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2020年7月

2020年7月31日 (金)

感染拡大特別警報

 本日の午後,種々のメディアが伝えたところによれば,東京都内の新型コロナウイルス感染者が新たに463人報告された.小池知事は,若年層だけでなく60代にも感染が広がっており,一刻の猶予もない状況だと述べた.都内の新規感染者が400人を超えたのは初めてである.
 200人を突破した時も300人を突破した際も,渋谷や新宿の盛り場にテレビ局が出向いて,都民に感想をインタビューした.
 すると若い人たちは異口同音に「驚きました,ほんとにコワイです」とインタビューに応じていた.
 しかしカメラが捉えた映像では,その若い人の向こう側には「夜の街」があり,そこを多数の人々が楽しそうに歩いているのだ.
 ほんとにコワイと思ったら,彼らが盛り場に出てくるはずがない.「ほんとにコワイ」はテレビ向けの社交辞令にすぎないのである.
 彼らの本音は「いああ自分の周りには感染したやつ一人もいないから,自分もかかるとは思ってないし,もしかかったらかかったで,その時はその時っす.あ,これから飲み会なんで,もうこれでいいすか?」なのだ.
 私は神奈川県民だが,すぐ神奈川の感染拡大状況も東京に続くだろう.従って私は,今日から引きこもり度を一段階上げることにする.なにせ,感染したら私のように基礎疾患を持っている (過去に心臓の手術をした) 高齢者は五人に一人が死ぬのだから.
 
 ところで小池都知事は「感染拡大警報に『特別』を付けて,感染拡大特別警報にしました」とか言っているが,明日あたり新たな感染者が500人を超えたりしたら,言葉遊びとしてはどう言うのだろう.感染拡大特別重大警報だろうか.その次は感染拡大特別重大藪ら柑子の藪柑子パイポパイポパイポのシューリンガン警報はどうだろうか.

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2020年7月30日 (木)

料理人は普段からマスクをして欲しい

 フジテレビ《羽根つき餃子発祥の地、東京・蒲田で一番美味しい店をギャル曽根が爆食い&決定!》[掲載日 2020年7月29日] を観た.
 私はよく知らぬが,東京の蒲田は餃子が自慢の店が多いのだそうだ.今回の放送では,その有名店からより選った七店で自慢の餃子をギャル曽根さんが試食し,トーナメント方式で,ギャル曽根さんが一番おいしいと思う店を決定するという企画であった.
 どの店の餃子も実にうまそうであったが,餃子とは別のことが気になった.
 登場する各店の店主たちが,一様にマウスシールドを着用していたのである.
 
 料理人としての腕がよいかどうか私にはよくわからぬが,テレビに出てくるフランス料理やイタリア料理の有名シェフたちの中に不潔感満載なのがいる.まず最低なのは口のまわりにヒゲを蓄えているバカだ.鼻の下だけでもかなりバカである.ヒゲ面は細菌の温床であることを知らぬのかと言いたい.その不潔野郎が,テレビ画面には大抵,腕組みをして不遜な態度で出てくるから呆れる.
 これに比較すると和食のプロ料理人たちは,野崎洋光氏を始めとして清潔感のある人たちが多い.中華も同じ.
 
 だがしかし,冒頭に書いたテレビ番組では,店の人間全員がマスクではなくマウスシールドをしていた.異様な眺めであった.
 医療従事者は,勤務中は医療用マスクをしてさらにフェイスシールドまたはゴーグルをするのが顔面の標準装備だが,それでも医師や看護師が感染するのを完全には防げていない.それほどウイルスに対する感染防御は困難なのである.
 ましてや,餃子屋がマウスシールドなんぞは無意味も甚だしいと言って差し支えない.
 いったい誰がこんなものをはやらせたか.たぶんマスクを忌避する海外の人々が始めたのだろうが,日本でも飲食店を中心に流行しているという.(YAHOOニュース《接客業で多くみられる「マウスシールド」その有効性は》[掲載日 2020年7月14日])
 このマウスシールドは,顔面から前方へ排出される呼気中の飛沫を上方に方向を変えるだけのものであり,物理的に何の効果もない.会話中に唾液が前方へ飛ぶのを減らす程度の意味しかないのは一目瞭然だ.
 大体において,普段から衛生に気を配っている飲食店はほとんどない.とりわけ居酒屋なんかでは客が来ると店員が「らっしゃいませーっ!」と大声を張り上げ,酒や食い物を注文すると「中ジョッキ三本よろこんでーっ!」などと厨房に届けとばかりに言う.マニュアルばかか.
 それはともかく,蒲田の餃子屋が全員,マウスシールドをしていたのは異様であった.もしかすると「撮影の時は,世間がうるさいもんでこれをつけてください」とのフジテレビの差し金かも知れぬが,コロナ禍だからというのではなく,常日頃から食い物を扱う商売では,清潔なユニフォームと帽子とマスクを着用してほしい.スーパーのバックヤードで働いているパートさんたちを見倣えと言いたい.店員がマウスシールドをしている飲食店があったら,衛生意識が低すぎるのだから,こういう店は我が身を守るためには絶対に利用しないことだ.

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2020年7月26日 (日)

反社の存在を認めよという記事

 NEWSポストセブン《コロナで困窮したホストが特殊詐欺に流れて逮捕される背景》[掲載日 2020年7月26日 16:05] によると,少し前の東京では,「夜の街」が新型コロナウイルス感染の元凶と言われていた.今はもうその時期を過ぎて,「夜の街」から市中感染へと拡大を続けているのが現状らしい.
 その「夜の街」では,多くの風俗店が緊急事態下における自粛要請中,休みなく営業を続けておきながら「休業協力金」も手に入れられるよう,表向きは休業しているかのように装っていたという.
 私がテレビの報道を観た限り,彼らはメディアの取材に対して異口同音に「万全の感染防止対策を行っています」と答えていた.しかしそんなのは嘘に決まっている.別稿で述べたが,風俗店だけでなく一般の飲食店等でも,まったくデタラメで効果のない「アルコール消毒」をやっている映像が,繰り返し放送されてきた.あんなやり方で,テーブルやイスを含む店内環境が消毒されるわけがない.新宿等の風俗店でクラスターが発生したのは当然なのである.
 彼らは,感染対策なんぞ見せかけだけやってりゃいいんだと思っているのだろう.取材時には,ホストたちはフェイスシールドをしてみせていたが,シャンパン・コールの時ははずしていると言っていた.正業に就いていない者が本気で社会的責任を果たそうとするわけがないのだ.
 キャバクラにしろホストクラブにしろ,社会的責任ということから最も遠い生業である風俗業界は,反社に近いところにある.
 業を煮やした菅官房長官は「夜の街」へ警察力の導入を示唆した.普段は官房長官と仲が悪いとされる小池都知事がこれに乗った.警視庁が風俗店の取り締まりのついでに,感染防止指導を行うというのだ.愚かというしかない.必要なのは,例えば「アルコール消毒しろ」ではなく「アルコール消毒の正しい方法はこうです」と指導することなのに.
 警察官は,感染対策に関しては一般人と同レベルの知識しか持っていない.彼らが感染でもしたら知事はどう責任を取るつもりなのか.
 いずれにせよ「夜の街」のうちの反社会的部分は,警察官を危機に晒しつつも,いずれ権力の手で追い詰められていくだろう.
 冒頭に挙げた記事は,このような状況下,食い扶持にあぶれたホストたちが,特殊詐欺等の犯罪に手を染めつつあるとレポートしている.
 
「歌舞伎町のホストが、店が潰れて仕事が無くなったことから、特殊詐欺の受け子をして逮捕されました。また、休業要請期間中に店にこっそり客を呼び、100万円以上をぼったくっていたとして、ホストがすでに逮捕されています。元ホストが犯罪で捕まっても、自身がホストであったことを打ち明ける例は当然少ない。直近で特殊詐欺で検挙された人間の中には、元ホストが少なくない数いるのではないかとも言われています」(大手紙警視庁担当記者)
 
 当該記事は,そこまではいい.しかし結びの一文が驚くべきことを言っている.
 
こうして書いてみてはいるが、責められるべきはホストだけ、と個人的には思っていない。筆者は以前、休業要請に応じないパチンコ店などを取材し、彼らが、50万円、100万円の休業協力金をもらうだけではどうしようもない、とういう実態をレポートしたが、ホストクラブに代表される「夜の街」の店々も同様だ。営業してナンボ、モノを売って100円1000円の利益を得るのではなく、数百万円を使って数千万円を得るというビジネスモデルである。
 もちろん、こうした仕組みを理解できない人たちにとっては、彼ら、彼女らの存在そのものまでを否定したくなるだろう。ただ、それを言っちゃ「おしまい」であるし、そうした金の回し方をする人たちが一定数いてこその、日本経済だったという側面も忘れてはいけない。結局その点への救済が不十分だからこそ、職にあぶれたホストが犯罪に走るなど負のスパイラルを呼び込んでいる、その災いが一般市民にも影響を与えている現実を、もっとよく理解しておいたほうがよいだろう。
 
もちろん、こうした仕組みを理解できない人たちにとっては、彼ら、彼女らの存在そのものまでを否定したくなるだろう。ただ、それを言っちゃ「おしまい」であるし、そうした金の回し方をする人たちが一定数いてこその、日本経済だったという側面も忘れてはいけない
 
 このセンテンスは「彼ら、彼女ら」を暴力団に置き換えても論理的に成立する.というより,記事を書いた記者の論理は裏社会のことを示唆している.
 麻薬や覚醒剤による裏社会経済だけでなく企業舎弟も含めれば,暴力団というマーケットの規模はホストクラブの比ではないだろう.彼らは無視できない日本経済の一部である.その上で,上の記事を書いた記者は,「覚醒剤を売ることを生業とする暴力団が一定数いてこその,日本経済だったという側面を忘れてはいけない」と主張しているに等しい.そして暴力団が存在する社会の仕組みを理解できない善良な国民が,暴力団の存在そのものまでも否定するのは《それを言っちゃ「おしまい」》だと言うのが,この記者の理屈だ.この記者は,暴力団の存在を否定するな,肯定しろと暗に言っている.すなわち善良な市民の目からは,この記者は暴力団シンパにしか見えない.
 昔,広域暴力団の組長 (山口組の田岡一雄だったと記憶している) が,暴力団の社会的意義を説いたことがある.構成員や準構成員を世の中に放置していたら,堅気の皆さんが大きな迷惑を蒙る.暴力団 (彼らは自分たちを暴力団とは言わないが) はそれを防ぐ役割を果たしている有意義なものだと言った.暴力団がなければ職にあぶれたヤクザたちが《犯罪に走るなど負のスパイラルを呼び込》こむ.だから私たちは暴力団が存在している《現実を、もっとよく理解しておいたほうがよいだろう》というわけだ.恐るべき反社会的記事である.無署名なのはそれが理由か.


