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2021年3月

2021年3月31日 (水)

糠風味

 私はもう一年以上,JRに乗ったことがない.自宅と東海道線藤沢駅の間が行動範囲になっている.
 こんなことになろうとは思ってもいなかった.月に一度は国内旅行に出かけて,死ぬ前の楽しみにしようと思っていたのだ.
 しかし私の旅は,藤沢駅の周辺で買い物をするくらいのことになった.
 よくテレビのニュースで「新型コロナウイルス感染症の第○波拡大についてどう思いますか?」などと,繁華街の街頭でインタビューをしているが,みんな「人出は全然減っていないし,怖いですね」と言う.
 そういうあんたは「人出」のうちに入らぬのかね,と私は思う.
 関東地方では桜が開花して以降のこの数日,ぐんぐんと春めいて暖かくなってきたので,テレビが映す街角の様子を見ると,鼻だしマスクと顎マスクがどんどん増えている.
 藤沢の街に出て道を歩くと,顎マスクの男が急増したように感じる.それでなーにが「怖いですね」だ.
 スーパーでは,ダイエーの入り口では買い物客は手を消毒して入っているが,クイーンズ伊勢丹などのスーパーや食料品店が入っている駅ビルでは,入り口に置かれているアルコール噴霧器は多くの客に無視されて素通りだ.
 藤沢駅には,すぐ近くに名店ビルという建物があり,その地下一階が食料品店街になっている.
 ここは客が多くて,ソーシャル・ディスタンスもへったくれもない.いつも三密状態なので,あまり行きたくない.
 そういうわけで,私が買い物に行くのは,あまり繁盛していないダイエーが主たる店である.
 カネのある老人はパチンコ屋に行けば持て余した暇をつぶすことができるが,私みたいな年金頼みの老人はそれができない.
 そういう私の同類は,スーパーが格好の徘徊コースとなる.と言われている.大きなお世話だが.
 ただ言い訳を言わせてもらうと,食品会社に長年にわたって籍を置いた会社員だった頃の習性で,店頭で食品の新製品を見つけるのが楽しみなのである.
 先日はダイエー藤沢店の漬物コーナーで,春キャベツの浅漬けを買い求めた.食べれば血圧が上がるのは承知の上の乱暴である.
 で,その脇に並べられたキュウリの漬物にフト目がいった.漬物の製造・販売をしている秋本食品株式会社の「ふぞろいの胡瓜たちぬか風味 内容量:2本」である.
 後で調べたらこうだったという話だが,実は秋本食品には七年前の2014年に発売開始して五年前に終売した「ふぞろいのきゅうりたち」という商品があった.
 またJAグリーン近江 (滋賀県) には「ふぞろいなキュウリたち (つけだれ付)」というのがあり,これは滋賀県産キュウリを一キロ (十五本くらい) をビニール袋に詰め,これに「つけだれ」という何だかよくわからない調味料を組み合わせた商品である.一キロで十五本だとすると,かなり小ぶりのキュウリであり,出荷選別時にハネられた規格不合格品であるに違いない.
 大きさや規格外だったり曲がってしまったキュウリを安価に消費者に提供することとてもいいことだ.
 しかし「ふぞろいなキュウリ」ならOKだが,「たち」をつけて「ふぞろいなキュウリたち」とした途端に,これはあからさまな剽窃と化す.もちろん1983年から1997年にかけて放送された山田太一原作・脚本のテレビドラマ《ふぞろいの林檎たち》の剽窃だ.パロディやオマージュではない.何の意味もない只のパクリだ.
 さらに秋本食品に至っては,「ふぞろいのきゅうりたち」「ふぞろいの胡瓜たちぬか風味」とこれまで複数の「ふぞろいの……」を販売してきた.ということは,この種の短命商品に関する資料を集めるのは困難だが,この数十年間に他のバージョンの「ふぞろい……」が販売されてきた可能性がある.この会社は,他人の褌で相撲をとるのは恥ずかしいという意識が欠如しているのだろう.
 
 さてここから本題.
 商品名「ふぞろいの胡瓜たちぬか風味」の裏面に表示されている品名は「ぬか風味きゅうり」だが,本来の意味の糠漬けにしたキュウリは食品表示法により「ぬか漬け」もしくは「きゅうりぬか漬け」と表示することになっている.
 ということは,逆に言うと「ふぞろいの胡瓜たちぬか風味」はキュウリの糠漬けではないということである.
 実際の商品を肉眼観察すると,漬物のキュウリに糠がまぶされている.それでは,同商品の原材料表示を,秋本食品の公式サイトから転載してみる.
 
きゅうり、漬け原材料〔米ぬか、食塩、ぬか発酵調味料(大豆を含む)〕/調味料(アミノ酸)、pH調整剤、酸味料、酸化防止剤(V.C)、唐辛子抽出物
 
 上の表示に書かれている「漬け原材料」とは,漬物を作る際に,野菜等の漬物材料の他に使用した資材等を指す.これを見ると,米糠と食塩と,添加物が使われていることがわかる.
 食塩よりも米糠が先に書かれているから,米糠が使用されていることは間違いない.
 しかし,にもかかわらず,これはキュウリの糠漬けと表示することができない何物かである.
 一体どういうことだろうか.大変に興味深い.
 私が推理するに,これはキュウリの浅漬け (キュウリを調味液に漬け込んだもの) に米糠の加工品 (米糠にアミノ酸や酸味料等の食品添加物を加えたもの) をまぶしたものではないか.
 これなら,米糠床に漬け込んではいないから「きゅうりぬか漬け」と表示することができない.しかし単なる生のキュウリではないから「ぬか風味きゅうり」としたのではないか.
 
 家庭で野菜の糠漬けを作るひとは希だ.糠漬けを作ること自体は簡単だが,糠床がよい状態に保たれるように面倒を見るのが大変な手間だからである.
 それは漬物の工場でも同じこと.しかも秋本食品のように大手の工場では大量に製造するから,伝統的な方法で糠漬けを作ることは非常に困難である.可能なのは,野菜等を,扱いにくい糠床ではなく,液体の「漬け原材料」に浸漬することである.
 そこで秋本食品は,キュウリに米糠をまぶして,一見するとキュウリの糠漬けに見える商品を考案した.それが「ふぞろいの胡瓜たちぬか風味」ではないだろうか.
 ネット記事を調べると,この「ぬか風味」に何かひっかかりを感じている消費者もいないことはないが,結局「ま,いいか」で済ませている.
 しかし,だ.もしもただのキュウリの浅漬けに米糠をまぶして「ぬか風味」としているのであれば,それはパクリだ.消費者に対する誠実さに欠ける姿勢と言わざるを得ない.
 別に秋本の漬物が安全性に欠けるというわけではないのだが,ふざけた商品名と意味のわかりにくい品名とで,消費者を煙にまこうというその根性が憎らしい.
 糠漬けは,自作するか,糠漬け専門店の店頭,あるいは信用が置けそうな糠漬け通販業者から入手するのがいいだろう.「ぬか風味」などという怪しげな表示をする大手の商品には手を出さぬのがいい.

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2021年3月29日 (月)

これぞテレビドラマ

 恥ずかしながら,私はNHK教育テレビに《昔話法廷》というシリアスなドラマ (表向きは,この番組が対象とする視聴者セグメントは高校生だということになっている) があることを知らなかった.十日ほど前にそのうちの《『ブレーメンの音楽隊』裁判》と《『赤ずきん』裁判》が再放送されたのを偶然視聴し,その時に最終話《『桃太郎』裁判》の予告があったので,今日それを観た.
 放送終了後,ネット上では《『桃太郎』裁判》に高い評価が飛び交っている.
 私も,これは実に良質のテレビドラマであると感じ入った.NHK教育テレビはこういう作品を制作できるのだなあ.
 桃太郎に殺された鬼の妻を仲里依紗さんが演じている.これがすばらしい.被告人の桃太郎に対する被告人質問が行われている時,桃太郎の顔がアップになり,その向こうの証人席に小さく鬼の妻の顔が見える.その鬼の妻の仲里紗さんが被告人を刺すような眼差しで見つめる.これが圧巻の演技.仲さんは力のある女優さんになりなさった.
 また桃太郎役の仲野太賀は,それこそ鬼が憑いたかのごとき怪演.たぶん一発オーケーの演技で,テイク・ツーは撮らなかったと思われる.
 法廷内の傍聴者も,ただ席に着いているだけでなく皆演技をしている.演出者の腕がよいということだ.
 
 超大暗愚宰相菅義偉とそのお友達がNHK教育テレビを廃止する策動をしているが,とんでもないことである.見逃し配信があるが,ぜひとも再放送を望む.

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2021年3月28日 (日)

十三人か13人か

 私は,数あるNHKの番組の中で,この数十年間まったく視聴していないのがいわゆる大河ドラマである.
 最初に観たのは私が中学生の時に始まった大河第一作『花の生涯』だった.言わずと知れた舟橋聖一作の歴史小説をテレビドラマ化した作品だ.
 なにしろ日本史なんか全く勉強したことのない中学生だから,このドラマは筋書きもよく理解できず,今はもう「観た覚えがある」程度の記憶しか残っていない.
 翌年が,最高視聴率53.0%という大河ドラマ史上不滅の大記録を打ち立てた『赤穂浪士』で,その次が『太閤記』だった.そしてこれで私の「大河ドラマ」は終わった.そのあとは高校受験と大学受験の日々が続いたせいである.
 嘘ではなく,私は大河ドラマよりも高校の数学の方がおもしろくて,テレビなんか見る気がまるっきり起きなかったのである.
 それにしても,『赤穂浪士』の人気は凄かった.大石内蔵助を演じたのは大役者長谷川一夫であったが,この大石が浪士の面々に「おのおのがた,……」という台詞が世間で流行した.長谷川一夫の発音は独特の鼻音であり,「おのおのがた」は「をのをのがた」とでも表記したくなるもので,その物まねがはやったのである.
 長谷川一夫は,大石内蔵助はこの役者をおいて他にないと思わせる貫録があったが,別の意味で貫録充分の演技をみせたのが架空の登場人物である蜘蛛陣十郎(盗賊)を演じた宇野重吉だった.
 宇野重吉の発音もまた独特で,ニヒルな浪人堀田隼人に呼びかけるとき「ほったしゃん」と言った.
 これもまた流行して,おかげで全国の堀田さんはこの年,周囲の人たちから「ほったしゃん」と名前を呼ばれたのである.ような気がする.
 
 当時のNHK時代劇は格調が高かった.主に映画界と演劇界から優れた俳優たちが集まったからである.
 たぶんNHKの大河ドラマ制作陣も格調第一だったと思う.それはドラマのタイトルにも表れていた.
 第五作は大佛次郎の『三姉妹』であったが,『三姉妹。』ではなかったのである.
 違う.
 そういう話ではなくて,昔の日本人は文章中に安易にアラビア数字を用いなかったと言いたいのである.それが日本語の格調に繋がるというセンスを持っていた.だから『三姉妹』は絶対に『3姉妹』とはされなかったのである.
 格調がむしろ邪魔な場合に敢えて『うちの3姉妹』としたのである.ような気がする.
 大河ドラマ以外では,映画のタイトルはどうだろう.
 例えば黒澤明監督作品で,タイトルに数字が入っているのは以下の通りである.
 
