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2019年11月

2019年11月30日 (土)

慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (二)

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 前回の記事の最後に掲げた画像と文章を再掲する.(破線と破線の間)
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 整理すると,NHK『食の起源』は,ホモ・エルガステルとホモ・エレクトスを一緒くたにすることで,あたかも200万年前に火の使用が始まったかのような捏造を行ったのである.
 なぜそんなことをしたのか.それは次のグラフを視聴者に見せるためである.

 
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(画面17;グラフ上の絵を拡大したものが下図) 
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(画面18)
 
 画面18は,NHK『食の起源』が「人類による火の使用は200万年前に始まった」と主張したことを示している.
 これは根拠のない真っ赤な捏造なのであるが,伊藤裕教授の「人類の脳の発達は,加熱調理されたデンプンの摂取により大きく促進された」という奇説を裏付けるためには,どうしてもこの捏造をする必要があったのである.
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 人類による火の使用がいつ始まったかについて,NスペPlus『「ご飯」は健康長寿の敵か?味方か? 』(以下,NスペPlusと略する) がどのように書いているかを見てみよう.NHK『食の起源』の放送時のナレーションとは少し異なるが,大意は変わらない.
 
かつて祖先は木の上で果実などを食べて暮らしていた。しかし700万年前、地球全体が寒冷の時代になると森が縮小して果実が減り、祖先は食べ物を求めて地上に降り立つ。こうして二足歩行の人類が誕生したのだ。
しかし当時はおぼつかない二足歩行で、走ることもままならなかった祖先。おいしい果実などが落ちていても、素早い動物に先に取られてしまう。祖先が得られたのは、他の動物があまり食べないような、殻が硬い木の実や、地面を掘らないと手に入れられない地下茎などだった。しかし木の実や地下茎には、エネルギーのもととなるでんぷんが多く蓄えられていた。生の木の実や地下茎は決しておいしくはないが、か弱い存在だった祖先はそれを食べて何とか生き延びたと考えられる。
ところがその後、食生活に劇的な進化をもたらす「食の大革命」が起きたことが分かってきた。証拠が見つかったのはイスラエル北部。200万年前に誕生したホモ・エレクトスという祖先が暮らしていた遺跡だ。石器時代に現れたホモ・エレクトスが使っていた石器に、彼らの食生活が激変したことを物語る痕跡が。通常、割れた石の表面は滑らかだが、いくつも穴ぼこのある石がたくさん見つかったのだ。
バル=イラン大学のニラ・アルパーソン・アフィル博士は、実験によって、石に穴ぼこが開いた原因を明らかにした。
「実験で確かめたんですが、この石器のかけらを高熱にさらし続けると、石がはじけて同じような跡ができました。つまりこれは、ホモ・エレクトスが火を使っていた証拠なのです。」(アフィル博士)
化石の中からは、火で焼かれた木の実も見つかった。ホモ・エレクトスは、火を使って、でんぷん質の木の実や地下茎を調理して食べ始めたと考えられるのだ。
 
 上の引用文中の《証拠が見つかったのはイスラエル北部。200万年前に誕生したホモ・エレクトスという祖先が暮らしていた遺跡だ 》は真っ赤な嘘である.「イスラエル北部」とは前回の記事で述べたゲシャー・ベノット・ヤーコブ遺跡を指すが,この遺跡から発掘された「火の使用を示す証拠」は約75万年前のものである.この遺跡の発掘に関する報文はScience誌 (2009年12月18日発行) に掲載され,すぐに NATIONAL GEOGRAPHIC の公式サイトでも《現代的生活の起源はホモ・エレクトスか 》(2010年1月12日) が掲載された.その記事にも,75万年前だと書かれている.(文字の着色箇所)
 
イスラエル北部にあるゲシャー・ベノット・ヤーコブ遺跡で、社会的組織が形成され、コミュニケーションが行われ、また日常生活を営む場所と労働のための場所が区別されていたことを示す最古の証拠が発見された。これらはすべて現代人的行動の顕著な特徴と考えられている。
 この遺跡は75万年前の狩猟採集民の野営地で、ホモ・エレクトスなどの人類の祖先によって作られたと考えられる。
 
 ゲシャー遺跡から発掘された火の使用を示す証拠についてWikipedia【初期のヒト属による火の利用】は以下のように記述している.これは既に述べたが下に再掲する.
 
イスラエルのベノット・ヤーコヴ橋の河岸にあるゲシャー遺跡では、ホモ・エレクトスかホモ・エルガステルが79万から69万年前に火を使っていた証拠がある。焼けたオリーブ、大麦、ブドウの種や、木、火打石が残されており、火を使った確実な証拠としては、これが世界最古のものと見られている
 
 私はこの記事を,ロビン・ダンバー著『人類進化の謎を解き明かす』(インターシフト,2016年) を参照しながら書いているが,ではロビン・ダンバーは,人類による火の使用についてどう述べているかを,下に引用しよう.(要点箇所の文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
《…… (前略)
 四〇~五〇万年前以前にアフリカ、ヨーロッパ、アジアで炉が発見されていないのは、この時期が火の使用における主要な転換期だったためと解釈されてきた。これより以前に自然の火 (落雷による火など) にたまたま出くわしたら、ホミニンはその機に乗じて火の力を利用したかもしれなかった。火を完全に使いこなすようになったのは約四〇万年前で、いったんその扱いに慣れると、どこでも意のままに火を絶やさずにおくことや、火をおこすこともできるようになったようだ。火にかかわるこの転換期は、定まった住居 (洞窟や小屋も含む) の出現と時を同じくしているらしい。大きな炉は一日に三〇キログラム以上の薪を必要とすると思われ、これは時間、エネルギー、協力という意味でたいそう大きな需要になる。だれかが、それだけの薪を集めなければならないからだ。これを毎日行うとすれば、すでに限界に近い時間収支に大きな負担を強いることになる。さらに、大きな火を絶やさないためには何人かが互いの活動の調整を図らねばならないかもしれない。互いの協力が必要だと認識し、交代しながら火を守るには、言語と認知能力が欠かせないだろう。どちらも大きな脳がなければできない。あとの章では、こうした認知能力を可能にするほど大きな脳が、約五〇万年前の旧人の出現より前にできたわけではないと論じよう。要するに、それよりはるか以前に料理を思わせる証拠 (たいてい、黒こげの骨や種子) はたしかに存在するとはいえ、これらの証拠は料理が四〇万年前まで食事の際の習慣にはなっていないことを示してもいる。もしこれが正しいなら、料理は初期ホモ属の食事に大きな影響を与えるほどの習慣にはなっておらず、したがって彼らの時間収支危機のおもな解決策にはならなかったと結論づけざるをえない。人類進化の他の側面の多くと同じように、火にかかわる文献は、とかく火が使用された最古の証拠の発見に焦点をあてがちだ。けれども、火の使用または料理が一度起きたと証明するのみで十分とはいえまい。料理が重要な役割を果たしたと主張するには、火が毎日のように、習慣的に使用されたという確証がなければならない。…… (後略)

 
 文中に出て来る「時間収支」の概念についてはダンバーの著書を参照されたい.
 上に引用したロビン・ダンバーの説得力ある文章は,名指しはしていないが,ハーバード大学のリチャード・ランガム (Wikipediaには,英語版,日本語版共に項目が立てられていない) を批判したものである.リチャード・ランガムは,NHK『食の起源』の実質的MCを演じた慶應大学医学部・伊藤裕教授と同工異曲の珍説を唱えている人物である.邦訳著書は二冊あり,そのうちの『火の賜物―ヒトは料理で進化した』(NTT出版,2010年,原書"Catching Fire:HOW COOKING MADE US HUMAN" ) がよく知られている.リチャード教授はこの邦訳が出版された半年後に国際霊長類学会大会で講演するために来日した.その際に行われたインタビュー「火の使用,料理の発達と人類の進化」(日本調理科学会誌,Vol.44,No.4,2011年) が論文誌に掲載された.その中から抜粋引用する.
 
何が私たちをヒト (人類) にしたのか
「何が私たちをヒト (人類) にしたのか」という問いに対して私は,私たちの心や精神的なものではなく,直立二足歩行をし,大きな脳を持ち,木登りはあまりうまくないという私たちの身体的な特徴について考えました。この問いに対する従来の答えは「肉食による進化」でしたが,私の新しい答えは「料理」です。ヒトの進化についての研究者たちには,化石から,200万年前にある変移が起こったことが知られています。それは,類人猿に近い猿人の化石から,現代のヒトに近い,200万年前以降のより新しい化石への変移です。そして,その頃に起こった食事の変化が非常に重要な役割を果たしたのだと長い間考えられてきました。しかしこれまでは,この猿人がより多くの肉を食べるようになり,それによってヒトになったのだと言われていました。…… (中略)
 私の説は,アウストラロピテクスと呼ばれるこの猿人が火を使用するようになり,そしてそれが幾つかの理由からヒトとしての身体的特徴の進化を導いたのだというものです。まず,火を使用することができるようになった結果,ヒトはそれを用いて食物を料理することができるようになりました。食物を料理するということは二つの大きな効果をもたらします。食物を柔らかくすることと,食物の中により多くのエネルギーを与えることです。これらはいずれもたいへん重要なことです。食物が柔らかくなると噛みやすいので,そんなに大きな歯を必要としなくなります。食物を通じてより多くのエネルギーが得られることによって,大きな脳や大きな体を持つことができ,長距離の移動ができ,より頻繁に子どもを産むことができるなど,ヒト特有のさまざまなことが可能になります。…… (中略)
「私たちは火の使用と料理によってヒトになった」と私が言う意味は,「私たちが長い脚,完全な直立歩行,そして木登りに向かない足という,現代あるいは比較的最近の身体的特徴を持つことになったのは火の使用と料理によるものだ」ということなのです。
 
火の使用と料理はいつ始まったのか
 考古学的証拠から,ヒトは25万年前には火を使用していたことがわかっています。しかしそれ以前のこととなると,考古学的な証拠はなくなってしまいます。

 
 つまりリチャード・ランガムの説は「アウストラロピテクスが火を使用して料理をするようになり,人類は大きな脳を持つようになったが,アウストラロピテクスが火を使用したという考古学的証拠はない」というものだ.アウストラロピテクスの化石と一緒に炉の跡が発見されるという考古学的事実を前提とした上で,初めて彼らが料理をしたという仮説が可能となるはずだが,そんな考古学的事実はないと自ら言うのだから,リチャード・ランガム説は,科学的な仮説以前の,ただの空想に過ぎない.
 
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(アウストラロピテクスの復元想像図;パブリックドメイン,File:A.afarensis.jpg from Wikimedia Commons )
 
 ロビン・ダンバーは,たとえアウストラロピテクスが火を使用した考古学的証拠が発見されたと仮定してもアウストラロピテクスの小さな脳 (チンパンジー程度) では身体の発達に影響を与えるほどの料理 (→栄養改善) は不可能だったと論証し,リチャード・ランガム説を一蹴したのである.
 そもそもアウストラロピテクスは石器を作れず,ようやく自然石を使える程度の能力しかなかったとされる.それが火を熾して料理をしているというシーンは想像することが困難だ.
 この荒唐無稽なリチャード・ランガム説におけるアウストラロピテクスをホモ・エレクトスに置き換えた,タチの悪い焼き直しが伊藤裕教授の奇説である.私が伊藤説を「タチが悪い」と非難するのは,ホモ・エレクトスが火を使用していたという証拠はゲシャー遺跡から出土した約75万年前のものなのに,伊藤教授はこれを200万年前のことであるという捏造を行ったからだ.これに比べれば,自説について「考古学的証拠はない」と正直に述べたリチャード・ランガムはフェアだと言える.
 
 さて,伊藤教授は,200万年前にホモ・エレクトスが火を使い始めたという嘘で視聴者を騙したあと,いよいよ支離滅裂の度を増す.
 まずはNスペPlusの当該箇所の,ブラウザ画面のコピーを下に引用する.
 
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 何度も繰り返して述べるが,上のグラフ上にホモ・エレクトスが火を使っている絵を描き入れて,200万年前にホモ・エレクトスが火を使用していたと主張する伊藤教授の説は,ゲシャー遺跡の発掘結果を捏造した嘘である.
 その上さらに伊藤教授は,人類の脳の大きさの変化に関して, 約180万年前から現在に至るまで恣意的な回帰直線を描き入れて《脳が急速に“巨大化”していったことがわかってきた 》と説明した.
 この回帰直線が「恣意的」だという意味は,この散布図を素直に眺めれば700万年前から現在まで一本の二次曲線を引くのが自然であるからだ.そしてその場合は,200万年前の時点に何もイベントを設定しなくても済むことになる.
 仮に線形回帰を用いるならば,約300万年前頃から現在まで一本の回帰直線を引き,「約300万年前頃から脳の大きさが増大を始めた」するのが余程フェアである.上のグラフで,700万年前のサヘラントロプスや400万年前のアウストラロピテクスなどチンパンジーと大差ない猿人を,それよりも進化したホモ・エレクトスと同じ「人類」として回帰直線を引くのがそもそもおかしいのだ.
 では,なぜ伊藤教授はこのような無理筋の嘘を捏ねまわしたのか.
 リチャード・ランガム説が荒唐無稽になっているのは「アウストラロピテクスが火を使って料理をした」としている点にある.アウストラロピテクスをホモ・エレクトスに置き換えれば,リチャード・ランガム説を修正できると伊藤教授は考えたのではないか.
 しかしその考えは,ロビン・ダンバーが既に2016年刊行の『人類進化の謎を解き明かす』の中で否定していた.ロビン・ダンバーは同書にほぼ同様のグラフ (p.23,図1-3) を掲載している.ただし横軸は時間軸 (万年前) ではなく,化石人類を左から古い順に並べている.
 このグラフを一見すると,「人類の脳の大きさ」がアウストラロピテクスからホモ・ハビリスまではほとんど増えていないが,ホモ・ハビリスを起点としてホモ・エルガステルホモ・エレクトスホモ・ハイデルベルゲンシスネアンデルタール人へと急激に増加したように見える.しかしロビン・ダンバーは次のように述べている.文中の「ホミニン」はヒト族のこと.ヒト族にはヒト亜族とチンパンジー亜族がある.また文中の要点の着色は当ブログの筆者が行った.
 
