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2020年7月15日 (水)

形ばかり /更新再開

*註1) しばらく体調を崩してブログ更新が滞った.以下は先月に書きかけた記事の続きであるが,藤井七段については,7月16日に棋聖戦第四局で渡辺明棋聖を下してタイトルを奪取したため,記事冒頭の内容が古くなっている.
*註2) このブログでは,ココログ側で標準フォントをМSゴシックに指定している.つい最近,Win10のブラウザであるEdgeに大幅な変更がなされ,МSゴシックを斜体にした字体が非常に汚らしくなって,ほとんど読めないくらいになってしまった.フォントとそのサイズをブログ側で指定せず読者がEdgeの設定をいじればいいのかも知れないが,私は従来のやりかたを変えたくないので,このままМSゴシックを指定していく.しかし斜体 (引用文) がまともに読めなくなったのには困った.そこで引用文は斜体ではなく太字にすることにした.これならなんとか読める.
 
 腰痛が長引いた.立てないことはないが,キーボードに向かうのはつらかったので,このブログの執筆には二週間のブランクができた.
 この二週間色んなことがあった.目についた情報はブラウザのタブにしておいたのだが,それが数十にもなってしまって.もはや何が何だかわからぬ始末と相成った.
 そんな有様ではあるが,最近の話題では,藤井聡太七段が棋聖戦で渡辺明三冠を相手に連覇し,最年少タイトル獲得に王手をかけるとともに,王位戦でも挑戦権を獲得したことがある.メディアの扱いが大きいので,将棋の金も銀もわからぬ若い女性でも,容姿からして初々しい藤井七段のことは知っているのではなかろうか.この棋聖戦でどちらの応援をしたいか若い女性に訊ねたら全員が藤井七段の肩を持つと思われる.
 初戦は藤井七段の勝ち.第二戦も藤井七段が制したが,これについて幾つかのメディアが《藤井聡太七段(17歳)最強将棋ソフトが6億手以上読んでようやく最善と判断する異次元の手を23分で指す》[掲載日 2020年6月29日 1:26] に類したことを書いた.記事の筆者は専門のライターたちだが,中には棋士もいて,そんな認識でいいのかと心配になる.
 なんとなれば「将棋ソフトが六億手を読む」と聞くと大したことのように錯覚する人もいるだろうが,六億手が所要時間に換算するとどうなのかはハードウェアの性能による.だから条件によっては,将棋ソフトがすぐ提示する最適解を,人間は二十分もかかって到達するというような結果もあり得るのである.
 またスポーツ報知《加藤一二三・九段、AI過大評価する風潮疑問「きらめきやひらめきを軽視しすぎではないか」》[掲載日 2020年6月29日 21:50] には次の記述がある.
 
「コンピュータソフトが6億手読み切った所で最善手として提示される異次元の一手を、藤井聡太七段は実戦譜に置いて僅か考慮時間23分にして指したこと」が話題に挙がっているとした上で「天才棋士の頭脳のきらめきやひらめきを、そもそも軽視しすぎの世の中ではないかと歯痒い想いがする」と語り、「AIを過大評価する」世の中の風潮に対して疑問を投げかけた。
 
「六億手を二十三分で」だの「藤井七段は AIを超えた」だのというピンボケ記事に比べると,さすがに加藤九段の発言ははるかにまともである.
 囲碁でも将棋でも,かつて綺羅星のような天才たちが現れて覇を争った.群雄割拠の時代もあったし,タイトルが一人に独占されたこともあった.
 しかしいつかは天才も衰えるときがくる.体力が落ち,「頭脳のきらめきやひらめき」の輝きを失う.そして一時代を築いた天才は次の時代の若い天才にタイトルを譲るのである.
 だから空想のこととして,全盛期の大山康晴に,全盛期の羽生善治が七番将棋を指したら結果はどうか.間違いなく三勝三敗一分けに指しわけるであろう.また近い将来に藤井七段が将棋界の頂点に立つとしても,もし全盛期の大山や羽生と戦ったとしたら結果はどうなるか.これまた引き分けるであろう.
 囲碁将棋のおもしろさは,頂点に立った誰よりも誰が強いかということではない.天才たちの才能のピークの日時が絶対に一致しない以上,「史上最強」は無意味な言葉だ.誰が誰より強いとか弱いということではなく,加藤九段の語る通り,天才たちの「頭脳のきらめきやひらめき」のドラマ,それこそに囲碁将棋のファンは胸を熱くするのだ.碁石や駒に投影される勝負師たちの人生が私たちの関心の的なのである.
 将棋ソフトが,タイトル戦の盤外で何億手を読もうが,それは渡辺三冠と藤井七段の人生には無縁のことである.私たちの興味関心はこの二人の天才が,今このとき,彼らの人生を賭けてどのようにして戦っていくかにあるのだ.
 
