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2019年12月

2019年12月31日 (火)

大晦日に世迷言を書く女

 All About に冠婚葬祭ガイドを自称する中山みゆきという人がおもしろいことを書いている.《正月三が日にやってはいけない6つのタブー》(掲載 2019/12/31 22:05) である.
 彼女は「正月の三ヶ日に縁起をかついでやってはいけないこと」として次の六つをタブーとして列挙している.
1:掃除をしてはいけない
2:刃物を使ってはいけない
3:火を使う煮焚きをしてはいけない
4:四足(よつあし)歩行の動物の肉を食べてはいけない
5:ケンカをしてはならない
6:お金を使ってはいけない
 
 この人は「いつ頃存在したタブー」であったかを書いていないが,群馬県で戦後に生まれた私が物心ついて以来,上記の六禁忌のうちで一度は耳にした三ヶ日の禁忌は,掃除をしないこと,獣肉を食べないこと,の二つである.刃物を使うな,火を使う煮炊きをするな,喧嘩をするな,お金をつかうな,は初耳だ.
 おそらく室町末期に,餅を入れた雑煮を三ヶ日に食べる食習慣が成立し,現在にいたる.家訓として餅を食べない一族がわずかに存在するので,そのようなレアケースを除けば,未だかつて一般的に「三ヶ日に煮炊きをするな」が禁忌だったことはないと思われる.加熱せずに餅を雑煮にすることはできないからである.
 また,全国ほとんどの地方で,雑煮に餅以外の食材を入れる.菜っ葉や芋,根菜などを雑煮に入れるには刃物を使わざるをえない.ただし小豆と餅だけで雑煮にする地方はあるから,包丁を使わずに雑煮を拵える例外はあるかも知れないが.
 
 喧嘩をするな,お金をつかうな,はどこの地方の習慣だったのだろう.上記の中山みゆき氏の説以外にも,正月の禁忌についてあれこれ蘊蓄を垂れ流しているたくさん者がいる.しかしいずれも,その禁忌が,どの地方でいつ成立したものかについて,全く触れていない.頭が悪いとしか言いようがない.

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2019年12月25日 (水)

エコバッグ

 番組名と放送日をメモしていない (たぶんテレビ東京『勝手に自慢していいですか』だろう) ので,雲をつかむような話なのだが,たまたまオンにしたテレビ画面に女性タレントたちが出演していて,成城石井のポテトサラダをほめまくっていた.彼女らの話によると,すぐ売り切れてしまうとか.
 そんなにおいしいポテトサラダならば是非とも食べてみたいと思い,一昨日の午後,藤沢駅北口の「さいか屋」地下の成城石井に立ち寄ってみた.
 もう売り切れているかと思いきや,そんな気配は微塵もなく,棚に積まれていた.
 拍子抜けしつつも一パックを買い求めて帰宅した.
 食べる前の外観観察だが,まずジャガイモ以外の具材が非常に貧弱である.ほとんどイモだと言っていい.
 そのジャガイモは,あらかた潰してあり,マッシュポテト状態であった.
 食べてみたら,食感はザラついていて,洋ガラシの風味もタマネギの味もなかった.
 要するに,ダイエーとかの食品売り場で販売されている安価なポテサラと同レベルだった.
 それじゃあ,あのテレビタレントの女性たちの絶賛はなんだったのか.
 不思議に思って「成城石井 ポテトサラダ」で検索してみた.
 すると,クックパッドに《食べ飽きない味・・ 成城石井のポテトサラダを目指して作りました。》という投稿があった.
「目指す」という表現がすごい.成城石井はポテサラ界の最高峰なんだろか.私のような爺にはわからないが,女性たちはこういうイモ感の強いポテサラが好きなんだなと思った.
 
 ついでに成城石井の人気商品という検索を行ったら,スコーンがおいしいという記事がいくつも見つかった.そこでスコーンを買ってきた.紅茶味のものだ.
 原材料はとてもナチュラル志向で「小麦粉,牛乳,バター,加熱練乳,卵,砂糖,紅茶,食塩,香料,ベーキングパウダー」と書かれていて,添加物は香料とベーキンクパウダーだけであった.
 さすがだっ成城石井!と絶賛しつつ三分の一ほどを口に入れたら,小さなスコーンの塊が瞬間的に口中の唾液を全部吸い取り,それでもなお飽き足らずに粉塵化し,私はゲホゲホとむせた.
 ネット情報を子細に検討したところ,皆がみんな成城石井のスコーンをおいしいと言っているわけではなかった.中には,味はイマイチだが《オーブンやトースターで焼くと、表面がサクサクで中身のパサパサ感はさほど気にならなくなりますよ!》と書いている人がいた.
 そこで残りをオーブントースターで焼いてみた.
 粉塵化はさらに度を増した.
 高齢者は誤嚥による肺炎が死につながる.このスコーンは若い人にだけおすすめだと思った.
 
 上のように書いてはみたが,成城石井をディスる意図は全くない.レトルトのグリーンタイカレー (PB) は同種の他社製品を圧倒しておいしいと思うし.成城石井オリジナルのエコバッグは私のお気に入りだ.ペラペラ感がなく,じじいがコレを手に提げて白菜とかを買い物していても落魄感が漂わない.
 これが紀ノ国屋のエコバッグだとそうはいかない.ヨーカドーやイオンでこれを使用するのは場違い感が甚だしくて,紀ノ国屋でお買い物するときの専用だと思われる.だけど私の場合は,鎌倉まで行かないと紀ノ国屋はないからめんどくさい.
 私の娘とエコバッグの話になったとき,上司の部長も紀ノ国屋のエコバッグを欲しがっているが二の足を踏んでいるらしいと言っていた.
 誰しも考えることはおなじなんだなあ.にんげんだもの.
Ninjin_damono

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2019年12月23日 (月)

視聴者はみんな『陸王』を連想したんじゃないか

 昨日,全国高校駅伝のテレビ中継を観戦した.集団がやや縦長になったが,まだ複数のグループにバラけていない一区の選手たちの走りを,中継車が横と前方から撮る映像を見れば歴然だったが,履いているシューズは大半がナイキの製品だった.
 毎日新聞に《「ピンクの靴ばかり」と話題 記録更新支える「厚底」シューズ席巻 全国高校駅伝 》が掲載された.(掲載日 2019年12月22日 19:16)
 同記事を読むと,記者はこの状況に好感をもっていないことがわかる.その小見出しを書けば次の通りである.
* 好走選手の多くが使用
* 誰もがすぐに速くなれるわけでは…
* 使用自体に否定的な声も
 
 毎日新聞の記者がナイキの厚底シューズに反感を持っていようがいまいが,一番目の《好走選手の多くが使用 》は事実なんだからそうとしか書けない.
 だが《誰もがすぐに速くなれるわけでは…》以降は記者の主観だらけだ.選手たちはそれぞれの高校の指導者の指示でナイキのシューズを履いて走っている.誰もがすぐに速く走れるわけではなくても,高校のトップレベルの選手たちなら速く走れるのだろう.少なくとも指導者たちはそう判断している.それがテレビ中継の映像に歴然としていた.
 この記者は,ナイキのシューズを履いて戦って優勝した仙台育英の釜石監督は実名を出しておきながら,《ただ、男子の上位入賞校の監督は「靴に走らされ、普段と違う動きになると尻付近の筋肉が張りやすい。故障をする可能性がある」と安易な使用には警鐘を鳴らす 》はコメントした陸上部監督を匿名にしている.こういう書き方はフェアでない. 「(力量のない選手は) 故障する可能性があるが (ウチの選手は大丈夫だ)」と言ったかも知れないのだ.このように元のコメントを勝手に改竄するときには,取材源を匿名にするとよい.そんな実例は,探せば新聞の取材を受けた作家などが紙媒体で書いているのが見つかる.(← こういう書き方も,読者を騙す手口の一つだ.探すのは方法論的に非常に困難だからだw)
 新聞記事は,書き方一つで,読者の受ける印象が180度違ってしまう.(ガッツ石松はこれを「360度違う)と言った w)
 実例は,朝日新聞と読売新聞と産経新聞の三紙を毎日読んでみることをお勧めする.(← これなら実行可能だから,騙しの手口ではない)
 
使用自体に否定的な声も》の中身は次の通り.
 
一方、使用自体に否定的な声も少なくない。3万円台と高価な上、ナイキ側も「レース用の製品で、数百キロで効果が落ちる」とし、耐久性を重視していないことを認めている。複数の監督は「経済格差が競技力の差になる」「家庭に負担をかけたくない。自分で稼げるようになってから履くべきだ」として使用を勧めていない。
 
 仮に一足を一ヶ月で履きつぶすとしよう.まさにランニング・コストだが,その三万数千円が,選手の将来に大きく影響するとしたら,高いだろうか.そんなことを言ったら,高校生はゴルフをしてはいけないという理屈になる.テニスも然り.ピアノもバイオリンも同じ.ナイキのシューズは教育費として特別に高いとは思えない.
 そもそも大学進学だって,経済的に恵まれない家庭の子が大学に進みたいと望んだら,父親は一切の無駄遣いをやめるだろう.パートをしていた母親はフルタイムで働きに出るだろう.それが親というものだ.私の父もそうした.私もそうした.人生にはチャンスというものがある.「自分で稼げるようになってから」では間に合わないことが多いのだ.
 昨日の駅伝に出場した強豪高でも,高校で陸上競技から離れる選手はいるだろう.けれど青春の思い出に都大路を走れるのなら,我が子にナイキのシューズを履かせてあげたいと思うのが親だ.また,「自分で稼げるようになってから」と言う指導者がいるとは,私にはまったく思われないのである.
 
[追記]
 無駄遣いの例;第64回有馬記念,猫動画の通信費 etc.

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2019年12月22日 (日)

スカイウォーカーの夜明け

 海外の映画界で活躍している日本人が何人もいる.
 ディズニーの実写版『シンデレラ』で,あの豪華なブルーのドレスを飾ったたくさんの蝶が,お若い宮本遥香さんの作品であることはよく知られている.宮本さんの他では,特殊メイクの辻一弘氏が超有名だ.Wikipedia【辻一弘】には《子供の頃に『スター・ウォーズ』を見て映画に興味を持った 》と書かれている.
 AERA dot.に《45歳で転職 「スター・ウォーズ」で活躍の日本人は元証券マン!》が掲載されている.(2019年12月21日 11:30)
 この記事に
 
「スター・ウォーズ」最後の3部作では、2次元のデザインをコンピューターを駆使して3次元に立体化する「モデラー」という仕事で、日本人が大活躍した。ミレニアム・ファルコンなどを担当した成田昌隆さんは、異色の経歴を持つ56歳だ。
 
とある.
 成田氏も高校生の時に『スターウォーズ』を観たことが,この道に進むきっかけになったのだそうだ.
 続三部作でミレニアム・ファルコンのモデリングを担当した人は四人だというから当然,エンド・クレジットには成田氏の名が載っているはずだが,続三部作の完結編『スカイウーカーの夜明け』では,字が小さすぎて見つけられなかった.
 
 その『スカイウォーカーの夜明け』を観たのは昨日だ.
 SFファンタジー映画史の金字塔である『スター・ウォーズ』の完結編とあって,辻堂のシネコン「109シネマズ」の中に入ると,通路にキャンペーン・ガール (最近の言い方を知らない ^^;) のお嬢さんたちがズラリと並んで,アンケートを配っていた.「好きなキャラクターは?」「この映画をみようと思ったのはなぜですか?」といった質問のもの.
 
 映画評論家などの関係者は試写を観てネット上に批評を書いているが,その一つに「『スカイウォーカーの夜明け』はファンにおもねったストーリーだ」というのがあった.
 私はそうは思わないなあ.続三部作の第一作『フォースの覚醒』,同第二作『最後のジェダイ』と,じわじわと引っ張ってきた完結編『スカイウォーカーの夜明け』のクライマックスは,思わず胸が熱くなるシーンもあり,完結編で初めて明かされる事実もあり,娯楽映画の作法としては絶賛されてもいいと思う.
 全九部作を合わせて「スカイウォーカー・サーガ」と呼ぶが,まさにこれは「遠い昔,遥か彼方の銀河系」を舞台に戦い続けたレイア姫=レイア・スカイウォーカーの物語であった.そのレイアの古い友人であるマズ・カナタがレイアに別れを告げる最後の台詞が胸にジンとくる.
 そしてラストシーンの数分間.完結編の制作が発表された時から『スカイウォーカーの夜明け』の「夜明け」って何?と言われてきた.「夜明け」つまりタイトルの"The
 Rise"という言葉自体が伏線だろうとは容易に想像されたが,その伏線が,ラストシーンの最後の最後にきっちりと回収された.見事である.あたかも制作開始時に既にラストシーンができあがっていて,それに向けて物語を収束させたかのような完成度だ.上映館内には小学生くらいのお子さんを連れたお父さんが何人もいたが,「"rise"っていう言葉の意味はね,…」とぜひ解説して欲しいと思った.
 
