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2020年1月 1日 (水)

歳のはじめ

 昨年末,ソフトウェア・ベンダーのメルマガで,葉書印刷ソフトの案内が頻繁に来た.曰く「最後まであきらめないで!」「必ず年内に投函を!」など.
 大きなお世話である.
 私は仕事をリタイアする前,旧年内に焦りつつ年賀状を作成して投函していたのだが,数年前にきっぱりとやめた.元旦に書くことにしたのである.
 
 私の親たちの世代は,戦後になっても日常生活において「数え年」と「満年齢」を併用していた.この事実を知っているのはもう高齢者たちだけになってしまったが,実は日本人の年齢計算に現在のような「満年齢」が用いられるようになったのはかなり古く,明治時代である.すなわち「年齢計算ニ関スル法律」が明治三十五年十二月二十二日に施行され,国民は年齢計算に満年齢を使用することとなった.この法律は,もちろん現在も生きているが,以下の三条が全文だという大変に簡素な法律である.
 
年齢計算ニ関スル法律 (明治三十五年法律第五十号)
○1 年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス
○2 民法第百四十三条ノ規定ハ年齢ノ計算ニ之ヲ準用ス
○3 明治六年第三十六号布告ハ之ヲ廃止ス

 ところが実際には「数え年」が使われ続けたことから,国会は昭和二十五年 (1950年) 一月一日施行の「年齢のとなえ方に関する法律」を制定した.
 
年齢のとなえ方に関する法律 (昭和二十四年法律第九十六号)
○1 この法律施行の日以後、国民は、年齢を数え年によつて言い表わす従来のならわしを改めて、年齢計算に関する法律 (明治三十五年法律第五十号) の規定により算定した年数 (一年に達しないときは、月数) によつてこれを言い表わすのを常とするように心がけなければならない。
○2 この法律施行の日以後、国又は地方公共団体の機関が年齢を言い表わす場合においては、当該機関は、前項に規定する年数又は月数によつてこれを言い表わさなければならない。但し、特にやむを得ない事由により数え年によつて年齢を言い表わす場合においては、特にその旨を明示しなければならない。
附 則 抄
○1 この法律は、昭和二十五年一月一日から施行する。
○2 政府は、国民一般がこの法律の趣旨を理解し、且つ、これを励行するよう特に積極的な指導を行わなければならない。
 
 この条文を読めば明らかなように,「満年齢」は国民の義務にはならなかった.「言い表すのを常としなければならない」とすれば義務になるが,「言い表すのを常とするように心がけなければならない」では義務ではない.
 なぜ国民の義務にならなかったのか.
 
 まず「年齢計算ニ関スル法律」だが,明治三十五年には,まだ江戸時代の生まれの者がたくさんいた.明治六年の太政官布告で「満年齢」という概念が国民に示されたものの,明治六年以前に生まれた日本人
の大部分は,自分の誕生日なんか知らなかったから,満年齢を使おうにも使えなかった.それまでの古い習慣で,みんな元旦に歳をとることになっていた.そのためこの「年齢計算ニ関スル法律」は全く実効性がなかった.
 ちなみに,「自分の誕生日を知らない」ことについては堀井憲一郎が次のように書いている.
 
そもそも貴人階級の生まれでないのなら、生まれた日が記録されることはない。人が記録されるのは死んだ日である。死んだ日は大事にされるが(時を超えて伝承されるが)、生まれた日は、ほとんど誰も気にしていない。生まれた日月は、人にとって重要な日ではない。近代以前には当然だった「自分が生まれた日月=誕生日は誰も気にしていない」状況について、かなりわかりにくくなっているとおもう。すべての人間の生誕日が記録されるようになったのは、近代国家になってからである。日本だと明治からです。それ以前、よほどの貴人でないかぎり、生誕日の記録は残っていない。もちろん、生誕日に祝いをする風習もない。そんな面倒なことをしている余裕はなかった。近代国家が全国民の生年月日を記録させたのは、すべての男子を兵士として確保するためであり、全国民から税金を取るためである。〝国民のすべてを兵隊にする〟という無謀な企ては、フランス革命で始まりナポレオンが広めたと言われている。そのシステム(国民国家と呼ばれている)が広まる以前には、自分の生年月日は本人でさえも知らないことが多かった。想像すればわかるが、自分の生まれた年月日というのは、それを見ていた自分以外の誰かに(だいたい親ですが)教えてもらわないかぎり、知ることができない。記録されないその月日を、いちいち教えてもらえることは少なかった。年だけを教えてもらっていたはずである。多くの人は、自分の生まれた日月については知らないまま生きていた。》(『愛と狂瀾のメリークリスマス なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』,講談社現代新書,2017年)
 
 さて次の「年齢のとなえ方に関する法律」は,国民には「満年齢」を強制しなかったが,地方公共団体には強制した.例えば届け出書類に生年月日の記載欄を設け,記入しないと受け付けない,といった具合にしたのである.だが昭和二十五年に至っても江戸時代生まれの人はいた.
 想像だが,役場の窓口に「生年月日を書けなんか言われてもオラわかんねっす」という男が来たら,「テキトーに書いときゃいいからホレ」というような「積極的な指導」がなされたのではないだろうか.
 はっきりとは言い難いのだが,私の記憶では,戦前生まれの人たちが「数え年」を使用しなくなったのは昭和三十年代と思われる.
 明治三十五年に日本が近代国家を志してから実に六十年近くを経て,ようやく「満年齢」が国民に定着したのであった.
 
 酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり 
 今年もうすぐ,私は満年齢で七十になる.古くは数え年七十を古希とするので,昨年の元旦に古希を迎えたわけだ.しかし私はこの正月元旦を古希の祝いとすることを勝手に決めた.年齢の数えかたという単なる形式によらずに,正味で略々七十年生きたからである.
 現代では古希は短命のうちかも知れないが,この歳まで生きてこられたことを天地神仏と,たくさんの人々に感謝するのは,誕生日よりも元旦がふさわしいように思う.
 年が明けてから初詣に行き,帰宅しておせち料理をつまみながらお酒を頂き,雑煮を食べてから年賀状をしたためる.
 仕事が現役の頃には,年末に「明けましておめでとうございます」などと嘘を書いていたのは,それが世の習いだったからであるが,もうリタイアしたからには,賀状をいつ書こうが自分の勝手だ.気分的には,元旦に賀状を書くのがしっくりくる.
 余談だが,おもしろいことに,元旦に賀状を書く人間を快く思わない人がかなりいて,私が元旦に年賀状を書くようにしたら,届く年賀状が大きく減った.儀礼的な年賀状が減ったのである.私に結婚の媒酌人を頼んだ男たちが年賀状を寄こさなくなったが,そもそもサラリーマン社会の儀礼として私に媒酌を頼んだのだろう.それがわかって,むしろ気分的にはすっきりした.いろんなシガラミを気分的にすっきりさせることも終活のうちだろう.
 さて初詣にでかけるとする.
20200101

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