姿三四郎     (1943年,東宝)
一番美しく    (1944年,東宝)
続姿三四郎    (1945年,東宝)
七人の侍     (1954年,東宝)
隠し砦の三悪人  (1958年,東宝)
椿三十郎     (1962年,東宝)
八月の狂詩曲   (1991年,松竹)
 
 他の名作では『二十四の瞳』『八つ墓村』『三十六人の乗客』があるが,これらは原作の題だから当然そのまま.
 オリジナル脚本作品には『八月の濡れた砂』(1971年,藤田敏八監督,日活) がある.
 で,「姿34郎」とか「椿30郎」「8つ墓村」はともかくとして,私の世代の感覚としては「1番美しく」「7人の侍」「隠し砦の3悪人」「8月の狂詩曲」「8月の濡れた砂」はあり得ないのである.(講談社漫画賞に輝いたあの名作『1・2の三四郎』でも,作者は『1・2の34郎』とはしなかった w)
 洋画はどうか.これはほとんどがアラビア数字をタイトルに用いているが,漢数字が字幕に出てこない洋画では,特に違和感はない.数少ない例外は,『第三の男』『三十四丁目の奇跡』『三十九夜』『三十九階段』『ポケット一杯の幸福』『三人の名付け親』『荒野の七人』あたりだろうか.『荒野の七人』は黒澤作品のリメイクだから「七人」とする以外にない.
 映画から軽めのテレビドラマのことに戻ると,昔『七人の孫』というのがあったが,一方で『男女7人夏物語』てのもあった.
 刑事ものには東山紀之の『刑事7人』があるが,過去に名作『七人の刑事』があるから,「7人」でいいだろう.
 というようなことを,つらつらと調べてみたが,映画でもテレビドラマでも,時代劇のタイトルにアラビア数字を用いたのは,大河最新作予定『鎌倉殿の13人』が最初である.
 脚本を書く三谷幸喜は,なぜ突拍子もなくアラビア数字で「13人」としたかについて,メディアに一言も説明していない.おそらく間違いなく,話題作りのための思い付きなんだろう.タイトルをこういう見苦しいものにするようでは,史実も時代考証も考慮の外に違いない.(時代考証については早速トラブルが発生している)
 また,脚本の三谷幸喜は視聴率最優先でいくだろうから,時代劇の格調もへったくれもないだろう.
 そういうことならいっそ『かまくらどのの13人。』とかにすればよかったのだ.

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2021年3月26日 (金)

上から口調のJ:COM営業マン

 玄関でピンポーンとチャイムのボタンが押されたので「どちらさんですか?」と応答した.
 すると「J:COMと申します.本日,お使いの電話回線をKDDIからJ:COMに変更する工事をしましたので,その説明に伺いました.玄関先においでください」と言う.
 自分の用事なのに,インターホンでの会話応答ではなく,相手を玄関先に出てこいという.この時点で私は,不愉快なヤローだと怒りモードに突入した.年寄りは瞬間的に怒るのである.
 で,そいつが私にどんな用事かというと,私のうちに入っている光電話回線がKDDIからJ:COMになったので,家の屋根に載っているアンテナをなくすことができるようになったんです,というわけだ.
 要するにネット回線を用いてテレビを視聴するというJ:COMのケーブルテレビ事業の説明なのであった.
 以下はドア越しの会話.
 
「で,屋根のアンテナを下ろして,うちは光回線でテレビをみなきゃいけなくなったの?」
「あー,そうじゃなくて,屋根のアンテナを下せるんですよ (すごいでしょ,ドヤ,という上から口調)」
 このあと,地デジアンテナをなくせるんですよとそいつは力説した.
「でもさ,もしも回線に支障が生じたらテレビを見ることができなくなっちゃうよね.うちは今のままでなんの不都合もないのに,そんなことしたらメリットはなくて,デメリットだけじゃないですか」
「あー,その場合はまたアンテナを元に戻せばアンテナでテレビを観ることはできます」
「アンテナを屋根から下ろしたり,また載せたり,なんでそんなメンドクサイことをしなきゃいけないの?」
「いえ,これは強制じゃありませんので,…」
「強制でもないことのために,わざわざ私を玄関に出てこさせたの?」
「…」
 
 もっとネチネチと小一時間ほど,そのヤローにネジこんでやりたかったが,「じゃま,そういうことでよろしく」と言ってそいつは逃げて行った.
 このコロナ禍では宅配便だって「置き配」がデフォなのに,訪問先の家の者を玄関先に出てこいと指示するJ:COMは,まことに怪しからぬ.
 もっと絡んでやりたかったが,逃げられてしまったのは残念だ.
 
 そういえば昔は,飛び込み営業マンに対する警告の「猛犬注意」という貼り紙があったなあ.
 そう思って検索したら,今でもあるのね.「猛犬注意ステッカー」が.
 これを見て思ったのだが,「猛爺注意 噛みつきます!」というステッカーを自作してみたい.

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2021年3月25日 (木)

筍の都市伝説

 都市伝説とは何か.Wikipedia【都市伝説】には次の解説がある.
 
都市伝説とは、近代あるいは現代に広がったとみられる口承の一種である。大辞林 第二版には「口承される噂話のうち、現代発祥のもので、根拠が曖昧・不明であるもの」と解説されている。
 
 今の私たちが「都市伝説」と言っているのは上の解説の通りであるが,しかしいつの時代にも「口承される噂話」で「根拠不明のもの」はあった.中世や近世のそれは,民話のような形に洗練されて私たちの文学的精神的財産になっているが,元々は「都市伝説」だったろう.
 このような大上段な話ではなく,日常生活における些細な言い伝えには「口承されてきた根拠不明な噂話」がかなりある.
  
 さて先日,藤沢駅北口のデパート「さいか屋」の地下に食料の買い出しに出かけた.
 まず目についたのは地下階入り口に近い惣菜店「まつおか」が店頭の台の上に置いて販売していたタケノコ御飯弁当.
 おかずとタケノコ御飯が別々の入れ物に入れられていて,これが二段重ねの弁当になっている.
 おかずは何かというと,蓮根とコンニャクと人参とインゲンの煮物,大学芋,里芋の甘煮,鶏の唐揚げ,竹輪の磯辺揚げ,キンピラ牛蒡,おひたし,というラインアップだ.お値段は「まつおか」の弁当の最上位で千八十円であった.
 これを購入して夕飯に食ったのだが,ピンポン玉を半分ほどの大きさの大学芋がうまかった.もう大学芋なんて十年か二十年は口にしていないから,これはうまいと思った.ピン球よりも小さいという一口大の量が絶妙でもあるのだろう.
 野菜の煮物もなかなかよい塩梅の味であった.煮物というものは大量にできてしまうのが難点だから,ついついパック入りのスーパー惣菜を買ってしまいがちだが,そういうのは例外なく味が甘い.甘くすりゃいいと思っているみたいである.
 例えば,首都圏のテレビの料理番組で,映えない料理の代表格である野菜の煮物の作り方を放送することは絶対にないが,キンメダイあたりの関東風煮魚はたまにある.
 そのレシピをデッドコピーした日にゃ,口がひん曲がるほど甘い.原因は砂糖または味醂の使い過ぎだし,醤油も入れすぎだ.
 この点はやはり関西人の味覚はさすがだと思う.
 関西 (の龍野) という土地は醤油発祥の地でありながら,発酵技術が未熟で濃口醤油を作る段階には到達しなかったのがむしろ幸いしたか,京大阪の人々は,「醤油と砂糖と味醂を用いて素材の持つ風味を完膚なきまでに破壊する関東風甘辛味」から遠く離れた味付けの仕方を発展させて現在に至る.
 という話はまた別の機会にするとして,さいか屋地下一階「まつおか」の弁当のおかずは合格点を楽々クリアである.
 しかし,ここからが問題だが,肝心のタケノコ御飯が全くの詐欺であった.
 飯の量は飯椀一膳分であるが,その中に具材のタケノコがほとんどないのであった.
 そんな筈はないとよく探してみると,厚さが一ミリで郵便切手よりも二回り小さい大きさに切ったタケノコが,十かけらほど入っていただけであった.これではタケノコ御飯というよりも,醤油味の炊き込み飯にタケノコが混入していると言うほうが正確だ.これで千円は高い.いつも「やよい軒」で昼飯を摂っている会社員がこの「まつおか」の弁当を見たら,はらはらと落涙するだろう.「やよい軒」の安い定食なら七百円で腹いっぱいになる.「まつおか」のこんな弁当じゃ夕方まで働けないよと.
 と貶してはみたが,タケノコ御飯がちゃんとしていれば,おかずはおいしいのだから,まことに残念であるとは思った.
 
 数日後,また「さいか屋」の地下に入ったら,御婦人方が何人も品定めしているのに出くわした.八百屋で筍が安く出ていたのである.皮を剥けば中には大人の握りこぶし二つ以上のタケノコが出てくるほどの大きさで,採取するタイミングが少し遅かったものと思われた.たぶん九州産だろう.よく見ると皮には土が付いており,大きいけれども,地上に顔を出したものではないと思われた.
 上に書いたように「まつおか」の弁当を買ったら,似非タケノコ御飯にまんまと騙されたので,よしこいつで腹いっぱいタケノコ御飯を食ってやろう!と思った.
 店員のお姉さんが言うには「うちは米糠は置いてないけどね,この時季のタケノコは糠でアク抜きしなくてもいいよ,米の研ぎ汁でだいじょぶだからねー」だとのことであった.彼女は魅力的な顔立ちだったので,エグいタケノコでも構わぬから一本買い求めた.ヾ(--;)
 さて以上が話の前フリ.
 本題は「タケノコのアク抜き」である.
 Wikipedia【灰汁】から一部引用して解説する.まず冒頭に次の記述がある.
 
灰汁(あく)とは、原義では草木灰(藁灰や木灰)を水に浸して上澄みをすくった液のこと(#灰汁)。この灰汁を使って食品自体がもつ強くてクセのある味を処理したことから、そのような嫌な味やクセそのものも「あく」と呼ぶようになった(#食品のアク)。
 
 これは正しい.つまり「タケノコのアク抜き」のアクは,灰汁ではなく,タケノコに含まれる嫌な味のことである.
 では (#食品のアク) に書かれている続きを読む.
 
