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2020年5月22日 (金)

生きていれば人生は

 もうとうに亡くなった私の父親は大正八年生まれであった.母は昭和元年である.
 父の戦歴は,例えば海軍を志願したのがいつだったかとか,詳しいことは聞き損ねた.ただ,戦艦長門の乗組員であったこと,最終階級が兵曹長であったことは聞いた.日本の敗戦が迫る頃に結核を患い,長門を降りて(長門は昭和十九年に横須賀港に帰投したまま外洋に出ることなく敗戦を迎えたから,たぶんその時だと推測している),新潟の海軍病院 (今の長岡市にあった) で療養している時に,後に私の母となる女と知り合ったことも.
 私の父は,上官に殴打されたために片耳の聴力を失うことはあったが,戦死しなかったという意味では幸運だった.出征したまま遂に帰らなかった兵は,陸軍に多かっただろうと思う.軍艦は,海戦で沈没すれば乗組員は一蓮托生に戦死だが,船が沈まなければ助かる可能性が高い.それに,陸軍兵士のように餓えて命を落とすことはなかった.
 父は海軍病院を退院したあと,私の母を連れて新潟から群馬に移り住んだ.どのような経緯でかは知らないが,新憲法下の法務省前橋刑務所に刑務官の職を得て,五十五歳の定年まで勤め上げた.
 その父と母の艱難辛苦の時代は,やはの終戦直後の数年間であったろう.敗戦の翌年に最初にもうけた子 (長男) は乳児の時に栄養失調で死んだ.続いて私の姉と私が生まれたが,赤貧洗うとはあの当時のことだったと聞いた.

 戦争末期に,既に日本経済は破綻をきたしていた.旨いかまずいかの話ではなく,働くためにはエネルギー源の炭水化物を食わねばならぬ.しかし米麦はもちろん,芋もカボチャも農家が貯め込んでいた.都市部の住民は,飢えぬためには農家に頭を下げて,食い物を分けてもらわなければいけなかった.
 こんな状況下,私の母は,戦時中よりも貧しい食い物にしかありつけず,失明寸前になったと後に述懐した.
 それでも群馬は田舎だったので激しい空襲は受けなかったから,まだよかった.東京に復員してきた元軍人たちは,一面の焼け野原を見て茫然としたであろう.しかし,なんとか家族を探しあてると,広々として見晴らしのよくなった都内のあちこちに,トタン波板屋根の小屋 (今の小学校で飼っているウサギの部屋の方が立派だろう) を建てて,その日の食い物を探すことから始めた.
 余談だが,実は私が大学の三年生の時に下宿していた家が,そういう復員兵の遺族だった.敗戦後の焼け野原で人々は,めいめい勝手に「ここは自分の土地だろう」という見当をつけてバラックを建てたのだが,混乱期にはもはや土地の登記もへったくれもなくなっていたから,適当に家を建ててみたら,そこかしこに妙な形の土地が余ったのだそうだ.そこに件の下宿屋の老女が掘っ立て小屋を建てて住み始めた.その土地は三角形だったので,その下宿の建屋そのものも三角柱の形をしていた.部屋は四角形だったが廊下は三角形,トイレは台形だった.この家は今はもうないが,写真を撮っておけば貴重な資料になっただろう.
 さて敗戦直後の食糧危機の実際は,今も入手できる数冊の文献に譲るとして,本当に食糧がなかったとは言い難い.都市部の人たちが飢えたのは,物々交換しか受け付けない農家があったからである.都市部の富裕層は,和服だとか金目の物を農家に持っていけば米を手に入れることができたが,給与生活者は芋やカボチャしかお金と交換 (代金を払うのではない.交換経済にまで退化したのである) してもらえなかった.
 近代産業は壊滅していた.貨幣経済は半壊していた.そのような時代でも,私たちの親世代は,子を産み育て,生き抜いた.
 このブログで何度か書いたことだが,この世代の元兵士の庶民は,友や兄弟が戦死し,自分が生き残ったことにある種の「申し訳ない」という感情を抱いた.そして何としてでも生きることが,死んだ彼らに対する償いであった.
 