 話は変わるが,昨年の参院選で河井克行容疑者と河井案里容疑者に買収された安芸高田市の児玉浩市長が「丸刈り」で記者会見したことが話題となっている.この嘘吐き野郎は朝日新聞によると《児玉市長はこの日丸刈り姿で登庁した。会見では、「今できることを考え、『反省を示さなくちゃ』とこういうヘアスタイルにした」と説明》したという.(《現金受領認めた市長が丸刈り姿に「反省を示さなくちゃ」河井議員夫妻の買収容疑事件》[掲載日 2020年6月26日 15:13])
 買収されても反省 (のフリを) すれば (辞職しなくても) いいんだという児玉市長に対する批判が当然ながら起きた.まいどなニュース《安芸高田市・児玉浩市長の記者会見に思う「丸刈りが謝罪に用いられること」への違和感》[掲載日 2020年6月29日 19:30] はその一つである.
 この記事のライター「中将タカノリ」は次のように書いた.長いので抜粋するが,原文の無茶苦茶さ加減を知っていたただくために,リンク先の原文をざっとお読み頂くとありがたい.
 
昨年の参院選をめぐり河井克行容疑者、河井案里容疑者によって引き起こされた大規模買収事件。事件は夫妻の地元、広島県を中心にさまざまな波紋を起こしているが、いま世間では安芸高田市・児玉浩市長の「丸刈り謝罪」が特に大きな話題として扱われている。
これまでの主張から一転して計60万円の金銭受領を認めた児玉市長は6月26日、頭を丸刈りにして謝罪と市長続投を表明する記者会見を開催した。髪型を変えることがこの問題の本質となんら関係ない陳腐な行為であることは明らかだが、今回深く考えたいのはなぜ「謝罪=丸刈り」なのかということだ。
 
日本人ほど丸刈りに意味を込めたがる国民はいないだろう。近世以前には男性が戦争や政争に敗れ野心を捨てたことを表明するために剃髪する例、女性が亡くなった夫に対し操を守るために剃髪する例が多数あった。戦時中には織田作之助「髪」に見られるように男性の丸刈り以外の長髪は精神のたるみの象徴とされ弾圧された。戦後に至っても中学、高校の男子生徒に丸刈りが「学生らしい」髪型として強制されたり、懲罰行為として用いられることが多々あった。
 
日本において丸刈りは謝罪の手段として、また同時に体制による支配の手段として利用されてきたのだ。峯岸さんの丸刈り謝罪に気持ち悪さを感じるのは、その行為が本来一個人として自由であるはずの女性が、実はいまだに社会的に支配された存在であることを象徴するものだったから。また児玉市長の丸刈り謝罪に底知れぬアホらしさや怒りを感じるのは、その行為がなんら思想や深い考察をともなわず、無神経に反省のポーズとして用いられたからだ。
 
東洋的な思想を形作った孔子の教えにも「身体髪膚これを父母に受く あえて毀傷せざるは孝の始めなり」(「孝経」より)という言葉がある。手足から髪、肌にいたるまで身体は父母からいただいたものなので敢えて傷つけるようなことがあってはならないという意味だ。タトゥー文化等との兼ね合いを考えるといささか旧弊に感じるかもしれないが「身体に本意ではない傷をつけることへの戒め」ととらえれば今なお重みをもって受け止められるべき名言だろう。特に今話題になっている児玉市長には自分の丸刈り謝罪がいかに時代遅れの愚行の上塗りであったかご理解いただくための参考にしていただきたいと思うのだが。
 
 上に抜粋引用した記事は,別段の問題はないように読み流される可能性が高いが,しかし論理展開が支離滅裂である.
 中でもどうかと思うのは,《近世以前には男性が戦争や政争に敗れ野心を捨てたことを表明するために剃髪する例、女性が亡くなった夫に対し操を守るために剃髪する例が多数あった》と書いて,日本の近世以前から行われてきた宗教儀礼「剃髪」を,近現代における調髪スタイル (髪がないから髪型とは言わぬだろう w) の一つ「丸刈り」と一緒くたにしてしまったことだ.中将タカノリの文章の論理は「丸刈り=謝罪」なのだが,そこに無思慮かつ唐突に「剃髪」を持ち出したために展開に破綻が生じた.どのような破綻かを以下に述べる.
 
「丸刈り」は髪を「刈る」のである.「刈る」は「切る」と同じだ.稲刈りの「刈り」は稲の茎を鎌を引いて切るのだが,頭髪を小刀などで引いて切ったら痛くてたまらぬ.そこで頭髪の「丸刈り」は,鋏を用いて切る.鋏で切るといってもそれは切断の原理的な話であって,現在では実際には調髪用に考案された特殊な鋏であるバリカンを用いる.普通の「裁ち鋏」や文房具の鋏の類では,頭髪の根元からきれいにカットできないからだ.
 ここでWikipedia【バリカン】を参照してみよう.
 