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2020年7月22日 (水)

いい加減な性格とマスクの関係

 マスクをすることの重要な意味に,顔を覆う,ということがある.
 私たちが仕事や買い物で街中に出ると,そこはウイルスで汚染されていると思ったほうがいい.(参考;NHK《医師が記したコロナ予防法“敵は塗りたてのペンキ”》[掲載日 2020年4月15日 19:53])
 当然,手指と掌はすぐウイルスに汚染される.
 この手指や掌で目,鼻,口の近くに触れると,感染リスクが非常に高くなるという.(岡田晴恵白鴎大教授による)
 言い換えれば,眼鏡をかけ,目の下から顎までをしっかりと覆える大きめのマスクを着用すると,コロナ感染リスクを下げることになる.
 その点で,安倍首相は洗濯して縮み放題縮んだアベノマスクを,まるで口にサロンパスを貼ったように着用しているが,あれは全くマスクの用をなしていない.
 若い女性は,前髪とマスクのあいだにきちんとメイクした目だけが見えるようにしている.こうするとみんな小顔で魅力的に見えるからであるが,感染防止のためにもマスクはこのように着用すべきだといえる.女性が顎マスクをしているのを見たことはない.
 
 街中の交差点でたくさんの人たちが信号待ちをしている.
 車の進行方向の信号が赤になり,止まる.すると歩行者信号がまだ赤いのにスタスタと歩いて交差点を渡るやつがいる.中には,車がまだ動いているのに横断歩道を渡り始めるバカもいる.本人は「おれはルールにしばられぬのだよ,かっこいいだろうウフフ」と思っているのだ.
 こういう連中は,年齢は四十から六十くらいのオヤジだ.顔は間違いなくブサイクである.イケメンはこういうかっこう悪いことはしない.
 女性は老若問わずこんなことはしない.信号を守っている.(ただしこれは東日本の場合.阪神は除く)
 で,交差点で信号無視をするやつは,マスクから鼻を出しているか,ひどいのは顎マスクだ.
 交通ルールの遵守とコロナウイルス感染には関係があると私は思う.

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Go To トラブル

 今日から安倍内閣が自慢の経済復興対策「Go To トラベル」キャンペーンが始まる.
 それに先立って昨日,旅行業者への説明会が全国七ヶ所で開かれた.主催者はツーリズム産業共同提案体 (Go To トラベル事務局) という組織である.
 さてこのキャンペーンは,右往左往二転三転した結果,東京を除外することで決着したはずであった.
 ところが報道によれば,昨日の説明会では,東京を除外するということは一切説明になかった.
「大人数の宴会を伴う団体旅行は控えて欲しい」と政府は言うが,参加者たちから,団体扱いとする人数はどうなのかと問われた事務局は,業者の判断にまかせると答えた.つまり大広間でドンチャン騒ぎの宴会をしても割引対象になるのである.
「若者と高齢者は旅行を控えて欲しい」と政府は言うが,若者と高齢者の年齢範囲ついて質問を受けた事務局は,これまた業者の判断でいいと答えた.実は爺さん婆さんの団体旅行でも割引されるのである.(以上について民放テレビのニュースでは,会場で録音された事務局の説明がそのまま放送された.従って誤報ではない)
 また,東京都民はキャンペーンの対象外とされているが,この日の事務局の説明によると,キャンペーンに申し込んだ団体代表者が東京都民でなければ,残りの参加者全員が東京都民でも,キャンペーン割引の対象になるとのことである.つまり実は,東京を「Go To トラベル」の対象にする抜け道が用意されているのだ.
 この抜け道については,民放テレビのニュースは説明会場での事務局の説明「実は東京を除外しない方法がある」旨を,録音された事務局担当者の音声を用いて報道したが,今朝のNHK「おはよう日本」はこれを全く報道せず,政府説明の通り東京は「Go To トラベル」の対象外であると放送した.他局が報道している事実をNHKが隠す意図がわからない.
 政府は,東京はキャンペーンの対象外だと明言したが,これは嘘だったのである.近いうちに国土交通相は「東京除外」を前言訂正するのではないかと,旅行業者は民放テレビ局のインタビューで語った.
 さらに大問題は,今日現在「Go To トラベル事務局」には公式サイトが存在していないことである.業者説明会で配られた資料には「仮設コールセンター」なるものの電話番号が記されていただけである.まるで幽霊団体のようだ.政府は,インターネットではなく電話でこの大事業を行うというのだ.昭和かよ.

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2020年7月21日 (火)

とにかく死なないのであれば怖くない

 AFPBB News《吸入型コロナ治療薬で重症化リスク大幅減、英企業が暫定結果発表》[掲載日 2020年7月21日] が興味あるニュースを伝えている.
  
英バイオテクノロジー企業が、新型コロナウイルス感染症の治療薬として噴霧して吸入させるエアゾールタイプの吸入剤を開発し、命の危険がある、あるいは集中治療を要する患者数を劇的に低減できる可能性が示されたと、同社が20日に発表した暫定結果で明らかになった。
 シネアジェン(Synairgen)が、同感染症による入院患者100人を対象に行ったこの無作為化臨床試験で、タンパク質であるインターフェロンベータの吸入剤「SNG001」を投与したところ、プラセボ(偽薬)群に比べて重症化リスクが79%低くなったという。
……
 20日に公表された結果は、査読審査をまだ受けておらず、対象人数も比較的少ない。
 しかし効果が確認されれば、病院における同感染症治療に大変革をもたらす可能性がある。
 
 何が興味を引くかというと,この治療法の機序が大変わかりやすいこと.私のような素人でも「ほほーなるほど!」と膝を打ったくらいだ.
 まず上の報道のための基礎資料を百科事典から.

1. Wikipedia【インターフェロン】

2. Wikipedia【I型インターフェロン】から一部引用.
I型インターフェロンの主な機能としては、
 (1)ウイルス複製を抑制することで、細胞のウイルス抵抗性を上昇させる
 (2)ウイルス非感染細胞のMHCクラスI分子の発現を増加させ、NK細胞の攻撃から保護する
 (3)NK細胞を活性化させてウイルス感染細胞を除去する
 
 新型コロナウイルス肺炎にインターフェロンはどうなのよ,と多くの人が思っていただろう.Synairgen社はそれをやってみたわけだ.
 インターフェロンベータをエアロゾル化して患者に吸入させると,他のいくつかの治療薬候補と異なって,SNG001は炎症を起こしている肺炎の患部に直接接触するわけであるから,これ以上効率的な投与方法はないことになる.わかりやすいのはこの点だ.
 新型コロナウイルス肺炎は,劇症化して突然落命してしまうところが怖いのであり,もしSNG001が肺炎の劇症化を防げるのであれば,これは画期的に致死率を下げることになる.治療の機序が明快であるだけに期待が持たれる.
 上の記事は残念ながら臨床試験結果が投稿された専門誌の名称を書き落としている.ま,すぐ修正報があるだろうが.
 
[追記] ロイター報道によれば,Synairgen社の株価が急騰している.

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2020年7月20日 (月)

事務能力が低すぎ

  テレビのニュースを観ていたら,「GoToトラベル」キャンペーンで発生している混乱について伝えていた.
 
赤羽一嘉国土交通相は17日、観光支援事業「Go Toトラベル」(22日開始)について、重症化しやすい高齢者、若者の団体旅行は割引対象から除外すると表明した。修学旅行は対象にする。事業者にツアー企画段階で協力を求めるが、高齢者や若者の年齢や、団体の人数などの詳しい線引きは検討中としている。》(毎日新聞《GoTo、「若者と高齢者の団体旅行は除外」と赤羽国交相 修学旅行は対象》[掲載日 2020年7月17日 11:31])
 
 赤羽国土交通相の表明は三日前のことだが,それから三日も経ち,キャンペーンの開始が明後日に迫っているというのに,いまだに「若者の範囲」「高齢者の範囲」「団体の人数」等の詳細が決まっていないという.
 そんなことも決まっていないから「団体旅行の宿泊者中に一人,年齢を偽っていた高齢者がいた場合,その人の予約を取り消して宿泊させないのか,あるいは個人として団体とは別扱いにして宿泊させるのか,またその手続きは誰がするのか」などの複雑な処理はどうしたらいいか全く不明である.
 宿泊施設側には,国からも業界からも何らの情報も来ていないらしい.宿泊施設はかなり困っているらしい.
 特に割引制限の対象ではない団体ならいいかというと,そうでもないという.
 例えばの例を挙げる.そのような団体が宿泊施設に支払う代金は割引料金であるが,この団体の宿泊によって発生した諸々の経費は施設側が一時的に立て替え払いをすることになる.
 その後,施設側はキャンペーン当局に申請し,割引代金の清算をしてもらう.
 これが速やかに行われれば立て替えに払いに大した問題はないが,実際には清算が速やかに行われる可能性は低い.
 行政においては,民間企業ならば信じがたいほどの事務能力の低さが当たり前になっているからである.立て替え払いから半年も経ってから清算が行われるようだと,観光支援事業が観光業者の首を絞める可能性が出てくると,ニュースのインタビューに応じた宿泊施設の社員が答えていた.
 例の十万円定額給付金も,いまだに給付が終わっていない.
 私は横浜市民なので,横浜市の例を挙げる.
 まず,横浜市役所のサイトには,「郵送申請の振込予定の目安」という項目に次の記載がある.
 
