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2019年12月20日 (金)

アイギス

 神話伝説の世界を下敷きにしたファンタジー小説とかゲームをやっていると,名前が付けられた武器,特に剣が出て来る.例えば英国のアーサー王伝説には聖剣エクスカリバーがあり,『指輪物語』にはグラムドリングオルクリストスティングの三つが登場する.
 これに比較すると,伝説的な防具はあまりない.『指輪物語』にはミスリル製の帷子が出てくるが無銘だ.名のある防具で私が知っているのは,ギリシャ神話の「アイギス」ただ一つである.アイギスの物語は次のような話だ.
 
 ギリシャに長女ステンノー,次女エウリュアレー,末娘のメドゥーサという名の美しい三姉妹がいた.
 ある時,海神ポセイドンがメドゥーサに求愛し,メドゥーサがこれを受けたことが,アテナの怒りを買った.
 アテナはオリンポス十二神の一柱であり,また知恵と学芸と戦争の神であり,パルテノン神殿の女神にして主神ゼウスの娘である.
 アテナの怒りは,嫉妬したのだと,あるいはポセイドンとメドゥーサが事もあろうにアテナの神殿で愛を確かめる怪しからぬ行為に及んだからだともいわれる.そりゃ誰でも怒るわな.
 アテナはメドゥーサの顔を醜悪に変え,髪の毛を毒蛇にした.これに抗議した長女と次女もついでにメドゥーサと同様にした.ひどい.
 怪物に変えられてしまった三姉妹は,ゴルゴン (「恐ろしい女」という意味) と呼ばれ,山奥の洞窟に追われた.
 ところが,洞窟の傍らを通りかかった人間がメドゥーサと目を合わせると石化するようになったことから,怪物退治が行われることになった.
 ここに半神の英雄ペルセウスが登場する.ペルセウスがメドゥーサを退治した経緯をWikipedia【ヘルセウス】から引用する.
 
ゴルゴーン退治
ペルセウスはセリーポス島で成長したが、やがて、ディクテュスの兄でセリーポス島の領主であるポリュデクテースがダナエーに恋慕するようになり、邪魔になるペルセウスを遠ざけるためにゴルゴーンの一人メドゥーサの首を取ってくるように命じた。
ペルセウスはアテーナーとヘルメースの助力を受け、アテーナーから青銅の盾を授かり、ゴルゴーンを殺すのに必要な道具を持っているニュムペーたちの居場所を聞くためにゴルゴーンの妹であるグライアイ三姉妹の元に行った。彼女たちは生まれつき醜い老女で、三人でたった一つの眼と一本の歯しか持っていなかった。彼女たちが居場所を教えてくれないために、この眼と歯を奪って脅すことで無理やり聞き出した。そしてニュムペーたちから翼のあるサンダル、キビシス(袋)、ハーデースの隠れ兜を借りた。さらにペルセウスはヘルメースからは金剛の鎌(ハルペー)を授かったとされる。
一説には、サンダル、兜、およびキビシスはゴルゴーンの居場所を聞くために立ち寄ったグライアイ三姉妹の所有物で、ゴルゴーンの居場所を聞いたついでに奪っていったという説もある。また、翼のあるサンダルはヘルメースから与えられたともいわれる。そして西の彼方のオーケアノスの流れの近くに住むゴルゴーン姉妹を発見し、アテーナーに手を引かれ、メドゥーサの顔を見ないようにして、盾に映し出されたメドゥーサの姿を見ながら、剣でメドゥーサの首を取ることに成功した。》(当ブログの筆者による註;引用文中の「アテーナー」はアテナに同じ)
 
 メドゥーサを見た人間が石になってしまうのは,アテナがメドゥーサをそのような怪物にしたからである.メドゥーサがそうなりたかったわけじゃない.ペルセウスに酷い目にあわされたグライアイ三姉妹は,何も悪いことはしていない.ただ醜いだけだ.ひどい.
 という感想は横に置いて,メドゥーサを退治したペルセウスはアテナにメドゥーサの首を献呈した.そしてアテナはメドゥーサの首を防具のアイギスに嵌め込んだ,というのがペルセウスのメドゥーサ退治の顛末だが,ここでアテナの防具「アイギス」とは何か,が問題となる.
 一説は盾であるとし,もう一説は胸当てであるとする.それぞれの例についてWikipedia【アイギス】に載っている画像を引用する.
 