 さて現在,新型コロナウイルス感染症の拡大を阻止するために,東京都や大阪府などが,市民の外出自粛や接待を伴う飲食店の営業自粛要請,イベントの自粛要請等の措置をとっている.これに関して,医師や感染症専門家は生命第一の立場から発言をしている.
 安倍内閣は,本音は国民の生命よりも経済活動の優先であるが,それをあからさまには述べては内閣が瓦解するので,表向きは「国民の命と経済のバランスをとる必要がある」
としている.
 ところが,安倍内閣の応援団には「経済が死ぬと自殺が増えるから,ウイルス感染を減らしても意味がない」との主張を展開している者がいる.言葉の定義も無しに「経済が死ぬ」という非科学的な擬人化表現をテレビ等で振りまいているのは三浦瑠麗であるが,これに影響される者がいるのは見過ごせない.
 果たして本当に「経済が死ぬと自殺が増える」のか,統計資料を基に検討してみよう.
 ここで厚労省のサイトから,我が国の自殺に関する資料を提示する.
20200515a
<資料1> 総死亡率(人口10万対)及び自殺死亡率(人口10万対)の年次推移

 平成十五年以降のデータは,下図の右三分の一に示す.
 
20200515c
<資料2> 総数及び男女別自殺死亡率の年次推移 (内閣府作成)
 
 資料は省略するが,平成二十六年 (上図の右端) 以降は,漸減の傾向を保ったまま自殺死亡者数は減り,2019年の速報値は総数19959人,男性13937人,女性6022人となった.時事通信《昨年自殺者、2万人割る 統計開始以来初、速報値―厚労省》[掲載日 2020年1月17日 10:12] から下に一部を引用する.
 
厚生労働省は17日、警察庁の統計に基づく2019年の自殺者数(速報値)が、1万9959人だったと発表した。前年の確定値より881人(約4.2%)減り、1978年の統計開始以来、速報値で初めて2万人を割り込んだ。減少は10年連続。
 男性は前年比353人減の1万3937人で、10年連続の減少。女性は同528人減の6022人となり、過去最少を更新した。人口10万人当たりの自殺者数(自殺死亡率)も15.8人と過去最少だった。》 (引用文中の文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
 上の引用文中の《1978年の統計開始以来 》の意味が不明である.自殺統計は,厚労省のサイトから引用した一番上のグラフに描かれているように昔からあったわけだから,「1978年の統計開始」の指すところが筆者にはわからないことを,ここで注釈しておく.
 さて,いわゆる平成不況は以下をいう.
 
[第1次] 1991年(平成3年)3月から1993年(平成5年)10月までの32か月間 (バブル崩壊)
[第2次] 1997年(平成9年)6月から1999年(平成11年)1月までの20か月間 (金融危機)
[第3次] 2000年(平成12年)12月から2002年(平成14年)1月までの14か月間 (ITバブル崩壊)
 
 これらを分けずに,1990年代初頭から2000年代初頭をまとめて「失われた十年」と呼ぶ.
 次に我が国における自殺の,原因・動機別の死者数のデータを下に示す.
20200516a
<資料3> 原因・動機別の自殺者数の推移 (厚労省作成)
 
<資料3> からわかるのは,我が国における自殺の動機はほとんど健康問題であるということだ.(およそ総数の3/4が健康問題)
 ただし例外的に「失われた十年」の期間に,年間三千人ほどの自殺者が「経済・生活問題」を動機としている見られている.しかしこれも詳細に検討してみると,バブル崩壊による第1次平成不況は,「経済・生活問題」を動機とする自殺者数に全く影響していないことがわかる.
 また第2次から第3次の平成不況において「経済・生活問題」を動機とする自殺者が十万人あたり四千人ほど増加をみているが,<資料2>から明らかなように,不況期を脱しても「経済・生活問題」自殺は減らなかった.この動機による自殺は減らないまま2008年 (平成二十年) のリーマン・ショックを迎えるのだが,リーマン・ショック自体は日本経済に軽微な影響しか与えなかった.Wikipedia【リーマン・ショック】から一部を下に引用する.
 
日本は長引く不景気から、サブプライムローン関連債権などにはあまり手を出していなかったため、金融会社では大和生命保険が倒産したり農林中央金庫が大幅な評価損を被ったものの、直接的な影響は当初は軽微であった。しかし、リーマン・ショックを境に世界的な経済の冷え込みから消費の落ち込み、金融不安で各種通貨から急速なアメリカ合衆国ドルの下落が進み、アメリカ合衆国の経済への依存が強い輸出産業から大きなダメージが広がり、結果的に日本経済の大幅な景気後退へも繋がっていった。(引用文中の文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
 
上に《結果的に日本経済の大幅な景気後退へも繋がっていった 》とあるが,実は<資料2>が示しているのは,景気が後退すればするほど「経済・生活問題」を動機とする自殺が減少の一途をたどった事実である.これは「経済が死ぬと自殺が増える」という俗説とは正反対の結果である.
 遡って昭和の日本における不況を見てみよう.戦前の日本における最も深刻な恐慌である「昭和恐慌」は,1929年 (昭和四年) 10月にアメリカ合衆国で起きて世界中を巻き込んだ世界恐慌の影響が日本に及んだもので,翌1930年 (昭和五年) から1931年 (昭和六年) にかけて日本経済を危機に陥れた.ところが<資料1>における昭和初期の自殺死亡率推移を見ると,恐慌期であっても,日本社会でコンスタントに発生する「自殺死亡率の基礎数値=人口10万人あたり約25人」から特に顕著な増加を見せていないのである.
 さらに,東京オリンピック後に起きた「証券不況」はどうであったか.<資料1>を見れば明らかだが,この不況の期間は明治末期以来,自殺死亡率二番目に低かった時期にあたるのである.
 