現在、申請書が多数到着しており、申請に必要な書類が揃い、記載内容が正しければ、早くて、受け付けてから3週間程度で振り込める予定です。
振込後、振込の完了を通知するはがき(給付完了通知書)を送付しますが、お届けまでにお時間がかかります。振込の確認をお急ぎの方は、ご指定の口座の通帳への記帳や残高照会等により、ご自身で振込をご確認ください。(「ヨコハマテイガクキュウフ」と記載されます。)
 
 次に実績を見てみよう.
 
       申請受付件数                   給付
     ――――――――――――――――――――――  ――――――――――――
      郵送申請   オンライン申請   合計     給付件数     給付率
6月30日  約1,534,000件  約97,000件  約1,631,000件  約 738,000件  40.5%
7月 2日  約1,562,000件  約97,000件  約1,659,000件  約 869,000件  47.7%
7月 7日  約1,585,000件  約97,000件  約1,682,000件  約1,109,000件  60.9%
7月14日  約1,604,000件  約98,000件  約1,702,000件  約1,421,000件  78.1%
7月21日                          約1,620,000件  約89%
(見込み)
 
 給付金の振込開始は6月9日であったが,三週間後の6月30日の実績はわずか四割に過ぎなかった.上に書いたが横浜市は《早くて、受け付けてから3週間程度で振り込める予定です》と言った.しかしこれは日本語がデタラメである.上に示した実績を見れば,このような場合は「早くても受け付けてから3週間はかかる予定です」とするのが正しい.まともな日本語では「早ければ○週間程度で振り込める予定です」「早くても○週間程度かかります」か「遅くても○週間で振り込める予定です」が正しい構文なのである.だが市の給付金担当者は,そのいずれも書きたくなかった.本当は「振り込みには何週間もかかる」ということを言わねばならぬのだが,それでは市民が怒ると思って,「早く」という言葉で正反対の印象にする操作を試みたものと考えられる.小賢しいとはこのことだ.
 で,横浜市役所が定額給付金の対象である182万世帯に十万円ずつ銀行振り込みするのには二ヶ月近くを要する見込みだが,そのこと自体は横浜市役所の事務能力が低いことを意味しない.
 むしろ,自民党と公明党の政府が,思い付き的な定額給付金の振り込み作業を,自治体の事情を全く無視して押し付けてきたのだが,普段から人口との比率としては少ない職員でルーチンの市民サービスに関して効率化を図っていればいるほど,こういう突発的な作業は余計な負荷となり,処理に時間がかかるのは当然のことだ.
 ある地方都市だが,人口は少ないのに市役所は見上げるようなビルである例を私は知っている.市役所が市内で一番高いビルなのである.というか,市内には大きなマンションはほとんどなく,低層住宅ばかりだ.また,商店街は閑散とし,市役所のロビーには市民はチラホラしか姿が見えない.箱もの行政の最悪の形だ.それで,その市に住む友人の話では,給付金を申請したらたちどころに振り込まれたという.たぶん職員が仕事を取り合うようにして処理したのだろうと,その友人は言った.
 これに比べれば,大都市の横浜市が給付金の振り込みに二ヶ月を要したのは,そんなもんだろうと思う.問題は,市当局が職員の一日当たりの処理量をきちんと見積もれなかったことだ.それができていれば「遅くても二ヶ月で振り込み完了できる予定です」と市民へ正しい日本語のメッセージを届けられたはずだ.(もちろん「遅くても三ヶ月で……」でも六ヶ月でも一向にかまわない.要は,事務処理能力とは作業量を正確に見積もることができるかどうか,なのである)
 実際には横浜市は《早くて、受け付けてから3週間程度で振り込める予定です》としてしまったので,これを「三週間程度で振り込まれる」と理解した市民から「三週間経ったのに振り込まれていない」との問い合わせが市に殺到した.
 そして横浜市は,振り込み作業が進まないことについて「多数の市民から,いつ振り込まれるのかとの問い合わせを受け,そのため作業が遅れている」と言い訳をした.そして「特別定額給付金の申請状況照会について」というコンテンツを設け,「郵送申請の場合は申請書の宛名に印字されているバーコードの下の13ケタの番号で申請後の状況 (いつ振り込まれるか等) を確認できる」から自分で調べて欲しい,電話での問い合せには答えない」とした.
 だがそういうことであれば,最初から「この番号で申請後の状況を確認できます」と申請書に書いておくべきだった.
 しかし,そうしなかった.
 だから今度は「申請書のコピーを取っていないので,その番号を教えて欲しい」という市民からの問い合わせが殺到したという.
 先を見通して,初めっから申請書に「この番号が申請後の状況確認に必要ですので,控えておいてください」としておけばよかったのだ.自ら自分の仕事を増やしているとしか思えぬ.
 先を見通せないこと,これも事務能力のなさの証左である.
 
 横浜市の定額給付金振り込みより,もっとひどい例を挙げよう.それは厚労省だ.
「毎月勤労統計調査」とその結果に基づく「毎月勤労統計」は,厚生労働省が実施している調査統計であり,景気変動を探る経済指標の一つとして賃金や労働状況,雇用変動を明らかにすることを目的としている.これは統計法に基づく国の重要な調査であり,物価変動を補正した実質賃金指数,GDPの計算等にも用いられる重要な統計である.
 この調査統計において長年にわたり不正が行われていることが,2018年12月に発覚した.Wikipedia【毎月勤労統計調査】は,日本語がグダグダでわかりにくく,誤りもあって全く参考にならないので,わかりやすく書き直すと以下のようなことである.
 
(1) 毎月勤労統計調査においては,従業員500人以上の事業所については全数調査しなければならないと決められている.ところがこれを担当者レベルで勝手に変更し,2004年の分から2017年分まで,東京都の分に関して実際は約3分の1の抽出調査にしていた.担当者がこれを行った動機は不明だが,たぶん仕事嫌いで全数調査が面倒くさかったからだろう.上司たちもこの担当者のデタラメを放置した.
(2) この統計調査にはマニュアル「毎月勤労統計調査の手引き」が存在し,2004年~2014年までの「手引き」には「東京都は抽出調査でよい」と書かれていた.大胆不敵なものである.
(3) ところが次第に本統計が労働環境の実態と乖離するようになった.統計上の賃金は実際よりも低くなった.
  なぜかと言うと,統計手法としては,抽出調査をした場合は全数調査の結果に近くなるように補正をしなければいけないのだが,この担当者は補正するのを忘れたからである.いや忘れたというより,そもそも補正が必要なことを理解していなかったのではないか.事務能力がないというより,仕事嫌いのバカだったのだと思われる.この状態が2017年まで14年間も続いた.
(4) 2007年 (平成19年) 5月,公的統計の体系的かつ効率的な整備及びその有用性の確保を図るため統計法が公布された.また同法に基づき総務省に「統計委員会」が設置された.同委員会の公式サイトには「統計委員会は,統計に関する基本的事項,基本計画の案,基幹統計調査の変更など統計法に定める事項に関する調査審議を行うこと,基本計画の実施状況に関し総務大臣等に勧告すること,関係大臣に必要な意見を述べる」と書かれている.
(5) 統計委員会は2014年,毎月勤労統計の調査手法が正しいか調べることを決めた.これを知った厚労省の統計担当部署は不正が発覚することを怖れ,組織ぐるみで隠蔽工作を開始した.子供がいったん嘘をつくと,ばれないように次々に嘘をつき続けるというアレである.
 まず,誰の目から見ても不正の動かぬ証拠である「手引き」から,2015年に「東京都は抽出調査でよい」を削除した.だがこれは不正の存在を隠蔽しただけであり,2015年以降も,東京都分の調査は抽出調査のまま続行された.
(4) 統計委員会が「毎月勤労統計の調査手法が正しいか調べる」と聞くと国民は,あたかも統計委員会が厚労省に監査に入るかのようなイメージを抱くが,実際は厚労省が統計委員会に,厚労相名の報告書を提出して終わりだった.しかもこの総務省に提出した調査手法に関する報告書 (2016年10月付) には「500人以上の事業所は全数調査」であると,ルール通りであると明記されていた.すなわちこの段階で,厚労相以下の幹部も隠蔽工作に加わったのである.
(5) 厚労省が不正の隠蔽を開始してから二年後の2018年,ようやく政府部内に,毎月勤労統計に対する不正疑惑が指摘されるようになった.
  そこで厚労省は勤労統計の改竄に着手した.フツーの知能と良心を有する人間であれば「実は2004年から2017年までの統計は嘘でした」と国民に対して潔く謝罪し,この14年間の統計データを修復しますと言明するところである.しかし厚労省はそうしなかった.データ修復のためには過去14年間分の勤労統計の再調査を行わねばならないが,そんな大規模なことは政治問題化が必至である.こうなれば嘘はつき続けるしかないと厚労省の官僚たちは判断した.
(6) 厚労省は2018年1月分からの抽出調査データに,全数調査に近づけるための補正を施し,これで事態を収めようと図った.しかしその補正の結果,2018年から急激に賃金が上昇したように見えてしまった.どう見ても異常であった.これは調査方法に連続性がないのだから当たり前だが,これで乗り切れると判断した官僚の心理が不明である.
(7) 統計委員会は2018年9月28日に会合を開き,統計上の賃金が大幅に伸びているのは実態を示していないという見解を示した.民間のエコノミストたちも2018年の賃金上昇はおかしいと指摘した.
(8) この事態において統計委員会がどのように厚労省を追及したのかは不明であるが,2018年の12月13日,厚生労働省の職員が総務省の統計委員会に対して,毎月勤労統計は全数調査でないことを証言した.この時の厚労相は,2018年10月2日の第4次安倍改造内閣において厚生労働大臣として再入閣 (初入閣は第2次安倍内閣での復興大臣) した根本匠であった.根本がこの不正に関する報告を受けたのは12月20日であり,不正に関与してこなかったのに根本は貧乏くじを引いた格好であった.
(9) 年末も押し詰まった12月28日,メディアはこの不正を報じた.厚労省は,意図的な不正ではなくミスであると主張した.
(10) 明けて2019年の1月16日,厚生労働省は特別監査委員会を発足させた.翌日17日には,抽出調査データのうちで2004~2011年分が紛失もしくは破棄されており,全数調査の数値に近づけるための補正が不可能であることが判明した.
(11) 同1月22日,特別監査委員会は報告書を公表したが,実はこの報告書は監査される側の厚労省が作成した.虚偽の内容もあり,お手盛りの不正なものであったというから唖然とするほかない.(日経新聞 2019年1月25日ほか)
(12) 結局,特別監査委員会は監査をやりなおす破目に追い込まれた.万事休した厚労省は長年の不正を認め,勤労統計を再構築することになった.具体的には,当該不正期間に,東京都の調査対象事業所に在籍したと思われる国民に調査依頼書を送り,データの再調査を行った.これが昨年のことである.私も対象者の一人であったようで,送られてきた調査依頼書に応じた.
(13) 昨年1月22日付で関係者の処分が行われた.この不正事件で,諸外国からみた日本の統計資料の信頼性は地に落ちたという.また一年余にわたって行われた統計再構築に要した費用は明らかにされていないが,巨額に上ると思われる.当然のことながら責任者には厳しい処分が下ると国民は思った.
 しかし実際の処分は以下のような大甘のお手盛りだった.処分量定を厚労省のサイトから引用する.
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毎月勤労統計調査における不適切な事務処理に関する関係者の処分等について
毎月勤労統計調査における不適切な事務処理について、統計の専門家、弁護士等の外部有識者で構成される「毎月勤労統計調査等に関する特別監察委員会」において、事実関係と責任の所在の解明が行われ、厚生労働大臣に調査報告書が提出されました。
この調査報告書を踏まえ、厚生労働大臣をはじめ政務三役のけじめをつけるとともに、担当職員及び組織管理上の責任を有する職員に対する処分等を行いましたので、公表します。
 