同じ「アク」という言葉を使っても後述するように、植物性食品と食肉や魚介類といった動物性食品のアクは別物で、アクとみなされる成分も食品により様々である。野菜や山菜のアクは、人間の味覚にとって不快だったり、健康に有害だったりする成分である。鍋料理などで問題にされる動物性食品のアクは、血液などに含まれる蛋白質が加熱により固まり、煮汁の表面に茶色や灰色の泡となって浮き出たものである。澄んだ味にするため極力取り除く場合と、コクや複雑な味わいを楽しむため残す場合があり、個人の好みや料理の種類、文化により異なる。
 
 タケノコに含まれる不快な味の成分は,ホモゲンチジン酸とシュウ酸である.タケノコにはチロシンが多く含まれ,ホモゲンチジン酸はこれから酵素反応によって生成する.
 これに対してシュウ酸は植物に広く存在する有機酸である.その生合成については簡単なレビュー (《ホウレンソウ入りのジュースに含まれるシュウ酸とカルシウムについて》) があるので,これを基にして論文を検索して頂きたい.
 生のタケノコや,ナラ,カシ,シイ等のドングリをかじると口中で「渋味」に似た強い不快な感覚を覚える.これは「えぐ味」あるいは「収斂味」と呼ばれるが,本来の意味の「味」ではなく,口中の粘膜に対する刺激である.
 タケノコの収斂味が何であるかは古くから知られていた.生のタケノコの皮を剥いて適当な大きさに切り,水道水で茹でるとタケノコの表面に結晶が生じる.これが収斂味の原因物質であるが,これを抽出して酸で分解するとホモゲンチジン酸とシュウ酸が生じる.水煮したタケノコを食べた時の不快な味は,これらの有機酸が水道水中のカルシウムと結合して,収斂味の正体であるカルシウム塩となったものが原因である.
 実はタケノコのアクは,これら有機酸が唾液に含まれるカルシウムと結合して生じたカルシウム塩でもある.
 従って,タケノコの中にこれらの有機酸が残存している限り,口に入れるとカルシウム塩となり,不快な収斂味を感じることになる.
 つまりタケノコのアク抜きというのは,タケノコを単に水煮して有機酸をカルシウム塩としてタケノコに残存させるのではなく,水に溶けた形できれいにタケノコから除去することなのである.
 昔の人は何でもトライ&エラーでやったから,偶々だいどこにあった米糠がタケノコのアク抜きに有効だと発見したのだろう.
 その世紀の発見に至るまでに,長年にわたってどれだけのものがタケノコの鍋にブチ込まれたか.
 ネギの切れっぱし,大根の葉っぱ,藁,鉋くず,蝙蝠の羽等々.
 それらの中で,偶然にも米糠が大ヒットだったのだ.
 こういうことを「昔の人の知恵はすごい」で片づける馬鹿がいる.知恵で米糠を思いつくものか.阿呆を言うでない.これはトライ&エラーの凄さを示しているのである.
 で,なぜ米糠でタケノコのアク抜きができるか.
 それを理解するには現代の化学知識が要る.
 
 米糠の成分の一つにフィチン酸がある.Wikipedia【フィチン酸】には次の記述がある.
 
フィチン酸(フィチンさん、phytic acid)は生体物質の1種で、myo-イノシトールの六リン酸エステル。イノシトール6リン酸 (inositol hexaphosphate)、略称は IP6。種子など多くの植物組織に存在する主要なリンの貯蔵形態であり、特にフィチン(Phytin: フィチン酸のカルシウム・マグネシウム混合塩で、水不溶性)の形が多く存在する。キレート作用が強く、多くの金属イオンと強く結合する
 
 引用文中に文字を着色して強調したように,水道水 (あるいはミネラルウォーターだろうが井戸水だろうが,タケノコのアク抜きに使う水と言い換えてもよい) に米糠を加えると,水道水中のカルシウムがフィチン酸と結合するため,その中にタケノコを入れて煮れば,タケノコに含まれるシュウ酸とホモゲンチジン酸は容易に水 (熱水) に抽出される.つまりアク抜きができることになる.
 ここで大切なことは,タケノコからシュウ酸を除くには,アク抜きに使う水のカルシウムと結合するだけの量のフィチン酸が必要だということである.米糠を用いるタケノコのアク抜き (シュウ酸除去) は化学的なプロセスであって,おまじないではないのである.
 ところが米糠は,戦後暫くのあいだは普通の家庭の日用消耗品だったが,いつしか姿を消した.
 高齢者は記憶しているだろうが,糠漬けに使うのはもちろんだが,その他に米糠は床磨きに使ったり油汚れしたボロ切れの洗濯に用いたりした.小学校では学期末の大掃除の時,各家庭は子供に雑巾と米糠を持参させた.米糠で廊下を磨くと,米の油分でツヤが出たのである.
 その米糠.昔の一般家庭では米は米屋から買うものだったが,今は市中に米屋が少なくなった.米穀通帳は遠い昔の思い出となった.米は食料品店やスーパーで購入するようになり,米糠は手に入りにくくなったのである.
 そこで生じたのが「米糠の代わりに米の研ぎ汁でもアク抜きできる」という大きな誤解であった.
 昔の米は精米技術が低かったせいで,販売されている白米には糠が付着していた.この糠でもアク抜きに効果はあるだろうと思われたのである.もちろん大鍋に糠を一つかみ入れてタケノコを煮るのと,米の研ぎ汁を使うのとでは,フィチン酸の量が全く違うわけだから,まあ気休め程度の効果はあるだろうが,話はこれに留まらなかった.
 米の研ぎ汁でいいなら,米を一つまみ鍋に入れてアク抜きすりゃいいじゃん,という馬鹿者が現れたのである.
「シュウ酸のカルシウム塩が生成するのを防ぐ」という目的がどこかにいってしまって,アク抜きに有効な物質は,米糠の成分から米のデンプンにすり替わってしまったのである.まことに馬鹿は始末に負えない.
 その馬鹿とは,下のようなことを堂々と書くやつである.(《プロが教えるたけのこのゆで方。ぬかなしでもアク抜きできる!》からスクリーン・ショットで引用)
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 上の画像中の馬鹿の言い分に,私が赤い下線を引いた.
 こんなことを言っているのは,伊勢丹新宿店本館地下一階フレッシュマーケットの青果専属シェフであり,かつバイヤーでもある鈴木理繪という人物である.
 食品化学を大学で学んだ者は,タケノコのアクが有機酸であることを知っている.だから,アク抜きの原理と,アク抜きするにはどうしたらよいかを知っている.
 従って,米糠の代わりに米の研ぎ汁を用いることにはほとんど効果がないこと,米を使うことは何の意味もないことも理解している.
 そんな基礎知識もない者がバイヤーをしている伊勢丹新宿店の知的レベルが知られるというものだ.
 しかしタケノコは米でアク抜きできるという嘘は,今ではかなり広まってしまって,現代の都市伝説の一つになっている.嘆かわしい限りである.
 
 付け加えると,昭和の頃は,米は精米に際して生じた糠と微細粉末化した米がかなり付着した状態で売られていた.
 しかし現在,業務用の低品質米のことは知らぬが,小売店等で一般家庭向けに販売されている白米は,精米技術が向上したせいで,無洗米ほどではないが,ほとんど付着物がない.
 テレビの料理番組で,講師の先生が「お米は研がずに,さっと洗うだけにしましょう.昔と違って糠なんてほとんど付いていないですから」とよく仰るが,その通りである.むしろ研いだら米粒が割れて炊き上がりがまずくなる,とまでいう先生もいる.たぶんその通りだ.
 今時「米の研ぎ汁」なんてことを言っているのは,自分で家事の料理をしない奴だ.そういう奴が専属シェフとかをしている伊勢丹新宿店の生活知識のレベルが (以下略)
 しかも,馬鹿の破竹の勢いはとどまるところを知らぬと見える.
 すなわち伊勢丹の鈴木某は,タケノコをアク抜きする際に赤唐辛子でもできると主張している.
 伊勢丹の社員が何を言おうと大したことはないが,情けないことに食品のプロであるべきカゴメ株式会社が,企業サイトでタケノコのアク抜き方法を解説し,その際に赤唐辛子を使うと《赤唐辛子には、えぐみを和らげる働きがあるといわれていますが、入れる場合と入れない場合で効果に違いがあるかどうかは明らかになっていません》と書いている.(《簡単!たけのこのアク抜き&保存と、ぬかなしの茹で方も紹介》)
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 タケノコのアク抜きに赤唐辛子を用いるのは,一体いつ頃にできた噂話なのかもわからないデマである.検証論文どころか,話の出典すら判然としない.
 その種の《効果に違いがあるかどうかは明らかになって》いないことを企業サイトに掲載するのは,企業の社会的責任を放棄するに等しい愚かな行為である.企業は,消費者に対しては確かな知識のみを啓蒙すべきだ.カゴメには反省を求めたい.
 この他に,タケノコは皮付きのまま茹でなければいけないというのもあり,これまた都市伝説だ.
 前述の伊勢丹社員は,タケノコを皮つきで茹でる理由として次のように述べている.
 
Q:たけのこの皮は全部むいてから、ゆでちゃダメ?
 A:外側の泥のついた2~3枚はむきますが、全部むいてはダメです。
   皮をつけたままゆでる理由は2つ。①たけのこのうまみを逃がさないためと、②しっかりアク抜きするためです。皮がついていた方が、じっくり時間をかけてゆでることができ、アクがよく抜けます。
 
 皮付きのまま茹でると《たけのこのうまみを逃がさない》のであれば,当然ながらアクもまた逃がさずに閉じ込めることになる.
 ここまで支離滅裂だと,小学生の時に厨房で母親の手伝いを始めてから幾星霜,家事調理をしてきた老人としては天を仰いで嘆息するほかはない.
 
 さて私は,「さいか屋」の地下で買い求めたタケノコを,帰宅するなり下処理に取り掛かった.
 私のうちは子供たちが食い盛りの頃はカレー用の大きな鍋があったのだが,とうに処分してしまった.老人世帯には,大きくても二リットルの片手鍋があれば足りる.(二リットルはうどん一人前を茹でるのに適した鍋だ)
 その二リットル鍋に水を九分目まで入れて,ここにタケノコを投入した.
 皮付きで茹でるのは全く意味がないから,縦横二つに割り,四分割した.大きなタケノコでも,こうすると鍋にぴたりと納まる.
 ここで大切なことは,タケノコを縦に切り,多層になった空洞部分の内部を湯に晒すことだ.皮付きで茹でると,この内部がアク抜きできない.
 文献をまだ見つけていないのだが,タケノコには走りと旬があり,「さいか屋」地下で八百屋のお姉さんが言っていたように,三月の走りの頃はアクが少ないのかも知れない.私は糠を使わずに単に水煮にしたのであるが,茹でたタケノコにエグ味は感じられなかった.
 ちなみに茹で時間は,太い部分では一時間と十五分かかったが,先の方の細いところは一時間で引き上げた.どちらもきれいな熱水を入れたボウルに浸して自然に冷ました.
 
 こうして下茹でしたタケノコをペラペラの破片ではなく,コリコリとした食感が楽しめるようにザクザクと乱切りし,これでタケノコ御飯を炊いた.(下の写真)
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 感覚的に言うと,三分の一がタケノコで残りが飯粒というくらいが一番うまい.
 調味料は,無洗米 (山形県産「つや姫」) 二合に対して白醤油 (盛田特級) 大さじ二杯,濃口醤油 (伊賀越株式会社) 大さじ一杯,理研ビタミンの粉末昆布「素材力 こんぶだし」のスティックを一本である.濃口醤油を今回は使ってみたが,なくても構わぬ.もちろん,出汁は昆布でなくても,アゴとか高級な魚介出汁粉末でもいいが,あまり香りのよい出汁を使うとタケノコの面目が立たないような気がする.というのは,下茹でしただけのタケノコを口中でコリと噛めば,トウモロコシに似たはかない香りがするのだが,炊き込み御飯にしてそれを味わうには,魚の出汁ではなく昆布がよいと私は思う.
 
