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2019年9月

2019年9月29日 (日)

アンフェア

 去年の少し古い話だが,飲食業界誌「Foodist」に《ホリエモンの「ヴィーガンは健康に悪い」発言に、文教大准教授「栄養学的根拠ない、思い込み」》と題した記事が掲載された.(2018年04月26日掲載)
 同記事の冒頭は以下の通り.
 
実業家の堀江貴文氏(45)が自身のツイッターで絶対菜食主義者・ヴィーガンについて「ヴィーガンとかまじ健康に悪いと思うよ」とつぶやいたことが話題になっている。これに対し非難するコメントが次々と寄せられたが、「こんな奴らのために美味しい肉を食べられない世の中にしたくないので、徹底的に潰します」と反発。もっともこの問題について栄養学の専門家である文教大学健康栄養学部の岩井達(いわい さとる)准教授は堀江氏の発言を「栄養学的に根拠がない」とする。ホリエモンのヴィーガン批判について同准教授に話を聞いた。
 
「Foodist」誌がインタビューをした岩井達氏のプロフィルは次の通り.氏は私と同年の生まれの高齢者である.学位が記載されていないところを見ると,高齢でありながら学位なしで准教授というポストに就いた特殊な人物である.
 
岩井達(いわい さとる)
1950年生まれ、米カリフォルニア州ローマリンダ大学卒業。東京ヒルトンホテルにて調理師、米カリフォルニア州の給食会社でヘッドクックを経て1987年から東京衛生病院に勤務し、栄養科長等を務める。2004年神奈川県立保健福祉大学兼任講師、その後、多くの大学で講師を務め、2014年から文教大学栄養学部准教授。「日本人青年期女性におけるベジタリアンダイエットが栄養摂取状況及び骨密度に及ぼす影響」(ベジタリアン・リサーチ、2010年)など論文多数。
 
 さて同記事は堀江貴文について,個人的嗜好とビジネスの両方で肉食を推奨推進する立場にあると紹介したあと,岩井氏については次のように書いた.
 
一方の岩井逹氏は「私は、いわゆるベジタリアンではありません」と話している。つまり、堀江氏から攻撃を受けたヴィーガンのサイドに立っているわけではない。アカデミックな立場から、栄養学的観点で客観的に分析する立場にあるとみていい。》(文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
 岩井氏が所属する文教大学が行った公開講座の講師紹介には次のようにある.
 
文教大学健康栄養学部准教授。東京ヒルトンホテルでコック修業。米国留学でフードサービスと管理栄養士課程で学位を取得。米国では、大学・給食会社・病院で勤務。神戸及び東京の病院で栄養科長を30年勤める。その間、給食会社の顧問、非常勤講師として各大学で教弁をとる。2011年より、現職。生涯ワークとして「穀菜果食」の啓蒙・普及活動をしている。》(文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
 この文中の「穀菜果食」とは何か.かつて岩井氏が栄養科長をしていた東京衛生病院のサイトから下に引用する.
 
[1] 当院では入院患者様に穀菜果食をご提供しています。
当院では、開設以来、入院患者様及び職員に対して『穀菜果食』を提供しています。当院の穀菜果食は、植物性食品を中心とした食事に卵と乳製品を加えたベジタリアンです。どなたにも馴染みやすく、栄養的にも大変優れた食事です。また、世界各国の多くの研究で、生活習慣病の予防および改善に効果があることが証明されています。》(文字の着色は当ブログの筆者が行った)
[2] 開院以来続く菜食主義の病院食――渡邉恵一・東京衛生病院栄養科長に聞く
東京衛生病院は、1929年(昭和4)の開院以来、植物性食品を中心に卵と乳製品を加えた「穀菜果食」の病院食を提供し続けている。
 
 以上をまとめると,岩井達氏は,自分が菜食主義者ではないのに,ライフワークとして菜食主義の啓蒙・普及活動をしていることになる.病院の入院患者に,自分は実行していない菜食主義を勧めてきたのである.
 いや持って回った表現はやめる.岩井氏は菜食主義者である.しかしメディアに対しては,自分が菜食主義者であることを隠している.発言の中立性を装うためであろう.こういう人間を世間ではペテン師という.
 
 さて,岩井氏は取材に対して次のように見解を述べた.
 
堀江氏のヴィーガン不健康論については、動物性たんぱくや動物性脂肪を十分に摂取しないことでたんぱく質が不足するという点を指している可能性はある。しかし、この場合でも現代の日本人は動物性タンパク質を摂取しすぎであることの問題点の方が大きいとする。タンパク質は分子が大きく腎臓で血液を濾過する時に、腎臓を痛める危険性を内包。近年タンパク質の過剰摂取による腎臓病も増えており、ヴィーガンはその側面から見た場合でも肉を過剰摂取している者より、よほど危険が少ないというのが岩井氏の結論である。
動物性脂肪についても現代人は摂取しすぎで、戦後、食生活の変化により炭水化物の代わりに動物性脂肪をとる傾向が顕著になって、その結果糖尿病が増加した。植物性食品を中心にした方が生活習慣病の発症の可能性が低いのはよく知られた事実だろう。
 
 桜美林大学名誉教授・柴田博先生の講演資料《高齢者栄養におけるタンパク質の重要性》から図2を下に引用する.この図は柴田先生のオリジナルで,他の文献に引用されることの多い資料である.
  
20190929b
 この図のキャプションは次の通りである.
 
古来より日本人は、タンパク源は植物性 (主に大豆) でした。しかし、徐々に動物性タンパク質 (牛乳や肉) の摂取量が増え、1980年頃には逆転現象が見られます (図2)。1981年、日本の平均寿命が世界のトップランクに入った時期と重なります。
 
 図2は1995年までのデータであるが,その後のデータに関しては,株式会社明治の公式サイトのコンテンツ《長生きの秘けつは動物性たんぱく質 食生活の傾向が変わり、世界一の長寿国に》に「日本人の1人1日あたりの動物性たんぱく質と植物性たんぱく質摂取量の推移」という概略図が掲載されている.その図によると,1995年以降も植物性たんぱく質よりも動物性たんぱく質摂取がやや多い状態で現在まで推移しているが,日本人の平均余命は漸増を続けている.このことからすると,岩井氏の主張《現代の日本人は動物性タンパク質を摂取しすぎであることの問題点の方が大きい 》は,その問題点とは何かを明らかに示す必要がある.
 また《戦後、食生活の変化により炭水化物の代わりに動物性脂肪をとる傾向が顕著になって、その結果糖尿病が増加した》とも主張しているが,動物性脂肪が糖尿病の原因だという見解は,岩井氏の独自研究である.なぜなら糖尿病発症の主因は,糖質の過剰摂取による高血糖状態が持続することであるからだ.
 以上に述べたように岩井達氏は,菜食主義者でありながらそれを隠して,動物性たんぱく質と動物性脂肪について根拠のない誹謗をしている.これをアンフェアという.

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2019年9月28日 (土)

立ち食い蕎麦 三百円の壁の嘘

 ITmedia ビジネスオンラインの記事《消費増税で「1杯のかけそば」の価格はどうなる? ゆで太郎、小諸そば、富士そばの対応 》(掲載 2019/09/27 15:44) を読んで,疑問に思ったことがある.
 同記事は,来月実施される消費税増税に伴って,大手の蕎麦屋チェーン (「名代 富士そば」「ゆで太郎」はほぼ全店が椅子に腰かける席であり,「小諸そば」も多くが椅子のある店なので,これらを「立ち食い蕎麦屋チェーン」と呼ぶのは実情と合わないため,ここでは「蕎麦屋チェーン」としておく) が価格をどうするかについて書いたものである.
 テレビの情報番組は消費税の増税のことよりも,キャッシュレス・ポイント還元事業のことばかり放送しているが,同事業は中小・小規模事業者が対象なので,大手の蕎麦屋チェーンの利用者には恩恵がない.
 そもそも蕎麦屋チェーンは,「名代 富士そば」が辛うじて交通系電子マネーに対応の食券自販機を有しているが,「ゆで太郎」はキャッシュレス決済に食券自販機が非対応で,「小諸そば」はエキナカの店舗を除いて非対応らしい.(公表データがない) キャッシュレス・ポイント還元事業に参加する以前の状況であるようだ.
 ちなみに牛丼チェーンは,「吉野家」「松屋」「すき屋」はキャッシュレス決済 (クレジットカード,電子マネー,各種QRコード決済) に対応しているが,「なか卯」は現金のみ.「吉野家」「松屋」「すき屋」はキャッシュレス・ポイント還元事業に不参加だが,「吉野家」は独自の消費者還元を検討するという.(テレ朝news, 2019/9/6)
 さてITmedia ビジネスオンラインの記事によると,蕎麦屋チェーンの十月以降の価格は次の通りだ.
 
[1]
値上げに踏み切るのは、富士そばとゆで太郎だ。富士そばは「かけそば」(税込300円、以下同)を310円に値上げする。また、ゆで太郎は「かけ」(320円)を340円に値上げする。消費増税や原材料費の高騰が理由だという。ゆで太郎は、「ゆで太郎システム」(東京都品川区)が運営する店舗と、信越食品(東京都大田区)が運営する店舗がある。後者のゆで太郎の場合、「ダブルかつ丼」(800円)やトッピングの「海老天」(150円)などは据え置くが、セットメニューや丼物などは10~20円程度値上げを行う。また、これまで無料だった追加ネギを50円(30グラム)で提供するという。
 小諸そばはメインとなる「かけ」や「もり」(いずれも290円)の価格を据え置く。一方で「たぬき」(340円)を350円に値上げするなど、メリハリをつける。また、持ち帰り商品については、店内価格と同一価格にする。
[2]
ゆで太郎システムの池田智昭社長は、数年前にもりそばを290円から320円に値上げした際、売り上げへの影響が1年近く続いたと東洋経済オンラインの対談で語っている。260円から290円に値上げした際には大きな影響がなかったため、「正直、泣きそうになりました」と述べている。立ち食いそばチェーンにとって、「300円」の壁は大きいようだ(参考記事:「30円の値上げが立ち食いそばの死活問題なワケ」)。
 
 上記引用の[1]では「名代 富士そば」は「かけそば」(税込三百円) を三百十円に,「ゆで太郎」は「かけ」(三百二十円) を三百四十円に,それぞれ値上げするとある.店舗数一位の「ゆで太郎」は元々「かけ」が三百円以上だったし,二位「名代 富士そば」は今回の値上げで三百円以上となる.
 それなのにITmedia ビジネスオンラインの記事[2]は,不思議なことに《立ち食いそばチェーンにとって、「300円」の壁は大きいようだ 》としている.業界のトップ二社の最低価格が三百円以上であるのに,三位の「小諸そば」が最低価格を二百九十円に据え置くことをもってして,立ち食いそばには三百円の壁があると主張しているわけだ.正しくは,『「小諸そば」にとって、「300円」の壁は大きいようだ』としなければいけない.
 こういう矛盾したことを書いて平気なライターの頭の中には「かけそばは三百円以下」というドグマがあって,それに合致しない現実は無視するのである.
 この不思議頭のライターが参考にしたという《30円の値上げが立ち食いそばの死活問題なワケ ゆで太郎・富士そば社長対談(上)》と《店舗数を急激に増やす飲食店はだいたい危ない ゆで太郎・富士そば社長対談(下)》を読んでみると,「ゆで太郎」が前回の値上げ後に売り上げが低迷したのは,自社の都合 (採算性の改善を意図したのだろう) による値上げが,顧客の支持を失ったかららしい.しかし今回,「ゆで太郎」「名代 富士そば」の両社長は,増税という大義名分がプラスに働き,値上げが通るとみている.両チェーンとも,増税のドサクサに紛 増税分以上の値上げを行うわけだ.当事者たちは,かけ蕎麦に三百円の壁があるなんて思っていないのに,部外者のライターが独断を述べたのが《消費増税で「1杯のかけそば」の価格はどうなる? ゆで太郎、小諸そば、富士そばの対応》という記事の中身なのであった.
 実はネット記事には,この手の独断が多い.その文章中に既に矛盾があるようなものは調べれば馬脚があらわれるから,だまされないようにしたいものだ.

