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2020年12月16日 (水)

帳面の思い出

 テレビのクイズ番組で,ジャポニカ学習帳の表紙写真が植物だけなのはなぜか?という出題があった.
 ジャポニカ学習帳は,歴史が浅い文房具で,Wikipedia【ショウワノート】に次の記載がある.
 
1970年(昭和45年)に小学館発行の『ジャポニカ百科事典』(後に休刊)とタイアップして中ページに学習百科を掲載し、ジャポニカ学習帳(学年・科目別で約20種類)として発売。発売当時の学習帳は1冊30円が主流だったが、ジャポニカ学習帳は他の学習帳より20円高い50円で発売され、表紙のロゴも金箔押し。プレミアム級の学習帳の先駆けとなった。
 当初は小学館の画家が表紙を描いていたが、1973年(昭和48年)より専属カメラマン山口進撮影による世界の珍しい動植物の写真が表紙に採用されている。1978年(昭和53年)に「世界特写シリーズ」が開始。その後、「昆虫の写真」に対して、保護者や教師から不快とのクレームが寄せられるようになり、昆虫が表紙になっているノートの生産数量を徐々に減らし、2012年から表紙は植物のみとなっている。すでに1993年の「マレー諸島編」で、蝶以外の虫は表紙で扱わなくなっていたという情報もある。4・5年に一度、表紙と学習百科が変更され、同じ品種は二度と採用しないという。ちなみにカメラマンの山口進は、花に女性の名前をつけて撮影しているという。裏表紙には、表紙写真の解説や、学習図鑑が掲載されている。なおショウワノートによれば、昆虫が使われなくなったのはクレームだけではなく見栄えのよい写真が枯渇したことも原因であるという。
 
 というわけで「消費者クレームによって昆虫の写真が葬られた」が正解だ.
 もちろん私たち高齢者はジャポニカ学習帳を使った経験がない.Wikipediaの解説によれば,ポスト団塊世代の子供たち辺りから広く使われるようになった.そしてその表紙から昆虫を完全に追放したのは,今の若い母親たちのようである.
 堤中納言物語にある説話の一つ「虫めづる姫君」に「人々の花蝶やとめづるこそ はかなくあやしけれ」とあるように,花と蝶は,美しいもの,カワイイものの代表だった.しかるに,アオムシやケムシどころか虫の中では例外的に愛された蝶の成虫ですら,いつしか嫌われる側に追いやられたのである.蝶は凋落した.蝶だけに.
 とはいうものの今でも,ひっそりと幼虫を愛でる姫君の系譜は絶えていないという.彼女らは「虫ガール」と呼ばれるのだそうだ.この言葉の始まりがいつ頃なのかは知らないが,今年春に出版された絵本の名になっている.(岩崎書店『虫ガール ほんとうにあったおはなし』)
 
 ところで私は小学校から高校に入った頃まで,ノートを使ったことがなかった.
 小学生の時は,父親が新聞折込のチラシを裏返して綴じてくれたものを使っていた.そういう事情だから,学校には教科書の他には音楽用の帳面 (五線譜が印刷されているもの) だけを持って行った.父親はチラシの裏に鉛筆で五線を引こうとしたようだが,うまく行かなかったのである.
 運のよいことに私は人並外れた記憶力と理解力を持った子供で,先生が板書したことは,漢字だろうが算数の式だろうが見ただけで覚えることができたから,それで間に合った.家が貧しかったおかげで記憶力が鍛えられたのだと言
えるかも知れない.
 中学になると,教科書すら開くことがなくなった.授業中は黒板をボケーっと眺めていた.何か書く必要があるときは,ワラ半紙を自分で綴じたものを使った.
 しかしさすがに高校はそういうわけにはいかない.数学用に大学ノートを一冊買って,教科書には載っていない複雑な公式や方程式をこれに書き留めた.高校三年で大学ノート一冊を使った.一冊しかないので,受験勉強には非常に便利だった.このノートを見れば,高校数学に必要なことは全部書いてあるからだ.他の科目は,ノートを使わず,教科書の余白に鉛筆でメモを書きこんで済ませた.
 
 私が高校の時に細々と書き込んだあの数学ノートはどこに行ったのだろう.思い出せない.
 大学の農学部に進んでからは,先生が講義で板書したことは細大漏らさずリーフ式のノートに書き記して紙ファイルに綴じた.これは,感銘を受けた講義のものを思い出に今も保存してある.いずれ棺桶に入れてもらうつもりだ.

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