科学者の汚名
菅首相が日本学術会議の会員人事に不当な介入を行った直後,当の学術会議の梶田会長は「日本学術会議は政府から独立して学問をベースに発信していく組織であることを譲るべきではない」旨の発言を行い,任命を拒否された会員候補の再任命を求めたはずであった.
ところがその後,急速に梶田会長は腰砕けになり,それどころか菅首相と一緒になって学術会議の「改革」に乗り出す構えを見せている.
共同通信社《「菅首相は国民に向き合わず」 学術会議、大学教授ら抗議集会》[掲載日 2020年10月18日 20:06] から一部を下に引用する.
《日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命を拒否した菅義偉首相に対して、大学教授や野党議員は18日、東京のJR渋谷駅前で抗議集会を開いた。疑問に答えない政府答弁を「ご飯論法」と批判したことで知られる上西充子法政大教授は「菅首相は表に出て説明せず、国民に向き合っていない」と訴えた。》
我が国の科学の危機に際して,自然科学でノーベル賞を受けた学者たちが沈黙する中,前任の安倍晋三を上回る権力志向の徒である菅首相に反対して上西教授たちは立ち上がった.
人文科学における真の学者は,すなわち思想家である.彼の学問の基礎にあるのは金銭 (研究費) ではなく信念である.仮に菅首相の強権によって所属する大学を追われ (その可能性はある) たとしても,文筆で食っていける.従って思想家は,金のために,政治権力に自分の思想を売り渡すことは (あまり) ない.
ところが自然科学の学者は,いくら能力があっても,研究費がないと何もできない.金がなくても,権力に媚びずとも研究を行えるのは数学と理論物理学くらいなものであり,英国のバートランド・ラッセル,我が国では湯川秀樹博士が平和思想家的傾向を帯びたのは故無きことではない.
これに対して数学と理論物理学以外の分野の自然科学者は,研究費を得るためなら政権に迎合することを厭わない傾向がある.例えば先の戦争中に原子爆弾の開発をリードした仁科芳雄がいい例だ.
従って政治権力にとって自然科学者くらい操りやすいものはない.日本学術会議の不幸は,選ばれたばかりの新会長が,国家の援助なくしては不可能なビッグ・サイエンスの科学者だったことである.
梶田会長は,学術会議が軍事研究を容認する方向に動くのではないか.そして権力の走狗として汚名を残すのであろう.
ちなみに仁科芳雄は日本学術会議第一期の副会長であった.
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