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2019年9月27日 (金)

キャッシュレス決済

 テレビの情報番組は今,キャッシュレス・ポイント還元の話で持ち切りだ.「どうすればお得か」という方法を解説してくれるわけだが,必ずしも解説者によって意見が一致しているのではないから,視聴者は困っているのではないか.(*追記あり)
 文藝春秋の十月号に成毛眞氏が「Suicaが最強のキャッシュレス決済だ」を書いている.特に専門知識がないと理解できない話ではなく,一般人読者の私にもよくわかる.氏の見解にほとんど同感だが,それはどうかな,と思うこともあるので以下に雑感を.
 成毛氏は,以前から現金を使うのは地方の土産物屋くらいのもので,普段は現金をほとんど使わない.買い物には主にSuicaを使用し,高額商品の購入にはクレジッカードを使っているという.
 買い物の決済に何を使うかは,世代によってかなり違うだろう.住んでいる環境によっても違うだろう.
「Suicaが最強のキャッシュレス決済だ」は誤りだと断言するつもりはないのだが,首都圏に住んでいるとSuicaが強力な決済手段であるが,地方へ行くととたんにSuicaが無力になって驚くことがある.
 例えば,少し前に徳島県の大塚国際美術館に出かけたとき,美術館までの路線バス料金の支払いは,現金と紙の回数券だけだった.私はほんの少しの小銭しか持たずに乗ってしまったのでかなり慌てた.それで,この時は途中でバスを降りて土産物屋で鳴門名産のワカメなんかを買って千円札を崩した.この時のバスドライバーさんがとてもいい人で,私が札を崩してバスに戻るまで待っていてくれた.徳島は,電子マネーは通用しないが人柄のよい土地なのであった.(2019年5月31日から徳島駅前の案内所では乗車券と回数券をクレジットカードまたは電子マネーで購入できるようになったが,依然としてバス内では現金のみ)
 また例えば,長野市の善光寺へお詣りした時のこと.長野市は大きな地方都市だと思っていたのに,Suicaが普及していないので心底驚いた.バス運賃は,現金または長野市内でのみ通用するバス専用のICカード「KURURU」でしか支払えないのだ.商店街でもコンビニ以外ではSuicaは使えない.それなのに街を歩いてもコンビニがあまり見当たらない.w
 後で調べると,長野市当局が作成した「ICカード導入に向けた検討」という資料が見つかった.この資料中に「想定されるICカードシステムのケース比較」という表がある.この資料は,交通機関にICカードシステムを導入するに際して,ユーザーにとっての利便性の点ではSuicaとの完全互換が圧倒的に優れている (地域住民◎,観光客◎) としておきながら,交通機関側の都合 (システム開発が楽チン,導入コストが安い) で,互換性ゼロの独自仕様を採用した経緯を説明している.市当局の,地域住民や観光客のことなんぞ頭にない思考方法がよくわかるので,なかなかおもしろい資料だ.行政がこんな状態だから,田舎だとブロガーが嘆いている.(←ブログ記事《SuicaエリアとバスのICカード》)
 長野県内自治体の交通機関がガラパゴス化したのには,長野県内の駅改札でSuicaが使えないから,という理由があるらしい.Suicaの利便性自体が高くないというのだ.しかしまあ,それは遅かれ早かれ自動改札になるのだから,先を見越してSuica互換にしておけばいいだけの話だ.要するに地方はクルマ社会で,交通機関にICカードを導入しても乗客が増えるわけではないから,そのような利益の出ないコストを負担したくないというのがホンネなんだろう.(Suica自体が日本独自のガラパゴス仕様〈=Felica〉だという人もいるが,それならばKURURUはガラパゴスの自乗だろう)
 似たことは米原市に行った際にも経験した.米原駅周辺にはセブン-イレブンが一つあるだけで,商店街すらない.お隣の観光地,長浜も似たようなもんだ.このようなさびれた地方都市では,現金が最強の決済手段であり,キャッシュレス決済なんてのは絵空事だろうと思う.
 絵空事といえば,JCBカードのテレビCM「第3弾 キャッシュレス定食」篇だ.大都市のオフィス街にある定食屋風内装のレストランならともかく,下町の大衆的価格の定食屋でJCBカード (QUICPAY) が使えるようになる時代は永劫こないと私は思う.客層が違うから.
 
 話が横道に逸れた.成毛氏は私より少し若い世代だが,Suicaとクレジットカードで買い物の支払いをするあたりは,私たち高齢者と同じだ.年齢よりも爺むさい成毛氏は,乱立しているQRコード決済を使う必要はないと断言する.理由は《支払いが完了するまでに手間と時間がかかりすぎる 》である.まことに同感であるが,しかしこれこそが,この文の冒頭で「それはどうかな,と思うこともある」と書いた,そのことなのである.
 QRコード決済は,かかる手間と時間の点で現金支払いよりも後退しているから普及しないと成毛氏は言う.しかしQRコード決済事業者がターゲットにしているのは,日常いついかなる時も片手にスマホを持って離さない人々である.彼らは若く,人生の残り時間はやたらと長い.それにくらべれば,コンビニのレジでバイトの兄ちゃんにQRコードを読み取ってもらう手間と時間なんか,ほんの一瞬だ.お得なクーポンを探すのだって,我々年寄りはめんどくさがるが,若い人たちは手間を気にしてなんかいないように見える.
 成毛氏は,ビジネス社会の最前線にいる人だから,いつでもどこでもスマホで動画を見ながらノロノロ歩いている若い世代とは,時間の感覚が違うと思う.いわばサイボーグ002が加速装置をオンにしたようなものだ.
 それに加えて,わずかな時間と手間を我慢できずに,短気に癇癪を起すのが爺いというものだ.QRコード決済の手間と所要時間が面倒だと成毛氏は書いているが,加速装置に老人性の短気がブーストをかけているのかも知れない.
 
 成毛氏の記事の見出しは「Suicaが最強のキャッシュレス決済だ」だが,実は中身を読んでみるとホンネは違うようだ.
不思議でならないのは、これほどの優位性を持つ決済手段があるにもかかわらず、JR東日本は積極的にSuicaのシェア拡大に取り組んでいるようには見えません。
《(Suicaがシェアを拡大するために) どうすればいいのでしょうか。答えは一つしかありません。Suica払いできるお店の数を増やすために、小売店に読み取り端末を無料で配るのです。
 
 まさしくSuicaの致命的に近い欠点は,Suicaの使える店が限られていることだ.(Suicaの使える店)
 私の生活圏である藤沢駅周辺でも,商店街のおいしい飲食店とか鮮度のいい魚屋などの小事業者では使えない.成毛氏が言うようにJR東日本が読み取り端末を無料で商店街にバラ撒いてくれれば,その時こそSuicaが最強のキャッシュレス決済手段になるだろう.しかしJR東日本の関心は都市部のエキナカ開発に向いているようで,地方の街ナカには無関心のように見える.JR東日本が街ナカでのSuica普及に力を入れない限り,いつまで経っても地方では現金が最強だろう.
 私たちがキャッシュレスで生活したければ,少額でもクレジットカードを使うしかないように思われる.しかしスーパーやデパ地下ではクレジットカードは使えるが,街の魚屋さんでは現金オンリーなのが現実である.人気のあるよい商店は,わざわざクレジットカードを導入しなくても客が来てくれるからだ.
  
(追記)
 日本テレビの朝の情報番組「スッキリ」で,「情報キャスター」が各種のキャッシュレス決済について説明した.MCの加藤浩次がSuicaを多用していると言うと,「情報キャスター」はSuicaはダメだと言った.Suicaは買い物でポイントを貯めても自動的にSuicaにチャージされないから,その手間が面倒で結局ポイントを捨てることになってしまうという.そこで加藤浩次が「買い物はスマホのアプリで,電車に乗るのはSuicaでと,分けたほうがいいのかな?」と言うと,「そうです」という結論で終わった.これを見ていた私は,情報番組のスタッフたちは文藝春秋くらい読めと言いたくなった.




 

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2019年9月25日 (水)

日本大通り THE HOF BRAU

 そろそろ東南アジアは乾季だ.ベトナム観光のツアーを探したところ,手ごろな価格のツアーがあったのでネットで申し込んだ.すると手続きの途中に「パスポートの残存期間が六ヶ月以上あることが必要」とあった.
 パスポートを取り出して調べたら,来年の二月で失効することがわかった.一ヶ月足りない.
 このパスポートを作ってから,もう十年も経ったのかー.しみじみとしながら神奈川県パスポーセンターの公式サイトにアクセスし,切換 (更新) 申請書類を作成した.正確にいうとパスポートには有効期間中であっても「更新」という概念はなくて,その有効なパスポートを破棄して,新しく作ったパスポートに「切換」るということになる.でも必要書類が少なくて (本人確認書類不要,戸籍抄本不要),新規作成よりも簡単なので「更新」という人もいる.
 
 私がパスポートを初めて作ったのは遅くて,三十歳を過ぎていた.私と同じ世代には,学部や大学院の在学中に欧米に留学したり,今でいう学生ボランティアとして発展途上国に出かけた人たちがいた.現在のように盆暮れの休暇に大挙して海外へ遊びに行く時代ではなかったから,留学にせよボランティアにせよ,彼らは勇気があったと思う.
 "If an ass goes a travelling, he'll not come home a horse. " という英語の諺がある.「ロバが旅に出たとて,馬になって戻ってくるわけはない」という意味だ.旅にも色々あるけれど,旅を「海外で暮らして異文化に触れる経験をする」ということに限れば,行かないよりは行ったほうがいいと私は思う.諺の通り,ロバは結局,ロバだとしても,しかし旅に出るロバは偉い.私には海外で暮らす勇気がなかったから,遂に旅に出ないロバでしかなかった.人生にいくつも後悔はあるけれど,海外経験をしなかったことはその一つだ.
 さて私が一冊目のパスポートを作った頃,神奈川県パスポートセンターは窓口の数が少なかった.しかも昼休みは受付の時間外になってしまう.窓口にはカーテンがあって,十二時少し前になると,シャーっと音を立てて全部閉まってしまうのだ.当時のお役所はみんなそうだったから,私たちも不思議には思わなかったけれど.
 それが今ではどうだ.申請者の列に並ぶと,まず整理券発行窓口で書類の不備・不足がチェックされる.申請者は指摘された不備を訂正してまたチェックを受け,OKが出ると,整理券を持って申請の窓口の前で待機する.この段階の手続きは,あらかじめパスポートセンターのサイトで申請書を作成してダウンロードし,印刷したものを持ってくればノーミスだから,チェックは一分もかからない.
 申請窓口は十四もある上に,書類審査は整理券発行窓口で実質的には済んでいるから,処理は流れるように進む.実に合理的にできている.私が初めてパスポートを作った三十年以上前の大昔とは大違いだ.
 