本書の枠組みをわかりやすくするため、図1-3に主要な化石ホミニンすべての脳容量を示す。過去六〇〇万年という長い時間をかけて、ホミニンの脳の大きさは一貫して増え、類人猿に近いアウストラロピテクスの時代の脳から現生人類の脳までで三倍になった。これを見ると、脳には際限なく大きくなるような圧力がたえずかかっていたように思われる。しかし、これは大きな脳に対する淘汰圧がずっとあったことをかならずしも意味するわけではない。事実、地質年代をとおして脳の大きさが継続して増加したというのは、異種の標本をひとまとめにしてしまったことから生じた錯覚だ。異なる種を区別すれば、より継続平衡に近いパターンが見えてくる。つまり、新たな種が生まれるたびに、当初は脳の大きさに急激な増加や移行期らしき兆候が見えるが、しばらくすると脳の大きさは安定するのだ。
 
 この引用箇所は,同種のヒト族においては脳の大きさは安定していると述べている.このことからただちに,ヒト族の脳の大きさはコントロールされているのではないかとの想像が可能となる.事実,その通りなのである.私たちの脳の大きさは遺伝子によって制御されているのだ.このことについて書かれた短い総説から一部を引用しよう.(破線と破線の間)

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脳の進化と文化」(心身健康科学,5巻2号,2009年) 
      新井康允 (人間総合科学大学)
…… (前略)
 現代人の脳の大きさを,現存のゴリラ,チンパンジーなどの大型類人猿と比較してみると,現代人の脳は体の大きさと比較して極めて大きく,人類の脳は非常に特異的な進化を遂げている.
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図1は現存の大型類人猿と化石人類を含む人類の体重と脳の大きさの関係を調べたものである.ゴリラの体重はチンパンジーの約3倍もあり,体も大きいのに,脳の大きさはほとんど同じである.これに大して,人類の場合,現代人の体重はアファール猿人 (アウストラロピテクス・アフェレンシス) の体重より29%しか大きくないのに,現代人の脳は242%も大きく,人類の進化の過程で,脳の大きさの増大は特に著しい.
 脳が大きくなったのは適応進化の結果と考えられるが,図1に示したような急激な変化には,脳の大きさを制御する遺伝子が関係している.その代表的なものとしてはマイクロセファリン (microcephalin, MCPH) がある.…… (中略)
 MCPHには高度な多形性が見られ,この組み合わせが進化の過程で有効な淘汰の圧力として働いたと考えられる.(それ故,未だ脳の進化の可能性を秘めているかも知れない.) MCPHは正常な個体発生では,胎生期におけるニューロンの新生や移動の制御を促進すると考えられ,脳の大きさを増大するのに貢献したに違いない.小頭症の場合はこの過程の障害によって小頭症になってしまったわけである.…… (後略)
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[当ブログの筆者による註]
MCPHには高度な多形性が見られ 》は「高度な多型性が見られ」の誤植.遺伝子の多型についてはWikipedia【多型】を参照のこと.
これに大して 》は「これに対して」の誤植.
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 新井先生の見通しの通り,MCPHが脳の大きさを増大するのに貢献するとして,脳の大きさが増大することは必ずしもよいことではない.脳は大きなエネルギーを消費するからである.
 ある種における孤立したある集団が環境に適応する上で,そのエネルギー消費に見合った利益がなければ,脳が大きくなる変化は個体にとってデメリットとなり,結果としてその集団は脳が大きくなる方向に進化はしないだろう.
 逆に言うと,大きな脳がもたらす利益 (例えば言語と認知の能力向上や,道具を作り扱う能力の向上) によって,脳が消費するエネルギーを賄えるようになれば,脳が大きくなる方向に進化することになるだろう.これを新井先生は《MCPHには高度な多形性 (ママ) が見られ,この組み合わせが進化の過程で有効な淘汰の圧力として働いたと考えられる 》と書いているわけだ.
 これまで人類は,いくつもの種が,環境の変化 (多くは気候変動であったいう) を脳容量の増加で乗り切ってきた.そしてその大きさの脳では環境変化に適応できなくなった時に,滅亡してきた.その繰り返しの上に現生人類がある.その観点に立ってNHK『食の起源』の誤りを見ていこう.
[慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (三) へ続く]
 
[この連載記事の一覧]
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (一)
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (二)
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (三)
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (補遺)
 

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2019年11月29日 (金)

慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (一)

 昨夜のNHKスペシャル《食の起源 第1集「ご飯」~健康長寿の敵か?味方か?~》(以下,単に番組またはNHK『食の起源』と略する) がおもしろかった.ツッコミどころ満載という意味で.w (以下に掲載する画像は,放送の画面をカメラで撮影し,トリミングしたものである)
 この番組の司会進行はTOKIOの四人と近江友里恵アナだが,この番組を監修したと思われる実質的なMCは慶應義塾大学医学部の伊藤裕教授である.
 この番組の基調はアンチ糖質制限 (画面の左肩に書かれていたサブタイトルは“発見!「糖質」のすごい力”だった;下の画面1) であり,日本人はデンプン質の食材を主食にするのがよいという主張がなされた.
 
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(画面1)
  
 下の画面2は,コメンテーターとして出演した女優の壇れいさんだ.彼女は番組の最初から最後まで特にコメントをするわけでもなく,「お米のご飯はすばらしい」と礼賛しただけだった.彼女の肩書は「日本食普及の特別親善大使」だが,この特別親善大使とやらは農水省が任命する.いてもいなくても同じ彼女の出演は,この番組が農水省の意向を忖度して制作されたものであることを疑わせた.
 
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(画面2)
 
 そのアンチ糖質制限の食材として,なぜか小麦でもトウモロコシでもなく,あるいは芋類豆類でもなく,NHK『食の起源』は米だけを絶賛した.その理由を,日本人はそのように進化してきたからだと番組はいうのである.
 
 
まず,今回の放送 (全五回のシリーズの第一回) を観て一番驚いたのは,番組の終わりに近いあたりで,少しでも暗算ができる視聴者なら唖然とするようなことを,伊藤教授が述べたことである.それは,食事における糖質と死亡リスクに関係があるとして糖質制限食の危険性を説き,その説明に用いた次の二つのシーンである.
 
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(画面3)
 
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(画面4)
 
 上に示した画面4で,《標準的な大人の場合,毎食,茶碗に1杯程度》の米飯が適量だというのが伊藤教授の主張だ.
 その「茶碗に一杯の米飯」とはどれくらいの量か.
 文部科学省の「日本食品標準成分表 (五訂増補)」によると,精白米を炊いた米飯は100グラム当たり168キロカロリーとなっており,飯茶碗に軽く一杯 (約150グラム) は約240キロカロリーである.これが米飯のエネルギー量として広く用いられている数値である.
 この番組が画面3で主張するところの,最も死亡率が低い (実はこれは,前提抜きに使用するのは不適切な表現なのであり,なんとなく「健康にいい」ような印象を与えて視聴者をミスリードしようという意図が見える) 糖質の量 (画面3の横軸は「量」と書いてあるが,伊藤教授は単位を%にしている.高校生でもこんな間抜けなグラフは書かない.やむを得ず伊藤教授に代わって解説すると,横軸は「食事で摂取する全エネルギーに占める糖質由来エネルギーの割合」のことだ) は,画面1のグラフでは50~55%であるという.
 すると,この番組が言うところの標準的な大人 (これまた意味不明な表現だ;男女の性差,年齢,身体活動レベルを考慮しない「標準的」などという語は無意味なのである) の日本人の場合,一日のエネルギー必要量は,(240kcal x 3食) / 0.50~0.55=1,309~1,440kcal (中央値は1,375kcal) だということになる.
 ところが,日本人の栄養に関して厚労省が示す最新版のガイドである「日本人の食事摂取基準 (2015年版) 策定検討会」報告書によると,30~49歳で身体活動レベルがIIの男性の推定エネルギー必要量 (kcal/日) は2,650kcal であり,同じ条件の女性は2,000kcal である.
 つまり働き盛りの日本人は,男性で1,275kcal,女性で625kcal も摂取カロリー過剰だと番組は放送したのである.これはすなわち,出演した慶應義塾大学医学部教授・伊藤裕氏の主張である.
 実は,伊藤教授の主張のように一日の摂取エネルギーを1,500kcal 以下にするのは,私のような高齢者はともかく壮年男性にとって,たとえ仕事がデスクワークでも難儀なほどの強い食事制限なのである.すなわちこの番組で伊藤教授は,厚労省の「日本人のエネルギー摂取基準」に異を唱えているわけだが,私が知る限り,厚労省の「日本人のエネルギー摂取基準」を真っ向から否定しているのは日本では伊藤教授ただ一人である.いや,持って回った言いかたはやめよう.伊藤教授は,支離滅裂なことを述べておきながら自分の言説の矛盾に気が付かないのである.そういう困った「学者」が番組の監修をしたのであるから,番組内容が大嘘になってしまったのは当然なのである.
 
 上に述べた伊藤教授の支離滅裂な言説は,ほんの一例である.さらに《食の起源 第1集「ご飯」~健康長寿の敵か?味方か?~》の問題点を例示しよう.
《食の起源 第1集「ご飯」~健康長寿の敵か?味方か?~》は,人類の発祥以来,その「食」においていくつもの画期的な変化があったとしている.まず番組は人類の誕生をマンガで説明した.以下の画像は伊藤教授の主張に沿って番組制作サイドが作成したものだが,これに対して私は,ロビン・ダンバー (オクスフォード大学教授,進化心理学),鍛原多恵子訳『人類進化の謎を解き明かす』(インターシフト,2016年6月30第1刷) の記述を根拠にして論じることにする. 同書は,人類進化に関する刊行物として最新 (原書;“HUMAN EVOLUTION”,Penguin Books Ltd.,2014
) のものである.この書籍には総説と著者の研究成果が含まれており,ウェブ上の書評では高い評価を受けている.
 
20191126a
(画面5)
 
 番組は画面5で,人類の起源を700万年前だとした.これは人類がチンパンジーとの共通祖先と分岐したことを指すが,ロビン・ダンバーの近著は600万年前としている.
 
20191126b
(画面6)
 
 番組では画面6で「700万年前の私たちの祖先」と表現したが,これは誤解を招く.現生人類の祖先が700万年前にいたわけはない.「私たちの祖先に繋がる類人猿」というべきだろう.画面6は,その類人猿が果実などを食いながら樹上生活していたことを述べたものである.
 
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(画面7;画面のマンガでは降雪が描かれているが,本当に雪がふったかどうか私は知らない)
 
 人類の起源に関する議論は,科学的な意味で実証されたわけではなく,すべて仮説である.従って新しい化石が一つ発見されれば簡単に定説が引っ繰り返る.そのいい例が,今から二十年ほど前までは定説だった「イーストサイドストーリー」だ.Wikipediaから引用すると以下の通り.
 
その内容は、アフリカ東部の猿人類が人類の祖先だとするものである。 アファール猿人、ルーシーが、南北につらなる山脈の東側で発見されたことから仮説が立てられた。およそ800万年前から、大地溝帯付近の造山運動が盛んになり、大西洋の水蒸気を含んだ偏西風が大地溝帯の山脈にぶつかって雨を降らすようになり、東側では気候の乾燥化が進んだ。その結果、森林が徐々に草原に変わり、類人猿の祖先は死に絶えてしまった。一方、人類の祖先は以前までの森林での生活で、中臀筋などの二足歩行に欠かせない筋肉を発達させていた(人猿の骨盤の化石より推定)と考えられるため、二足歩行により草原で生活の場を開拓して人類に発展したとする仮説である。
現在、この仮説は定説ではなくなってきており、人類は森林の中で進化したという仮説が有力である。
この仮説が破綻した理由として、800万年前の大地溝帯付近の造山運動は小さく、大きく隆起したのは400万年前であったと考えられるようになってきたことが挙げられる。これはヒトが二足歩行したと考えられている600万年前よりも後のことであり、大地溝帯形成を人類が類人猿から分岐する原因と考えると矛盾している。また、当時のアフリカ東部の乾燥化は完全ではなく、森林がかなり残存していたことが炭素同位体の分析から明らかになっている。
そして、この仮説が破綻する決定的な証拠が2002年にアフリカ西部であるチャドで600 - 700万年前と考えられるトューマイ猿人の化石が発見されたことである。頭骨から背骨につながる孔の位置から直立二足歩行をしていたことが分かり、顔の特徴から、絶滅した傍系ではなく、ヒト属の直系の祖先である可能性が高いことが判明した。この場所で、魚やワニの化石が発掘されたことからかなり湿潤な地域だったことが考えられる。
2003年2月には、提唱者であるイブ・コパン自身がこの仮説を自ら撤回している。
 
 若い頃から生命や人類の起源に関する話が好きだった私は,NHKの特集番組総集編のDVDシリーズ『NHKスペシャル 40億年はるかな旅』(一枚あたり五千八百円) などを「これは保存版だ!」と思い込み,合計五万円以上も財布をはたいて購入した.ところが現在では,それらは内容が大嘘だらけになってしまい,全くのゴミと化してしまった.しかしNHKの商売上手を知らなかった自分があまりにも悔しいので,いまだに自戒の念を込めて書架に飾っている.
 で,そのゴミ『40億年はるかな旅 第8集 ヒトがサルと別れた日』(1998年発売) で解説されていた人類の起源が「イーストサイドストーリー」だった.当時はみんながこの仮説は正しいだろうと思っていたが,しかし科学的データに基づかない「みごとな仮説」はむしろ怪しむべしという教訓となったのである.ちなみに「ヒトがサルと別れた日」とNHKは書いたが,ヒトとサルが泣いてお別れしたのではないから,漢字を使うなら普通は「分かれた」と書く.しかしこういう使い分けはめんどくさいから「わかれた」と書くのがお勧めだ.
 
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(ゴミの山)
 
『40億年はるかな旅』に限らず,NHKが渾身の力を込めて拵えたもっともらしい「科学」番組というのは,昔からそんなものなんである.だから録画した放送をビール片手に鑑賞しつつ「違うでしょー! あはははは」とツッコミを入れながら観るのがよろしい.番組内容を真面目に信じると後悔する.ま,せいぜい『ガッテン!』とか『チコちゃんに叱られる!』とかの娯楽番組を楽しみ,すぐに忘れるのがお勧めである.『チコちゃんに叱られる!』は割と良心的で「諸説あります」と画面に断りが出るが,NHKスペシャルは,番組に都合のよい説だけ集めて作るので,そこが困ったものである.
 閑話休題.画面7で,ナレーションは,700万年前に地球全体が寒冷化したとし,続いて《地球が寒冷化したため,果実が減り,祖先は食べ物を求めて地上に降り立ちました.こうして人類が誕生したのです》と述べた.寒冷化によって人類が誕生した地がアフリカであることに触れなかった理由は不明だ.
 ここのところは従来「寒冷化 (氷期) により海水温が低下したため,アフリカの熱帯域では降水量が減り,乾燥が進んで熱帯性の森林は縮小し疎らになった.そこで樹上生活していた類人猿は移動するためには地上に降りざるを得なくなった.こうして最初期の人類が誕生した」と説明されてきたところである.
 寒冷化すると樹々の果実が減るという理屈がよくわからないが,ともかく伊藤教授説では,700万年前に地上に降りた人類の祖先がいたという.だとすると,伊藤教授の言う人類の祖先とは,サヘラントロプス・チャデンシスのことを指しているに違いない.
 この霊長類の一種を最古の人類だとする説があるが,しかし頭骨しか発見されていないことから,これは仮説にとどまっている.というのは,人類の基本的プロパテイとして直立二足歩行があるので,将来もしもサヘラントロプスの脚の骨の化石が見つかったら,実はサヘラントロプスは人類ではありませんでした,ということになる可能性があるのだ.つまりサヘラントロプスは人類ではなく,「人類とゴリラやチンパンジーとの共通祖先」かも知れないのだ.だが科学的な慎重さを欠く伊藤教授は,サヘラントロプスを人類と断定して説明を進めた.
 何しろ人類の起源に関する話は仮説ばかりなので,Wikipediaでも項目によって一貫性が全くないのが現状だ.サヘラントロプスを最古の人類だとする百科事典項目と,それを認めない項目が混在している.それ故,伊藤教授が「サヘラントロプス=最古の人類」を唱えるのは自由だが,しかし「これはコンセンサスが取れていない仮説だ」と一言説明が必要だと思われる.それをしないのはフェアでない.
 
20191126d
(画面8)
 
 画面8は,画面7のナレーション《地球が寒冷化したため,果実が減り,食べ物を求めて地上に降り立ちました.こうして人類が誕生したのです 》に続いて,サヘラントロプスが樹上から地上に降りて,食べ物を探すという場面だ.ナレーションはさらに続く.
 
でも覚束ない二足歩行.やっとおいしそうな果実を見つけても,すばしっこい動物にとられちゃった 》と.
 
20191128b
(画面9;地面の落ちていた果実)
 
 ここは「すばしっこい動物に取られる前に,果実が樹の枝になっているときに食べろよなー!」と視聴者が大笑いするところだ.しかも画面では「すばしっこい動物」はキツネの姿恰好をしていた.これはまるで昔人気があったアニメの日本昔話みたいで,さすがにバカバカしいので画像を載せるのはやめておく.こういうデタラメは少年少女の教育上で有害だと私は思うが,伊藤教授はなんとも思わないようだ.
 
20191128c
(画面10)
 
 画面10のナレーションは《他に何か食べられそうなものは…… 木の実です!》だ.
 柔らかな果実と同じく堅果も,わざわざ地面に落ちたのを探して食べなくても,すなおに樹の枝になっているのを取って食べればいいのだ.こうしてみると,人類が樹から地上に降りて直立二足歩行を始めたことに関して,番組が示した《地球が寒冷化したため,果実が減り,祖先は食べ物を求めて地上に降り立ちました.こうして人類が誕生したのです》という説明は,辻褄が合わなさすぎて無理がある.疎らになった樹々の間を移動するために地上に降りた,という普通の説明のほうがよいのではないか.そして降りたついでに地面に落ちている木の実を食べればいいわけだ.
 