 今は劇場公開中だから,『スカイウォーカーの夜明け』の詳しい批評は避ける.劇場公開が終わったら,またこの記事の続きを書くことにしようかと思う.
 今後,スカイウォーカー・サーガに続く新しいサーガが予定されているようだが,年が明けると後期高齢者になる私がどこまでこの映画を観続けていけるか,心もとない.しかし『最後のジェダイ』のラストシーンに登場した少年 (『スカイウォーカーの夜明け』には出てこない) が,次のサーガに再び現れるような気がする.そこまではなんとか映画館に足を運びたいものである.

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2019年12月21日 (土)

評論家ですらなく

 朝日新聞DIGITALが《小泉氏「大人を糾弾するより」 グレタさんの活動に異論》(掲載 2019年12月20日20時17分) を掲載した.その記事の中から小泉環境相の発言を抜粋する.
 

小泉進次郎環境相は20日の会見で、環境活動家のグレタ・トゥンベリさん(16)の活動に触れ、日本の若者は「大人を糾弾するのではなくて、全世代を巻き込むようなアプローチを取るべきだ」などと異論を述べた。
 
小泉氏は今月、スペインで開かれた第25回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP25)に参加した際、日本の若者と懇談した。会見でそのことに触れ、グレタさんの影響は大きいとしつつ「後を追うのではなくて、別のアプローチもあるということを日本から発信したらどうか」と提案したと、明らかにした。
 
また、グレタさんは欧州と北米を温室効果ガス排出が少ないヨットで往復したが、小泉氏は「正直言って日本でみんな飛行機乗らないのは無理」とも述べた。
 
 他紙がこの会見の内容について,報道して自社の立場を明らかにしていないので,上の記事が朝日の世論誘導である可能性を排除できないのであるが,記事がもし事実であるとすれば,この小泉進次郎という代議士が政治家ではなく,評論家ですらなく,世渡り上手な大人の一人に過ぎないことを示すものだろう.
 自分の信念 (があったとしても) を決して吐露しないこと.物事に正面からの意見を表明しないこと.これが世渡りの術である.
 小泉大臣の発言《大人を糾弾するのではなくて、全世代を巻き込むようなアプローチを取るべきだ 》はグレタさんの主張を斜め上から,方法論レベル (アプローチの問題) に貶めるものだ.そしてこの発言はタチの悪いことに,止め処なく敷衍することが可能だ.
 例えば「トランプ大統領を巻き込むようなアプローチを取るべきだ」「全世界を巻き込むようなアプローチを取るべきだ」etc.
 これが,わずか十六歳の少女に対して大人が言うことだろうか.日本の環境政策に関する権力者である大人が.
 金もなく権力もなく,自分の意見をスピーチすること以外に為すすべのない少女が,大人を糾弾して何が悪い.
 どこかのメディアが小泉大臣に,香港の民主化運動についての意見を問いただしてくれないか.きっと「習近平主席を巻き込むようなアプローチを取るべきだ」 と答えるだろう.
 
 小泉大臣は,国際社会からの日本批判に対して「真摯に受け止める」しか言わなかった.これからも言わないだろう.
 国内問題では,レジ袋の有料化に対して質問したメディアに,自分の飼い犬の糞の始末のことを語った.犬と散歩している時に,犬が糞をしたらレジ袋に入れるのだそうだ.誰もそんなことを訊いてはいないのに.
 こうやって彼は何事についても自分の意見を述べることなく,青年たちには「発信したらどうか」とひとごとのように言い,そうして権力の階段を目指して用心深く生きていくのだろう.

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2019年12月20日 (金)

アイギス

 神話伝説の世界を下敷きにしたファンタジー小説とかゲームをやっていると,名前が付けられた武器,特に剣が出て来る.例えば英国のアーサー王伝説には聖剣エクスカリバーがあり,『指輪物語』にはグラムドリングオルクリストスティングの三つが登場する.
 これに比較すると,伝説的な防具はあまりない.『指輪物語』にはミスリル製の帷子が出てくるが無銘だ.名のある防具で私が知っているのは,ギリシャ神話の「アイギス」ただ一つである.アイギスの物語は次のような話だ.
 
 ギリシャに長女ステンノー,次女エウリュアレー,末娘のメドゥーサという名の美しい三姉妹がいた.
 ある時,海神ポセイドンがメドゥーサに求愛し,メドゥーサがこれを受けたことが,アテナの怒りを買った.
 アテナはオリンポス十二神の一柱であり,また知恵と学芸と戦争の神であり,パルテノン神殿の女神にして主神ゼウスの娘である.
 アテナの怒りは,嫉妬したのだと,あるいはポセイドンとメドゥーサが事もあろうにアテナの神殿で愛を確かめる怪しからぬ行為に及んだからだともいわれる.そりゃ誰でも怒るわな.
 アテナはメドゥーサの顔を醜悪に変え,髪の毛を毒蛇にした.これに抗議した長女と次女もついでにメドゥーサと同様にした.ひどい.
 怪物に変えられてしまった三姉妹は,ゴルゴン (「恐ろしい女」という意味) と呼ばれ,山奥の洞窟に追われた.
 ところが,洞窟の傍らを通りかかった人間がメドゥーサと目を合わせると石化するようになったことから,怪物退治が行われることになった.
 ここに半神の英雄ペルセウスが登場する.ペルセウスがメドゥーサを退治した経緯をWikipedia【ヘルセウス】から引用する.
 
ゴルゴーン退治
ペルセウスはセリーポス島で成長したが、やがて、ディクテュスの兄でセリーポス島の領主であるポリュデクテースがダナエーに恋慕するようになり、邪魔になるペルセウスを遠ざけるためにゴルゴーンの一人メドゥーサの首を取ってくるように命じた。
ペルセウスはアテーナーとヘルメースの助力を受け、アテーナーから青銅の盾を授かり、ゴルゴーンを殺すのに必要な道具を持っているニュムペーたちの居場所を聞くためにゴルゴーンの妹であるグライアイ三姉妹の元に行った。彼女たちは生まれつき醜い老女で、三人でたった一つの眼と一本の歯しか持っていなかった。彼女たちが居場所を教えてくれないために、この眼と歯を奪って脅すことで無理やり聞き出した。そしてニュムペーたちから翼のあるサンダル、キビシス(袋)、ハーデースの隠れ兜を借りた。さらにペルセウスはヘルメースからは金剛の鎌(ハルペー)を授かったとされる。
一説には、サンダル、兜、およびキビシスはゴルゴーンの居場所を聞くために立ち寄ったグライアイ三姉妹の所有物で、ゴルゴーンの居場所を聞いたついでに奪っていったという説もある。また、翼のあるサンダルはヘルメースから与えられたともいわれる。そして西の彼方のオーケアノスの流れの近くに住むゴルゴーン姉妹を発見し、アテーナーに手を引かれ、メドゥーサの顔を見ないようにして、盾に映し出されたメドゥーサの姿を見ながら、剣でメドゥーサの首を取ることに成功した。》(当ブログの筆者による註;引用文中の「アテーナー」はアテナに同じ)
 
 メドゥーサを見た人間が石になってしまうのは,アテナがメドゥーサをそのような怪物にしたからである.メドゥーサがそうなりたかったわけじゃない.ペルセウスに酷い目にあわされたグライアイ三姉妹は,何も悪いことはしていない.ただ醜いだけだ.ひどい.
 という感想は横に置いて,メドゥーサを退治したペルセウスはアテナにメドゥーサの首を献呈した.そしてアテナはメドゥーサの首を防具のアイギスに嵌め込んだ,というのがペルセウスのメドゥーサ退治の顛末だが,ここでアテナの防具「アイギス」とは何か,が問題となる.
 一説は盾であるとし,もう一説は胸当てであるとする.それぞれの例についてWikipedia【アイギス】に載っている画像を引用する.
 
Athena
(アイギスを手に闘うアテーナー;パブリックドメイン,File:Athena1.JPG from Wikimedia)
 
 上の絵は十八世紀に描かれたもの.アテナの盾の真ん中にメドゥーサの顔がある.
 
Athena_20191220022501
(アテーナーの立像;パブリックドメイン,File:Mattei Athena Louvre Ma530.jpg from Wikimedia)
 
 上の写真は紀元前一世紀ローマ時代の複製彫刻.アテナの右肩から斜め掛けになっている胸当て (山羊皮製) が,この彫刻ではアイギスなのだろう.そこに小さくしたメドゥーサの顔が装着されている.
 この彫刻からおよそ二千年後にクリムト (1862年7月14日 - 1918年2月6日) が描いたアテナ (『パラス・アテナ』1898年,油彩) では,アイギスは蛇皮製で胸部だけのケープのような形のスケール・アーマーであり,胸元に大きなメドゥーサの顔が彫られている.(ネット上にある『パラス・アテナ』を写真撮影した画像は,パブリックドメインかどうか不明なので
,ここには掲げない.ただし検索すればどんな絵かは知ることができる)
 
 さて盾か胸当てか,いずれにせよアイギスはメドゥーサの首が装着されたため,戦いの相手を石化する能力を獲得し,防御力は完璧となったという.
 以上,神話の防具アイギスについて書いてきたのは,読み終えたばかりの中野京子先生の『運命の絵 もう逃れられない』に,クリムトの『パラス・アテナ』の解説が載っているからである.その解説の終わりに次の一節がある.

 
二〇一七年六月、静岡県の伊豆半島沖で、アメリカのイージス艦がフィリピンのコンテナ船と衝突。脇腹を大きく損傷して死傷者も出し、無敵のはずのハイテク艦は脇が甘かったのかと世界中を驚かせた。
 本作とどんな関係が?
 無敵の防具アイギス (Aigis) の英語読みはイージス (Aegis)。ギリシャ神話から名前も意味も拝借しているのだ。
 イージス・システムはアメリカ海軍が防戦用に開発したもの。イージス艦はこのシステムを搭載したハイテク艦艇で、索敵、状況判断、意思決定、反撃といった一連の流れを迅速に行う。
 先述のごとくアテナの戦争は護国のためであり、嫌われ者の軍神マルスが戦の攻撃的側面や負の部分を受け持っているのとは違う。しかもアイギスは完璧……のはずだったが、妙に脇が甘いのは、ケープ式だからか、それとも艦にメドゥーサの首が搭載されていなかったせいか。
 
 今年の一月に私は横須賀軍港に出かけ,イージス艦を遠くから見学するクルーズに参加した.その記録《記念艦三笠でカレーを (軍港クルーズ編) 》を読み返したらこんなことを書いていた.
 
イージスシステム搭載艦がイージス艦だ.改めて調べてみたら,Wikipedia【イージス艦】に《イージス(Aegis)とは、ギリシャ神話の中で最高神ゼウスが娘アテナに与えたという、あらゆる邪悪を払う盾(胸当)アイギス(Aigis)のこと 》とある.軍オタ諸君,喜べ! イージスはアテナの盾かと思ったら 胸当のことみたいだぞ! 君らは払われちゃう邪悪のほうかも知れないけどな! 私も払われちゃうかもな!
 
 上の記事を書いた時は胸当てを,ゲームによく登場する「女性の胸を防御するセクシーな防具」だと勘違いしていた.例えば実写映画のワンダー・ウーマンのコスチュームみたいなやつだが,よく調べずに書いたことを反省している.(恥)
 ちなみに,上に引用した絵『アイギスを手に闘うアテーナー』をよく観ると,アテナは現代のレオタードに酷似した防具を着ている.この絵が描かれた十八世紀にこんな衣服があったとは考えにくい.画家の想像力というのは大したものだ.

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2019年12月19日 (木)

NHK『歴史探偵』の科学的考証の誤り

 テレビの娯楽番組に,しばしば御出演される歴史学者といえば,磯田道史 (国際日本文化研究センター准教授) 先生と,河合敦 (多摩大学客員教授) 先生のお二人だ.
 磯田先生はフジテレビ『新説!所JAPAN』の準レギュラーで,少し前 (2019年7月29日放送) に「本能寺の変で信長の遺体が見つかっていないのは何故か」というテーマで先生の説を紹介した.
 簡単にいうと,自害した信長の遺灰は本能寺 (事件当時の位置は現在の本能寺から少し離れた現在の中京区元本能寺南町である) から運び出され,阿弥陀寺 (現在は京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町だが,当時は上立売通大宮にあった) に埋葬されたというのが磯田先生の「新説」である.しかし磯田先生は「新説」だと番組で述べたが,実は従前から寺伝によれば,遺灰は本能寺から持ち出されて阿弥陀寺に埋葬されたという説はあるのである.Wikipedia【阿弥陀寺】には次の記載がある.
 
天正10年(1582年)、信長が本能寺で討たれると、清玉上人が自ら現地に赴いて信長の遺灰を持ち帰って、墓を築いたとされる。後に信忠の遺骨も、二条御新造より拾い集めて、その横に墓をなした。さらに本能寺の変の名の分からぬ犠牲者大勢も、阿弥陀寺に葬って供養したという。
 
 さらにWikipedia【本能寺の変】には,信長の遺骸に関する異説について,より詳しく次の記述がある.
 
