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2020年8月

2020年8月29日 (土)

山パンの食パンも結構うまいぞ

 PR誌なんだろうけれど,WEBマガジンを自称するサイト“TABIZIN”に《高級食パン専門店「告白はママから♡」が吉祥寺にオープン!気になる食パンを実食ルポ》[掲載日 2020年8月28日 15:00] が載っている.
 
地元に愛されるベーカリーであるボンジュール・ボンが、ベーカリープロデューサーの岸本拓也氏にプロデュースを依頼した高級食パン専門店「告白はママから♡」を東京・吉祥寺に2020年8月29日(土)にオープン!岸本氏はユニークなネーミングの高級食パン専門店を次々とプロデュースし、話題となっています。吉祥寺という土地柄を意識したという店舗「告白はママから♡」も、大注目ですよ。
 
 もういい加減に下火になったと思っていたら,どっこい「高級食パン」の出店ブームは終わっていないようである.
 このブームの立役者である岸本拓也というかたは,創造性がないというか,同じネタで何度も儲けるのが好きなようで,ただもう目立てばいいという色の店構えも,商品のパンは全く無個性だが店名だけは独特の《ユニークなネーミングの高級食パン専門店》があちこちにできている.
 他人の商売の手口に文句をつけても仕方ないが,岸本氏が消費者に「高級」とアピールしているパンにはかなり文句がある.
 上に引用した記事中の画像で「しあわせの食パン」「恋するレーズン」を見て頂きたい.いずれも焼きあがった食パンの上面が激しく凹んでいる.これは昔気質の職人なら,出来損ないとしてゴミ箱に叩き込むレベルのパンだ.
 こういう低級食パンを「おいしい」と思う人には何を言っても無駄だが,このパンを作る職人の食パン焼成技術が低いことだけは消費者に知って欲しい.
 ま,世の中では詐欺レベルに高価 (高利益率) な食パンが売られているので,ぶっ魂消るほど高価ではない岸本氏プロデュースの食パンには,悪意はないのだろうと思う.

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2020年8月28日 (金)

昭和の大漫才師

 漫才協会名誉会長の内海桂子さんが亡くなった.享年九十七.
 いかにも浅草生まれの雰囲気を持つ女性であった.
 爆笑漫才ではなく,小気味よい話芸の漫才であった.好江さんとのコンビは私が少年時代には既に全盛期で,テレビの寄席番組を,昭和の大名人として押しも押されぬ多くの噺家たちと共に盛り上げた功労者であった.御冥福を祈る.

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2020年8月26日 (水)

ファミマの落日

 DIAMOND online《伊藤忠がファミマをTOB、止まらぬ「店舗崩壊」に不安の声》[掲載日 2020年8月26 6:00] の冒頭を引用する.筆者はフリーのジャーナリスト,赤石晋一郎氏である.
 
8月24日に応募が締め切られた、伊藤忠商事によるファミリーマートへのTOBが成立した。伊藤忠は総額5809億円を投じて1株2300円でファミマ株を買い付け、完全子会社化を実現することになる。ファミマは上場廃止となり、これまでも囁かれ続けてきた伊藤忠支配がより一層強化される見込みとなった。社内ではため息とともに将来を不安視する声が囁かれた。
 
 コンビニ御三家の一つ,ファミリーマートの前途が怪しい.身売りされる予感がする.
 拙宅に一番近いコンビニはファミマだ.歩いて一分.
 距離を測ったことはないが,ファミマからバス停一つ分の距離にローソンがあり,その次のバス停にセブンがある.
 ファミマは,組織改編により名称はファミリーマートのまま企業実態が変化してきた.業界では初代ファミマ,二代目ファミマ,三代目ファミマとか呼ぶようである.
 三代目ファミマ,つまり現在の株式会社ファミリーマート代表取締役社長は澤田貴司氏で,伊藤忠出身である.Wikipedia【澤田貴司】から略歴の最近の箇所を下に引用する.
 
2016年
  5月26日  (旧)ファミリーマート取締役専務執行役員。
  9月 1日   (旧) ファミリーマート代表取締役社長。
 2017年
  5月 1日  ユニー・ファミリーマートホールディングス副社長執行役員・
        事業統括本部CVS事業部長。

  5月23日  ユニー・ファミリーマートホールディングス取締役副社長執行役員・
        事業統括本部CVS事業部長。

 2018年
  3月 1日  ユニー・ファミリーマートホールディングス代表取締役副社長、
        副社長執行役員。

 2019年
  5月 1日  ユニー・ファミリーマートホールディングス代表取締役社長。
  9月 1日  ファミリーマート代表取締役社長 (現職)。
 
 澤田氏が伊藤忠の求めに応じて2016年9月にファミマの経営者に招聘された時は「プロ経営者」としてメディアとビジネス社会から注目を浴びた.
 村上龍がМCをしているテレビ東京《カンブリア宮殿》に澤田社長が招かれたのは翌年の11月放送の《王者セブンを追撃!ファミマ大改革の全貌》だった.いくら日経の冠番組とはいえ,もうヨイショ丸出しのタイトルであった.
 その日の放送は,ファミマのオリジナル食品「お母さん食堂」を取り上げて新商品開発の様子をVTRで紹介した.
 放送時点でまだその商品は未完成だったのだが,ファミマの開発担当者が,製造に協力する食品メーカー (食品業界では有名な中堅食品企業だ) の幹部技術者と商品のコンセプトを練り上げ,技術力の高いことで知られるその協力会社がレシピを完成して試作品も出来上がった.
 その試作品を担当社員は澤田社長に試食してもらったのだが,しかし澤田社長はあっさりと却下し,レシピの変更を抽象的な言い方で指示した.
 私はその時の澤田社長のダメ出しのやり方を見て「こりゃだめだ」と思った.
 この人は食品のレシピ開発について全くわかっていないことが明らかだった.たぶん味覚オンチだろう.
 思いがけぬ結果に,さぞかし担当者は困っただろう.なにしろ素人の味オンチが会社のトップになって,経営のことならともかく,新製品のレシピにまで口出し (理不尽なダメ出しを) するのである.レシピ開発に尽力してくれた協力会社の幹部のメンツは丸つぶれだった.
 担当社員はまことにお気の毒ではあるが,自分は優れた味覚の持ち主だと思い込んでいる社長に向かって「あなたは裸の王様だ」と言う勇気がないのなら,長いものに巻かれるのが会社員というもの (私は蛮勇があったので社長の機嫌を損ね,その後二十年にわたる単身赴任左遷に堪えねばならなかった w) だ.開発担当社員はなんとか澤田社長がOKを出すものを作って発売にこぎつけた.
 
《カンブリア宮殿》の放送から少し経ったある日,近所のファミマで「お母さん食堂」の件の新商品を見つけた.
 早速買って,食べてみた.
 だがそれは案の定,自分で料理できる者なら二度は買わないという味だった.澤田社長が味オンチであることの証であった.
 
 ネット上の評判でもリアルの評判でも,「セブンの○○はおいしい」「ローソンの△△はうまい」はよく聞くが,ファミマのオリジナル商品でそのようなものはないんじゃなかろうか.経済記事にも,澤田社長就任以来,「ファミマの一人負け」などと書かれるようになった.
 食品はおいしいことが売れる第一条件だが,味オンチがレシピを決定してるんだから「お母さん食堂」はひどいことになった.
 異常になったのは「お母さん食堂」だけではない.弁当やお握り,パンの棚に商品があまり補充されなくなった.
 レジ横には揚げ物の温蔵ケースがあるのだが,何も入っていないことが増えた.たぶん一日に二回くらいしか補充していないようで,空になっても放置している.
 それから,ファミマはコンビニのトップを切って「おでん」から撤退した.
 以前は豊富だった色々な食べものが棚から姿を消して,なぜか観光地土産のような漬物コーナーが新設された.そして同じ棚の幅で野菜・果実のコーナーができた.
 そのコーナーには乾燥しかかった長ネギ,カットした断面が褐変した白菜などが並べられるというシュールな光景が出現したが,中でも異様なのはバナナである.
 入荷した最初は皮が緑色がかっていたバナナだが,やがて黒点 (スイート・スポット;後述) がポツポツと現れて,棚に置かれた状態で完熟を迎えた.
 それでも誰も買わないものだから,皮の半分以上が黒く変色した.
 さらに数日後,黄色い皮の部分がなくなって,バナナの形をした黒いものが出現した.誰の目にも賞味期限切れで,たぶん皮の中はドロドロになっているのでは,と思われた.
 
 ここでバナナの思い出を少し.私が小学校の低学年の頃,年に一回か二回,遠足行事が行われた.日本の経済成長はまだ始まっておらず,人々は貧しかったから,生徒の「昼のお弁当」には貧富の差が露骨に表れていた.
 父親が下級公務員であった我が家では,母が麦飯のおむすびを作って持たせてくれたが,海苔は巻かれておらず,タクアンがおかずだった.海苔で巻かれていない麦飯のお握りは,ポロポロと崩れるからかなり食べにくいものだった.
 でも私の家は最底辺家庭ではなかった.クラスには手ぶらで遠足にくる子もいたのである.その子は,屋根がトタン板のバラックに住んでいた.普通の日は給食があるからいいが,運動会とか遠足の時は,お昼に食べるものがないのだった.そういう時に彼がお昼御飯をどうしたのか知らないが,たぶん担任の先生がなんとかしてくれていたのだろう.あ,それを思い出したら涙腺が決壊してしまった.
 その子は結局,夏休みに流行した赤痢だか疫痢だかで死んで,小学校を卒業できなかった.二学期の始まりの時に,先生がその子の机に花を飾った.
 クラスには農家の子弟が多かったが,その子たちのおむすびは海苔をたっぷり使ったもので,海苔のないところに白い御飯が顔を覗かせていた.そしておかずは茹で卵だった.当時は鶏卵は高級品で,家長か病人だけが口にすることができる食品だったのに,小学生が茹で卵をパクパク食べることに私は心底から驚いた.今にして思えば農家が鶏をたくさん飼うのは当然なのだが,長屋住まいの私のうちはリンゴ箱くらいの大きさの鶏小屋しかなかったので,二羽しか飼えなかったのである.
 やはり勤め人の隣家では,鶏卵二個を茶碗に割り入れて醤油を加えてからかき混ぜ,家族みんなで平等にスプーンで分配して飯にかけて食べていた.となりのうちのさっちゃんがそう言っていた.納豆もそうやって,匙で分けて食べるという.ほかの煮物なんかも家族に平等に分けるらしい.
 うちの母親は「お隣はケチだから」と言った.ケチとはちがうと思ったが,言わなかった.
 我が家では父親が毎朝,鶏卵の底に小さな穴を開け,そこから生卵を吸い込んで一個を食べた.残りの一個は母親が何かの料理に使ったので,子供の口に卵は入らなかった.
 私が卵かけ御飯を食べたのは我が家の飯が麦飯から白飯 (米四押し麦六→米六押し麦四→米八押し麦二→全部白米;飯を炊くのは私の仕事だったから覚えている) になってからである.だが今の上品でおいしい卵かけ御飯とは違って,卵一個でたくさん飯が食えるように,食い盛りになった私の卵かけ御飯には,醤油をたくさん入れた.その癖がいまでも抜けなくて,今は味噌汁は薄味を好むようになったが,納豆と卵はつい醤油をたくさん入れてしまう.そうだったそうだった,あるある,と同意してくれる人が多いといいのだが.
 さて昭和二十年の敗戦後,GHQは全国二百三十七万人の大地主から百九十三万町歩の農地を買収し,これを四百七十五万人の小作人に売り渡した.この数字から歴然としているが,なんのことはない,農地解放とは大地主を二倍に増やしただけなのであった.つまり,小作人と聞くと貧しいような印象を受けるが,実は都市に住む貴族や資産家階級から土地を買い受けるだけの資産を保有するブルジョアだったのである.そしてこの新興富裕階級は戦後の長きにわたって保守政党の基盤となったが,「農地解放」の恩恵に浴することができなかった貧農は,都市に流れ込んで勤労者階級を形成した.
「おまえは帝政ロシアか」とGHQと戦後日本に毒づきたいところだが,それはともかく話は食い物だ.
 気体のエチレンが果実の「色づき」「軟化」といった成熟に関与している植物ホルモンであることは二十世紀初めに知られたが,これは日本では輸入バナナの保蔵に応用された.
 バナナの輸入は明治期に始まり,太平洋戦争開戦の数年前まで日本が領土化した台湾から大量に輸入された.戦後は昭和三十年代に盛んに輸入されるようになったが,植物防疫法の規制があって,害虫に汚染されていない緑色の未熟のもののみが輸入を認められた.
 バナナの輸入港として台湾に近い門司港が主に使われたが,荷揚げされると保税倉庫に納められて植物防疫法により検査が行われる.検査が済むと,バナナは商社から問屋に売り渡され,問屋の倉庫に入る.ここで追熟加工が行われ,食べられる状態にされる.
 バナナの追熟は,今では温度・湿度・雰囲気 (炭酸ガス,エチレンの濃度) がよく制御された地上倉庫で行われるが,昔は追熟技術が未熟だったから,失敗もあった.
 戦前,そのような失敗品をテキ屋は縁日などで啖呵売をして捌いた.非正規ルートのバナナを売る啖呵売は「バナナの叩き売り」と呼ばれて庶民に親しまれた.上に記した門司港は,バナナ叩き売り発祥の地と称している.
 バナナの啖呵売は,車寅次郎がテキ屋を生業とした頃は既に大道芸と化していたが,その啖呵の例を下に掲げる.(Wikipedia【バナナの叩き売り】)
 
色は黒いが浅草のりは白いご飯の上に乗る。一皮むけば卵の白身。二百と言いたいところだが、今日は会社のボーナス日。百と九十、八十、七十、六十とは頂かないよ、五十、四十と三十とどうだ!
 