 それでも申請者の数は多いから,昼前の十一時を過ぎると待機人数が増える.そこで公式サイトには親切に,十一時前に来ることを勧めると書かれている.私はこの日,東海道線で横浜へ行き,みなとみらい線に乗り換えて日本大通り駅で下車した.地下の駅から地上に出ると,数人の婦人が立っていて「私たちはボランティアで道案内をしています」と声をかけられた.パスポートセンターへ行きます,と答えると「ここを右に歩いた二つ目の信号で,道の向こう側に渡って,そのまま行くとビルがあって,その二階です」と言う.それは私が歩きたい道とは違うので,「ありがとう」とお礼を言い,無視して別の道を歩いた.ヾ(--;)オイオイ
 産業貿易センタービル (産貿ビル) 二階のパスポートセンターに着いたのは十一時少し前だったが,手続きが終わったのは十一時を回った頃だった.エスカレーターで一階に降りるとすぐドトールがあり,ポップに「タピオカ ~黒糖ミルク~ 」とあった.黒糖ミルクのタピオカは飲んだことがないのでこれを買い,狭い店内には先客が数人いたので,私はテラス席に腰かけた.
 産貿ビルのテラスから右に行くと県民ホール,ホテルモントレ,ホテルニューグランドがあり,道を渡ると山下公園で,氷川丸などがある.左に行くと大桟橋埠頭や赤レンガ倉庫があって,この産貿ビルのテラスは,横浜港散策の中間点にある.
 
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「タピもまだまだ大人気 皆でタピタピしましょうね♪」と書かれているが,敢て「まだまだ」と言うからには,もはやタピオカブームは下り坂ということなんだろうか.「タピタピする」という幼児語は初耳だったので調べてみたら,これはドトールの造語ではなくて,「タピる」とか「タピ活」などの女子中高生の流行言葉の一つのようだ.「タピ活」ってなんだよ.
 黒糖モノでまずい飲食物はないと私は思っている.このドトールの黒糖タピオカミルクも,うまい.お代わりしたいくらいだが,かなりハイカロリーなので,二杯も飲んだら昼飯抜きということになる.
 で,その昼飯だが,この産業貿易センタービルは地下一階にレストランがいくつかある.その一つのインド料理店「スパイスマジック カルカッタ」のランチがリーズナブルなお値段なので,この店にしようかと一旦は思ったのだが,県民ホールの裏手に洋食屋があったのを思い出した.その店は"THE HOF BRAU"(ホフブロウ) という.昔からある店だが,私はここで飯を食ったことがない.
 
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 右下に映り込んでいるカブは,隣の蕎麦屋のものだ.この蕎麦屋がなければ,ホフブロウはいい雰囲気の外観なのに,惜しい.w
 ステンドグラスのドアを押して中に入ると,右側にかなり長いバーのカウンターがあり,左側にはテーブル席がある.予想したよりも広い店だった.
 あるブログ記事に,初訪の一人客が「カウンターにしようか,テーブル席にしようか」と迷う様子が書かれていたが,私の場合は,若い女性スタッフにどっちかというと冷たく「カウンターへどうぞ」と言われてしまった.ま,飯時にテーブル席に着く一人客が少数派だと思うから,カウンターで異存はない.
 上の画像に写っているが,店のドアの前にメニューがあり,これを読んで日替わりランチに決めていたので,それを注文した.「ハンバーグステーキと,シーフードのマカロニグラタン」セットである.
 私が注文をしたあとすぐ,横目でチラと見た感じではスリムで眼鏡をかけた若い男が店に入ってきて,席一つ離れて右側に腰をかけた.さっきの女性スタッフがメニューを書いた紙を差し出し,笑顔で「何になさいますか 💝」と言った.
 相手がアラウンド七十のヨボヨボ爺 σ(--;) の場合と,いかにも好印象の青年の場合とでは,女性の声のトーンが変わってしまうのは至極当然で,これに異存はない.()
 それはそれとして,ランチメニューは途中まで仕掛かりにしてあるのだろう.五分ほどで,ハンバーグとグラタンの皿がトレーに載せられてやってきた.トレーを運んできた女性のスタッフが「ライスはお付けしますか?」と言ったが,さっきタピタピしてきたばかりなので,要りませんと断った.
 日替わりセットのハンバーグステーキは鶏卵くらいの大きさで,三口で食べられるくらいだった.これにすごく細いフライドポテトが数本付け合わせてあり,全体にタップリとブラウンソースがかけられていた.ポテトはソースまみれでフニャフニャになっていたので,ハンバーグにソースをかけてからポテトを盛りつければいいのに,と思った.
 ハンバーグをナイフで一口切って口に入れると,うわっと驚くほど酸味が強かった.よく見るとソースにはピクルスが入っていて,酸味はピクルスの酢によると思われた.塩味もかなりきつくて,さっきの「ライスはお付けしますか?」は実は妥当なリコメンドなのだとやっと理解した.ランチの献立には単品のハンバーグステーキがあるのだが,もしそのソースもドミグラスではなくピクルス入りのブラウンソースだとすると,ライスなしで食べ切るのは少し厄介かも知れないと思った.
 もう一皿のグラタンはおとなしい味で,まずまずの味だった.あとほんの少しチーズを多く載せて焼いてあればいいのだが,とは思ったが.
 食べ終わっての感想だが,年寄りにはちょうどいい量だけれど,若い男には全然足りないだろうなあと思った.これで千円は,コスパがよろしくない.あと,すっぱすぎるハンバーグのソースの件だが,もし調味に失敗したのでなければ,私の口には合わない.というか,たぶん誰の口にも合わないだろう.ソースを作りそこなって,しかも味見をせずに客に出してしまったのであることを祈る.(婉曲な否定的表現)
 
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[追記]
 食べログの,よく知られた常連投稿者「一級うん築士」氏がホフブロウの店名について次のように書いている.
 
店名はドイツの有名なホフブロイハウスというビアホールの名前に由来。初代オーナーはフィンランド人で1980年に現在の場所に移転した。店の内装デザインはノルウェー人のデザイナーによる。それで非常にエキゾチックな雰囲気を醸し出している。現在のオーナーは1999年に店を引き継いだ。》(訪問は2012年12月)
 
 この記述の情報源は,店の関係者が書いたと思しきfacebook投稿《ホフブロウ》(2013年9月23日投稿) と思われる.「一級うん築士」氏はこのfacebook投稿を鵜呑みにしているようだが,それはいかがなものか.まず元の投稿記事から抜粋引用する.
 
ホフブロウの名前の由来をご存じですか?
よくお客様から「ホフブロウってどういう意味?」という質問を受けます。たしかに不思議な名前ですよね。覚えにくいし、日本人には親しみのない言葉です。
そこで今日はホフブロウの意味とその謎について書きたいと思います!
ホフブロウという言葉自体にはドイツ語で「ビール醸造所」という意味があります。
 
ホフブロウという言葉自体にはドイツ語で「ビール醸造所」という意味があります》とのことだが,初っ端から間違っている.「ビール醸造所」を意味する独単語は"Brauerei"(ブラウエライ),"Brauhaus"(ブラウハウス),"Bräu"(ブロイ),"Brau"(ブラウ) などである."Hof"は余分だ.では"Hof"とは何か,ということになるが,それは後述することにして次の引用箇所に進む.
 
一つ疑問があるのは、ホフブロウはドイツ語で「Hofbräu」と表記されます。当店の看板にはHOF BRAUと書かれている通り、英語なんですよ!なぜaの上に点を付けなかったのか。。。これはちょっとした配慮なのか未だに疑問が残ります。
 
 上の文章の筆者は,どうも初歩的な語学知識がないようだ.《aの上に点 》は中学生みたいだ.それをウムラウトと呼ぶことは,気の利いた高校生なら知っている.内容的にも,上の引用箇所なんか,もはや支離滅裂と言っていい.
 まず《ホフブロはドイツ語で「Hofbräu」と表記されます 》が間違いだ.正しくは「ホフブロはドイツ語で「Hofbräu」と表記されます」である.ドイツ語でビールの醸造所は"Brauerei"(ブラウエライ),"Brauhaus"(ブラウハウス) の他に“Bräu”でも“Brau”でもよいが,発音を片仮名でかけばそれぞれ「ブロイ」「ブラウ」である.ホフブロウの創業者 (現在の経営者とは異なる) は店名を,独語発音の「ホフブロイ」でも「ホフブラウ」でもなく,英語発音の「ホフブロウ」としたのであるから,そもそも店名に関して,現在の経営者がドイツ語を持ち出すこと自体がお門違いなのである.
 
というのも実は英語にもHofbrauという言葉が存在し、まったく違った意味を持つのです。英語では「カフェテリアスタイルのレストラン」という意味で、七面鳥やサンドイッチを主に出し、ドイツの料理は関係がないそうです。
実際アメリカにはたくさんのホフブロウというお店が存在し、出している料理はまさしく洋食という感じで、当店に近いものを感じました。
 
 これまた頓珍漢なことを言うものだ.《英語にもHofbrauという言葉が存在し 》と書いているが,英単語では“Hofbrau”ではなく“hofbrau”と書く.普通名詞だからである.そして店名“THE HOF BRAU”(The hof brau と書いても同じ意味) は“hofbrau”とは関係がない.“hof brau”と“hofbrau”は,一目瞭然,別の言葉だからである.スペース一つで意味が違ってしまうのだ.日本語は,外国語を片仮名で表記するときのルールが曖昧なので,こんな混乱が生じる.店名を「ホフ ブロウ」または「ホフ・ブロウ」と書けば紛れはなかったのに,創業者は店名の片仮名表記を「ホフブロウ」としたがために,1999年に事業を承継した現在の経営者は,店名がドイツ語と関係があるかのように勘違いしてしまったのである.(店を承継するなら,その時にちゃんと店名の由来を聞いておけ,と言いたい w)
 次に《実際アメリカにはたくさんのホフブロウというお店が存在し 》という誤解について指摘が必要だ.
 英語の“hofbrau”は普通名詞だから,業態を表すことはできるが店名には使えない.《ホフブロウというお店が存在 》するわけがないのである.つまり店名に使うとすれば“Hofbrau Denny's”といった形である.日本語でいえば「ビストロ 材木座」とか「小料理 こまち」みたいな用法だ.この例では「ビストロ」や「小料理」が業態を表している.
 ここで Wikipedia英語版の項目 Hofbrau (項目名は大文字で書き始める) から一部を引用しよう.
 