また異説として、信長が帰依していたとする阿弥陀寺(上立売通大宮)の縁起がある。変が起きた時、大事を聞きつけた玉誉清玉上人は僧20名と共に本能寺に駆けつけたが、門壁で戦闘中であって近寄ることができなかった。しかし裏道堀溝に案内する者があり、裏に回って生垣を破って寺内に入ったが、寺院にはすでに火がかけられ、信長も切腹したと聞いて落胆する。ところが墓の後ろの藪で10名あまりの武士が葉を集めて火をつけていたのを見つけ、彼らに信長のことを尋ねると、遺言で遺骸を敵に奪われて首を敵方に渡すことがないようにと指示されたが、四方を敵に囲まれて遺骸を運び出せそうにもないので、火葬にして隠してその後切腹しようとしているところだと答えた。上人はこれを聞いて生前の恩顧に報いる幸運である、火葬は出家の役目であるから信長の遺骸を渡してくれれば火葬して遺骨を寺に持ち帰り懇ろに弔って法要も欠かさないと約束すると言うと、武士は感謝してこれで表に出て敵を防ぎ心静かに切腹できると立ち去った。上人らは遺骸を荼毘に付して信長の遺灰を法衣に詰め、本能寺の僧衆が立ち退くのを装って運び出し、阿弥陀寺に持ち帰り、塔頭の僧だけで葬儀をして墓を築いたと云う。また二条で亡くなった信忠についても、遺骨(と思しき骨)を上人が集めて信長の墓の傍に信忠の墓を作ったと云う。さら上人は光秀に掛け合って変で亡くなった全ての人々を阿弥陀寺に葬る許可を得たとしている。秀吉が天下人になった後、阿弥陀寺には法事領300石があてられたが、上人はこれを度々拒否したので、秀吉の逆鱗に触れ、大徳寺総見院を織田氏の宗廟としてしまったので、阿弥陀寺は廃れ無縁寺になったという。この縁起「信長公阿弥陀寺由緒之記録」は古い記録が焼けたため、享保16年に記憶を頼りに作り直したと称するもので史料価値は高くはないという説もあるが、この縁で阿弥陀寺には「織田信長公本廟」が現存する。ただし阿弥陀寺と墓は天正15年に上京区鶴山町に移転している。
 
 磯田先生は,従来からあるこの異説を「新説」として主張したのであるが,証拠は全くない.
 さすがに磯田説は大胆に過ぎると思ったか,昨日から始まった新番組のNHK『歴史探偵「本能寺の変」』は磯田説を完全に無視した.というか,磯田先生の関心は「信長の遺骸はどこにあるのか」であるが,『歴史探偵「本能寺の変」』にコメンテーターとして出演した河合先生は「信長の遺骸がどこにあろうと,それより大切なことは,遺骸が見つからなかったために光秀の謀反が短時日で終わったことだ」とのオーソドックスな歴史解釈の立場のみで番組の解説をした.両先生は関心のあるところが全然別なのである.だから河合先生は,阿弥陀寺にある伝「信長の墓」には触れなかったのだろう.
 この『歴史探偵』の第一回「本能寺の変」は,明らかに来年の大河ドラマ『麒麟がくる』の番宣を兼ねているわけで,如何に『麒麟がくる』のシナリオがちゃんとした考証の上に書かれているかを視聴者に見せようとした.
 昨日の放送では,光秀の進軍経路について,主流の説である山陰道経路つまり「丹波亀山城老ノ坂→山崎→本能寺」と,「明智越え」の言い伝え,すなわち「丹波亀山城→唐櫃越から四条街道→本能寺」の二経路を,進軍に要する時間で比較した.この進軍所要時間に関する考証の杜撰さ (例えば「刻」には前後一時間ずつの大きな誤差があることを無視した等) も専門家なら異議を唱えるに違いないが,それはともかく,明智の軍勢は本能寺に到着して奇襲をかけた.
 信長は,明智一万三千の軍に襲われては成す術なく,死を覚悟して本能寺建屋に火を放てと命ずる.
  
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画面説明1;助からぬと悟った信長が,手の者に「火を掛けいっ」と命ずる.すると床に油が撒かれる.
 
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画面説明2;次に室内の灯台が蹴倒され,撒かれた油に着火する.
 
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画面説明3;そして瞬くまに油は燃え上がった.
  
という具合に再現VTRは描いたが,これが大嘘のコンコンチキなのである.
 なぜかというと,この当時の室内照明には植物油が用いられていたからである.
 簡単に説明すると,小皿 (灯明皿) に少量の植物油 (安価な荏胡麻油や高価な菜種油) を入れ,これを灯台に載せる.灯台とは,時代劇を見ているとよく登場するもので,百科事典 (小学館日本大百科全書「灯台」) に次の解説がある.
 
油が灯火に使われ始めたのはかなり古い時代からで、初めは細い棒を3本束ねて足を開き、その頂部に灯明皿を置いた結(むすび)灯台とよぶ簡単な作りのものを使用した。灯台の高さはほぼ三尺二寸(約97センチメートル)とされ、丈の高いものを高(たか)灯台、長檠(ちょうけい)といい、低いものを切(きり)灯台、短檠(たんけい)などとよんだ。屋内でこうした灯火具を使用していたようすは中世の絵巻物にも描かれている。平安時代以降、円型の台に長竿(さお)を立てその先端に蜘蛛手(くもで)をつけて灯明皿を置いた灯台が用いられるようになった。
 
 再現VTRで使われているのは,上の引用箇所にある高灯台である.
 灯明皿の油には短い灯心を浸す.油で濡れた灯心の先に点火すると,灯心の先端は高温になるため油は燃えるという具合だ.ここで重要なのは灯心の先のように高温にならないと,植物油は燃焼しないということである.
 ではよく報道される「てんぷら油火災」とは,どういう現象か.
 植物油は二百度以上に熱せられると一部が加熱分解して燃焼性のガスを発生する.三百度以上になると分解が激しくなって表面から分解ガスがどんどん揮発し,火種があると簡単に着火する.こうして着火した油の表面は,容易に油自体の着火温度である三百六十度以上になり,遂には植物油自体が燃焼を始める.
 つまり植物油を燃やすためには,非常に高温に加熱しなければならない.てんぷら鍋に入れた数百ミリリットルの油に火をつけるには,現在のガス器具でも強火でガンガンに数分間も熱する必要がある.植物油は,揮発性である白灯油のように簡単には着火しないのである.
 この事実は消防署員でも知らないことがある.防火訓練で鍋のてんぷら油にチャッカマンで火をつけようとして着火せず,困惑している消防署員を私は見たことがある.ただし正しい知識が書かれている消防関係のサイトもある.例えばここ
 
 今回の『歴史探偵』の再現VTRで描かれたデタラメは,実は昔からテレビ時代劇ではおなじみの真っ赤な嘘なのである.
 どうすれば火事になるか,あるいはならないか.これは調べれば簡単に得られる知識だ.それをせずに『歴史探偵「本能寺の変」』は,無知というよりも,番組制作に必要な誠実さを欠く思い込みで制作されたのだ.
 NHKには,首都直下地震時の火災を取り上げた体感 首都直下地震ウイーク パラレル東京』を制作した多数の優れたスタッフ陣がいる一方で, 消防署に電話一本をかけて火災のメカニズムを知ろうとする知恵もない連中が,『歴史探偵』みたいなエンタメ番組を作っているのだ.
 今回の放送で『歴史探偵』制作スタッフの力量が情けないものであることが,よくわかった.小言幸兵衛の如く,第二回以降の考証の誤りをイジルのが楽しみになってきた.おそらく来年の『麒麟がくる』も,考証もヘッタクレもない番組になるであろうが,それはそれで私の老後の楽しみになるだろう.w

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2019年12月17日 (火)

頑迷な爺 σ(^^)

 PRESIDENT Online に,宗教学者の島田裕巳氏が《「神社で柏手を打ってはいけない」納得の理由》(掲載 2019年12月16日 09:15) を寄稿している.よくぞ書いて下さった.我が意を得たりとはこの事だと思った.
 テレビでもネットでも,神社参拝の際の仕来りは「二礼二拍手一礼」だとされている.しかし島田氏は,それは違うと言う.要点を以下に引用する.
 
若い頃、「二礼二拍手一礼」はなかった
今、多くの人たちは、そのとき、「二礼二拍手一礼」という作法に則(のっと)って、参拝している。二回礼をしてから、柏手(かしわで)を二度打ち、最後に一礼する。その前に軽くお辞儀をし、引き下がるときにも同じようにすることもある。
神社のなかには、賽銭(さいせん)箱のあるあたりに、このやり方について絵入りで解説しているようなところもある。これが神社に参拝するときの、正式なやり方である。今では、大半の人たちがそう考えている。ところが、その一方で、この参拝の仕方はどうも馴染(なじ)めない。そう感じている人たちもいるはずだ。
少し年齢が上の世代になれば、自分が若い頃は、そんな参拝の仕方はしていなかったと、昔を思い出している人たちもいるのではないだろうか。実際、二礼二拍手一礼という参拝の作法が広まったのは、それほど昔からのことではない。いつから広まったのかについては、はっきりしたことは分からないが、浸透したのは平成の時代になってからで、昭和の時代には、まだそれほど広まってはいなかったのではないだろうか。
 
昔は「合掌」して参拝していた
では、二礼二拍手一礼ではないとしたら、以前どのような参拝の作法が行われていたのだろうか。
基本的には、両掌を顔や胸の前で合わせて拝む「合掌」である。今でも、二礼二拍手一礼ではなく合掌して参拝するという人もいる。あるいは、二礼二拍手の後に、合掌する人たちもいる。
 
 実にその通りである.いつの間にか神社参拝では「二礼二拍手一礼」を行うとされてしまったが,昔はそんなことはしなかった.年寄りの私は,未だに初詣で違和感を覚えており,そのため拍手のあとに合掌を入れている.
 下の画像は,フジテレビ「なりゆき街道旅」(2019年12月15日放送) で,澤部佑,中尾ミエ,中岡創一のお三方が日光東照宮に参拝した時のもの.中尾ミエさんは昭和二十一年のお生まれだから当然として,三十三歳の澤部佑と四十二歳の中岡創一もきちんと合掌している.(引用のためにテレビ画面を撮影してトリミングした)
 
20191217a
 
 私は,祈りの作法から合掌を排除した国家神道を貴ぶ気はないので,仏様を拝むのと同じように,神様にも合掌する.
 繰り返すが,島田氏にはよくぞ言って下さったと感謝したい.氏が書いているように,出雲の神様に良縁をお願いする時も天神様に学業成就を頼み念じる時も,合掌して祈ればよいのである.
 逆に,食事の際に「いただきます」と発声する時に合掌するのは,戦後暫くしてから浄土真宗の坊主たちが,宗派内の仕方をラジオの宗教番組で宣伝して流行らせたものだ.これを,私は断固としてやらない(*)ことにしているが,初詣などの一般的な神社参拝で「二礼二拍手一礼」するのも,島田氏に倣って今後はやめることにする.
私は苔の生えた昭和の人間であるからして,最近の流行は追わぬのを善しとするからである.(もちろん神式葬儀や,神職が司って行う儀式における「二礼二拍手一礼」はこれまでもやったきたし,今後もやる.それと神社参拝とは区別するのが昭和の流儀というものだからである)
 
(*) すっかり廃れてしまったが,昔の食事の挨拶は,膳や卓袱台を前にして正座し,左右の掌を腿に置き,少し前傾して頭を下げて
「いただきます」と言う.古い時代劇映画を観ると,そのようにしている.明治時代に編纂された修身作法の学校教科書にもそう書かれている.

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2019年12月16日 (月)

サーガの終わり

 日本テレビ「金曜ロードSHOW!」が二週連続で『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』(12月13日),『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』 (12月20日) を放送している.今週の金曜に劇場公開される『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』に向けてのキャンペーンだ.
 第一作の公開から四十二年が経った.青年だった私は,もうすぐ古希を迎える老人となった.渥美清が主演した『男はつらいよ』の四十八作品よりも,私は『スター・ウォーズ』本編九部作のほうに自分の人生との同時代性を感じる.
 それがとうとう完結するわけで,感慨深い.ただ,このファンタジーの主たる骨格であった「スカイウォーカー家の父と子の物語」は前の新旧各三部作で終わっているわけで,今の続編三部作は,それから派生した「ジェダイの残影とフォースの物語」であるが.
 
 新旧各三部作に加えて続三部作から成るこの世界観は放棄されない (*註) ことが関係各方面から言明されている.
 
(*註) Wikipedia【スター・ウォーズシリーズ 】の「シークエル・トリロジー完結後の予定」から引用.
2018年2月3日、ルーカスフィルムはジョンソンの三部作とは異なる新シリーズを製作することを発表した。脚本・製作はテレビドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』のデイヴィッド・ベニオフとD・B・ワイスが担当し、ボブ・アイガーは物語について「『スター・ウォーズ』シリーズのある時点に焦点を当て、そこから始まる物語になる」と語っている。
2019年5月7日、ウォルト・ディズニー・スタジオがタイトル未定の新作3本を2022年から1年おきに全米公開すると発表した。全米公開日はいずれもクリスマス前の週末で、第1作が2022年12月16日、第2作が2024年12月20日、第3作が2026年12月18日となる。
 
 ということは,今のところの推測だが,ルーカスフイルムでは「外伝」的なシリーズが制作され,ディズニーからはスカイウォーカー家のサーガに続く別の新しいサーガがリリースされていくということだろう.

