努力嫌いの人間が,植物図鑑を調べて空き地から採取した植物を同定できるはずがないのである.
 稲垣えみ子さんと同様に勉強と努力が嫌いで,食べられる植物が《そこらの空き地にすべてがタダでワラワラと埋まって》いると考えて世の中を舐め切っている人たちが,毎年毎年,こりもせず有毒植物を食べて食中毒を起こしている.死者もでている.
(資料;厚労省《過去10年間の有毒植物による食中毒発生状況》)
 稲垣さんは,自分が《そこらの空き地にすべてがタダでワラワラと埋まって》いると書くことにより,食中毒を起こす人たちを増やしているのだとは思わないのだろうか.それでいいのですか,元論説委員殿.

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