「色は黒いが」と口上にあるように,叩き売りのバナナは皮に黒いスイート・スポットが生じたものであることがわかる.今ではスイート・スポットが出た甘いものを好む人もいるが,昔は廃棄品扱いになったのである.
 正規の流通ルートで販売されたバナナは,昭和三十年代には高級な果実であった.ステイタスはパイナップルほどであったろうか.Wikipedia【バナナの叩き売り】に,戦前の台湾のバナナは《日本において庶民が気軽に購入できるようになった》とあるが,これは嘘である.庶民ではなく,もう少し豊かな中産階級とすべきであろう.戦後も,正規品ルートのバナナは高級品の地位を保ったのである.
 小学生低学年の頃の遠足の話に戻る.富裕な家の子たちは海苔を巻いたおむすびと茹で卵を弁当に持ってきたが,持ってきたものがもう一つあった.バナナである.
 弁当を食べ終わったお金持ちの家の子たちはリュックからバナナを取り出したが,あちこちにリュックをぶつけたものだから,バナナは黒く変色してしまっていた.庶民つまり貧しいうちの私たちがそれを見て「あれはなんだろう」と首を傾げたら,先生が,あれはバナナという果物だと教えてくれた.
 その日,帰宅して母親にバナナという黒い果物のことを話した.母は,バナナというもののことは知ってはいたが,食べたことも見たこともなかったから,私のうちでは,バナナは焼いて食べるものだという結論に達した.しばらく本当のことを知るまで,我が家では黒くなったバナナを「焼きバナナ」呼んでいた.ある年のこと,法事で帰省した折の食事会で姉に「焼きバナナ」を覚えているかと訊いたら,覚えていると言った.
 
 私はファミマの野菜・果実コーナーの前に立って,焼バナナを見ながら考えた.ファミマがそこまで干からびた野菜やバナナにこだわるのはどういう理由があるのだろうと.
 この記事の冒頭に引用した赤石晋一郎氏の解説を読んで,腑に落ちた.店頭のバナナが真っ黒になっても,レジ横の温蔵ショーケースが空になっても放置しているのは,社長方針だったのだ.
 
減速の最大要因の一つとされているのがファミマの「フードロス」対策だ。恵方巻の大量発注、大量廃棄などが消費者から問題視され注目されたフードロス問題。ファミマはいち早く対策に取り組み、「恵方巻やウナギ、クリスマスケーキなどの季節商品は完全予約にする」「鮮度向上による販売期限の延長」などの方針を打ち出した。同時に社内や加盟店に対して、本社・経営企画部が旗振り役となり澤田社長と一緒になって「廃棄ロス(フードロス)をなくせ!!」の大号令を現場に出したのだ
「この言葉を聞いて店舗側が、日々の通常商品まで商品発注においてリスクを取らないようになってしまったのです。結果、棚に商品がないという欠品状態が続出している。セブン、ローソンと比べても、ファミマだけ棚がスカスカなので恥ずかしい。一度、お店をスイッチしたお客様は、もう戻ってこない。近隣の競合コンビニにドンドン人が流れていっています。季節商品の過剰な無駄は確かに問題です。しかし本社が廃棄ロスを出すなという安易なメッセージを出してしまったことで、店舗が“販売機会のロス”が出ても良しとする空気を作ってしまった。こうした状況が一人負けを生み出している」(ファミマ社員)
 
「誰がこんなもの買うんだ」とツッ込みたくなる謎の漬物コーナーも本社・経営企画部の指示によるものかも知れない.
 無能な社長の仕事というのは,「あなたは裸の王様だ」と直言する社員を根こそぎにすることである.澤田社長もその例に漏れぬのかも知れない.
 私のことについて言えば,私を島流しにした社長はイエスマンばかりを幹部に取り立て,業績不振に陥った挙句,遂には会社を同業他社に売り渡した.伝統のある食品会社だったが,今はもうない.
 
 ファミリーマート一人負けの状況下,最近ではなんでもかんでも「お母さん食堂」化 (*註) している.昨日,豆腐と納豆のパッケージに「お母さん食堂」の冠がプリントされていることに気が付いた.これも何の意味があるのか全くわからない謎だ.上場廃止して誰にも文句を言わせぬようにしてから,澤田社長はコンビニ名を「お母さんマート」にするかも知れない.もはや,やけくそになっているような気がする.
 
(*註) 惣菜等の商品に「お母さん」と冠することの是非,つまり料理をするのは女性であるというファミマのメッセージに対して,かなりまともな批判がある.だが澤田社長にそんなことを説いても,何のことやら理解できないだろう.若いのにセンスが古すぎるのである.

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2020年8月24日 (月)

どっちが年上なんだか

 ジャニーズ事務所の山下智久が女子高校生と飲酒し,その夜のうちに淫行の疑いある行為に及んだスキャンダルに関して,ファッションモデルの池田美優さんと藤田ニコルさんが,面識のない人がいる飲み会には行かない,と言明した.
 お二人ともテレビでご活躍であるが,見た目よりもずっとしっかりした人柄であると以前から思っていた.
 同スキャンダルについては,煮え切らない態度のメディアやタレントが多いなか,御二人のきっぱりとした態度には感服した.
 これに対して評論家の三浦瑠璃のみが,山下の行為を積極的に支持した.(デイリースポーツ《三浦瑠麗氏 山下と亀梨の未成年女性との飲酒処分に「生きづらい世の中になるのが嫌」》[掲載日 2020年8月18日 17:00])
 
三浦氏はこの日朝、フジテレビ系「とくダネ」(月~金曜前8・00)に出演し、「ジャニーズ事務所に限らず、新しいガールフレンドに会うのは禁止、新しい出会いは禁止、今まで付き合ってた人としか会ってはいけませんとなるんですか。ちょっとバカらしくてお話にならない」などとコメントしていた。
 
 言うまでもなく今回の山下のスキャンダルが大々的に報道されたのは,山下とその女子高校生が「新しい出会い」w をしたからではない.
 下半身のユルイ男の性行為を,こぎれいな言葉に言い換えるな.w
 ま,問題点のすり替えは三浦の得意技だが.
 つまるところ三浦は池田美優さんと藤田ニコルさんに対して,エラソーに「あなたたちはちょっとバカらしくてお話にならない」と言ったわけだ.
 七十年生きてきた老人の私からすると,年甲斐のないのは三浦だ.どういう遊び方をしてきたんだ,この女は.母親だけど.


 


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2020年8月23日 (日)

旅館の陳腐な夕食

 スポーツニッポン《藤井2冠絶賛の勝負メシ「海鮮丼」に問い合わせ殺到 コロナ禍で苦しむホテル「感謝」》[掲載日 2020年8月23日 5:40] の冒頭写真は,第61期王位戦第1局 (8/1) で藤井棋聖 (当時) が昼食に摂ったホテルアークリッシュ豊橋 (対局会場) の「三河鮮魚の海鮮丼」だ.
 撮ったカメラマンの腕もいいのだろうが,藤井二冠が褒めたように実際うまいのだろう.
 
 群馬県の万座温泉にある旅館を巡って,田端信太郎と「よりかね けいいち」の二人がデマと誹謗を行ったことがネット上の話題となった.
 元々がデマのツイートであったために,これを受けてさらに流言飛語が再生産される騒ぎとなった.
 少し時間が経ってから,冷静に事実経過をまとめた記事には徳力基彦氏の《廃棄前提おじさん騒動で考える、巻き込み炎上の唯一の対処法》がある.
 で,それはそれとして,彼らにディスられた旅館の食事の写真を見ると,座卓いっぱいに全献立が並べられた昔風の「旅館の夕食」そのままである.
「よりかね」に対する一般人の反論の中に,旅館を擁護して「豪華な食事」と表現したものがあったのが気になった.私には全然,豪華な食事には見えないのである.政府がメディアの批判をものともせず,国民の神経を逆なでしてまで強行したキャンペーンを受けた「おもてなし」としては,まるで陳腐である.昭和の「御馳走」だ.この旅館は,観光客がリピーターになりたいと思うような「もてなし」について,コロナ禍の苦境から何も学ばなかったらしい.「よりかね」の肩を持つ気はないが,もうすこし工夫があってもよいのではないか.
 草津温泉からさらに山中に入った土地の旅館なのに,ありきたりな海の魚の刺身が登場するのはいかがなものか.万座は山を越えれば越後だ.他の土地の者には馴染みの薄い越後の魚介を出そうという発想はなかったのか.(首都圏からは,長岡市寺泊へ魚介を買い求めるツアーが有名であるほどなのだ)
 群馬県は近年まで牛肉を食べる食習慣のなかった土地である.県当局は群馬の肉牛を銘柄牛だと言い張っているが,嘘である.群馬県人の私が言うのだ.上州牛は新参者だ.そんなものより土地伝統の食材を採用した他の献立は考えつかなかったのか.赤城山麓朝採れのトウモロコシを焼いたものなんか肉よりうまくて感動ものだが,山の幸なら隣国の信州にもうまいものは数知れぬほどある.
 万座温泉にやってくる観光客は別に群馬県のファンであるわけではない.だから万座温泉は,群馬県吾妻郡という土地にこだわらず,地元の上州,隣国の越後や信州各地の,安くて珍しくてうまいもの,あるいは温泉旅館の食事には絶対に出ない地方色豊かな家庭料理や漬物などをを食卓上に満載したら客はきっと喜ぶ.万座温泉の件の旅館の料理人たちは,宴会料理を出しとけばいいのだという固定観念に囚われていると思う.このところの一連の報道の中で「シニア世代にとっては『量も御馳走だと思いますよ』とメディアの取材に答えた温泉旅館関係者がいた.こうまであからさまに高齢者が馬鹿にされると,私は苦笑するしかない.
 問題の旅館の貧相な宴会料理の写真を見ると,皿ばっかり大きくて貧相なサラダがある.これはシニア世代を馬鹿にする彼らの高慢の証左だ.
 またメディアやブログの記事に,この旅館の夕食を「フルコース」と書いたものがあるが,これは宴会料理だ.コースじゃない.コースを知らない連中に「シニア世代にとっては量も御馳走」と言われたくないなあ.
 
 私は旅するに際して日本旅館に宿泊することを好まない.ホテルと違って,繁忙期の日本旅館は一人客を断る.儲からないからだ.
 ホテルの場合は,予約した部屋よりも良い部屋が当日になって空いたら追加料金なしでアップグレードしてくれるのはよくあることだ.こういうサービスを受けると誰でもうれしい.その目的地を再訪した折には,またそこに泊まろうと思う.
 だが温泉旅館は違う.私は,あとから入った他の客の予約のために部屋をダウングレードされたことがある.不愉快だった.
 この例のように,彼らが一人旅の客を客と思わぬ傲慢さが,私は嫌いだ.また食事でいえば,献立を客の都合も聞かずに卓に全部広げてしまう部屋食の無神経さも嫌いだ.
 日本旅館のレストランは狭いから,どうしても部屋食になってしまう.すると時間制限があって,まだ酒を飲んでいるのに布団を敷きにくるのだよ,日本旅館は.
 
 十年も前の昔,私の今は老いた愛犬がまだ子犬だった頃,富士五湖エリアにある森の中のペンションへ連れていったことがある.
 訊けばそのペンションのオーナーは,開業するに際してイタリアンの修行をしたのだそうだ.
 その日の夕食,最初にテーブルに届けられたのは,力強い味の地場野菜のバーニャカウダだった.街なかのレストランのような小洒落た趣向はない大皿盛りで,これがうまかった.今でも覚えているが,それは万座の某温泉旅館の情けないサラダとは一線を画する野菜の食べ方であった.
 野菜がそういうことだったから,もちろん前菜のパスタもメインの肉料理もうまかった.
 そしてフレンドリーなペンション・オーナーは,その日が誕生日だった私の子犬のために,マシュド・ポテトで犬をかたどったケーキを作り,三本のローソクを立ててくれた.そのケーキと愛犬が並んで写っている写真は,陋屋の玄関に今も飾ってある.ホスピタリティって,こういうことなんだなと私には思われた.その夕食時の写真を見ると,あれから何度も行った富士五湖の森のペンションと食事を思い出す.
 
 星野リゾートの星野佳路氏が最近,マイクロツーリズム (星野氏の造語らしい) を強く主張している.これは日本の観光業再建に関する重要なコンセプトだという.Wikipedia【マイクロツーリズム】に次の記述がある.
 