 
 ところで,続三部作は,新旧の各三部作よりも謎解き要素が強い.例えばその一つは『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(原題は Star Wars: The Rise Of Skywalker) の「夜明け」(rise) とは何だ,ということ. 字義どおりに解釈すれば「フォースのダーク・サイドの時代が終わってライト・サイドの時代が始まる」ということになる.だがそれだけでは「スカイウォーカーの」(of Skywalker) というフレーズの説明がつかない.
 そもそもヨーダオビ・ワン・ケノービと異なって,アナキン・スカイウォーカーは確固としてフォースのライト・サイドに立つ者ではなかったので,銀河帝国初代皇帝パルパティーン (ダース・シディアス) の姦計によってダーク・サイドに堕ちた.しかし死の直前に,息子であるルーク・スカイウォーカーに対する「父としての愛」の力によって救われ,霊体となってフォースと一体化した.
 そのルーク・スカイウォーカーは,アナキンの能力を受け継いではいたが,史上最強のジェダイであったヨーダほどの指導力はなかった.双子の妹であるレイア・オーガナハン・ソロの息子であり,レイアからフォースを扱う能力を受け継いだ甥のベン・ソロ (カイロ・レン) の育成に失敗し,その自責の念から辺境に身を隠したのである.
 ルークは続三部作の魅力的なヒロインであるレイの訪問を受けたあと,ダーク・サイドに転落したカイロ・レンが君臨するファーストオーダーと,その母レイア将軍が率いる反乱軍との決戦場に現れ,最後のジェダイとしてカイロ・レンを諭したあと,実体を消してフォースと一体化した.
 こうしてスカイウォーカー家の嫡流は絶えたのであるが,そのスカイウォーカー家が rise するとはどういうことか.血筋として傍流ではあるがカイロ・レンが残っているから,これがライト・サイドに再転向してスカイウォーカー家が再興されるというストーリーはあり得る.そしてこれが The Rise  (of Skywalker) の意味だとの意見があり,私もそう思うが,果たしてどうなるか.
 
 さらに,というかネット上のファンの最大の興味関心は,タイトルの意味よりも,レイは何者か,という謎である.
 制作サイドから,レイの親は一般人だ,ジェダイに繋がるような者ではないと言明されているのだが,疑い深いファンたちからは,レイはパルパティーンの孫であるとか,パルパティーンがレイの母親をフォースの力で妊娠させてできた子,つまりパルパティーンの実の娘であるという説まで出ている.従ってレイは,完結編で復活するパルパティーンの手によってダーク・サイドに堕ちるはずだと彼らは予想している.
 もっと アホ 凄いのは「レイはパルパティーンが万が一に備えてあらかじめ用意していたクローンである」という話だ.この説を主張しているいくつもの動画は,レイがダーク・サイドに堕ちるどころか,レイこそがラスボスだと言っている.
 中学生だか高校生だか知らんが,この説を唱えている連中は「クローン」の意味を知らない.顔面崩壊する前のパルパテイーンは割といい男だったはずだが,レイは若い女性だ.そんなクローンがあるもんか.w
 クローン説はともかく,仮にレイがダーク・サイドに堕ちて銀河を制圧する最強の悪役になんぞになったら,そのようなバッドエンドを世界中のレイのファンが受け入れるとは,とても思えない.
 
 で,『スカイウォーカーの夜明け』の公開を心待ちにしていたのだが,公開日である十二月二十日 (前日十九日に一部の劇場で限定公開) の,109シネマズの上映スケジュールを見たら,なんとまあ深夜〇時からのカウントダウン上映だけ (既に予約席は売り切れ) なのである.当日はこれ一回だけで他に上映はない.
 完結編を楽しみにしていた多くのファンは置き去りにされたわけだ.実質的な一般公開がどうなるのか,今朝六時の時点ではスケジュールは不明である.

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2019年12月14日 (土)

いきなり!ステーキの宅配

 少し前から,外食産業の企業であるペッパーフードサービスが運営するステーキ専門の飲食店チェーン「いきなり!ステーキ」の経営が急速に悪くなっているとの報道がなされている.その絡みで,ペッパーフードサービスの一瀬邦夫社長が店頭に掲示した「社長のお願い」が話題になっている.
 Live News it! の《「いきなり!ステーキ」の店頭に張り紙「社長のお願い」…その真意を社長本人直撃》(掲載 2019年12月11日) はその話題を追った報道の一つ.
ただ,「いきなり!ステーキ」の現状はこれでわかるとして,あれだけ鳴り物入りで登場したチェーンがこうも急に転落した原因は今一つわからない.
 その原因を分析した記事が,DIAMOND online の絶不調「いきなり!ステーキ」が気づかない外食集客の鉄則とは》(掲載 2019年12月13日) で,読んでナルホドと納得した.
 この記事を書いた鈴木貴博氏は
 
いきなり!ステーキの転落には興味深い特徴があります。それは客数がどんどん落ちている一方で、客単価はほとんど落ちていないことです。飲食店経営は「売上高=客数×客単価」という方程式を見ながら経営するものです。一般的に不振のチェーンでは客単価が減る影響も大きいですが、いきなり!ステーキの場合は2019年10月においても、客数40%減に対して客単価は1%減に留まっています。どんなに客が減っても客単価はほとんど減らないという、特徴があるのです。
 
という事実 (ただし客単価を書いていないので,その点では分析に説得力がない.他のライターによる経済記事には大まかな推測数字しか書かれていない
) の摘出から出発して,
  
いきなり!ステーキのどこが私の好みに合わないのか。理由は量です。これまで設定されていたカットの下限がサーロインで200グラムだったので、「そんなに食べられない」というのが私の本音でした。おトクなランチタイムのリブステーキの場合は、以前は300グラムもあったので、なおさら注文できなかったのです。
…… 
つまり、がっつり肉を食べられる顧客にフォーカスし、それだけの量を必要としない顧客を排除する経営をしてきた結果、いきなり!ステーキのコンセプトに合致した顧客だけが残ったのです。だから、その他の客層が離れてしまっても、残った顧客の客単価は維持されるというメカニズムが続いてきたわけです。
 
という具合に議論を展開した.氏が同チェーンの惨憺たる現状を《いきなり!ステーキのコンセプトに合致した顧客だけが残ったのです 》と結論したのは大いに説得力ある分析だと思う.鈴木氏の記事の結語の,
 
残念なことに、いくら社長が「お客様のご来店が減少しております。このままではお近くの店を閉めることになります」と訴えても、今のメニュー構成では私を含め、これまでいきなり!ステーキが排除してきた顧客には、そのメッセージが伝わらないでしょう。
 日本人口のボリュームゾーンである団塊ジュニアですら50代に突入しているのが、日本社会の現状です。がっつりとステーキを食べる顧客層だけを相手に商売を続けても、しょせん400店舗の維持は無理なのではないでしょうか。》(ただし正しい店舗数は,上の記事が掲載された時点で国内488店舗)
 
は,その通りだろう.「いきなり!ステーキ」のコンセプトは破綻したわけだ.しかし事業としては破綻したわけではないから,店舗数を適正レベルに減らしてバランスを取ることになると思われる.これは芸能人の「あの人は今?」に似ていて,すっかり消費者に忘れられた外食企業が実は細々と今でも営業している,なんてのはよくあることだ.
 
 ところで,私の家の郵便受けに「いきなり!ステーキ」の宅配メニューのリーフレットが放り込まれていた.売上激減のためにとうとう宅配までやることになったのか.
 と思いつつ,そのリーフレットに小さく書かれている文字を読んだら,違った.これは宅配寿司最大手「銀の皿」や宅配釜飯の「釜寅」等で知られるライドオンエクスプレスホールディングスが運営している宅配代行業者「ファインダイン」がやっている代行サービスの一つだった.
 宅配ステーキの注文はスマホや電話でファインダインに注文する.注文は「いきなり!ステーキ」の藤沢店に伝えられ,厨房でステーキができ上るとファインダインの配達員がピックアップし,注文主の家に届けるという仕組みだ.
 藤沢駅の近くに「いきなり!ステーキ」の店舗はあるが,今までこのリーフレットが私の家にポスティングされたことはないから,最近始めたのではなかろうか.
 
 さてこれで,私のうちが配達範囲に入っているデリバリーサービスは,寿司 (銀の皿,つきじ海賓),釜飯 (釜寅),ステーキ (いきなり!ステーキ),ハンバーガー等 (マクドナルド,モスバーガー),フライドチキン (KFC) ,ピザ (ピザーラ) となった.最近は宅配代行業者が増えてきたので,調べれば他にも宅配可能なものがあるかも知れない.ちなみにこれらの中で「つきじ海賓」はローカル業者だ.
 
 そこでそれぞれの「食シーン」を考えてみた.
 まず,寿司.寿司は来客にお出しするのに最適な料理だ.客人が寿司も刺身も嫌いで食べないという場合を除けば,まあ寿司をとれば間違いがない.寿司にはちゃんと「おもてなし感」があるから,「あそこんちはケチで寿司なんかを出しやがった」と陰口を叩かれる心配はない.
 
 寿司に比べると釜飯は,改まった食事の度合いが低い.例えばある日の午後,客人を迎えて酒などでもてなし,暫しの時を過ごしているうちに夕刻になってしまったとする.長居したことに気づいて慌てて暇しようとする客を引き留めて,主人が言う.
「先程,寿司をとりました.すぐ届きますから,それをつまんでからで良いではありませぬか」
 固辞する客の前に,ちょうど寿司屋から届いた寿司桶が置かれる.「ささ,ささ,どうぞ」と勧める主人の顔を立てて,客は寿司を口に運ぶが,全部は食べないのが昔風の礼儀だ.
 いくつか残したところで「ごちそうさまでした」と礼を述べ,腰を上げる.波平も立ち上がって客を玄関へ案内する.
 ここで隣の部屋で聞き耳を立てていたカツオとワカメが襖を開けて客間に飛び込んでくる.
カツオ「わーい,お母さーん,お寿司食べていいー?」
フネ「これカツオ,お行儀の悪いっ.そんな大きな声を出したらお客様に聞こえますよ」
というのが戦後しばらくの間の昭和における日本の家庭の風景であった.客が残した寿司は,子供たちの御馳走になったのだ.これは出前にとったのが寿司であればこそ成り立ったことなのである.
 
 これが釜飯だったらどうなるか.客が箸をつけて残した釜飯は残飯である.もしカツオが食べようとしたら,フネは叱りつけて許さないであろう.これが寿司と釜飯の決定的な違いである.ステーキも同じだ.いずれも,完食しないと,せっかく用意してくれた食事を残飯にしてしまう.その家の主人に対する礼儀を欠くことになるのだ.逆に言うと,釜飯やステーキは客に完食を無理強いすることになる.従ってこれらは,もてなしの食事として不適当なのである.
 
 ではフライドチキンはどうだろう.高畑充希さんが演じている通り,ジャンクフードは,気の合った仲間たちとワイワイ騒ぎながら食べるのに最適な食い物だ.単価は安いし,配達料金も格安 (テイクアウトの6ピースパックは¥1,790で,デリバリーの6ピースパックは¥1,920 だからその差¥130 が配達料金となる) だ.だから食い切れないくらい注文し,食い残しても構わない.これは「客をもてなす」ではなく「自分たちが楽しむ」食事だ.寿司ではこうはいかないし,釜飯やステーキでは,そもそもパーティにならない.各自がそれぞれの席について,黙々と食べる「食シーン」しか思い浮かばない.
 
 宅配釜飯 (一例の「釜寅」五目釜飯は
¥1,390) はどんなシーンがふさわしいのか.来客のもてなしにも,パーティにも使えない.ふと思いついたのだが,例えば古希を越した老人が,亡妻の命日に仏壇の前にちゃぶ台を置き,その上に釜飯と薬味や漬物を並べて「お前が好きだった五目釜飯だよ」と一人ごちながら昔のことを思い出す,ってのはどうだろう.しみじみと一人で食べるのが,いかにも釜飯らしいような気がする.
 
 さあ,いよいよステーキであるが,そのTPOの想定は難しい. 来客のおもてなしにサーロインステーキ300g (ライス付き) ¥3,272 を出すのは,上に述べた理由で,違和感がある.また,亡妻の仏壇の前でリブロースステーキ400g (ライス付き) = ¥3,644 をモリモリ食う爺さんは何か不謹慎なことを考えていそうだ.
 私のような高齢者には柔らかいヒレステーキ300g (ライス付き) ¥3,570 がいいかも知れぬが,これって店で食えば¥2,900 だから,なんとまあ配達料は¥670 もするのだ.ほとんどボッタクリである.(宅配ピザは,テイクアウトと配達の価格差がもっと大きいが)
 この配達料は,一回に三人分を注文すると¥2,010,五人分なら¥3,350 となり,積算していく.一回の注文あたりの配達費用 (人件費他) は三人分でも五人分でも同じだから,注文数が増えると急激に割高になるという理不尽な価格体系なのである.こんなことなら誰だって店に出かけてステーキを食う.たくさん買えば安くなる,という普通の感覚の逆を行くのがデリバリーサービスなのである.
 