20191128d
(画面11)
 
 画面11のナレーションは《殻が硬くて他の動物は食べませんが,がんばって割ってみたら,中から出てきたのはデンプンの塊です 》だった.
 地球上で繁栄している動物に,ネズミやリスの類がいる.彼らは堅果を好んで食べる.森にすむ彼らが,堅果を貯蔵する性質を持っていることが,堅果を作る樹木の繁殖に一役買っているとされているくらいだ.それなのにナレーションは,初期の人類が住んだ森にはネズミ類はいなかったと主張したのである.
 ナレーションの《殻が硬くて他の動物は食べません 》の根拠はいったい何だろう.
 実はNHKのサイトであるNスペPlusには,NHKスペシャルの放送内容が紹介されている.今回の放送の《「ご飯」は健康長寿の敵か?味方か?》(掲載 2019年11月22日) で
は,当該箇所が《他の動物があまり食べないような、殻が硬い木の実 》となっている.実際の放送では「他の動物は食べません」だったのに,公式サイトのコンテンツでは「他の動物があまり食べないような」と修正されているのだ.番組制作後に「他の動物は食べません」が誤りであると気が付いたのだろうが,実際の放送では修正されなかった.放送時に字幕で修正すべきであるのに,実にアンフェアである.
 実際の放送と公式サイトのコンテンツが異なっている例は他にもある.ナレーションでは《地球が寒冷化したため,果実が減り,》だったものが,公式サイトでは《しかし700万年前、地球全体が寒冷の時代になると森が縮小して果実が減り 》となっている.「地球が寒冷化したため果実が減り」ではその理屈がわからぬが,「森が縮小して果実が減り」なら因果関係の説明としてまともである.
 
 
 さて番組はこのような説明により,サヘラントロプスに始まる人類は,木の実 (堅果) の糖質を最も重要なエネルギー源としてきたと主張した.だがそれは単純すぎる.ヒトは糖質だけで生きられるわけではないからだ.生きるのにはアミノ酸や脂肪酸が必須だから,普通の説明のように「初期の人類は雑食性で,何でも食べた」とするのが納得しやすい.彼らは近縁のサルと同じく肉食獣の食い残し,小さな爬虫類,昆虫,木の実草の実や地下茎など,口に入るものは生きるために何でも食べたと思われる.採集するのに季節性がある堅果だけで生きられるわけがないのである.これについても,実際の放送では堅果ばかりを食べ物として重要だったと強調したが,公式サイトでは《殻が硬い木の実や、地面を掘らないと手に入れられない地下茎 》と書き,こっそりと,地下茎も食料だったとしている.
 
 このように番組が,初期人類の食べ物として堅果 (のデンプン) だけを異常に強調したのは,「デンプンを加熱調理して摂取したことが,人類の脳が巨大化した原因である」という伊藤教授の奇説を導き出すためであった.
 その奇説を視聴者に「そうなのか!」と思わせる道筋がおもしろかったので,以下に紹介しよう.
 まず番組はバルセロナ自治大学のカレン・ハーディ教授の仕事を紹介した.
 
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(画面12)
 
 ハーディ教授の方法論は,発掘された歯に付着している歯石を分析し,人類が何を食べていたのかを分析するということだ.
 実際の放送では,ハーディ教授の発掘現場に関する説明が全くなく,NスペPlusにも次のようにだけ書かれている.
 
アメリカでは今、「パレオダイエット」と呼ばれる、肉食中心のダイエット法が人気を集めている。パレオとは石器時代のこと。「石器時代は人類は狩りをし、肉を主食にしていたので、私たちの体は肉が主食の生活に適応しているはず」という考えが基になっている。
しかし最近、そのような定説を覆す大発見があった。バルセロナ自治大学のカレン・ハーディ博士は、石器時代の祖先の骨の化石を調査し、祖先が何を食べていたのかを解明した。ハーディ博士が調べたのは「歯にこびりついた歯石」だ。
特殊な溶液で小さく砕いた歯石を顕微鏡で観察すると、でんぷんの粒子が多数見えてきた。肉が主食と思われていた石器時代の祖先が、糖質を食べていたという決定的な証拠だ。さまざまな最新研究を総合すると、摂取カロリーの5割以上が糖質だったとの推測もある。
「祖先の主食が肉というのは間違いです。生き抜くための主食は、常にでんぷん質のものだったと考えられます。」(ハーディ博士)
 
 上の記述には「石器時代の祖先」としか書かれていないが,ハーディ教授のフィールドワークで有名なものはスペインのエル・シドロン洞窟で行われ,発掘と研究の対象はネアンデルタール人である.彼女は単独で研究しているわけではなく共同研究者がいる.また彼女と同様の方法論を用いている研究者もいる.
 彼女の名が大きく報道されたのは,2012年のNewScientist誌に掲載された"Neanderthal dental tartar reveals evidence of medicine "だった.
 この記事の冒頭を下に少し引用しよう.(要点の箇所の着色は,当ブログの筆者が行った)
 
《The tartar on Neanderthal teeth has a tale to tell. The chemicals and food fragments it contains reveal that our close relations huddled around fires to cook and consume plants – including some with medicinal properties. The find is the earliest direct evidence of self-medication in prehistory.
Despite their reputed taste for flesh, we now know that at least some Neanderthals enjoyed a more varied diet. The latest evidence comes from an analysis of 50,000-year-old Neanderthal teeth from the El Sidrón site in northern Spain.
Karen Hardy at ICREA, the Catalan Institution for Research and Advanced Studies in Barcelona, working with Stephen Buckley at the University of York, UK, and colleagues, used a scalpel to scrape tartar off the teeth of five Neanderthals. They chemically analysed some of the tartar samples, and examined others using an electron microscope.
Smoke signals
The microscope revealed cracked starch granules, which suggests the Neanderthals roasted plants before eating them. ……》
 
 大昔の人類が何を食べていたかということは,食事残滓の化石が有力な情報となる.ただし,残りやすいものが発見されやすいので,バイアスがかかるのは避けられない.動物や魚の残滓は残りやすいが,植物質のものは残りにくい.風雨や微生物などで分解されやすいからだ.そのため,ネアンデルタール人の食生活は肉食という面が強調されてきた.これが俗説化して,NスペPlusに書かれている「パレオダイエット」という食事法を生んだ.
 本来のパレオダイエットは旧石器時代の食事を真似ようという趣旨の食事法であり,Wikipedia【パレオダイエット】に《農耕や牧畜に頼らず、日常的に簡単に入手できる魚介類、鳥類、小動物、昆虫、卵、野菜、キノコなどの菌類、根菜、ナッツ類など 》と書かれているように穏やかな主張だったが,現代では極端な肉食偏重のオカルト的食事法になってしまったようだ.ネアンデルタール人のイメージが歪められた結果だろう.
 ハーディ教授の業績は,ネアンデルタール人の歯石の中にデンプン粒を発見したことで,彼らが雑食だったことを改めて示したものである.
 それは価値ある仕事だが,NスペPlusの記述に書かれているように彼女が本当に《生き抜くための主食は、常にでんぷん質のものだったと考えられます 》と語ったとすれば,それは言い過ぎだ.堅果のように濃縮されたデンプンを,一年中いつも,どの土地でも,ネアンデルタール人が採集できたはずがなく,肉しか食べるものがない環境に置かれれば肉を食べて生きたに違いないからである.引用文中の《Despite their reputed taste for flesh, we now know that at least some Neanderthals enjoyed a more varied diet. 》が,わずかなデータ (=歯石からデンプン粒が発見された) を極端に拡大解釈 (=ネアンデルタール人の主食は常にデンプン質のものだった) しない妥当な見解というべきだろう.ただし私には,NHK『食の起源』がハーディ教授の発言を歪曲しているとしか思えない.彼女の肉声で「生き抜くための主食は、常にでんぷん質のものだったと考えられます」と語ったのを視聴者に聞かせないのはアンフェアだ.
 さて番組は次に,ホモ・エレクトスの時代にさかのぼる.
 
20191126e
(画面13)
 
 画面13あたりから,NHK『食の起源』は話の辻褄が次第にボロボロになる.例えばこの画面で,200万年前にホモ・エレクトスが現れたとしているが,この年代を200万年前とすることには問題がある.(後で詳しく述べる)
 余談だが,画面13のように200万年前の人類が腰に衣服を着用していたという証拠はない.
 
20191126f
(画面14)
 
 画面14の字幕にゲッシャー・ベノット・ヤーコブ遺跡と書かれているのは,イスラエル北部のベノット・ヤーコヴ橋 (英語版 Wikipedia) の近くにあるゲシャー遺跡のことだ.ただし,日本語でウェブを検索するときは,ゲッシャー遺跡ではなくゲシャー遺跡と表記されるのが普通である.
 
20191126g
(画面15)
 
 日本語表記のことはともかく,番組は画面15で,ゲシャー遺跡から焼けた石器,焼けた堅果が発見されていることから《つまりこれはホモ・エレクトスが火を使っていた証拠 》とした.
 さらに,ネアンデルタールの食生活を研究しているカレン・ハーディ教授が,なぜかこの場面にも登場し,ホモ・エレクトスの食事について《これは人類が初めて火で木の実を調理したはっきりとした証拠ですね 》と語った.だがハーディ教授のこのコメントは,話の流れとして唐突感があり,どうも番組上の演出くさい.
 
20191126h
(画面16)
 
 NHK『食の起源』では番組の中で何度も「○○ということが最新の研究でわかってきました」と進行役の近江アナが述べたのだが,実際には目新しいことは何もなかった. ゲシャー遺跡から,火を使用した痕跡が発掘されたのは,かなりよく知られた既知のことだ.
 確からしいことを積み重ねて論を進めるのは大変よいことなのだが,実は画面13から16までには,確からしいことに見せかけたトリック=嘘が仕込まれている.
 番組が放送したストーリーは「200万年前にホモ・エレクトスが現れた」→「ホモ・エレクトスが住んだゲシャー遺跡から火を使用した痕跡が発掘された」→「これは人類が火を使って調理した証拠」であり,番組を観た視聴者は200万年前にホモ・エレクトスが火で調理したかのように思い込まされる.ところが事実は違う.これについてWikipedia【初期のヒト属による火の利用】に次の記述がある.(文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
イスラエルのベノット・ヤーコヴ橋の河岸にあるゲシャー遺跡では、ホモ・エレクトスかホモ・エルガステルが79万から69万年前に火を使っていた証拠がある。焼けたオリーブ、大麦、ブドウの種や、木、火打石が残されており、火を使った確実な証拠としては、これが世界最古のものと見られている。
 
 最近の高校の教科書にどう書かれているかよく知らないが,NHK『食の起源』が,あたかも200万年前に火の使用が始まったかのように放送したとき,これを観たまじめに勉強している生徒は「あれ?」と思っただろう.
 人類が火を使い始めたのは200万年前ではなく,ゲシャー遺跡から出土した証拠によれば,時代をはるかに下った79万から69万年前あたりなのだ.どういうことかというと,高校生も頭をひねるこのトリックは「ホモ・エレクトス」という用語のすり替えを使って行われたのだ.
 実は東アフリカには,180万年前頃にホモ・エルガステルというヒト属の一種がいた.これは広義のホモ・エレクトス (=亜種) とされることもあるが,別種とされることが多い.このホモ・エルガステルの近縁種から,後に現生人類が派生したとされる.
 これとは別に,ホモ・エルガステルから遅れて現れた近縁の一種が,アフリカを出てユーラシアに広がった.これが狭義のホモ・エレクトスである.狭義のホモ・エレクトスはすべて滅亡した.ちなみに,ホモ・エレクトスがアフリカを出たことと,その滅亡については,Wikipedia【ホモ・エレクトス】には以下の記述がされている.
 
ホモ・エレクトゥスの1亜種、あるいは近縁種ともされているホモ・エルガステルの仲間からホモ・サピエンスがアフリカにおいて進化したと考えられ、その他のエレクトゥスは全て現生人類とは別の進化経路を辿っているというのが現在の進化論の主流である。
ホモ・サピエンスとホモ・エレクトゥスは数万年同時に同地域に暮らしていたと考えられるが、彼らの遭遇は極めてまれであったと考えられる。ともにハンターとして獲物を追ってアフリカを出たが、約9万年前当時の人口は、たとえば広いインド全体でもサピエンス数百人、エレクトゥス数千人と考えられる。(この数値は公式な発表では存在せず、あくまでも数人の研究者の推測である為、時代により相当な誤差が生じる可能性は否定できない)。これは、たとえば北海道の山奥で希少種である雷鳥に遭遇する程度の可能性と言える。しかし、獲物が競合するホモ・サピエンスとホモ・エレクトゥスは、互いに争うことはなくても、狩猟技術の進んでいたホモ・サピエンスが圧倒的に生存に有利であったため、数万年をかけて両者の地位は逆転し、やがて、各地でホモ・エレクトゥスは主に飢餓により絶滅に向かっていったと考えられる。
 
 以上をここで整理すると,NHK『食の起源』は,ホモ・エルガステル (広義のホモ・エレクトス) と,狭義のホモ・エレクトスを,「ホモ・エレクトス」という名で一緒くたにすることで,人類による火の使用をゲシャー遺跡のデータよりも100万年以上も古いことにし,あたかも200万年前に火の使用が始まったかのような捏造を行ったのである.人類の起源に関する知識を持たないNHKの制作スタッフにそんな捏造ができるはずがない.これは伊藤裕教授の指示によるものだろう.
 伊藤教授はなぜそんなことをしたのか.それは次のグラフを視聴者に見せるためである.
 
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(画面17;グラフ上の絵を拡大したものが下図)
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(画面18)
 
 画面18は,NHK『食の起源』で伊藤裕教授が「人類による火の使用は200万年前に始まった」と主張したことを示している.
 これは根拠のない真っ赤な捏造なのであるが,後述する伊藤裕教授の「人類の脳の発達は,加熱調理されたデンプンの摂取により大きく促進された」という奇説を裏付けるためには,どうしてもこの捏造を行う必要があったのである.
[以下,慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (二) に続く]
 
[この連載記事の一覧]
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (一)
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (二)
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (三)
慶應大学伊藤裕教授の大ウソ (補遺)

 

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2019年11月27日 (水)

小泉大臣の愛犬散歩

 昨夜放送されたテレビ東京『ガイアの夜明け』で,レジ袋問題が取り上げられた.番組は最初に,京都府亀岡市が,プラスチック製レジ袋を禁止する条例の制定を目指していることを紹介した.捨てられたレジ袋が市内を流れる桂川流域を汚染し,桂川を船で下る保津川下りの観光価値を著しく損ねていることに,市長が危機感を持ったからである.(資料;日経新聞《レジ袋 有料でもダメ 京都府亀岡市、全国初の条例めざす》掲載 2019年2月21日 9:03)
 ところが,この全国初の取り組みは,市内の魚屋や豆腐屋など商工業者の強い反発に遭っている.市の担当者が条例の説明に各戸訪問するが,業者から,けんもほろろの対応を受けているシーンが番組で放映された.
 市が条例の説明会を開いたところ,コンビニ業界から強硬な反対が発言されたようだ.「熱いグラタンを手で持って帰れと言うのか! バッグに入れても,こぼれたグラタンで中がドロドロになったらどうするのか!」といった風な反対である.亀岡市の取り組みは,前途多難と思われた.
 どこの家庭でも,使っていないレジ袋があると思う.上の例でいえば,持参した古いレジ袋に熱いグラタン (の容器) を入れて,それをさらにエコバッグに入れて持ち帰れば何の問題もないと私は思うが,コンビニ業界はそのようには考えないようだ.コンビニの客はエコバッグを持って買い物には来ない,だからレジ袋を無料提供するのだ,という従来の発想を捨てる気はないらしい.
 私の行動範囲の藤沢駅周辺では,駅北口のデパート「さいか屋」も南口の小田急デパートもレジ袋は無料だが,駅から少し歩くOKストアは既にかなり前から有料にしている.藤沢のOKストアは価格が安い人気店なので,レジ袋を有料にしても客足が遠のくことがないからだろう.このスーパーはほとんどの買い物客がエコバッグ持参である.
 このように,競争力のある小売店は,レジで販売するレジ袋を高額 (三十円とか五十円とか) に設定しても,消費者の理解は得られると私は思うが,どんなもんだろう.高額にすれば,エコバッグの普及を促進するような気がする.だがやはりコンビニ業界は,有料化を骨抜きにできるまで抵抗するんだろうなあ.
(資料;NHKニュース《プラスチック製レジ袋 来年7月から有料義務化の方針 課題も》掲載 2019年11月4日 18:37)
 さて来年七月にレジ袋有料化義務が実施されると,レジ袋の製造業者は大打撃を受けると思われる.『ガイアの夜明け』は経済番組であるから,レジ袋の製造ではシェア六割の福助工業の取り組みを紹介した.土壌中の細菌が分解できる生分解性プラスチックは以前からあるが,海洋に流れてしまったレジ袋でも生分解可能なレジ袋の開発を進めているのだ.これは群馬大学工学部との共同研究だが,見通しが立ちつつあるという.
 現在の政府方針は,レジ袋有料化の対象から生分解性レジ袋を外す方針だが,上に示したNHKニュースに書かれているように,これには反対論がある.一種の抜け道となる可能性があるからだ.
 原則として小売店がレジ袋を客に無料提供することは禁止するが,ただし環境汚染が深刻な水圏においても生分解性を示すレジ袋に限り,高額でレジで販売することを認めるようにすればいいのではないかと思う.そういうやり方で,福助工業が生き残れるようになればいいのだが.
 ところで,『ガイアの夜明け』のスタッフが,レジ袋問題について小泉環境大臣にインタビューをした.
 その時に小泉大臣は次のような談話をした.
 