Athena
(アイギスを手に闘うアテーナー;パブリックドメイン,File:Athena1.JPG from Wikimedia)
 
 上の絵は十八世紀に描かれたもの.アテナの盾の真ん中にメドゥーサの顔がある.
 
Athena_20191220022501
(アテーナーの立像;パブリックドメイン,File:Mattei Athena Louvre Ma530.jpg from Wikimedia)
 
 上の写真は紀元前一世紀ローマ時代の複製彫刻.アテナの右肩から斜め掛けになっている胸当て (山羊皮製) が,この彫刻ではアイギスなのだろう.そこに小さくしたメドゥーサの顔が装着されている.
 この彫刻からおよそ二千年後にクリムト (1862年7月14日 - 1918年2月6日) が描いたアテナ (『パラス・アテナ』1898年,油彩) では,アイギスは蛇皮製で胸部だけのケープのような形のスケール・アーマーであり,胸元に大きなメドゥーサの顔が彫られている.(ネット上にある『パラス・アテナ』を写真撮影した画像は,パブリックドメインかどうか不明なので
,ここには掲げない.ただし検索すればどんな絵かは知ることができる)
 
 さて盾か胸当てか,いずれにせよアイギスはメドゥーサの首が装着されたため,戦いの相手を石化する能力を獲得し,防御力は完璧となったという.
 以上,神話の防具アイギスについて書いてきたのは,読み終えたばかりの中野京子先生の『運命の絵 もう逃れられない』に,クリムトの『パラス・アテナ』の解説が載っているからである.その解説の終わりに次の一節がある.

 
二〇一七年六月、静岡県の伊豆半島沖で、アメリカのイージス艦がフィリピンのコンテナ船と衝突。脇腹を大きく損傷して死傷者も出し、無敵のはずのハイテク艦は脇が甘かったのかと世界中を驚かせた。
 本作とどんな関係が?
 無敵の防具アイギス (Aigis) の英語読みはイージス (Aegis)。ギリシャ神話から名前も意味も拝借しているのだ。
 イージス・システムはアメリカ海軍が防戦用に開発したもの。イージス艦はこのシステムを搭載したハイテク艦艇で、索敵、状況判断、意思決定、反撃といった一連の流れを迅速に行う。
 先述のごとくアテナの戦争は護国のためであり、嫌われ者の軍神マルスが戦の攻撃的側面や負の部分を受け持っているのとは違う。しかもアイギスは完璧……のはずだったが、妙に脇が甘いのは、ケープ式だからか、それとも艦にメドゥーサの首が搭載されていなかったせいか。
 
 今年の一月に私は横須賀軍港に出かけ,イージス艦を遠くから見学するクルーズに参加した.その記録《記念艦三笠でカレーを (軍港クルーズ編) 》を読み返したらこんなことを書いていた.
 
イージスシステム搭載艦がイージス艦だ.改めて調べてみたら,Wikipedia【イージス艦】に《イージス(Aegis)とは、ギリシャ神話の中で最高神ゼウスが娘アテナに与えたという、あらゆる邪悪を払う盾(胸当)アイギス(Aigis)のこと 》とある.軍オタ諸君,喜べ! イージスはアテナの盾かと思ったら 胸当のことみたいだぞ! 君らは払われちゃう邪悪のほうかも知れないけどな! 私も払われちゃうかもな!
 
 上の記事を書いた時は胸当てを,ゲームによく登場する「女性の胸を防御するセクシーな防具」だと勘違いしていた.例えば実写映画のワンダー・ウーマンのコスチュームみたいなやつだが,よく調べずに書いたことを反省している.(恥)
 ちなみに,上に引用した絵『アイギスを手に闘うアテーナー』をよく観ると,アテナは現代のレオタードに酷似した防具を着ている.この絵が描かれた十八世紀にこんな衣服があったとは考えにくい.画家の想像力というのは大したものだ.

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