Hofbrau is a cafeteria-style food service derived from the German term Hofbräu, which originally referred to a brewery with historical ties to a royal court. Such breweries often have beer gardens where food is served.
 
 facebook投稿《ホフブロウ 》は《というのも実は英語にもHofbrauという言葉が存在し、まったく違った意味を持つのです 》と書いているが,Wikipediaには“hofbrau”はドイツ語の“Hofbräu”から派生した語で,カフェテリア形式の飲食店であると明記してある.何を根拠に《まったく違った意味を持つのです 》と主張しているのだろう.また横浜山下町のレストラン“THE HOF BRAU”はカフェテリアではないから,アメリカのhofbrauとは全然業態が違う.《当店に近いものを感じました 》は無知に基づく我田引水の思い込みである.
 
 facebook投稿《ホフブロウ 》にはまだツッコミたいところがあるのだが,いい加減にして結論を急ぐ.
 私は上に「では"Hof"とは何か」と書いた.Hofは地名だ.ドイツ連邦共和国バイエルン州の北東部にある市であり,ビールの有名な産地である.だから“THE HOF BRAU”を素直に和訳すれば,「ホーフ醸造所」となる.レストラン“THE HOF BRAU”の創業者は,前々世紀までホーフに存在していたかも知れない小さな醸造所のイメージを「ホーフ醸造所」の名に込めたのだろうと私には思われる.この場合の「ホーフ醸造所」は,サントリーの「白州蒸留所」等と同じ用法だ.
 あるいは,ホーフにたくさんあった大小様々な醸造所の総称として「ホーフ醸造所」を脳裏に浮かべたのかも知れない.その場合は,店名の和訳は「ホーフの醸造所」とするのが日本語として適切だろう.
「ホーフ蒸留所」でも「ホーフの蒸留所」でも,ドイツではビールの醸造所に食堂が併設されていることが多いから,創業当時の“THE HOF BRAU”ではビール醸造所の食堂をイメージした店作りがなされたに違いない.
 
そして当店ホフブロウの名前の由来はミュンヘンにあるホフブロイハウスというビアホールからつけられたと言われています。
 
 facebook投稿《ホフブロウ 》は,上の引用箇所で店名の由来を述べている.しかしレストラン“THE HOF BRAU”の店名は英語である上に,ミュンヘンにある有名なビアホール“Hofbräuhaus”とは綴りが似ても似つかない.おまけに規模が違いすぎる.そこら辺の街の小さな中華料理屋が「北京大酒楼」を名乗るようなもので,ジョークにもならない.
 
20190927a
(Hofbräuhausの外観;Wikipedia【ホフブロイハウス】から引用したパブリックドメイン画像)
 
 1951年に店を開いた創業者は欧州人だったというから,欧州についての知識がない終戦当時の日本人みたいなセンスのない店名を,自分の店に付けるわけがない.
 食べログにおける「一級うん築士」氏は有名人だが,同氏による“THE HOF BRAU”のレビューは,店名の由来について調べもせずに丸写しで書いている.おまけに創業年も間違って記載している.まあ,きちんと正確なことを書いていたら,とてもじゃないけれど食べログに七千件以上のレビューを書き飛ばすのは不可能だが.w
[追記終わり]

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2019年9月23日 (月)

小説以前の問題

 ここ最近ずっと,小川糸『ツバキ文具店』(幻冬舎文庫) を読んでいるのだが,次から次へと突っ込みどころが出て来るので,なかなか先へ読み進めない.
 この作者は,小説を書く以前に一般常識を身につけるべきだったのに,社会人としての訓練を経ずに作家デビューをしてしまったようだ.
 小説『ツバキ文具店』の批評は別稿に書くが,それ以前の,この作家は社会人としてどうなの?という点を以下に少し書いておく.
 物語の中盤,ツバキ文具店を営む鳩子は,年賀状の宛名書きの仕事で十二月を忙しく過ごした.以下はそれについての一節である.(文庫 p.160)
 
なんとか、最後の一枚まで年賀状の宛名を無事に書き終えたのだ。さすがに腕が腱鞘炎を起こし、肩も石のように硬くなっている。
 
 小川糸は腱鞘炎について知識がないらしい.《腱鞘炎を起こし》と書いておきながら,痛みについては全く触れず,安静にせず抗炎症薬の服薬もせずにほったらかし,それでも支障なく普段と変わらぬ生活をしている.それのどこが腱鞘炎なのか.
 Wikipedia【腱鞘炎】から以下に引く.
 
腱鞘炎(けんしょうえん)は、腱の周囲を覆う腱鞘(けんしょう)の炎症。症状として、患部の痛みと腫れがあり、患部の動かしづらさが見られる。腱自体の炎症である腱炎(tendinitis)を合併することが多い。 ひどい場合は痺れて動かなくなったり局部が出っ張ったりしてしまう。 部分を冷やしてもあまり変化なく、痛みは長続きする。
 
 第一三共ヘルスケア社の公式サイトコンテンツ《腱鞘炎の対策》からも引用する.

腱鞘炎になっているのを放置して、それまでと同様に手や指を使ってしまうと、腫れた腱鞘と腱に摩擦が起こり、さらに腱鞘が厚くなったり腱の表面の傷つきが悪化したりして、症状が強くなってしまいます。治すためには、ただ放置するのではなく、できるだけ動かさないようにし、それまでと同じように手や指を酷使することを避けることが大切です。
もし2週間以上痛みが続いたり、痛みや腫れが強かったりする場合は、整形外科を受診しましょう。
 
『ツバキ文具店』の作者は,腱鞘炎を,指が疲れた程度のことだと思い込んでいて,安静と治療を要する状態だとは思ってもいないのである.この手の不用意な言葉遣いがあちこちに出て来るので,ひょっとしたら私の理解が間違っているのかも知れぬと不安になり,資料を調べて確認せにゃならぬので,読み進むのが大変だ.三文作家とはいえ,文章を書く時は言葉の意味を調べてから書けと言いたい.
 
 さて年明けに鳩子は女友達と鎌倉七福神巡りをすることになったが,そこに通称「男爵」という男が加わることになった.この男は鳩子の祖母の知人で,鎌倉の地元では有名人であるという設定だ.
 
そう言うそばから、懐のタバコを取り出し口にくわえた。鎌倉は条例で路上喫煙が禁止されているはずだと思ったが、仕返しがこわいので黙っていた。北鎌倉だって、例外ではない。
 男爵が半分も吸い終わらないうち、パンティーが颯爽と改札から現れる。パンティーが歩く姿は、ゴム毬がぴょんぴょん跳ねているように見える。体中に存在するあらゆる突起物が皆一様に揺れるのだ。
 男爵が、慌てて地面にタバコを落とし、スニーカーの底でもみ消した。そのままポイ捨てでもしようものなら即刻注意しようと意気込んでいたら、男爵は火の消えたばかりのタバコの吸い殻を拾い上げ、着物の袖のたもとに用意していた自分の携帯灰皿に投げ入れる。一応のマナーは心得ているらしい。
 
 上の引用箇所は,女性作家とは思えぬ下品な表現だが,それはともかく,資料を調べずに雑な文章を書き飛ばす物書きというものは始末に負えない。
 まず,鎌倉市には「鎌倉市路上喫煙の防止に関する条例 (平成20年9月29日条例第9号)」があるが,この条例は
 
第6条 市長は、市民等の身体の安全及び快適な生活環境を保持するため、特に路上喫煙を禁止する必要があると認める区域を路上喫煙禁止区域(以下「禁止区域」という。)として指定することができる。
 
としており,路上喫煙を禁止しているのではなく,路上喫煙禁止区域としてJR鎌倉駅周辺と同大船駅周辺のみを指定し,両駅周辺の禁止区域外では単に《第5条 市民等は、路上喫煙をしないよう努めなければならない》として,努力義務を課しているだけである.すなわち《鎌倉は条例で路上喫煙が禁止されているはずだ 》と《北鎌倉だって、例外ではない》は全くの嘘である.(ちなみに市内全域で路上喫煙禁止を望む市民の声はあるが,市当局は消極的である)
 作者小川糸は鎌倉市民ではないが,それならば一層,いい加減な嘘を書き飛ばすのではなく,鎌倉のことについてよく調べてから書かねばならない.
 だが,そのことはまだよしとして,見逃せぬのは
  
男爵が、慌てて地面にタバコを落とし、スニーカーの底でもみ消した。(中略) 男爵は火の消えたばかりのタバコの吸い殻を拾い上げ、着物の袖のたもとに用意していた自分の携帯灰皿に投げ入れる。一応のマナーは心得ているらしい
 
と書いていることだ.
 この箇所の何が問題か.タチの悪い喫煙者がやりがちなことに,建物の壁に吸いかけを擦り付けるとか,「男爵」のように吸いかけを道路に落として踏みつけて火を消す,という喫煙マナー違反があるのだ.
 携帯灰皿は,どんな製品でも持っていればいいというものではない.携帯灰皿には三つのタイプがあり,一つは金属製で懐中時計のようなフタが付いている.このタイプは,火のついてタバコの先を押し付けるようにして火を消すことができる.()
 もう一つはビニール製の袋で,開口部にバネが入っている.内側に厚手のアルミ箔が張られているので吸いかけを中に入れて外から押しつぶすと火を消すことができる.()
 もう一つは,上の二タイプとは異なってタバコの火を消す機能を持たない,単なる吸い殻入れである.このタイプの携帯灰皿を持っている喫煙者が,実はタチが悪い.こういう連中は『ツバキ文具店』の「男爵」のように,喫煙後に吸いかけをポイと路上に捨てて靴で踏んで火を消す.そしてフィルター部分は拾うが,靴で火をもみ消したときに散らばったタバコのクズ (未燃焼) を路上に残して行く.「男爵」のような男が悪質だというのは,愛犬家が犬を連れて散歩しているときに,毒性の強いタバコのクズを犬が口に入れてしまう可能性があるからだ.
 小川糸は,「男爵」が《一応のマナーは心得ているらしい 》と書いて,喫煙マナー知らずで公衆道徳のない男を庇っている.まことに不届きであるが,おそらく小川糸は喫煙者ではない.路上喫煙に関する条例の内容が地方自治体によってさまざまであるのは常識だ.調べもせずに《禁止されているはず 》と書いてしまう頭の軽さには驚く.また喫煙マナーとは何かも知らないくせに,喫煙の場面をを書くから無知丸出しの文章になってしまうのである.
 しかも,作者が喫煙について無知とはいえ,「男爵」を喫煙者に設定し,「男爵」が北鎌倉駅前で喫煙マナーに反する行為をするという描写をしたからには,それが伏線としてこのあとのストーリーにおいてどんな展開をするかと思いきや,何も起きないのである.この小説は,「男爵」の喫煙についての描写を完全に削除しても,全く問題がない.つまりこの「男爵」の喫煙部分は,原稿を水増しするために書かれたのである.また別稿で触れるが,この種の字数稼ぎの水増しは『ツバキ文具店』の他の箇所にもある.このような水ぶくれして緩みきった小説を長々と読まされた読者は唖然とするほかはない.
 資料を調べもせずにテキトーに書きなぐった小説以前の雑文が2017年本屋大賞第四位だというから,書店員の批評力も大したことはないなあ,と私は天を仰ぐ.


