目ン無い千鳥
今朝早く,テレビをオンにしたら歌番組をやっていて,大川栄策が「目ン無い千鳥」を歌っていた.大川栄策は私よりも一歳年上の団塊世代で今は七十一歳.昔はヒット曲を飛ばしたこともあったから,大抵の高齢者は名も彼の持ち歌の一つ二つ (例えば「目ン無い千鳥」と「さざんかの宿」) は知っているだろうが,そもそもが演歌歌手であるから,私より少し若い世代はもう大川栄策を知らないかも.
その大川栄策のデビュー曲は「目ン無い千鳥」だった.作詞はサトウハチロー,作曲は古賀政男である.サトウハチローは詩人であるが,多くの童謡の作詞者であるとともに,流行歌の作詞では「リンゴの唄」と「長崎の鐘」で知られる.また古賀政男は歌謡曲の大御所重鎮であったが.しかしいま還暦くらいの人たちは,お二人の名前は「聞いたことがある」程度であろう.
それはともかく,「目ン無い千鳥」という言葉の意味はそれほど知られてはいないと思われる.「目ン無い」の意味は「目の無い」そのまんまで,失明のこと,あるいは目隠しをしていることをいう.では「目ン無い千鳥」とは何か.
昭和十五年 (1940年) に映画『新妻鏡』がヒットした.主演は山田五十鈴である.
余談になるが主題歌「新妻鏡」(作詞:佐藤惣之助,作曲:古賀政男;歌唱は霧島昇と二葉あき子) が YouTube に掲載されていて,その背景動画に『新妻鏡』の断片映像が使われている.それならば元のフィルムはどこにあるのかと国立映画アーカイブの公式サイトで検索してみたが『新妻鏡』は出てこなかった.
しかしブログ《日本映画ブログ ― 日本映画と時代の大切な記憶のために》の筆者氏は『新妻鏡 総集編』を実際に鑑賞したようで,次のように書いている.
《この当時は総集篇を作ると元のネガを廃棄していたらしく、たぶん元の原版をみることは不可能な一本だろう》
実は昭和三十一年に池内淳子主演でリメイクされたのだが,これもフィルムの在処は不明である.
映画『新妻鏡』の粗筋は上に紹介したブログに譲り,話を「目ン無い千鳥」に戻す.
映画『新妻鏡』の主題歌は既に述べたように霧島昇と二葉あき子の「新妻鏡」であるが,挿入歌がもう一曲あり,それが「目ン無い千鳥」である.歌唱は霧島昇と松原操だ.
松原操は,昭和十三年 (1938年) の伝説的大ヒット邦画『愛染かつら』の主題歌「旅の夜風」を大流行させた歌手として知られる (新進歌手霧島昇とのデュエット).「旅の夜風」以後,霧島昇との共演が増えて親密となった松原操は霧島の子を身籠った.しかしそれでも浮名を流す霧島に結婚を迫り,昭和十四年に霧島と夫婦となった.つまり「目ン無い千鳥」は霧島昇夫妻のデュエットであった.
昔の邦画の主題歌 (挿入歌) は,制作当時の流行歌を取り入れたり,あるいは逆にヒット曲を題材にして映画が作られることもあったのだが,「目ン無い千鳥」は映画『新妻鏡』のストーリーに沿って作詞された.上に示した《日本映画ブログ ― 日本映画と時代の……》に書かれている粗筋によると,ヒロインは結婚を目前にして事故で失明した.「目ン無い千鳥」の歌詞冒頭に「目ン無い千鳥の高島田」はそのことを意味している.言わずもがな,この高島田は日本髪「島田髷」の中でも格の高い「文金高島田」のことで,花嫁の髪型である.
戦後に量産された演歌は,歌詞なんぞあって無きようなものだが,「目ン無い千鳥」の歌詞は『新妻鏡』の筋書きに沿っていたため,却って今では何のことやら意味がわからなくなってしまったのである.
『新妻鏡』の公開は昭和十五年だが,大川栄策によるカバーは昭和四十四年で,二十九年後である.こうなると歌っている大川栄策も,テレビの歌番組でこの歌を聞いている人も,古のメロドラマ『新妻鏡』を知らない世代だから,大川栄策がこの懐メロ曲のカバーでデビューできたのが不思議な気がする.
さてこれで「目ン無い」が失明であることはわかった.次に「千鳥」とは何のことだろう.
実は近松門左衛門の人形浄瑠璃『冥途の飛脚』にある「めんない千鳥 百千鳥 鳴くは梅川 川千鳥」が「目ン無い千鳥」の初出だと言われている.『冥途の飛脚』の粗筋は Wikipedia【冥途の飛脚】に譲るが,そこから少し引用する.
《忠兵衛も「身に罪あれば、覚悟の上殺さるるは是非もなし。御回向頼み奉る親の歎きが目にかかり、未来の障りこれ一つ、面を包んで下されお情なり」と泣きわめきながら訴え、梅川ともども大坂へと引かれてゆくのであった。》
上は,主人公の忠兵衛が遊女梅川との逃避行の末に捕らえられた場面である.忠兵衛は役人に「目隠しをしてくれ」と懇願し,大阪にしょっ引かれていくのであった.
目隠しをして目が見えない忠兵衛を近松は「めんない千鳥 百千鳥 鳴くは梅川 川千鳥」と描写したのであるが,関西では目隠しをする鬼ごっこを「めんない千鳥」と呼ぶことがあることから,「めんない千鳥 百千鳥」はそれに由来する表現だとの説を唱える人がいる.しかし鬼ごっこを「めんない千鳥」と呼んだのが先か,『冥途の飛脚』が先かの時代考証がなされていないので,この説は取るに足らない.むしろ逆かも知れないと思われる.
では近松は,目隠しした姿になぜ「千鳥」を充てたのか.ウェブを調べると,「千鳥」は複数の人に対する呼称の古語「どち」が語源であると述べる人がいるが,全く用例が引かれていないので,独自研究に留まっていると言わざるを得ない.それに,三人称単数である忠兵衛を複数を意味する「どち=千鳥」と呼ぶのは変だ.
私は,文芸の世界では千鳥は鳴くものとされていることに,近松の表現は基づいているという気がする.例えば,
淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば心もしのに古思ほゆ (万葉集)
しほの山さしでの磯にすむ千鳥 君が御代をば八千代とぞ鳴く (古今和歌集)
思ひかね 妹がり行けば冬の夜の 川風寒み千鳥鳴くなり (拾遺集)
淡路島 通ふ千鳥の鳴く声に 幾夜寝覚めぬ須磨の関守 (金葉和歌集)
近松は,捕らえられて泣く忠兵衛と梅川を,鳴く千鳥に喩えたように思う.ま,これも独自研究に過ぎないが.
結論として,映画『新妻鏡』の挿入歌「目ン無い千鳥」の意味の話に限れば,それは近松の『冥途の飛脚』に由来する,とだけわかればいいだろう.これを御存知ない向きのために書き記しておく.
しかしわかったところで,私の同世代がこの世を去れば,たぶん映画『新妻鏡』と歌謡曲「新妻鏡」「目ン無い千鳥」はすべてきれいに忘れ去られてしまう.映像芸術も音楽も,後世に長く残るものとそうでないものがある,ということである.
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