 宅配「いきなり!ステーキ」の客単価は明らかに高い.普段は吉野家などのリピーターであり,奮発しても「やよい軒」で食事しているような普通の勤労者層や,年金生活者層には,手が出ない価格だ.しかも,どんな時に宅配ステーキを注文して食べるかという「食シーン」がよくわからない.こんなことでは「いきなり!ステーキ」の経営に寄与するとはとても思えないのである.
 まあ,店舗のほうもチープな店構えとサービスのくせに単価が高くて,似たようなもんだが,「いきなり!ステーキ」の宅配の前途は暗いと思われる.

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2019年12月13日 (金)

牡蠣の炊き込み御飯

 この秋以降に拵えた炊き込み御飯は,最初は銀杏で次は栗.続いて茸御飯を炊いて食べた.
 私は季節感のある飯が好きで,春には新漬の桜花,初夏に筍,続いてそら豆,といった具合に食い進む.夏は麺類ばかり食うが,秋が来れば銀杏,栗,という順を繰り返す.
 
 さて冬来たりなば牡蠣飯だ.
 私の流儀の炊き込み御飯は,シンプルに具と米と白醤油で炊くのだが,他人のレシピを読むと,出汁を使って炊く人がとても多い.
 そこで私も,出汁を使って炊くとどんなものになるかと真似をしてみた.
 
 加熱調理用の牡蠣を薄い塩水で洗い,よくすすいでヌルミを取り去る.けっこう細かい破片も取れる.
 ネット上のレシピでは「牡蠣百五十グラム」としているのが多いが,これは少しさみしい.それと,都合のいい量で売られているわけではない.私は,パックにたっぷり入って安い値段のを買ってきて,使い切る.
 鍋に水四百ミリリットルを入れ,顆粒の和風出汁の素 (味の素ほんだし,小さじ二分の一) と白醤油 (盛田の白醤油特級,大さじ二杯と二分の一) を入れて沸騰させる.
 普段は白醤油は大さじ二杯にするのだが,ネット上のレシピを調べると,牡蠣の場合は濃い味付けのものが多いようなので,今回は増やしてみた.炊き込む具材によって醤油の量は変える.例えば栗御飯の時は,うんと淡い味にすると,栗の甘さがおいしい,etc.
 ここに牡蠣を入れて再び煮立てる.沸騰してから三十秒~一分くらいでいいだろう.「二十秒」と指定している料理記事もある.これは牡蠣にも旨味を残しておこうという意見だ.
 鍋から牡蠣を引き上げて,別にしておく.一時間ほど放置して出汁を冷ましておく.出汁は白濁して何だかわからないものが沈殿する.
 
 さて米 (今回は山形県産「つや姫」元年産米) 二合を研ぎ,ステンレスのザルで水を切る.研いだ米をすぐ炊飯器に入れ (*),「米二合」の目盛りまで冷ました出汁を入れて水加減をする.出汁の底の沈殿物は釜には入れないようにする.気分的によくないから.
 一時間放置してから普通に炊飯し,蒸らしの時に,別にしておいた牡蠣を入れる.蒸らしが終わったら,さっくりと混ぜてでき上がり.
 牡蠣を別にしておかないで,一緒に炊き込んでしまうレシピもクックパッドにあるが,牡蠣が固く縮んでしまわないのだろうか.
 
20191212a
 
 牡蠣がたくさん (米二合を三食として,一食あたり十粒近く) 入っていると,肉や野菜のお菜はなくても充分.あとは,わかめの酢の物とか菜っ葉の煮びたしなどを添えればいいと思う.季節柄,べったら漬けがあるとうれしい.汁物が欲しいところだが,それは血圧と相談である.
 今回は他人のレシピを参考にして炊いてみたが,顆粒の出汁の素は,上に書いた分量は濃すぎた.味がくどい.使うにしても,指先で軽くつまむ程度の量でいいのではあるまいか.
 考えてみたら牡蠣から盛大に旨味がでるから,出汁の素なんかは要らなかったのだと後悔した.実際,牡蠣を下茹でした時の汁を味見したら風味濃厚で,この時点で既に「しまった,出汁の素は要らんかった」と思ったのであった.
 
(*) テレビの料理番組で,辻調の先生が「研いだらザルに上げて三十分放置します.こうしてお米に水を吸わせるわけです」と言っていた.ところがウェブページによっては研いだお米をザル上げすると、お米がどんどん乾燥してしまい、本来割れなくてよいはずのお米まで割れてしまいます》書いている.「こうして水を吸わせる」のと「どんどん乾燥してしまう」では百八十度違う (ガッツ石松の流儀ではこれを「三百六十度違う」と言う).米の研ぎかた一つとっても,このように人によって言うことが違うのだが,私は「どんどん乾燥してしまう」と思っている.水を徹底的に吸わせるならザルに上げるのは無意味だ.水に浸しておけばいい.つまりこの「ザル上げ」問題は,結局のところ水加減のことに帰着する.
 研いだあとのことは炊飯器を使う人 (釜の内側の目盛りで水加減をする) と,鍋などで炊く人 (研いだ米の水をよく切ってから分量の水を加えて炊く) とでは意見が違うと思う.また普通の米と無洗米とでも水加減の仕方が違う.無洗米には無洗米専用の計量カップがあるくらいだが,普通の米の計量カップでも構わない.というのは炊飯器の場合,色々な場合に応じてうまく炊けるモードがあるから.要は自分が使う道具で上手に炊ければいいわけだ.

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2019年12月12日 (木)

みをつくし料理帖

 NHKを観ていたら近々放送の『みをつくし料理帖スペシャル』の番宣をやっていた.これは以前放送された時代劇,『みをつくし料理帖』の続編らしい.
 時代劇といえば,私は,大河ドラマを昭和四十年頃までは観た記憶がある.
 第一作の『花の生涯』は,物語の終わりを少し観た.
 第二作の長谷川一夫が大石内蔵助を演じた赤穂浪士』(昭和三十九年),緒形拳が豊臣秀吉を演じた第三作『太閤記』(昭和四十年),やはり緒形拳が弁慶をやった『源義経』(昭和四十一年) は最初から最終回まで観た.特に『赤穂浪士』は大河ドラマ史上最高視聴率記録を持っている上に,庶民の忠臣蔵観を形作った傑作だった.私はいくつもの名シーンを覚えている.
 
 それ以来,映画の時代劇は好きだったが,テレビ時代劇は全くもってただの一作も観ていない.
 民放では,東野英治郎が主演した時代の『水戸黄門』を大衆食堂のテレビなどで目にしたことはあるが,もともと『水戸黄門』は筋書きが有るような無いようなものだから,記憶に残るというような性質のものではない.残念なことにお銀さんの入浴シーンはもっとあとのシリーズだったから,それも記憶にない.また『水戸黄門』以外の民放時代劇は全く観ていない.
 しかし『みをつくし料理帖スペシャル』の番宣をチラと見た感じでは,主演の黒木華さんが,すばらしく時代劇の雰囲気に合っているように思えたので,これはちょっと観てみようかなと思った.
 実は原作小説の『みをつくし料理帖』は,何年も前に一冊だけ本屋で手に取って買ったことがあるのだが,文庫本で十冊を超す長編だということを知らずに読み始めたためにストーリーがチンプンカンプンで,途中で読むのをやめたのであった.当然のことながら,長編小説と,短編あるいは中編小説を積み重ねて全体として長編になっている小説とでは物語の構造が異なっている.だから『みをつくし料理帖』の途中の部分を抜き出して読むということ自体が間違いなのであった.
 その伝でいくとNHKのドラマ『みをつくし料理帖』の続編と思われる『みをつくし料理帖スペシャル』は,それだけでは成立しないドラマだと思われる.
 それはNHKも承知していて,このあいだの日曜日に総集編を放送した.これを録画しておいて観始めたのだが,これが極端な切り貼り方で,連続ドラマだったときの放送を観ていない人には訳がわからないものだった.
 それならばいっそのこと小説を読もうと思い,まず第一作『八朔の雪』を読み始めた.『みをつくし料理帖スペシャル』は録画しておいて,原作を読了してからにすればいいという算段である.もちろんドラマと原作小説は少し違うだろうが,そのことを承知していればテレビドラマも楽しめるのではないかと思う.さあて,読書開始だ.

 

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2019年12月11日 (水)

別れ

 私の愛犬 (トイプードル) は,ほぼ一日中寝ている.一人で静かに寝ていることもあるが,私がテレビの前の安楽椅子に腰かけると必ず,膝の上に乗りたいとせがむので,床から拾い上げるとそのまま丸まって眠る.
 彼女の歳を人に例えると,私とほぼ同じである.片手の掌に載るほど幼かった犬に,それだけの歳月が経った.
 白内障で,右目はたぶん見えていない.左目の症状が進行するのはこれからだろう.
 
 私は犬でも猫でも好きだが,犬と長いこと一緒に暮らしているので,書架には犬マンガが多い.
 ひょんなことから昨日,おおがきなこ『いとしのオカメ』(サンマーク出版) を買って読んだ.愛犬との別れを描いたエッセイ漫画である.
 作者の筆は淡々と進む.次第に読んでいる私の涙腺がゆるみ始める.
 そして158ページの「そして今さっき 死んだ」のところで,とうとう泣いた.おいおい泣いた.
 漫画を読んで泣いたのは『星守る犬』以来のことだ.そして今も鼻水をすすっている.

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もう忘れかけた厚労省の不正事件

 昔々 (時代でいうと昭和四十年代くらいまで),国家公務員とそれに準じる人たちの事務能力は高かったんじゃないかと思う.
 それが,平成になった辺りから怪しくなった.国民の眼から見て「この人たちチョット駄目なんじゃないか」という事例が出始めた.
「消えた年金問題」とかね.
 しかるに昨今はもう日常茶飯事だ.
 記録は既に処分しました,電子的記録のバックアップは行政文書ではありません,とか.w
 
「厚労省の毎月勤労統計調査の不正問題」なんてのは,一般国民はもう忘れたのではないかと思う.
 だが,実はまだずるずると尾を引いている.
 昨日,厚労省から「雇用保険の追加給付に関するお知らせとお願い」という,調査依頼の文書が届いた.問題の詳細はここ
 
20191211
 
 で,私に何をして欲しいのかというと,十年も前の雇用保険 (保険者番号とか振込銀行口座とか) のことを思い出せというのだ.
 調査に回答するには,十年前の勤務先に問い合わせる必要が出て来る.そして,元の勤務先の後輩に面倒をかけて,その結果として私に給付される金額は,千四百円くらいだという.しかし千四百円が戻ってくればいいほうで,場合によっては「精査したところ,あなたには給付はありません」という結果もあり得ると書いてある.自分たちの不正の始末を国民に押し付けておいて,私たちに何の見返りもないってのはどういうことだ.
 国家行政における「統計」の重要性に鑑みれば,この調査依頼を受ける必要があることは理解できるが,しかしめんどくさい.
 年金問題だって,既にウヤムヤになった.この問題もウヤムヤになるのではないか.調査対象になった多くの国民が,厚労省の厚顔の依頼を無視すれば,きっとウヤムヤになるだろう.国民が調査に非協力的だったという理由で.
 だがむしろウヤムヤになった方がいいかも知れない.この事件に関して「厚労省の役人たちが不正を行った」という記録が歴史に残るからだ.
 追加給付の事務処理がきちんと行われた暁には,問題は解決したということになり,問題を起こした公務員たちは晴れて無罪放免だ.事件はなかったことになる.厚労省のサイトに現在は掲載されている事件関係の文書はすべて削除されるだろう.国会における質疑の記録は残るが,将来,日本の行政における不祥事についてそこまで調べる史家は現れない可能性が高い.
 そして事件に関与した役人たちは堂々と,一般国民をはるかに上回る生涯賃金を得て,退職後は安楽な老後をすごすだろう.
 まことに理不尽である.

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2019年12月10日 (火)

明るい歌

 私が高校生だった頃から大学時代にかけて,主に関西圏の学生たちによって,米国の音楽潮流の影響下に日本でもフォークソングという音楽ジャンルが立てられた.東京の学生たちも似たような音楽活動をしていたが,多くは「カレッジ・フォーク」とも呼ばれたポップスで,明るくて毒気のないものが多かった.カレッジ・フォークは大学祭で歌われるのが相応しく,フォークはバリケード封鎖された大学の中でよく歌われたといえば,当らずといえども遠からずである.
 そこら辺のことはWikipedia【フォークソング】の[日本のフォーク]項目をみると,次のように書かれている.《商業フォーク、産業フォークとも呼ぶのがふさわしい》とは厳しすぎるように思うが.
 