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2019年9月21日 (土)

鍋考

 テレビの経済番組で,愛知県に本社を置く鋳造メーカー「愛知ドビー」が何度か紹介された.(テレビ東京『ガイアの夜明け』,テレビ東京『カンブリア宮殿』,NHK『逆転人生』)
 同社製の超高級鋳物ホーロー鍋「バーミキュラ」 (Vermicular)」が爆発的に売れているのだそうだ.
 テレビの料理番組や料理本を観ていると,登場する高級鍋はたいていル・クルーゼストウブだが,これにバーミキュラが加わって鍋戦国時代の到来かと思われる.
 おもしろいのは,テレビの料理番組で講師がストウブを使用して煮込み料理を作る際に,無水調理ではなくフタをしないで煮ていたりすることだ.それなら普通の安い鍋でもいいじゃないかと思うが,ストウブの鍋がプロの矜持というものらしい.w
 テレビ東京『昼めし旅』なんかでも,局側の取材担当者が,畑で農作業している高齢男性をつかまえて「あなたのご飯を見せてください!」と頼むと,超大豪邸に案内されることが多い.そしてその農家の長男のお嫁さんが,ファッショナブルに改装された広いシステムキッチンでカボチャを煮たりするわけだが,その時の鍋は赤いル・クルーゼだったりする.カボチャの甘みをル・クルーゼが充分に引き出してくれるらしい.カボチャはどう煮ようとカボチャだと思うが.
 以上,安い片手鍋しか持っていない私が,思いっきりひがんで嫌味を書いてみた.(貧泣)
 しかし実を言うと,私のひがみ根性の裏側には高級鍋が欲しいという気持ちがあるのだ.ならば欲しけりゃウダウダ言ってないで買えばいいじゃんと言われそうだが,その価格に納得できないところがあるのだ.
 例えば売れ筋の一つと思われるストウブの両手ホーロー鍋「ココット ラウンド バジルグリーン」の場合,Amazon prime 販売価格は以下の通りだ.(本日現在)
 
径10cm   ¥9,500
 14cm  ¥18,360
 18cm  ¥24,400
 20cm  ¥29,160
 22cm  ¥33,480
 24cm  ¥37,800
 
 ストウブのココットとは仕様が違うだろうから比較にはならないが,ル・クルーゼの両手ホーロー鍋「ココット ロンド」は,同じく Amazon prime  価格だと以下の通りで,ストウブよりは手頃な価格帯のシリーズがある.
 
径14cm  ¥11,458
 18cm  ¥16,148
 20cm  ¥17,727
 22cm  ¥17,760
 24cm  ¥17,760 
 
 若い人の場合,これくらいの価格の鍋なら一生モノだというわけでエイヤっと買ってしまうかも知れない.しかし三十代の人の一生モノは五十年使えるからいいが,七十代の爺様の場合は余命十年だから非常に割高になる.高級鍋はコスパが五倍も悪いのだ.
 
 しかも,テレビを見ていると,通販のジャパネットが「フタ付きフライパン大中+無水調理鍋+レシピブック」のセット合計¥14,900を,受付を30人増員して販売したりする.受付増員はともかく,このセットの鍋はたぶん三千円~五千円くらいで,ものすごく安い.
 ジャパネット以外では,アイリスオーヤマとかパール金属などの国産普及品メーカーの無水鍋が Amazon prime 価格四千円台で買える.一万円から数万円に達する高級品と普及品の価格差は,何によるものなんだろう.密閉性か?あるいは耐久性か?
 価格差が,耐久性の違いによるものなら,老い先短い私には普及品で充分だが,密閉性が違うということになると性能に差があるということだから,高級品に食指が動く.
 だがはたして高級な鍋はよい商品なんだろうか.
 高価な商品だから,実際に購入して性能を比較することは一般のブロガーには難しいのだろう.ネット上を探しても,どの鍋がどんな特徴・性能を持っているかは書かれていない.Amazon のレビューを読むくらいしか鍋の性能を知る手掛かりがない.
「料理にル・クルーゼを使うとテンションが上がる」というレビューを Amazon で読んだ.ま,それも性能のうちか.

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2019年9月20日 (金)

パクリが見つかる診療所

 昨夜,テレビ東京『主治医が見つかる診療所』(9/19放送) を観ていたら,チルドのカレー (要冷蔵の真空パック食品) をレトルトカレーであると勘違いして常温保存し,これを喫食したために,小学生の女児がボツリヌス症を発症したというストーリーのクイズが出題された.
 下の画像 (テレビ画面を撮影してトリミングしたもの;以下同じ) は,親の留守中に子供たちが,誤って常温保存されていたチルドカレーを見つけて食べようとするシーンである.
 
20190919c
 
 下の画像のように,このチルドカレーは,包装の端に小さな文字で「要冷蔵」と書かれていたという設定だが,あまりにも小さいので,この文字をクイズの解答者は見落としてしまった.こんなことは現実にはあり得ない.実際はもっと大きく目につきやすく表示される.この表示の状態は,クイズの解答を間違えやすくするためにこしらえたこざかしい仕込み,トリックなのである.
 
20190919e
 
 下の画像は,このチルドカレー中にボツリヌス菌が繁殖し,これを食べた小学生女児がボツリヌス症を発症したというストーリーを説明している.
 
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 私はこのストーリーに既視感があったので,ただちにネットを検索したら,二年前に日本テレビ『ザ!世界仰天ニュース』が放送した「命を脅かしたインスタントソース」(2017年6月27日放送) の,チルドハヤシソースをチルドカレーに変えただけの丸パクリだった.
 この『主治医が見つかる診療所』は,もともとテレ東の番組中では胡散臭い番組なのであるが,ここまでやるとは驚いた.パクリが見つかる診療所だ.w
 
 さてレトルトカレー類 (ハヤシを含む) の製造販売量が巨大であるのに対して,チルドのカレー,ハヤシ類は微々たるマーケットしかない.ニッチ商品もいいところだが,これには理由がある.「おいしさ」の点で,チルド商品にはレトルト商品に対する優位性がないのである.レトルトカレーは十分においしいので,わざわざ賞味期限が短いチルド商品にする必要がないのだ.
 スーパー等のチルド食品棚を見れば明らかだが,主たるジャンルは,包装に「玉ネギだけで酢豚ができる」とか「白菜だけで八宝菜ができる」などと書かれている中華のソース類である.()
 これら大手メーカーのソース類は,レトルト商品と間違わぬような包装形態にしてあり,かつ大きく包装の表面の目立つ所に「要冷蔵」などと注意喚起の表示がなされている.またこの種のチルド食品の多くは,薄手のアルミ蒸着袋の中の個包装は透明なポリ袋にしてあり,ここでもレトルト食品との違いが強調されている.ことは消費者の生命の安全に関わることであるから,注意深く商品設計がなされているのだ.
 ところが,中小企業の中には食品衛生意識の薄弱なメーカーがあり,それらは,レトルトカレーと見間違える可能性の高いパウチにチルドカレーを包装して販売していることがある.下に例を挙げる.
 下の画像は,「金沢カレー」を標榜して北陸三県にカレーチェーン店を展開している株式会社チャンピオンカレーが販売しているチルドカレーである.(画像引用元)
 画像右下に「要冷蔵」と書かれてはいるが,この注意喚起表示が,買い物かごや家庭の食品庫中で,他の食品と重なって見えなかったりすると,消費者は「要冷蔵」を見落としてレトルトカレーだと思い込む可能性が高い.
 
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 食品企業の生命線は,消費者の安全である.大手のメーカーは様々な食シーンを想定してチルド食品の中身の品質と包装に充分な手を尽くしている.仮初にもチルド食品はレトルト食品と間違って扱われてはならないのであるが,上記の商品の如きものが後を絶たないのが現実である.消費者は,食品衛生意識の低い製造業者が存在することを前提にして知識を身に着け,死に至る危険性があるボツリヌス症から自衛する必要がある.


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2019年9月19日 (木)

合掌の作法 /工事中

 昨日放送されたテレビ東京『あなたの日本語大丈夫?笑われるニホン語』で,葬儀の際の言葉遣いについてのクイズがいくつか出された.
 クイズの正解は,高野山功徳院の松島龍戒住職が解説をなさった.
 それはそれとして,私が「おや?」と思ったのは,松島住職の合掌であった.(下の画像は,テレビ画面をカメラで撮影し,トリミングしたものである)
 
20190919a
 
 若い人たちは聞いたこともない話であろうが,昔から箸遣いには,食事における振る舞いの美しさを担保する作法があった.
 美しくない箸の使い方は,無作法としてまとめられており,「嫌い箸」と呼ばれる.その一つに「拝み箸」がある.これは,両手の親指と人差し指で箸をはさみ,合掌する所作である.
 高齢者は幼少時に「拝み箸」をしてはならぬと親に教育されてきたので,よほど無作法者以外はこれをしないのであるが,最近,いい歳をした大人でも「拝み箸」をするようになった.テレビに出てくる若いタレントや俳優たちはほとんどが拝み箸をする.嘆かわしいことである.
 私は僧侶でも仏教徒でもないので,食事の挨拶は昔風に,合掌せずに少し頭を下げて「頂きます」と言う.掌は腿に置く.
 仏教徒の皆さんが,合掌して「頂きます」と唱えるのは結構なことである.しかし箸を手に持ち食事を始めてから挨拶を忘れたことに気づき,箸を持ったまま合掌する (すなわちこれが「拝み箸」の意味するところだ) のは,食い意地の張っているのがあからさまで実に見苦しい.挨拶が済んでから徐に箸を持てと言いたい.
 食事の挨拶という点からは上に述べたとおりであるが,実は「拝み箸」がなぜ見苦しいか,美しくないかというと,箸そのものの遣い方ではなく,合掌の形の美しさに外れているからであるとされている.
 曹洞宗の僧である呉定明というかたが著した『住職として学んでおきたいこと』(青山社;p.28) に,扇の類について次のようにある.
 
合掌する場合は、胸に挿すか、坐具の上に置くかする。左右の両拇指と人差し指の間に置いて合掌するは、非法なり》(文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
 つまり,扇を持ったまま合掌するのは作法に外れると書かれている.これまで私は,この合掌の作法は諸宗派共通のものだと理解していたのだが,そうではないことが,上の画像の松島住職の合掌を見れば明らかである.松島住職は仏事に関する著書,CDもある著名な僧侶であるからして,その合掌作法は真言宗の作法に則っているに違いない.だとすると,真言宗では「拝み箸」は無作法ではないことになる.
 これに驚いた私は,真言宗関係のサイトやブログにある合掌の画像を調べ上げてみたのだが,「拝み箸」はもちろんのこと,松島住職と同じ形に扇を持った合掌は見つからなかった.だがそれだけでは,松島住職が宗派の作法を守らぬ無礼者だと断ずることはできないだろう.真言宗と「拝み箸」の問題は,ネット上の情報だけでは明らかにできないようだ.この記事のタイトルを「工事中」とし,継続調査にする.






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女傑の墓

 昨日放送のNHK『歴史秘話ヒストリア 私はなぜ悪女になったのか 最新研究 日野富子』を観た.
 昔から北条政子,日野富子,淀殿の三人を日本三大悪女などというが,現代の日本人でこの三女性をいわゆる悪女,悪い女だと思っている人はほとんどいないのではないか.三人とも男勝りの女傑であったことは確かであり,それぞれの時代を代表する女性だからである.
 で,昨日の『歴史秘話ヒストリア』も,日野富子は「悪い女」ではなかったという通説に従った内容であった.それはそれとして,番組中で,富子の墓所とされる寺が二つ紹介された.京都市上京区の華開院と,岡山県赤磐市沢原1208 小川山常念寺自性院である.
 番組では常念寺にある石塔を支持しているかのように扱っていたが,その根拠には全くふれなかった.
 富子は強く立派な女性だったと思うので,その墓の所在を知りたい.磯田道史先生はどう考えているのだろう.