1. 処分等
役職                     処分量定
厚生労働事務次官               訓告
厚生労働審議官                訓告
政策統括官 (統計・情報政策,政策評価担当)  減給1月間 (1/10)
統計管理官 (雇用・賃金福祉統計室)      減給3月間 (1/10)
専門官 (元雇用・賃金福祉統計室長)      減給6月間 (1/10)
専門官 (元雇用・賃金福祉統計課長)      減給3月間 (1/10)
元雇用統計課長                減給6月間 (1/10) 相当
元雇用・賃金福祉統計課長           減給3月間 (1/10) 相当
元雇用統計課長 3人              減給1月間 (1/10) 相当
元政策統括官 (統計・情報政策担当)      減給3月間 (1/10) 相当
元統計情報部長                減給3月間 (1/10) 相当
元政策統括官 (統計・情報政策担当)      減給1月間 (1/10) 相当
元統計情報部長 3人             ※減給1月間 (1/10) 相当
元統計情報部長 5人              戒告相当
※うち1人は、現在、出向中のため国復帰時に処分を実施予定。
なお、退職しているため処分することはできないが減給処分相当の者については、相当する額の自主返納を求める。
 
2. 自主返納
役職       自主返納
厚生労働大臣   就任時から1月分までの給与 (4ヶ月分)
         及び賞与全額 (1回分)
大口副大臣    就任時から1月分までの給与 (4ヶ月分)
         及び賞与全額 (1回分)
髙階副大臣    就任時から1月分までの給与 (4ヶ月分)
         及び賞与全額 (1回分)
上野大臣政務官  就任時から1月分までの給与 (4ヶ月分) (※)
新谷大臣政務官  就任時から1月分までの給与 (4ヶ月分) (※)
厚生労働事務次官 俸給月額の10% 1ヶ月
厚生労働審議官  俸給月額の10% 1ヶ月
(※) 大臣政務官の賞与額
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 管理監督責任を取る厚労相以下の処分が,国民の感覚からすると厳しい.なにしろ給与の全額を四ヶ月分返納するのだ.
 これに対して不正の実行責任を取る官僚たちの処分が異様に甘い.
 減給は基本給で計算するから,減給1/10は大したダメージではない.しかもそれが1ヶ月というのは処分として如何なものか.
 本不正の実行犯は上の表で着色した二名であるが,するべき仕事を勝手に手抜きして国家に損害を与えた者の処分として,これでいいのかと怒りすら覚える.民間企業なら懲戒解雇が相当なのに.
 
 それはそれとして,厚労省は勤労統計の修復を一年もかけてノンビリとやってきた.
 そして忘れた頃になって通知書「追加給付のお支払いに関するお知らせ (支給決定通知書)」が私に届いた.
 それによれば,私に支給されるのは3,400円ほどのわずかな金額である.
 こんなことのために,どれほどのコストがかけられたのかを思うと暗然とする.
 厚労省は戦前,官庁の頂点であった.それがここまで劣化した.
 事務能力すなわちルーチンワーク遂行能力とは,仕事の手抜きをしないことである.
 新型コロナウイルス禍で打撃を受けた事業者に対する給付金制度はできたが,実際には事業者が給付申請しても遅々として給付がなされず,給付を諦めた事業者が多いと報道されたことがある.公務員の仕事の遅さは筋金入りだと感心する.

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2020年7月18日 (土)

お手軽ドライカレー

 ドライカレーが庶民の家庭料理になったのは,たぶん昭和四十年代のことだ.
 私が大学に入って上京した昭和四十三年,東京の中野駅北口に居を構えた (ホントは西武新宿線沼袋駅に至近なのだが通学に使った中野駅のほうが通りがいいからそうしている) が,中野駅の繁華街ではドライカレーが既に喫茶店の軽食メニューになっていた.
 当時の学生は喫茶店で飯を済ませることが屡々あった.神田お茶の水界隈の学生街には筋目正しい洋食屋があったが,中野や高円寺あたりまでくると洋食屋はほとんどなく,喫茶店が洋食風の飯を学生たちに供していた.
 当時でも,厨房に修行した料理人がいる洋食屋あるいはレストランなら,ちゃんと米を炊いてピラフを作っただろうが,喫茶店はそんなことはしない.冷や飯をコンソメ味に炒めてこれをピラフと称していた.別に食通でもなんでもない学生たちは「ピラフは洋風のチャーハン」だと思っていたのである.
 パスタも同様だった.現在の日本人はイタリアには多種多様な麺類があり,総称してパスタと呼ぶことを知っているが,昭和四十年代の私たちはパスタという言葉を知らなかった.スパゲッティとマカロニしか知らなかった.
 今や七十過ぎの老人となった団塊世代が小学生だった頃,学校給食の献立に汁粉が出せないものかと考えた人たちがいた.学校の創立記念日とか学期末の日など年に何回か特別の献立が供されたのであるが,その特別献立の一つに当時は御馳走だった汁粉が選ばれた.
 今では廃ってしまったが,昔は「あんこ屋」という商売があった.そこから「漉し餡」を仕入れれば「あずき汁」は作れるが,困ったのは餅だ.
 起源は江戸時代以前に遡るようだが,今でも和菓子屋で売られている甘味に「懐中汁粉」というものがあった.Wikipedia【汁粉】にはこう書かれている.
 
懐中汁粉 – もなかの皮の中に粉末の漉し餡とあられを入れた日本古来のインスタント食品。湯を掛けて溶いて食べる。
 
 懐中汁粉にはあられの入っていないものもあり,湯で軟らかくなったもなかの皮を餅に見立てていたようだ.昭和三十年代に渡辺製菓の製品で,懐中汁粉に想を得た「即席しるこ」という食べ物があって,初代林家三平のラジオCМが評判を取った.これは,最初は懐中汁粉と同様に餅の代わりにあられが入っていたが,やがてあられは小さなデンプン餅に代わり,三平のCМでは「お餅も入ってベタベタと」になった.余談だが,昭和三十年代の社業好調な時期に駄菓子屋的な商品しか開発できなかった渡辺製菓は,やがて他社に吸収され,今の老人たちの記憶に残っているのみとなった.これに対して,企業としては食品業界の再編の波に飲み込まれはしたがしかしブランドは今も健在なカルピスとは大きな違いである.
 話が横に逸れすぎた.元に戻すと,小学校の給食関係者が餅の代替にしたのがマカロニであった.まだこのマカロニ (一般的な筒型ではなく平たい形であった.この形のショートパスタを私はそれ以後見ていない) を覚えている人はいるだろう.これは,本物の餅のようには調理に手間がかからず,餅のように煮崩れして溶けてしまわないのがよかったのだろう.
 戦前から都市部の中産階級の人々は洋食に親しんでいたと思われる (そこそこ裕福な作家たちが随筆に書き残している) が,外食とは無縁の庶民はパスタなるものの存在を知らなかった.なにしろ有名なディズニー映画『わんわん物語』(日本公開は昭和三十一年/1956年) の,野良犬トランプと血統書付きの犬レディがスパゲッティを食べるあの有名なシーンを見て,西洋にもうどんがあるのだと人々は理解したと言われている.誰が言っているかというと私だが,小学校にあがったばかりの私も,『わんわん物語』を観て,犬がうどんを食べていると思った人々の一人であった.
 Wikipedia【わんわん物語】にはこうある.
 
