« パスポート受け取りの日に | トップページ | 袋ラーメンのパック »

2019年10月 6日 (日)

ある説話の検索と発見

 昔の朧げな記憶で,時々思い出すのだが,あまりにも不確かなことなのでそのまま放ってあることがいくつもある.
 そのうちの一つのこと.
 私は前橋市立城南小学校の生徒だった.この学校は国鉄高崎線前橋駅のすぐ南にあったのだが,現在は駅からかなり南に下ったところにある.
 つまり校舎が移転したのであるが,その移転時期がわからない.Wikipedia【前橋市立城南小学校】は,これについて何の記載もない.同小学校の公式サイトの《学校のあゆみ》には,
 
1971 S46年 7月 新校舎地鎮祭
 1973 S48年 1月 プール起工式
        3月 校舎体育館落成式「伸びゆく子」の像除幕式
        7月 プール竣工式
 1974 S49年 2月 50周年記念式典
 
とあるから,なぜか明記はされていないけれど昭和四十九年の二月に「50周年記念」事業として校舎が移転したものと推察される.
 ならばとて検索語を変えて色々試みたが,移転時期についてはっきりしたことはわからなかった.
 
 私の在学時は木造二階建ての校舎で,外壁は木造炭鉱住宅の板壁のようであり,窓枠も木材で,今にして思えば旧陸軍兵舎のほうが余程立派に見えるくらいのボロ校舎だった.市内中心部の他の小中高校は立派な鉄筋校舎だったが,なぜか城南小学校だけ他とひどい格差があった.例えば梅雨時には,窓枠から廊下に雨水が漏れ,水が浸み込んて湿った廊下にはキノコが生えた.まるでサルマタケだ.
 サルマタケが生えた廊下の一番端に図書室があった.私は小学生当時から本が好きであったが,小学生の頃は親がひどい貧乏だったので本を買い与えられることはほとんどなく,それで図書室の本をよく読んだ.たぶん小さな学校図書室の蔵書はあらかた読んだと思う.どんな本を読んだかは,あらかた忘れた.ヾ(--;)
 今でも記憶しているのは,少年少女向けに書かれた白瀬矗中尉の南極探検物語と,対象年齢がわからないが,何冊ものシリーズになっていた仏教説話集であった.
 
 余談だが,NHKが今朝のニュー
スで《「日本南極探検」日本最古の記録映画 公開当時の状態に復元》(2019年10月7日5時49分) を報道した.これまで「日本南極探検」には二つの上映用プリント (東京国立近代美術館と早稲田大学が所蔵) が存在していたが,その後に発見された原形に近いフィルムを一昨年九月に東京国立近代美術館フィルムセンター がデジタル修復した. (《日本初南極探検、鮮明に 最古の記録映画修復》産経ニュース,2017年9月9日 11:37 ) 
 以上のことは既に知られていたので,今朝の報道の意味がよくわからない.一昨年に修復されていたエディションをさらに修復したということであろうか.
 いずれにせよ,日本人として初めて南極探検を試みた偉人の業績を,南極探検後援会 (会長大隈重信) が卑劣にも遊興三昧で食い物にし,白瀬中尉に巨額の借財を負わせた.帰還した白瀬中尉は返済のために奔走し,悲惨な晩年を迎えた.Wikipedia【白瀬矗】は中尉の最期を次のように記している.
 
昭和21年 (1946年) 9月4日、愛知県西加茂郡挙母町 (現・豊田市) の、白瀬の次女が間借りしていた魚料理の仕出屋の一室で死去。享年85。死因は腸閉塞であった。床の間にみかん箱が置かれ、その上にカボチャ二つとナス数個、乾きうどん一把が添えられた祭壇を、弔問するものは少なかった。近隣住民のほとんどが、白瀬矗が住んでいるということを知らなかった。白瀬の死後、遺族はその窮状を見かねた浄覚寺の住職が引き取った。
 
 もちろん私が読んだ白瀬中尉の物語は偉人伝であるから,中尉の悲しい最期は書かれていなかった.たぶんそんなことを書いたら,少年少女はエラくなる意欲を失うからであった.私が事実を知ったのは,ウェブを検索することが容易にできるようになってからのことである.まことに当時,子供を対象にして数多く出版された偉人伝なる書物は,ある事ない事を見境なく書きなぐったひどいものだった.おかげさまで昔のの子供たち σ(--;) は,今では詐欺師,人間の屑,外道,犯罪者などと罵倒される野口英世や島崎藤村を尊敬してしまったのである.
 
 閑話休題
 白瀬中尉の南極探検物語には,小学生の私は実は感動しなかった.しかし,子供向け仏教説話の一つには,いたく心を動かされた.
 どんな話かを大雑把にいうと,ある悪人が西方浄土を目指して歩き,遂に大往生を果たすという物語であった.ディテイルは全く覚えていないのだが,その悪人の,なんというか「ひたむきさ」に胸を打たれたのである.
 以来,子供向けに書き直されたその説話が,元々は一体どんな話であったが,ずっと気になっていた.色々と説話文学について論じる書物を読んでも見つからなかったからである.
 そこでつい先日,本腰を入れてウェブを検索してみた.種々の検索語を入れて絞り込んでみたが見つからない.そこで名詞を用いての「絞り込み」をやめた.単なる状況説明として「仏教説話 × 西へ歩く」を検索窓に入力したのである.
 すると一発でヒットした.その説話は,今昔物語集巻十九「讃岐国多度郡五位聞法即出家語」であった.しかもこの説話は,芥川龍之介が材にして作品としていた.『往生絵巻』である.
『往生絵巻』は青空文庫に収められていたので早速読んでみたが,しかし面白くも何ともない話であった.駄作である.
 原文はないかと探したら,すぐに見つかった.《やたがらすナビ》というサイトのコンテンツ《攷証今昔物語集》に《巻19第14話 讃岐国多度郡五位聞法即出家語 第十四》が掲載されていた.これを読み始めるや,小学校の図書室で読んだときのことが懐かしく思い出された.これだ,これである.私が読んだのはこの説話の現代語訳なのであった.
 この原文は最終更新が2016年2月9日だと記載されている.私の検索がもっと早かったら,この説話原文に出会うことはなかった.このサイトの開設者に深く感謝する.
 この説話は割と知られているものらしく,ある人のブログに,尾崎秀樹による現代語訳が『現代語訳日本の古典〈8〉今昔物語』(1980年) に収録されていると記されていた.しかし原文が入手できたのだから,それを読む必要はない.むしろ底本が違うことによる異同があるかも,と思って池上洵一『今昔物語集 本朝部〈中〉』(岩波文庫) をAmazonで注文した.到着するのが楽しみである.

|

« パスポート受け取りの日に | トップページ | 袋ラーメンのパック »

続・晴耕雨読」カテゴリの記事