日本での歴史
1871年11月5日 (明治4年9月23日) に明治政府によって散髪脱刀令が公告され、一般には、断髪令という名称でちょんまげから頭髪の自由化がなされたことと、1873年 (明治6年) の徴兵令の公布で、入営した兵士の頭髪を衛生上の理由から丸刈りとしたことが、日本でバリカンが広く普及する背景となった。1894年 (明治27年) に勃発した日清戦争で広く徴兵が行われたため、丸刈りが日本人に定着するようになった。
1883年 (明治16年)、フランス駐在の日本公使館書記官・長田桂太郎が持ち帰り、理髪師の鳥海定吉が最初に使用して普及したと言われている。
1884年 (明治17年) には同年12月4日の読売新聞にバリカンの広告が掲載されるほど日本で広く普及するようになり、男子に丸刈りが一般化するようになった。
 
 これによれば,我が国にバリカンがフランスから持ち込まれたのが明治十六年であるから,日本の軍隊で兵の頭髪が「丸刈り」とされたのは,明治二十七年の日清戦争時の徴兵からであることがわかる.従って明治六年の徴兵令以降,日清戦争までの兵の「丸刈り」は,調髪鋏 (詳細は省略するが,当時のものの画像を見ると現在の調髪鋏とほとんど変わっていない) で刈った (切った) ものと思われる.しかし調髪鋏ではバリカンほど短くは刈れないから,これは現在の五分刈り程度のものであろう.
 余談だがWikipedia【丸刈り】には次の記述がある.
 
明治維新後の1871年9月23日 (明治4年8月9日) に散髪脱刀令が布告され髷を結わなくても良いことになった。また、バリカンの輸入によって丸刈りという新しいスタイルが誕生し、認知されるようになった。さらに1873年 (明治6年) に徴兵令が公布されると、軍人の髪型である丸刈りが国民に定着していくこととなった。
 
 この記述によると,バリカンが日本に舶来したのは明治六年の徴兵令よりも前のことだとされ,Wikipedia【バリカン】の記述と食い違っている.ネット上にある他の資料を参照すると,概ねWikipedia【バリカン】の記述が正しいように思われるが,しかしその一方でWikipedia【バリカン】は《理容用バリカンは米国の自動車会社のリンカーン社やキャデラック社を創業したヘンリー・リーランドが発明したとされている》としているが,ヘンリー・リーランドの子孫が書いたウェブ記事によるとヘンリー・リーランドの考案は実は「理容用バリカン」ではなく「電気バリカン」だとなっている.すなわちヘンリー・リーランドが理容用バリカンが発明したというのは誤りである.バリカンのプロトタイプが発明されたのは十九世紀の中頃であるから,これから考えても,自動車産業黎明期の人が手動式バリカンの考案者だというのは,Wikipediaの記述を書いたときに編集した人間は直感的に「これは間違いだ」と気が付かねばいけない.つまり要するにWikipediaには,バリカンについて完全に信用に足る記載はない.
 さらに,リアル出版物の百科事典を調べた.平凡社世界百科事典第二版は次のように述べている.
 
理容器具の一種。バリカンの名称は,1883年パリ公使館勤務の長田桂太郎がみやげとして持ち帰って紹介した製品が,フランスのBariquand & Marea商会のものであったことに由来し,明治末期から一般に普及した。英語ではヘアクリッパーhair clipperという。刃の要部は上下に重ねられた櫛形状の二枚刃から成り,下刃は固定,上刃の往復運動によって両者の嚙合せを利用し,櫛形の部分に入った毛を挟み切る。
 
 ブリタニカ国際大百科事典には以下のことが書かれている.
 
金属製の頭髪刈り用具。上下2枚の櫛形の刃から成り,交差状の取手を動かすことにより刃を交互に左右に往復させて毛髪を刈る。刃の重ね合せの調節によって髪の長短を一分刈りとか五分刈りとかに分ける。日本では 1884年に長田けい太郎が,フランスのバリカン・マール製の手動式の毛刈器を持帰ったのが最初で,その社名が通称となった。電気バリカンは 1920年にアメリカから初めて輸入された。
 