[追記]
 関東地方では初夏の頃までタケノコが採れる.そういう時季のものはたぶんエグい.
 その頃になると八百屋の店頭には米糠が置かれるようになるが,わざわざそれを買い求める必要はない.
 最近は家事の万能アイテムとして人気の重曹でタケノコはアク抜きできる.というより,重曹でアク抜きするのが正解だ.化学的に正解であり,失敗がない.
 具体的には,買ってきたタケノコが入るくらいの鍋に,水を張って重曹小さじ二杯を投入し,これに皮剥きして縦横四つに切ったタケノコを投入して水煮すればよい.茹で時間は竹串をタケノコに刺して頃合いを見計らう.一時間茹でると書いているレシピサイトがあるが,世の中そんな粗雑なことではいけない.タケノコにも地上に顔を出した堅いのから,まだ地下に隠れていたのを掘り起こした軟らかいのまで,色々あるからだ.
 当然だが,堅い部分が茹で上がるまで軟らかい部分を茹でてはいけない.それにタケノコは後で煮たり炊いたりして調理するから,下茹でで完全に火が通ってしまっては,食感が台無しだ.四分割したタケノコを,アルデンテに茹で上がったものから順に鍋から引き上げること.

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人類が感染症に打ち勝った例は

 安倍晋三前首相は昨年三月,東京オリンピック開催を一年延期することを決めたとき,延期理由について《今後人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証しとして、完全な形で東京オリンピック・パラリンピックを開催するために、IOC、バッハ会長と緊密に連携をしていくことで一致をしたところであります》と述べた.(西日本新聞《安倍首相「人類が感染症に打ち勝った証しとして、完全な形で開催を」》[2020/3/24 22:12])
 菅義偉現首相は,これをパクッて
 政府は,つまり安倍晋三元首相と菅義偉現首相は揃って《》
週刊文春連載『伊集院静の「悩むが花」』(第467回) で,伊集院氏は
《》

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2021年3月24日 (水)

Amazon通販の欺瞞

下の画像は,Amazonで販売されている「マルちゃん パリパリ無限もやしのもと」である.
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 商品が三つあるが,メーカーのサイトを見ればわかることだが,すべて同じものである.
 ところが,この三商品は,包装内容の表記と,それよりも重要なことだが価格が全く異なっている.

   包装内容          価格 (1袋)   販売者
[1] 55g 20袋セット      195円     Finding World
[2] 55g 10個セット (1ケース) 245円     Finding World
[3] 54g 10袋セット      200円     フジミ
 
 この三商品とも「無料配達」と書かれているが,Amazon prime の「無料配達」が嘘であることは周知のことである.
 商品の見かけ上の価格は配送料が含まれていて,本体価格とは別に表示しないことを「配達料無料」と言っているに過ぎない.
 こんなインチキがまかり通っているのはまことに不思議である.
 本来なら公正取引委員会が調べに入るべき事案であるが,なぜか公取は沈黙している.
 それどころか,楽天が以前,この「無料配達」のインチキを改革しようとしたら,業者と政府が楽天に圧力をかけて沙汰やみになってしまったのもよく知られている.
 おそらく政府が Amazon に忖度したのであろう.
 で,[1]と[2]の価格差は,数量が二倍になれば配送料が割安になるからで,商品価格に配送料が含まれていることの証左である.
 [3]は,メーカーの東洋水産が「内容量 55g」としているにも関わらず,わざわざ54gと表示し,しかも1袋当たりの価格は5円も高い.
 なぜ他の販売業者よりも高い価格で売っているかと言うと,他の業者が品切れになった瞬間的時期を狙っているという説が有力だ.どうしても欲しい人が泣く泣く買うのかも知れない.
 さて,この商品の通販価格の問題点は,市中のスーパー店頭で「無限もやしの素」は140円以下が実勢価格であることだ.
 
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 通販サイトにおいて,販売価格を「本体価格 + 配送料」とすると,通販がいかに割高であるか (安価な商品を宅配便で送る場合は配送料が商品価格を上回ることだってある) が一目瞭然となってしまう.
 そこで政府はなぜか ,消費者ではなく Amazonを保護するために,Amazon prime というインチキ商法を放置している.
 この Amazon prime の詐欺的商売に挑む国会議員はいないものか.
 
 ところでこのマルチャンの「無限もやし」はなかなかうまい.
 私はもやし一袋をあっというまに食べてしまう.食物繊維不足がちなあなたにおすすめだ.

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2021年3月17日 (水)

初旬

 citrus《モテ指南の一要素として「マスクのセレクト」について論じるのが当たり前になった今のご時世》[掲載日 2021年3月16日 17:30] を読んで呆れた.これを書いているのは山田ゴメスである.
  
正直なところ、新型コロナショックの影響で、たとえば電車の一車両内にいる99%以上の人がマスクを着用しているのが(日本の)常態となった去年の初旬あたりから……少なくとも私は、デートであろうが仕事の打ち合わせであろうが、対面する女性のマスクがどんな類(たぐい)であっても、それが記憶にとどまることは、ほとんどない。もはやマスクは「鼻と口」の代わりとなる「身体の一部」に近いビジュアルとして脳に刷り込まれているがゆえ、それが黒かろうが薔薇の花で彩られていようが、よほどの奇抜さに抜きん出ていないかぎり、「その子がどんなマスクをしていたか」は、別れてからたったの数秒で忘れてしまう。
 
 山田ゴメスは,コロナ禍においてマスクが「おしゃれ」とか「モテ」のアイテムになっている世相について,マスクがどうだろうと関心はないと書いている.その記事の趣旨はどうでもいいが,《去年の初旬あたりから》はどういう意味だ.
 国語辞典のスタンダードである日本国語大辞典の精選版には次のように語義が示されている.
一か月を一〇日ごとに三つに分けた初めの一〇日間。上旬。
 国語辞典にしては《一〇日》が異様だが,これは元の文章が縦書きであるため.もちろん縦書きであっても「十日」と書くのが正しい.
 しかしそれはともかくとして,《去年の初旬》は日本語として意味をなしていない.もしかすると,去年の一月から三月にかけて,あるいは一月から四月にかけて,と言いたいのかも知れない.だがそれならそれで別の言い方がある.
 山田ゴメスは,一応世間に名を知られたライターだ.ネット記事も書き殴るほど書いている.
 それがこの程度の日本語学力なんである.恥ずかしいなあ.

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KFCへ家庭ゴミを捨てにくる男

 藤沢駅の北口にあるダイエーにはKFCの店舗が入っている.
 昨日,ダイエーで食料品を調達したあと,フライドチキンを買った.
 オリジナルチキン (ムネとドラムなどの普通のセット) とレッドホットチキン (ウイング) など四種類のボックスから二つを選んで千五百円というお値段.まあまあお得な感じだ.
 この店舗は,ダイエーの正面出入り口 (玄関というかな) から入れる手押しのドアと,北口商店街の通りから店に直接入れる自動ドアがある.
 テイクアウトの客たちは,床に示されたディスタンスを守りながら自分の番を待っていた.
 客の間隔は,人が一人余裕で横切れるくらいであった.
 順番待ちの客たちは,ダイエー側の入口から一列に並んでいたのだが,列の左側にある通りに面したドアから,普通の身なりとチャライ感じの風体の中間くらいの服装の,見た目は三十過ぎの男が店に入ってきた.
 そいつは片手に大きな半透明レジ袋を持っていた.
 その野郎は客の列を横切ると,イートイン客がセルフで紙コップやトレーを捨てるゴミ箱のところまで行き,手に持ったゴミ袋をゴミ箱に無理やり押し込むと,また入って来たドアから通りに出て行った.
 商店街通りの様子はよく見えなかったので定かではないが,そいつの車が止めてあり,それに乗りこむと去って行った.その間,十秒ちょっと.
 悪びれもせず手慣れたようすだったから,いつもこの店にゴミを捨てにくるように思われた.
 コンビニには,店の外のゴミ箱に「家庭ゴミを捨てないでください」などと書かれているが,ファストフードの店の奥のゴミ箱に家庭ゴミを捨てに来る馬鹿野郎は初めて見た.もしかするとこれが今は普通のことなんだろうか.

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2021年3月14日 (日)

置き配の通販荷物が雨に濡れて

 Amazonは配達の初期設定が「置き配」になっている.それで都合が悪い場合は注文時に「置き配」を解除する.
 以前は「顧客に手渡し」がデフォだったのだが,コロナ禍のために感染防止上の配慮から,顧客が指定しない限りは「置き配」になった.配達員と注文主が顔を合わせずに済むからである.
「顧客に手渡し」が標準の時,宅配の配達員は配達先の人間から様々な迫害を受けた.
 ピンポーンとチャイムを鳴らすと,不織布マスクとゴーグルで完全に防御を固めた ばばあ 奥さんが出てきて,玄関ドアを開けるなり配達員の顔めがけてアルコール消毒スプレーとかファブリーズをシュッシュッと吹き掛けた例が有名だ.
 目に消毒剤を直撃された配達員が顔を覆って苦しむ姿に向かって「あんたたらが感染を拡げてるんだっ」と ばばあ 奥さんは叫んだそうだ.
 それなら通販なんか注文するんじゃないっと言いたいが,そういう ばばあ 奥さんに冷静な判断なんぞ求めるのが愚かというものである.
 そういう差別と迫害を配達先の人間から受けた配達員たちの悔しさはいかばかりであったか.
 トラックに戻ってから,地団駄踏んで激怒する配達員の姿が報道されたことがある.(防犯カメラの記録による)
 
 さて,昨日は激しい雨が降っていたのに,うっかりベッドに横になって週刊文春なんぞを読んでいるうちにうたた寝してしまった.
 ところがその間に,缶飲料 (キリン氷結無糖レモン) のダンボール一箱が配達されたのである.
 配達員は玄関でチャイムを鳴らしてくれただろうが,睡眠中の私は気が付かなかった.
 そして今朝,雨が上がって玄関ドアの脇の宅配荷物入れ (スーパーの買い物かご) に置かれた缶飲料のダンボールに気が付いた.
 ダンボール箱は,水に濡れたために天地も側面も接着箇所が完全にはがれてしまい,箱の形を成していなかった.
 つまり缶飲料は雨に叩かれ,箱はボロボロの紙ゴミと化していたのである.
 