マイクロツーリズムとは、自宅から1時間から2時間圏内の地元または近隣への宿泊観光や日帰り観光を指す。マイクロツーリズム商圏内の人口規模が小さい地域もあるが、リピート利用の潜在性は高く市場規模が小さいとは限らない。繰り返し利用してもらう仕組みを持つことで持続可能で安定したマーケットになる。
 
 上に書かれている《リピート利用の潜在性》は,宿泊施設側のホスピタリティと深い関係がある.あちこちの温泉旅館がコロナ禍で窮地に陥ったのは,ホスピタリティの低さがもたらしたものだ.温泉マニアのことは知らぬが,普通の人にとって温泉旅館なんてのは感染リスクを冒してまで行くほどの魅力はないのである.
 テレビに何度も出演して星野氏はマイクロツーリズムを力説しているが,観光業界へマイクロツーリズムを提案するだけでなく,リピーターを生み出すホスピタリティとはどのようなものであるかという面も詳しく語って欲しいと思う.
 
 盆の送り火の如く固形アルコール燃料でチロチロと煮た侘しい肉とか,群馬山中の解凍刺身とか,冷えた天ぷらとか,そんなものではなく,ホテルアークリッシュ豊橋が藤井二冠に提供した海鮮丼のように,一皿でいいから板長渾身の一品を出したらどうだ,と温泉旅館に言いたい.国民の税金で行われるキャンペーンを漫然と享受するのではなく,温泉地などの観光業界は少しは生き残る努力をしたらどうなんだ.万座温泉の某旅館の食事を擁護する意見を読んで,私はそう思った.

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2020年8月21日 (金)

家事をヤロウ

 家事といっても料理のことである.その点で,バカリズムやカズレーザーや中丸君と意見は一致している.
 私の性格の場合,一番めんどくさいのが掃除である.というのは,私はモノに囲まれているのが幸せなのである.必然的に,身の回りはモノだらけで,非常に掃除しにくいことになっている.
 次は洗濯だが,これは洗濯機が勝手にやってくれるので,家事のうちに入らぬ.各種のゴミを集積所まで持っていくのも,必ずいかねばならぬのは週に二回の不燃ゴミ (廃プラ) と可燃ゴミ (生ゴミなど) の日だけで,これはそれほどいやでもない.散歩にもなる.
 掃除よりも料理はずっと好きであり「好きこそものの上手なれ」の結果,そこら辺のスーパー惣菜程度のものは作れる.

 さて都市部の居酒屋や飯屋に閑古鳥が鳴いているというが,コロナ禍のせいで「おうちごはん」が流行し,みんなが自分で好きなものを作って食うことに覚醒したのであろうと私は思う.
 料理というものは,馴れだ.なんの才能もないニイチャンが修行することもなく,業務用食材を混ぜたり加熱したりしてデッチあげた「料理」なんぞ,一度食えば私たちはすぐに自分で同じものを作れるようになる.
 さらに言えば,昔から継ぎ足し継ぎ足してきた名店の秘伝のタレなんてのは,都市伝説だ.そんな秘伝のタレなんぞすぐに新陳代謝してしまうインチキであることは高校数学程度の知識でわかってしまう.嘘にだまされず,テレビの人気番組《家事ヤロウ》を毎週観て,自分の食うものは自分で作ろう.それが一番安全で安心だ.食べ歩きの「まいうー」や「宝石箱やー」より,料理初心者バカリズムが自分で作って食う「うまいよーうまいよー」の方が役に立つ.
 
 ところで先日の《家事ヤロウ》で,ホットサンドメーカーを使って「焼きおにぎらず」を作っていた.一般人の考案である.
 焼おにぎりは,きちんと昔風に自作すると,表面が香ばしくパリッと醤油味に焼けて,中は白いほかほかの飯であり,非常においしいものだが,作り方は少々めんどくさい.しかし市販の冷凍食品は「なんじゃこれは」という程度のものしか世に出ていない.製造工程の都合で,要するに醤油味の炊き込み飯を型に入れて加熱しただけであるから,フニャフニャしているし焦げた醤油の香りもなく,明らかにまずい.
 だが,ホットサンドメーカーを使えば,好みの香ばしさに焼き上げることができるし,にぎる手間は要らなくて簡単だ.
 誰が考案したのか知らぬが,この放送を見て私はアッと驚いた.この工夫には全く気が付かなかった.
 ただし放送で作った「焼きおにぎらず」は冷凍食品の焼きおにぎりに近いものだったが,刷毛で醤油を塗りながら焼く正しい昔風の焼きおにぎりも必ずできるはず.
 
 この番組の影響力は侮りがたい.「おうちごはん」流行のおかげで,そこら辺の低レベルの飯屋は,閑古鳥が鳴いても仕方あるまいと思わせるほどだ.
 好きこそものの上手なれ.一般人がすごくうまいものを作ってネットに発表する時代になったのだ.みんながそこそこ料理をできるようになり,自分の食べたいものを自分で作って食べる時代が来る.そうなったら,繁華街のビルに入って家賃をン百万も払っているから客単価を高く設定せざるを得ず,しかしコストダウンのために業務用食材を多用するせいで,料理好きな一般人が作る家庭料理以下のものしか出せぬ店は,どんどん淘汰されればいいのである.自治体はそんな店に二十万円程度の営業自粛補償金なんか出す必要はない.そういう店は潰れても一向に構わぬ.
 今の日本に必要なのは,消費システムではない.生産人口だ.テレビの報道によれば,東南アジアからの技能研修性が来日できなくなったせいで,各地で野菜や果実の収穫がままならなくなっている.つまり,ただでさえ食料自給率が低い我が国であるのに,国内の農業従事者が必要なだけ存在しないのだ.日本がこの問題を解決するためには,このコロナ禍を機に,食糧消費に偏った社会の状態から,食糧・食料を生産する産業へ,政策的に労働人口を移動する必要がある.それが高齢社会日本の食料自給率向上と国際社会における自立につながる.我が国は戦後,農村から都市へ労働人口を大移動させ,これによってその後の経済成長の基礎とした.六十年経って,その逆のことが必要な時代がきた.
 首都圏や関西圏,あるいは北海道,九州などの都市部では飲食店が異様に多い.
 私がまだ若かった昭和四十年代,日本の外食産業は黎明期 (日本最初のファミレス「すかいらーく」とフライド・チキンのKFCの開業は共に昭和四十五年で,この年は外食元年と呼ばれた) だった.従って日本人の食生活は基本的に家庭内食 (内食) だった.
 やがてファミレスとファスト・フードは日本に定着して外食は日常的なものとなった.
 次いで昭和五十年代にコンビニが登場すると,コンビニやスーパーの食品を買って家で食べる中食が外食を圧迫し,外食産業は競争激化により不振業種となった.
 外食産業の現在は水膨れである.店頭に「このままでは潰れてしまうから来店してください」旨の社長メッセージを貼りだすような いきなり ステーキ店がほんとに私たちに必要なのか.なくてもいい店だから客が来ないのではないのか.
 この種の本来は存在価値のない飲食店が,流行を作り出すことで繁華街に蔓延していることすらある.例えば,小さな商店街に三つも四つもタピオカ・ドリンクの店がほんとに必要だろうか?
 このコロナ禍は,私たちの生活に必要なものと本当は不必要なものを明らかにした.このまでは日本はジリ貧だ.消費から生産へ,労働人口を,我が国にとってあってもなくてもいい不必要な分野から,絶対に必要な分野へ移動する断捨離が必要なんだろうと私は思う.ホストやキャバ嬢を農村へ
 このコロナ禍下の政策としては,飲食サービス分野では,我々一般人にはとても作れぬものを提供する店だけに,行政は一千万でも二千万でも長期返済の無利子貸し付けをしてくれればいいのである.あるいは気さくな夫婦が二人でつましく商売している小さな食堂に手を差し伸べて欲しい.売り物の味ではなく値段が高いがゆえに客が列をなすバブリーな店は,この際だから外食マーケットから撤退させるべきである.
 一方で,残るべき価値のある飲食店を消費者は見捨てない.日本に定着するかどうかよくわからないと私は思っていたフード・デリバリー・サービスが,若い世代の消費者に強く支持されたのである.
 それまで,鮨とかピザなどの狭い範囲に限定されていた「出前」を,この新しいサービスは一気に拡大した.確かにかなり割高にはなるが,食事に費やされる「時間」をコストに織り込むなら充分に元が取れると若い人たちは言う.その通りだろう.高齢者でも,コロナ感染リスクを避けたい人たちはこのサービスに魅力を感じるに違いない.そして内食→外食→中食へと変化してきた戦後七十五年の日本の食シーンを,コロナ禍は「自分で料理する」と「新しい出前」に再編成するかも知れないと思う.
 
 全くの余談だが,少し前に藤沢駅ビルに入っているスーパーのクイーンズ伊勢丹でマカロニ・サラダを買った.掌に載るほどの小さなパック入りで,七百円以上もする.とんかつ和光のロースカツ弁当よりも高い.この値段からすると,どんなに旨いものだろうかと期待したのだ.
 しかしすぐに,私は値段に騙されるお人よしであることが判明した.帰宅して晩酌の肴にしたら,異常に塩っぱい.とても食えたものではなかったのである.
 驚いて子細に点検したところ,キュウリの小口薄切りを塩もみしたあと,全く水気を絞らずに加えたものだと判明した.
 つまりこのマカロニ・サラダを製造した小田原の田中屋本店は,料理にズブの素人である作業員が作った商品を,味見せずに出荷しているのだ.まことにふざけた話である.田中屋本店の惣菜は,家庭料理以下だ.こういう業者は惣菜マーケットから退却すべきだ.
 私たち高齢者はあと十年も生きればオンの字だ.山田風太郎は晩年に『あと千回の晩飯』を書いた.風太郎のように私たちも毎度の食事を大切にしよう.こんなもの (↓) にお金をだすなら自作しよう.
「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と絡んだ根性曲がりジジイのことは別として,ポテトやマカロニのサラダは,そんな難しくないぞと若いママさんたちに言いたい.田中屋に騙された私は声を大にして言う.高い値段を付けて消費者をだます田中屋本店の例もあるからサラダは自分で作ろう.自戒を込めてそう書く.
 
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2020年8月20日 (木)

袋入り麺の今昔

citrus《最強袋麺ランキングで圧倒的1位を獲得した『サッポロ一番』…だが、そもそも選択肢10商品のチョイスがおかしくないか?》[掲載日 2020/08/20 19:00] に,袋入り即席麺の人気投票結果が載っている.

1位:サッポロ一番(2279票)
  2位:うまかっちゃん(1020票)
  3位:チキンラーメン(574票)
  4位:マルちゃん正麺(430票)
  5位:明星チャルメラ(344票)
  6位:出前一丁(334票)
  7位:ラ王(246票)
  8位:昔ながらの中華そば(168票)
  9位:日清のラーメン屋さん(70票)
 10位:評判屋(20票)
 その他(287票)

 この結果に,ライターの山田ゴメスが異論を唱えているのたが,その異論が意味不明だ.
 
で、「今回は10商品を『ねとらぼ』サイドがピックアップ」した……とのことだが、隠れ袋麺マニアの私としては、この「10商品のチョイス」に少々の異論を唱えたい。
 まず、『サッポロ一番』が2位とダブルスコアの差を付けての圧勝というかたちになったが、『サッポロ一番』の「みそ」「塩」「しょうゆ」は、もはや別モノ! この3つだけで「一番どれが好きか?」なんて論争が起きるほどに、どの味も独立的で強烈な個性を放っているのだから、これらは『サッポロ一番みそラーメン』『サッポロ一番塩らーめん』『サッポロ一番しょうゆ味』に分割すべきではなかったのか? そりゃあ、3つまとめちゃったら、毎日行列ができる人気ラーメン屋の珠玉の一品でもかないっこないですよ!!
 
 そんなことをいうなら,他の袋入り麺もそれぞれシリーズ展開 (ただし「昔ながらの」はこの文言部分が冠で,この下に「中華そば」「みそラーメン」が続く) しているのだから,サッポロ一番だけスープ毎に分割せよという主張はむちゃくちゃだ.マーケティング的に意味あるアンケートでもなんでもないのだから,ああそうですか,と言っていればいいのである.
 山田ゴメスは「サッポロ一番」がぶっ千切りの人気であったことに文句をつけているが,高校生の時以来袋入り即席麺を食い続けてきた私から見て,「しょうゆ味」「みそラーメン」「塩ラーメン」に分けてもぶっ千切りであることは変わらぬと思う.
 袋入り即席麺御三家 (の冠) は「サッポロ一番」「出前一丁」「明星チャルメラ」であるが,このうち麺の質が昔と全く変わってしまっているのが何を隠しましょう「サッポロ一番」なのである.
 これに対して「出前一丁」「明星チャルメラ」の二つは昭和のノスタルジックな麺質を維持している.
 商品特性を変えるか,変えぬか.
 袋入り即席麺はマイナー商品である.市場規模は小さい.そういうもののために,商品開発に必要な経営資源を投入するかどうかは考えどころだ.だからこれはいいか悪いかではなく,企業方針だと思われる.
 昔は,「出前一丁」「明星チャルメラ」と比較すると「サッポロ一番」は鍋から丼に移しているあいだにもノビてしまった.明らかに技術力は低かった.
 それが今や,前二者よりもずっとノビにくくなっている.
 ロングラン商品でも時代によって特性を変える.それが消費者に支持されているのだろう.今のところ「サッポロ一番」が一番人気なのは当然だと思われる.