1960年代には、ロックバンド風のサウンドやスタイルがグループ・サウンズとして発展し、グループ・サウンズ (以下GS) 流行期、GSと同じステージにフォークグループが立つことが珍しくなかった。現にGSとフォーク共演のコンピレーションアルバムは何枚も出ている。日劇ウエスタンカーニバルと呼応した形で、日劇フォークカーニバルという企画もあった。1960年代後半には、岡林信康、高田渡、遠藤賢司、高石友也 中川五郎、加川良らの、反戦フォーク、プロテスト・フォークが全盛期を迎えた。また60年代後半から70年代初頭にかけてはフォーク・クルセダーズ、もとまろ、赤い鳥、ピンク・ピクルス、ウィッシュ、五つの赤い風船らも話題曲を発表した。
日本におけるフォークの呼称には様々なものがある(フォークシンガー参照)。1970年代前半にはレコード会社が、フォークの売り上げが大きくなるとの予測を立てた。レコード会社が積極的に売り出したのは、売れ線のヒットねらいのフォークだった。これらのフォークの特徴は、大衆に媚びた内容、非メッセージ性、フォーク・アイドルとしての売り込みなどである。商業フォーク、産業フォークとも呼ぶのがふさわしい内容で、これらはヒットを記録することにより音楽産業に取り込まれていった。産業ロックや、ニューミュージックの一部と同様で、売り上げの最大化を目指したものも多い。

 
 昨日,そんな時代の音楽をYouTubeで漁っていたら,《"はしだのりひこ"に元メンバー北山修が最後に贈った言葉に涙が止まらない【元クルセダーズ】》を見つけた.
 このファイルは,出来が悪いことと,コメントを読むと無断転用だと書いてあって,問題含みのようだ.
 しかしそれはともかく,「あ,これだったのか」と私は思った.
「これ」とは,Wikipedia【はしだのりひこ】にあるライブのことである.
 
2017年4月23日、KBS京都開局65周年企画「京都フォーク・デイズ ライブ~きたやまおさむ~と京都フォークの世界」にゲスト出演、約10年ぶりに表舞台に姿を現し、車椅子姿で10年ほど前から「パーキンソン病」を患っていたことを公表した。このKBS京都のライブの後に京都市内の病院に入院したため、これが公の場に姿を見せた最後の場となった。
 
 この引用文中の「KBS京都のライブ」とは,上に挙げた《"はしだのりひこ"に元メンバー北山修が……》の音源である.このライブの半年余後に,はしだのりひこ 逝去.享年七十二.
 この音源を聞いた限りでは,北山修も はしだのりひこ も,一昨年にはほとんど声が出なくなっていたようだ.彼らよりも少し若い私自身も最近,声がかすれて高い声が出ない.
 歌が歌えないというのはちょっとさみしい.仕事をしている頃は,若い人たちと時々カラオケに行ったりしたが,この五年ほどカラオケに無縁だ.もしかすると,歌って声を出さないと声帯が硬くなるのだろうか.あるいはあちこちの皮膚と同じく老人性乾燥のために声帯が柔らかく振動しなくなっているのかも知れない.のどが角質化してたらどうしよう.足の踵かよ.
 トレーニングするといいかも.そこで老爺も一人カラオケなるものをしてみんとて,駅の近くのカラオケ屋をネットで調べてみた.
 すると,それらの店のサイトからは,なんとなく一人カラオケを歓迎しないという雰囲気が感じられたのである.そりゃそうだよね.利益にならないもの.
 さらに相談掲示板を読んだところ,《まずは、1人で入っても馬鹿にしないような、接客態度の良いカラオケ屋を探してみましょう 》とあった.ビッグエコーがおすすめ,とも.なるほどね.少しハードルが高そうだけれど,一人カラオケで はしだのりひこ を歌いまくってみようかと思う.
 
 ところで,上に「明るくて毒気のない」と書いたが,はしだのりひこ の作った歌も毒気がなかった.でも私はそういう曲が今でも好きだ.
 一番気に入っているのは『嫁ぐ日』で,ネット上には《嫁ぐ日 はしだのりひことエンドレス-2018》ほか,いくつもアップされている.CDは今でも通販で入手可能.おすすめは『はしだのりひことエンドレスVol.1+5 』(ユニバーサル ミュージック) だ.
 その「エンドレス」のボーカルだった林竹洋子さん,今もお元気なんだろうか.
 
[追記]
 調べたら,林竹(旧姓)洋子さんはご健在で,ライブでご活躍であった.
 林竹さんの歌唱は『嫁ぐ日』の他に『時は魔法遣い (結婚賛歌)』『星と虹と』がYouTubeにある.この三曲に加えて,CDには『霜の音』『生きているのに』『明日の色は』が収録されている.

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2019年12月 9日 (月)

慶應大学伊藤教授の大ウソ (補遺)

[慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (三) へ戻る]
 
 NHK『食の起源』が考古学的証拠に反する嘘八百の番組であることを,この連載の本文で詳述した.ところが週刊ポストが早速,提灯記事《糖質制限ブームの真逆へ、Nスペ『食の起源』に驚きの声出る》を掲載した.(2019年12月20・27日号) 
 同記事曰く《シモンズ大学が13万人の食生活と健康状態を20年以上追跡調査し、普段の食生活で糖質の摂取量が標準的な人(総カロリーの60%が糖質)と、とくに少ない人(総カロリーの35%が糖質)を比べると、後者の死亡率が1.3倍以上に高まった》と.
 
 この記事を書いた記者は,NHK『食の起源』を観ていない.もし放送を観ていたら,番組の途中で伊藤教授が矛盾したことを吹きまくったことに呆れたはずである.
 例えば伊藤教授は,《標準的な大人の場合,毎食,茶碗に1杯程度》の米飯が適量だと主張した.この米飯量は240kcal(=茶碗一杯)×3食=720kcalである.
 
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(『食の起源』の一場面)
  
 厚生労働省のガイドによれば,30~49歳で身体活動レベルがIIの男性の推定エネルギー必要量 (kcal/日) は2,650kcal である.
 すなわち,伊藤教授が主張する720kcalは,一日に必要な総エネルギー量の27%にしかならないので,実はこれはかなり厳しい糖質制限に他ならない.
 伊藤教授は「糖質を減らすと死亡率が高くなる」と言いながら,厳しい糖質制限を視聴者に推奨したのである.自分が何を言っているのか,全くわかっていないのだ.でたらめも甚だしい.
 私が連載《慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (一), (二), (三) 》で暴いたように,同教授の主張は支離滅裂である.これを垂れ流したNHKの罪は大きい.(了)
 
[この連載記事の一覧]
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (一)
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (二)
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (三)
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (補遺)

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2019年12月 8日 (日)

性善説

 個人情報を含む行政文書が記録された神奈川県庁のハードディスク (HDD) がネットオークションを通じて転売された問題だが,私は神奈川県民なので無関心ではいられない.詳しい事件経過をまとめたサイトがあるので紹介する.
「世界最悪級の流出」と報じられた廃棄ハードディスク転売事案についてまとめてみた》(2019年12月7日更新)
 
 ブロードリンク社の元社員である高橋雄一容疑者が同社から盗み出したHDDは18個で,9個は回収されたが残り9個は行方不明である.
 神奈川県は,データが流出したわけではないと言っているが,行方不明のHDDをヤフオクで落札した人は,修復ソフトでデータのサルベージを試みる可能性がある.問題のHDDはNTFSフォーマットされたただけらしいので,データがサルベージされる可能性は高い.
 それでも「流出したわけではない」と言うつもりだろうか.時事通信によれば,黒岩知事は記者会見で「貴重な個人情報を公表することなく消去するか県にお返しいただきたい」と述べたが,随分と呑気なお人である.

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2019年12月 6日 (金)

塩がうま過ぎて

 NEWSポストセブンの記事《朝の定番「ご飯、味噌汁、焼き魚」 夕食にした方がベターか 》(掲載日時 2019年12月6日 16:00) を読んで,そうなんだよなーと思った.塩分過剰摂取のことだ.
 ただし,記事の内容には承服しがたいところがいくつもある.例えばこれ.
 
「ご飯、味噌汁、焼き魚」は和食の定番だが、気になるのは塩分だ。健康検定協会理事長で管理栄養士の望月理恵子氏は時間栄養学の観点から「朝食よりも夕食のほうがよい」と指摘する。
「朝は、塩分を排泄する腎臓の働きが活発ではなく、味噌汁や焼き魚などの高い塩分が体に蓄積されやすい。腎機能は午後6時過ぎから活発になるので、塩分の多いメニューは朝より夕方に向いている」
 
 たぶん,望月氏は,上のことを根拠もなく言っている.栄養に関する「健全な常識」から見て,塩分の多いメニューは夕方に食べましょう,なんてのは小手先の話に過ぎない.一日の塩分摂取量の絶対値を減らすのが,日本的食生活を改善するための,まっとうな方法である.
 その観点からすると,やめたほうがいいお菜の代表格は塩鮭だ.悪魔的にうまいけどね.鮮魚店やスーパーで売られている塩鮭の切り身は,「甘口」でも塩気が強いと私は思う.買ってきた生鮭をそのまま焼いて,醤油を少し垂らして食べるのがいい.それで充分にうまい.
 
 塩鮭の次に,納豆も塩の摂り過ぎになりやすい食べ物だ.
 普通の納豆は,発泡スチロールの容器に入れて売られているが,ほとんどの商品には中に「納豆のタレ」が同梱されている.
 昔々は,納豆にあんなものは入っていなかった.自分ちの醤油と,カラシや青海苔,あるいはネギを入れて調味したものだ.
 納豆の大手メーカーの人に聞いた話だが,あのタレを入れるようになったのは,某スーパーの圧力によるものだ.
 まず最初にスーパーから値下げ圧力がかかった.それに抵抗したら,じゃあ付加価値をつけろ,と強引に押し切られてタレを付けたのだという.その次にカラシを付録に付けさせられた.いわゆるバイイング・パワーというやつだ.
 私の考えだが,納豆好きの人は,あのタレは不要だと思っているんじゃないか.あの小袋入りのタレは,すごく塩っぱいのだ.同梱のタレを使う場合は,私は半分の量で充分だし,小袋のフチをちょっと破り取るのがめんどくさい.卓上に備えてある普段使いの醤油を少し垂らせばそんな手間はいらないし,あまり感心しない原材料 (脚註) を使っている納豆のタレより,鮮度保持のために改良された容器に入っているまともな製法の醤油のほうが断然うまい.
 
 塩鮭,納豆の次に塩分御三家といえば味噌汁だ.特に最近はやりのフリーズドライのインスタント味噌汁.同じインスタントでも粉末タイプは,一杯分を椀に入れる際の量の調節が容易だ.しかしフリーズドライ品は必要量を割って椀に入れるのが難しい.勢い,一杯分を丸ごと使うことになる.で,塩分摂りすぎになる.
 歳を取ると,どうしても血圧が上昇する.私は今,収縮期血圧が130mmHgを少し上回り,拡張期血圧が80ちょっとだ.この年齢としては普通かと思うが,五年前に心臓バイパス出術をした身としては,これ以上の血圧にはなりたくない.それを考えると,味噌汁は即席製品でなく,減塩を心がけつつ,鍋に湯を沸かして具を煮るところから自分で拵えるのがよろしいと思い,実践している.
 炊き立ての白飯に塩鮭と納豆と味噌汁くらい年寄りに毒な朝飯はない.しかしたとえ毒であっても,世にこれ以上うまいものはないと言いたい.ならば少しでも塩を減らそうと自戒している.
 
[脚註]
* 納豆のタレの原材料例;たん白加水分解物,異性化液糖,醤油,食塩,砂糖,醸造酢,かつお節エキス,昆布エキス,酒精,調味料 (アミノ酸等),ビタミンB1
* 納豆そのものの原材料は,大豆と納豆菌だけだ.これほどシンプルな加工食品はないのに栄養的な価値は高く,しかも冷蔵すれば納豆菌の力で保存性は非常に高い.それなのに何が悲しくて,加水分解物や異性化液糖や,日持ち性向上のために「調味料(アミノ酸等)」や「ビタミンB1」をぶちこんで食わにゃならんのか.

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2019年12月 5日 (木)

東京都美術館のケーキ

 私は長いこと関東地方に住んでいるが,今年の秋ほど悪い秋はなかった.
 台風のことだ.
 いのちを失った方々,果樹園や田畑が泥に埋まって離農に追い込まれた人たち.家を失い,あるいは職を失った被災者.
 自分が直接被害に遭ったわけではないが,千葉県南部や長野県,福島県など大被害を被った地方は今も災害から立ち直ったとは言い難く,それはテレビでも時折報道されている.
 実は台風15号の来襲する前に,私は北陸旅行の計画を立てていた.しかし北陸新幹線にのって旅に出る予定の日あたりに台風が来そうだということで急遽,宿をキャンセルしたのだった.
 
 それからあと,北陸新幹線が営業できなくなったりで,すっかり旅の意欲を失ったままになった.
 旅行のことはそれとして前々から秋になったら東京都美術館の「コートールド美術館展 魅惑の印象派」にも出かけるつもりだったのが,それもなんとなく行きそびれたままになっていた.
 それが十二月の声を聞いて,少し慌てた.このままではせっかくの美術展が終わってしまう.それで昨日,腰を上げた.
 たいていの美術展は,開催期間の途中で来館者が少し減って,終わりが近くなるとまた混雑するようになるものだ.
 だから九時半の開館に合わせて自宅を出た.上野駅の公園口を出たのは予定の九時半を少し過ぎた頃だった.
 改札口のすぐ前が東京文化会館だが,ここで唐突に昔の記憶が立ち戻ってきた.
 中学の同級生で,○井素子さんという女の子がいた.彼女は音楽大学に進んだのだが,ある年の秋,彼女がオケのメンバーとしてステージに上がる音楽会に誘われたことがある.それが東京文化会館だった.
 そのコンサートの演目が何だったか全く覚えていないが,彼女のかわいらしかった顔立ちを思い出して,少しセンチメンタルになった.
 
