非科学的で不合理かつ異常な主張をする矢部史郎 /工事中
REUTERS《与党議員による夜のクラブ通い、「大変申し訳ない」=菅首相》[掲載日 2021年1月27日 9:54] の記事は重要である.
《菅義偉首相は27日午前の参院予算委員会で、自民党の松本純・国会対策委員長代理や公明党の遠山清彦・前財務副大臣が、緊急事態宣言下の夜に銀座のクラブなどに通っていたとの報道に対し、「夜8時以降の外食・飲食や不要不急の外出をしないように協力をお願いしている中、このような事態が発生し大変申し訳ない」と陳謝した。徳永エリ委員(立民)に対する答弁。》
富農のせがれに生まれておきながら勉強が嫌いで高校を出ても大学に進まず,集団就職を装って一人で上京したが,しかし金持ちの生まれであるから下積み低賃金労働の現実に嫌気がさし,ちょっとまずかったと思ってやおら法政大学に入り直したものの,当時の法政大学は教育を受けられるような状態ではなく (都内では立教大学を除く他の大学もすべて酷い状態だった),大学でも全く勉強せずに卒業して世の中に出てみたら,政治家は口先三寸で生きていけることに気が付き,秘書からスタートして「苦労人」と嘘を吐きつつ一国のトップに上り詰めた超大暗愚宰相菅義偉が官房長官の頃であれば,ここは「自民党の松本純・国会対策委員長代理や公明党の遠山清彦・前財務副大臣が緊急事態宣言下の夜に銀座のクラブなどに通っていたとの報道があるが,これは不要不急の外出であるというのは中らない (あたらない)」と徳永委員に対して突っぱねるところだ.
簡単に陳謝してしまうところがもう菅の「心が折れて」いる状態を示しているのではないか.
前の総理大臣も,優秀であるとは言い難い大学で遊んでばかりいたのかディベートが不得意で,国会答弁では「あたらない」を連発する男だったが,菅も記者会見では「あたらない」を連発する官房長官だった.
この二人に共通しているのは,相手が何を聞きたがっているのかを瞬時に理解する能力だ.だから国会で事前通告されている質問でも,事前通告内容と少し異なった方向に野党議員の質問が逸れると,もう答えられない.そこで「○○という指摘はあたらない」と言って答弁回避をするのであった.
それでも,前首相は声が大きいだけマシだった.
というのは,超絶大暗愚宰相菅義偉は,ロレツが回らない上に声が小さくて,自分の発言を国民に聞いてもらいたいという意思が感じられないのである.
簡単に言うと,菅の発言は何をいってんのかよくからんのに,上のロイターの記事に限らず他のメディアも,実際の菅の発言を国民に理解できるように勝手にリライトしてしまう.そのため,ネット記事やテレビ映像では実際の菅の答弁と違うニュアンスの報道がなされていることを,NHKの国会中継を視聴している人は知っているが,そうでない人は知らない.
参院予算委員会で野党議員の質問に,「第三次補正予算は」と言わんとして菅は「だんじほせいよさん」と発音した.なんだよ「だんじ」って.w
「医療機関に対する」と言おうとして「いろうよさんにたいする」と発音をした.なんだよそれは.「慰労機関」なのか「遺漏機関」なのか意味不明だ.ww
別に早口ではないのだから,口をちゃんと開けてものを言え.国民は情けなくて全身から脱力するぞ.
ところで,世の中には素っ頓狂なことを言う者がたまにいて,その一つが,ハーバー・ビジネス・オンライン《いまだ飲み歩く人やノーマスクの人だけが断罪されるべきなのか。不合理な行動の背後にある「合理性」とは?》[掲載日 2021年1月27日 8:33] を書いた矢部史郎という男だ.(Wikipedia【矢部史郎】)
「泥棒にも三分の理」という諺がある.どんな悪事でも屁理屈を付けて正当化しようとする者がいるというほどの意味だ.
矢部という男は,アナーキストなのかテロリストなのかあるいは時代錯誤的に遅れてやってきた新左翼活動家なのか知らぬが,暴力的なテロも正当化が可能だ考えているらしい.どんな人物かはネットに資料があるので検索して頂きたい.
その矢部はまず,公然とマスク着用を拒否して「ノーマスクデモ」を大衆運動化しようとする者たちがいることを挙げて,彼らの行動は非科学的で異常ではあるが,彼らだけを断罪するのは「フェアでない」と主張する.彼らがマスク着用を拒否するのは,彼らにとって「合理的な行動」であるからだという.矢部は,どんな行動でも,非常識だろうがなんだろうが,屁理屈を付けることができれば非難するのは「フェアでない」というのだ.
