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2019年11月 3日 (日)

北村薫『中野のお父さんは謎を解くか』

 先日の記事《北村薫『中野のお父さん』》の続き.
 この本に収められた各短編は,オール讀物の2013年1月号から2015年の5月号まで掲載され,単行本は2015年9月に文藝春秋から刊行された.
 シリーズの続編はやはりオール讀物2016年5月号から2018年12月号に掲載され,各短編をまとめた単行本『中野のお父さんは謎を解くか』は,2019年12月に出版された.
 で,前回の記事に私は下のように書いた.
 
その本好き読書好きな読者層に向けて,北村薫が書くとこうなるというのが『中野のお父さん』だ.本作中には志賀直哉,幸田露伴,尾崎一雄などの名が出て来るが,これは『ビブリア古書堂』ファンのツボもしっかと押さえている.
 
 シリーズ第一作と比較すると『中野のお父さんは謎を解くか』は,《北村薫が書くとこうなる 》の度合いが一層強まっている.『ビブリア古書堂』シリーズには,「古書をめぐる物語」という縛りがかかっているのに対して,『中野のお父さん』シリーズは「近代日本の文壇史における〈広く一般には知られていない文学史的出来事〉を巡る物語」と言える.ここで「物語」とは言うものの,『中野のお父さん』シリーズは連続短編であるから,各短編を繋ぐストーリーはそれほど重要なものではない.せいぜいヒロインのラブストーリーがどうなるか,くらいのものである.
 また〈広く一般には知られていない文学史的出来事〉といっても,何か謎があって,それを北村薫が解決したという形のものではない.いわば「知る人ぞ知る」の類である.
 例えば松本清張の「春の血」がトーマス・マンの「欺かれた女」に酷似していると,荒正人が厳しく批判した事件があった.(東京新聞掲載「文壇外文学と読者」,昭和三十四年三月十八日~)
 この批判を受けた松本清張は「春の血」を,それ以後の作品集に収めることをしなかった.
 清張に対する荒正人の批判のことは,私は大学生の頃に耳にしたことがあったが,詳しい事情をこれまで知らずにいた.それが『中野のお父さんは謎を解くか』に事件の経緯が,確からしい推理を含めてはっきりと書かれており,おおそうだったのか,と膝を叩いた.
 この他にも,有名な泉鏡花が徳田秋声を殴打した「事件」は,実は里見弴が「話を盛った」のであるというエピソードなど,不確かだった記憶を修正できたので,大変におもしろかった.
 それから,この本の終わりに近いところで「100万回生きたねこ」について北村薫の解釈が示されている.私は佐野洋子のエッセイはかなり読んできているが,彼女のあまりにも有名な絵本は読んだことがない.しかし北村薫が示した解釈を読んで,このまま読まぬずにいるのは怠慢だろうと反省し,愛蔵するつもりで新品の絵本をAmazonに注文した.ついでに古書の『100万分の1回のねこ』も.芋づる式というか連鎖読書というか,こういうのが読書の醍醐味だろう.


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