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2019年9月17日 (火)

現地に行かないコメンテーター

 千葉県の被災状況を伝える読売テレビ『情報ライブ ミヤネ屋』の中で,コメンテーター (テレビ局サイドの人間のようだが氏名不詳) が「国交省は何をしているんだ」と声を荒らげていた.国交省は,倒木で塞がれた山間部の道路を啓開 (道路を強行突破的に啓くことらしい) するノウハウを持っているはずなのに,全く動いていないじゃないか,と怒りをあらわにしていた.
 しかし,他局の報道番組のコメンテーターによると,送電線や電柱にからんだ倒木は,事業者 (今回は東電) 以外は撤去作業してはいけないという法的規制があり,そのため千葉県山間部は道路の開通が困難になっているのだという.調べた限り,たぶんその見解は正しい.国交省は,政府が超法規的災害対策を宣言しない限りは道路の開通に動けないのだと思われる.
 上記のコメンテーターは,一般国民が知っているレベルのことも承知せずに,いきまいているわけだ.のうのうとスタジオにいるんだから,他局の放送くらい見たらどうなんだ.
 
[追記] 調べたら,上記のコメンテーターは,読売テレビ報道局副部長兼同局チーフプロデューサーの高岡達之という男であった.ネット上の評判はこれ


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テレビだっていいものはいい

 関西テレビ放送『新説!所JAPAN』に磯田道史先生が出演して歴史的事件の解説をする企画がおもしろい.昨日は二回目の企画で「明智光秀の謀反」を取り上げた.前回 (第一回) は織田信長の遺体はどこに埋葬されたか,であった.
 まとまった論考とする以前の断片的エピソードについての考察を,磯田先生は『日本史の探偵手帳』(文春文庫) や『日本史の内幕』(中公新書) などで書いていらっしゃるが,『新説!所JAPAN』に出演されるのも,その路線だ.
 私のような一般人からすると,磯田先生ほどの知名度があれば,一般公開されていない史料を閲覧するのはむつかしいことではないように思えるのだが,先生によるとそうでもないらしい.研究に「テレビの力を借りたい」と何度も力説していらっしゃる.
 昨日の放送では,奇説「天海=明智光秀」を検証するのに筆跡鑑定をしたらどうだというアイデアを実際にやってみた.両者の真筆とされる文書の文字を東京大学史料編纂所の協力を得て鑑定したのであるが,磯田先生は「(史料編纂所はこういうことを) よくやってくれたなあ」と驚いていた.これなんかはテレビの力かも知れない.
 磯田先生というかたは,著書からは想像もできないキャラで,実にテレビ向きなお人だ.この企画の第三回が楽しみである.
 
 テレビの力といえば昨日,偶々NHK『病院ラジオ』を観て,強く心を動かされた.昨日の放送は,今年の八月七日に国立がん研究センター中央病院 (東京都中央区) を舞台にした第三回の再放送であった.これまでに昨年八月に国立循環器病研究センター (大阪府吹田市) を舞台にした第一回,次いで今年の四月に国立成育医療研究センター (東京都世田谷区) を舞台にした第二回が放送されて大きな反響を得たらしいが,不定期企画の放送だということもあり,私は全くこの番組のことを知らなかった.
 NHKは民放テレビよりは再放送が多い (民放には再放送を観たいと思うほどの番組はないが) けれど,それを見逃すとオン・デマンドの有料視聴になってしまう.この料金がちょっと高いのだ.
『病院ラジオ』のように好評だった不定期放送番組については,視聴者が放送および再放送を見逃すことのないように,メーリング・リストを配信してくれるといいのであるが.

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2019年9月15日 (日)

災害対策にテレビを

 千葉県に大きな被害をもたらした台風15号に関するテレビの報道番組で,森田千葉県知事が取材に応じていた.取材陣から「復旧対策の初動が遅かったのではないか」として県の責任を問われた森田知事は,困惑の表情を隠せなかった.東日本大震災を経験したはずの東電の危機管理能力が,まさかここまで低レベルだとは,知事は想像もしていなかったのだろう.
 今回の台風被害では,停電の復旧見通しについて東電の説明が二転三転したことが大きな問題とされている.東電側の発表によれば,復旧の見込み時期はずるずると先送りされた.(資料) 東電の説明を信用した森田知事としては憤懣遣るかたない心境だろう.(*追記)
 私の自宅は横浜市であるが,台風通過の翌日に近所を少し歩き回ったところ,自宅周辺に家屋の損壊は見当たらなかったが,太い木が何本も折れて倒れていた.送電網が壊滅した千葉県南部の暴風がどれほどだったか,想像もできない.
 
 ところで,今回の台風被害で意外だったのは,台風災害に対する携帯電話中継局の脆さである.光ケーブルの固定電話回線も同様で,屋外の電柱がボキボキと折れて役立たずになった.つまりインターネットは緊急時に頼りにならないのである.災害に関する情報ツールとしてのテレビとラジオは,情報密度は低いながらも,タフさという点で私は見直した.(甚大な台風被害よりも発生可能性が高い東京直下型地震が起きたときは,いずれにせよ電話もネットもテレビ・ラジオすべてダメになるが)
 というわけで我が家の災害対策を点検したところ,ラジオと乾電池は充分な備えがあるが,ポータブルテレビの電源のことを失念していた.これは部屋の壁のコンセントに接続してあり,サブのテレビとして時々使っている.
 そこでテレビ用のポータブル電源を検討したのだが,今回の千葉県南部のように一ヶ月も停電が続くとすると,とてもじゃないけど能力不足だ.必然的にソーラーパネルを用いて繰り返して充電することが必要になる.
 アウトドア用として評価がよいポータブル電源 (500W) と,それとセットに設計されているソーラーパネルを購入すると,約十万円である.うーむ,高いなあ.コスパを考えるとラジオだけでいいかもなあ,と迷っている.
 
(*追記)
 上の記事は13日発表の復旧見込みをもとに書いたが,15日早朝に東電はこれを修正し,多くの地域で復旧見通しが更に遅れるとした.
 修正理由は「被害状況を精査した結果」であるという.前回の発表における修正理由も「被害状況を精査した結果」であった.つまり前回の発表は嘘であったことになる.
 東日本大震災のときも東電は,福島第一原発の状況について何度も嘘をついた.政府と国民の反応を伺いながら,正しい情報を小出しにした.
 今回の台風被害でも,災害に脆弱な送電網に対するメディアの批判を避けようと思ったのだろう.最初は楽観的な復旧見込みを発表し,そのあとから少しずつ悲観的な見通しを追加発表している.
 会社の体質は,どんなことがあっても変わらないものであるなあと痛感した.

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2019年9月14日 (土)

考証『ツバキ文具店』(二) /工事中 9/14更新

 祖母が亡くなったあと『ツバキ文具店』に戻ってきた雨宮鳩子が最初に請け負った代書は,封書の手紙ではなく暑中見舞い葉書の代筆だった.代書屋の仕事としては,本業とは言い難いものだ.
 暑中見舞いや年賀状,転居や退職の挨拶葉書などを印刷所に発注することは昔からあるが,これが不都合なのは,通信面の印刷に最低料金がある (例えば最低枚数が二百枚だと,五十枚でも二百枚でも同一料金となる) ことと,宛名は手書きにせざるを得ないことだ.しかし印刷枚数が百枚,二百枚程度であれば,PCの葉書印刷ソフトとプリンタがあれば,通信面の文面を相手によって一枚一枚すべて変えることもできるし,フォントもデザインも自由自在なので,個人で挨拶状を作成するならこれが一番よろしい.
 ところが皆がPCとプリンタを持っているわけでもない.そこでそのような人のために「手書き代筆サービス」という業者が実際に存在する.通信面の文章原稿と宛先リストを用意すれば,手書きで挨拶状を作ってくれるというものである.(業者の例)
 さて鳩子が受注した暑中見舞い葉書の代筆は,「手書き」ということだけを代行する業者の代行サービスではない.顔見知りの魚屋の奥さんから,葉書の通信面の文章もデザインも丸投げ
……
  
《こんなつなぎ言葉を使っていませんか? 「なので~」》
https://allabout.co.jp/gm/gc/422410/
「……。なので~」と話をつなげていく例をよく耳にします。意味は通じても、文章言葉や改まった場では向かない言い方です。つい使ってしまいがちな「なので」も、ときには言い換えることで違和感がなくなります。
執筆者:井上明美
手紙の書き方ガイド


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2019年9月12日 (木)

考証『ツバキ文具店』(一)

 手紙とは狭い意味では封書であるが,広義には葉書,あるいは郵便物ではないメモや回覧物などの形も含むと事典にある.街角にある普通の郵便ポストの場合,左側の投入口には「手紙・はがき」と書かれていて,これによれば手紙と葉書は区別されている.
 恩師や知人に宛てて書く狭義の意味の手紙は,前回書いたのがもう十年前だったか二十年前のことであるかも覚えていないくらい,長いこと私は書いていない.問い合わせ状などのビジネス的な文書は稀に書くが,それもメールで済むものであればメールにしてしまう.
 葉書は頂き物の礼状が主だ.
 話が横に逸れるが,私が会社員だった頃,年末の忙しい時に賀状をたくさん書くのが面倒くさいので,通信面には定型文を書き,年末に「○○年元旦」などと嘘の日付を書いて投函していた.
 それが,遅ればせながら六十五歳を過ぎてようやく正直者の真人間になった私は,元日の朝に年賀状を書くことにした.前年の旅行のこととか思ったことなどを盛り込んだ文章を小さな字でミッシリと書き,日付を「○○年元旦」として元日にポストに入れるようにしたのである.
 このようにすると,相手のところには一月四日あたりに着くことになるのだが,世の人々は元日に届かない年賀状を不愉快に思うとみえて,二年ほどで私宛の年賀状は激減した.中には,顔を合わせたときに「年が明けてから年賀状を書くとは失礼な!」と文句を言う人もいたのには笑った.そうこうしているうちに,頼まれて媒酌人をしてあげた数人の元部下たちですら今では音信不通になり,同僚や元部下で今でも年賀状で近況を知らせてくれる人はわずかになった.年賀状というものは,やはり嘘の日付で書くのが喜ばれるらしい.しかし私は元旦に賀状を書くのを改めるつもりはない.元日の朝に賀状を書き,文末の日付を元旦とするのはなかなか気分のよいものだと思うからである.
 閑話休題
 小川糸さんの『ツバキ文具店』(幻冬舎;平成二十八年に初版:幻冬舎文庫;平成三十年に初版) は,鎌倉を舞台にしたちょっと変わった小説だ.主人公の女性である鳩子は,亡くなった祖母が遺した小さな文具店 (ツバキ文具店) を営んでいるが,副業で「代書屋」もしている.その代書屋も,祖母から受け継いだものという設定である.
 とはいうものの,現代日本に代書屋という職業は存在しない.ここでWikipedia【代書屋】から下に引用する.
 
