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2019年11月 8日 (金)

ほぼ同時

 Amazon prime ビデオで「ザ・ルーシー・ショー,シーズン1・エピソード5」を観た.
 冒頭,ルーシーは女友だちと会社の自分のデスクで昼食を摂っている.二人の話題は,上司のムーニーさんが奥さんへのプレゼントに買った宝石の値段がいくらであるか,になる.ルーシーのデスクの上にあるムーニーさんの封筒をあけると請求書が入っているはずだ.
 そこで友人が,封筒をあけちゃいなさいよとルーシーをけしかける.封筒の糊付けしたところを湯気に当てれば開くから,と.
 誘惑に乗ったルーシーがその通りにすると,封筒はきれいに開く.そこでルーシーが言うには「ジェームズ・ボンドになった気分よ」
 この台詞を聞いて,おお!と思うところがあった.
 
 イアン・フレミングの小説「007シリーズ」は1953年の『カジノ・ロワイヤル』から,フレミングが没した1964年まで続いた.
 一方の米国CBSが放映した『ザ・ルーシー・ショー』は,1962年から1968年にかけて人気を博した.シーズン1は1962年放映だが,日本での放送は翌1963年5月から. 
 また映画の007シリーズは第一作は『ドクター・ノー』(フレミングの小説では第六作) で,これが1962年公開 (日本公開は1963年6月).
 つまり『ザ・ルーシー・ショー』のスタートと『ドクター・ノー』公開は,ほぼ同時だったのだ.ルーシーの「ジェームズ・ボンドになった気分よ」は『ドクター・ノー』の大ヒットが前提になっている台詞だろう.『ザ・ルーシー・ショー』のシーズン1・エピソード5がほんの少し遅かったわけだ.
 
 その当時中学生の私は親に内緒で『ドクター・ノー』(日本公開時の邦題は『007は殺しの番号』) を観に行き,初代ボンド・ガールのウルスラ・アンドレス (*) を観て鼻血が出るほどコーフンしたのだが,帰宅して何食わぬ顔でルーシーのコメディに大笑いしていたのであった.そんなことはすっかり忘れていた.当時全国の中学生が映画館で鼻血を出したはずだが,我ながら思い出すと恥ずかしい.w
 
(*) 『ドクター・ノー』公開当時の日本では,アースラ・アンドレスまたはアーシュラ・アンドレスと呼ばれたり書かれたりした.父母はドイツ人であり,現在はドイツ語読みを片仮名にしてウルスラ・アンドレスに統一されている.

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