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 大臣は夫人と一緒に,飼っている犬の散歩をするようだ.散歩の途中で犬が脱糞するのは普通だが,その時の始末の様子が下の画像である.
 
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 小泉大臣はレジ袋に右手を突っ込み,そのまま糞をつかむ.次に袋を裏返すとレジ袋の中に犬のウンチ (大臣は糞をウンチと言った) が入った状態になる.それを手にぶら下げてご帰宅になるのだという.
 
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 大臣は「はっと気が付いたが,これもプラスチックの袋だな」と語った.気が付いたのはいいが,そのあと糞入りのレジ袋をどうするのかまでは言及しなかった.
 私は,「ウンチをレジ袋でつかむ」小泉方式は環境によろしくないと思う.たまに犬の腹具合が悪かったりすると,道路の舗装を汚してしまうからで,あと始末が大変だ.舗装道路ではなく土の道だと,枯葉や小さな石粒が糞についてしまうので,帰宅してトイレに流すのがためらわれる.
 そこで私の流儀だが,私は飼い犬の散歩の際は,折りたたんだトイレットペーパーを「ワンちゃんのお散歩バッグ」に入れて出かける.
 犬が道端で踏ん張って脱糞姿勢になったら,すかさず糞の落下予想位置にトイペを置く.次に,ペーパーの上に見事着地した糞を丁寧にくるみ,それをポリ袋に入れ,さらに「お散歩バッグ」に入れて持ち帰り,帰宅してからトイレに流すのだ.私の ウンチ 排泄物と同じ環境放出プロセスに乗せるわけだ.もちろんポリ袋は汚れてはいないから再使用する.
 このやりかたが一番いいと思うのだが,困ったことに,ごくまれに愛犬が糞をリリースする寸前に尻を振ることがある.こんな場合,せっかくトイペを敷いたのに,想定外のところにウンチが落ちてしまうのである.このとき私は「わーっ」とか言いながら反射的に,落下するウンチを手で受けることになる.これが,私の愛犬のウンチ始末方法の欠点ではあるが,しかし小泉大臣の「レジ袋でつかむ」方式よりは環境にやさしいと考える.
 
20191127d
 
20191127e
 
 まことに,一人一人が気付いたことを始めるのが大事である.ぜひとも大臣におかれては,愛犬のウンチをレジ袋でつかむようなことをせず,手で受けるのも辞せずという不退転の決意で犬の散歩に取り組んでいただきたいと思うのである.

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2019年11月26日 (火)

香港の民主派を支持する

 私がこのブログのコメント投稿欄を閉じたのは,粘着質の若造がネチネチと絡むが如きコメントを何度もしてくるのが鬱陶しかったからである.
 その若造が陰性に絡んできた私の文章の一つ《呼び捨て》を下に再掲する.
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2019年9月2日 (月)
呼び捨て
 
 今朝,偶々テレビをオンにしたら,テレビ朝日「グッド・モーニング」で香港の民主活動家,アグネス・チョウ (周庭) さんのインタビューが放送されていた.MCの坪井直樹アナはアグネスさんについて「日本語でまくし立てる」とか「過激」などと言った.誰が聞いてもアグネスさんの日本語は「まくし立てる」とは遠いものであるにもかかわらず,だ.
 改めてウェブを調べてみると,他局がアグネス氏とか周庭氏と書いているのに,「グッド・モーニング」の公式サイトではチョウと呼び捨てにしていた.この局は,香港の現在について何か含むところがあるようだ.
 香港の民主化運動が過激かどうかは,その只中にいる香港の人々が判断する.たかがテレビのアナウンサーが,現場から遠く離れた東京のスタジオで何を偉そうに.現地からレポートしろ.

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 上の記事を書いてからおよそ三ヶ月後の今月二十四日,香港区議会選挙が実施された.投票率は中国返還後に行われた選挙で最高の71%に達し,民主派が452議席中の390議席を獲得して歴史的な勝利を収めた.
 この区議会選挙に至るまで,相変わらずテレビの情報番組では,香港の学生運動を否定的に報道し続けた.どちらかというとリベラルだと思われていた森永卓郎氏も「この学生たちの背後に黒幕がいるのではないか」とテレビでコメントしたのには驚いた.学生たちの「支援者」を「黒幕」と呼べば,学生たちがあやつり人形だとの印象を与えることができるからだ.同氏の一見リベラル寄りな発言は,今後は眉に唾をつけて聞く必要があるだろうと思った.
 この日本のメディアの状況について,立命館大学の上久保誠人教授が《香港デモに「暴力はダメ」と安易に考える人に伝えたい大事なこと》(DIAMOND online,2019/11/26 12:15) を書いている.この上久保教授の冷静な文章に,私は大いに納得した.
 中国共産党の「一国二制度」はフィクションに過ぎない.香港人が民主主義を望めば,中国共産党は必ずやこれを圧殺するだろう.香港の市民と学生たちはきっと敗北するだろう.しかしたとえ敗れるとしても,自由と民主主義を求める人々が香港にいたことは,歴史に記憶されるだろう.だから私は香港の学生たちを支持する.彼らは,昭和四十三年における私たちの世代の敗北に重なって見えるからである.

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2019年11月23日 (土)

オリーブピラフ

 最近,『上沼恵美子の おしゃべりクッキング』をよく観ている.上沼恵美子さんはアシスタントというよりも,しゃべり担当で,これがなかなか楽しい.
 昨日の献立は「オリーブピラフ」であったが,実に旨そうだった.略記レシピは以下の通り.(固定リンクはないので,オリジナルは「オリーブピラフ」で検索すると出て来る)
 
[作り方 (付け合わせを除く)]
 炊飯器に米を洗わずに入れ,グリーンオリーブ,オリーブの漬け汁,ブイヨン,ベーコン,おろしにんにく,バージンオリーブ油,こしょうを入れて炊く.炊き上がったら底から混ぜて器に盛り,パプリカパウダーをふる.
 
[2人分の材料 (付け合わせを除く)]
 米          1.5カップ
 グリーンオリーブ   16粒
 オリーブの漬け汁   100ml
 ブイヨン       300ml
 ベーコン       1枚
 おろしにんにく    小さじ1/4
 バージンオリーブ油  大さじ1
 こしょう       適量
 パプリカパウダー   適量
 
 この炊飯器で作る炊き込みピラフのキモは,オリーブの漬け汁を加えるところにある.これとベーコンで風味と塩味をつけるのだ.
 従って,材料の「ブイヨン」は,食塩を賦形剤として用いる顆粒とかキューブのコンソメで代用することができない.コンソメを使うなら,塩蔵であるオリーブの漬け汁は省略することになるが,それではオリジナルのレシピを大幅にアレンジすることになり,作ってはみたが風味が足りないということになりかねない.
 かといって,たった300mlのブイヨンを拵えるのはかなり難儀である.というか,できない.ブイヨンの自作は,家族が多い上に毎日洋風料理を作ることが前提だ.
 そこで市販品のブイヨンをAmazonで探してみた.
 しかし驚いたことに,野菜のブイヨンは一つもなかったのである.商品名を「ブイヨン」としておきながら食塩を添加したもの (クックパッド掲載のレシピに出て来るKALDIの「トリュフ香るきのこのブイヨン」他) がいくつかあるが,これは明らかな食品偽装である.
 ただ一つ,野菜以外に鶏肉も使用しているが,ハインツの濃縮ブイヨンで代用できる可能性はある.しかしこれは業務用商品であり,内容量が800gもあるので,とてもじゃないが家庭では使いきれない.
 というわけで残念ながら,このレシピは単独では実行が難しい.洋風の野菜煮込み料理を作るときに,その煮汁 (ブイヨン) を使って,ついでにオリーブのピラフを炊くことにした.
 それにしても,これだけ減塩調味料が求められている時代に,本来のブイヨン (食塩不使用) が販売されていないというのは不思議だ.
 

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2019年11月21日 (木)

患者の知識レベル以下

 週刊女性PRIME [シュージョプライム]が《森本毅郎アナ、本番中に緊急搬送されるも即復帰「本当の病状」を本人に聞く 》と報じた.(掲載日2019年11月20日 21:00)
 森本さんは私よりも一世代上のかたで,現在八十歳.かくしゃくとしてテレビでMCをしていらっしゃる.まことに心強いことであるが,先日,ラジオの生放送中に体調が悪化して番組途中で退席したことが報道された.しかし幸いすぐに回復して,またレギュラー番組に復帰した.
 上記の記事は復帰後にインタビューをしたことを書いたものである.その中に次の記述がある.
 
森本が続ける。
「かかりつけの病院で検査をしてもらったのですが、原因はよくわからないということで、いますぐ手術の必要なしとなり、週明けからは普通に仕事ができました」
 救急車で搬送されたものの、帰りはふつうに帰ったという。それにしても80歳だと聞いて驚いた読者も多いだろう。
「80にもなればあちこち痛んでしまいますが、なんとか復帰しました」
 当日の検査については、
「造影剤を入れて血管を全部調べるんですね。どれくらい細くなっているか。その結果、いまは特別な処置をすることがないと。何が原因かはわからないんですよ」
 イムス葛飾ハートセンターの金村賦之医師が説明する。
「考えられるのは、心筋梗塞を起こしたか、ステント手術をしたところが発作を起こしたのかもしれません。それは心電図を見ればわかるはず。原因不明のまま終わることはないと思います」
 それにしても心臓の病気ですぐに復帰できるものなのか。
「心臓に関してはありえない。倒れた原因が心臓だけでなくて、頭とかの血管障害もありえます」(金村医師)
 
 イムス葛飾ハートセンターの金村という男,まともな医者なのか.
 私は五年前に心筋梗塞を起こし,冠動脈のバイパス手術をした.その際に循環器疾患の患者として最低限必要な知識は勉強したのだが,ここは日本心臓財団のコンテンツ《狭心症とは 》を紹介する.
 この解説記事の中で「安静時狭心症,冠攣縮性狭心症」「不安定狭心症」「微小血管狭心症」が説明されている.
 このうち「冠攣縮性狭心症」は,解説に《多くの場合、冠動脈が一過性に痙攣 (けいれん) を起こして収縮し、血流を一時的に途絶えさせるために起こる狭心症であり、攣縮性狭心症ともいいます 》と書かれているように,一過性で再現性に乏しい.そのため,発作の頻度が低い場合は,検査入院しても心電図による診断が困難なことがある.
 また,「微小血管狭心症」については《冠動脈には異常がないのに、心筋の小さな細い血管が狭窄して血流配分に支障をきたしているのではないか、と考えられるために微小血管狭心症といわれています。X線血管造影検査では写ってこないような細い血管の病変を想定するので、診断は多くの場合、推定にとどまります 》と書かれている.原因不明の狭心症発作の際にこれを疑うわけだが,検査データは得られないので「原因不明」とせざるを得ない.
 また私は,四十代で冠動脈にステントを入れる治療をしたが,この時は心電図では全く異常が認められず,エックス線造影検査で冠動脈の狭窄が発見されたという経験をした.
 このように,金村が主張するような《それは心電図を見ればわかるはず 》は大嘘なのである.
 さらに金村は《倒れた原因が心臓だけでなくて、頭とかの血管障害もありえます 》とも言っているが,報道によれば森本さんは「脳血管障害を発症して倒れた」のではない.狭心症の治療をした経験がある森本さんは,覚えのある痛み (これは狭心症患者には理解してもらえるだろう) を胸に感じて,意識正常のまま救急車で病院に行ったのである.それなのに金村は何を血迷ったか,あさっての方向を向いて《頭とかの血管障害もありえます 》と大ボケをかましている.しかも医者のくせに「頭とかの」とは何だ.情けない.
 この男の日本語が非医学的なのはさておき,原因不明の脳血管障害だと診断されたまま元気に退院する者はいない.誰だって原因が明らかになるまで検査を続けてもらう.もらいたい.そんなことは一般常識だ.
 さてもイムス葛飾ハートセンターという機関は,患者を診ることなく,検査データも見ずに,ああだこうだと見当違いなホラを吹く金村みたいな男でも務まるらしい.おそろしいことである.

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2019年11月20日 (水)

名画の謎 陰謀の歴史篇 /工事中

 ベッドの枕頭に二十冊以上の読書仕掛の本が積み上げられている中,ようやく中野京子『名画の謎 陰謀の歴史篇』(文春文庫,2018年) を読了した.
 これは文藝春秋連載『中野京子の「名画が語る西洋史」』から十六篇をまとめた単行本 (文藝春秋,2013年) を文庫化したもの.まことに中野先生の御著書にハズレなし,であった.
 最近の記事《時の娘 (補遺)》で私は,Amazonの称号持ちレビュアーであるyukkie_cerveza 氏による見当違いな書評《陰謀の歴史というのは大仰ではあるけれど… 》を批判した.同氏の『名画の謎 陰謀の歴史篇』批判は以下の二点である.
(1) リチャード三世の肖像画が「個人蔵」とされているのは誤りである.
(2) 「陰謀の歴史篇」という書名は羊頭狗肉である.
 
(1) については既に記事《時の娘 (補遺)》で,yukkie_cerveza 氏の無知に基づく言いがかりであることを指摘した.
(2) に関しては下に当該箇所のコピーを掲げる.
 
20191123a

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2019年11月19日 (火)

マイナンバーカード普及に小手先の施策

 共同通信が昨日報道した《政府、新ポイントに2500億円 五輪後、番号カードで25%還元》(2019年11月19日 18:31) によれば,政府はマイナンバー(個人番号)カードを用いるポイント還元事業の全容を固めた.
 
2020年9月から21年3月までの7カ月間で、最大2万円までのキャッシュレス決済の利用や入金につき、25%に当たる5千円分のポイントを付与する。20年度当初予算案に関連費用約2500億円を計上する方向で調整している。
 
 これは現在実施中のポイント還元事業に続く施策であるが,その意図は,ほとんど普及していないマイナンバーカードをなんとかしたいということである.各種報道によれば,マイナンバーカードの普及率は僅か14%ほどであるらしい.このままでは多額の費用を注ぎ込んだ挙句に野垂れ死んだ住民基本台帳カードの二の舞となる可能性が高く,もしこの制度が実効性を獲得できなければ,農家や一部の商工業者など富裕層国民の収入を正確に把握したい (=課税所得を捕捉したい) という行政当局の悲願は遠のくことになる.(資料参照 Wikipedia【クロヨン】)
 だが,このポイント還元事業による五千円程度の「飴」に釣られてマイナンバーカードを取得するのは,富裕層ではなく低所得者層であると思われる.
 富裕層の課税所得を捕捉したいのなら,現在検討中としている「金融機関口座との紐付け義務化」をすれば済むことだ.それをしないのは,政府のアリバイ作りに過ぎない.
 