トランプとレディがスパゲッティを食べている最中に偶然キスをするシーンは有名であり、イギリスのTotal Film誌が選出した「映画史に残る最高のキスシーン50」では第8位に選ばれた。当初ウォルトは犬がスパゲッティを食べるというこのシーンに対して否定的だったが、フランク・トーマスが作成したアニメーションを見て考えを変えた。
 
 なにしろ年端も逝かぬピカピカの小学生だから,スパゲッティも知らないし,キスも知らない.キスをしてしまったレディが恥じらうシーンは理解不能であったことを記しておく.記すほどのことかよ.
 それはともかく明治維新以来,日本人が西洋料理だとしてきたのはフランス料理 (のコース) であった.
 これに対して洋食というのは,欧風の一品料理を日本人がなじみやすい風にアレンジしたものといえる.
 日本人がスパゲッティを洋食のひとつに加えたのは,戦後になって米軍基地で働くようになった人たちが,進駐軍兵士がスパゲッティをトマトケチャップで和えて食べているのを見て,まねたのが始まりであるとされている.横浜のホテルニューグランドがスパゲッティ・ナポリタンの発祥であるとするのが定説だが,実際に食べてみると,これはトマトソースを用いるイタリア料理というべき一皿である.つまりスパゲッティ・ナポリタンには二つの起源がある.ホテルニューグランドのナポリタンとは別に,進駐軍のキャンプから日本人が学んだトマトケチャップ和えのスパゲッティが,昭和の時代に洋食の一品となった (そしてもう今はほぼ姿を消した) スパゲッティ・ナポリタンである.
 しかしホテルニューグランド式のトマトソースのスパゲッティも,ケチャップ和えのアメリカンでチープなスパゲッティも,いずれもイタリア現地でイタリア人が食べている麺料理をそのまま日本に紹介したものではなかった.
 ホテルニューグランドの公式サイトには,同ホテルのコーヒーハウス「ザ・カフェ」の名物「スパゲッティ・ナポリタン」は《2代目総料理長入江茂忠が、米兵が茹でたスパゲッティに塩、胡椒、トマトケチャップを和えた物を食べているのを見て、アレンジ加えて生み出した一品》であると書かれているように,実はこれも進駐軍起源の一皿なのであった.入江総料理長が加えたアレンジとは,トマトケチャップに代えてトマトソースを使い,レストランの料理にふさわしいものにし,かつ「ナポリタン」と名付けたことである.
 当時,スパゲッティ・ナポリタンという名称はいかにもイタリアっぽくて秀逸だったのだろう,ホテルニューグランド「ザ・カフェ」がアレンジした料理よりもずっとチープな,進駐軍式のトマトケチャップ和えスパゲッティも,スパゲッティ・ナポリタンと呼ばれるようになった.
 入江総料理長の命名センスが優れていたことは,スパゲッティの料理はイタリア人がどう呼ぶかに関係なく「スパゲッティ・○○○」呼ばれることとなったことからも知られる.それでもスパゲッティ・ボンゴレとかスパゲッティ・ペスカトーレあたりはいいとして,スパゲッティ・ナポリタンみたいなローカル料理ではないぞというわけでスパゲッティ・イタリアン (スパゲッティ・イタリエンヌとは別物/あまりに嘘くさいので現在は廃れた) が登場するに至って,ようやく私たちはスパゲッティ・ナポリタンが日本語であることを知ったのであった.
 ところでレストランの料理長や洋食屋のシェフも,もちろん喫茶店のマスターも,イタリアで料理を現地修行したわけではなかったから,スパゲッティを西洋うどんだと誤解していた.そのため,デュラム・セモリナ (硬質であるデュラム種の小麦を粗挽きした粉) を押し出し製麺したスパゲッティを,なんとかうどんのような食感にしようと工夫をこらした.漫然とスパゲッティ (乾麺) を長い時間茹でれば,うどん化できるわけではなかったという.テレビでおなじみ辻調理師専門学校の小池浩司先生の調査によると,当時の料理人たちが編み出した方法は「前日に茹でて冷蔵庫で一晩寝かせる」だったそうである.
 だがしかしこの「西洋うどん」式スパゲッティに止めを刺したのが,若き日の伊丹十三だった.伊丹十三は二冊目のエッセイ『女たちよ!』(1968年) の中で,スパゲッテイはうどんではないと強く主張した.伊丹はその当時の,自分で料理をする青年たち (私のような貧乏自炊青年を含めて) に大きな影響を与えた.それまでの自分では料理しない食通作家たちが書いてきた「どこどこの蕎麦屋の蒲鉾が絶品で…」などという嘘くさい文章は伊丹十三によって一気に色褪せたのである.
 最近,包丁の持ち方を知らず簡単な料理一つできないくせにグルメぶっていた渡部建というお笑いタレントが下半身問題で失脚して笑い者になっているが,この愚か者の胡散臭さは,料理ができない食通作家に通ずるものがある.
 伊丹十三よりも一世代上の人だが,映画評論家の荻昌弘も自ら料理をする人だった.著書は少ないが,「食の安全安心」が社会問題となる数十年前の『男のだいどこ』(1972年) で既に食品の安全性について語っている先見性がすごい.
 荻昌弘も伊丹十三も,自分の食い物は自分で作れる人だった.私も彼らのようにありたいと思う.
 ただ,実際に一日の三食を自分で料理するのはなかなか難しい.やってみると一日中,頭の中が飯のことで一杯になってしまう.昔の専業主婦みたいな境遇の人は,今はそうは多くない (男は言うまでもなく,女性も有職がほとんどの時代だ) から,普通の人は一日のうちで料理に割ける時間はあまりない.だから,クック・パッドが代表だが,レシピサイトに掲載されているレシピの主題は「時短」だ.
 私みたいな高齢者は,女性たちに比べれば自由になる時間は多いだろうが,それでも他に色々することはある.手早くできるものの方がありがたい.手早くできない料理の代表はリゾットだと思う.あれは鍋の前に貼り付いて,鍋の中の出汁が米に吸われて減ったら継ぎ足し継ぎ足しを繰り返す.よほど時間がある人でなければ作れない.元々はイタリアの郷土料理だと思うが,イタリアで一般に食べられるようになったのは意外に最近のことで,第二次大戦後だとのこと.リゾットは家庭料理というよりもレストランの料理だと言われているが,私はよく知らないので調べてみたが,ウェブには確とした資料はないようだ.
 パエリアも面倒くさい料理だ.プロの料理人がパエリアについて書いているブログ等を読むと,本来のパエリアはパエリア鍋やフライパンで炊くのだが,その際に決してフタをしてはならぬという.しかしその理由を料理人は説明してくれない.ただもうスペインではそうやっているのだからフタをするなという.一種の原理主義ですな.
 同じ量の米を,フタをしない鍋で炊く場合,必要な水 (ブイヨン) の量は火加減と鍋の大きさ (直径) によって全く違ってくる.水の蒸発量が違ってくるからだ.従って,ネット上に公開されているパエリアのレシピは,水加減がテンデンバラバラである.同じ料理とは思えぬ.確定したレシピが存在しないのは火加減と使う鍋の二つが主要因だが,しかもイタリアやスペインで栽培されている品種のジャポニカ米と,日本産品種のジャポニカ米では米粒の大きさもデンプン粒の性質も異なることが,これに大きく影響していると考えられる.
 その結果,パエリアもリゾットと同様に,鍋を火にかけたあと,スープが減りすぎたら足すなどの調整が必要となる.つまり手間がかかる料理だ.
 しかし日本人はなんでも日本化する国民だから,日本風のパエリアを工夫した.鍋もしくはフライパンにフタをして炊く方法を考案したのである.
 こうすると,水 (ブイヨン) 加減と火加減で失敗することがなくなる.仕上げにフタを取って加熱して,パエリアらしいオコゲを作ればよい.
 こうしてみると,やはり米の料理はアジアが長けていると思う.新米を炊飯器に入れてスイッチを入れ,ほったらかしておけば白い飯が炊ける.白飯は最上の米料理だ.
 インディカ米も鍋にたっぷりの湯で茹で,香り高い熱々のできあがりは日本産ジャポニカとは別種のおいしさである.
 これらに比較すると,米料理界の新参者であるリゾットなんてのはできそこないの料理にしか思えない.
 
 さてこのブログでは高齢の爺さんでも簡単に作れる炊き込み御飯や炒飯を作ってきた.今回は超簡単なドライカレーを紹介する.
 ドライカレーには,昭和四十年代の昔から洋食屋や喫茶店のメニューであった「カレー味の炒飯」と,それから一時代遅れて世に現れた「水気の少ないキーマカレー」の二つがある.
 そこでWikipedia【ドライカレー】をみてみよう.
 