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2020年8月19日 (水)

虹のステッカーなんて嘘ばっかり

 NEWSポストセブン《小池都知事肝いり「安心の虹のステッカー」は信用できるのか》[掲載日 2020年8月19日 7:05] から一部引用.
  
なんら対策を取っていなくとも、むしろ現場のことをほぼ何も把握していない人であっても、簡単にステッカーの申請、掲示ができてしまうという、正直、穴しかない施策に見えるとしか言いようがない。さらに呆れる実態が聞こえてきた。
「知り合いのバーにも同じステッカーが貼ってありましたが、店の名前の部分が手書きでした。ホンモノは店名がしっかり印刷されているはずですからおかしいなと。聞くと、店名部分が空白のステッカーをカラーコピーしたものが配られたとかで、各々の店の名前を書いて店頭に張り出しているそうです」(原田さん) 都の職員による見回りもあり、事によっては休業要請に対する協力金の支払いにも影響してくる、ともされているが、このように「やりたい放題」なのが現状のようだ。
 
「感染防止対策」とひと口に言うが,飲食店でソーシャル・ディスタンスをとっていたら小さなラーメン屋なんかは客二人で満席だ.まずこのソーシャル・ディスタンスの点で合格の飲食店がどれくらいあるか.
 ホテルなどの大きなレストランで,四人掛けテーブルが間隔を置いてフロアに配置され,各テーブルに客が二人ずつ,という店くらいしか「対策しています」とは言えないだろう.
 店員はマスクが不経済だということもあるのか,最近ではマウスシールドを着用して澄ましている店が多い.このシールドは,ラーメン屋でカウンターの中のおっさんが「へいっおまち!とドンブリをこちらに差し出すときに唾が入らぬようにする程度の効果しかない.それが証拠に,衛生第一を旨とするすべての食品工場では,こんなインチキなシールドを従業員はしていない.長年にわたり食品工場の衛生指導をしてきた私が断言する.
 きちんと感染防止対策を取れるのは,フロアがゆったりした高級店だけである.それなのに東京都は,「安心の虹のステッカー」を,そこら辺の飲食店にバラ撒いて,都民をだましている.
 店内の換気はどうか.都庁にも建築基準法や労働安全衛生法の専門家はいるだろうが,おそらく飲食店を指導できるエキスパートは都庁に数人しかいないのではあるまいか.
 消毒はどうか.これは都内各保健所に数人ずつしかいない.しかもルーティンの業務があるから,都内の飲食店にアルコール消毒の実技を指導をするなんて不可能である.
 こうして,

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欺瞞の省庁

 FNNプライムオンライン《東京都 現在は「重症者」として集計せず ECMO使わないICU患者》[掲載日 2020年8月19日 0:12] に重大な報道があった.短いので全文引用する.
 
東京都の重症者は31人だったが、以前は人工呼吸器や人工肺(ECMO)をつけないICU(集中治療室)の患者も重症者に集計していたが、現在は集計していないことがわかった。
 都内の重症者は、4月下旬に最多の105人になったときは人工呼吸器の使用者、人工肺(ECMO)の使用者、ICU(集中治療室)の患者を重症者として集計していた。
 18日の都内の重症者は31人だが、現在は、人工呼吸器やECMOを使用していないICUの患者は重症者に集計していないことがわかった。
 都の担当者は、「現場の意見を聞きながらこういう定義にさせてもらっている」と話している。
 一方、重症者が東京都より多い65人となっている大阪府は、ICUの患者も集計に含んでいる。
 
 東京都と大阪府で重傷者の定義が異なっている.これは政府厚労省の重傷者数の発表が嘘であることを示している.
 言うまでもなく,厚労省は承知である.しかし厚労相は無能だから知らないかも知れない.
 厚労省はこれまでにも数々の統計捏造をやってきた.そこに新たに,諸外国からの日本に対する信用を失わせる事実が判明した.何度こういう嘘捏造を繰り返せば気が済むのか.
 またメディアは,この重大ニュースをなぜこんなに軽く扱うのか.許しがたい.

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2020年8月16日 (日)

想像でデッチあげを書くメディア

 マネーポストWEB《レジ袋有料化のスーパーで「無料ポリ袋ぐるぐるマン」の目撃談急増》[掲載日 2020年8月12日 16:00] から以下に引用.

レジ袋が7月から有料化された影響で、スーパーで会計後に袋詰めするための作業台に設置されている無料のポリ袋をこれまでよりも余分に持ち帰る人が増えているという。
 
 スーパーでは,レジの外にある作業台に無料のポリ袋 (ロール式) とセロテープが置かれているのは周知のこと.
 そしてこの無料ポリ袋を,トイレットペーパーのようにしてクルクルと巻き取って持ち帰る御婦人の姿も日常風景だ.
 この袋を何に使うかと言うと,これを小さなポリ袋専用ホルダー (山崎実業 ポリ袋エコホルダー タワー) にセットし,キッチンのシンク横に置いて生ゴミ入れにするのである.
 ただしどこの一般家庭にもあるであろうこのキッチンツールは,販売元の山崎実業はスーパーの無料ポリ袋を使用してくださいと言っているわけではない.これまたどこでも入手できる汎用ポリ袋 (200mm × 300mmくらいのもの) が使えるのだが,スーパーの無料ポリ袋が絶妙にフィットするので,昔から,レジ外の作業台でこの袋をクルクルと巻き取って持ち帰る人はいたのである.
 で,そういう女性 (男にそういう生活の知恵はない) が,レジ袋有料化されたために増えたという情報のソースはどこにあるのか.たぶん上の記事の記者が想像しただけである.
 なぜかというと,レジ袋と,件の無料ポリ袋は全く用途が異なる別物だからである.
 レジ袋はゴミ袋として使えるが,その無料ポリ袋の使い途はキッチンの生ゴミを入れることである.これは薄くて破れやすいので,ゴミ一般には非常に使いにくい.一般の可燃ゴミをこの無料ポリ袋に入れて,ゴミ回収場所に出してはいけない.ゴミ回収指定場所が汚れる原因になる.これは常識だ.
 だからレジ袋有料化の影響で,それよりずっと薄くて破れやすくサイズが小さい無料ポリ袋を,余分に持ち帰る オバ 女性 (同前) が増えるわけがないのである.毎日キッチンで生じる生ゴミを,まずスーパーの無料ポリ袋に入れ,匂いが出ぬよう袋の口を閉じてためておき,これをゴミ回収の日に,レジ袋か自治体指定の袋に入れて回収にだすのが普通の オバ 女性のやりかたである.従って,
 
「レジ袋は、絶対に買いたくありません。普段はマイバッグを持参していますが、困るのはゴミ袋です。これまで、レジ袋をゴミ袋として活用していたので……。レジ袋を買わないのにゴミ袋を買うのも釈然としないので、今は、袋詰めカウンターに置いてある無料のポリ袋をゴミ袋にしています。一度に入るゴミの量は少なくなりますが、臭い対策のためにも袋の口はこまめに閉じたほうがいいし、もう慣れました」(Aさん)
 
は記者の捏造である.この生活感のない無知野郎は,スーパーの無料ポリ袋がどんなものか,大きさも厚みも知らないから,あたかもこれまで無料だったレジ袋に代替できるかのように書いてしまったのだ.
 前にも例をあげたが,大出版社である小学館が発行しているマネーポストWEBは,デッチあげ記事を平気で載せる.悪質というより,バカでも嘘吐きでもネット記事は書けるということを示している.
 

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2020年8月15日 (土)

楽観に過ぎはしないか

 小池都知事は記者会見で何度も「今年の夏は例年と違う特別な夏でございます.都民の皆様方には引き続き旅行,帰省,夜間の会食,遠くへの外出をお控えいただきたい」と述べてきた.その映像はテレビの報道で繰り返し放送された.
 だがこれは問題であると私は考える.都知事の言葉は,来年の夏 (2021年の夏) は例年と同じ夏 (2019年以前の夏) であると言っているに等しい.しかしつい最近,WHOが,新型コロナウイルス感染症には,特効薬もワクチンも望み薄であると言明したのは周知のことだ.
 新型コロナウイルスについてはワクチンの開発が有効でないことは,本庶佑先生が断定していらっしゃる.その理由 (*註) は反論しにくいものだ.(*註) 文春オンライン《ノーベル賞学者・本庶佑氏が警鐘「日本でのワクチン開発、治験など現実離れした話」――文藝春秋特選記事》[掲載日 2020年8月10日 6:01] に掲載.ごく簡単に言うと,新型コロナウイルスはインフルエンザウイルスやHIVウイルスと同じようにDNAではなくRNAを遺伝子に持つウイルスであり,二重らせんという安定的な構造を持つDNAに対して一重らせんのRNAは構造が不安定であり,遺伝子が変異しやすいからである.
 
 特効薬はどうか.これもワクチン無効と同じ理由 (新型コロナウイルスは変異しやすい) で困難である.有望なのは,新型コロナウイルスがどう変異しようと,その結果もたらされる症状を緩和する対症療法である.現在世界各国で,既存の医薬の効果が研究されているが,感染症発症後にそれらの医薬をどう組み合わせて使うか,という文字通りの臨床技術が確立される可能性はある.それによって重症化→死亡を回避できれば,よいわけだ.とにかく患者が免疫を獲得するまで死ななければいいのである.
 この方向の見通しはどうだろう.患者の治療にあたっている臨床医の見解がテレビの報道番組で放送されたことはないと思うが,しかしそう簡単にできるものとも思われない.
 だとすれば,医師の立場からすると「今年の夏は特別な夏 (来年の夏は元通りです)」などと安請け合いする気にはなれないだろう.
 都知事の「今年の夏は特別な夏」は,遠回しに来年のオリンピック開催を示唆しているのだと思われる.だがそんな楽天的でいいのだろうか.
 来夏になって「実は今年の夏も特別な夏です」と言い訳する事態にならなければいいのだが.

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2020年8月13日 (木)

自治体は,感染拡大防止の実技を指導すべし /工事中

 J-CASTニュース《東京都の「虹のステッカー」有効性に疑問相次ぐ 掲示店で集団感染、ガイドライン遵守を確認へ》[2020年8月13日 20:00] から以下に引用する.
 
新型コロナウイルスのクラスターが発生した東京都江戸川区内のフィリピンパブでは、感染対策をしたと店が宣言する都の「虹のステッカー」が貼られていたと報じられ、その有効性についてネット上で疑問の声が相次いでいる。
 
この店では、60代の男性客が感染したことが7月30日に分かり、店の従業員12人全員がPCR検査を受けたところ、20~40代の女性7人の感染が分かった。濃厚接触があったからで、客にかなり近づいて接客していたわけだ。店は、4日から休業している。
 
ステッカーの掲示店でクラスターが発生したことについて、小池百合子都知事は13日、ガイドラインを守っていない店もある可能性を認め、「中には実践もせずに、ただ貼ってつけておけばいいやみたいな事業者がいないとは限らない」と述べた。一方で、「お店の体制とともに、そういった場を利用するという利用者の認識も必要だ」と客側の問題も指摘した。
 
 東京都は我が国における新型コロナウイルス感染症流行の中心地であり,震源地である.
 毎日毎日,都は新たな感染者の発生数を広報している.
 にもかかわらず,還暦すぎたジジイがフィリピンパブに出入りして浮かれておる.都知事は《そういった場を利用するという利用者の認識も必要だ》と語ったようだが,実にその通りである.
 この還暦過ぎのフィリピンパブ通いジジイが重症化して死んでも自業自得であり,同情の余地はないが,ことはこの 色ボケ ジジイだけに終わらぬ.こいつはお楽しみのあと,フィリピンパブでうつされたウイルスを,身を慎みつつ暮らしている他の年寄りに感染させたかも知れないのである.
 もし無垢のお年寄りがそいつから感染発症したら,どう責任を取るのか.死ぬかも知れんのだぞ.馬鹿者めが.この 色欲 ジジイは,年の功とか思慮分別なんて言葉は考えたこともないのだろう.いい歳をして恥を知れと言いたい.こいつの検査にも治療にも公費が支出されるのだ.税金泥棒めが.死ね助平ヤロウ (以下自粛)
 政府は緊急事態宣言を発して新型コロナウイルス感染症の拡大防止のために風俗店にも営業自粛を求めた.すると野党議員や無責任評論家などが「営業自粛要請と損失補償はセットでなければならない」と言い出した.清く正しくつましく生きている庶民の血税で,キャバクラの家賃をはらってやれと言った.ニッポン放送の上柳昌彦は「(キャバ嬢だって) ちゃんとお仕事してるんですから持続化給付金を出すべきだ」と言った.仕事というのは,お天道様に恥じぬ正業を謂う.キャバ嬢もホストも,やってることはただの生業である.賤業だ.仕事とは謂わぬ.
 政府は当初,普通の接待を伴う飲食店から性的接待を伴う風俗営業店に至るまで,この種の事業者がコロナ禍で蒙った損失に税金を充当することは不適切であるとの姿勢であった.しかし政府は野党とメディアの圧力に負けた.こうして国民の血税が,賤業の持続化給付金に用いられた.
 その結果がどうあったか.キャバクラやらフィリピンパブやらホストクラブなどの中に,闇で営業をしていながら,営業を自粛しているフリをして家賃補填を行政から巻き上げた不届き者が出た.案の定だ.そういう連中なのである.
 これを知った経産省は給付金不正受給の調査を始めた.そして不正受給した逮捕者も明らかになった.
 