代書屋(だいしょや)、代書業(-ぎょう)は、本人に代わって書類や手紙等の代筆を行う職業。
日本では、江戸時代に非公認の代書業として公事師や奉行所公認の代書業として公事宿があったとされる。明治政府は近代司法制度導入に伴い1872年(明治5年)に司法職定制代書人制度を定め、今日ではそれを引き継いだ司法書士と行政書士が存在する。
近世以前においては識字率が低く、すべての人が手紙や書類を書けるわけではなかったため、教養のある者が代筆することは一般的であった。また識字率が向上した後にも、専門書類などの作成には代書人が用いられた。
日本での役所等への手続書類の代書に関しては、前述の1872年(明治5年)に司法職定制代書人制度が法制化され、裁判所関連機関提出書類については今日の司法書士制度になり、また一方で行政機関等提出書類と権利義務事実証明書類については、明治30年代後半の警視庁令、各府県令や1920年(大正9年)内務省令代書人規則等で法制化され、それを引き継いで1951年昭和26年に行政書士法が制定され、今日の行政書士となっている。
 
 上の記述によれば,江戸時代からあったとされる代書屋は,明治時代に制度として明確化され,現代の司法書士と行政書士に引き継がれているという.すなわち本来の代書屋は,行政関連文書や司法関連文書など公的な性格を有する文書を代筆する職業だったわけである.もちろんこれには資格が必要だ.
 一方で,ツバキ文具店の主人である鳩子が有償で何を代書しているかというと,不要不急の挨拶程度の内容の手紙とか,借金の申し込みを断る手紙など,全く公的な性格を持たない手紙である.
『ツバキ文具店』の読者は,まずそのような手紙の代筆が職業として成立するのかどうかに強い疑問を抱かざるを得ない.
 上記のWikipedia【代書屋】には近世以前のこととして,無学で読み書きのできない者に代わって,教養あるものがこの種の手紙を代筆するのは普通であったと書かれている.ところが,近世に入ると一般庶民の学問教養レベルが飛躍的に向上する.Wikipedia【寺子屋】から下に引用する.
 
寺子屋の起源は、中世の寺院での学問指南に遡ると言われる。その後、江戸時代に入り、商工業の発展や社会に浸透していた文書主義などにより、実務的な学問の指南の需要が一層高まり、先ず江戸や京都などの都市部に寺子屋が普及して行った。1690年代頃から農村や漁村へも広がりを見せ始め、江戸時代中期 (18世紀) 以降に益々増加し、幕府御用銅山経営、西江邸内には江戸中期創建の手習い場が現存している。特に江戸時代後期の天保年間 (1830年代) 前後に著しく増加した。1883年に文部省が実施した、教育史の全国調査を編集した『日本教育史資料』(1890-1892年刊 二十三巻) による開業数の統計では、寺子屋は19世紀に入る頃からさらに増加し、幕末の安政から慶応にかけての14年間には年間300を越える寺子屋が開業している。同資料によると全国に16560軒の寺子屋があったといい、江戸だけでも大寺子屋が400-500軒、小規模なものも含めれば1000-1300軒ぐらい存在していた。また経営形態も職業的経営に移行する傾向を見せた。幕末に内外の緊張が高まると、浪人の再就職 (仕官) が増えた事により、町人出身の師匠の比率が増え、国学の初歩である古典を教える寺子屋も増えるなど、時代状況に応じて寺子屋も少しずつ変化を遂げて行った。
寺子屋にて指南された学問は「いろは」は方角・十二支などからはじまり、「読み書き算盤」と呼ばれる基礎的な読み方・習字・算数の習得に始まり、さらに地理・人名・書簡の作成法など、実生活に必要とされる要素の学問が指南された。教材には『庭訓往来』『商売往来』『百姓往来』など往復書簡の書式をまとめた往来物のほか、漢字を学ぶ『千字文』、人名が列挙された『名頭』『苗字尽』、地名・地理を学ぶ『国尽』『町村尽』、『四書五経』『六諭衍義』などの儒学書、『国史略』『十八史略』などの歴史書、『唐詩選』『百人一首』『徒然草』などの古典が用いられた。中でも往復書簡を集めた形式の書籍である往来物は特に頻用され、様々な書簡を作成する事の多かった江戸時代の民衆にとっては実生活に即した教科書であり、「往来物」は教科書の代名詞ともなった。
 
 上に《「往来物」は教科書の代名詞となった 》とあるように,江戸時代には都市部庶民だけでなく農山村の者でも手紙の読み書きができるのが普通になった.こうして手紙は,相手と自分 (差出人) との間に誰も介在しない内密の通信手段 (私信) となった.そして明治の中頃には大日本帝国憲法で信書の秘密が保障されるに至り,公的な性格を持たない手紙 (公開しない文書) は,自分で書くものだということが私たちの常識となった.
 現実は以上のようであるが,『ツバキ文具店』は,もしも現代に,近世以前のような私的な手紙の代書屋が存在したとしたらどんなことになるだろう,という物語である.
 この種の空想物語を作り上げるには,かなりの作家的力量が必要とされるに違いない.物語の細部にいささかでも破綻があれば,小説ではなくリアリティのない単なるヨタ話になってしまうからだ.例えば宮部みゆきが描く江戸時代の怪異譚が小説として成功しているのは,彼女の緻密な筆力があるからである.
 それでは小川糸『ツバキ文具店』が小説として成功しているかを,以下に読み解いてみよう.

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2019年9月11日 (水)

アッパッパ

 小川糸さんの『ツバキ文具店』(幻冬舎文庫) を読んでいたら,p.47に《特に今日は、着る服がなくて、先代が生前によく着ていたノースリーブのアッパッパを引っ張り出して着ているから、余計に老けて見えるのかもしれない》とあった.
 アッパッパはもう死語 (資料) だと思っていたので,驚いて女性服の通販サイトを調べてみたら,アッパッパは立派に今も生きている言葉だった.でも,それほどお若いとは言い難い小川糸さんはともかく,彼女よりも若い二十代,三十代の女性たちは,アッパッパなんて実際に言うのだろうか.

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2019年9月10日 (火)

料理できない男が肉じゃがを作るんじゃねえ.

 アレクサ男の評判が悪い.Amazon Echo テレビCM 「肉じゃがが母さんの味にならないよ」篇だ.
 きゃりーぱみゅぱみゅさんがツイッターに《「アレクサのCMの息子みたいな男苦手だな〜」》とつぶやいたという話にからんで,色々と書かれている.例えばこれ
 このアレクサ男がマザコンだとかいう批判はさておき,この男は,自分の部屋に彼女が来ることになるまで,肉じゃがを一度も作ったことがないのである.CMの中で,鍋の中がアップになるのだが,それを見れば一目瞭然だ.そんなゴッタ煮みたいな肉じゃががあるもんか.こいつは家庭料理の基本ができていない.
 普段から料理をしないのに,一度も作ったことがない料理を作ってひとに食わせるという神経が,常人には理解できない.「母さんの味」だろうが「俺の味」だろうが,上手に作れるようになってから,彼女に食べさせてやれ.

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2019年9月 9日 (月)

箸なし駅弁って結構あるんじゃ?

 スポーツ報知に
 
神野美伽、新幹線の女性車掌への抗議ブログを謝罪…「不快な思いをなさった方々にお詫び致します。いい歳をしてお恥ずかしい話です」》(掲載日;2019/09/08 14:53)
 
という記事があった.
 演歌歌手の神野美伽さんは一昨日のブログに,新幹線に乗った際,弁当にフォークが付いてなかったと書いた.彼女は車掌室をノックして,車内販売のカートはお箸を売っているかどうか聞いてみた.だが車掌室にいた若い女性の車掌は《アタシの言葉を最後まで聞かないうちに『箸もフォークもありません!』と言いながらビックリするくらい強くドアを閉めました 》という.
 以下は記事からの引用である.
 
この行為に「本当にビックリ!ショックでした 悲しくなりました」と記し、女性車掌へ「あなたは制服を着ていらっしゃいます しかも立派な制服です車掌さんだもの 新幹線に乗る子供たちが憧れるような外国からのお客様がまた日本の新幹線に乗りたくなるような制服の女性でいてほしいなあ」と呼びかけていた。
 
 神野美伽さんのこのブログ記事が叩かれたのだという.そして彼女はブログで謝罪した.
 まあ,正論派の諸君が神野さんを叩くのは正論というものだろう.
 が,私は買った駅弁に箸が入っていないという事態に,これまで三度遭遇したことがあるので,神野美伽さんに同情したい気がする.
 
(1) 東海道新幹線静岡駅の上りホームで弁当を買い,食べようとして開けたら箸がなかった.そもそも車内販売がない列車だったので,箸を売っているかを訊ねることなく,食べるのを諦めた.
(2) 同じく新幹線静岡駅の上りホームで弁当を買い,食べようとしたら箸が付いてなかった.やって来た車内販売のお姉ちゃんに箸は売っているかと訊ねたら売ってないと言われたので,食べるのを諦めた.
(3) 東海道新幹線の下り列車の車内で弁当を買い求め,開けたら箸がなかった.車内販売のお姉ちゃんに,箸が付いていないとクレームをしたが,開封した弁当は返品できないと断られた.おまけに箸は売ってませんと言われたので,食べるのを諦めた.
 
 私の四十数年間にわたる長い会社員生活の中で三度だから,まれなことではあるのだろうが,箸なし駅弁の発生総数は「四十年間の新幹線利用客延べ総数×3」だと考えると無視できる事故でもないように思える.今も神野さんのようにたくさんの人が,せっかく買った弁当を食べられずに諦めていると推定される.女性車掌が神野さんにつっけんどんな対応をしたのは,箸はありませんかと車掌に言ってくる乗客が多いのでウンザリしていたのかも知れない.
 弁当に箸を入れ忘れるなどというのは,業者の品質管理ができていないのだ.東京駅などは駅弁激戦区だから話は別だが,地方の新幹線駅では弁当業者は無競争だ.それにあぐらをかいているに違いない.神野さんが,客商売とは思えぬ車掌の態度を気に入らなかったのは理解できるが,有名人なんだから,正論派諸君に叩かれる可能性がある車掌批判は避けるべきだった.それよりも,箸が入っていない弁当を製造した業者を名指しで批判すべきだったように思う.
 それにしても,新幹線の車内販売が箸を売ってないのはなぜだろう.

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2019年9月 7日 (土)

能登の柚餅子

 先日の記事で紹介した映画『武士の献立』は,加賀と能登が舞台である.
 物語のクライマックスで登場する加賀の饗応料理の数々は素晴らしいが,映画のストーリーにおける伏線として使われているのはそれではなく,能登の柚餅子である.
* 春が幽閉されている真如院を訪ねた際に,偶々城下で柚餅子を買い求めて持参したところ,真如院が甚く喜んだ.
* 夫の安信と能登を旅した時に,春は柚餅子作りの様子を見た.
* 春が舟木家を出奔した時,真如院の墓に柚餅子をお供えした.
* 春は,迎えに来てくれた安信と共に加賀に戻る途中,柚餅子を作る村で再び柚餅子を買い求める.
* 春と安信は,道端の地蔵尊に柚餅子をお供えして真如院を供養する.
 このように,能登の柚餅子は真如院を象徴する小道具として何度も描かれる.
 
 実をいうと,私は能登の柚餅子を,小さく切り分けたものを食べたことはあるが,丸ごと全体を目で見たことがない.
 そこで今回,清水の舞台から飛び降りて能登の柚餅子を買い求めてみた.柚餅子総本家中浦屋の通販で一つ三千二百四十円,送料九百七円の合計四千百四十七円であった.
 届いた柚餅子は箱入りで,蓋を開けるとポリ袋に包装されており,想像よりも小さく掌にちんまりと乗るほどの大きさだった.
 
