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2021年1月 9日 (土)

千年の古都ギャグ

「京都の老人は未だに,都は京であって,天皇の住まいは京都御所だと思っている」という話がある.私が大学生の頃に聞いた覚えがある.当時は維新前に生まれた人々が京都のあちこちに生きていたので,京都人の自虐センスを表現した楽しい笑話であった.
 色んなバージョンがあるので例をいくつか挙げる.
 
天皇陛下はちょっと東京へ行ってはるだけで、じきに京都の御所に帰ってきはる。》(出典)
京都の人々は、天皇さまがいつお戻りになるのか、幕末以来ずーっと首を長くして心待ちにしている。》(出典)
東京都 (ひがし京都) に遷都した覚えはない。天皇はんは旅行に行ってはるだけ。日本の首都は京都。》(出典)
 
天皇陛下は…》は,東京が事実上の首都になってから高々百五十年ちょっとしかないが,それに比べれば京は千年の都だという意味で,それを「ちょっと東京へ」と言っているわけだ.ちょっと敬語に問題があるが.w
京都の人々は…》も同じく,天皇は旅行中だということを言っている.明治,大正,昭和,平成,令和の五代にわたる大旅行である.
東京都 (ひがし京都) に遷都した覚えはない…》は上の三つよりも知的レベルが高い.日本史の知識がないと意味がわからない.
 
 戊辰戦争の頃に物心ついた人ならば実際に上のように考えていたかも知れないが,今ではもちろん本気の話ではなく,昭和の戦後生まれが既に高齢者となって西方浄土への旅立ちを始めている現在,いささか古めかしいギャグになった.
 古めかしくなると同時に《東京都 (ひがし京都) に遷都した覚えはない》のおもしろさがわかる人も減ったのは残念だ.
 
 NHKの正月番組《京都板前割烹 直伝・おせちの極意》に出演した京料理の名店「浜作」の三代目主人,森川裕之さんが桑子真帆アナウンサーに次の通りに語った.以下は桑子アナを相手の軽妙な会話なので,耳で聞いているときはわかるのだが,文章に起こすと意味がよく通じない.そこで当ブログの筆者が下の文中に ( ) を補った.
 
白味噌のことを (京都以外の人は) 西京味噌といわはるんですが,白味噌は白味噌. (です)
 西京漬けなんていうことは,京都人は絶対に言いまへんわね.
 東京が京都から東へ行かはったんで東京なんで.(「東」京なんです)
 東京から見ると京都が西京,という意味 (での「西京」) は,京都人は,ぜーったいに使いません.
 (西京味噌ではなく) 白味噌としていただかな.(いけません)》
 
「浜作」三代目主人は,自分の言っていることが嘘であると重々承知であるに違いない.
 というのは,実は「西京味噌」は京都人が作った言葉だからである.
 Wikipedia【西京味噌】をみてみよう.
 
西京味噌(さいきょうみそ)特定の味噌蔵(現本田味噌本店・株式会社西京味噌)の銘柄である。同社の丹波杜氏であった初代、丹波屋茂助が禁裏御所(今の京都御所)のご用命を受け、宮中の料理用味噌を吟醸し、献上したのが始まりで、明治維新により都が江戸へ遷都され「東京」となり、京都をそれに対し「西京」とも呼んだことから、特に西京味噌といわれるようになった。
 
 続いて上の引用文中に書かれている「本田味噌本店・株式会社西京味噌」の公式サイトを見てみよう.株式会社西京味噌は本田味噌本店の製造部門の別会社と思われる.
 
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 つまり「西京味噌」は,天保元年に創業された生粋の京都の会社「本田味噌本店」のブランドなのである.
「浜作」の創業は昭和二年だから,もう全然お話にならぬくらい「本田味噌本店」が格上の老舗である.しかも「浜作」創業者である森川栄は富山の生まれで大阪育ち.京都人ではなかった.おまけに「浜作」の店名は大阪北の包丁名人樽本次郎,通称「浜作」の弟子であることに由来する.「浜作」のルーツは大阪なのだ.
 さらに,江戸っ子は三代続いて初めて江戸っ子を名乗れるという伝に従えば,三代目主人の森川裕之さんは生粋の京都人とはいいがたい.
 その昭和創業の「浜作」が,天保 (1831年) 創業の「本田味噌本店」のブランド「西京味噌」に対して《白味噌としていただかな》いけませんと,難癖を 注文を付けているのである.
 その いちゃもん 注文の根拠はというと《東京から見ると京都が西京という意味は,京都人は,ぜーったいに使いません》である.
 しかしこれは本当だろうか.その当時の諸事情がわかるWikipeia【東京奠都】によれば,現在の京都府から東京都への奠都は行われたが,遷都は,なしくずし的に行われた.(奠都と遷都の意味の違いはこのWikipedia項目に書かれている)
 明治政府が遷都の宣言をしなかったのは,京の都の人心が動揺せぬように慮ったからである.
 そこで政府は明治の最初の頃,京と江戸を西京都と東京都の東西二都とする考えを持っていた.首脳の大勢は江戸への遷都であったが,岩倉具視は遷都に反対だったようである.
 ともあれ東西両京構想が生まれて,その結果,東京は実現したのだが,西京は俗称にとどまった.おそらく「浜作」三代目主人のように「西京」と呼ばれることを屈辱だと考える人々の反対が激しかったのであろう.
「本田味噌本店」のように開明的な京都人が多ければ,今でも京都府は西京都として文化の中心であり続けたかも知れない.しかしそうはならなかった.偏狭に《東京都 (ひがし京都) に遷都した覚えはない。天皇はんは旅行に行ってはるだけ。日本の首都は京都》だと言い張ったために,元も子もなくした.政治も経済も文化も,京の都は没落して,観光で生きるしかない都市になってしまったのである.
「浜作」三代目主人は,これからも《東京から見ると京都が西京,という意味は,京都人は,ぜーったいに使いません.白味噌としていただかな》という二百年近く前に千年の古都で生まれたギャグを言い続けるだろうが,これをクスリと笑ってくれる人は高齢者ばかりだから,このギャグの命運は尽きるだろう.
 
 ちなみに,京都人の偏狭さは京都市民において激しい.知り合いに京都生まれの人がいたら「京都の舞鶴」と言ってみるとわかるのだが,京都市民は「舞鶴は京都ではない」と言うだろう.京の都とは,京都市のことなのである.

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