 日本人の精神はかくも腐りつつある.その一例が,冒頭に掲げた東京都の「虹のステッカー」も,飲食店事業者のいいなりに無審査で発行されていることだ.すなわちこれまた都庁役人の職業精神が腐敗している証左である.彼らの関心は「やっている感」を出すことだ.感染拡大阻止はただのお題目なのである.
 もし東京都が本当に感染拡大を阻止するつもりであるなら,こんな間抜けな「事業者向け 東京都感染拡大防止ガイドブック ――「新しい日常」の定着に向けて――) キャバレー、スナック等接待行為を伴う飲食店編」(以下,ガイドブック) を発表して悦に入っているはずがない.どこが間抜けか,例を示そう.
 ガイドブックには,業種を問わずに事業者は,
* 扉や窓などを開けた上で、扇風機やサーキュレーター等を外部に向けて使用するなど、定期的な換気を実施 (ガイドブックのp.9から引用)
* 特に、屋内の休憩スペースは座席間のスペースを十分に取り、できる限り常時換気を実施 (同p.10から引用)
すれば,東京都のガイドブックを遵守した「安全な施設」であるとして「虹のステッカー」を店内に提示してよいと書かれてる.
 
 そこで,「虹のステッカー」を掲示している店の経営者に訊きたい.上記の二ヶ所に「換気を実施」とあるが,換気とはどのようなことを指すのか理解しているか.
 実は,換気の実施方法は法的に定められている.具体的には建築物衛生法,建築基準法,労働安全衛生法である.
 これらは飲食店ビルの管理者 (オーナーあるいは管理会社) には必須の知識であるが,新宿辺りの居酒屋の店主も銀座の高級クラブのママも,そんな法律があることすら知るまい.「換気」には「単位」もあるのである.
 であるとすれば,コロナ禍以前からこれらの行政法を事業者に遵守させる責務を負っている東京都は,現在のコロナ禍下における換気の在り方,方法,必要なら不備な換気設備の改善を事業者に説明する義務があるだろう.それをしないで単に「換気を実施」と書いただけで済ませているのは怠慢甚だしい.
 例えばの不備の例.普通の飲食店では客席から厨房設備方向に気流 (空気の流れ) が生じるように設計される.換気扇などの屋外排気機器は厨房に設置されるからである.
 だがこのような店内構造の場合,客に感染者がいるとその人が飲食や会話中に空気中に排出したウイルスを含む飛沫は厨房に集まる.これでは厨房で働く従業員はたまったものではない.
 昨日 (8/17) 放送されたNHK《あさイチ》は,番組スタッフから三人の感染者が発生したことを受けて「検証」するという内容だった.
 その「検証」の中で「窓はなく,しかも廊下に通じるドアが一つしかない (一つしか開放できない) 部屋の換気はどうすればよいか」について実験が行われた.そういう部屋は機械式の排煙設備 (天井裏にダクトがあり,そこに各部屋の空気が排気される構造になっている) がなければならないのに,NHKにはそのような消防法違反の部屋があるらしい. 
 それはともかく《あさイチ》は,ドア一つでも換気は可能だとして,下の写真のような方法を提案した.

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2020年8月12日 (水)

まずは民主活動家の身の安全を喜ぶ

 朝日新聞《周庭氏と香港紙創業者が保釈 「欅坂46が頭の中に…」》[掲載日 2020年8月12日 12:12] 他の報道を知って安堵した.
 
香港警察は12日未明、香港国家安全維持法(国安法)違反容疑で逮捕した香港紙「リンゴ日報」創業者の黎智英(ジミー・ライ)氏を保釈した。同じ容疑で逮捕した民主活動家の周庭(アグネス・チョウ)氏も11日深夜に保釈した。両氏は外国勢力と結託し国家の安全に危害を加えた疑いがあるとして10日に逮捕されていた。
 
 中国本土の民主活動家の例のように,黎智英氏と周庭氏は長期拘留されるのではないかと思っていたので,意外の感もあった.
 私の知る限り,古今東西の歴史において,人道主義的な独裁者がいたためしはない.独裁者は必ず人道に悖る人非人である.
 敵対者を逮捕拘束し,非道な拷問を加えるのはローマ帝国から中華人民共和国まで,独裁者の常である.
 中国における民主活動家が逮捕され,長期拘留から解放された時には表情も虚ろになってしまった例を,私たちは報道映像として知っている.その背景に拷問の存在を疑わない者はいないだろう.
 それゆえに今回の二人の釈放には驚いた.中国指導部において習近平の思い通りにはならない事情があったということか.

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2020年8月11日 (火)

言い訳が見苦しい

 日刊スポーツ《吉村知事がインサイダー疑惑とテリー伊藤発言に言及》[掲載日 2020年8月11日 23:17] に書かれている.

一連のバッシングについて「ぼくが一番、心配しているのはインサイダーとかではなく、僕の発信の仕方にあるのかもしれないが、あの研究自体がつぶされるのは、すごい損失だと思う。ある意味、感染拡大防止の1つの武器として、かなり大きな勝率があると、僕はいまでも思っている」と強調した。
 
 往生際が悪すぎる.勝率ゼロだ.吉村知事を世間が持ち上げたせいでいい気になり,浮かれすぎた結果がこの有様なのだから,ここは潔く「申し訳ないことをした」と謝りゃいいのだ.この騒ぎで吉村知事の軽率さがあらわになってしまったが,府知事不適格とまではまだ誰も言っていない.心機一転,出直せばよろしい.

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2020年8月10日 (月)

塩分過多

 大人気のテレビ番組,テレビ朝日《家事ヤロウ》で放送された料理の中でもヒットしたものの一つが「海苔とベーコンの炊き込みご飯」だ.
 出演者のバカリズムとカズレーザー,中丸雄一の三人が,作った料理を一口食べて,あまりのウマサに感極まった表情をするのだが,これがまたなかなかよろしい.いっちょオレも作ってみるか,という気にさせる.
「海苔とベーコンの炊き込みご飯」は,何のテクニックも要らず,だたもう材料を炊飯器に入れてスイッチをオンにすりゃいいだけだから,一般視聴者の実作レポートがたくさんアップされている.
 その「海苔とベーコンの炊き込みご飯」のオリジナル・レシピ (番組インスタグラムに載っているママを意味内容を変えずに掲載) は以下の通りである.
――――――――――――――――――――――――――――
(1) 炊飯器に米2合と水を入れ,酒大さじ1,白だし大さじ3,
  しょうゆ大さじ1,コンソメ5g,バター15g,角切りベーコン100gを入れる.
(2) 焼き海苔を3枚敷き詰める.
(3) 炊飯器で炊いた後,よく混ぜて完成.
――――――――――――――――――――――――――――
 
 これを見て,多少は料理のできる人ならば,ずいぶん塩っぱい飯だなあ,と思うに違いない.高齢者がこんなものを食ったら頭の血管に悪い.
 まず,これは調味料が過剰だ.
 味付けに白だしと醤油を併用しているが,それなら当然のことながら酒 (たぶん料理酒だろう) は要らない.味がくどくなる.
 米二合に対して「コンソメ5g」とあるのは,おそらく普及している味の素のキューブタイプのことだろう.しかしコンソメスープの素は,含まれる食塩相当量を考慮しないと再現性のあるレシピにならないから製品名指定が必要だ.これ,料理の常識.
「バター15g」も当然,家庭の冷蔵庫にある有塩バターを使うのだろうが,この時点で塩味の強さは限界に近い.これは量を減らすか,オリーブ油にするのが私のお勧めだ.
 オリジナルのレシピは「角切りベーコン」を具材に使うが,これまた塩味が強い具だ.
 これにさらに白だしと醤油を加えるというのだから,血圧高めの高齢者はおそろしくて追試できない.
 事実,クックパッドに,オリジナルを作ってみた人が何人か「味が濃い」と書いている.
 そりゃそうだろうなあ,ということで,普通の味覚の人向けにレシピを改変してみた.
 
米 (無洗米)                        二合
白だし (キッコーマン,極み白だし)            大さじ二杯
粉末コンソメの素 (トップバリュ,チキン味,個包装)    一袋 (4.5g)
ベーコン (トップバリュ,ハーフ,薄切り)          100g
バター (有塩,雪印)                    10g 
焼海苔(*)                          9g
 (*) 海苔は西伊豆の土産物で知人からの到来物.寿司海苔ではなく,全型に成形せずに焼海苔にした風味良好な高級品.本来は味噌汁にいれて食べるものだ.
 
 塩加減は,醤油を省いた上記のレシピでちょうどいい.
 米二合ということは四人分だが,具材の角切りベーコンを100グラムでは,盛り付けると具材が少ない印象だ.番組インスタに掲載されている盛り付け例の写真は,ベーコンを実際より多めに入れている.私のレシピでは,薄切りのベーコンを用いて具材が全体に均一に混ざるようにした.
 全体的に《家事ヤロウ》のレシピは,飯のおかずでもスイーツでも,塩分過多,砂糖過多で,とにかく味が濃い.若い人たちは,こんなに濃い味付けが好きなんだろうか.
 
20200810a
 
 この炊き込み飯の欠点は,色が黒いことだ.望むべくもないが,海苔の色が緑色だったりした日にゃ,これ以上にウマそうな飯はそうはないだろう.海苔の代わりにアオサを使ったらどうだろうと思ったことである.

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2020年8月 9日 (日)

バカみたい

 マネーポストWEB《コロナ政策に憤慨する63才女性「ゴーだのステイだの私ら犬か?」》[掲載日 2020年8月9日 16:00] から記事の冒頭を引用する.
 
観光需要喚起のための政策として始まったものの、外出自粛の方針と相反するとして批判の声も多かった「Go Toトラベルキャンペーン」。『女性セブン』の名物記者“オバ記者”こと野原広子(63才)が、そんな最近の政策に物申す。
 
『女性セブン』の記者ってのは立ち位置がよくわからない.我々男はこの雑誌は生活誌ではないと思っている.硬派の『暮しの手帖』や,実用記事満載の『オレンジページ』あたりは男性読者を多く持っていると言われているし,実際私もかつては定期購読していた.
 だが偏見かも知れぬが,『女性セブン』はゴシップ誌だと思っている.上は雅子さまと紀子さまの云々に始まり,下は芸能人の不倫記事だとかね.
 その記者が「Go Toトラベル」などの政治批評をするというので,覗き読みしてみた.そして下のスクリーンショットの箇所を読んで私はオイオイと呆れた.
20200809g
 PCR検査について厚労省のクラスター対策班と専門家会議は当初,クラスター追跡に必要なキャパシティ (例えば一日当たりの分析可能な試料数) があればよいとしていた.実際のところでは,分析機材,人員,試薬等の消耗品は,諸外国の水準に比較して大きく不足していたと言われ,韓国のように市中感染者を絨毯爆撃的に検査することは,したくてもできなかったとされる.この点については,日本経済新聞が今年の初めあたりに詳細かつ科学的に妥当な記事を掲載していたので,関心ある向きは検索してお読み頂きたい.
 ともかく,厚労省はPCR検査体制の拡充については積極的でなかった.しかし感染経路の不明な感染者が次第に増加し,病院の一般外来にきた患者の中から感染者が発見されるようになり,それが院内感染発生の一原因と考えられるに及んで,日本医師会と都医師会はPCR検査体制の拡充を政府に強く要請するに至った.在野の研究者の一部とメディアはこれを支持した.
 そこで厚労省は思い腰を上げて,PCR検査体制の拡充を認めた.
 周知のように,東京都の保健所は都の機関であるが,厚労省の指揮下にある.警察庁が全国地方警察を指揮するようなものである.
 厚労省の方針転換を受けて,ただちに都知事は検査体制の拡充を発表した.実際には方針決定から実施に至るまではタイムラグがあったが,都知事は検査キャパシティの目標数字を記者会見で頻繁にアピールしたのが事実である.
 ところが『女性セブン』の野原広子は《その検査数を増やすことを、都はなぜ前もって発表しなかったのよ》と書いている.《前もって発表しなかった》どころではない.何度も繰り返して発表してきた.これはもう冒頭に示した『マネーポストWEB』の記事が悪意の捏造を意図したものか,あるいは野原広子がメディアの報道を全く無視してきたバカであるかのどちらかである.
 野原は《「検査数を増やすから、感染者数も増えますよ」と全国的に予告されていたら、他府県が抱く都や都民に対する印象は全く違っていたはずよ》とも書いているが,検査数を二倍にすると見かけ上の感染者数がほぼ二倍になるのは小学校の算数だ.予告もへったくれもない.この理屈が理解できないで「前もって言え」と文句を垂れている野原広子は小学校で勉強しなおせ.(ここで「ほぼ」がどれくらいの幅を持っているかは,算数でなく高校数学の範疇のことであるが)
 問題は,検査数を増やすと見かけ上の感染者数が増えることではない.実際には「陽性者の人数/検査数=陽性率」が次第に増加するトレンドをみせてきたことであり,これについても都知事は会見のたびに説明を行ってきた.野原広子は,都知事の記者会見を都の公式サイトでみたことがないのだろうか.もしそうなら雑誌記者として論外である.
『女性セブン』は,やはり雅子さまと紀子さま云々の記事だけを載せていりゃいいのである.

