雪ひら
先日の記事《武士の献立 》の冒頭で,行平について次のように書いた.
《私が行平のことを知ったのは,四十年ほど前に読んだ大橋鎮子さんの随筆に書かれていたからである.本が手元にないので確認していないが,たぶん『すてきなあなたに』の最初の一冊だったかと思う.》
『すてきなあなたに』について調べてみたら,第一巻は昭和四十四年 (1969年) から四十九年 (1974年) までの連載をまとめたものであった.昭和四十七年に就職した私が会社の独身寮にいた頃,『暮しの手帳』を購読していた.『暮しの手帳』は若い男の読む雑誌ではなかったが,その頃,少しばかりイラストを描くのを趣味にしていた私は,花森安治が描く『暮しの手帳』の表紙が好きだったのである.この雑誌の編集方針に共感していたし,花森安治その人に対する尊敬もあった.
もちろん『一銭五厘の旗』は既に読んでいた.花森がすべての頁のイラストを描き,装釘も行った『すてきなあなたに』も出版されてすぐに買って読んだ.そして読み終えた本を,後に妻となった人に贈った.
そんな思い出があったので,また読んでみようとネットで古書を買った.届いたのは平成八年 (1996年) の第三十六刷で,二十年以上も前の出版とは思えない美本であった.木端木口のパリパリした感じからすると,もしかすると新刊書店から出たものかも知れない.印刷用紙は全く変色しておらず,非常に高品質の紙が使われているようだ.
さて『すてきなあなたに』を開いたら,大橋鎮子さんが行平のことを書いたエッセイはすぐに見つかった.タイトルは「雪ひら」だった.書き出しのところを引用する.
《そのゆきひらに〈行平〉と、こんな字をあてることは、知りませんでした。
雪のちらちらする夜、はねる炭火をよけながら、七輪に、あの分厚いおなべをのせて、ぷつぷつとおじやをつくった。お雑炊におもちを入れてあたたまった……。そんな記憶が、きっとひらりと舞って落ちる雪のひとひらに重なって、私はながいこと、〈雪ひら〉という字を当てていました。》
どうだろう.雪ひら.私は大橋鎮子さんのこの文章にうなずいて,二十数年も忘れずにいたのだった.
その二十数年のあいだに,私の記憶の中で,おじやはお粥に変わってしまったが,それはたぶん私よりも上の世代の人たちから,お粥は行平で炊くのがおいしいと聞いたことがまざったのだろう.
おじやと餅入り雑炊の他に,大橋さんは,〈雪ひら〉で作るものを挙げている.
《あり合わせの大根やお芋を、しんみり煮きこんだり、気分をかえて、洋風のクリーム煮や、野菜のスープ煮をしてみたりしています。》
私はしたことはないが,塩昆布を煮き上げるのにもよいそうだ.詳しいレシピが「雪ひら」に書かれている.
根菜の煮物もスープ煮も,どれも弱火で長いことコトコトと煮るのが,いかにも行平らしいのだと思われる.そのような煮物の作り方は,熱容量の小さな薄手の鍋には似つかわしくない.Wikipedia【鍋】の《雪平 (行平) 鍋 (ゆきひらなべ)》項目に書かれている説明は,昭和生まれの私たちからすると間違いなのである.
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