100万分の1回のねこ /工事中
先日の記事《北村薫『中野のお父さんは謎を解くか』》にこう書いた.
《この本の終わりに近いところで「100万回生きたねこ」について北村薫の解釈が示されている.私は佐野洋子のエッセイはかなり読んできているが,彼女のあまりにも有名な絵本は読んだことがない.しかし北村薫が示した解釈を読んで,このまま読まぬずにいるのは怠慢だろうと反省し,愛蔵するつもりで新品の絵本をAmazonに注文した.ついでに古書の『100万分の1回のねこ』も.芋づる式というか連鎖読書というか,こういうのが読書の醍醐味だろう.》
実は,『中野のお父さんは謎を解くか』を読了したあと,続いて『北村薫の うた合わせ百人一首』(新潮文庫,2019年;単行本は2016年に新潮社から) を読んだのだが,その一節「三十五 夕暮れに歩く」に面白いエピソードが書かれていた.
歌人木下龍也の『つむじ風、ここにあります』(新鋭短歌シリーズ;書肆侃侃房,2013年) に収められた次の歌を,北村薫がどのように解釈したか,という話である.
つむじ風、ここにあります 菓子パンの袋がそっと教えてくれる
歌集『つむじ風、ここにあります』には,新鋭短歌シリーズの監修者である東直子が解説を書いている.その一部を下に引用する.
《街の片隅に流れてきた風が、ビルの間でつむじ風となった。菓子パンを包んでいた薄いビニール袋が、その風で旋回している。「つむじ風、ここにあります」という、個人商店の手書き文字でのさりげないアピールのようなやさしい口調が胸にしみる。》
この歌にうたわれているのは,風に吹かれる菓子パンの袋が,目に見えないつむじ風を顕在化させたという情景だ.東直子は続いて,この情景は《世界の片隅で、短歌と言う小さな器によって自分の存在をこの世に示そうとしている作者自身とも重なる》と書いている.菓子パンの袋が風に舞っている情景は,つむじ風…… からほとんどの人が思い浮かべるだろう.だから,東直子による解説は,歌人が自分自身を目に見えぬつむじ風に喩えているのだ,というところに力点がある.誰にも頷ける解説だと思う.
ところが,つむじ風…… を読んだ北村薫の感想がとてもおもしろい.『うた合わせ百人一首』から引用する.(文庫 p.181)
《わたしは一読、面白い感覚だな――と思った。ところが、その後に東直子氏の解説を読み、文字通り、あっと驚いてしまった。こう書かれていた。》
どういうことかというと,北村薫は,東直子の解説とは全く異なる情景を,この歌から受け取ったのである.
つまり,ビルの間で菓子パンの袋が風に吹かれている,のではなく,北村薫の頭に浮かんだのは,パン屋の店頭にいろんなパンが陳列されている状況だった.ガラスケースの中か,あるいは棚に並んだパン籠か,その中に透明な袋に入った渦巻き形のパンがあった.そして《つむじ風、ここにあります》と囁いているのはその菓子パン自身だと北村薫はいう.北村薫は東直子の解説を読んで「あっと驚い」たと言うが,私たちは北村の解釈に「あっと驚」く.そういう感性があるんだなー!と.
北村薫は早稲田大学で教壇に立っているので,講義の時に三十人の学生に「つむじ風…… はどういう歌だと思うか」と訊いてみた.すると北村薫と同じ解釈をした学生は一人だけだったという.一人いたということに私は驚くが,ともかく北村薫の感性は独特のもので,そこから『空飛ぶ馬』が生まれ,周知のように多くの作家がこれに続き,「日常の謎」ジャンルが切り拓かれてきたのである.
さてその北村薫は『100万回生きたねこ』をどのように読んだか.
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『100万回生きたねこ』
谷川俊太郎他『100万分の1回のねこ』(講談社,2015年7月16日) は,
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