小説以前の問題
ここ最近ずっと,小川糸『ツバキ文具店』(幻冬舎文庫) を読んでいるのだが,次から次へと突っ込みどころが出て来るので,なかなか先へ読み進めない.
この作者は,小説を書く以前に一般常識を身につけるべきだったのに,社会人としての訓練を経ずに作家デビューをしてしまったようだ.
小説『ツバキ文具店』の批評は別稿に書くが,それ以前の,この作家は社会人としてどうなの?という点を以下に少し書いておく.
物語の中盤,ツバキ文具店を営む鳩子は,年賀状の宛名書きの仕事で十二月を忙しく過ごした.以下はそれについての一節である.(文庫 p.160)
《なんとか、最後の一枚まで年賀状の宛名を無事に書き終えたのだ。さすがに腕が腱鞘炎を起こし、肩も石のように硬くなっている。》
小川糸は腱鞘炎について知識がないらしい.《腱鞘炎を起こし》と書いておきながら,痛みについては全く触れず,安静にせず抗炎症薬の服薬もせずにほったらかし,それでも支障なく普段と変わらぬ生活をしている.それのどこが腱鞘炎なのか.
Wikipedia【腱鞘炎】から以下に引く.
《腱鞘炎(けんしょうえん)は、腱の周囲を覆う腱鞘(けんしょう)の炎症。症状として、患部の痛みと腫れがあり、患部の動かしづらさが見られる。腱自体の炎症である腱炎(tendinitis)を合併することが多い。 ひどい場合は痺れて動かなくなったり局部が出っ張ったりしてしまう。 部分を冷やしてもあまり変化なく、痛みは長続きする。》
第一三共ヘルスケア社の公式サイトコンテンツ《腱鞘炎の対策》からも引用する.
《腱鞘炎になっているのを放置して、それまでと同様に手や指を使ってしまうと、腫れた腱鞘と腱に摩擦が起こり、さらに腱鞘が厚くなったり腱の表面の傷つきが悪化したりして、症状が強くなってしまいます。治すためには、ただ放置するのではなく、できるだけ動かさないようにし、それまでと同じように手や指を酷使することを避けることが大切です。
もし2週間以上痛みが続いたり、痛みや腫れが強かったりする場合は、整形外科を受診しましょう。》
『ツバキ文具店』の作者は,腱鞘炎を,指が疲れた程度のことだと思い込んでいて,安静と治療を要する状態だとは思ってもいないのである.この手の不用意な言葉遣いがあちこちに出て来るので,ひょっとしたら私の理解が間違っているのかも知れぬと不安になり,資料を調べて確認せにゃならぬので,読み進むのが大変だ.三文作家とはいえ,文章を書く時は言葉の意味を調べてから書けと言いたい.
さて年明けに鳩子は女友達と鎌倉七福神巡りをすることになったが,そこに通称「男爵」という男が加わることになった.この男は鳩子の祖母の知人で,鎌倉の地元では有名人であるという設定だ.
《そう言うそばから、懐のタバコを取り出し口にくわえた。鎌倉は条例で路上喫煙が禁止されているはずだと思ったが、仕返しがこわいので黙っていた。北鎌倉だって、例外ではない。
男爵が半分も吸い終わらないうち、パンティーが颯爽と改札から現れる。パンティーが歩く姿は、ゴム毬がぴょんぴょん跳ねているように見える。体中に存在するあらゆる突起物が皆一様に揺れるのだ。
男爵が、慌てて地面にタバコを落とし、スニーカーの底でもみ消した。そのままポイ捨てでもしようものなら即刻注意しようと意気込んでいたら、男爵は火の消えたばかりのタバコの吸い殻を拾い上げ、着物の袖のたもとに用意していた自分の携帯灰皿に投げ入れる。一応のマナーは心得ているらしい。》
上の引用箇所は,女性作家とは思えぬ下品な表現だが,それはともかく,資料を調べずに雑な文章を書き飛ばす物書きというものは始末に負えない。
まず,鎌倉市には「鎌倉市路上喫煙の防止に関する条例 (平成20年9月29日条例第9号)」があるが,この条例は
《第6条 市長は、市民等の身体の安全及び快適な生活環境を保持するため、特に路上喫煙を禁止する必要があると認める区域を路上喫煙禁止区域(以下「禁止区域」という。)として指定することができる。》
としており,路上喫煙を禁止しているのではなく,路上喫煙禁止区域としてJR鎌倉駅周辺と同大船駅周辺のみを指定し,両駅周辺の禁止区域外では単に《第5条 市民等は、路上喫煙をしないよう努めなければならない》として,努力義務を課しているだけである.すなわち《鎌倉は条例で路上喫煙が禁止されているはずだ 》と《北鎌倉だって、例外ではない》は全くの嘘である.(ちなみに市内全域で路上喫煙禁止を望む市民の声はあるが,市当局は消極的である)
作者小川糸は鎌倉市民ではないが,それならば一層,いい加減な嘘を書き飛ばすのではなく,鎌倉のことについてよく調べてから書かねばならない.
