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2021年1月20日 (水)

「ほうとう」のうどん化

 山梨県名物の「ほうとう」は,うどんと異なり,塩を加えずに打つ.日本農林規格では「ほうとう」を「うどん」の一種に分類しているが,それは法律上の便宜的な措置であり,山梨県人は「ほうとう」は「ほうとう」であって「うどん」とは違うと思っている.若い人はどうか知らないが,年配者はたぶん「ほうとう」に誇りを持っているようだ.
 現在のような「ほうとう」が甲府盆地で食べられるようになったのは,おそらく室町時代以後であるが,その頃は日本の製塩技術は未発達 (瀬戸内で入浜式塩田が発達したのは江戸時代に入ってから) であり,塩は貴重な食材であったと考えられている.
 従って日常食である「ほうとう」に,貴重品である塩を入れないのは理の当然であった.
 また製麺の観点からすると,小麦粉と水に塩を加えて麺帯を作るのは,小麦タンパクのグルテン化を進行させて「コシ」を生じさせるためであるから,必然的に麺帯を作ってから暫く「寝かせる」ことになる.しかしこれでは,農家が忙しい作業の合間に食べる日常食としてはあまり感心しない.
 このような事情から,甲府盆地の「ほうとう」に限らず,現在の群馬県,埼玉県,長野県地方の一帯で,農家の日常食として塩を入れない麺が食べられるようになり,現在に伝えられている.これらの地方は内陸で,関東地方沿岸や北陸の揚浜式塩田で生産されて塩が流通しにくかったことも背景にあったと思われる.
 余談であるが,黒澤はゆま『戦国、まずい飯!』は,永禄十年 (1567年) 六月,駿河の今川氏真は相模の北条氏康の協力を得て甲斐への塩止めを敢行した事実を述べている.これは,内陸部では塩が貴重だったということを意味している.
 
 一方,小麦粉と水に塩を加えて製麺する方法は江戸時代に発達した.加水量や打つときの圧力,また「寝かせる」時間などを工夫することで特徴ある食感の麺が各地で作られ,洗練された様々な「うどん」として発達した.
 さて上に述べた「ほうとう」に類似する麺が「うどん」と大きく異なる点は,「茹でない」ことである.「ほうとう」類は,生地を打ち終えたらすぐ,打ち粉が付いたまま,野菜などを具にして煮た汁に投入して煮込むのだ.こうすると打ち粉が汁に溶けるし,麺帯はグルテン化が進んでいないのですぐ煮溶ける.そのため汁はドロドロになる.上州の農村部に伝えられてきた「お切込み (おきりこみ,おっきりこみ)」もこれと同様だ.
 それでも甲斐の「ほうとう」は基本的に味噌仕立ての上にカボチャをいれたりするもんだから,ドロドロがあまり目立たない.
 しかし「おきりこみ」は味噌仕立てと醤油仕立ての両方があり,醤油で味付けした汁はドロドロがあからさまで実に見た目がわるい.栃木県の「しもつかれ」が見た目の悪さでは日本最強の郷土食であり,「おきりこみ」や「ほうとう」はそれには及ばないものの,インスタ映えとは対極にある食べ物である.
 見た目が悪いけれど食べたらおいしいかというと,そうでもないのが困ったところだ.w
 Wikipedia【ほうとう】には《うまいんもんだよ、カボチャのほうとう》と書かれているが,これは「ほうとう」愛する山梨県人であるが故のことで,他県では「名物にうまいものなし カボチャのほうとう」のほうが広く知られている文句だろう.
 この「ほうとう」は関東地方の「おきりこみ」類よりも早く観光食化されたように思う.私が青年時代には既に観光地に「ほうとう」専門店があり,山梨県の観光資源となっていた.
 だが,そうなると他県人にも受け入れられるような変化が「ほうとう」に生じたようだ.上に紹介した『戦国、まずい飯!』には,次のことが書かれている.
 著者の黒澤はゆまは,「ほうとう」を自分で打って食べてみたが,これが本物の「ほうとう」だとの自信がなかったため,山梨に実際に行き,地元の「ほうとう」を食べてみた.
 
甲府駅前にある某有名チェーンのほうとうを食べたが、正直、私が作ったものとどっこいどっこいの味だった。
 次に山梨料理が売りの居酒屋で頼むとけっこう待たされた。
 手持ち無沙汰な感じが伝わってしまったのか、マスターが苦笑いしながら、
「ほうとうには一つ欠点がある。くたくたになるまで煮込まないと、ほうとうじゃないから、出すまで時間がかかるんだよ」
 と言った。
 客も多い時間帯に汗だくで汁の具合を見てくれて、少し申し訳なかったが、その甲斐もあって、出されたほうとうは美味しかった。
 丁寧に作られているようで、麺は形もそろっているし、食感はつるつるシコシコで……あれっ、これはもうきしめんなんじゃない?
 どうも昨今の流行りにあわせて、寝かせる時間や、塩の量を調節しているらしく、そうすると、どうしてもうどんの食味に近づいてしまうようである。
 本当の郷土料理を食べるというのもなかなか難しいものだ。》(文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
 
 というわけで,もはや昔からの「ほうとう」は,「うどん」化して滅びつつあるのかも知れない.
 実は私の郷里である群馬県の「おきりこみ」も,「ほうとう」と同じ運命を辿っている.県の観光当局が「おきりこみ」の観光資源化を図り,昔ながらの郷土食「おきりこみ」を,普通の煮込みうどんに変えてしまったようなのである.そのことはこのブログの《売るためなら嘘でも平気…富岡の「はや味」》に書いた.食文化的には残念であるが,うまいものではないから致し方ないかも知れない.

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