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2020年8月 8日 (土)

レジ袋有料化に店のレジは対応してほしい

 スーパーマーケットの有人レジは,とてもよく工夫されている.
 私が品物を入れた店内用レジかごをカウンターに置くと,レジの店員さんが商品をバーコードリーダーに通し,手際よく別のかごに入れていく.
 それが終わって支払いを済ませたら,私はかごを持って,レジ外に並んでいる机というか台のところに行き,自分の買い物袋に詰め替える.
 このようにスーパーのレジは一方通行だから,客が停滞することなく流れるようにことが運んでいく.
 セルフレジの場合は,自分の後ろに他の客が列に並んでいることは滅多にないから,レジかごから買い物袋に落ち着いて詰め替えればよろしい.
 
 ところが,レジ袋有料化に対応していないレジの店がある.
 どういうことかというと,コンビニがよい例だが,レジ横のスペースがとても狭くて,レシかごを二つ置くことができない店が多いのだ.
 で,弁当一つを買うだけなんて時は問題ないのであるが,レシかご一杯のものを買った時にこまることがある.
 レジのバイト店員さんは,かごから商品を取り出して,片手に持ったバーコードリーダーでバーコードを読み取り,商品をかごの外に置く.
 スーパーの場合は,読み取りが終わった商品は別のかごに移されているわけだが,コンビニの場合は,カウンターの上にバラバラになって置かれている.
 代金支払い後に,客の私は,それらを自分のバッグに自分で移し入れるわけだが,その間,バイトさんは手持無沙汰に立っているだけだし,間が悪いと私の後ろに次の客が並んだりする.別に後ろで「チッ」と舌打ちされるわけではないが,待たせたらいかん急がないかんと気が急くのがいやだ.
 だからコンビニでもスーパーのように,レジかごから別のレジかごに移しながらバーコード読み取りをしてくれんかなあと思う.こうすれば,代金支払い後に私はかごごと持ってセルフレジにでも移動し,そこでバッグに移せばいい.後ろの客に迷惑をかけずに済むのだ.あ,最初からセルフレジにすりゃいいのか.でもね,代金徴収は店の責任において行われるべきだと私は思うので,そこはほっといてください.
 
 デパ地下にある大き目のパン屋でも同じ目にあっている.具体的に言うと,藤沢駅北口のデパート「さいか屋」の地下に入っているインストア・ベーカリー「ポンパドウル」である.
 トレイにクロワッサンやブールや調理パン等々たくさんのパンを載せてレジに行く.するとレジ担当の店員さんは,トレイから一個ずつパンを取り上げてレジ打ちし,済んだパンはトレイの外に置く.
 こうしてレジ打ちが終わると,レジスターの横の場所に,パンがバラバラに置かれた状態となっている.
 客の私は,それらのパンを自分のバッグに自分で移し入れるわけだが,その間,目の前にいるレジ係の店員さんは手持無沙汰に立っているだけだし,間が悪いと私の後ろに次の客が並んだりする.別に後ろで「チッ」と舌打ちされるわけではないが (以下同文)
 ポンパドウルの店員さんも,レジ打ちの際に,パンをトレイから別のトレイに移してくれんかなあと思う.こうすれば,代金支払い後に私はトレイごと持ってイートインのテーブルにでも移動し,そこでバッグに移せばいい.後ろの客に迷惑を (以下同文)
 ポンパドウルは昼頃はレジに行列ができる.なのにレジカウンターの前でモタモタと買ったものをバッグに移していると,レジ袋を買って店員さんに入れてもらうほうが早いし,客のこちらもなんぼか気が楽だ.なんとかならぬものか.

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門前の小僧は習わぬ経を読むが

 沙鴎一歩という匿名ライターがいて,PRESIDENT Onlineあたりによく寄稿している.昨日は,PRESIDENT Online《安倍政権と朝日新聞、「国民の不安」を煽っているのはどちらなのか》[掲載日 2020年8月3日 18:15] がアップされていた.
 この人物の書くものは,自然科学の知識が必要な分野のことになると,いわゆる「トンデモ」な文章であることが多い.テレビ朝日の玉川徹氏はかなりテレビで言いたい放題をしているように見えるが,さすがに京都大学大学院農学研究科で学んだ経歴の持ち主であり,自然科学の知識に関するコメントではほとんど間違ったことがない.また間違ったことを言ってしまったらすぐに視聴者に謝っている.このように玉川氏のようにテレビ番組のレギュラー・コメンテーターは,ある日の放送で間違ったことを言ってしまっても,翌日の放送で訂正ができる.その点は玉川氏は恵まれているといえる.
 しかし文章を書くジャーナリストは,よほど丁寧に調べてから書かないと,間違った場合にリカバリが困難だ.新聞や週刊誌で紙媒体の場合には訂正記事というものが存在するが,PRESIDENT Onlineにはそんなものはないだろう.あっても誰も読まない.その点で沙鴎一歩は,書き殴り,あるいは書き逃げだと非難されても仕方ない点が多々あるように思う.
 今回の記事も「門前の小僧が経を読む」以下の知識で書き殴ったようで,しょーがねえなあ,と思ったので指摘しておく.(リンク切れに備えて当該記事のスクリーンショットを引用掲載する)
20200808c  
以前にも書いたが、1万分の1ミリという極小のウイルスは、野外では風に吹かれてあっと言う間に拡散してしまい、感染など成立しない。緊急事態宣言中に神奈川や千葉の県知事が「海に来ないでほしい」などと呼びかけていたが、海岸は陸風海風と常に強い風が吹いていてウイルスはすぐに消える。野外でのマスクは実におかしな話だ。熱中症の危険もある。
要は過剰反応なのである。感染に対して神経質になれば、オキシトシンなどのホルモンの分泌を妨げ、私たちが本来持っている「自然免疫」を弱めてしまう危険性もある。
 
 沙鴎は《海岸は陸風海風と常に強い風が吹いていてウイルスはすぐに消える。野外でのマスクは実におかしな話だ》と言うのだが,海岸は常に強い陸風海風が吹いているわけではない.確かにそういう海岸もあって,海岸にいつも,その土地の厳しい気候風土を象徴するかのように強い風が吹いていることはある.でもそれは「陸風海風」とは全く無関係な話なのである.
 実は「陸風と海風」は小学校の理科の知識なのである.すなわち小学生向けのサイトである中学受験ナビ《海風と陸風は3つの自然法則とストーリーで理解しよう》[掲載日 2020年1月6日] を読めば受験知識として詳しく解説されている.
 このウェブページを読めばすぐ理解できるが,陸風と海風は「常に」「強く」吹くようなものでは決してない.特別な気象条件を必要とするのだ.さらには季節性も,地方性もある.大雑把に言うと,ある海岸地域において,大気が安定して静かな状態で,海上の大気温度と陸上の大気温度に大きな差が生じた場合に陸風や海風という現象が生じる.従って,そもそも大気が不安定な季節には発生しない.私の住みかに近い湘南海岸では,概していうと太平洋高気圧にすっぽり覆われて安定した夏季に発生するようだ.条件よってだが,夜間から午前中にかけては無風だったのに,昼頃から夕方まで海からの風が吹き,その後はまた無風になるなんてことも多い.
 こういうことは実際に海岸地域に行って調べるまでもない.テレビで毎日の天気予報を聞いていればわかることだ.海岸地域の風の有無と強さに影響する大きな要因は,高気圧と低気圧の位置関係,前線の通過あるいは停滞といった動的な気象条件である.日本列島というサイズ感でいうと,ある狭い海岸地域に生じる「陸風と海風」現象は,いってみれば些末なことなのである.
 しかるに唐突に,沙鴎が「陸風と海風」を言い出したのはなぜか.まず何の根拠もなく「海岸ではウイルス感染の可能性がない」との主張をすることが先にあり,それを言わんがために《海岸は陸風海風と常に強い風が吹いていて》という嘘八百を書いたのである.普通の頭の持ち主であれば,海岸では常に風が吹いているわけではないと知っているから,こんなデタラメを書くのは躊躇するのだが,小学生以下の科学知識しかない沙鴎は,ここで常識人の範疇に踏みとどまれなかったのである.沙鴎は,雑文を書き殴って世渡りしようとするなら,小学校のときにもう少し勉強をすべきであった.まじめに勉強して義務教育を終えた私としては,そう指摘せざるを得ない.
 
20200808e  
 上の箇所を読んだ世人がアッと驚き呆れたのは《一般的に新興感染症は6割の国民に獲得免疫ができてはじめて終息する。これが集団免疫の考え方である》のところである. 
 沙鴎がいくら自然科学に関して小学生以下であるといっても,これは酷い.自然科学ばかりでなく,日本語もデタラメだ.
 沙鴎は「新興感染症は…はじめて終息する」と書いているが,まず構文がだめだ.沙鴎の文章の話題はウイルスについてだから,曖昧な文章を読者に投げかけて,意味内容を察してもらうといった文学的表現は排除されねばならない.論理的に書くことが必要だ.
 論理的にいうと,この一節の主語は「新興感染症は」でなく「新興感染症の流行は」であらねばならない.また「終息」と「収束」は意味が全く異なる.「終息」は,ある事態が終わることであり,「収束」は,ある事態に収まりがつくことをいう.現在までにヒトの感染症で流行が「ほぼ終息した」と考えられているのは天然痘のみである.他の感染症には流行が「収束」しているものが多い.ある感染症の流行が「終息」したか否かを判定するのは科学的に難しい問題であるが,流行の「収束」は感染者数の推移等のデータで容易に判定できる.
 
「新興感染症」は自然科学の用語であり,1990年のWHOによる定義が一般に用いられている.それは「1970年以前には知られておらず,それ以後の二十年間に新しく認識された感染症で,局地的にあるいは国際的に公衆衛生上の問題となる感染症」であり,現在のところ三十種類が存在すると考えられている.これに対して「再興感染症」というものがある.1970年以前から知られており,現在も局地的にあるいは国際的に公衆衛生上の問題となる感染症を指す.
「集団免疫」とは何か.Wikipedia【集団免疫】によれば《集団免疫(しゅうだんめんえき、英: herd immunity, herd effect, community immunity, population immunity, social immunity)とは、ある感染症に対して集団の大部分が免疫を持っている際に生じる間接的な保護効果であり、免疫を持たない人を保護する手段である》であり,さらに《個人の免疫は、感染症からの回復や予防接種によって獲得される。一部の人々は医学的理由により免疫を獲得することができず、集団免疫はこれらの人々に対する重要な保護手段となる。免疫を持つ人々の割合が一定の値に達すると、集団免疫によって病気が徐々に集団から排除されるようになる。この排除が世界中で達成されれば感染の数は永続的にゼロまで減少する可能性があり、この状態が撲滅または根絶と呼ばれる。この手法によって天然痘は1977年に根絶され、他の感染症についても地域的な排除が行われている。集団免疫は全ての感染症に適用されるわけでなく、伝染、つまりある人から他の人へうつる疾患のみに適用される。例えば、破傷風は感染症であるが伝染しないため、集団免疫は適用されない。》と概説が続く.
 伝染性の感染症のうちで,致死率がそれほど高くないため集団構成員の一部が生き残り,かつ生き残った集団構成員が免疫を獲得できる場合,その感染症の流行は次第に収束に向かう.「集団免疫」はこの現象を説明する理論であり,Wikipedia【集団免疫】が書いているように実際に《免疫を持たない人を保護する手段である》.
 集団免疫の理論によれば,ある集団の中に《免疫を持つ人々の割合が一定の値に達すると、集団免疫によって病気が徐々に集団から排除されるようになる》.伝染性感染症が流行しても,やがて次第に流行が収束する現象は,このことを指している.
 さて集団免疫に関するここまでの説明は,沙鴎一歩という三流ライターが,集団免疫という考え方を全く理解していないことを示している.
 集団免疫の理論の中に人間 (に限らぬのだが,とりあえずヒトの問題として議論する) の「集団」は登場するが,「国民」は全く無関係である.《一般的に新興感染症は6割の国民に獲得免疫ができてはじめて終息する。これが集団免疫の考え方である》という文中で沙鴎一歩がいきなり「国民」を持ち出した理由は,なにしろ沙鴎には小学生並みの学力しかないので推測するしかないが,たぶんテレビ報道番組中の説明を聞き間違ったのではないか.
 今年の三月のことだった.新型コロナウイルス感染症流行の中心は中国から欧州に移ったと見られた.それまで中国における大流行についても頑なにパンデミックと評価してこなかったWHOは,欧州の状況を見てなぜか唐突にパンデミックであるとの認識を示した (3/11).欧州の指導者たちのWHOに対する信頼がゆらいだ瞬間だった.誰がどう見ても異様に政治的なWHOの態度であった.
 英国では新型コロナウイルス感染症の初期封じ込めが失敗し,イギリス国内に感染が拡大し始めた時,誰に吹き込まれたのかボリス・ジョンソン英首相は記者会見 (3/12) で「新型コロナウイルスに集団免疫をもって戦う」旨の宣言をした.Wikipediaには次のようにある.
 