 キリンの物流部門の資材担当者は「当社の飲料に使用しているダンボール箱は,雨ざらしの状態で放置されることを想定しておりません」と言うに違いない.
 その通りだと私も思う.それが常識的な荷扱いだ.
 では配達員が悪いのか.それも違う.
 新型コロナウイルス感染防止対策として「置き配」を初期設定にしたAmazonがいけないのか.それも違う.「置き配」は致し方ない.Amazonに責はない.
 となれば,あれもこれも,みんなコロナが悪いんやっ.
 河野ワクチン担当大臣は,ワクチン接種のスケジュールだけは発表するが,実際に各自治体に供給されたワクチンは非常に少なく,自治体は接種計画の建て直しを余儀なくされている.週刊誌朝日がスッパ抜いたように,日本は世界的なワクチン争奪戦で敗北したのが明らかになったが,それはコロナが悪いんやっ.
 中食企業は堅調でマックは快進撃だが,一方でファミレスや牛丼屋がバタバタと閉店しているのも,みんなコロナが悪いんやっ.
 平井卓也デジタル改革担当相は,デジタル改革関連法案の中の「地縁」を「地緑」とした誤字に気が付かず,案文を読んでいないことがあからさまになってしまったが,それもみんなコロナのせいやっ.
 野田聖子元総務大臣は,NTTによる接待を受けたのがバレて返金しておきながら「プライベートな会合であり接待ではない」と言い張っているのも,コロナが悪いんやっ.
 とも言えないだろうなあ.
 結局,荷物が配達された時に私が熟睡していたのが悪いのである.

 で,板ダンボールは,表裏の平らな紙の間に波状に紙を挟んである三層構造で,それらはデンプン糊で接着されている.
 このデンプン糊は,全く耐水性がないものと,微弱な耐水性があるもの二種類がある.後者は耐水糊と呼ばれている.
 板状のダンボール紙は,箱の形になるようにしてカットし,一部を酢酸ビニル系接着剤 (弱い耐水性がある) で接着し,畳んだ状態で使用者に納品される.
 食品工場等の使用者は製品の製造現場で畳んであるダンボールを箱の形に成形するのだが,重量物 (缶詰など) を梱包しても壊れぬように接着強度が大きく熱可塑性の合成樹脂接着剤 (通称ホットメルト;DIYでも使う) を用いることが多い.
 さて私のうちに配達されて,雨に打たれて崩壊したダンボール箱を点検すると,ホットメルトが使われていなかった.
 また,三層構造のダンボール板紙も,濡れてぐずぐずに破れかけていた.
 実は,雨に打たれた程度で崩壊するタンボール箱は,丈夫な物より環境に優しいのである.
 簡単に (つまりあまり余計な動力や薬品などのエネルギーを使わずに) 元の木材繊維にまで戻すことができるからだ.
 玄関先でボロボロの紙にまみれたキリン氷結レモンを少しずつ室内に運びながら,昔はダンボール箱は耐水性も強度も高いものが喜ばれたものだが,今はダンボール箱の製造会社も使用する会社も,いわゆるサステナビリティに配慮しているのだなあと私は思った.ダンボール箱の使われるシーンに応じて必要な耐水性と強度があればいいのである.

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2021年3月10日 (水)

寄り添わない /工事中

 神奈川新聞《生活保護巡り区役所窓口で誤説明、横浜・神奈川区が抗議受け謝罪 女性は申請断念》[掲載日 2021年3月9日 23:56]
 
横浜市神奈川区の生活支援課の職員が2月下旬、生活保護の申請に訪れた20代の女性に対し、「ホームレスの場合は施設に案内する」などと誤った説明をして、申請を受け付けていなかったことが9日、支援団体などへの取材で分かった。支援団体は同日、再発防止を求めて市に申し入れを行い、区側は説明の誤りなどを認め、「(申請者に)寄り添わない対応は不適切だった」と謝罪した。
 
 日本国憲法条文中で,もっともよく知られている条文の一つが第二十五条だ.小学校でも教えるかも知れない.
 
第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
 
 昭和二十年に始まる占領統治下,米国の民主主義者たちは,日本を民主国家にすべく様々なことを行った.
 この第二十五条に基づいて制定された「生活保護法」(条文の全文) について,Wikipedia【】

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2021年3月 8日 (月)

消費者をだます気満々の蕎麦

 関東地方ではそこそこ名の知れた「ヤオコー」というスーパーがある.店舗は関東に165店あり,かなり多い.
 そこで先日,「幌加内そば」という商品を購入した.ヤオコーのPB商品である.
 
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 上の画像はパッケージだが,その下の方に《北海道 幌加内産 そば粉 100%使用》と書かれている.
 問題はこの《そば粉 100%使用》が何を意味しているか,である.
 
 そもそも日本と言う国には,消費者保護という観念が存在しなかった.
 私が幼い頃は,まがい物の食品が世の中にゴマンとあった.
 実は日本人の正義感のなさは江戸時代あるいはそれ以前からのことであって,ワラビ餅は江戸時代に東海道日坂宿 (現在の静岡県掛川市) の名物で,謳い文句は希少なワラビ粉 (ワラビの地下茎から得られるデンプン) が原料だということだが,どうも最初からワラビ粉ではなく掛川あたりでよく採れる葛粉で作ったものくさい.
 茶飯は奈良が発祥で現在も奈良の郷土料理として知られているが,江戸に伝えられた後,茶と何の関係もない醤油味の炊き込み飯が茶飯と呼ばれるようになった.
 戦後の昭和では,産地偽装と原材料偽装が大手を振ってまかり通っていた.
 これまでに知られている産地偽装の最も大規模なものは,2002年に発覚した「三輪素麺」の産地偽装であった.この産地偽装事件についてWikipediaは次のように記している.
 
1983年4月から産地表示が規制されていた。2002年7月に大手の販売業者3社が長崎県産の素麺を『三輪素麺』として販売していたとして、農水省の立入検査と改善の指導を受けている。長崎県産の素麺の市場価格が三輪と比較してずっと安価であったため、三輪素麺の安定供給のために常習的に使用していた。2002年奈良県内の生産量は18キロ入りで約15万箱との推定だが、実際に「三輪素麺」を表示しての流通品は、60-80万箱もあった。県外産を使い、14業者が協同組合を自主脱退や除名された。
 
 引用中の「長崎県産」は長崎県の五島で製造されたものだった.つまり「三輪素麺」のほとんどは昔から実際には長崎産だったのである.しかもこの三輪素麺生産業者ぐるみの産地偽装は奈良では公然の秘密であり,奈良県の行政当局も承知していたところに悪質さがあった.指導に入った農水省は偽装業者の会社名を公表するように県当局に求めたが,奈良県庁はこれを拒否して業者を庇った.良識ある人々は眉をひそめたが,ほとんどの日本国民は事件以後も相変わらず「三輪素麺」を中元歳暮の高級贈答品として使い続けた.日本国民の多くにとって産地偽装なんかどうでもいいことだったのである.
 うどん蕎麦の業界は摩訶不思議なことが横行している.
 うどんは,小麦粉と水と塩で製麺するのが各地で行われてきた伝統的製法だが,洗練されたうどん製麺の伝統を持っていなかった香川の業者は,食品添加物である加工デンプンを使用することで似非「コシ」のある「讃岐うどん」を製造してブームを起こし,ついに「うどん県」を自称するまでになりあがった.
 蕎麦は,蕎麦粉に水と少量の「つなぎ」を加えて製麺するのが伝統的製法だ.蕎麦粉にはグルテンが生じないため,粉を麺帯にして「蕎麦切り」とするために「つなぎ」を必要とするからである.
 ところが,本来は少量用いるはずの「つなぎ」の使用を悪用し,小麦粉に少量の蕎麦粉を加えた「蕎麦風味うどん」を「蕎麦」と称して売る者が現れた.現在もかなり存在している.
 大手立ち食い蕎麦店の「富士そば」は蕎麦粉四に対して小麦粉六の割合であることを,また「ゆで太郎」は蕎麦粉五に小麦粉五の割合であることを公表している.この二つは良心的だが,首都圏に展開する「小諸そば」は非公表である.(《そば粉比率 低い格安立ち食いに対し大手チェーンは品質向上》)
 また中小無名の立ち食い蕎麦店の蕎麦は,蕎麦粉一割とか二割とか言われている.
 日本の食品表示は,「包装された加工食品」に原材料の表示を義務付けている.これは「外食店では店員に原材料について説明を受けることが可能である」という建前の上で成り立っている制度である.しかしこの建前には法的に担保がなされていないため,非公表だと言われれば消費者はどうすることもできないのである.
 では,包装して販売されている乾麺の蕎麦なら,伝統的製法の蕎麦と,「蕎麦風味うどん」との区別がつくかというと,それがだめなのである.
 下に示すのは,群馬一区選出の前衆議院議員である宮崎岳志氏が行った質問の趣意書である.趣意書全文が,まことに正論である.
 これに対する答弁は当時の麻生首相代理が行ったが,この答弁は蕎麦業界の実態を示したものであり,政府は消費者国民の保護をする気がないこともまた言明したのであった.(文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
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平成二十七年九月十六日提出
質問第四三九号

日本そばの品質表示に関する質問主意書
                     提出者  宮崎岳志

日本そばの品質表示に関する質問主意書

 そばの品質表示については消費者庁告示で定められているが、乾めんのそば(干しそば)について告示を見ると、小麦粉等の他の原材料が大半を占めていたとしても、ごく少量(一割以下)でもそば粉が入っていれば、「干しそば」と称することが可能である。
 またそば粉が三割以上入っていれば、そば粉の配合割合を記載する必要もないとされている。
 しかし、そば粉の配合割合がごく少ない乾めんを「そば」と称して販売したり、そば粉の割合が五割を下回っても配合割合を記載しないことを許容している現在の基準は、あまりにも不十分だと言わざるを得ず、消費者を欺罔するものであり、日本そばの品質への信頼を失わせるものであると考える。
 したがって、次の事項について質問する。
一 小麦粉が五十%を超えるめんは「そば」ではなく「うどん」と解されることから、干しそばの名称の使用基準については、そば粉の配合割合を五十%以上に限定し、配合割合が五十%を下回る乾めんについては「そば風めん」「そば粉入りめん」等の記載に改めるなど、消費者庁告示の厳格化が必要だと考えるが、政府の見解を示されたい。
二 消費者庁告示は干しそばの原材料表示について、そば粉が三十%以上の場合には配合割合の表示を免除しているが、三十%という数字には特段の根拠がなく不合理な基準であると言わざるを得ない。配合割合の記載を義務付けても製造者の負担が大きく増加するとは考えにくい以上、すべての干しそばに配合割合の記載を義務づけるべきだと考えるが、政府の見解を示されたい。
三 消費者庁告示は干しそばの原材料表示について、原材料名を重い順に記載することとしており、「小麦粉」が「そば粉」より先に記載されている商品は、そば粉の配合割合が五割未満であると考えられる。
 ところが、実際にはこれらのそばが「信州そば」「戸隠そば」「更科そば」「手延べそば」「韃靼そば」「石臼挽き」「粗挽き」「本格派」「国産高級そば粉使用」「幻のそば」などと称して、消費者に「特別に高品質のそば」と誤解させかねない名称や宣伝文句で販売されている。
 このように消費者を誤解させかねない名称や宣伝文句は、その使用を禁ずるべきだと考えるが、政府の見解を示されたい。
 右質問する。
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平成二十七年九月二十九日受領
答弁第四三九号