現在、以下のスタイルのカレーライスが、ドライカレーと呼ばれている。
挽肉とみじん切りにした野菜を炒め、カレー粉で風味をつけ、スープストックで味付けをして煮詰め、平皿に盛った飯に載せた料理。一種のキーマカレー。(挽肉タイプ)
カレー風味の炒飯。家庭で簡単に作れる「ドライカレーの素」や、冷凍食品が各社から発売されている。「カレーチャーハン」とも呼ばれる。(炒飯タイプ)
生の米とカレー粉を具材と一緒に炒め、炊き上げたもの。カレーピラフ。(ピラフタイプ)
 
 随分とテキトーなことを書くものだ.再度強調するが,ドライカレーは昭和四十年代に洋食屋の一品料理あるいは喫茶店の軽食メニューとして定着したものだ.定食 (コース) を出す料理店の献立にはなかったし,さりとて家庭料理でもなかった.ドライカレーが現れるよりも一昔前の軽食といえば,スパゲッティ (ナポリタンとミートソースが代表) とサンドイッチ,そしてトーストした食パンだった.
 その当時は,軽食を食わせる喫茶店はもちろんだが,ある程度きちんとした料理を出す洋食屋でも,本物のピラフは客に出さなかった.どういうことかというと,野菜のブイヨンで炊いて下ごしらえしておいた冷や飯を,客の注文があると具材を加えてフライパンで炒めて作った.つまり正しくは洋風の炒飯と呼ぶべきものを,ピラフと呼んでいたのだ.
 当時の日本人はピラフとはどんな料理か知らないから,客が注文してからピラフを炊いていたのでは,当然ながら客は「遅いっ」と怒って帰ってしまう.だからどの店も実はピラフ風の炒飯をピラフだと偽っていたのである.従って,カレーピラフなどという食べ物は,家庭で作る人はいたかも知れないが,外食の献立には存在しなかったのである.
 余談だが,某鎌倉のレストランでは,パエリアを注文すると,一人前のパエリアがあまり待たずに出てくる.あきらかにレンチンだ.
 きちんとしたスペイン料理屋では,パエリアは二名以上の会食で予約する料理である.予約しておけば,その他の料理を食べたあと続いてパエリアがテーブルに到着するという具合だ.ま,鎌倉の店じゃあそんなことはやってらんないだろうなあ.
 閑話休題.ついでに書くと,私くらいの年寄りは水気の少ないキーマカレー (Wikipediaが「挽肉タイプ」と呼んでいるもの) をドライカレーと呼ぶのにも違和感がある.そのままキーマカレーと呼べばいいじゃないかと思う.別にドライではないのだからドライカレーと呼ぶのは羊頭狗肉だ.
 というわけで,昭和四十年代に東京で学生時代を過ごした爺さんたちにとって,ドライカレーはすなわちカレー炒飯である.
 ただし,普通に冷や飯を使ってカレー炒飯を作るのでは,暇な者としてはおもしろくないので,ちょっと工夫をしてみたい.
 それが下の写真だ.
 
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 炒めた飯を塩コショーとカレー粉で味付けすればいいようなもんだが,食品会社の社員だった私は,各社が工夫した調合済調味料に興味がある.今回はグリコの「洋風炒めごはんの素」のうちの「ドライカレーの素」を使用した.先日,この製品を使って冷や飯でドライカレーをこしらえた際に「お,なかなかいいじゃないか」と思ったので,今回はそのバリエーションだ.
 これは他社のドライカレーの素従来品と異なって,具材と液体カレーソースの小袋ふたつに分かれている.この具材がやや貧相なので,てこ入れすることにした.
 まずタマネギ (小一個) をみじん切りにする.これはインディカ米 (今回はタイ産ではなくインド産にしてみた) 一合に対する量である.
 大き目の鍋に一リットル以上の湯を沸かす.沸騰したらインディカ米をサラサラと投入し,箸で撹拌する.単に投入したまま放っておくと糊化したデンプンのせいで鍋底に貼り付いてしまう.コトコトと十五分,茹でる.
 米を茹でている間に具材を作る.
 豚挽肉百グラムを炒めてフライパンを豚脂でコートする.タマネギを投入し,炒める.タマネギをどの程度炒めるかはお好みだ.
「グリコ ドライカレーの素」の具材を加えてざっと混ぜつつ炒める.これで具材は準備終わり.
 そうこうしているうちに,米が茹であがるから,ステンレス網のストレーナーで漉して,重湯を捨てる.
 ほかほかの飯をラーメン丼くらいの器に移して,レンチン (500W,二分間) して余分な水分を飛ばすと同時に,日本米の炊飯でいうところの「蒸らし」を行う.
 あつあつの飯に,雪印北海道バター「切れてる」を二かけら (ひとつ十グラム) を加えてよきく混ぜ,バターライスにする.バターが好きなら三つでも四つでも.
 融けたバターが全体に回ったら,あらかじめ具材を炒めておいたフライパンに飯を投入し,カレーソースも投入し,熱しつつよく混ぜる.これでできあがり.米一カップがたっぷり二人前あるので,二人前 (一人前×2) 入りの「ドライカレーの素」を全部使ってしまう.
 このまま食べてもいいのだが,カレー皿の半分に盛り付け,残りの皿半分に,よく温めたレトルトのタイカレー (グリーン) を流しいれる.
 茶漬けのようにさらさらと食べる.塩味の強くないカレースープでもいい.昔々はやったスープカレーを思い出しつつ食べると遠い目になること必定である.

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こんなやり方ではだめだ

 新型コロナウイルス関連の報道をテレビで見ていていつも思うのだが,飲食店の人が消毒用アルコール (通常は薬局方エタノールを使用する) で室内の家具や調度品,あるいは食器を「消毒」するやり方が全くダメである.例えば下の画像は昨夜のテレビ朝日《報道STATION》が「GoToトラベル」キャンペーンについて伝えた際に用いた場面を,写真撮影してトリミングしたものである.
 
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 この店舗の従業員は左に消毒用アルコールの噴霧器を持ち,右手にタオル地と思われる布を持っている.
 ドアの取っ手にアルコールを吹き掛けると,ただちに布で拭き取っていた.問題は,誰がこんなやり方を教えたのか,ということである.たぶん,専門的な知識を持つ誰からも教えてもらっていないのは間違いない.こんなやり方では全く消毒になっていないからである.
 実は,食品工場,それも畜肉処理や惣菜製造などの工場 (上場会社などある程度の規模のところ) の従業員は,一日に何度となく作業台や使用する器具などをアルコール消毒する必要があるので,衛生管理を専門とする部署の専門家から,アルコール消毒の仕方を教育される.その際に「ダメ出し」されるのが,上の画像に示したやり方なのである.その理由について以下に説明する.
 上の画像を例に取れば,シュッシュッと数回アルコールを噴霧されたドアノブをよく見ると,その表面にはアルコールが点状に付着していることがわかる.
 正しい消毒方法は,この点状のアルコールを面上に拡げ,ドアノブ表面が均一に「濡れた」状態にする.
 そのためには,アルコールを吸収してしまう布で拭いてはいけない.薄手の不織布またはパルプ製のワイパーが市販されているので,これをあらかじめ十分に濡らしておいて,ドアノブやテーブルの表面にアルコールを拡げるようにする.元々は工場で使用するものだが,家庭用にも通販で手に入る.
 また,エンベロープ型ウイルスや一般細菌は,アルコールに接触しても瞬間的に死ぬわけではない.ウイルスや菌の種類にもよるが,実験を行って死滅に要する時間を調べた文献によれば,数十秒を要すると考えておけばよい.実際には,消毒作業を時間をかけてゆっくり行うようにする.上の画像のように,アルコールを吹き付けてすぐ拭き取っていたのでは,何もしていないに等しい.
 
 実は各地に消毒の専門家がいる.保健所である.この職員の中に,自治体によって名称は異なるが例えば「食品機動監視班」とか「食品安全広域機動班」などと呼ばれる人たちがいる.この皆さんは食品工場の現場で実践的な仕事に携わっていて,もちろん消毒のエキスパートである.
 私が思うに,各自治体は保健所の「機動班」を活用し,正しいアルコール消毒方法の普及啓蒙に努めるべきだ.「Go To トラベル」で政府は浮かれているが,そんなことより感染防止対策のイロハである正しいアルコール消毒方法を宿泊施設に教育することが絶対に必要である.
 
 テレビのニュース番組を観ていると,みてくれだけのインチキ消毒をしておきながら「感染防止に万全を期しています」などと言うキャバクラ,ホストクラブ,旅館,ホテルのなんと多いことか.しかしチコちゃんは知っています

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2020年7月17日 (金)

GoTo 吉田うどん

 FNNプライムオンライン《GoToトラベル 東京を除外 方針転換の背景に何が...》[掲載日 2020年7月17日 1:20] がおもしろかった.
 この記事は例の「GoToトラベル」について書いてある.このキャンペーンに関しては政府与党内にも懐疑的な意見があるのに,菅官房長官が旗振り役を務めて強行しようとしているわけだが,《方針転換の背景に何が 》と題するからには政治的裏話を書くのかと思いきや,全然そんなことは出てこないのが,まず第一におもしろい.ここまで羊頭狗肉な記事も珍しいのではあるまいか.書いてあるのは記者があちこちにインタビューした結果だけである.で,記者は下のように書いている.