 私がマイナンバーカードを取得する際に,役所の窓口で「このカードは重要な個人情報だから,やたらに持ち歩かないほうがいいですよね?」と訊ねたら,そうですとの答えだった.それほど多額でもない買い物に,マイナンバーカードを提示させようというのは,紛失事故の原因になるだけだと思われる.
 
 さて実は,半年前にもマイナンバーカードについて記事を書いた.それをリンクではなく,下に全文引用しておく.
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2019年5月18日 (土)
昼めし旅
 
 今年の二月だったと思うが,ネット上のニュースで「これまで確定申告にはマイナンバー通知カードを提示すればよかったが,マイナンバーカードの普及を促進するために,来年の確定申告から,マイナンバー通知カードではなく,マイナンバーカードを提示することが必要との方向で政府は検討を進めている」との報道がなされた.
 今その情報ソースを探しているのだが,見つからない.記録しておけばよかったと反省している.
 というのは,私はこれまで確定申告の際に,通知カードの提示で済ませてきたのだが,「いよいよマイナンバーカードを作らねばいけないのか」と観念して,カード取得を申請したのである.
 ところがその後,一向にその続報がない.これは国民をミスリードするためのガセネタだった可能性が高い.つい先日 (5/10),「デジタルファースト法案」が衆院本会議で与党などの賛成多数で可決され参院に送付されたが,むしろ調べてみると,マイナンバーカードは今後も普及しないだろうとするレポートがぽつぽつ現れている.
 現在,マイナンバーカード普及率は今年の三月で,わずかに12.8%に過ぎない.普及が望めないとして既に廃止され,新規発行が停止された住基カードと同レベルの普及率である.これでは何のためにシステム開発に巨費を投じたかわからぬ事態になっている.そこで東京新聞は,マイナンバーカード制度が行き詰まる可能性もあると指摘している.
 
マイナンバーカード普及率12.8%止まり 来年から更新時期 》(2019年3月18日 東京新聞朝刊)
 
 この記事に次のことが書かれている.
 
昨年秋の内閣府の世論調査では、53・0%が「カードを取得する予定がない」と回答。うち26・9%が取得しない理由を「個人情報の漏えいが心配」と答えており、不信感は根強い。
 
 この引用文中の《個人情報の漏えいが心配 》とあるのは言葉のアヤで,ここで言う個人情報とは収入と金融資産のことである.マイナンバーカードを持ちたくないとする国民は,マイナンバーカードのそもそもその目的であるところの,全国民に広く課税することに拒否感を持っているのである.
 日本国民の過半を占める勤労者 (給与所得者) 層は,マイナンバーカードを持たなくても何の痛痒もない.政府はマイナンバーカードの利便性をテレビでしきりに宣伝しているが,普通の勤労者は,税務署に完全に収入を捕捉されているから,この国民階層には,マイナンバーカードを普及させる意味がないのである.行政サービスを受ける際の利便性がどうのこうのと政府は言うが,運転免許証と健康保険証があれば生活に全く困らない.だから,失うものを何も持たぬ大半の勤労者国民はマイナンバーカードに無関心だ.
 マイナンバーカードに《個人情報の漏えいが心配 》と不信感を持っているのは,収入や金融資産を税務署に捕捉されては困る富裕な国民階層である.それはどのような人々か.
 
 テレビ東京の人気番組『昼めし旅』は,タレントや局のADなどのレポーターが,一般人の食事を拝見するという番組である.
 大半の場合は,レポーターが農村あるいは漁村を歩きながら,畑や漁港で働いている人にインタビューをして「あなたの御飯を見せてください」とノー・アポで頼み込む.都市部で勤労者層の人にインタビューすることは,まずないが,自営業の人たちにはインタビューすることがある.
 それで「いいよ」と承諾してくれた農家や漁師の人の自宅をレポーターが訪問するのだが,これがほとんどの場合,大豪邸なのである.番組レポーターが「すごい豪華なおウチですねー」と驚くと,農家の人は「田舎はみんなこんなもんだー」と事も無げに答える.
 外観こそ普通の瓦葺き日本家屋の農家であっても,玄関を上がると,リフォーム済みの近代住宅だ.システムキッチンを備えた台所だけで六畳あったりして,これに広いダイニングルームが付く.都会なら会社役員のお宅みたいな様子である.
 というわけで,この番組を観ていると,日本の税制に関して,古くはクロヨン,その後はトーゴーサン呼ばれた言葉を思い出さざるを得ない.本来課税対象とされるべき所得の内,税務署がどの程度の割合を把握しているかを示す数値を捕捉率というが,クロヨンとトーゴーサンは次のように書かれている.
 
勤労者が手にする所得の内、課税の対象となるのは必要経費を除いた残額である。本来課税対象とされるべき所得の内、税務署がどの程度の割合を把握しているかを示す数値を捕捉率と呼ぶ。この捕捉率は業種によって異なり、給与所得者は約9割、自営業者は約6割、農業、林業、水産業従事者は約4割であると言われる。このことを指して「クロヨン」と称する。
捕捉率の業種間格差は「9対6対4」に留まらないとの考え方から「トーゴーサン」という語も生まれた。即ち、捕捉率を給与所得者約10割、自営業者約5割、農林水産業者約3割にそれぞれ修正した呼称である。
 
 大抵の都市部勤労者は,一生働いても,一億円以上の資産を蓄財できる人はホンの一握りだ.だが私の住む陋屋の周辺には,まるで『昼めし旅』に出てくるような農家の豪邸がたくさんある.彼らは地元の祭りにポンと信じがたいような寄付金をだす.以前,氏神様の例祭に使う子供神輿を作るからといって寄付の要請が町内会経由できたとき,農家の皆さんは一戸あたり,現金で若い会社員の年収ほどの寄付をした.
 その時に思ったのだが,現代日本での勝者は農業と漁業の従事者である.彼らの豪邸は,給与所得者たちの血税で贖われている.
 彼らは戸数が減った (言い換えれば,富裕になれなかった人々は離農したのであろう) とはいえ,今でも地方の保守政治家の有力な支持者である.従って,いくら国税当局がマイナンバーカードを普及させようとしても,立法サイドがそれを押しとどめる.国民すべてに公平な課税の理念は,夢のまた夢だ.私の推測だが,マイナンバーカードは,住基カードと同じ運命を辿るだろう.
(了)

 

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2019年11月17日 (日)

時の娘 (補遺)

 昨日の記事《時の娘》に,リチャード三世の肖像画を掲載した.この肖像画にはちょっと説明が要るので,下に再掲する.
 
King_richard_iii
(リチャード三世の肖像;パブリックドメイン,King Richard III.jpg from Wikimedia Commons )
 
 この画像はWikimedia Commonsから引用したものだが,肖像画そのものはロンドンのNational Portrait Galleryに所蔵されている.
 実はリチャード三世の肖像画は複数あって,《白い猪亭 真実のリチャードを探して リチャード三世の肖像 1 》 が大変参考になる.

 このウェブページに掲載されている四作品の所蔵機関を列記すると,以下の通り.上に掲げた画像は(3)である.
(1) ロンドン考古協会 (ロンドン古物学協会);The Society of Antiquaries of London
(2) イギリス王室コレクション;The Royal Collection
(3) ナショナル・ポートレート・ギャラリー
National Portrait Gallery
(4) 同上
 
 しかし上記の(1)~(4)がリチャード三世肖像画の全部ではない.中野京子『名画の謎 陰謀の歴史篇』のp.22にも,作者不詳で個人蔵の作品が掲載されている.これを(5)とする.
 上記の(2),(3)と(5)は大変よく似ている.(5)が描かれたのは十五世紀で,(2),(3)は十六世紀だから(5)の模写かも知れない.
 この三枚の肖像画は絵の上部に描かれている装飾が異なっているので,ウェブや印刷物の小さな画像で観ても識別が容易である.(3)の装飾はツル草模様だが,(2),(5)はフレーム状の模様であり,そのフレーム模様が少し異なっている.
 さて,冒頭に《この肖像画にはちょっと説明が要る 》と書いたのは,Amazonの『名画の謎 陰謀の歴史篇』のレビューに,次の文章が掲載されているからである.
 
20191117a
 
 この「殿堂入りNO1レビュアー ベスト500レビュアー」という立派な肩書をお持ちの yukkie_cerveza 氏は,National Portrait Gallery の肖像画(3)と,『名画の謎 陰謀の歴史篇』に掲載されている肖像画(5)を混同している.リチャード三世の肖像画は複数あることを知らないのだ.しかし仮にそのことを知らなかったとしても,肖像画の画像をちゃんと観れば(3)と(5)が異なるのは一目瞭然なのだから,リチャード三世の肖像画は複数あるんだと気が付かなければいけない.しかるに氏は《この本では「個人蔵」と表記されているリチャード三世の肖像画を、私は『時の娘』を読んでからロンドンのNational Portrait Galleryで確かに見ました。なぜ「個人蔵」となっているのでしょうか? 》と書いているが,これじゃまるで中野先生が間違ったことを書いたような言いがかりである.こんないい加減なレビューを書く前に,ちょっと調べれば恥をかかずに済むし,ネット上に誤情報を拡散せずに済むのに,情けない.Amazonの称号持ちレビュアーの書評なんて,この程度のものだとよくわかる例だ.

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2019年11月16日 (土)

時の娘

 読みたいと思ってはいるのだが,途中で挫折した本がいくつもある.特に酷いのは『薔薇の名前』と『時の娘』の二冊で,これまでに三度チャレンジして,途中で放棄した.理由は自分でもわからない.本に対する相性みたいなものがあるのだろうか.
『薔薇の名前』は読書を諦めて,同名の映画のDVDを買った.そしてどういうわけか,半分くらい観たところで眠ってしまった.これはもうだめかも知れないと思う.
 
 中野京子先生の著書にリチャード三世のことが書かれているのを読んで,『時の娘』(ハヤカワ・ミステリ文庫) をもう一度だけ読むのを試みることにした.
 
King_richard_iii
(リチャード三世の肖像;パブリックドメイン,King Richard III.jpg from Wikimedia Commons )
 
 Amazonで探したら,「非常に良い」というコンディションの古本が三百九円で出品されていたので注文した.そしてしばらく商品の発送を待っていたら,業者からメールが来た.それによると,出荷時に検品したところ商品に不備があったという.
「お読みいただくには支障はございませんが,お客様からお代金を頂くお品物ではないと判断し,誠に勝手ながら商品代金・配送料ともに無料でお送りいたします.わずかでもお役に立てれば幸いでございます」旨のことがメールに書かれていた.
 どういうことだと不思議に思って本の到着を待ち,包装を解いて取り出したら,ものすごいのが出てきた.奥付には昭和五十二年六月発行とある.表紙は擦れてよれよれで,紙は褐変していた.確かにこれは,Amazonの古書基準では「可」以下のものだと思われた.
 それじゃあ新品はどうなんだと調べてみたら,驚いたことに現時点においてAmazonで販売されているものも昭和五十二年発行のようである.最初に印刷された本が,四十年以上の歳月を経て,いまだに完売していないわけだ.タイトルに「時」が付くだけのことはあると感心した
 そんなわけはないよなー,と思って新品を買って奥付を見たら,平成二十六年三月第二十八刷だった.(^^;)
 新品を買ったからには,今度こそ完読せにゃ.

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2019年11月15日 (金)

いつか王子様が

 ディズニー映画『白雪姫』の中で一番有名な楽曲は『いつか王子様が』(“Someday My Prince Will Come”) だろう.これは劇中で,白雪姫が井戸端で歌う挿入歌がオリジナルだが,どういうわけかたくさんのジャズ・ミュージシャンがカバーして,スタンダード曲となった.Wikipedia【白雪姫】にはこう書かれている.
 
挿入歌の『いつか王子様が』(Someday My Prince Will Come )は、ジャズやポピュラー音楽のスタンダードナンバーとして多くのアーティストによってカバーされている。
 
 CDに収められた演奏で一番よく知られているのは,ビル・エヴァンスのものだろう.例えばこれ
 YouTubeにもアップされていて,Someday My Prince Will Come/Bill Evans Trio (1960) *Public domain がある.
 その他にオルゴール演奏のCDも数枚あるが,意外にないのがストリングス.しかし隈なく探したら,ものすごく古い録音の中古で
『愛のオーケストラ』(1993/4/21)
 編曲:船山基紀,指揮:熊谷弘
 演奏:VALLEY BOY POPS ORCHESTRA
 レーベル: ポニーキャニオン

 収録時間: 24分
 ASIN: B000064MGR
 JAN: 4988013463530
が見つかった.これには『いつか王子様が』の他に『星に願いを』も収録されている.
 演奏を聴く楽しみとしてはジャズピアノがいいけれど,読書のBGMとしてはオーケストラのほうが気が散らないので,上のCDが気に入っている.

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2019年11月14日 (木)

バスの優先席に関する私の思い違い

 北海道文化放送のサイトにおもしろいニュース《「2人掛けに1人で座りスマホ操作に憤慨…」バス車内で女性の髪切断し51歳女逮捕 札幌市 》があった.(掲載日時 2019年11月13日 21:05)
 簡単に言うと,一昨日の夜十時過ぎ,札幌市内を走っていたバス車中で,五十過ぎの酔っ払いバカ女が,前の席に腰かけていた若い女性のポニーテールを一部,刃渡り一センチの小さな眉毛切りハサミで切断したという事件である.この女は警察に突き出されて暴行容疑で逮捕されたが,同記事によると次の事情である.
 
「女性が2人掛けのいすに1人で座りスマートフォンをいじっている姿に憤慨して切断した」などと話し、容疑を認めています。
 当時乗客は計5人で車内は混雑しておらず、障がい者用の座席に座った女は身体に不自由なところはなく、精神的なトラブルも確認されていないということです。
 当時、女は酒に酔っていたということで警察が事情を聞いています。
 
 この記事に私が興味を持ったのは上の引用箇所であるが,そのバスがガラガラだったことからすると,酩酊バカ女は《女性が2人掛けのいすに1人で座 》っていたことに憤慨したのではなかろう.頭がおかしいことの他は健常者であるバカ女自身も《女性が2人掛けのいすに1人で座 》っていたからである.バカ女が「自分はいいが,他人は許せない」という大バカだったら話は別だが.
 上の新聞記事は書き方があまりよくないのだが,それでは《スマートフォンをいじっている姿 》に憤慨したのだろうか.バカ女の携帯電話がガラケーで,しかも友だちも少なくて通話もメールもほとんどこないというさみしい境遇にあると仮定すると,いろんな楽しいことができるスマホの利用者に嫉妬憤慨したという可能性がないことはない.しかしバカ女の年齢が五十一歳であることからすると,ガラケー持ちの可能性はかなり低い.もっとありそうなのは,このバカ女の頭の中では「優先席でスマホいじっちゃだめなんだからねっ」なのかも知れないということである.
 確かに,首都圏では各鉄道会社は「優先席付近では携帯電話やスマートフォンの電源を切ってください」旨の協力を乗客に求めている.
 これは,第二世代の携帯電話 (ドコモのムーバ等) 時代には,心臓ペースメーカーの22cm以内に携帯を近づけると,ペースメーカーの動作に影響を及ぼす可能性があるという総務省の継続的調査データ「電波の植込み型医療機器等への影響の調査研究」があったからだ.
 しかし第二世代のサービスが終了した現在,市中にある第三世代以降の携帯では,ペースメーカーの動作に影響しない距離は15cm以上となっている.実際のデータとしては3cmで無影響だが,安全性を考慮して15cmにしているという.[資料:本当は危険性なし?電車内での携帯電話利用が心臓ペースメーカーに及ぼす影響]
 首都圏の電車の通勤時における混雑状態では,優先席に接近して立っている乗客がスマホをズボンのポケットやバッグに入れていた場合,ペースメーカーを埋めている人が優先席に腰かけていると,その胸元にスマホが接近する可能性が否定できない.そのため関西の鉄道では,混雑時には携帯電話の電源を切るよう,優先席付近の乗客に要請している.
 それではバスはどうかというと,関西のように臨機応変に,混雑時には電源を切るというマナーでいいのではないかと思う.要するにTPOだ.
 ところで実際にバス内では,どのように携帯電話のマナーが乗客に周知されているか,バス (神奈川中央交通,戸塚系統低床式バス) に乗って確認してみた.すると,中央ドアをから乗って左側にあるベンチ式優先席の窓に,ほぼ下のイラストのようなステッカーが貼られていたのである.このマークの他に,文章による説明は書かれていなかった.
 
