« ドストエフスキーの臨終メモ /工事中 10/13更新 | トップページ | 心からはお詫びしたくない人たち »

2019年10月16日 (水)

自由の女神

 中野京子先生の『欲望の絵画』には,これまでに読んだどの御著書でもそうだが,いくつも蒙を啓かれた.
 その一節「革命の高揚感」は,ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』を取り上げている.
 下の画像で,自由の女神の隣にいる少年について先生は次のように書いている.
 
この少年は、『レ・ミゼラブル』(ユゴー作) に登場するパリの浮浪児ガヴローシュの原型と言われる。両親によって「世の中に蹴り捨てられた」ガヴローシュは、「あらゆる子供のうちで最もあわれむべき者のひとり」だったが、優しい心根の主で、困っている人を見れば助けずにおれなかった。革命側の一員として活躍し、戦闘のさなか果敢に銃弾を拾っていて、政府軍に撃ち殺される。十二歳の英雄的な死であった。
 
20191016a
(『民衆を導く自由の女神』;パブリックドメイン,Wikimedia File:Eugène Delacroix - La liberté guidant le peuple.jpgから引用)

 私がこの名画を知ったのは,高校の世界史教科書に掲載されていたからである.油彩画なんて一度も見たことがない田舎の高校生だった私は,教科書の『民衆を導く自由の女神』の小さな画像を見ても,へーと思っただけだった.
 真ん中の女性が右手で打ち振っているのはトリコロールだから,ボンクラ高校生の眼にも,これが自由の擬人化であることは明々白々であったが,しかし私はそれ以上のことを考えようともしなかった.
 今にして思えば,大学入試を世界史で受験するというだけならそれでいいが,世の中に出てから少しは教養を身に着けんとして美術展に出かけても,とりわけ「暗黙の了解事項」の多い西洋絵画ジャンルでは,何の知識も持たずに絵を鑑賞しても,得るものは少ないのであった.それどころか,画家の創作意図を誤解してしまうことだってあり得ると中野先生は指摘している.絵画の研究と批評が学問として成立しているのは,それ故だろう.だから,中野先生だけでなく美術史研究者の著書を読むのは,実におもしろくて,ためになる.
 さてフランス七月革命の戦いで,民衆を導く自由の隣にいる少年のことだ.Wikipedia【民衆を導く自由の女神】には次の記述がある.
 
女性の左隣の二丁拳銃の少年については、誰をイメージしたのかは不明。
レ・ミゼラブルの登場人物ガヴローシュは女神の右前にいる少年にヒントを得て描かれたといわれている。
 
『欲望の名画』にも《この少年は、『レ・ミゼラブル』(ユゴー作) に登場するパリの浮浪児ガヴローシュの原型と言われる 》とある.
 しかし私なんかには,何をどのように調べれば,二丁拳銃の少年が『レ・ミゼラブル』に結びつくのか,皆目わからない.奥が深いなあ.
 ところで古来,泰西名画には下の画像のように神話をモチーフにしたものが多い.
 
20191017a
(『ヴィーナスの誕生』;パブリックドメイン,Wikimedia File:Sandro Botticelli - La nascita di Venere - Google Art Project - edited.jpgから引用)
 
 別の著書で中野京子先生が解説されているところによると,この当時の神話画は,現代の写真集みたいなものだったらしい.美を追求する立場の画家は裸婦を描きたいし,絵画を買う上流階級の人々,というか男たちは,女性の裸体を眺めたかったのである.
 両者のニーズは一致していたが,宗教的な道徳がそれを阻んだ.そこで工夫されたのが神話画だったというわけ.
 ここで話を『民衆を導く自由の女神』に戻す.
 Wikipedia【民衆を導く自由の女神】には次の記述がある.
 
原題のLa Liberté guidant le peupleから分かるように、女性は自由を、乳房は母性すなわち祖国を、という具合に、ドラクロワはこの絵を様々な理念を比喩(アレゴリー)で表現している。
 
 フランス人が女性 (マリアンヌ) の姿で「自由」を象徴したことは大いに納得できるところであるが,《乳房は母性すなわち祖国を 》はどうだろう.民衆を導くためとはいえ,なにも胸をフルオープンにせんでもいいのではあるまいか.つまるところドラクロワは,祖国云々よりも女性の美しい胸を描きたかったのであると私は思う.それが証拠に,マリアンヌの足元に倒れている革命市民の視線は,三色旗ではなくマリアンヌの胸にくぎ付けになっている.革命のさなか,負傷して死を目前にしても男は乳房を見ずにはいられない.ドラクロワの創作意図は,実にこれなのである.ヾ(--;)チガウトオモウ
 
20191017b
(『民衆を導く自由の女神』;パブリックドメイン,Wikimedia File:Eugène Delacroix - La liberté guidant le peuple.jpgを加工した)




|

« ドストエフスキーの臨終メモ /工事中 10/13更新 | トップページ | 心からはお詫びしたくない人たち »

続・晴耕雨読」カテゴリの記事