街で話しを聞くと...
都内居住・コンサル業(20代女性)「疎外感はありますけど。仕方ない。これだけ(感染者)出ているので」
都内居住・不動産関係(40代男性)「東京だけ外されたんですよね。それもどうなの? GoToキャンペーン自体をやるのが厳しいと思うんですけど」
一方、山梨・富士吉田市のうどん店「くれちうどん」。
東京が除外されたことについて...
くれちうどん・渡辺浩二代表「困ったなと。やっぱり東京のお客さんが週末は半分以上、5割くらい占めているので」
 
 コンサル業の女性と不動産関係の男性からの聞き取りには問題はない.
 読者が呆気にとられるのは《一方、山梨・富士吉田市のうどん店「くれちうどん》だ.ここでなぜ「一方、」と書いて唐突に吉田うどんの店が出てくるのか.「GoToトラベル」キャンペーンが実施されると,東京からの観光客が富士吉田に殺到して吉田うどんを賞味するのが明らかなので,人気店の「くれちうどん」にインタビューをしたのであろうか.読者としては「GoToトラベル」と「くれちうどん」の関係について,もっと詳しい情報が欲しい.もしかして菅官房長官と,うどん屋の渡辺代表に何らかの関係があるのかも知れぬが,それならそれで,さりげなく吉田うどんの政治性を匂わせるくらいのことはして欲しい.でなければ,読者は首を傾げたまま途方にくれるばかりである.

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2020年7月15日 (水)

形ばかり /更新再開

*註1) しばらく体調を崩してブログ更新が滞った.以下は先月に書きかけた記事の続きであるが,藤井七段については,7月16日に棋聖戦第四局で渡辺明棋聖を下してタイトルを奪取したため,記事冒頭の内容が古くなっている.
*註2) このブログでは,ココログ側で標準フォントをМSゴシックに指定している.つい最近,Win10のブラウザであるEdgeに大幅な変更がなされ,МSゴシックを斜体にした字体が非常に汚らしくなって,ほとんど読めないくらいになってしまった.フォントとそのサイズをブログ側で指定せず読者がEdgeの設定をいじればいいのかも知れないが,私は従来のやりかたを変えたくないので,このままМSゴシックを指定していく.しかし斜体 (引用文) がまともに読めなくなったのには困った.そこで引用文は斜体ではなく太字にすることにした.これならなんとか読める.
 
 腰痛が長引いた.立てないことはないが,キーボードに向かうのはつらかったので,このブログの執筆には二週間のブランクができた.
 この二週間色んなことがあった.目についた情報はブラウザのタブにしておいたのだが,それが数十にもなってしまって.もはや何が何だかわからぬ始末と相成った.
 そんな有様ではあるが,最近の話題では,藤井聡太七段が棋聖戦で渡辺明三冠を相手に連覇し,最年少タイトル獲得に王手をかけるとともに,王位戦でも挑戦権を獲得したことがある.メディアの扱いが大きいので,将棋の金も銀もわからぬ若い女性でも,容姿からして初々しい藤井七段のことは知っているのではなかろうか.この棋聖戦でどちらの応援をしたいか若い女性に訊ねたら全員が藤井七段の肩を持つと思われる.
 初戦は藤井七段の勝ち.第二戦も藤井七段が制したが,これについて幾つかのメディアが《藤井聡太七段(17歳)最強将棋ソフトが6億手以上読んでようやく最善と判断する異次元の手を23分で指す》[掲載日 2020年6月29日 1:26] に類したことを書いた.記事の筆者は専門のライターたちだが,中には棋士もいて,そんな認識でいいのかと心配になる.
 なんとなれば「将棋ソフトが六億手を読む」と聞くと大したことのように錯覚する人もいるだろうが,六億手が所要時間に換算するとどうなのかはハードウェアの性能による.だから条件によっては,将棋ソフトがすぐ提示する最適解を,人間は二十分もかかって到達するというような結果もあり得るのである.
 またスポーツ報知《加藤一二三・九段、AI過大評価する風潮疑問「きらめきやひらめきを軽視しすぎではないか」》[掲載日 2020年6月29日 21:50] には次の記述がある.
 
「コンピュータソフトが6億手読み切った所で最善手として提示される異次元の一手を、藤井聡太七段は実戦譜に置いて僅か考慮時間23分にして指したこと」が話題に挙がっているとした上で「天才棋士の頭脳のきらめきやひらめきを、そもそも軽視しすぎの世の中ではないかと歯痒い想いがする」と語り、「AIを過大評価する」世の中の風潮に対して疑問を投げかけた。
 
「六億手を二十三分で」だの「藤井七段は AIを超えた」だのというピンボケ記事に比べると,さすがに加藤九段の発言ははるかにまともである.
 囲碁でも将棋でも,かつて綺羅星のような天才たちが現れて覇を争った.群雄割拠の時代もあったし,タイトルが一人に独占されたこともあった.
 しかしいつかは天才も衰えるときがくる.体力が落ち,「頭脳のきらめきやひらめき」の輝きを失う.そして一時代を築いた天才は次の時代の若い天才にタイトルを譲るのである.
 だから空想のこととして,全盛期の大山康晴に,全盛期の羽生善治が七番将棋を指したら結果はどうか.間違いなく三勝三敗一分けに指しわけるであろう.また近い将来に藤井七段が将棋界の頂点に立つとしても,もし全盛期の大山や羽生と戦ったとしたら結果はどうなるか.これまた引き分けるであろう.
 囲碁将棋のおもしろさは,頂点に立った誰よりも誰が強いかということではない.天才たちの才能のピークの日時が絶対に一致しない以上,「史上最強」は無意味な言葉だ.誰が誰より強いとか弱いということではなく,加藤九段の語る通り,天才たちの「頭脳のきらめきやひらめき」のドラマ,それこそに囲碁将棋のファンは胸を熱くするのだ.碁石や駒に投影される勝負師たちの人生が私たちの関心の的なのである.
 将棋ソフトが,タイトル戦の盤外で何億手を読もうが,それは渡辺三冠と藤井七段の人生には無縁のことである.私たちの興味関心はこの二人の天才が,今このとき,彼らの人生を賭けてどのようにして戦っていくかにあるのだ.
 
 話は変わるが,昨年の参院選で河井克行容疑者と河井案里容疑者に買収された安芸高田市の児玉浩市長が「丸刈り」で記者会見したことが話題となっている.この嘘吐き野郎は朝日新聞によると《児玉市長はこの日丸刈り姿で登庁した。会見では、「今できることを考え、『反省を示さなくちゃ』とこういうヘアスタイルにした」と説明》したという.(《現金受領認めた市長が丸刈り姿に「反省を示さなくちゃ」河井議員夫妻の買収容疑事件》[掲載日 2020年6月26日 15:13])
 買収されても反省 (のフリを) すれば (辞職しなくても) いいんだという児玉市長に対する批判が当然ながら起きた.まいどなニュース《安芸高田市・児玉浩市長の記者会見に思う「丸刈りが謝罪に用いられること」への違和感》[掲載日 2020年6月29日 19:30] はその一つである.
 この記事のライター「中将タカノリ」は次のように書いた.長いので抜粋するが,原文の無茶苦茶さ加減を知っていたただくために,リンク先の原文をざっとお読み頂くとありがたい.
 
昨年の参院選をめぐり河井克行容疑者、河井案里容疑者によって引き起こされた大規模買収事件。事件は夫妻の地元、広島県を中心にさまざまな波紋を起こしているが、いま世間では安芸高田市・児玉浩市長の「丸刈り謝罪」が特に大きな話題として扱われている。
これまでの主張から一転して計60万円の金銭受領を認めた児玉市長は6月26日、頭を丸刈りにして謝罪と市長続投を表明する記者会見を開催した。髪型を変えることがこの問題の本質となんら関係ない陳腐な行為であることは明らかだが、今回深く考えたいのはなぜ「謝罪=丸刈り」なのかということだ。
 
日本人ほど丸刈りに意味を込めたがる国民はいないだろう。近世以前には男性が戦争や政争に敗れ野心を捨てたことを表明するために剃髪する例、女性が亡くなった夫に対し操を守るために剃髪する例が多数あった。戦時中には織田作之助「髪」に見られるように男性の丸刈り以外の長髪は精神のたるみの象徴とされ弾圧された。戦後に至っても中学、高校の男子生徒に丸刈りが「学生らしい」髪型として強制されたり、懲罰行為として用いられることが多々あった。
 
日本において丸刈りは謝罪の手段として、また同時に体制による支配の手段として利用されてきたのだ。峯岸さんの丸刈り謝罪に気持ち悪さを感じるのは、その行為が本来一個人として自由であるはずの女性が、実はいまだに社会的に支配された存在であることを象徴するものだったから。また児玉市長の丸刈り謝罪に底知れぬアホらしさや怒りを感じるのは、その行為がなんら思想や深い考察をともなわず、無神経に反省のポーズとして用いられたからだ。
 
東洋的な思想を形作った孔子の教えにも「身体髪膚これを父母に受く あえて毀傷せざるは孝の始めなり」(「孝経」より)という言葉がある。手足から髪、肌にいたるまで身体は父母からいただいたものなので敢えて傷つけるようなことがあってはならないという意味だ。タトゥー文化等との兼ね合いを考えるといささか旧弊に感じるかもしれないが「身体に本意ではない傷をつけることへの戒め」ととらえれば今なお重みをもって受け止められるべき名言だろう。特に今話題になっている児玉市長には自分の丸刈り謝罪がいかに時代遅れの愚行の上塗りであったかご理解いただくための参考にしていただきたいと思うのだが。
 
 上に抜粋引用した記事は,別段の問題はないように読み流される可能性が高いが,しかし論理展開が支離滅裂である.
 中でもどうかと思うのは,《近世以前には男性が戦争や政争に敗れ野心を捨てたことを表明するために剃髪する例、女性が亡くなった夫に対し操を守るために剃髪する例が多数あった》と書いて,日本の近世以前から行われてきた宗教儀礼「剃髪」を,近現代における調髪スタイル (髪がないから髪型とは言わぬだろう w) の一つ「丸刈り」と一緒くたにしてしまったことだ.中将タカノリの文章の論理は「丸刈り=謝罪」なのだが,そこに無思慮かつ唐突に「剃髪」を持ち出したために展開に破綻が生じた.どのような破綻かを以下に述べる.
 