20191115d
 
 このステッカーを貼ったバス会社の意図は「優先席に腰かけているペースメーカー装着者のために,携帯電話と基地局との間の通信が行われぬよう,携帯電話の電源を切ってください」だと思われるが,このデザインは「使用禁止」という意味で広く認識されているものだ.そのため,電源を切ってくださいという元々の意図から乖離して「優先席では携帯電話は使用禁止」という微妙に異なる意味になってしまっている.そこから「優先席に座っているのが自分一人しかいない場合でも,優先席でスマホいじっちゃだめなんだからねっ 」という誤解が生じるわけだ.
 冒頭に書いた事件だが,想像するに札幌市内を運行しているバスにも,優先席の窓には「携帯電話使用禁止」のステッカーが貼られているのではなかろうか.このようなややこしい話は,マークだけでなく,趣旨をわかりやすく説明した文章がステッカーに書かれてしかるべきだと思う.最低でも「優先席付近は携帯電話の電源オフ!」とかね.
 
 さて,ここまでは長~い前フリである.
 冒頭に示した北海道文化放送のニュースによると,髪を切られた被害者女性は二人掛け優先席に一人で腰かけていた.その後ろの二人掛け優先席に加害者の女が一人で腰かけていた.つまり二人掛け優先席が進行方向に並んで設置されている.
 私は神奈川県内のバスしか乗ったことがないので,その限りにおいてであるが,件の札幌市内のバスのように,進行方向向きに並んでいる二人掛け優先席というものを見たことがない.高齢者,障碍者,妊婦,怪我人など優先席を利用する人たちにとって,二人掛け優先席なんてのは無配慮も甚だしい.なぜなら優先席を利用したいと思う妊婦や脚の不自由な乗客が,窓側の席に座るのも,そこから降りるのも一苦労だからである.
 バスの優先席は,一人掛け席またはベンチ式であるべきだというのは,どうやら私の思い違いだったようだ.優先席のあるべき姿なんか考えないバス会社があることを,このニュースで私は初めて知ったのである.
 
 ちなみに,ウェブページ《札幌市営バスの車内》の一番下に,札幌市営バスの車内の写真が掲載されている.これを見ると,バスの前半分には優先席の表示がない.ニュースの通り,後ろ半分の二人掛けシートに優先席があるのだろう.

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2019年11月13日 (水)

100万回生きたねこ /工事中

 佐野洋子『100万回生きたねこ』(講談社,1977年) は, 

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2019年11月12日 (火)

日本ゴロン /工事中

 Wikipedia【100万回生きたねこ】にこう書かれている.
 
歌人の枡野浩一は、「100万回生きて100万回死んだ主人公のオスネコは、最後の最後には二度と生き返らなくなる。彼は生まれて初めて本当の意味で死んでしまうわけなんだけど、たいていの読者は物語の終わりを知ったとき『あー、よかった。めでたし、めでたし』という気分になっているはずで、そこがすごいのだ。主人公が死んでしまうのに『あー、よかった』と心から思える不思議。その『不思議』の部分は、ぜひ絵本の実物を読んで味わってください」とこの作品を高く評価している。
 
 枡野浩一『日本ゴロン』(毎日新聞社,2002年) は,
 

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2019年11月11日 (月)

100万分の1回のねこ /工事中

 先日の記事《北村薫『中野のお父さんは謎を解くか』》にこう書いた.
 
この本の終わりに近いところで「100万回生きたねこ」について北村薫の解釈が示されている.私は佐野洋子のエッセイはかなり読んできているが,彼女のあまりにも有名な絵本は読んだことがない.しかし北村薫が示した解釈を読んで,このまま読まぬずにいるのは怠慢だろうと反省し,愛蔵するつもりで新品の絵本をAmazonに注文した.ついでに古書の『100万分の1回のねこ』も.芋づる式というか連鎖読書というか,こういうのが読書の醍醐味だろう.》 
 
 実は,『中野のお父さんは謎を解くか』を読了したあと,続いて『北村薫の うた合わせ百人一首』(新潮文庫,2019年;単行本は2016年に新潮社から) を読んだのだが,その一節「三十五 夕暮れに歩く」に面白いエピソードが書かれていた.
 歌人木下龍也『つむじ風、ここにあります』(新鋭短歌シリーズ;書肆侃侃房,2013年) に収められた次の歌を,北村薫がどのように解釈したか,という話である.
 
つむじ風、ここにあります 菓子パンの袋がそっと教えてくれる
 
 歌集『つむじ風、ここにあります』には,新鋭短歌シリーズの監修者である東直子が解説を書いている.その一部を下に引用する.
 
街の片隅に流れてきた風が、ビルの間でつむじ風となった。菓子パンを包んでいた薄いビニール袋が、その風で旋回している。「つむじ風、ここにあります」という、個人商店の手書き文字でのさりげないアピールのようなやさしい口調が胸にしみる。
 
 この歌にうたわれているのは,風に吹かれる菓子パンの袋が,目に見えないつむじ風を顕在化させたという情景だ.東直子は続いて,この情景は《世界の片隅で、短歌と言う小さな器によって自分の存在をこの世に示そうとしている作者自身とも重なる》と書いている.菓子パンの袋が風に舞っている情景は,つむじ風…… からほとんどの人が思い浮かべるだろう.だから,東直子による解説は,歌人が自分自身を目に見えぬつむじ風に喩えているのだ,というところに力点がある.誰にも頷ける解説だと思う.
 ところが,つむじ風…… を読んだ北村薫の感想がとてもおもしろい.『うた合わせ百人一首』から引用する.(文庫 p.181)
 
わたしは一読、面白い感覚だな――と思った。ところが、その後に東直子氏の解説を読み、文字通り、あっと驚いてしまった。こう書かれていた。
 
 どういうことかというと,北村薫は,東直子の解説とは全く異なる情景を,この歌から受け取ったのである.
 つまり,ビルの間で菓子パンの袋が風に吹かれている,のではなく,北村薫の頭に浮かんだのは,パン屋の店頭にいろんなパンが陳列されている状況だった.ガラスケースの中か,あるいは棚に並んだパン籠か,その中に透明な袋に入った渦巻き形のパンがあった.そして《つむじ風、ここにあります》と囁いているのはその菓子パン自身だと北村薫はいう.北村薫は東直子の解説を読んで「あっと驚い」たと言うが,私たちは北村の解釈に「あっと驚」く.そういう感性があるんだなー!と.
 
20191115a
 
 北村薫は早稲田大学で教壇に立っているので,講義の時に三十人の学生に「つむじ風…… はどういう歌だと思うか」と訊いてみた.すると北村薫と同じ解釈をした学生は一人だけだったという.一人いたということに私は驚くが,ともかく北村薫の感性は独特のもので,そこから『空飛ぶ馬』が生まれ,周知のように多くの作家がこれに続き,「日常の謎」ジャンルが切り拓かれてきたのである.
 さてその北村薫は『100万回生きたねこ』をどのように読んだか.
 
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『100万回生きたねこ』
 谷川俊太郎他『100万分の1回のねこ』(講談社,2015年7月16日) は,

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2019年11月 9日 (土)

嘘食レポ

 今朝,何気なくテレビをオンにしたら,テレビ朝日《朝だ!生です旅サラダ が映った.ちょうど同番組のコンテンツ小西が行く!日本縦断コレうまの旅》をやっていて,ABCテレビアナウンサー・小西陸斗 という若い人が千葉県八街市にある和菓子店「平林のだんご」を取材した.
 小西アナは同店の「みたらし団子」(八街市では有名であるという) を食べて食レポをしたのだが,それを聞いて私は驚いた.
 
 小西アナは「焼いたお団子に〈みたらし〉がかかって……」と言ったのである.つまりこの バカ者 若者は,醤油味のタレを「みたらし」だと思っているのだ.w
「みたらし団子」の「みたらし」は,京都市左京区下鴨の下鴨神社境内 (糺の森) にある御手洗 (みたらし) 池が語源であるというのが定説である.
 調べたら小西アナは兵庫県姫路市の生まれで神戸大学卒だ.京都からさほど遠くない姫路で生まれ育っておきながら「みたらし団子」とは何かを知らずに,大胆不敵な食レポをする度胸が,いっそさわやかだと感心した.

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2019年11月 8日 (金)

ほぼ同時

 Amazon prime ビデオで「ザ・ルーシー・ショー,シーズン1・エピソード5」を観た.
 冒頭,ルーシーは女友だちと会社の自分のデスクで昼食を摂っている.二人の話題は,上司のムーニーさんが奥さんへのプレゼントに買った宝石の値段がいくらであるか,になる.ルーシーのデスクの上にあるムーニーさんの封筒をあけると請求書が入っているはずだ.
 そこで友人が,封筒をあけちゃいなさいよとルーシーをけしかける.封筒の糊付けしたところを湯気に当てれば開くから,と.
 誘惑に乗ったルーシーがその通りにすると,封筒はきれいに開く.そこでルーシーが言うには「ジェームズ・ボンドになった気分よ」
 この台詞を聞いて,おお!と思うところがあった.
 
 イアン・フレミングの小説「007シリーズ」は1953年の『カジノ・ロワイヤル』から,フレミングが没した1964年まで続いた.
 一方の米国CBSが放映した『ザ・ルーシー・ショー』は,1962年から1968年にかけて人気を博した.シーズン1は1962年放映だが,日本での放送は翌1963年5月から. 
 また映画の007シリーズは第一作は『ドクター・ノー』(フレミングの小説では第六作) で,これが1962年公開 (日本公開は1963年6月).
 つまり『ザ・ルーシー・ショー』のスタートと『ドクター・ノー』公開は,ほぼ同時だったのだ.ルーシーの「ジェームズ・ボンドになった気分よ」は『ドクター・ノー』の大ヒットが前提になっている台詞だろう.『ザ・ルーシー・ショー』のシーズン1・エピソード5がほんの少し遅かったわけだ.
 
 その当時中学生の私は親に内緒で『ドクター・ノー』(日本公開時の邦題は『007は殺しの番号』) を観に行き,初代ボンド・ガールのウルスラ・アンドレス (*) を観て鼻血が出るほどコーフンしたのだが,帰宅して何食わぬ顔でルーシーのコメディに大笑いしていたのであった.そんなことはすっかり忘れていた.当時全国の中学生が映画館で鼻血を出したはずだが,我ながら思い出すと恥ずかしい.w
 
(*) 『ドクター・ノー』公開当時の日本では,アースラ・アンドレスまたはアーシュラ・アンドレスと呼ばれたり書かれたりした.父母はドイツ人であり,現在はドイツ語読みを片仮名にしてウルスラ・アンドレスに統一されている.

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2019年11月 6日 (水)

ドストエフスキーの聖母 (一)

 中野京子先生の『欲望の名画』に,ラファエロの『サン・シストの聖母』(『システィーナの聖母』とも) の解説があり,そこに次のようにある.
 
そして一八六七年、ロシアから著名な作家がドレスデンを訪れた。彼はこの作品を見るため何度も所蔵美術館へ通ったのだが、なにしろ縦が二・六メートル以上ある大画面のうえ部屋が薄暗く、目の高さにあるのは聖母の素足あたり。肝心の顔がよく見えない。見たい、知りたい、その欲求抑えがたく、ある日ついに傍の椅子を引き寄せ、その上に乗って観るという暴挙に出た。係員に注意されたのは言うまでもない。だが彼は係員が去ると再び椅子に上がって絵に近づき、後から妻に「マドンナを見たよ」と報告したという。
 ――ドストエフスキー、四十六歳のエピソードである。
 彼はよくよくこの絵のマドンナに呪縛されたのだろう。書斎に本作のレプリカ (聖母子の顔だけを切り取ったもの) を額装して飾り、その絵の真下に置いたソファに横になった姿で亡くなった。
 
 私たちが中野先生のお名前を知った頃は,メディアには「専門はドイツ文学」と紹介された.やがて先生による西洋絵画の解説書が大ヒットを連発し,百科事典には今や西洋文化史家,作家と書かれている.上の引用箇所に書かれていることは,私は『欲望の絵画』で初めて知った知識であるが,何を調べ,どのように勉強したら,このようなエピソードを著書に記すことができるのだろうと私は感服した.
 そこで上の引用箇所を出発点にして,ドストエフスキーと『サン・シストの聖母』について調べることにした.西施の顰みに倣う,とはこのことだ.以下の記述にある書籍は,書誌事項や簡単な紹介を,本稿とセットの記事《メモ「ドストエフスキーの聖母」》に書いた.
 
 さてまず最初に読んだのはE・H・カー著,松村達雄訳『ドストエフスキー』(筑摩叢書106) である.
 カーは本書の第十一章を,『賭博者』の締め切りに追われた遅筆のドストエフスキーが,速記者としてアンナ・グリゴーリエヴナを雇ったことから書き始めている.それは一八六六年十月四日のことであったが,十月三十日に脱稿した.この二十六日間に,四十五歳のドストエフスキーは,二十歳のアンナを愛するようになった.十一月三日にドストエフスキーはアンナの家を訪問し,その母と会った.そして八日,アンナにプロポーズし,承諾を得たのである.
 カーによると,アンナはドストエフスキーとの結婚を受け入れたが,しかしいざ結婚してみると,ドストエフスキーは嫉妬深いくせに,夫として妻を守る気概に欠けていただけでなく,経済観念もなかった.そんなドストエフスキーの周りは,アンナにとって油断のならない親類たちが囲んでいた.彼らはドストエフスキーから金銭をせびり,食い物にしていた.それ故,もしもドストエフスキーが世を去った場合に,彼の著作物の正当な相続者となる新妻のアンナは,彼らにとって邪魔者だったのである.ドストエフスキーは,妻の敵に対して断固たる態度を取ることのできない男だった.いざこざを運命のせいにして手をこまねいているだけで,解決の途を探す能力がなかった.当ブログの筆者は,現代女性ならこのような優柔不断男にはさっさと離婚を言い渡して去るだろうと思う.
 そこでアンナは,親類との軋轢を避けて,ドストエフスキーを連れてヨーロッパに逃れることにした.このアンナの決断に,カーの筆は好意的である.
 