 では,<資料1>で示されている,我が国で最も自殺死亡率が低かった時期は,いつであろうか.
 それはこの記事の冒頭の話に戻るが,驚くなかれ敗戦直前から戦後数年の,日本経済が崩壊していた時期なのである.
 人間はどん底の時にこそ生きる意欲をかき立てられるものらしい.繰り返すが,この時期の日本を牽引した元日本軍兵士たちは,戦地で銃弾に倒れ,あるいは餓死し,また沈没艦の艦底で溺れ,遺骨すらも戻らなかった親兄弟と友の無念をはらすために生き抜いた.終戦直後に生まれた私たちの世代は,彼ら元日本軍兵士の直系である.彼らの人生をこの目で見てきた.だから私たちは,人間はどん底の時にこそ生きる意欲をかきたてられるものだと知っている.
 ならば逆に,人が自殺するのは,どん底の時ではないと言える.
 再度<資料1>の一部を拡大して見てみよう.
20200516c
<資料4>日本経済の好況期と自殺死亡率の関係
 
 上に示した<資料4>で,日本経済の状態と自殺死亡率の関係を見てみよう.
 まず,繰り返して述べるが,敗戦によって日本経済が「死んだ」時期に,自殺死亡率が明治以来の最低値を記録していることは重要である.
 次に,「神武景気」と「岩戸景気」と称された日本経済の活況期に,戦後の自殺死亡率は上昇して一つのピークを作った.
 続く「いざなぎ景気」の時には,一転して自殺死亡率は大きく低下した.
 そして,既に述べたように,第1次平成不況期には自殺死亡率は低かったが,第2次平成不況には自殺死亡率は上昇した.
 その後に起きたリーマン・ショックそれ自体は日本経済にそれほどの打撃を与えなかったが,それ以後の大幅な景気後退期にはむしろ自殺死亡率は一方的に低下を続け,昨年は遂に自殺者が二万人を割った.我が国の自殺に関する統計上,初のことである.
 以上のことから得られる結論は「我が国においては,経済の好況不況と自殺死亡率に相関関係はない」ということである.グラフの目視で,これだけ無関係であれば,適当な経済指標を選んで自殺死亡率との相関係数を求めるまでもない.「経済が死ぬと自殺が増える」は誤りである.
 このことは,自殺に関する科学的考察からすると実は当然なのである.
 日本における自殺の統計は警察庁の「自殺統計」に取りまとめられている.この統計においては,「健康問題」や「経済・生活問題」を指して「自殺の原因・動機」という用語が使用されているが,これは誤解を招く表現だろう.
 WHOの「自殺予防マニュアル;“Mental and Behavioural Disorders Department of Mental Health (2006). Preventing suicide : a resource for counsellors (Report)”」によれば,自殺既遂者の90%が精神疾患を持っている.そして精神疾患 (特にうつ病とアルコール乱用) こそが,高所得国における自殺の直接的原因なのである.すなわち警察庁「自殺統計」等で「原因・動機」とされているものは,精神疾患が自殺という結果に至るときに関与するリスク・ファクターなのである.例えば「がん」にかかった人は全員が自殺するわけではない.そのうちのごく一部が抑うつ状態となり,自殺という行動をとる.つまり「がん」は抑うつ状態を誘発する因子であって,自殺の原因ではない.
 すなわち「がん」になっても,適切な精神的ケアがなされれば,自殺を防ぐことができる.WHOや日本の厚労省が自殺の低減に取り組んでいるが,自殺のリスク・ファクターをなくすことはできないが,これが自殺を誘発するのを防ぐことは可能だと考えてているからだ.
「がん」だけでなくこの種の自殺危険因子は非常に多種多様であり,個人個人の精神状態に複雑な影響を
もたらしていると考えられるが,重要なことは,逆にいえば個人個人の精神状態に影響しない事柄は自殺行動に結びつかないということである.
 つまり現下の新型コロナウイルス感染症対策によって,元々が虚業である観光業界や,固定費が高すぎる放漫経営の飲食店や,高級料亭相手に庶民には手の届かぬバブリーな価格の和牛肉を販売していた畜産農家や,銀座の高級クラブや,新宿歌舞伎町の性風俗店がどれほどつぶれて三浦瑠麗が言うところの「経済が死んで」も,慎ましく生きている国民個々人にとってみれば,自分の会社がつぶれなければ抑うつ状態になるはずがなく,従って自殺なんかしないのである.
 これはまた逆の観点から言い換えれば,たとえば上に例を挙げたバブリーな事業に失敗したとしても,セーフティネットがしっかりしていれば,精神疾患を抱えている人たちの自殺は防ぐ手立てがあるということだ.いわんや正業に就いていながらコロナ禍のために失業した人々においてをや.
 三浦らの主張は,毎年の自殺者数yは経済指標xの関数であるということ,すなわち y=f(x) だが,これは事実に反する (統計データは上に示した).そしてもしそのような関数が存在するなら,WHOや厚労省の自殺防止対策は無意味だということになるが,三浦瑠麗はこれについて言及していない.する度胸はないだろうが.
 もちろん三浦瑠麗らが自殺に関する医学的知識や統計資料を持っていないわけではない.また自殺はセーフティネットの確保によって防ぐことができるのを知っていながら三浦らが「経済が死ぬと自殺が増える」とデマを飛ばすのは,理念なき景気至上主義の保守政権にすり寄ることが彼ら保守系知識人のメシの種だからである.もちろん彼らは自民党政権が「経済を死なす」わけがないと見込んでおり,従って実際に「自殺が増える」事態にはならないと踏んでいるからこその,検証不能の狡猾なデマであるわけだ.検証できないとわかっていればどんなウソでもつけるのである.
 さてデマ「経済が死ぬと自殺が増える」を唱える論者は,三浦瑠麗のほかに京都大学大学院の藤井聡教授がいる.デイリースポーツ《京大・藤井教授 自殺者数が14~26万人も増える…現政府対策を全てやった前提で》[掲載日 2020年4月28日 20:25] によれば藤井教授は,
 