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 この美術展の目玉は上の写真にある通り,マネの『フォリー・ベルジェールのバー』だ.それとルノワールの『桟敷席』,ゴーガンの『ネヴァーモア』,セザンヌの油彩画多数など.
『フォリー・ベルジェールのバー』は私が若かった時に,デパートで開催されたコートールド・コレクション展で観て,それ以来だが,調べたらそれは1997年のことだった.
 
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(フォリー・ベルジェールのバー;パブリックドメイン,File:Edouard Manet 004.jpg from Wikimedia)
 
 主要作品には,大きな解説パネルが設けられていて,鑑賞のポイントが書かれている.こういう試みは初めて見た.
 これについて美術展の公式サイトには次のように書かれている.
 
名画を読み解く
 コートールド美術館の研究所の展示施設という側面に着目し、名画を「読み解く」方法を紹介します。画家の語った言葉や同時代の状況、制作の背景、科学調査により明らかになった制作の過程などを知ることで、新たな見方を楽しむことができるかもしれません。
 
 中野京子先生の著書を読み慣れたファンとしては,『フォリー・ベルジェールのバー』のパネル解説はジュニア向けというか,いささか物足りないと言わざるを得ない.(近刊としては『中野京子と読み解く 運命の絵 もう逃れられない』にこの作品が取り上げられている)
 しかし『桟敷席』とモディリアーニ『裸婦』の解説には「ほお」と思うところがあった.例えば『桟敷席』で,後ろの紳士と着飾った女性との境に描かれているものが何だかわからないままでいたのだが,それが解説に書かれていて,ようやくわかったのである.
 
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(桟敷席;パブリックドメイン,File:Pierre-Auguste Renoir, La loge (The Theater Box).jpg from Wikimedia)
 
 全体的に見応えのある美術展だった.展示会場を出たのが十二時だったから,たっぷり二時間も楽しんだわけである.
 展示会場出口の特設グッズ売り場でマグネットを二個買い,さて昼飯はどうしようと少し考えて,一階にあるカフェ,cafe Art で「紅茶のシフォンケーキ キャラメルアイスを添えて」を食べることにした.これは今回の美術展とのコラボメニューだとのこと.
 
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 おいしかったけれど,これのどこが魅惑の印象派なのかというと,コートールド美術館は英国だから「紅茶つながり」ということらしい.
 カフェを出て公園の中を散策したら,大道芸の若者がパフォーマンスをしていた.二十人くらいの観衆がいて,私が後ろのほうに立ったら,彼 (自分ではパフォーマーだと言っていた) が前の方に詰めて欲しいと言った.言われるままに前に出たら,帽子を取り出して見物料の話をし始めた.どうやら彼のショーは終わりらしい.私は彼の芸を全然見ていないのだから,そそくさと逃げ出した.
 そのあと,公園の中をぶらぶらと歩いてはみたが,樹々はあまりきれいに色づいてはいなかった.
 お昼御飯にケーキというのもいいけれど,すぐ小腹がすくかも知れない.東京駅のグランスタで松露サンドでも買って帰ろうかと思った.
 
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2019年12月 4日 (水)

佃煮二品

 茸御飯を炊いた.要領は以下の通り.
* 米二合
* スーパーで売っているシメジを掌に載るくらい.栽培のシメジにも色々あるが,何でもいい.あとで反省したのだが,もっとたくさん,両手に載るくらい入れるべきだった.
* 普通の油揚げ (栃尾揚げやその類似品はだめ) 二枚を細かく刻む.一枚ではさみしい仕上がりに.
* 森田株式会社の「白醤油 特級」大さじ二杯.この醤油は炊き込み御飯に最適だと思う.塩を使う時は,米二合に塩小さじ一杯と白醤油小さじ一杯くらい.自分の血圧と相談されるがよい.塩は使わずに白醤油だけにしたほうがおいしいと思う.
* いつも通りの水加減にして,炊飯器で炊く. 
 
 さてお菜はなんにしょ.
 というのが本題だ.私は長らく桃屋の瓶詰「葉唐辛子」を愛好してきたのだが,今はもう店頭で見かけない.桃屋の通販でもリストされていない.たぶん製造終了で廃番になったのだと思う.
 かといって,スーパーとかデパートで売られている葉唐辛子佃煮 (トレイ&ラップ包装) は,妙に甘くて食えたものではない.
 テレビを見ていると,美人のレポーターが,ニンジンをかじって「あま~い」,大根をかじって「あま~い」などと食レポしている.
 酒だろうが味噌醤油だろうが,すべて「あま~い」と抜かす.そのうち塩をなめて「あま~い」と言うのであろう.ばかやろめ.
 そういう時代に合わなくなって,瓶詰の辛い葉唐辛子は姿を消した.
 とはいうものの,確かに最近のニンジンは調理すると,媚びを売るがごとき妙な甘さがあって,非常にまずい.こういう野菜が出てきたのは,甘けりゃ喜ぶ消費者が悪いのだ.ばかやろめ.
 
 さてさて店頭にある葉唐辛子佃煮が砂糖 (か水飴) の入れ過ぎで甘すぎるという話だ.
 ところが最近,Amazonで購入した葉唐辛子が,昔風の味でなかなかよかったのだ.昆布・鰹節職人の「葉とうがらし佃煮」である.「昔懐かしの辛さです」とうたっているところがよい.
 これは本家本元の通販で買ってもいいけれど,めんどくさいし,送料の関係で二袋をまとめ買いするとAmazonのプライム価格が割安になる.
 同じ業者の「しその実佃煮」もAmazonで二袋買った.これまた昔の,懐かしい味だった.
 それぞれ一袋ずつ開封し,ネジ蓋式の密閉容器 (ジップロック スクリューロック) に入れ,チルド棚に入れて保存.未開封のものはそのまま冷凍した.
 
 シメジ御飯を一口食み,胃の腑に落とし,そうして葉唐辛子をほんの少し口に入れて舌を元気にする.
 またご飯を一口食んで,今度は紫蘇の実だ.うまいなあ.

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2019年12月 2日 (月)

慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (三)

[慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (二) へ戻る]
 
 前回の記事で,ヒト属には,脳の大きさ (ニューロンの新生,増加) を制御しているらしい遺伝子MCPHがあると述べた.
 MCPHはサルにも存在するようで,中国の研究者は,アカゲザルを実験動物として研究を進めている.中国は,この種の研究に関してはナンデモアリで倫理規範もへったくれもない国だから,現代人を対象にしてゲノム編集なんかを平気で行う.
 *「世界初のゲノム編集赤ちゃん」の正当性主張 中国科学者 (HUFFP0ST,2018年11月29日)
 * ゲノム編集サルでクローン 中国で5匹誕生 (日経新聞,2019年1月24日)
 
 MCPHに関してもアカゲザルのゲノム編集を行ったと報道された.
 * ヒトの脳を発達させる遺伝子、サルへの移植に成功。「非常に危険な道」と物議 (HUFFPOST,2019年4月15日)
 
 脳を制御している遺伝子はMCPHだけではないようで,新井先生の総説も少し,脳の機能に関わるDNAのことに触れている.それらの脳の遺伝をつかさどる遺伝子の全体像が分明でないのにMCPHの動物実験だけが先行し,やがてヒトMCPHバンクなんぞができて,MCPHビジネスが起業されるというおぞましい未来が私たちを待っているかも知れない.
 それはともかく,脳科学は時代の脚光を浴びている学問ジャンルだ.いずれヒトの進化におけるMCPHの意味が明らかにされるだろう.そのような状況下,伊藤教授は医学部の教授であるから,ヒトの脳の発達に関わる遺伝子のことを知らないはずがない.
 しかるに伊藤教授は,NHK『食の起源』の放送では遺伝子のことを視聴者に隠し,炭水化物を多食すると脳が大きくなるというトンデモな方向に暴走したのである.そして興味深いことに,伊藤教授が暴走した部分は,NスペPlusの記述にはほとんど記載されていないのである.そこで,かろうじて書かれている部分を下に引用する.
 
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 農学部や生活科学系学部などで栄養学を学んだ学生は皆承知しているように,上の引用文中の《加熱されたでんぷんは体内でブドウ糖に分解され、腸で吸収。その多くが脳へと向かう 》の《その多くが 》は嘘八百である.実際の放送では,もっと詳しいナレーションが行われ,もっともらしい動画が映し出されたので,テキストに起こして《 》内に紹介する.
 
加熱されたデンプンは,体内で糖に分解されます.(画面19) そして腸から吸収され,ある場所へと向かうんです.
 
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(画面19) 

 その場所はどこなのか.人体にブドウ糖を注射して確かめた貴重な映像です
 
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(画面20)
 
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(画面21)
 
  
 赤や黄色で示されているのが,ブドウ糖がたくさん集まっている場所.(画面21)
 ほとんどが脳に集中していることがわかります(画面20)
 脳は体の中で最もエネルギーを必要とする臓器だからです.デンプンを加熱して食べ始めた祖先の脳にもブドウ糖が大量に届き始めたと考えられます.
 
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(画面22)
 
 木の実などを生で食べていた頃は,得られるブドウ糖の量は少なく,脳の神経細胞はそれを細々と吸収するだけでした(画面22)
 

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(画面23)
 
 でも加熱調理によって大量のブドウ糖が送られてくるようになると,余すところなく吸収しようと,神経細胞は増殖を始めたと考えられます(画面23)
 そして,脳に何が起きたか
 
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(画面24)
 
 左が初期の人類,右がその後火を使い始めたホモ・エレクトスの頭蓋骨(画面24)
 
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(画面25)
 
 ホモ・エレクトスの脳は,なんと2倍以上に巨大化したのです(画面25)
 
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(画面26)
 
伊藤教授……肉はやっぱり栄養分がたくさんあるじゃないですか.だから脳が大きくなったって言うんですけれども,それだけではなくって,きっと毎日根っことか取れますよね(画面26) それを調理することで,たくさん糖分が入って,そして脳が大きくなった.脳が大きくなってから狩りができるようになったと.(画面27)

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(画面27)
 
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(画面28)
 
TOKIO長瀬……他の動物でも脳みそが大きくなるってことはあり得るんですか? 
(画面28)

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(画面29)
 
伊藤教授……人間だけが特徴的に大きいんですね.考えてみると人間しか調理しないんです.
TOKIO長瀬……確かにそうですね.
 

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(画面30)

伊藤教授……調理をする動物っていませんよ.だからそう思うとやっぱり我々がやっぱりデンプンを調理したってことが,脳が大きくなった原因です.
(画面30;伊藤教授は,放送時収録の音声では「原因です」と断定したが,放送時の字幕では「原因ではないか」と修正されていた.こういうやり方で情報操作が行われるのだなと,細かいテクニックに感心した)
TOKIO長瀬……空腹時にイライラするってのは,やはりそういうことと現象的に近いものがあるんですか?
伊藤教授……やっぱり脳ってのは基本的にはブドウ糖しか使えないです.ですからやっぱり脳にとってブドウ糖がないってことは,ものすごく困るんですね.
TOKIO長瀬,国分……なるほど.おもしろい.
近江アナ……進化の過程を見ていくと,人間と糖の関係って切っても切り離せない.だからこそ現代の私たちの健康にも糖質が重要な役割を果たしているという事実がわかってきたんです.
 
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(画面31) 》
 
とまぁ,このような進行を番組前半に行い,続いてNHK『食の起源』はアンチ糖質制限キャンペーンを展開したの
である.(画面31)
 この連載の最初に,NHK『食の起源』はツッコミどころ満載だと書いた.そのツッコミどころを一つ一つ説明していく.
 
〈ナレーション1〉
加熱されたデンプンは,体内で糖に分解されます.そして腸から吸収され,ある場所へと向かうんです.その場所はどこなのか.人体にブドウ糖を注射して確かめた貴重な映像です.ほとんどが脳に集中していることがわかります.
 