矢部は,かつて法政大学の学生運動家が暴力行為に及んだとき,理屈が付けば暴力行為自体は構わないとした.
矢部の論理に従えば,外国でたまに発生する銃乱射大量殺戮テロ事件でも自爆テロでも,テロリストから犯行声明が為されれば正当だということのようだ.ま,私のような常識人にはチンプンカンプンな話だが,矢部は次の通りのことを寄稿文で述べている.
《感染予防対策のために手洗い・消毒を励行するということには、大きな反発はうまれていません。人びとの反発を招いているのは、外出や会食の制限です。不要不急の外出・会食は控えましょうと呼びかけられる。
象徴的な事例としてあげられたのが、東京・新宿の飲食店街のありようでした。客観的に見れば、未知のウイルスが市中感染を引き起こしている渦中で飲み歩くなど、まったくどうかしている、という話です。そんな遊びは不要だし不急であろうと考えられるのです。
しかし、飲み歩いている当事者にとっては、外で飲み歩く行為は不要でも不急でもなかったのです。少なくとも、政策決定者が考えるほど不要不急ではなかった。「夜の街」は、都市生活にとって欠かすことのできない重要な器官になっていたのです。
わたしについていえば、外出を控えて自宅に引きこもる生活は苦もないことです。もともと放射能汚染の問題を警戒して外食は控えてきましたし、50歳の身体で「夜の街」に出るのもだんだん億劫になってきています。わたしにとって、「夜の街」での会食は、不要不急です。
しかし世の中、そういうおっさんばかりではないのです。若者にとって、「夜の街」の制限は大問題です。たとえば20代後半ぐらいの、結婚を意識するようになった未婚の男女にとっては、不特定多数の人びとと出会う飲み会など、大変重要でしょう。コロナウイルスが収束するまで飲み会を我慢してくれと言っても、聞かないでしょう。感染が収束するころには30歳を越えていたなんてことになりかねません。これは当事者にとっては死活問題です。
若者に限定しなくても、「夜の街」を不可欠とする人々はいます。家族がいないとか、家族はあるが不仲であるとかいった事情があって、行きつけのバーに指定席をもっている人がいます。
都市生活者というのは定型的な家族構成ではない人びとを多く含んでいて、そうした人たちにとって、「夜の街」は単なる遊び場ではなく、暮らしそのものなのです。》(引用中の文字の着色強調は当ブログの筆者が行った)
つまり矢部は,政府や自治体からの「不要不急な行為を行わない」との要請に関し,何が不要不急であるかの判断に客観性とか健全な社会常識は適用できないと言う.ある人間が欲求の赴くままに,健全な常識では「不要不急」で異常な行動したとしても,本人にとって合理的な行為であれば不要でも不急でもなく正当な行為であるとする.
下世話なことを持ち出すが,昨年四月の緊急事態宣言の時に,当時立憲民主党の衆院議員であった高井崇志が,新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言中に東京新宿歌舞伎町の特殊性風俗店を訪れていたことが報道された.
同党は,世間の糾弾を浴びた高井が提出した離党届を受理せず,除籍処分とした.しかしこの不祥事は,矢部の論理に従えば,同党が高井を除籍処分したのは不当であることになる.なぜなら,高井にとって性欲処理は不要不急のことではなかったからである.
高井にとって性欲の処理は不要不急ではなく,我が国の命運よりも大切な重大事であったのだ.ならば,国民が衆院議員高井の行動を恥知らずであると非難するのは不当であることになる.
私なんかには,自分の人生を投げうってでも処理したい性欲というものがどうにも理解できないのだが,
余談だが,徳永委員の質問は追及がぬるい.せっかく菅が質問に対して《自民党としても幹事長の下でしっかりと対応したい》と答弁したのだから,二階幹事長に対応方針を説明させればよかったのである.そうすれば「高級クラブがどうなんてアホらしいね」と答える可能性があったのだ.
二階幹事長は例の高級ステーキ会食に関するメディアの報道を「アホらしい」と切って捨てた.従って与党幹部が銀座の高級クラブで酒を飲んだかどうかの追及も「アホらしい」はずだからである.
ちなみに自民党の松本国対委員長代理は高級クラブへ陳情を受けに行ったのであり,酒を飲みに行ったのではないと主張している.
酒は出たが,それはお茶代わりに出してくれたものだそうだ.それならそれで,お茶を欲しいと言えばよかったのだ.w
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