モスクワに十日ほど行った結果として、カトコフからもう千ルーブルがはいることになった。アンナが、外国旅行によってこの家庭的環境から夫を救い出そうという計画を思いついたのも、モスクワにおいてだったらしい。彼女は秘密主義の用心深い性格だったから、計画が充分熱するまでは、これを隠しておきたいところだった。しかし、ペテルブルグに帰った日に、フョードルは家族の集まっているところで、うっかり口をすべらしてしまった。彼はエミリヤに二百ルーブル、パーヴェルに百ルーブル、ニコライに百ルーブル、そして当座の家計の必要に百ルーブル、外国旅行に五百ルーブルとっておこうといった。みんなが口をそろえて騒ぎ立てた。エミリヤは家族の必要をみたすには五百ルーブル以下では駄目だとはっきり宣言した。パーヴェルは二百ルーブルを要求した。忘れられていた債権者も、彼に急に金がはいったことを嗅ぎつけて、五百ルーブルの期限経過の手形を持ち出した。ドストエフスキーは、どれをも断ることもできず、何一つ対策も言い出せなかった。こういうような場合には、自分の失望をただ運命のせいにするほかなかった。
 しかし、頭のよい、意志の強い若妻は、この危なっかしい結婚生活が破滅するか、救われるか、今やその瀬戸際だと決心した。彼女の持ってきたわずかな持参金はピアノとか、ほんの数少ない家具や宝石類に使ってしまった。そこで母の同意を得て、自分のもっている一切を質に入れ、その金で夫を外国に連れて行こうと決心した。二人がモスクワから帰ってきたのはパーム・サンデー (復活祭直前の日曜日) であった。月曜日にはフョードルは家族の要求に屈服した。火曜日にアンナは夫に自分の計画を打明け、彼が躊躇するのをおさえて、必要な旅券入手の手続きを遮二無二やらせた。翌日、商人が来て、アンナの所有品を値踏みし、持ち去る手はずをした。その夕方になって、親戚たちは二人がすぐにヨーロッパに出発するのだとはじめて知っておどろいた。彼らは反対を唱える余裕もなかった。二日前に彼らの要求はみな認められている。この外国旅行の費用が、とうてい自分たちにむかって開かれそうもない財布の所有者から出ることを知って、彼らはせめてもの慰めとした。受難日の午後二時、フョードルとアンナはベルリン行きの汽車にのった。古い伝記作者のいうように債鬼をのがれるためではなく、油断のならぬ執拗な親類からのがれるためであった。二人は四年三カ月の間、ペテルブルグに帰らなかった。アンナは突如として、完全な、決定的な勝利を得たのである。
 
 こうしてアンナは夫を連れてヨーロッパへ逃れた.この旅の途中で二人はラファエロの『システィーナの聖母』を鑑賞する機会を得た.そしてこの絵は,死が彼らを分かつまで,二人を魅了したのであった.
 さてカーの『ドストエフスキー』の十一章はアンナの回想録に基づいて書かれているが,第十二章以降はアンナが遺した日記を出典としている.その日記の日本語訳は『ドストエーフスキイ夫人 アンナの日記』(木下豊房訳,河出書房新社,1979年9月28初版発行;以下単に『アンナの日記』とする) である.以下は『アンナの日記』に拠って記す.
 
 ドストエフスキーとアンナは,一八六七年四月十四日の午後五時にペテルブルグを出発し,フランクフルト,ベルリンを経て,十九日の昼前にドイツのドレスデンに到着した.二人は一休みするとすぐにドレスデン美術館へ出かけた.Wikipedia【ドレスデン】には次の記述がある.
 
ザクセン侯の美術コレクションは現在ツヴィンガー宮殿の一角を占めるドレスデン美術館のアルテ・マイスター絵画館(Alte Meister)などで展示されている。アルテ・マイスターのコレクションの中にはラファエロの「システィーナの聖母」が含まれる。そのほかレンブラント、ルーベンス、ルーカス・クラナッハ、デューラーなどヨーロッパを代表する画家たちの膨大な数の作品が公開されている。この美術館はヨーロッパでも重要なコレクションを有する施設のひとつと言ってよいであろう。
 
『アンナの日記』を読むと,ドストエフスキーは絵画に詳しかったと思われるが,ドレスデン美術館所蔵『システィーナの聖母』を観るの初めてであった.それはアンナの日記に書かれている次の箇所,すなわち彼が館内でアンナを案内する際に絵の展示されている場所を間違ったという記述 (p.12) でわかる.以下の引用文中で,アンナは夫をフェージャと呼んでいる.
 
私たちは急いで支度して、美術館へ出かけた。美術館は宮殿の近くで、劇場に面していた。入場料は五ジルベルグローシ (十五コペイカ)。私たちは中に入って、まずざっと大急ぎで展示を見てまわった。フェージャは間違って、ホルバインの聖母の所へ私を連れてきてしまった。最初その絵は私には大変気に入った (美術館はゴブラン織が展示してある、円屋根で円形の大きな建物を境に二つの部分に分かれていて、一方の隅にホルバインの聖母、もう一方の隅にラファエロの聖母がある)。やっとフェージャは私を聖シストの聖母の所へ連れてきた。これまで見たどんな絵も、これほどの印象を私にあたえてくれたことはなかった。この神々しい顔はなんと美しく、なんと清らかで、そして憂いに満ちていることだろう。その目はなんと柔和で、どれほどの苦しみを秘めていることだろう。フェージャは、聖母の頬笑みには嘆きがこもっているといった (それはとても大きな絵で、ガラス張りの豪華な金の額縁におさめられている。一般に、どのすばらしい絵にも損傷を防ぐために、ガラスがはめこまれている)。絵から少し離れた所に、鑑賞者用のビロード張りの腰掛けがある。この場所で絵を見る人の数は多くないのだが、でもそこに腰をおろして、感慨深そうに聖母をじっと見ている人影がいつも絶えない。聖母に抱かれた幼児は私にはあまり気に入らない。あの子の顔はすこしも子供らしくないとフェージャがいうのは当たっている。聖シクストは実にすばらしい。聖母への敬虔の念にみちた老人の絶妙な顔。聖バルバラは一見美人のようだけれど私には全然気に入らない。彼女はひどく芝居がかって誇張した描き方がされており、そのポーズは不自然。天使たちのうちで私が好きなのは、右側にいて魅惑的な表情で上のほうを眺めている天使。聖シストの聖母の印象に私は圧倒されて、もう他の絵は見る気がしなくなった。
 
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[『システィーナの聖母』;パブリック・ドメイン;Wikimedia File:RAFAEL - Madonna Sixtina (Gemäldegalerie Alter Meister, Dresden, 1513-14. Óleo sobre lienzo, 265 x 196 cm).jpgから引用 ]
 
 アンナが称賛した『聖シストの聖母』(『システィーナの聖母』) は,ドレスデン美術館を構成する十二の美術館の一つであるアルテ・マイスター絵画館の所蔵である.『システィーナの聖母』の前に鑑賞して「気に入った」と日記に書いた「ホルバインの聖母」は,残念ながら引用可能な画像がウェブ上にないようである.その後,ホルバインのこの絵は「気に入らなくなった」と書いている.
『システィーナの聖母』に感動したドストエフスキーとアンナはドレスデン滞在中,何度も繰り返して美術館に出かけ,このラファエロの傑作を鑑賞したとアンナは日記に書いている.そして日記には,アンナは一人でも美術館に行き,有料でラファエロの画集を閲覧した (p.47) とか,『システィーナの聖母』の写真を買おうとした (p.113) となどというくだりがある.
 
今日は私にとって不本意な一日だった。今朝、かなり早く起き、美術館へ出かけるつもりよ、とフェージャにいった。もちろん彼は、それは結構なことだ、と同意してくれた。一時半に家を出たが、聖母の写真を買いたいと思って、途中で一軒の紙店に寄った。当地ではこの種の写真はとても高い。たいして大きくもなくて、あまり似てもいない写真が十Silb.もする。聖シストの聖母は一枚もなかった。夕方までにはとり寄せておきましょう、とのことだった。何も買わないのはぐあいが悪かった。Zauber-Photographien (マジック写真) を見かけた。それは二枚の封筒の組み合わせで、一枚には写真、すなわちワニスがかけられた紙、もう一枚には液をしみこませた紙が入っている。写真を浮き出させるには、ワニスをかけた紙を小皿に置き、その上に液をしみこませた紙を重ねて、水をかける。そうすると写真が見えてくる、という仕掛けだった。これは七・五Silb.で、六組入っていた。もちろん、私はこれを買った。
 
 上の文中,Silb.は,ドイツの通貨単位“SilberGroschen”のことだろう.
 後述するが,ドストエフスキーは晩年に、ある人物から『システィーナの聖母』の高品質写真を贈られた.アンナの回想録に記されているその写真こそが,彼の臨終のときに書斎の壁に飾られていたものである.
 上の日記の記述によれば,当時のドレスデンで販売されていた絵の写真は《たいして大きくもなくて、あまり似てもいない写真が十Silb.も 》したという.ここでよくわからないのは《あまり似てもいない 》写真という表現である.このすぐあとにPhotographienという単語が出て来るところを見ると,これは誤訳ではなく,原文には「絵」ではなく確かに「写真」と書かれていると思われる.肉筆複製画あるいはその印刷物 (つまりレプリカ) なら「似ている」「似ていない」はあるけれど,写真が「似ていない」という意味がわからない.謎である.ちなみに,言うまでもなく,ここでいう写真は白黒写真である.カラー写真が実用になったのは,もう少しあとの時代である.
 この件は,ドストエフスキーの書斎にあった写真に関して,また触れることにする.
 
 さてこの年の六月二十七日 (日記の日付としては二十六日のところに書かれている),ドストエフスキーとアンナの二人は美術館に出かけた.その時のことをアンナは次のように書いている.(p.144)
 
美術館の中はものすごく暑かった。フェージャには例によって、今日は何ひとつ気に入らなかった。前にはすばらしいといっていたものも、今日は見る気もしない様子だった。これは彼にはよくあることで、発作のあとでは印象がまるで変ってしまうのだった。フェージャは聖シストの聖母をまだよく見たことがなかった。というのは遠くにあるので見にくかったし、彼は柄付眼鏡も持っていなかったからである。それで今日、フェージャは聖母をよく見るために、この絵の前の椅子の上に立つことを思いついた。もちろん、ほかの時ならば、フェージャはこんな突拍子もない無作法はやる気にならなかっただろうけれど、今日はそれをやってのけたのだった。私が止めても無駄だった。フェージャのところへ係員がやってきて、そんなことは禁止されています、と注意した。係員が部屋から姿を消してしまうと、フェージャは、外へ連れ出されてもかまわないから、もう一度、椅子にのぼって聖母を見るのだ、といい張り、もしおまえがいやな思いをするのなら、他の部屋へ行っててくれ、といった。私は彼をいらだたせたくなかったので、そのようにした。数分たって、フェージャは、聖母を見たよ、といって、やってきた。フェージャは、自分が外に連れ出されたところで、大した問題じゃない、使用人には使用人根性しかないのだ、などといいはじめた。心の中では、私はフェージャの考えに反対だった。使用人が館内のいろんな無作法を見逃さないようにと命じられていたところで、それは使用人がわるいわけではない。誰もが自分の都合のよいしかたで絵を見ようと考え出したとしたら、まったくとんでもないことになってしまう――それは些細な無秩序ではすまされなくなる。
 
 余談だが,ドストエフスキーという人物は,気に食わぬ他人を理不尽に罵ったり,上の引用文中にあるような非常識なことを平気で行う.その種のことが『アンナの日記』に色々と書かれている.それを記録したアンナは,内心ではドストエフスキーの振る舞いに反対であっても,愛情がそれを上回ってしまっているせいか,許してしまう.ドストエフスキーの小説に興味のない私にはわからぬことであるが,ドストエフスキーを褒めそやす人たちは,ドストエフスキーの人格をどのように評価しているのだろう.ユダヤ差別の件にしてもそうで,ナチスのゲッベルスに影響を与えた,という一点で,私はドストエフスキーを読む気が起きない.
 もう一つ余談.私は,人種や民族や性などについて差別主義傾向のある作家の作品は端から読まないのであるが,以前私が書いた記事にそのような事を書いたら,コメント投稿欄にどこかの無礼な若造が,私の読書に関するポリシーを非難する内容の書き込みをした.それはいかにも頭の悪そうなコメントで,しかもその後,ネチネチと何度も粘着してきたので,それ以来私はブログのコメント投稿欄を閉鎖した.このブログは私の生活と意見の記録なのであるから,私の考えを書く.差別を肯定する者の粘着コメントにつきあっている暇はない.このブログにコメント投稿欄がないのは,そういう事情である.
 
 閑話休題.
 ドストエフスキーが椅子の上に乗って『システィーナの聖母』を観たというエピソードは,実はアンナの回想録 (羽生操による新訳および旧訳,松下裕による新訳および旧訳) には書かれていない.従って,このエピソードの出所とすべきは『アンナの日記』だけである.
 では再び中野京子先生の『欲望の絵画』から,当該箇所を抜き出してみよう.
 
そして一八六七年、ロシアから著名な作家がドレスデンを訪れた。彼はこの作品を見るため何度も所蔵美術館へ通ったのだが、なにしろ縦が二・六メートル以上ある大画面のうえ部屋が薄暗く、目の高さにあるのは聖母の素足あたり。肝心の顔がよく見えない。見たい、知りたい、その欲求抑えがたく、ある日ついに傍の椅子を引き寄せ、その上に乗って観るという暴挙に出た。係員に注意されたのは言うまでもない。だが彼は係員が去ると再び椅子に上がって絵に近づき、後から妻に「マドンナを見たよ」と報告したという。
 ――ドストエフスキー、四十六歳のエピソードである。

 
 上の引用文中,下線の部分は『アンナの日記』に書かれていることと食い違っている.『アンナの日記』では,ドストエフスキーが椅子に乗った理由を「近眼でしかも眼鏡を持っていない」ためであったとしているのに対して,『欲望の絵画』では,絵が大きい上に展示室が薄暗かったためであるとしている.
 ではカーはどのように書いているか.下に松村達雄訳『ドストエフスキー』から抜粋引用するが,松村の翻訳では,この部分は引用文の形となっている.明示していないが,いうまでもなく『アンナの日記』からの引用だとわかる.内容的にも『アンナの日記』と同じである.
 
フョードルにはシスティナのマドンナがよく見えませんでした。近眼で、眼鏡をもっていなかったからです。きょう彼は、もっとよく見るために、絵の前に椅子をおいてその上に立とうと考えました。……私は止めさせようとしましたが駄目でした。画廊の番人がやってきて、そういうことは禁止されていると申しました。番人が部屋から出ていってしまうと、すぐにフョードルは、追い出されたってかまうものか、椅子にのって是非ともマドンナをみたいんだ、もしそれがいやなら、私は次の部屋にいったらいいのだ、といいました……彼をいら立たせたくないので、いわれる通りにしました。やがて彼は私のところに来て、マドンナは見たよ、といいました。
 
 それでは私の手元にある他の翻訳書にはどう書かれているか.
 アンリ・トロワイヤ著,村上香佳子訳『ドストエフスキー伝』は,このエピソードを採用していない.レオニード・ツィプキン著,沼野恭子訳の小説『バーデン・バーデンの夏』は,このエピソードを材料にはしているが大きく書き換えていて実際を知る手掛かりにはなっていない.
 その他の,小林秀雄や埴谷雄高の評論は,ドストエフスキーが『システィーナの聖母』を高く評価していたこと自体を重く見ていないようだ.
 というわけで,私が調べた限りでは,『欲望の絵画』の《彼はこの作品を見るため何度も所蔵美術館へ通ったのだが、なにしろ縦が二・六メートル以上ある大画面のうえ部屋が薄暗く、目の高さにあるのは聖母の素足あたり。肝心の顔がよく見えない。見たい、知りたい、その欲求抑えがたく、ある日ついに傍の椅子を引き寄せ、その上に乗って観るという暴挙に出た 》の下線部は,中野先生の脚色だろうと思われるのである.
 
 次に,《彼はよくよくこの絵のマドンナに呪縛されたのだろう。書斎に本作のレプリカ (聖母子の顔だけを切り取ったもの) を額装して飾り、その絵の真下に置いたソファに横になった姿で亡くなった 》を検証してみよう.
(ドストエフスキーの聖母 (二) へ続く)

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2019年11月 4日 (月)

栗御飯を炊く

 白い米飯がうまいことはもちろんだが,色々な炊き込み御飯やおこわも,季節感の点で捨てがたい.
 秋は銀杏や栗を飯に炊き込むのが最強かと思う.松茸御飯は機会があれば炊くにやぶさかでない,というつもりである.
 実は冷蔵庫に平成三十年産の餅米が二合残っていたので,先日,うるち米と半々にして銀杏御飯を二合炊き,一食分はそれを食べたが,あとは冷凍してある.
 というわけで,今度は栗御飯だ.これで三十年産の餅米は使い終わって,次におこわを炊く時は新米を買う.
 