  内閣衆質一八九第四三九号
  平成二十七年九月二十九日
                   内閣総理大臣臨時代理
                   国務大臣 麻生太郎

衆議院議員宮崎岳志君提出日本そばの品質表示に関する質問に対する答弁書

一について
 食品表示基準(平成二十七年内閣府令第十号)別表第三においては、干しそばについて、乾めん類(小麦粉若しくはそば粉に食塩、やまのいも、抹茶、卵等を加えて練り合わせた後、製めんし、乾燥したもの又はこれに調味料、やくみ等を添付したものをいう。)のうち、そば粉を使用したものをいうと定め、同基準別表第四においては、このような干しそばの名称について、「干しそば」又は「そば」と表示する旨を定めている。これは、そばの流通実態等を勘案したものであるため、御指摘のような食品表示基準の「厳格化」については、慎重に検討する必要があると考えている。
二について
 食品表示基準第三条第一項において、干しそばを含む一般用加工食品については、使用した原材料が、原材料に占める重量の割合の高いものから順に、その最も一般的な名称をもって表示されなければならないこととされており、原材料の実態が相当程度表示されているものと考えられる。
 さらに、干しそばについては、消費者による自主的かつ合理的な食品の選択の機会を確保する観点から、同基準別表第十九において、そば粉の配合割合が三十パーセント未満の干しそばにあっては、例外的にそば粉の配合割合も表示されなければならないこととされている。
 こうした現行の食品表示基準による表示に加え、御指摘のように全ての干しそばにそば粉の配合割合の表示を義務付けることについては、慎重に検討する必要があると考えている。
三について
 不当景品類及び不当表示防止法(昭和三十七年法律第百三十四号)第四条第一項は、事業者が、商品又は役務の品質、規格その他の内容について、一般消費者に対し、実際のものよりも著しく優良であると示す表示であって、不当に顧客を誘引し、一般消費者による自主的かつ合理的な選択を阻害するおそれがあると認められる表示をすることを禁止している。
 御指摘のような「名称」や「宣伝文句」についても、これに該当する場合には禁止されているところであるが、個別の事案が同項の禁止する表示に該当するか否かは、当該商品の表示内容全体からみて、具体の事案に即して判断されるものである。
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 名のある蕎麦店は別として,安直な蕎麦屋が提供する「蕎麦」は,1パーセントでも蕎麦粉が入れてあれば「蕎麦」を名乗ることができる.実際にはそこまで酷くはないと考えられるが,可能性としてはそうだ.
 また乾麺の「蕎麦」は蕎麦粉が30パーセント以上入れてあれば,蕎麦粉の割合を表示する義務はない.すなわち,消費者を欺いて堂々と「蕎麦風味のうどん」を蕎麦として売ることができる.これは法律がそのような行為を許している.
 これが蕎麦業界の実態であり,政府は消費者保護の立場はとらず,業界の現状を追認している.
 すなわち伝統的な「蕎麦切り」は私たちの食生活においてはマイナーな存在である.従って,蕎麦粉の割合が多い本来の蕎麦 (二八蕎麦,十割蕎麦など) ではむしろ「二八」や「十割」が,消費者に対する訴求ポイントとして商品名に用いられている.
 乾麺の二八蕎麦よりも乾麺の十割蕎麦がかならずしも旨いわけではないが,ともあれ消費者は商品名に「二八」あるいは「十割」とあるものを選択すれば,業界の欺瞞に騙されることはないわけだ.
 さあここで,冒頭のヤオコーの「幌加内そば」の話に戻る.
 Amazonで「そば粉 100%」で検索し,「アマゾンおすすめ」順にすると「十割蕎麦」が並んでいる.
 楽天でも同様の結果である.
 つまり,小売業界では「そば粉100%」は「十割蕎麦」のことと認識されている.
 ところが,詳しくリストされた商品の説明を読むと,「そば粉100%」と書かれているが「十割蕎麦」を標榜しない商品が散見される.
 ここに,製造者と,小売業者および消費者の認識の違いがある.
 一般の消費者は「蕎麦粉100%」とパッケージのおもて面に書いてあれば,十割蕎麦であると思う可能性が高い.
 製麺業者も十割蕎麦の意味で「蕎麦粉100%」を使っている.
 下の画像は楽天に出品されている,ある十割蕎麦の説明である.
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 この製品では「そば粉100%」は「十割そば」と同じ意味に使われている.(ちなみに「食塩不使用」と書かれているのは,「蕎麦風味うどん」には食塩を添加しているものがあるからだ.主原料の小麦粉に食塩を加えて「コシ」を作り出すのは完全に「うどんの製法」である)
 しかしこれと紛らわしい表現があり,実際に使われている.例えば「国産蕎麦粉100%」である.これは「この蕎麦に原料として使用している蕎麦粉はすべて国産です」という意味だ.
「蕎麦粉100%」と「国産蕎麦粉100%」は紛らわしい.であるから,製造者はこの二つの表記の違いを消費者が誤解せぬようにしなければならない.
 実際の商品を調べてみると,多くの乾麺蕎麦の製造者はこのことに留意していることがわかる.
 しかし,ヤオコーのPB「幌加内そば」は
 
北海道
 幌加内産
 そば粉
 100%使用
 
と,わざと四行に分け書きしている.
 パッケージは縦長の袋なのだから,本来は商品名の左側に「北海道幌加内産そば粉100%使用」と続けて縦一行に書かねばならないところを,ブツブツと切って意味不明にしているのだ.
 これは,注意深く読まないと「そば粉100%使用」,つまり蕎麦粉の割合が多いかのような印象を与えようとしているのだ.
 なんでこんなことをするかと想像を逞しくしてみると,おそらく何の取柄もないありきたりな乾麺蕎麦を,いかにも優れた製品であるかのように,ヤオコーは見せかけたいのだと思われる.
 裏面表示は下の写真の通りである.
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 蕎麦粉の割合は55%しかない.
 しかも,小麦粉で増量するだけでは飽き足らず,小麦たん白 (小麦のグルテンを粉末化した食品素材) と食塩を添加して「粗末な品質のうどん化 (低品質の乾麺うどんには,小麦たん白を添加したものが実際に存在する)」 し,さらに食品添加物の増粘剤 (アルギン酸エステル) まで使用している.この乾麺に用いられている副原料の幌加内産の蕎麦粉が,そこまでしなければならぬ程の,いかにだめな品質であるかが明白である.
 そのような極低品質の蕎麦乾麺を,パッケージのおもて面に表記する謳い文句を工夫してよい商品に見せようとする姿勢が,そもそも食品製造業者の心構えとして道徳的にダメである.
 ちなみに北海道の幌加内町は,ソバの生産量が日本一である.言い換えれば「幌加内産そば粉」は,日本で一番ありふれた蕎麦粉である.
 信濃や会津のような古くからの蕎麦の伝統がない北海道産蕎麦粉に,なんとか付加価値を付けたかったのだろうが,セコイの一言である.消費者をうまく欺いたつもりだろうが,世の中はそれほど甘くない.手の込んだ偽物ほどまずいとヤオコーは知るべきである.

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2021年3月 7日 (日)

運の悪さを

 今から半世紀少し前に,日本テレビ系列で放送された《ほおずきの歌》というテレビドラマがあった.
 春夏の二クール (四月~九月) だけの短期間の放送で,続篇は制作されなかった.
 主演は島田陽子さんだった.
 今の若い人は島田陽子の名を知らないだろうが,もし知っているとしたら,女優樹木希林の夫でロック歌手の内田裕也に食い物にされて,多額の借金を背負い,一生を台無しにされた女性としてだろう.絵に描いたような運の悪さだった.
《ほおずきの歌》は,彼女がもっとも美しかった絶頂期のドラマであった.
 だがしかし,私は《ほおずきの歌》のストーリーが全く思い出せない.思い出そうとしても,彼女の美貌と,主題歌「僕にまかせてください」しか頭に浮かばない.
 つまり《ほおずきの歌》は,島田陽子という女優とクラフトが歌った「僕にまかせてください」があるだけのドラマだったのである.
 
「僕にまかせてください」の作詞・作曲は,当時まだグレープのメンバーだった さだまさし である.グレープと音楽活動の上で交流があったクラフトに,さだが贈った.クラフトの解散が近い頃,さだまさしのコンサートに出かけたら,クラフトがバックで演奏を務めていたのを聴いたことがある.
 YouTube《クラフト 『僕にまかせてください』 1975年》の投稿を読むと,母をなくしたという人のコメントが多い.
 私の母親は昭和元年生まれで,昭和四十六年秋にガンで死んだ.その前の年に肺がんを発症して入院し,いったん退院したが転移して春に再入院し,最後は脳腫瘍で死んだ.その年に四年生だった私は,大学院進学か就職を選択しなければならなかった.指導教授は,大学院に進めば修士修了で静岡大学の助手にポストを用意できるからと,院進学を強く勧めてくれたが,母の死が近かった私は,社会人になったと母に報告したくて,就職の途を選んだ.
 結局,私の就職が内定したときには病床の母の意識は既になかったので,院進学をやめたのは無駄になった.あともう少し生きて欲しかったのに,運が悪いと私は思った.
 
 さだまさしは,運がいいとか悪いとか人は時々口にするが,そういうことは確かにある,と歌う.(無縁坂)
 小椋佳は,わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして人は哀しいものだと歌う.(愛燦燦)
 どっちなんだろうね.齢七十を越した身には,若かったさだが書いた歌詞の方が心に響く.

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勉強し直してまいります

 先月末のTBS系《プレバト!! 春光戦予選》のこと.
 この番組の看板企画は「俳句の才能査定ランキング」だが,私がこの放送を楽しみにしているのは,俳優やフォッションモデルやお笑い芸人,アイドルの娘さんたちの中に端倪すべからざる人物がいることを天下に知らしめた芸術系 (特に水彩画) の才能査定だ.
 水彩画の辻元舞さんとアンミカさんは,本業のモデルがトップクラスの人なので,これはもう「天は二物を与えたり」と唸るしかない.
 辻元さんは水彩画のほかに色鉛筆画もすばらしい.
 元アイドルの光宗薫さんは,テレビ以外の分野で本格的な活動をしている天才肌のひと.
 芸人では,野生爆弾クッキーは絵画が本業なんじゃないかと言いたくなる.千原ジュニアはいま最高のマルチタレントだろう.
 その他にもまだ多士済々で,いまのテレビ番組では,俳句以外の才能分野でのプレバトが一番おもしろい.
 芸術系に比較すると「俳句才能査定」は,いかにもテレビのバラエティ番組の匂いが強い.
 つまりことは俳句を材にした「笑点」だ.
 で,《プレバト!! 春光戦予選》だが,予選の四ブロックで補欠になった四人のうちから三人を本戦に上げる敗者復活戦が行われた.
 内容について取り立てて論評することはないが,敗者復活戦の結果,三遊亭円楽,松岡充,中田喜子,フルーツポンチ村上のうち,円楽が落選した.
 放送の最後に落選の感想をМCの浜田に訊かれた円楽は「勉強しなおしてまいります」と答えた.
 その編集の具合をテレビのこちら側で観ていると,「ああ,カメラも音声も制作スタッフは,勉強し直してまいります,の意味を知らないんだな」と私は思った.
 その放送回には,立川志らくと梅沢富美男が出演していたので,この二人は噺家と高齢の大衆演劇俳優だから「勉強し直してまいります」を知っているのは当然だが,あとの人たちは,これが誰の遺した言葉であるかを知らないのは,時代というものだろう.
「勉強し直してまいります」と「勉強し直してきます」とでは意味が異なる.
「まいります」とした途端に,これは昭和の大名人,八代目桂文楽のほとんど遺言のような言葉と化すのである.
 これについてWikipedia【桂文楽 (8代目)】は次のように記述している.
 