 (画面20と21) が掲載されている論文 (著者は福井大学高エネルギー医学研究センターの岡沢秀彦先生) を探したのだが見つけることができていない.岡沢先生によるこの画像は,脳のどの部位が活発にグルコース (ブドウ糖) を代謝しているかを示している.論文を読んでいないのだが,標識したグルコースを物理化学的方法で検出し,それをCGで表現しようとしたものだろう.その目的のためには,脳にグルコースが集中するような条件で測定を行う必要がある.そのためには,脳以外の臓器や骨格筋にグルコースが行かないようにしなければいけない.例えば予め骨格筋に貯蔵されているグリコーゲンをMAXにしておき,グルコースが骨格筋に蓄積しないような条件を工夫したのではないか.食べ物の成分として炭水化物が糖に分解され,小腸で吸収され,そのうちのグルコースが血糖として全身に行きわたるというプロセスでは困るわけだ.標識したグルコースを,消化吸収のプロセスではなく,血管に注射したのはそのためだろう.つまり,(画面20と21) は「脳にグルコースが行くようにして測定された」のであり,「人体に吸収されたグルコースがどこに行くか」とは意味が違うデータだと考えられる.
 放送では「腸から吸収されたブドウ糖は,ほとんどが脳に集中している」という伊藤教授説をナレーションしたのだが,これは嘘である.血糖は全身に送られるのである.その大部分は脳以外に送られて消費 (下記) される.それは,グルコースを血管に注射するのではなく,消化吸収されたグルコースが体のどの部位で代謝されるかを測定することで理解される.一般向けの定性的概論としては,この総説 を参照されたい.肝臓での代謝,解糖系,筋組織における代謝,脳での代謝に分けて解説されている.
 定量的な話は,独立行政法人国立健康・栄養研究所の田中茂穂先生の総説「総論 エネルギー消費量とその測定方法」(静脈経腸栄養,Vol.24 No.5,2009) が参考になる.この総説の表1を下に引用する.
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 表1の「安静時」とは,
・約12時間以上の絶食
・安静仰臥位で筋の緊張を最小限にした状態
・快適な室温で心身ともにストレスの少ない覚醒状態
であり,基礎代謝量を100とした時の,各臓器が消費するエネルギーの割合を示している.(出典;Elia M. Organ and tissue contribution to metabolic rate. Edited by Kinney JM and Tucker HN. Energy Metabolism. Tissue Determinants and Cellular Corrolaries. Raven Press, New York, 1992, p.61-77. )
 この表の数値は,安静時であっても体格によって異なるし,また身体が活動している時には骨格筋のエネルギー消費の割合が高くなるだろう.しかし一般的に言えば,放送時のナレーション《脳は体の中で最もエネルギーを必要とする臓器だからです》は嘘である.肝臓と脳が必要とするエネルギーはほぼ同程度だ.臓器ではないが,個々の筋肉ではなく全身の筋肉が必要とするエネルギーの合計も,肝臓に匹敵する.
 腸から吸収されたグルコースが体のどこに運ばれて消費されるかの割合は,体格や活動状態によるから一概には言えないのだが,少なくともNHK『食の起源』が放送した「ブドウ糖は脳に集中する」が虚偽であることは明らかである.脳は吸収されたグルコースの20%程度を消費するに過ぎない
 こんな事実は管理栄養士には常識だし,栄養学とは無縁の若い女性でも知っている.彼女らは,小山内あやさんのような美しい体を手に入れるために筋トレをする.脳トレに励むお嬢さんはいない.
 それはともかく,伊藤教授は「体に消化吸収されるグルコースが増えたためにヒトの脳は大きくなる方向に進化した」という奇説を正当化するために「脳の大きさは遺伝的にプログラムされているのであり,すなわち生殖細胞に起きた突然変異こそが〈ヒトの脳が大きくなる方向に進化した原因〉である」ということをひた隠しにした.それが (画面22と23) である.
 
〈ナレーション2〉
木の実などを生で食べていた頃は,得られるブドウ糖の量は少なく,脳の神経細胞はそれを細々と吸収するだけでした.でも加熱調理によって大量のブドウ糖が送られてくるようになると,余すところなく吸収しようと,神経細胞は増殖を始めたと考えられます.
 
 芋や球根にはデンプンなどの分子量の大きい多糖類が貯蔵されているが,それら貯蔵器官以外の根や地下茎は強靭な繊維質が多く,そのままでは人間には食べることも困難だ.貯蔵器官に含まれる多糖類も多くは結晶状態であり極めて難消化性である.堅果のデンプンも同様で,そのまま多食すれば下痢をする.また植物の地上部 (茎,葉) には結晶性のセルロースが多く,非常に難消化性である.
 樹上生活から地上に降りた初期の人類は,現代人と同様に,芋や堅果を食べてもほとんど消化できなかったはずである.なぜなら,そもそも人間の消化器官は生のデンプンを消化可能にはできていないのである.下表に草食動物とヒト,肉食動物の腸の長さを示す.(資料から抜粋)
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動物  腸の長さ(m)   腸/体長
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ウマ    30       12
ウシ    50       22~29
ヒツジ   31       27

ヒト     7        4.5
ライオン   7        3.9
オオカミ   6        4
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 上表を見ると,ヒトの腸は肉食動物並みの長さしかないことがわかる.こんな短い腸でも初期の人類が樹上で生きていられたのは,軟らかい果肉にショ糖や果糖を含む果実を食べていたからだと考えられる.ところがアフリカは,気候変動のために熱帯性森林は疎らになり,彼らは樹上生活を追われた.地上における競争者である草食動物ほどの長い腸を持たなかった初期人類は,デンプンやセルロースを消化できなかったに違いない.地下茎も根も堅果も彼らの食料にはならなかったのだ.そこで彼らは捕獲しやすい小爬虫類や魚,昆虫などを食べて生き延びたと思われる.肉食獣の食い残しを漁ったとする仮説もある.(Wikipedia【腐肉食】の「古人類は屍肉食いであったか」を参照)
 それらの動物性の食料は短い消化管でも消化吸収できるから有用だったが,脳と赤血球のエネルギー源であるグルコースをほとんど含んでいない.ヒトの臓器や筋肉などは,安静時であってもエネルギーを消費する.これが基礎代謝だ.生きているだけで必要な最小コストである.
 初期人類の誕生,すなわちヒトの系統がチンパンジーから分岐したのが約700万年前だとして,ホモ・エレクトスが火を扱えるようになった約75万年前 (この推定年代の考古学的証拠はゲシャー遺跡から得られた) まで,人類はデンプン質の食べ物を食べて消化吸収することができなかった.つまり脳やミトコンドリアを持たない細胞 (赤血球など) のエネルギー源であるゴルコースを,日常的に継続して食べ物から経腸的に得ることができなかった.(ロビン・ダンバーは,ヒトが「調理をできる」程度に火を扱い,グルコースを安定的に食べ物から得ることができたのは,さらに時代を下って約50万年前だと推定している)
 それでは,約200万年前から約75万年前までの間,ヒトの脳の最小コストはどのように賄われていたのか.
 それが「糖新生」である.
 肉食動物や雑食性動物 (これに加えて反芻を行う草食動物も) は血糖値が低下して脳や赤血球が必要とするエネルギーを供給できない状態になると,血糖値を制御するホルモンの一つであるグルカゴンが分泌される.グルカゴンによって活性化した酵素が,肝臓に貯蔵されているグリコーゲンの分解,およびアミノ酸等からの糖新生を促進し,血糖値が上昇する.この反応は,腸からグルコースが吸収されない状態でも,生体が致命的なダメージを受けるのを防ぐ仕組みである.少し詳しい説明は《糖新生とは 》に譲る.(Wikipedia【糖新生】は説明に不充分な点がある)
 伊藤教授は《木の実などを生で食べていた頃は,得られるブドウ糖の量は少なく,脳の神経細胞はそれを細々と吸収するだけでした(画面22) としているが,《細々と吸収するだけ》で脳などが必要とするエネルギーを確保できていたとする根拠の説明がなされていない.
 肉食獣のような狩りの能力も,草食動物のような長い消化器も持たない初期人類は慢性的に食料不足だったろう.不足どころか飢餓状態になっても脳を維持できたのは糖新生という生体反応が存在したからである.『食の起源』の放送で伊藤教授が糖新生の重要性に触れなかったのは,著しくアンフェアである.
 次に《でも加熱調理によって大量のブドウ糖が送られてくるようになると,余すところなく吸収しようと,神経細胞は増殖を始めたと考えられます(画面23) が意味不明だ.脳とは別のことになるが,筋肉の場合は運動することで筋繊維の損傷が起きると,損傷から回復する生体反応が始まるが,その回復に必要な食べ物はタンパク質やペプチド,アミノ酸である.そして損傷して失われた筋
繊維以上に回復が行われ,結果的に筋肉が増強する.この過程は運動生理学の研究者が確かめ,またボディビルダーたちが,運動の前に糖質を摂取し,運動後には筋肉の増強のためにプロテイン飲料を摂取することで実践的に確認した.
 脳はどうなのか.伊藤教授は,大量のグルコース (ブドウ糖) が脳に供給されると神経細胞が増殖すると主張している.しかし筋肉の場合,大量のグルコースを供給しても細胞の増殖は起きない.筋肉内にグリコーゲンとして蓄積されるだけである.
 なぜ脳の神経細胞は,筋肉細胞の増殖とは異なり,グルコースを与えると増殖するのか,伊藤教授はそれを説明せねばならない.もし伊藤説が正しいならば,狩猟で得た生肉を主食としてきた伝統的なエスキモーよりも,ほぼトウモロコシとわずかなトウガラシのみを食べてきた伝統的な南米高地の先住民 (以前はインディオと呼ぶのが普通だった彼らの食生活については,四十年ほど前に当時の文部省の研究プロジェクトチームが調査した結果がある) の脳は大きくて然るべきだが,私はそんな話を聞いたことがない.
 余談だが,(画面23) でナレーションが《
余すところなく吸収しよう》としたのは文学的な擬人化表現である.細胞レベルの事象は生命科学の言葉で説明されねばならない.科学に文学的表現を持ち込むのはペテンだ. 
 
〈ナレーション3〉
左が初期の人類,右がその後火を使い始めたホモ・エレクトスの頭蓋骨.ホモ・エレクトスの脳は,なんと2倍以上に巨大化したのです. 
 
 このナレーションの「なんと2倍以上に巨大した」は,「ホモ・エレクトスの頭蓋骨容積は,初期人類と同じ500ml程度から,1,000ml以上に増加した」という文脈で語られた.これが誤りであることは,この連載の《慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (二)》で述べたが,もう一度ロビン・ダンバーが『人類進化の謎を解き明かす』(インターシフト,2016年) の図1-3 (p.23) で解説している箇所を引用する.要点は着色して示す.
 
《図1-3に主要な化石ホミニンすべての脳容量を示す。過去六〇〇万年という長い時間をかけて、ホミニンの脳の大きさは一貫して増え、類人猿に近いアウストラロピテクスの時代の脳から現生人類の脳までで三倍になった。これを見ると、脳には際限なく大きくなるような圧力がたえずかかっていたように思われる。しかし、これは大きな脳に対する淘汰圧がずっとあったことをかならずしも意味するわけではない。事実、地質年代をとおして脳の大きさが継続して増加したというのは、異種の標本をひとまとめにしてしまったことから生じた錯覚だ。異なる種を区別すれば、より継続平衡に近いパターンが見えてくる。つまり、新たな種が生まれるたびに、当初は脳の大きさに急激な増加や移行期らしき兆候が見えるが、しばらくすると脳の大きさは安定するのだ。
 
 ホモ・エレクトス (190万年前~7万年前) は,ホモ・ハビリス (240万年前~140万年前) と共通の祖先から分岐した種であるが,ホモ・ハビリスの脳が500mlくらいだったのに対して,ホモ・エレクトスの脳は900~1,100mlであるとされる.(Wikipedia【人類の誕生】)
 つまりホモ・エレクトスは出現したとき既に大きい脳を持っていた.「約200万年前に火を使うようになったホモ・エレクトスの脳は,調理による栄養改善効果によって巨大化した」(=伊藤教授説) のではなく,「大きい脳を持って出現したホモ・エレクトスは,大きい脳のおかげで,約75万年前に火を使うことができるようになった」(ロビン・ダンバーの解説) のである.
 伊藤教授の説の基礎になっている「200万年前にホモ・エレクトスは火を使うようになった」は,加熱調理したデンプンを食べたことによりホモ・エレクトスの脳が大きくなったという奇説の辻褄合わせをするために行われた捏造である.ゲシャー遺跡の考古学的研究によれば,ホモ・エレクトスが火を使い始めたのは約75万年前だ.このように証拠を無視して論を組み立てるのは,非科学的であること甚だしい.仮説以下の暴論である.
 その暴論を粉砕しかねない質問がTOKIOの長瀬さんから飛び出た.
 
〈出演者の発言〉
TOKIO長瀬……他の動物でも脳みそが大きくなるってことはあり得るんですか?
伊藤教授……人間だけが特徴的に大きいんですね.考えてみると人間しか調理しないんです

TOKIO長瀬……確かにそうですね.
伊藤教授……調理をする動物っていませんよ.だからそう思うとやっぱり我々がやっぱりデンプンを調理したってことが,脳が大きくなった原因です
 
 長瀬さんの質問は,伊藤教授説の致命的な部分を衝いている.これは「ライオンやオオカミなどの肉食獣の仔を,離乳後ずっと,炊いた米飯を主食にして育てたら,脳が巨大化するか?」という内容を含んでいるからだ.
 伊藤説に従えばイエスだが,さすがにそう答える度胸はなかったようだ.学者生命が終わってしまう.
 そこで伊藤教授は,この質問に答えず,逃げることにした.ホモ・エレクトスの脳が巨大化した原因は,グルコースが大量に脳に供給されたことだと言ったばかりなのに,グルコースが原因ではなく調理をするかどうかだと問題をすり替えたのである.ここに至っては,全国の理系のおとうさんたちは,こういう奇説を講義される慶應大学の学生たちに同情しただろう.
 
 番組はこのあと,もっと珍妙な主張を展開したのだが,ここら辺にしておく.次の放送は「塩」がテーマらしい.どんな内容になるか,楽しみである.
[慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (補遺) へ続く]
 
[この連載記事の一覧]
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (一)
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (二)
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (三)
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (補遺)

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