 まず栗を,藤沢のOKストアへ買いに行く.茨城県産の大粒のものがネット入りで棚に一袋だけあった.水煮にしたものはたくさんあったが,生栗はめんどくさいから敬遠されるのだろうか.
 買った栗一袋は二十五,六粒あったが,皮を剥いたら,中に菌が入ってフカフカに腐っていたのが五粒もあった.まあ,二合の栗御飯に二十粒も入っていれば見劣りはしないだろう.
 
 皮の剥き方.栗をぬるま湯に少時浸しておき,栗の実の尻を少しカットすれば,その切り口から簡単に皮は剥ける.しかし渋皮は包丁で丁寧に取り去るしかなくて,これが疲れる.薄く丁寧に剥かないと,大粒の栗のはずが簡単に小さくなってしまうので,腰痛にならぬよう椅子に腰かけ,ドライアイ気味の老眼をシパシパと瞬かせながら,渋皮を取った.
 私は飯は炊飯器で炊くので,栗の下拵えが終われば,もう栗御飯はできあがったも同然だ.
 
 上に書いたように,うるち米一合と餅米一合を合わせて手早く研ぎ,炊飯器に入れ,水加減をする.柔らかめでも硬めでも,水加減は好き好き.
 これに塩小さじ一杯と,盛田の白醤油特級を小さじ一杯,加える.白醤油でなく淡口醤油でも,もちろんいいが,濃口醤油は栗御飯には向かないと思う.栗御飯は見た目の白いほうがおいしそうだから,濃口醤油しか台所になければ,むしろ塩と昆布で味を調えるというテもある.
 また,炊き込み御飯に,いわゆる出汁醤油の使用は避けたほうがいい.出汁醤油には色々なものがあるが,白出汁でも関東風の麺つゆでも関西の麺つゆでも,ほとんどが液糖 (異性化糖) を添加しているので,余計な甘みが炊き込み御飯の味を損ねるからである.
  
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 炊き上がったら,さっくりと混ぜてできあがり.おかずはキンピラ牛蒡と,キムチ冷奴.
 キンピラはカット野菜で作った.風味には欠けるが簡単だ.老人の昼飯はこんなもんでよし.栗で嵩が増えて,二合も炊けば四食分である.

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2019年11月 3日 (日)

北村薫『中野のお父さんは謎を解くか』

 先日の記事《北村薫『中野のお父さん』》の続き.
 この本に収められた各短編は,オール讀物の2013年1月号から2015年の5月号まで掲載され,単行本は2015年9月に文藝春秋から刊行された.
 シリーズの続編はやはりオール讀物2016年5月号から2018年12月号に掲載され,各短編をまとめた単行本『中野のお父さんは謎を解くか』は,2019年12月に出版された.
 で,前回の記事に私は下のように書いた.
 
その本好き読書好きな読者層に向けて,北村薫が書くとこうなるというのが『中野のお父さん』だ.本作中には志賀直哉,幸田露伴,尾崎一雄などの名が出て来るが,これは『ビブリア古書堂』ファンのツボもしっかと押さえている.
 
 シリーズ第一作と比較すると『中野のお父さんは謎を解くか』は,《北村薫が書くとこうなる 》の度合いが一層強まっている.『ビブリア古書堂』シリーズには,「古書をめぐる物語」という縛りがかかっているのに対して,『中野のお父さん』シリーズは「近代日本の文壇史における〈広く一般には知られていない文学史的出来事〉を巡る物語」と言える.ここで「物語」とは言うものの,『中野のお父さん』シリーズは連続短編であるから,各短編を繋ぐストーリーはそれほど重要なものではない.せいぜいヒロインのラブストーリーがどうなるか,くらいのものである.
 また〈広く一般には知られていない文学史的出来事〉といっても,何か謎があって,それを北村薫が解決したという形のものではない.いわば「知る人ぞ知る」の類である.
 例えば松本清張の「春の血」がトーマス・マンの「欺かれた女」に酷似していると,荒正人が厳しく批判した事件があった.(東京新聞掲載「文壇外文学と読者」,昭和三十四年三月十八日~)
 この批判を受けた松本清張は「春の血」を,それ以後の作品集に収めることをしなかった.
 清張に対する荒正人の批判のことは,私は大学生の頃に耳にしたことがあったが,詳しい事情をこれまで知らずにいた.それが『中野のお父さんは謎を解くか』に事件の経緯が,確からしい推理を含めてはっきりと書かれており,おおそうだったのか,と膝を叩いた.
 この他にも,有名な泉鏡花が徳田秋声を殴打した「事件」は,実は里見弴が「話を盛った」のであるというエピソードなど,不確かだった記憶を修正できたので,大変におもしろかった.
 それから,この本の終わりに近いところで「100万回生きたねこ」について北村薫の解釈が示されている.私は佐野洋子のエッセイはかなり読んできているが,彼女のあまりにも有名な絵本は読んだことがない.しかし北村薫が示した解釈を読んで,このまま読まぬずにいるのは怠慢だろうと反省し,愛蔵するつもりで新品の絵本をAmazonに注文した.ついでに古書の『100万分の1回のねこ』も.芋づる式というか連鎖読書というか,こういうのが読書の醍醐味だろう.


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2019年11月 1日 (金)

日ノ出町のカレー

 何やらテレビを観ているとやたらに食い物のことが取り上げられる.私は食品会社一筋に勤め上げた会社員だったので,食い物の話は好きだし,そこそこの専門知識もある.
 しかし最近の話題でついていけないことがある.スパイスカレーだ.
 市販の即席カレールーを使う家庭料理のカレーや,蕎麦屋の鰹出し風味のカレーは別として,街中の洋食屋のカレーもインド料理店のカレーもスパイシーだ.というか,カレーは本来がスパイシーだ.
 そこへもってきて,スパイシーカレーならぬスパイスカレーとはなんぞや.それじゃあまるで,従来のカレーがスパイスを使っていないみたいじゃないか.それはいったいなんだ.どうにもわからぬ.
 何を食っても「あま~い」としか言えぬ バカ女が 食レポタレントがテレビで「これこそスパイスカレーってかんじですよね! あま~い!」とか言うのを聞くと,日本の料理界における一大トレンド「あま~い」についていけない老人 σ(--) はしみじみと老いた我が身が情けない.
 そこでネットを調べてみた.「スパイスカレーとは」で検索するとトップにヒットする《2017年のカレートレンドは「スパイスカレー」で決定らしい 》(掲載日付 2017年9月19日) によると「定義はない」のだという.とはいうものの何でもアリではなくて,スパイスカレーと呼ばれるに必要な条件は「映える (ばえる) 」ということらしい.なるほど.ということなら私には無縁のことである.どうぞお好きなように.
 
 昨日,横浜市立中央図書館に出かけた.ドストエフスキーの生活に関する文献書籍を調べているのだが,ドストエフスキーの最期を看取ったアンナ・ドストエフスカヤが遺した日記と回想録を借りにいったのである.
 アンナの回想録は何度も邦訳されたのだが,松下裕訳『回想のドストエフスキー 1』(みすず書房,1999年9月10日発行) 以外はすべて手に入れた.これが残ったのは,古書の価格が高かったからである.
 彼女の日記の翻訳書『ドストエーフスキイ夫人 アンナの日記』(河出書房新社,1979年9月28日初版発行) も同じ理由で,図書館で借りて読むことにした.
 私は横浜市民であるが,幸いなことに横浜市図書館と川崎市図書館と協力関係にあるので,私が資料調べに利用するのは神奈川県立図書館と横浜市立図書館,それと川崎市立図書館である.ま,古書が手に入らないときは,だいたいこの三つの図書館の蔵書を借りて用は足りている.これらに蔵書がないものは,よくしたもので国会図書館にデジタルコレクションされていたりする.
 
 数多い横浜市立図書館のうちでは,やはり中央図書館が充実しているようだ.それはありがたいのであるが,この図書館は立地がよくない.
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 上の写真は野毛坂交差点からの遠景だ.奥に見える建物が中央図書館で,手前のレンガ外壁のビルは横浜マンダリンホテルである.
 野毛坂交差点のすぐ近くに横浜市営バス停「野毛坂」 (103,292系統)と同バス停「中央図書館」(89系統) があり,このバス路線付近に住んでいる人は,バスで行くのがよい.
 また横浜駅で京浜急行に乗り換えて来る利用者は日ノ出町駅で降りて五分ほど歩くことになる.改札口を出て大通りを道なりに行くと,マンションの手前に図書館への近道がある.しかしこのショートカットは階段で,腰や脚に障碍がある人は登れない.階段の両側にスロープはあるが,これは二輪車用で,車椅子では登れない.そこで近道をしない人は,そのまま進むと上の写真の野毛坂交差点に達する.
 つまりバスでも京急でも,いずれにせよ図書館へは野毛坂交差点からスロープを上がる必要があるのだ.健常者にはどうってこともない坂だが,障碍者には優しくない.
 桜木町駅からタクシーを利用して坂道をあがったところで降りても,中央図書館の敷地にタクシーは入れないので玄関まで歩かねばならないが,御丁寧に玄関の前には,またまた階段が作られているのである.
 この図書館はバリアフリーという概念が世に知られる前に建設されたのであろうが,林横浜市長は,山下埠頭にカジノを誘致する税金の余裕があるなら,障碍者や高齢者に対してもっと優しくできぬものだろうか.将来建設される賭博場は,きっと万全のバリアフリーであるに違いないが.
 とはいえ横浜市が弱者に何の手も講じていないかというと,そうでもない.図書館の公式サイトに《障害のある方へのサービス 》から下に一部引用する.
 
心身に障害があり図書館への来館が困難な方に、図書や雑誌の配送貸出を行います。
配送貸出のご利用には事前の利用登録が必要です。中央図書館で受け付けています。
ご登録いただけるのは、横浜市内に在住もしくは在学、在勤で、身体障害者手帳・療育手帳(愛の手帳)・精神障害者保健福祉手帳のいずれかの交付を受けている方です。
登録の際は、お名前やご住所などのほか、障害者手帳の区分・等級等を確認させていただきます。
各図書館窓口での貸出と併用することはできません(すでに図書館カードをお持ちの方も、窓口で本を借りることはできなくなります)。
 
 だがこの利用規約には問題点が二つある.一つは,他市町村の人はこのサービスの適用外であること.これは上に述べたように,横浜市民以外の人たちを横浜市立図書館から排除しようとする意図が底にある.
 二つ目は,障碍者がこのサービスに登録すると,窓口で貸出サービスを受けることができなくなることだ.いったん障碍者登録すると,介助者の手を借りて来館し,本を借りることができなくなるのである.このように障碍者と健常者との間に明確な線引きをして,その中間を認めないという理由が私にはわからない.底意地が悪いとしか思えぬ.障碍者に,コストがかかるこのサービスの利用を躊躇させようとの意図なのであろうか.障碍者登録した人が窓口でも貸出サービスを受けられるようにすると,きっと健常者から,不公平だ,逆差別だとクレームがつくだろう.長い事生きてくると,日本人がそのような民度の国民であることがわかってくる.
 さて,事前に中央図書館の公式サイトで,借りたい本を検索し,書誌事項を紙に書いてくると貸出手続きが簡単だ.玄関を入ってすぐのヘルプデスクの係員にその紙を見せると番号札を渡される.すると地下の書庫から本を出してきてくれるから,あとは貸出窓口に設置されているディスプレイに自分の番号が表示されるまで待っていればよろしい.
 
 かようにして私が二冊の本を窓口で受け取ったのは十一時少し前だった.
 リュックに本を入れて図書館を出る.前々から中央図書館の近くに評判のカレー屋があることは知っていたので,そこで昼飯を食うことにした.私は毎日,早朝の四時に朝食を作って摂るので,昼飯はこの時間になる.
 カレー屋の場所は野毛坂交差点のすぐ近くである.十一時に交差点で信号待ちしていると,開店と同時に数人の客が店に入っていくのが見えた.数分後に私がドアを押して店に入ると,既に八人の客が席に着いていて,二人掛けのテーブルが一つ空いているだけであった.
 ラッキーな私がそのテーブルに着くと,あとから若い男女二人連れが入ってきた.彼らは店の女性店員さんに「相席になりますけど,いいでしょうか」と言われ,店員さんが,四人掛けテーブルに着いていた若くて美人 (当社比) のママさんと小さな男の子に「相席お願いしてよろしいですか?」と訊くと,どうぞどうぞという具合になった.
 下の写真,植栽で店名が読めないが,Kikuya Curry という.店のウェブサイトはないので,食べログのコンテンツにリンクを張っておく.
 
20191101b
 
 このカレー屋の献立だが,初見だと少々わかりにくい.「カリー」と書いてあるが,実はいわゆる「スープカレー」である.
 スープは,(1) カシミールカリー,(2) スパイシーなスリランカ風,(3) ストレートな辛さに玉葱の甘さをプラスした和風南蛮,(4) 和風南蛮に生クリームでアレンジしたバター・マサラ,の四種類あって,そのうち一つをチョイスする.カシミールは辛口で,スリランカは中辛だという.
 スープの種類とは別に,スープに入れる具による種類別があり,それは以下の通り.
 
* 野菜・チャナ豆カリー
* ローストチキンカリー
* 豚バラカリー
* ハンバーグカリー
* Ebihotatetako kari
** 牛リブ・カリー
** じゃが芋・ローストチキンカリー
** じゃが芋・豚バラカリー
 
 つまり「豚バラカリーのスリランカを」みたいにオーダーすればいいらしい.
 開店と同時に入った客たちのうちで,男女カップル一組を除いて,あとはみんな店員さんからオーダーの仕方の説明を受けていた.つまり私を含め,ほぼ全員が初めての来店なのであった.口コミサイトで評判のよい店は,こういう客層が押し寄せるものなんだろう.σ(^^)モデス
 ただし ** は,品書きには * とは別枠に書かれているので,もしかすると注文の仕方が違うかも知れない.
 
20191101c
 
 暫く待つと,上の写真の「豚バラカリー,スリランカ風」がテーブルに届けられた.ライスは皿盛りで,スープカレーはオーバルで大きめなグラタン皿に盛りつけてあった.
 ライスは「大・中・小」から選択するが,上述の男の子をつれている美人 (当社比) のママさんは「大」を注文して,お子さんとシェアすると店員さんに言った.ということは「ライスなし」ということも可能なのかも知れない.
 私は「中」を頼んだが,盛りは少なめで,小食の女性でも容易に平らげられるほどの量である.
「豚バラカリー」の豚バラ肉は薄切りではなく,スーパーで「カレー用」と書かれているくらいの大きさにカットされていて,柔らかであった.これに野菜として少量のブロッコリとカリフラワー,ニンジンが入っていた.お値段の割には野菜が少ないかなーという印象.ただし,スープに鶏卵を落としてポーチドエッグにしてあり,これがあるので具がさみしいという感じは免れている.
 ちなみに,ハウス食品の公式サイトに《スープカレーとは?》と題した記事がある.これによると,スープカレーの食べかたは《1. 具材はご飯とは別に食べる 2. スプーンにご飯をとって、カレーに浸して食べる 3. 残りが少なくなってきたらご飯をスープ皿に入れて食べる 》である.実際にそうやって食べると,なるほどねーと思う.例の美人 (当社比) のママさんは,お子さんに「御飯はスープに入れて食べるとおいしいんだよー」と言っていた.いいお母さんである.
 ついでに書くと,私の隣のテーブルには,派手な色のウインドブレーカーを着て,椅子にリュックをどかんと置き,四人掛けテーブルを二人で占領しているアラフィフ婦人たちがいた.たまに見かけますな,街歩きなのにトレッキングみたいな恰好している女性たちが.彼女らはライスの「大」を注文したのだが,料理が運ばれてくると,皿のライスにスープをたっぷりかけて,スプーンで間断なくこねくり回し始めた.たまにいますな,カレーを無意味にずーっとかき混ぜずにはいられぬ人が.
 彼女らは,食べ始めから食べ終わりまで,皿にスプーンが当たる「カチャカチャ」音を,けたたましく店内に響きわたらせ続けた.
 カチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャカチャ…
 首をしめてやろうかと思ったのであります.(了)
20191101d













 

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