最後の高座
高座に出る前には必ず演目のおさらいをした。最晩年は「高座で失敗した場合にお客に謝る謝り方」も毎朝稽古していた。
1971年(昭和46年)8月31日、国立劇場小劇場における第5次落語研究会第42回で三遊亭圓朝作『大仏餅』を演じることになった。前日に別会場(東横落語会恒例「圓朝祭」)で同一演目を演じたため、この日に限っては当日出演前の復習をしなかった。
高座に上がって噺を進めたが、「あたくしは、芝片門前に住まいおりました……」に続く「神谷幸右衛門…」という台詞を思い出せず、絶句した8代目文楽は「台詞を忘れてしまいました……」「申し訳ありません。もう一度……」「……勉強をし直してまいります」と挨拶し、深々と頭を下げて話の途中で高座を降りた。
舞台袖で8代目文楽は「僕は三代目になっちゃったよ」と言った。明治の名人・3代目柳家小さんはその末期に重度の認知症になり、全盛期とはかけ離れた状態を見せていた。
以降のすべてのスケジュールはキャンセルされた。8代目文楽自身からの引退宣言はなかったものの、二度と高座に上がることはなく、稽古すらしなくなった。ほどなく肝硬変で入院し同年12月12日逝去した。79歳没。
引退時のエピソードは平成になってからも3代目桂米朝や5代目三遊亭圓楽の引退時にも引用されるなど現在でも語り草となっている。
 
 八代目の最後の高座に関しては上の引用が全文である.
 その国立劇場小劇場での八代目の絶句はTBSテレビが中継していたが,一般に知れ渡ったのは翌日の新聞記事によってだったろう.
 だから,私を含め,あらかたの高齢者が覚えている八代目の最後の高座は,Wikipediaの書き記すところに尽きる.
 ところが,だ.
《プレバト!!》を見たあと,私は何気なく「勉強し直してまいります」を検索して,ウェブコンテンツ《勉強し直してまいります》を見つけた.
 これによると《文楽のあとに高座にあがったのが立川談志。偶然だが、歴史の変わり目として、象徴的な配役ではないか》とのこと.
 そうだったのか,と驚いた.
 その談志もいまはない.はろばろと来つるものか.

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2021年3月 5日 (金)

子曰学而不思則罔思而不学則殆

 経済評論家の加谷珪一氏による文春オンライン《平均賃金は韓国以下…「貧しい国」になった日本が生き残るための“新常識”》[掲載日 2021年3月4日] は日本国民が皆読むべき記事だと思った.
 
 多くの日本国民は「日本は,落ちぶれたとはいえ,まだ経済大国だ」と思っている.
 本当は私たちの日本は貧しいのだが,三十年以上も昔は経済大国だったために,今でも何となく裕福だとの錯覚があるから,現在以上の貧困に陥らぬためにコロナ禍に全国民がこぞって真剣に対処しなければいけないのに,渋谷には飲み会をする若者があふれ,新宿はキャバクラやホストクラブの深夜裏営業に客が集まり,銀座では国会議員たちがはしご酒をして騒いでいる.
 加谷氏は,現在の日本が置かれている貧困の実際について,著書で繰り返し警告を発しているが,耳を傾ける向きは少ない.
 このままでは,ある日突然,道路もダムも送電網も老朽化したのに修繕費がないという現実に,国民は気づいて茫然とするだろう.
 またある日,いつの間にか海外からの輸入食糧が私たちの手の届かないものとなったことが明らかになり,国民食生活は危機に瀕するだろう.高級ブドウや高級メロンを作る農家は多いが,水田は荒廃したままだ.
 冷静に考えれば日本国民の誰でも,私たちの貧困が事実であることを納得せざるを得ないのだが,認めたくない気持ちが強いと思われる.
 日本の経済困窮を認めたくない人々は,豊かな他国を実は貧しいと思い込むことによって安心を得る傾向がある.これを加谷氏は批判しているのだ.
 
 つい最近,俳優の武田鉄矢が「中国の一般家庭に冷蔵庫がない」旨の発言をした.(HUFFPOST日本版《武田鉄矢さん、中国では「一般家庭に冷蔵庫がない」と発言。文化放送で新型コロナに関する持論を展開》[掲載日 2021年3月2日 20:40])
 もちろん武田の発言は事実に反するが,昔々のことであれば,中国では一般家庭に冷蔵庫が普及していない時代があった.
 今から三十年以上前のことだが,仕事で中国へ行った時に,現地の人から「最近ようやく冷蔵庫が家庭に普及しまして,家で冷たいビールがいつも飲めるようになりました」と聞いたことがある.
 ある家電製品が普及するには,様々な要因がある.貧しいから高価な冷蔵庫が買えない,という単純な話ではないのである.
 もちろん中国では貧富差が激しいという問題はあるが,冷蔵庫の話で言えば,中国でなかなか一般家庭に冷蔵庫が普及しなかったのは電力品質の問題が大きかったと,上記のエピソードの際に解説してもらった.
 もうその当時の日本では,瞬断を除く停電は災害時を別とすれば根絶されていた.だが中国では停電がまだあった.電気が止まったのでは,冷蔵庫は用をなさない.中のものが腐ってしまう.
 言い換えれば,電力品質がよくなれば,冷蔵庫はあっという間に普及することとなったのだ.
 余談だが,何年も前に中国人観光客が秋葉原に押し寄せて,ウォシュレットなどの洗浄便座を爆買いするのが報道されて人々の話題となった.
 その様子をテレビで見て私は,ああ中国でも下水道が普及したんだなあと思った.洗浄便座は下水道の普及が前提となっている家電だからである.
 日本製品の品質が良いから彼らは日本の家電を爆買いしにやって来るのだと言った人がいたが,日本製洗浄便座を生産しているのは中国の企業だということを知らないからそんなことを言うのだ.
 昨年,コロナ禍のせいで中国製工業製品が全く日本に入ってこない期間があった.その時,ブランドは日本製の洗浄便座 (生産地は中国) が,故障しても修理ができない場合があると洗浄便座メーカーがアナウンスした.便座の主要パーツの中に,中国では作れるが日本では製造できないものがあったのである.つまりいまや洗浄便座の製造技術は中国が本家なのである.
 洗浄便座に限らず,多くの家電製品を,日本は海外の技術と生産力に頼っている.
 パソコンのマザーボードもグラフィックボードも,日本はもう作る技術を失った.作れるものでもコストで海外に太刀打ちできない.
 それどころか基礎的な回路部品である抵抗器もコンデンサーも,日本では作れない.
 昨年のコロナ禍で不織布マスク価格が暴騰したとき,私たちは,マスクに組み込むフィルターを日本国内では作れないと知って驚いた.
 アイリスオーヤマは自社技術で不織布マスクを製造できるのだが,当時は工場はすべて中国 (現在は日本国内にも工場を建設し稼働している) にあり,当時は中国政府が日本向けの輸出を禁じたために,中国国内で販売するしかなかった.
 マスクに使う耳掛けのゴム紐も,輸入品である.(*末尾註)
 このような日常生活用品のほとんどを日本は中国に頼っていると事情通の識者は述べている.
 中国共産党の長老軍人であった陳毅は1961年の会議の席上「ズボンを質に入れても原爆を作る」と述べたという.
 これについてWikipedia【陳毅】には《1963年10月に日本の囲碁の代表団を中国に招待し》た際に《同行した日本記者団に対して「中国はどれほど貧しくとも核を作る」と発言し、内外を騒がせた》とあるが,「ズボンを質に入れても…」のほうがおもしろい.なぜオリジナルの発言を採用しないのかは不明.
 ただし陳毅のこの言葉は「ズボンを質に入れても」の他に「中国人民がズボンを穿けなくても (陳毅自身は穿く)」とか非常に多くのバリエイションがある.また巷間に伝えられるうちに陳毅ではなく毛沢東の言葉だとの誤解が生じ,なおかつ「中国人民は穿くパンツがなくても核兵器を作る」というバージョンも見たことがある.これが一番おもしろいのだが,事実でないのが残念だ.
 閑話休題
 いずれにせよ中国はパンツも原爆も作れるようになった.
 日本の若者や中高年の会社員たちが,毎夜毎夜酒を飲んで遊んでいる三十年の間に,中国は世界最強の工業国家を作り上げたのだ.そしてその経済力を背景にして,香港の民主派を制圧した.次はいずれ台湾周辺の海域を軍事的に制するだろう.経済の点でいえば,日本の漁業はそう遠くないうちに,中国の乱獲によって日本周辺海域の水産資源を奪われて衰退するだろう.
 かつて欧州の帝国主義国家に国土と漢民族のプライドを蹂躙された中国人は,あたかも復讐をするかのように,強大で富裕な帝国主義国家への道を突き進んでいるのだ.
 
 中国の家庭に冷蔵庫が普及しなかったのはもう昔の話だ.
 武田鉄矢は私と同い歳であるが,自戒を込めて言うのだが,老人の頭の中は古い記憶で一杯だ.武田鉄矢は中国に行ったことがあるに違いないが,彼がその目で見て知っているのは,昔々の中国だ.
 いつの間にか中国も韓国も台湾も,生活レベルは日本を追い抜いた.日本の年寄りはそれを認めたくない.本当は気が付いているのだが,つい「中国の家庭には冷蔵庫がない」などという昔話を,まるで今でもそうであるかのようにしゃべってしまう.
 まあそれでも私は何とか人間骨董にならぬように気を付けてはいるのだが,武田鉄矢はどうもいったんこうと思い込んだら,本当にそうなのだろうかと疑うということをしない人のようだ.
 先月私が書いた記事《二人目の坂本龍馬 かなあ…》でも,武田鉄矢の思い込みと不勉強を指摘しておいた.若い人たちが武田鉄矢を「老害」と貶すのをみることは,いささか辛いのである.
 人生は死ぬまで勉強だ.好漢武田鉄矢には,思い込みを排し,思而不学則殆を肝に銘じて頂きたいと思う.
 