 諸々の資料中,日本へのバリカンの到来が1884年であるとしているのはこのブリタニカ国際大百科事典だけであるので,おそらく誤りでああろう.ただ電気バリカンの輸入時期に言及しているのはこの百科辞典だけであることは指摘しておきたい.
 平凡社世界百科事典とブリタニカ国際大百科事典は,百科事典としての使命を終えたのはそれほど古くない (実はデジタル版は現在のWindows10でも動く/使わないが私のPCにインストールはしてある) が,かつてそれらと並ぶ知的財産であった小学館の日本大百科全書(ニッポニカ)[1984~1994刊:全26巻] は割と早めに知識のレファレンスのポジションから去った.Windows95上で動作するソフトウェアも出版され,私はそれを購入したが,小学館はWin95以降のOSには対応しようとしなかった.そのため私はこの高価な百科辞典のディスクを,惜しみつつ捨てることになった.その点では平凡社は世界百科事典の愛用者に対して誠実だったといえる.
 ところでこの大部の百科事典はネット上にデジタル資産として今も存在している.一応現在も更新が継続されていることになってはいるが,果たして本当かどうか.おそらく古い百科事典項目は活字出版物時代のままであろう.さてその日本大百科全書は,日本の百科事典の本家である平凡社世界百科事典のほとんどコピペみたいな項目もあったが,独自の解説をしていた項目もあった.バリカンについてみてみよう.
 
毛髪刈り込み用の理容器具で、正しくはヘアクリッパー。フランスの製造会社バリカン・エ・マールBariquant et Marreが刈り込み用器具の日本での一般名称になった。日本では散髪脱刀令 (1871) に伴い1874年 (明治7) フランスから両手式のものを菱屋 (ひしや) (現丸善) が輸入したのが最初である。国産品は、88年元鉄砲鍛冶 (かじ) の伊藤兼吉 (大阪) が「ジャッキ」を試作、実用化した。関東では、横浜のマーヤ商会が輸入したフランスの片手用ばね式バリカンをモデルとして国産化に成功、90年に東京・本郷の鉄砲鍛冶中村友太郎が初めて国産片手バリカンを市販した。日清 (にっしん) 戦争 (1894~95) 中に丸刈りスタイルが定着、軍隊などで広く使用されるようになり、1920年 (大正9) にはアメリカから電動式のものが輸入され始めた。現在ではコードレスの電動バリカンも普及している。
 
 丸善が輸入したのが本邦初であるとか,鉄砲鍛冶の二人のこととかは他の事典には出てこない.おそらく専門書の記載に基づいているのだろうが,今となってはもはや調べようがない.容易に入手できる資料に基づく結論としては,我が国独自の調髪スタイルである「丸刈り」は,日清戦争の頃の軍隊のそれであったということである.繰り返すが,日本軍が兵の調髪を「丸刈り」としたのは衛生上の理由からであり,あるいは軍の規律ということもあったかも知れないが,宗教的な意味は全くなかったことが強調されねばならない.
 これに対して「剃髪」は歴史的に遥かに古く,奈良時代に遡る.そしてもちろん「剃髪」に理容としての意味はなく,これは僧侶の規律の一つなのであった.明治時代に始まる「丸刈り」と,古来の「剃髪」の違いは,用いる刃物が歴然と異なる.「丸刈り」にはバリカンを使用するが,「剃髪」は剃刀 (カミソリ) で剃る.剃刀で剃るから剃髪なのである.ついでに言うと,鋏でカットするのは断髪である.
 そこで再び中将タカノリの書いていることをみてみよう.
 
日本人ほど丸刈りに意味を込めたがる国民はいないだろう。近世以前には男性が戦争や政争に敗れ野心を捨てたことを表明するために剃髪する例、女性が亡くなった夫に対し操を守るために剃髪する例が多数あった。戦時中には織田作之助「髪」に見られるように男性の丸刈り以外の長髪は精神のたるみの象徴とされ弾圧された。戦後に至っても中学、高校の男子生徒に丸刈りが「学生らしい」髪型として強制されたり、懲罰行為として用いられることが多々あった。
 
 明らかに上の文章では「丸刈り」と「剃髪」が一緒くたになっている.この甚だしい無知に,私は驚く.
日本人ほど丸刈りに意味を込めたがる国民はいないだろう》とあるが,明治以来の旧日本軍が兵の調髪を「丸刈り」としたのは「衛生」,ただそれだけである.軍隊は集団生活であり,そこでは衛生が極めて大事である.感染症なんぞが発生しようものなら,事は国運に関わる.赤痢あたりは論外だが,ノミもシラミの類も徹底的に排除されねばならぬ.それが兵の「丸刈り」を必要としたのである.神国だとか八紘一宇だとかあるいは天皇制全般に係る象徴的な「意味」は「丸刈り」にはなかった.「丸刈り」は単なる調髪の型の一つだったのである.事実,明治天皇は

 これに続いて《戦時中には織田作之助「髪」に見られるように男性の丸刈り以外の長髪は精神のたるみの象徴とされ弾圧された》とある.
 織田作之助『』(青空文庫) を


 

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