2020年3月12日、ボリス・ジョンソン首相は、イングランド主席医務官と政府首席科学顧問と並んで会見し「私たちの世代が経験する公衆衛生上最悪の危機だ」と宣言した。パトリック・ヴァランス政府首席科学顧問はもはや感染を止めるのは不可能なので、感染のペースをゆっくりとし集団免疫(免疫を持つ人が増え、感染を防ぐようになること)を獲得すると明言した。イギリスの基本戦略は、「封じ込め」フェーズから感染のピークを遅らせて山を低くする「遅延」フェーズに移行するとするもので、具体的に以下の対策をアドバイスしている。
3月14日、イギリスの数理学者・遺伝学者・生物学者・物理学者らは「社会距離戦略を速やかに実施する公開要求」を発表し、今のイギリス政府より厳しい「社会距離戦略」を速やかに実施すれば、国内の感染拡大を劇的に遅らせ、数万人の命を救うことになると主張した(3月16日まで501人が共同署名)。政府の対応は不十分で、他国のように「今より厳しい追加の規制措置をただちに実施」するよう求め、また現時点で『集団免疫』を追求するのは、有効な選択肢ではないとした。
バーミンガム大学のウィレム・ファン・シャイク教授(微生物学)は、集団免疫の効果を目指すには、イギリス国内だけで少なくとも3600万人が感染し回復しなくてはならないとし、その人的コストの予測は不可能で、「控え目に見ても数万人、場合によっては数十万人が死亡する」とし、「NHSがパンクしてしまわないよう、数百万人の感染が長期間にわたり散発的に起きるように流行期間を引き伸ばすしかない」と述べた。
 
 実はこの時,ジョンソン首相は集団免疫という言葉は知っていたが,その数理モデルについてよく理解していなかったようだ.
 ジョンソン首相は,英国内の科学者たちから,集団免疫というならどういう計算をしたか示せと強い反対を受けた.
 そして上の引用文にあるように「数十万人が死亡する」と指摘され,驚いたジョンソン首相は,集団免疫に関する自分の理解が誤りであったと知り,以後,英国政府は方針を転換するのだが,それはさておき上の引用に示した時期,文字情報弱者であり耳学問の人である沙鴎は,テレビで専門家が《イギリス国内だけで少なくとも3600万人が感染し回復しなくてはならない》と解説するのを聞いて「イギリス国民の少なくとも3600万人が……」と思い込んだのだろう.そうとしか思われぬ.テレビの情報番組で集団免疫という専門用語が飛び交ったのはこの時期のことだったからである.
 今のそこら辺の大学生でも,レポートを書いて提出せにゃならぬ時はWikipediaくらいは読む.ところが沙鴎はそうしなかった.テレビが「しゅうそく」と言えば「終息」だと思い込み,「イギリス国内」を「イギリス国民」と聞き間違えて,そのままにした.ジョンソン首相はさすがに知的レベルの高い人物であると見えて,自分の誤った認識をただちに捨ててその後の英国の指揮を執ったのであるが,沙鴎一歩はいまだに《一般的に新興感染症は6割の国民に獲得免疫ができてはじめて終息する。これが集団免疫の考え方である》(↓ はスクリーンショット) などと書いて世間に恥を晒している.これは,勉強嫌いがいかに恥ずかしいことであるかを示す好例である.
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 ここで沙鴎は《新興感染症》と書いているが,集団免疫はもちろん新興感染症に限定されるものではない.つまり沙鴎は「新興感染症」の意味を知らないのである.また沙鴎は《終息》と書いているが,既に説明したようにこれは正しくは「収束に向かう」である.
 さらに付け加えると,沙鴎は《一般的に新興感染症は6割の国民に獲得免疫ができてはじめて終息する》と書いて唐突に何の説明もなく《6割》という数字を持ち出しているが,この数字は一体何か.
 Wikipedia【集団感染】に<数理モデル>という項目がある.そこから少し引用する.
 
病気に対して免疫を持つ人は病気の拡大の障壁として機能し、他人への伝染を低下させたり防いだりする。個人の免疫は自然感染や予防接種などの人為的手段によって獲得される。免疫を持つ人の割合が集団免疫閾値(herd immunity threshold、HIT)または集団免疫レベル(herd immunity level、HIL)と呼ばれる臨界比率に達すると、病気は集団内に維持されなくなり
 
 上の引用文に書かれているように,ある感染症の蔓延が収束するための必要条件は,免疫を獲得した集団構成員の割合が集団免疫閾値 (HIT) を超過することである.
 この閾値は基本再生産数 Ro (註;アール・ノートもしくはアール・ゼロ)  から計算することができる.<数理モデル>項目に書かれている計算式と式の変形は中学生で理解できるので説明は省略するが,個々の感染症について Ro と集団免疫閾値を<数理モデル>項目から引用する.
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 ある集団の中でどれだけの構成員が免疫を獲得すれば感染の蔓延が収束に向かうか,上表を見れば一目瞭然である.集団免疫閾値は病原体によって大きく異なることが明白だ.
 ここで一つ理解しておかねばならないことは,あるヒトがある感染症に罹患するということは,ヒトと病原体の相互作用であるということである.すなわち感染が成立するに際しては,ヒトの側の条件と病原体の性質の両方が影響する.病原体の側には変異という因子があるし,ヒトの側には生物学的因子の他に文化的因子も関係する.例えば人口密度だとか,大都市と地方小都市だとか,あるいは挨拶でハグをするのか握手をするのか等,ひとまとめに言ってしまうと社会的距離が強く影響するから,ある感染症をとっても実際の集団免疫閾値には幅が生じる.そのことも上表は示している.
 また,基本再生産数は集団内に免疫を有する構成員がいないことを前提にしている (つまり感染拡大の最初期) が,時間経過と共に免疫を有する人が増えてくる.このことを加味した実効再生産数 Re (または Rt とも) が,感染拡大の予測に用いられる.日本における新型コロナウイルス感染症の Re については次の図がある.左側の縦軸目盛りが実効再生産数である.
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新型コロナウイルス感染症対策専門家会議「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(令和2年5月14日)
 
 このように見てくると,沙鴎の《一般的に新興感染症は6割の国民に獲得免疫ができてはじめて終息する。これが集団免疫の考え方である》が如何に突拍子もない虚説妄言,嘘八百であるかがわかるだろう.《一般的に》が聞いて呆れる.集団免疫閾値は,病原体が何であるかによって大きな違いがある.麻疹は90%以上であるし,インフルエンザは30%台である.そんなことも知らずに沙鴎は新型コロナウイルス感染症について雑文を書き殴って原稿料を得ている.本当に情けない男である.
 
 ところでこの沙鴎の虚言中の《6割》の出所について私は心当たりがある.それはやはり英国に関する報道だ.ジョンソン首相は,英国の科学者たちから集団免疫獲得の行動計画提示を要求された時,英国における新型コロナウイルス感染症の基本再生産数を2.6であると説明した (データの出所はインペリアル・カレッジ・ロンドンMRCセンター).
 基本再生産数を Ro とした時,集団免疫閾値 Pc は次式で示される.
 Pc = 1-1/Ro
 ここで Ro が2.6であるとすると,Pc は61.5(%) である.
 すなわち英国国内で約六割の人たち (国民ではない) が感染すると,集団免疫が成立する可能性があると英国政府は考えたのである.ただし集団免疫の最も基本的な数理モデルは集団の性質について現実とは異なる仮定をしているため,この数字は必ずしも成立するとは限らないが.
 さて沙鴎は,今年の三月頃,英国国内で六割くらいの人が感染すると集団免疫が獲得される (と英国政府は見込んでいる) との報道が日本のテレビ番組で放送された時,この数字が Ro=2.6の場合に成立するものであると理解できず,《一般的に》であると思い込んでしまった.集団免疫について,せめてWikipediaくらいは読んでおれば,こんなアホみたいな思い込みはせずに済んだのであるが,まことにナントカにつける薬はない.
 
 門前の小僧は,耳から入っただけのお経をいつしか唱えることができるようになるものだが,自然科学はそうはいかない.きちんと勉強して理解しないと,三流ライター沙鴎一歩のように嘘デタラメのお経を唱えて,世間の人を惑わしてしまうのである.

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2020年8月 7日 (金)

テレビはみない人たち

 沖縄県の置かれた状況は差し迫ったものがある.コロナ感染拡大をものともせずに「Go To トラベル」の旗を振る官房長官は,沖縄県の医療が危機に瀕していることに対して,記者会見で「感染者を収容するホテルを手配しておけと前から言っていたのに」旨のことを言った.そして俺の言うことを聞かないからこのザマだと言わぬばかりの得意げな表情をしてみせた.非情酷薄な男である.
 余談だが,官房長官の子分である横浜市長は,神奈川県における感染拡大に何らのメッセージも発していない.彼女の頭の中はカジノ誘致のことで一杯なのだろう.
 
 これから先何年も,新型コロナウイルス感染症の流行は収束しないだろうから,私はもう生きている間に沖縄に旅をできる可能性はない.それを思うと,ああ本島以外の島々にもっと足を運んでおけばよかったと残念でならない.
 沖縄はよいところだ.あれほど昭和天皇と皇軍に虐げられ,多数の県民が「友軍」の犠牲になったにもかかわらず,沖縄県民は本土の人々に温かい.だから若い人たちには,もっと沖縄を大切にしてもらいたい.沖縄戦と沖縄返還運動の時代を生きてきた沖縄の老人たちを,ここで死なせてほしくない.
 政府がどんなに観光旅行しましょうと旗を振っても,沖縄には不要不急の観光旅行に出かけてほしくない.そう思うのは私が,戦後の沖縄返還運動の時代を生きた本土人だからかも知れない.
 
 沖縄県の玉城デニー知事は8月5日午後,それまで本島を対象に求めていた不要不急の外出自粛を,離島を含めた県全域に拡大すると発表し,本島と離島,離島と離島間の移動を必要最小限とするよう県民に求めた.
 これについて東京キー局のテレビが,本島に来ていた家族連れ観光客にインタビューしたところ「離島への移動自粛なんて知りません」と答えた.そして「テレビを見ないので」と付け加えた.
 
 沖縄に遊びにきている観光客に,沖縄戦について訊いてごらん.きっと何も知らないだろう.戦後七十五年,NHKテレビは沖縄戦の時期と終戦の八月には特別の番組を放送し続けてきた.それが公共放送局の使命だとNHKは思ってきたはずである.
 しかし今,テレビを見ないでネットの動画しか見ない国民が多くなった今,オキナワもヒロシマもナガサキも遠く忘れ去られた.私は,こんな時代が来るとは思いもよらなかった.来てほしくなかった.

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2020年8月 5日 (水)

メンマの炊き込み御飯

 冷蔵庫にスーパーで買ったメンマが二種類あった.一つは食品パックに入れられて惣菜コーナーにあったもの.このスーパーのバックヤードで製造したものだろう.これは消費期限もので,品名は「ピリ辛メンマ」とあり,普通のメンマに辣油をまぶしたと思われる..
 もう一つはポリ袋包装で割と賞味期限がある.ラーメンなどに入れる用途に製造されたものと思われる.
 
 話は別のことだが,桃屋のテレビCМで「穂先メンマ やわらぎ」と牛肉の炊き込み御飯というのを時々やっている.この炊き込み御飯が消費者に受けて,このコロナ禍の中での内食需要が追い風となり,今年が創業百年だという桃屋は設備を増強し,売り上げはこの四月まで対前年二桁成長率 (10%超) の快進撃だという.三木のり平健在の頃からの桃屋のファンである私は,こういう会社が頑張っているのはとてもうれしい.
 そこで桃屋のオリジナル・レシピを私も作ってみた.
 作って食べてみると,これは色々と応用が利くなあと思った.
 次に,牛肉の代わりに油揚げ (米二合に対して,油揚げのみじん切りを一枚分と「穂先メンマ やわらぎ」一瓶,白醤油を大さじ一杯) でやってみた.これも食が進む.牛肉入りよりも私はこっちが好きだ.
 ここで一つ不満が生じた.「穂先メンマ やわらぎ」の食感はかなり軟らかい.一片も小さいので,二合の米に一瓶では,メンマの存在感に欠けるうらみがある.
 かといって二合の米に二瓶を使用して具沢山にするのは,コストの点でちょっとなーという印象だ.「穂先メンマ やわらぎ」のスーパー店頭価格は二百五十円前後だからである.五百円あれば,肉か魚か,ちょっとした料理が作れるものを,炊き込み御飯だけに五百円をかけるのは,一回の食事としてバランスが悪いだろう.
 そこで,冒頭のメンマのことに戻る.スーパー惣菜のメンマは,桃屋の瓶詰よりもかなーり安いのである.
 下の写真は,米二合に,惣菜のメンマ (ラーメンのトッピング用と「ピリ辛メンマ」各百グラム) 約二百グラム,白醤油 (盛田株式会社,特級) 大さじ一杯を入れて炊いたものだ.メンマがこれだけ入っていると食感もしっかりしているし,風味は中華風の筍御飯みたいなことになる.そこからさらに思い付くのは,炊き上がったら叉焼を刻んで混ぜたらよかろう,ということである.今度やってみようと思う.
 
