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2020年9月13日 (日)

お坊ちゃま

 菅官房長官という人物は,勉強が嫌で高卒で就職した.親は地元の名士で.裕福な家庭に育ったから,その年代の生まれなら普通の者なら当然進学したであろうに,それをしなかった.よほど勉強が嫌いだったのだろう.
 だが就職して東京で暮らしてみたら,高卒の下積み生活に一ヶ月で飽きた (AERA dot《菅新首相の亡き父が激白した知られざる過去「学生運動を見に行って連行され…」》[掲載日 2020年9月15日 8:00]).それで方向を変えて法政大学に進学した.
 そこまではいいのだが,後に政治家になってから,この経歴を「集団就職した」と詐称 (*註) した.苦労人というイメージで世に出る戦略である.嘘をつくことを恥とは思わぬ人間性の卑しさ丸出しだ.
 
(*註) 昨年春には菅自身の公式サイトに「集団就職した」との記載があったが,その後,週刊誌メディアがこの経歴についてほじくり始めた途端,この記述を削除した.現在は「家出同然に上京した」と書かれている.この削除前のいわゆる「魚拓」(《菅義偉公式HP「集団就職」が削除「家出同然で上京」と変更、嘘だったのか?》) を取っていた人が,ネットに公開している.天網恢恢疎にして漏らさず.
 
 というのが,幾人かのライターが菅官房長官について書いたものを読んで私が抱いた感想である.
 私は五人家族の家庭に育った.住居は公務員用に作られた四軒長屋で,六畳と三畳の二間に,台所 (飯を炊く釜戸と流しのあるスペース) がついたもので,貧困そのものだった.
 のちに映画や写真集で常磐や筑豊の炭住を見たが,それよりも貧しかった.
 なによりも悲しかったのは,勉強しようにも机がなかったことである.小学校時代はミカン箱の上に板を置いて机代わりにした.
 中学校時代は少しはうちの暮らし向きも楽になったので,幅四十五センチの折り畳み座卓 (こんな感じのもの) を買ってもらって,それで勉強した.白い紙のノートは高価だったから,わら半紙を買ってもらって,それをノートの代わりにした.
 それでも高校生時代は,どうやら我が家は貧困家庭から抜け出したので,問題集を買ってもらえるようにはなったのだが,家の狭さは相変わらずで,大学受験の勉強もその折り畳み座卓で勉強した.
 姉は県立女子高校でトップクラスの成績だったが,我が家は一人しか大学に進学させる経済力がなかったので,長男の私が進学した.弟は高卒で終わった.家が貧乏でなければ,姉はお茶の水女子大に楽々進学できる成績だったから,私だけが進学したことを,私はいまだに申し訳なく思っている.
 
 私はこういう生い立ちなので,家が裕福なのに勉強が嫌いという人間に強い偏見を持っている.お坊ちゃまが嫌いだ.ただのお坊ちゃまならまだしも,菅は「私は集団就職して東京に出た」という嘘つきなのである.
 菅次期総理大臣は,貧乏人の暮らしを見たこともない苦労知らずの典型的なお坊ちゃまだ.それはこの総裁選で掲げたスローガン「自助,共助,公助」に如実に表現されている.
 菅は,自助も共助も不可能になってから,初めて公助が行われるというのだ.同じお坊ちゃまである安倍総理大臣もここまで酷薄ではなかった.菅のように,国の福祉政策を後退させることを公然と主張した政治家は過去にいなかったのではないか.過去の保守党の重鎮たちは,それが口先だけであっても公助を国民に約束した.なんとなれば公助は日本国憲法の柱のひとつであるからだ.
 現代日本に稀有の論客雨宮処凛氏の《「自助・共助・公助」という呪い。まずは自己責任。そして共倒れするまで助け合え》は,菅義偉の実像を的確に指摘している.私はこれを読んで深く納得した.

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