藤井教授は「まだ速報値ですが現政府対策を全てやった前提でコロナショック&政府自粛要請によるGDP減と失業率増を推計し、累計自殺者数の増加量を予測しました」と表を投稿。縦軸が人数で横軸が西暦年。2020年に急激に増え、17年の人数に戻るまで、「楽観的なシナリオ」でも10年以上を要している。
 藤井教授は「ご覧の様に今のままでは自殺者数が14~26万人も増えるのです...」と危ぶみ、「『命』のために感染症対策も大切ですが消費税凍結&真水100兆対策も不可欠なのです!」と訴えた。
 
と主張している.三浦瑠麗の主張に数字の根拠がないのと比較すると,藤井聡教授ははっきりと自殺はGDPと失業率を変数とする関数であると述べている.自殺者数=f(GDP,失業率) というわけだ.
 この藤井教授の関数が数学的にどのようなものかは知らないが,《『命』のために感染症対策も大切ですが消費税凍結&真水100兆対策も不可欠なのです 》が,その関数の式を求めた目的を表しているのだろう.国民の生命と財政出動「真水100兆対策」を天秤にかけることを正当化することが藤井教授の関数の目的であると考えられる.藤井教授が第二次安倍内閣のブレーン (内閣官房参与) であったということを知れば,それも不思議ではない.計算に用いた関数の数式を公表してそれが妥当であることを世に問うのでないのなら,いっそ正直に「感染症の医療よりも経済を守ることのほうが大切です」と言ったらどうなんだ,と思う.
 
 美空ひばり『愛燦燦』に「わずかばかりの運の悪さを恨んだりして」とある.
 人は,等しく貧しいことを嘆かない.他人よりも運が悪いことに,心を病む.
 敗戦直後の生まれである吉田拓郎は,『フキの歌』に「僕が子供だった頃 日本は貧しくひ弱で お金もなく肩寄せあって生きていた 物が足りないのは みんな一緒だし普通だし」と書いた.
 貧しいのはみんな一緒で普通だった一時期に,我が国は史上最低の自殺死亡率であった.その後の経済成長に伴って増加した「経済・生活問題」による自殺は「格差社会」の反映に他ならない.もし藤井教授が主張するように,このコロナ禍で自殺者が激増するとすれば,それは感染症が国民の生活格差を広げた結果であろう.
 経済指標がどうあろうと,生きていれば人生はなんとかなる.あたかも人の世が数式で計算できるものであるかのように言う「経済が死ぬと自殺が増える」という呪文に惑わされてはならない.

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