「丸刈り」は髪を「刈る」のである.「刈る」は「切る」と同じだ.稲刈りの「刈り」は稲の茎を鎌を引いて切るのだが,頭髪を小刀などで引いて切ったら痛くてたまらぬ.そこで頭髪の「丸刈り」は,鋏を用いて切る.鋏で切るといってもそれは切断の原理的な話であって,現在では実際には調髪用に考案された特殊な鋏であるバリカンを用いる.普通の「裁ち鋏」や文房具の鋏の類では,頭髪の根元からきれいにカットできないからだ.
 ここでWikipedia【バリカン】を参照してみよう.
 
日本での歴史
1871年11月5日 (明治4年9月23日) に明治政府によって散髪脱刀令が公告され、一般には、断髪令という名称でちょんまげから頭髪の自由化がなされたことと、1873年 (明治6年) の徴兵令の公布で、入営した兵士の頭髪を衛生上の理由から丸刈りとしたことが、日本でバリカンが広く普及する背景となった。1894年 (明治27年) に勃発した日清戦争で広く徴兵が行われたため、丸刈りが日本人に定着するようになった。
1883年 (明治16年)、フランス駐在の日本公使館書記官・長田桂太郎が持ち帰り、理髪師の鳥海定吉が最初に使用して普及したと言われている。
1884年 (明治17年) には同年12月4日の読売新聞にバリカンの広告が掲載されるほど日本で広く普及するようになり、男子に丸刈りが一般化するようになった。
 
 これによれば,我が国にバリカンがフランスから持ち込まれたのが明治十六年であるから,日本の軍隊で兵の頭髪が「丸刈り」とされたのは,明治二十七年の日清戦争時の徴兵からであることがわかる.従って明治六年の徴兵令以降,日清戦争までの兵の「丸刈り」は,調髪鋏 (詳細は省略するが,当時のものの画像を見ると現在の調髪鋏とほとんど変わっていない) で刈った (切った) ものと思われる.しかし調髪鋏ではバリカンほど短くは刈れないから,これは現在の五分刈り程度のものであろう.
 余談だがWikipedia【丸刈り】には次の記述がある.
 
明治維新後の1871年9月23日 (明治4年8月9日) に散髪脱刀令が布告され髷を結わなくても良いことになった。また、バリカンの輸入によって丸刈りという新しいスタイルが誕生し、認知されるようになった。さらに1873年 (明治6年) に徴兵令が公布されると、軍人の髪型である丸刈りが国民に定着していくこととなった。
 
 この記述によると,バリカンが日本に舶来したのは明治六年の徴兵令よりも前のことだとされ,Wikipedia【バリカン】の記述と食い違っている.ネット上にある他の資料を参照すると,概ねWikipedia【バリカン】の記述が正しいように思われるが,しかしその一方でWikipedia【バリカン】は《理容用バリカンは米国の自動車会社のリンカーン社やキャデラック社を創業したヘンリー・リーランドが発明したとされている》としているが,ヘンリー・リーランドの子孫が書いたウェブ記事によるとヘンリー・リーランドの考案は実は「理容用バリカン」ではなく「電気バリカン」だとなっている.すなわちヘンリー・リーランドが理容用バリカンが発明したというのは誤りである.バリカンのプロトタイプが発明されたのは十九世紀の中頃であるから,これから考えても,自動車産業黎明期の人が手動式バリカンの考案者だというのは,Wikipediaの記述を書いたときに編集した人間は直感的に「これは間違いだ」と気が付かねばいけない.つまり要するにWikipediaには,バリカンについて完全に信用に足る記載はない.
 さらに,リアル出版物の百科事典を調べた.平凡社世界百科事典第二版は次のように述べている.
 
理容器具の一種。バリカンの名称は,1883年パリ公使館勤務の長田桂太郎がみやげとして持ち帰って紹介した製品が,フランスのBariquand & Marea商会のものであったことに由来し,明治末期から一般に普及した。英語ではヘアクリッパーhair clipperという。刃の要部は上下に重ねられた櫛形状の二枚刃から成り,下刃は固定,上刃の往復運動によって両者の嚙合せを利用し,櫛形の部分に入った毛を挟み切る。
 
 ブリタニカ国際大百科事典には以下のことが書かれている.
 
金属製の頭髪刈り用具。上下2枚の櫛形の刃から成り,交差状の取手を動かすことにより刃を交互に左右に往復させて毛髪を刈る。刃の重ね合せの調節によって髪の長短を一分刈りとか五分刈りとかに分ける。日本では 1884年に長田けい太郎が,フランスのバリカン・マール製の手動式の毛刈器を持帰ったのが最初で,その社名が通称となった。電気バリカンは 1920年にアメリカから初めて輸入された。
 
 諸々の資料中,日本へのバリカンの到来が1884年であるとしているのはこのブリタニカ国際大百科事典だけであるので,おそらく誤りでああろう.ただ電気バリカンの輸入時期に言及しているのはこの百科辞典だけであることは指摘しておきたい.
 平凡社世界百科事典とブリタニカ国際大百科事典は,百科事典としての使命を終えたのはそれほど古くない (実はデジタル版は現在のWindows10でも動く/使わないが私のPCにインストールはしてある) が,かつてそれらと並ぶ知的財産であった小学館の日本大百科全書(ニッポニカ)[1984~1994刊:全26巻] は割と早めに知識のレファレンスのポジションから去った.Windows95上で動作するソフトウェアも出版され,私はそれを購入したが,小学館はWin95以降のOSには対応しようとしなかった.そのため私はこの高価な百科辞典のディスクを,惜しみつつ捨てることになった.その点では平凡社は世界百科事典の愛用者に対して誠実だったといえる.
 ところでこの大部の百科事典はネット上にデジタル資産として今も存在している.一応現在も更新が継続されていることになってはいるが,果たして本当かどうか.おそらく古い百科事典項目は活字出版物時代のままであろう.さてその日本大百科全書は,日本の百科事典の本家である平凡社世界百科事典のほとんどコピペみたいな項目もあったが,独自の解説をしていた項目もあった.バリカンについてみてみよう.
 
毛髪刈り込み用の理容器具で、正しくはヘアクリッパー。フランスの製造会社バリカン・エ・マールBariquant et Marreが刈り込み用器具の日本での一般名称になった。日本では散髪脱刀令 (1871) に伴い1874年 (明治7) フランスから両手式のものを菱屋 (ひしや) (現丸善) が輸入したのが最初である。国産品は、88年元鉄砲鍛冶 (かじ) の伊藤兼吉 (大阪) が「ジャッキ」を試作、実用化した。関東では、横浜のマーヤ商会が輸入したフランスの片手用ばね式バリカンをモデルとして国産化に成功、90年に東京・本郷の鉄砲鍛冶中村友太郎が初めて国産片手バリカンを市販した。日清 (にっしん) 戦争 (1894~95) 中に丸刈りスタイルが定着、軍隊などで広く使用されるようになり、1920年 (大正9) にはアメリカから電動式のものが輸入され始めた。現在ではコードレスの電動バリカンも普及している。
 
 丸善が輸入したのが本邦初であるとか,鉄砲鍛冶の二人のこととかは他の事典には出てこない.おそらく専門書の記載に基づいているのだろうが,今となってはもはや調べようがない.容易に入手できる資料に基づく結論としては,我が国独自の調髪スタイルである「丸刈り」は,日清戦争の頃の軍隊のそれであったということである.繰り返すが,日本軍が兵の調髪を「丸刈り」としたのは衛生上の理由からであり,あるいは軍の規律ということもあったかも知れないが,宗教的な意味は全くなかったことが強調されねばならない.
 これに対して「剃髪」は歴史的に遥かに古く,奈良時代に遡る.そしてもちろん「剃髪」に理容としての意味はなく,これは僧侶の規律の一つなのであった.明治時代に始まる「丸刈り」と,古来の「剃髪」の違いは,用いる刃物が歴然と異なる.「丸刈り」にはバリカンを使用するが,「剃髪」は剃刀 (カミソリ) で剃る.剃刀で剃るから剃髪なのである.ついでに言うと,鋏でカットするのは断髪である.
 そこで再び中将タカノリの書いていることをみてみよう.
 
日本人ほど丸刈りに意味を込めたがる国民はいないだろう。近世以前には男性が戦争や政争に敗れ野心を捨てたことを表明するために剃髪する例、女性が亡くなった夫に対し操を守るために剃髪する例が多数あった。戦時中には織田作之助「髪」に見られるように男性の丸刈り以外の長髪は精神のたるみの象徴とされ弾圧された。戦後に至っても中学、高校の男子生徒に丸刈りが「学生らしい」髪型として強制されたり、懲罰行為として用いられることが多々あった。
 
 明らかに上の文章では「丸刈り」と「剃髪」が一緒くたになっている.この甚だしい無知に,私は驚く.
日本人ほど丸刈りに意味を込めたがる国民はいないだろう》とあるが,明治以来の旧日本軍が兵の調髪を「丸刈り」としたのは「衛生」,ただそれだけである.軍隊は集団生活であり,そこでは衛生が極めて大事である.感染症なんぞが発生しようものなら,事は国運に関わる.赤痢あたりは論外だが,ノミもシラミの類も徹底的に排除されねばならぬ.それが兵の「丸刈り」を必要としたのである.神国だとか八紘一宇だとかあるいは天皇制全般に係る象徴的な「意味」は「丸刈り」にはなかった.「丸刈り」は単なる調髪の型の一つだったのである.事実,明治天皇は

 これに続いて《戦時中には織田作之助「髪」に見られるように男性の丸刈り以外の長髪は精神のたるみの象徴とされ弾圧された》とある.
 織田作之助『』(青空文庫) を


 

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