20200805a

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2020年8月 2日 (日)

老人は加工食品をアレンジしよう

 テレビによく出演しているリュウジさんというかたは,今までにないタイプの料理研究家だ.
「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」を始めとするテレビ各局の料理番組に登場する料理家,料理研究家,料理人,あるいはそういう範疇に入らない怪人平野レミとか,こういう人々は,食品会社の製品をメインに使った料理は作らない.調味料は基礎調味料 (塩,醤油,砂糖,酢など) を組み合わせて使うのが原則だ.「ミツカンのカンタン酢がおいしいので,今日はこれを使った料理を作ってみましょう」とは絶対に言わない (ただしミツカンの提供する番組は除く).
 またカレーは,即席カレールーにおいしいものが沢山あるのに,わざわざ「カレー粉」を使う.「昔風の家庭のカレーを作ってみましょう」と言うなら,ハウスのバーモントカレーを使うのが家庭内料理人にとっては「鉄板」だが,彼らプロは決してそう言わない.加工食品を用いるのは料理研究家の沽券に関わるとでも思っているのだろうか.あるいは番組スポンサーの意向とか,NHKの番組放送ルールで商品名は放送しないということも考えられが.
 このような彼らプロ料理家の流儀は,実際にその料理を作ろうとする一般人にとってデメリットとなる.
 少し考えてみればわかることだが,メーカーによる差がほとんどない調味料は砂糖と酢とサラダ油くらいのものだ.醤油はメーカー差が歴然とある.あるいは伝統的な容器に充填された醤油と,最近流行の「風味保存性のよい容器」に入っている醤油でも風味が違う.しかしテレビの料理番組に出てくる先生は,そんなことはお構いなしに「醤油大さじ二杯を」で済ませてしまう.だから関東の視聴者と関西の視聴者では,同じレシピで作っても味の違う料理ができてしまうのだ.
 また基礎調味料ではないが「めんつゆ」は,どんな料理音痴でも,メーカーが異なると味が違うということを知っている.各メーカーは,味の違いが消費者にわかるように商品設計しているから当然だ.
 私は食品会社に定年まで勤めていた人間なので言うのだが,料理家は「自分がよいと思って使っている調味料や食材は○○の△△です」と明らかにすべきだ.料理を作るに際して肝心なところを,視聴者あるいは消費者に丸投げしてはいけない.きちんと仕事をして欲しい.
 
 しかしともかくリュウジさんは,そういう「食品メーカーとの癒着を疑われてはいけない」というシガラミとは無縁だ.発想が自由である.「どこにうちにもあるカップスープを使って……」などと言いながら,テレビ画面にははっきりとクノールの製品が映し出される.たぶんリュウジさんは,アレンジするのに最適な,つまり結果的に一番おいしかった製品を放送で紹介しているだろう.従って視聴者は,リュウジさんのレシピ通り (材料のメーカーを含めて) に作れば,おいしいアイデア料理を作れるのである.レシピ通りに作ったものがおいしければ,レシピを作った人とメーカーの癒着がどうのなんて,消費者は問題にしないに違いない.
 こういう傾向は次第に料理好きの若い人たちのあいだに広まっているようだ.
 テレビ朝日の《家事ヤロウ》は最近の人気テレビ番組で,当初は深夜枠の放送だったが,いまやゴールデン帯に三時間スペシャルが放送されるまでになった.
 この番組はタイトルには「家事」とあるが,ほとんど料理のアイデア特集とでもいった内容になっている.番組コンセプトは「料理に全くの初心者でも作れる料理」ということだが,初心者ではない私でも楽しめる楽しい内容である.そしてリュウジさんはこれに不定期出演している.
 この「初心者でも作れる料理」は,野菜の切り方とか,鶏モモ肉の下処理の仕方とかの技術的なことは全く無関係で,ただもう「○と○を組み合わせたらおいしかった」というものだ.従ってその「○」と「○」に何を使うかが重要になる.先日の放送では,そうめんを使ったアイデア料理を紹介していたが,出演者のバカリズムもカズレーザーも口を揃えて「そうめんは揖保乃糸ですよねー」と言った.私はそれでいいと思う.もちろん,我が家は三代前からそうめんは三輪に決めている,という人はそうしてほしい.
「家事ヤロウ」のように,出来合いの常温保存の加工食品やレトルト食品,冷凍食品,調理済みチルド食品などをアレンジして,自分がおいしいと思うものを作る,というのはよいことだ.料理本を読みながら一から手作りの料理を拵えてまずかったりすると精神的ダメージが大きいが,出来合いのもののアレンジは簡単だから気楽だ.それて失敗だったら二度と作らなきゃいいだけのことである.
 そういう流れの話で,一つ紹介したいものがある.レトルトカレーでハウス食品の「プロクオリティ ビーフカレー 辛口」だ.これはCМ動画を時々テレビで流しているが,「具が入っていない」のが「プロクオリテイ」だというのである.
 確かに,一袋五百円前後のレトルトカレー (そういうのがあるのよね) でも,入っている具は一センチ角の謎肉みたいなかけらで,実にチープである.こんな具だったら入ってなくてもいいやと普通の人は思うのではないか.
 だから私は遠藤憲一シェフの「プロはソースで勝負!」を支持する.そこでAmazonのユーザー評価を読んでみよう.
 
プロクオリティとか言っているが、全然美味しくなかった。宣伝で美味しそうに食べてるが全部嘘だ。普通のレトルトカレーの方が美味しい。何かウスターソースか中濃ソースを混ぜたようなマズさ。もう二度と買わないと思う。
 
と☆一つにしてディスっている人もいるが,
 
不味いカレーではないが、5分の2ぐらいはソースというかデミグラスソースの味だ。カレー本来の味はあまりしない。色も黄色ではない。あまりウコンを使っていないのでカレー感がしない。むしろハヤシライス風の味だ。ガーリックはきいている。
 
と,☆四つにしたうえで《カレー感がしない》と書いている人もいる.まあ,そうだろうと私も思う.
 しかし,このレトルトカレーはとにかく価格が安い (一袋が百円以下で売られている) ので,具をたっぷり入れてさらに「カレー感」を強化すれば,ワンランク上の価格帯の商品 (これもカレー屋のメニューに比べるとかなりチープだ) よりもおいしくできるのではないかと私は思った.それに,即席カレールーで一人前のカレーを作るのは難しいが,レトルトカレーをベースに利用すれば少量のカレーを作ることができるメリットがある.独居あるいは夫婦二人の高齢者は,作る料理の量を減らすことが必須だ.
 というわけでその一例だ.
 スーパー等で「カレー用」とラベルに書いてある安い牛肉を二百グラムくらい買ってくる.
 小さめの鍋に肉を入れ,ヒタヒタの水を加えて火を着ける.
 すると味を損ねるアク (血液成分等の不溶性タンパク質) が浮くので,これを掬い捨てる.煮る前に,肉に付着しているドリップをよく洗うとアクが少なくなることは,諸兄既に御案内の通り.
 次に「プロクオリティ ビーフカレー 辛口」一袋を鍋に投入する.当然だが,シャブシャブに薄くなる.
 ここにインデアン食品のカレー粉と,GABANのガラムマサラ,各大さじ二杯を加える.インデアン食品のカレー粉は評判がいいが,通販で買ったりすると高くつくので,デパ地下とか,近くに成城石井とかがなければ,スーパーにあるS&Bの赤い缶でよい.GABANのガラムマサラは実店舗で入手しやすい.特段にいくつものスパイスを用意しなくとも,カレー料理にはガラムマサラがあれば充分だと思う.
 以上を,カレーソースが元のレトルトカレーの量になるまで煮詰める.味見すると,はじめは「とがった」スパイシーな味だったものが,煮詰めていくと「プロクオリティ ビーフカレー」とは別物のようになる.そして出来上がりは,米の飯にカレーソースをぶっかけて食べるいつものお手軽カレーではなく「御飯と肉のおかず」という雰囲気が漂ってくる.(下の写真)
 下の料理例は牛肉だが,大きく切った鶏腿でも「ちゃんとした料理」のように見える.爺さんがレトルトカレーを温めてチャチャッと昼飯を済ませてしまう粗食感はないと思う.要は,カレーソースの量に対して具をたくさんにすることだ.
  
20200802a
 
 ところで,上の写真の飯は着色しているのがわかるだろう.これは,米二合に対して粉末か顆粒のコンソメスープの素を八グラムくらい入れて炊いたもの.コンソメスープはメーカー間の違いが大きいので,食塩相当量四グラムを目安にするとよい.飯にうっすらと味をつけておくと,カレーソースは少なめで具が多くても,おいしい.ちなみに上の写真では,飯の量は茶碗に軽く一膳である.

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ガーゼマスクはたぶん早く品質劣化する

 SANSPO.COM《安倍首相、アベノマスク着けず 布製の大きいサイズ使用》[掲載日 2020年8月1日 20:33] によれば,安倍首相は遂にアベノマスクの着用を諦めた.
 テレビ報道を観ている限り,これまで安倍首相に従ってアベノマスクを着用してきたのは側近である総理大臣補佐官の今井,和泉氏ら数人のみであった.あとは西村大臣は一貫してあの独特のマスクを着け,官房長官や厚労相は最初からアベノマスクを着用する気配すらなく,ほとんどの場面で不織布マスクを使用していた.閣僚たちの面従腹背を絵に描いたようなものだ.
 安倍首相と君側の 補佐官たちだけがアベノマスクを使用しているシーンを毎日のようにテレビで見ていると,首相のマスクのサイズが大きくなったり小さくなったりしていることに気が付いた.たぶん,毎日交換して洗濯すると,すぐに縮んでしまうのだ.だとすると,首相はこれまでかなりたくさんのアベノマスクを使い捨てしてきたことになる.それで首相は手持ちのアベノマスクがもうなくなったのではないかと推測されるのだが,とうとうアベノマスク着用をやめてしまった.
 アベノマスクの配布が遅れに遅れてしまったせいで,もう国民は薬局等でマスクを安価に買える状態になっている.
 ところが官房長官は,自分は一度もアベノマスクをしたことがないくせに,現在未発送のままになっているアベノマスク八千万枚の配布を強行すると会見で述べた.
 これにメディアが批判を浴びせると,すぐに方針転換した.備蓄に回すという.首相がアベノマスク着用をやめたのはこれと連動している.
 備蓄というともっともらしいが,使用する見込みがないのだから要するに不良在庫だ.
 白い布製品はいずれ黄色くなる.そもそもアベノマスク配布が始まった頃の品質クレームは,虫の混入と黄変だった.
 ずっと先のことになるが,不良在庫化してやがて黄変のために廃棄処分されるであろうアベノマスクについて,会計検査院がどういう評価を下すかが興味あるところだ.

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2020年8月 1日 (土)

自称作家の老残

 共同通信《石原慎太郎氏「ALSは業病」 ツイッター投稿、謝罪》[掲載日 2020年8月1日 0:09] などの報道を読んだ人は「作家を自称しているが,こいつは本当に基本的な日本語を知らぬのだな」と思ったことだろう.
 
京都の筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の嘱託殺人事件を巡り、元東京都知事の石原慎太郎氏(87)が自身の公式ツイッターに「業病のALS」と投稿していたことが分かった。業病は「前世での悪事の報いでかかると考えられていた難病」(広辞苑)との意味で、批判が殺到。石原氏は31日、ツイッターで謝罪した。
 
 前日の毎日新聞《石原慎太郎氏が謝罪 ALSを業病と表現 「作家ながら私の不明の至り」》[掲載日 2020年7月31日 18:50] はもう少し詳しく書いている.
 いずれにせよ自分の発言が強く非難されたことに慌てて,石原は釈明した.そこを毎日の記事から引用する.
 
ALSを難病とせず業病と記したのは偏見によるものでは決してなく、作家ながら私の不明の至りで誤解を生じた方々に謝罪いたします
 
 辞書をひけば中学生でもわかる「業病」と「難病」の意味の違いを石原は知らなかっただけではなく,《誤解を生じた方々に謝罪いたします》はは日本語としてデタラメである.論理がメチャメチャだ.
 石原の発言を世間の人々が「誤解」したとするなら,その責任は世間の人々にある.「誤解」という言葉を使う場合は,石原は「自分は悪くない」と主張していることになる.しかるに石原は《謝罪いたします》と書いている.自分は悪くないと思っているなら,なぜ謝るのだ.石原の書いた小説が全く後世に残るものでなかったのは,こういう石原の文章力のなさ,支離滅裂さによるものである.
 こういう子供みたいな文章を書く人間が《作家ながら私の》とは笑わせる.
 それにしても,だ.石原の弟,裕次郎は日本の戦後を代表する俳優の一人であった.その出演作品のいくつかは永遠に邦画の代表作として残るだろう.しかし弟のような才能に恵まれなかった兄は,今回の騒動のように老残を晒している.哀れである.

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