だが,そのことはまだよしとして,見逃せぬのは
《男爵が、慌てて地面にタバコを落とし、スニーカーの底でもみ消した。(中略) 男爵は火の消えたばかりのタバコの吸い殻を拾い上げ、着物の袖のたもとに用意していた自分の携帯灰皿に投げ入れる。一応のマナーは心得ているらしい》
と書いていることだ.
この箇所の何が問題か.タチの悪い喫煙者がやりがちなことに,建物の壁に吸いかけを擦り付けるとか,「男爵」のように吸いかけを道路に落として踏みつけて火を消す,という喫煙マナー違反があるのだ.
携帯灰皿は,どんな製品でも持っていればいいというものではない.携帯灰皿には三つのタイプがあり,一つは金属製で懐中時計のようなフタが付いている.このタイプは,火のついてタバコの先を押し付けるようにして火を消すことができる.(例)
もう一つはビニール製の袋で,開口部にバネが入っている.内側に厚手のアルミ箔が張られているので吸いかけを中に入れて外から押しつぶすと火を消すことができる.(例)
もう一つは,上の二タイプとは異なってタバコの火を消す機能を持たない,単なる吸い殻入れである.このタイプの携帯灰皿を持っている喫煙者が,実はタチが悪い.こういう連中は『ツバキ文具店』の「男爵」のように,喫煙後に吸いかけをポイと路上に捨てて靴で踏んで火を消す.そしてフィルター部分は拾うが,靴で火をもみ消したときに散らばったタバコのクズ (未燃焼) を路上に残して行く.「男爵」のような男が悪質だというのは,愛犬家が犬を連れて散歩しているときに,毒性の強いタバコのクズを犬が口に入れてしまう可能性があるからだ.
小川糸は,「男爵」が《一応のマナーは心得ているらしい 》と書いて,喫煙マナー知らずで公衆道徳のない男を庇っている.まことに不届きであるが,おそらく小川糸は喫煙者ではない.路上喫煙に関する条例の内容が地方自治体によってさまざまであるのは常識だ.調べもせずに《禁止されているはず 》と書いてしまう頭の軽さには驚く.また喫煙マナーとは何かも知らないくせに,喫煙の場面をを書くから無知丸出しの文章になってしまうのである.
しかも,作者が喫煙について無知とはいえ,「男爵」を喫煙者に設定し,「男爵」が北鎌倉駅前で喫煙マナーに反する行為をするという描写をしたからには,それが伏線としてこのあとのストーリーにおいてどんな展開をするかと思いきや,何も起きないのである.この小説は,「男爵」の喫煙についての描写を完全に削除しても,全く問題がない.つまりこの「男爵」の喫煙部分は,原稿を水増しするために書かれたのである.また別稿で触れるが,この種の字数稼ぎの水増しは『ツバキ文具店』の他の箇所にもある.このような水ぶくれして緩みきった小説を長々と読まされた読者は唖然とするほかはない.
資料を調べもせずにテキトーに書きなぐった小説以前の雑文が2017年本屋大賞第四位だというから,書店員の批評力も大したことはないなあ,と私は天を仰ぐ.
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