(*註)
 かつて終戦後の昭和の頃,戦地から復員した男たちはフンドシをやめてパンツを穿くようになった.いわゆるデカパンだ.
 これは腰周りに,伸縮する断面が丸いゴム紐を入れた.そのためゴム紐は国産の重要な工業製品となった.
 しかし過当競争でゴム紐工場が倒産すると,押し売り稼業の男が,工場の不良在庫となったゴム紐を仕入れて,家庭を訪問して押し売り販売した.
 Wikipedia【押し売り】に次の記述がある.
昭和30年代には、主婦が一人でいる時間を見計らって玄関に上がり込み、粗悪なゴムひもや縫針などを法外な値段で売りつけることがしばしば存在した。「昨日刑務所から出所したばかりで、これからは正業で生きていく身だ。そんな気持ちを踏みにじる気か?」と恫喝するのがお決まりであった。
 この記述の《粗悪なゴムひも》とは,パンツ用の丸ゴム紐である.出典が示されていないが『サザエさん』の中に何度も登場するのでよく知られている.ただしそのゴム紐が《粗悪》だったかどうかはわからない.縁日の啖呵売でもよく見かけたが,私の記憶では,ごく普通の製品だったと思う.(啖呵売では,パンツのゴム紐から時計に至るまで,なぜ安いのかは生産元の会社が倒産したからであると口上で語るのが定番で,「潰れた工場を助けると思って買ってください」と聴衆に呼びかけたものだ)
 その後,昭和の中頃になると,パンツ腰周りのゴムはニットにゴムを編み込むタイプになり,ゴム紐は姿を消した.そしてパンツのゴム紐の末裔は,中国でマスク用に作られ続けていたのである.
 ついでだが,北朝鮮もゴム紐を作れない.コロナの伝播を怖れて中国との国境を閉じたので,マスクもマスクのパーツも中国から入ってこなくなった.そのため北朝鮮国内産の布マスクは布の紐で耳に掛けるようにした.布の紐は伸縮性がないから,マスクが顔からずり落ちて実用性が全くないものだが,北朝鮮が流した宣伝映像に製造の様子が映っていた.

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2021年3月 3日 (水)

「まとめて買えば安くなる」の謎

 Amazon prime 価格は「無料配達」を謳い文句にしているのだが,これが実は,商品価格そのものに配送料をオンしたものなのである.
 prime 会員はそのことを承知しているが,prime 会員であることのメリットはあるので,会員をやめないのである.
 ただし,これが法的にどうかというと,公正取引委員会が手を入れないのが不思議である.
 prime 価格には配送料が内包されていることから,通販価格体系に色んな矛盾が生じている.
 一つには,注文する商品の個数を複数にすると,配送料が二重三重に重複してカウントされるということがある.
 またそれとは別のことで,Amazon prime の価格決定ロジックが怪奇な現象をもたらすことがある.
 これはおそらく,配送料が重複するという欠陥を修正しようとして修正しきれていないのだろう.
 
 話は家庭常備医薬品のことである.
 よく知られた池田模範堂という会社は,明治に創業し,大正十五年に「ムヒ」を発売して以来,痒み止め一筋に歩んできた会社である.
 日本国民でムヒのお世話にならなかった者は一人もいないのではないか.
 池田模範堂の商品一覧を見ると,「耳の穴が痒い」とか「バストトップが痒い」などのピンポイント的な痒みの場合から,皮膚が広範囲に痒い場合の内服薬まで揃っている.
「耳の穴が痒い」は痒みの症状としては著しくニッチで,そんなやつおるんか,とテレビCMを見ると私はいつもツッこんでいるが.
 さて私のような高齢者の痒みは,乾燥肌が原因のことが多い.これは広範囲に痒い.
 背中一面が痒いとか,脚のひざ下が全部痒いなんて時に,軟膏のムヒを塗布していたのでは,何本あっても足りるものではない.
 そこで内服薬「ムヒAZ錠」の登場だ.
 私はこの冬,背中を孫の手で掻くことをやめて,AZ錠を服用している.なかなかよく効く.
 ところがこの薬,ドラッグストアでは定番ではないらしく,棚に置かれていないことがある.そこで私はこれを通販で買っている.
 なんでムヒAZ錠の話を持ち出したかというと,下の画像にある価格表をみたからだ.
 
20210303a
 Amazon prime 価格が本当に配送料無料であるなら,ムヒAZ錠 (一箱796円) を二箱買ったら,合計は1592円でなければならない.
 しかし実際の合計価格は1861円であり,269円高くなる.
 同様に,三箱買うと,理屈では 796円×3=2,388円のはずだが,実際は2,660円で272円高い.
 四箱なら796円×4=3,184円のはずが,どういう勘定か,3,695円で販売されるから,511円も一気に高くなる.
 そして五箱になると,796×5=3,980円のところが実際は4,210円で,230円高い.
 
 どうしてこんな不思議な価格体系なのか.
 本来はAmazonが消費者に説明すべきことであるが,質問してもAmazonは決して答えない.
 そこで私たちのほうで合理的な謎解きを試みる.
 おそらく間違いないが,ムヒAZ錠一箱を販売している薬店と,二箱,三箱,五箱を販売する薬店は別だということである.
 また四箱を暴利で売っている薬店もまた別である.
 つまり三つの薬店が,Amazon prime という同じ名目で同時に,別々の価格体系で販売しているのである.
 実はこういう例は,医薬品だけでなく,食品でも数多く見つかる.
 なぜこんな不合理な商売をするのか,Amazonの内部事情だから私たちにはわからない.少なくともAmazonが消費者保護という観念をもっていないことはわかる.
 例えば災害時の防災用品などが,転売ヤーによって無茶苦茶な値段で販売されても,楽天は対処するがAmazonはほったらかしである.
 私たち消費者としては,Amazonの価格はよくよく計算してみないと損することがあるので,自衛する必要がある.
 ムヒAZ錠の例でいえば,三箱買いたくても,一箱ずつの注文を三度にわけて発注するのがよい.これは面倒だし環境にも優しくない.まとめて買うと高くなるのは,常識人には理解しがたいが,致し方ない.
 
 さて,以上が実に長ったらしい前フリである.以下が本題.
「まとめて買えば安くなる」というのは洋の東西を問わず事実である.
 これを英語では“Cheaper by the Dozen”という.「一ダースなら安くなる」というのが和訳である.これは決まり文句/常套句で,私がこの表現を知ったのは中学生のときだった.
 ここまではいいのだが,ややこしいのは邦題『一ダースなら安くなる』(原題“Cheaper by the Dozen”) という映画 (1950年公開) があることだ.試みにGoogleで「一ダースなら安くなる」で検索してみるとよろしい.
 検索結果は,映画『一ダースなら安くなる』に関することだけである.結果の中でトップであるWikipedia【一ダースなら安くなる (映画)】を下に一部引用する.
 
あらすじ
 両親は時間動作研究(en)および能率向上技師のフランク・バンカー・ギルブレス・シニア(en)と心理学者のリリアン・モラー・ギルブレス(en)。一家総出で車で出掛けて赤信号で止まっていると、歩行者から「なぜそんなに子供を連れているの?」と聞かれることが度々あり、父フランクはわざとじっくり考える振りをして信号が青になると「一ダースなら安くなるからね」と言ってすぐに発車していたことからこの題名がついた。
 
 父であるフランクが,なぜそんなに子供が多いのかと他人に問われた時に,いつも《一ダースなら安くなるからね》と答えていたのはなぜか.
 それは,1950年当時の米国で「一ダースなら安くなる」という商品販売における常套句が既にあったからである.「一ダースなら安くなる」は映画『一ダースなら安くなる』からできた言葉ではない.その逆だ.
 映画の中でフランクは,スラングというか決まり文句の「一ダースなら安くなる」を「洒落」で使っていたのである.もちろんこれは質問に対するまともな答えではない.はぐらかしである.子供がたくさんいると,何が安くなるか意味不明だからである.
 私が中学生の頃,大きめの英和辞典には,dozen の熟語“by the dozen”(ダース単位で売り買いすること) の例文として,“cheaper by the dozen”が載っていた.
 例えば鉛筆を買う場合,一本や二本を買う時には単価×本数で販売されるが,一ダースが箱入りになっているのなら,割安になることをいう.日本なら一箱に十本入りだったりして,ダース単位はあまり使われないが,これは日常生活で用いられる単位が日米で昔から違うからである.(英語圏でも,国によって,生活における基本的な単位が十進法と十二進法の違いはある)
 それはともかく,本家本元である常套句の「一ダースなら安くなる」がいつの間にか忘れ去られ,映画『一ダースなら安くなる』のタイトルとフランクの台詞だけが今も残っているのである.
 こういう死語的な言い回しは日本語でも多々ある.
 実は最近,理由はわからないが,私が書いたブログ記事《目ン無い千鳥》がかなりたくさんの人に閲覧されている.
 この「目ン無い千鳥」という言葉はまだ生きている.死語ではない.この題名の歌謡曲を挿入歌とした娯楽映画作品は忘れ去られ,フィルムも散逸したが,この歌を懐メロとして歌った大川栄策をまだ覚えている高齢者がたくさんいるからだ.
 しかし,なぜ千鳥が失明しなきゃいかんのか,そこんところの事情がもう忘れ去られたために「目ン無い千鳥」という言葉は意味不明になってしまった.これは「一ダースなら安くなる」にちょっと似たところがあると思う.映画の話は別として,なぜ一ダースなら安くなるのか (→ダース販売という商習慣があったこと) を知っているのは高齢者だけになってしまったのである.

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2021年3月 2日 (火)

目糞が鼻糞を

 Microsoft News は,スポーツ紙の記事をよく掲載する.転載するコストが安いのだろうか.
 そのスポーツ紙だが,今日の中日スポーツが伝えたところによれば,前東京都知事の舛添要一が総務省の接待問題で山田真貴子内閣広報官が同日午前に入院と辞職をしたことについてツイッターを更新して次のように述べた.(中スポ《接待問題で入院・辞職、山田真貴子広報官に舛添要一さんは気遣いと疑問視 「問題の責任をとったわけではない」》[掲載日 2021年3月2日 13:22])
 
「健康第一なので仕方がないが、最近は病気が理由で幕引きを図るケースが目立つような気がする。これが責任逃れの定番にならないようにせねばならない」。問題の渦中にある人物が病気を理由に職務を辞する事例が絶えないことに疑いの目を向けた。
 
 舛添要一といえば,都知事の重職にありながら,まことにセコい公私混同を追及されて,辞職して天下に恥を晒した人物である.(産経ニュース《【舛添知事公私混同問題】「他人に厳しく自分に甘い」「セコい」…舛添知事の“だんまり作戦”に政界はあきれ顔》[掲載日 2016年5月23日 8:00])
 その舛添の発言が最近,スポーツ紙によく取り上げられている.
問題の渦中にある人物が病気を理由に職務を辞する事例》について,公費を私的に使用したという情けない理由で職務を辞した舛添が何か言うとるのである.
 舛添は,東京都民が納めた血税を,自分の物欲のために使った.他人のカネを勝手にわたくしのものにするのは泥棒である.
 泥棒にくらべれば,山田広報官が菅首相の息子に七万円の飯をおごってもらったことなんぞはカワイイもんだ.七万円を盗んだわけじゃない.
 これに対する舛添の濫費は七万円ではすまない.
 それがまるでなかったことであるかのように,舛添はもっともらしいことをツイートしておる.鉄面皮とはこのことだ.
 

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