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2020年1月 7日 (火)

七草粥

 正月七日は七草粥だ.
 Wikipedia【七草がゆ】によれば,日本古来よりの行事「七草粥」の謂れは以下の通り.
 
説話
御伽草子の七草草子に、説話が語られている。
唐の楚国に、大しうという親孝行者がいた。両親はもう百歳を越し体がままならず、そんな両親を嘆き悲しんだ大しうは、山に入って21日間もの苦行を行い祈願した。
「私に老いを移してもいいのでどうか両親を若返らせてください」
そこに天上の帝釈天からお告げがあった。
「そなたの願いを聞き入れた。須弥山の南に齢8000年の白鵞鳥がいるが、この秘術をぬしら親子に授ける。ついては、毎年春のはじめに七種の草を食べること。1月6日までに7種類の草の集めておくこと。次の時刻に柳で作った器に種を載せ、玉椿の枝で叩くこと。
酉の刻から芹
戌の刻から薺
亥の刻から御形
子の刻から田平子
丑の刻から仏座
寅の刻から菘
卯の刻から清白
辰の刻からこれらの種を合わせ、東から清水を汲んできて、これを煮て食べること。
一口で10歳、七口で70歳若返るので、ついには8000年生きることができよう。」大しうはこの教えを繰り返し暗唱すると、この日は正月であったのですぐに山を降りて7種類の草を集め、6日の夕方から教えの通り、不思議な心持ちで夜通し草を叩いた。朝になり、東から汲んだ水で炊いて両親に食べさせたところ、たちまち若返ったのはいうまでもない。これが世に伝わり、噂を聞いた当時の帝はこの親孝行に感動して位を譲った。すなわち、七草の由来とともに、ここでは親孝行の功徳を説いた話だったのである。

 
 この説話が成立したのは鎌倉期から室町にかけて.
 上の引用文中,「唐の楚国」と言われても普通はどこの国やらわからない.唐なのか楚なのか,どっちだ.調べてみると,どうやら唐が滅んだあとに「五代十国時代」というのがあって,その「十国」の一つに楚 (楚はいくつもあるが,これは十世紀の楚) があるようだ.紛らわしいが,そういうマイナーな時代と地域の設定をするところが,いかにも胡散くさい.たぶん日本で作られた説話なんだろう.
 説話にある七草粥の謂れはそれとして,七草粥の始まりは,平安時代からの「若菜摘み」らしい.この風習は『枕草紙』の百三十四段に書かれているが,摘んだ若菜を粥にして食べたかどうかはわからない.
 また,一方でWikipedia【七草】は次のように解説する.
 
七草(ななくさ)は、人日の節句(1月7日)の朝に、7種の野草あるいは野菜が入った粥(七草粥)を食べる風習のこと。
元々の「七草」は秋の七草を指し、小正月1月15日のものは「七種」と書く。この七種も「ななくさ」と読み、一般には7日正月のものを七草と書くなど、現在では元々の意味がわからなくなり、風習だけが形式として残った。これらの事から、人日の風習と小正月の風習が混ざり、1月7日に「七草粥」が食べられるようになったと考えられる。

 
 Wikipedia【七草がゆ】には全国各地の七草粥が載っているが,春の七草とは関係ないように思われる.その点では,Wikipedia【七草】が説くように,七草粥ではなく七種粥と書くのが本当のところのようだ.
 私の郷里は群馬県の前橋だが,少年時代をおくった昭和三十年代,七草粥に春の七草全部は入れてなかったように覚えている.野草だけでなくテキトーな野菜も入れてたんじゃなかろうか.
 それからあとは上京してずっと一人暮らしをしていたから,やがて結婚して最初の正月を迎えるまで七草粥を食べた記憶はない.その正月の七日の朝に妻が七草粥を拵えてくれて,ようやく七草の風習を思い出したのだった.
 七草は摘みにいくものとばかり思っていたから,彼女に,どこで手に入れたか訊いたら「七草セット」をスーパーで売っているとのことだった.便利な世の中になったものだと感心した.
 
 昨日,藤沢駅のルミネに入っているクイーンズ伊勢丹に立ち寄ったら,「七草セット」があったので買ってきた.
 定法通りに拵えた七草粥が下の画像.七草を一パックに米を一合,水は1.2リットルで炊いた.これで1.5リットルの鍋一杯できるから,二人前 (おかわりして二食分) である.
 さて七草の粥を食べると正月気分がすっと抜けるような気がする.勤め人じゃないから,正月気分が抜けても特に何をするというわけでもないが.
 
20200107a

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