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2020年11月 3日 (火)

時代劇はいいなあ /工事中

 舞台となる時代を過去にとった大衆文学は,大雑把にいうと時代小説と歴史小説ということになる.
 歴史小説は史実を扱うので,登場人物はその時代の感覚で物事を考え,その時代の言葉で話すことが,小説の構成上で絶対的な制約となる.
 これに対して時代小説は史実とかけ離れた物語であってもよいので,登場する武士が現代人と同じ感性をもって行動し,生きても全く問題ない.むしろそのほうが小説作品として優れたものであることが多い.
 文芸はそういうこととして,映像作品はどうか.時代小説を映像化したものが時代劇である.
 時代劇 (NHKテレビはこれを時代ドラマと呼んでいるが意味は同じだ) は元々,「新時代劇」と呼ばれた.この名称の由来については大人気のクイズ番組 (2019年11月15日放送のNHK《チコちゃんに叱られる!》) で出題されたので,知っている人はかなり多いだろう.
 明治時代の末期,日本の演劇には三つの潮流があった.旧劇,新派,新劇である.旧劇は歌舞伎を指し,ややこしいが,新派に対比するときは旧派または旧派劇ともいい,新劇に対比するときは旧劇といった.新派および新劇の詳しくは Wikipedia を参照いただきたい.
 演劇界の状況を映画界 (邦画) は反映していた.明治時代以前に題材を採り,興行目的に作られた最初の邦画は牧野省三(後のマキノ省三)が製作した『本能寺合戦』であるが,牧野はその後,歌舞伎を映画化して『菅原伝授手習鑑』『明烏夢の泡雪』『児島高徳誉の桜』『安達原三段目袖萩祭文の場』『桜田騒動血染雪』等を撮った.これらは旧劇映画と呼ばれ,歌舞伎に倣って,女性役に女優ではなく女形を採用した点に特色があった.
 演劇の新劇と同じく現代を舞台にした邦画は新劇映画と呼ばれたが,新劇映画は洋画の影響を受けてカメラワークやカット割りなど撮影手法が進化した.これに対して旧劇映画は,新劇映画との映画制作技術の差が著しく,時代遅れと批判されるようになった.
 このような時代に旧劇映画の革新を試みたのが松竹蒲田撮影所の所長であった野村芳亭監督と脚本家の伊藤大輔だった.二人は歌舞伎の伝統を引きずっていた女形でなく,女優を起用した.また活動弁士を採用せずに字幕を取り入れた作品を作った.
 私は牧野省三の作品を観ていないので,どのような映画であったかは想像するしかないが,たぶんものすごく退屈なものだったろう.
 歌舞伎をそのまま映画化することにどんな意味があったのだろうと,現代の私たちは不思議に思わざるを得ない.
 異論はあるかも知れないが,江戸時代に人々が観ていた歌舞伎は,江戸期の人々にとっては現代劇だったのだと一般に解説されている.眼前で演じられている歌舞伎の時代設定は室町時代でも,登場人物の性格付けは江戸時代の人間であったという意味だ.もしそうでなければ,歌舞伎が江戸期大衆の共感を得ることはなかっただろう.
 初期の牧野作品は興行的に失敗だったというが,それはそうだろう.歌舞伎を見たいなら,二次元スクリーン上の複製品を見るのではなく,芝居小屋で役者が演じる本物を観ればよいからである.
 このような状況下,映画人は
現代劇として近代の観衆の共感を

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