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 箱に同封されていたリーフレットには「薄くスライスしてチーズに載せて酒肴に」などと書かれていた.かなりなお値段といい,スライスして食べるところといい,からすみに雰囲気が似ている.安酒の晩酌に,ちょいとツマむというレベルの食べ物ではない.
 それじゃあ贈答用に使えるか.富裕階層の話は別として,一般人の中元歳暮の贈答用食品は一万円以下が相場だ.しかもそこそこの重さと箱の大きさが求められる.ところが能登の柚餅子はとても小さいので,これ一つでは宅配便では贈りにくい.受け取ったほうが「ナニコレ?」と思ってしまう.そこで三個か四個を詰め合わせるとすると価格は一万数千円となり,これなら同じ価格帯の高級な果物のほうが,頂戴する側としてはうれしいような気がする.
 つらつら思うに,これはやはり北陸旅行の御土産に適しているように思う.箱一つをポンと手渡して「はいお土産!」というのがよい.

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2019年9月 5日 (木)

雪ひら

 先日の記事《武士の献立 》の冒頭で,行平について次のように書いた.
 
私が行平のことを知ったのは,四十年ほど前に読んだ大橋鎮子さんの随筆に書かれていたからである.本が手元にないので確認していないが,たぶん『すてきなあなたに』の最初の一冊だったかと思う.

すてきなあなたに』について調べてみたら,第一巻は昭和四十四年 (1969年) から四十九年 (1974年) までの連載をまとめたものであった.昭和四十七年に就職した私が会社の独身寮にいた頃,『暮しの手帳』を購読していた.『暮しの手帳』は若い男の読む雑誌ではなかったが,その頃,少しばかりイラストを描くのを趣味にしていた私は,花森安治が描く『暮しの手帳』の表紙が好きだったのである.この雑誌の編集方針に共感していたし,花森安治その人に対する尊敬もあった.
 もちろん『一銭五厘の旗』は既に読んでいた.花森がすべての頁のイラストを描き,装釘も行った『すてきなあなたに』も出版されてすぐに買って読んだ.そして読み終えた本を,後に妻となった人に贈った.
 そんな思い出があったので,また読んでみようとネットで古書を買った.届いたのは平成八年 (1996年) の第三十六刷で,二十年以上も前の出版とは思えない美本であった.木端木口のパリパリした感じからすると,もしかすると新刊書店から出たものかも知れない.印刷用紙は全く変色しておらず,非常に高品質の紙が使われているようだ.
 
 さて『すてきなあなたに』を開いたら,大橋鎮子さんが行平のことを書いたエッセイはすぐに見つかった.タイトルは「雪ひら」だった.書き出しのところを引用する.
 
そのゆきひらに〈行平〉と、こんな字をあてることは、知りませんでした。
 雪のちらちらする夜、はねる炭火をよけながら、七輪に、あの分厚いおなべをのせて、ぷつぷつとおじやをつくった。お雑炊におもちを入れてあたたまった……。そんな記憶が、きっとひらりと舞って落ちる雪のひとひらに重なって、私はながいこと、〈雪ひら〉という字を当てていました。
 
 どうだろう.雪ひら.私は大橋鎮子さんのこの文章にうなずいて,二十数年も忘れずにいたのだった.
 その二十数年のあいだに,私の記憶の中で,おじやはお粥に変わってしまったが,それはたぶん私よりも上の世代の人たちから,お粥は行平で炊くのがおいしいと聞いたことがまざったのだろう.
 おじやと餅入り雑炊の他に,大橋さんは,〈雪ひら〉で作るものを挙げている.
  
あり合わせの大根やお芋を、しんみり煮きこんだり、気分をかえて、洋風のクリーム煮や、野菜のスープ煮をしてみたりしています。
 
 私はしたことはないが,塩昆布を煮き上げるのにもよいそうだ.詳しいレシピが「雪ひら」に書かれている.
 根菜の煮物もスープ煮も,どれも弱火で長いことコトコトと煮るのが,いかにも行平らしいのだと思われる.そのような煮物の作り方は,熱容量の小さな薄手の鍋には似つかわしくない.Wikipedia【鍋】の《雪平 (行平) 鍋 (ゆきひらなべ)》項目に書かれている説明は,昭和生まれの私たちからすると間違いなのである.

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2019年9月 3日 (火)

半田そうめんを買ったら

 現在の日本の各地方は,およそ都道府県レベルの行政区画で区分されるが,食文化や食習慣の観点からするとこれでは不適当なことが多い.一つの食文化・習慣が複数の県を跨いで行われていることもあるし,一つの県の中に異なる食文化・習慣が複数存在することもあるからだ.
 例えば,小麦粉と水 (塩は使わない) で麺帯を作り,打ち粉が付着したまま切断して汁に入れ,煮て食べる農家の家庭料理は群馬から埼玉,山梨に至る土地に存在する.(ただし最近になって群馬の飲食店で観光料理「おっきりこみ」の名で提供されているものは,郷土料理の「おっきりこみ」とは無縁の単なるうどんのようである)
 その一方で,群馬は伊香保の五徳山水澤観世音の門前に「水沢うどん」が繁盛しているし,山梨の富士吉田では「吉田のうどん」が有名だ.
 この例に限らず,米に比較して小麦粉は加工・調理のバリエーションが豊富であるため,各地に様々な小麦粉を用いた料理や食品が発達した.中でも小麦粉の麺についていうと,西日本では,うどんが好まれる地域と素麺が好まれる地域が混在している.
 これに対して東日本では,全国的に知名度の高い素麺には白石温麺があるのみで,うどんと蕎麦が混在している.(資料;全国乾麺協同組合連合会「各地の代表的なめん」)
 ちなみに冷や麦はどうかというと,私が大学生だった昭和四十年代,東京の大衆的な蕎麦屋 (立ち食い蕎麦屋は除く) は夏季に冷や麦を品書きに載せたものだが,今はそうめんに取って代わられたようである.西日本ではあまり好まれていなかったとされている上に東日本でもそんな状況なので,冷や麦は生産量もすっかり落ちて十年前には二万トン/年を下回り,現在では私たちの食生活における存在感はほとんどない.
 
 さて西日本の麺事情だが,まずはうどん.官民こぞって行ったブランド戦略の大成功によって,昭和後期まではローカルフードであった「讃岐うどん」がメディアに大きく取り上げられて一種のブーム (最近の聖地巡礼のような) となり,香川県は現在では「うどん県」として著しく高い知名度を持つようになった.その逆に昔から有名だった大阪や博多のうどんは影が薄くなった.
 
 一方の素麺は,西日本各地で昔から作られてきた手延べ製法の素麺が今も健在である.(資料;「そうめんの名産地」)
 それらの一つに,奈良の「三輪そうめん」や播州の「揖保乃糸」とは見た目も食感も異なる異色の素麺がある.徳島の「半田そうめん」である.
 先日偶々,その「半田そうめん」を知人からもらったので食べてみたところ,Wikipediaの記述 (後述) とかなり違うので「おや?」と疑問に思った.食べてみたのは木下製粉の製品だが,これは素麺でも冷や麦でもなく,もっとずっと太い「細うどん」としか思えないものであった.
 そこでアマゾンで「半田そうめん」を検索し,手頃な包装量 (多くはキログラム単位で売られている) で販売されている半田食品と岡本製麺の製品も購入して食べてみた.木下製粉の製品もアマゾンで売られている.
 以下,三社の「半田そうめん」について記す.なお用語「食品表示」についてはWikipedia【食品表示】を参照されたい.

半田食品株式会社製の乾麺;
包装の裏面に食品表示されている名称
 「手延べ干しめん」
包装の表面に記載されている商品名
 「半田名産 手延べそうめん ふるさと阿波の味」
同封のリーフレットに記載されている商品名
 「徳島半田 手延べそうめん」
同リーフレットに記載されている商品説明
 《半田手延素麺の由来
  半田手延素麺の歴史は古く、二百有余年の伝統を誇っています。四国の名峯剣山から吹きおろす寒風でさらし、豊かな清流の四国三郎 (吉野川) をのぞむ恵まれた自然環境の中で古くより受け継がれた伝統を近代的な工場で一本一本心をこめて創り上げた製品です。やや太めの麺線とコシのある歯ごたえは代表的な阿波の味といえます。一度ご賞味いただければ、きっとその味覚にご満足いただけることでしょう。》(註;改行は省略した)
 
岡本製麺株式会社製の乾麺;
包装の裏面に食品表示されている名称
 「手延べ干しめん」
包装の表面に記載されている商品名
 「手延べ 半田そうめん 阿波特産 鳴門産の塩100%使用」
包装の表面に記載されている商品説明
 《手延べ半田そうめん
   手延べ半田そうめんは、約三百年の歴史と伝統があり コシの強さと風味の良さで、皆様方の御好評をいただいております。ぜひ御賞味ください。
 

木下製粉株式会社製の乾麺;
包装の裏面に食品表示されている名称
 「そうめん」
包装の表面に記載されている商品名
 「半田 阿波七 手延べそうめん ―あわしち―」
包装の裏面に記載されている商品説明
 《阿波といえば人形浄瑠璃。人形つかい、黒子、彫り師の職人気質と情熱が昇華されて、木偶の動きは私達を不思議の別世界にいざないます。四国三郎、吉野川が阿波の山並みに沿って流れるその中頃に手延べそうめんの里、美馬郡つるぎ町半田があります。伝統の上に工夫を重ねた半田手延べそうめん、其処には阿波職人の気質が受け継がれております。浄瑠璃の骨太さをもった「阿波七」をどうかご賞味ください。》(註;改行は省略した)
 
 ちなみに半田食品の会社所在地は徳島県美馬郡つるぎ町半田字松生であるが,岡本製麺の会社所在地は徳島県板野郡板野町中久保字当部46であり,木下製粉の会社所在地は香川県坂出市高屋町1086-1である.
 ここで参考にWikipedia【半田そうめん】の記述を下に引用する.
 
半田素麺(はんだそうめん)とは、徳島県つるぎ町の半田地区(旧半田町)に伝わる素麺であり、かなり太い特徴を持つ。
三輪や播州、小豆島などの他の産地では手延べ素麺は1.3ミリメートル以下というのが一般的であるが、半田素麺は0.1 - 0.3ミリメートル太い28番手と呼ばれるものが標準となっており、そうめんとひやむぎとの中間ぐらいの独特の太さという特徴で知られている。
 
「讃岐うどん」という名称からは香川県全域がイメージされるのに比べると,本来の「半田そうめん」はかなり狭い地域の特産品であるらしい.
 上記三社のうち半田食品はその御当地の会社だが,岡本製麺と木下製粉は,いずれもWikipediaに書かれている徳島県つるぎ町半田地区の会社ではない.これは買ってから気が付いたのだが,この件に関しては後述する.
 
 まず,包装の表面の記載事項と,裏面の食品表示事項の「名称」について.
 平成二十七年四月一日に,それまでのJAS法,食品衛生法及び健康増進法の食品表示に関する規定を統合した「食品表示法」(平成25年法律第70号) と同法に基づいて定められた「食品表示基準」(平成27年内閣府令第10号) が施行された.
 乾麺については以下に示す「乾めん類品質表示基準」があり,乾麺製品の包装裏面に食品表示する名称はこれに従う.
 
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 乾めん類品質表示基準
最終改正 平成23年9月30日消費者庁告示第10号
 
第4条 名称、原材料名、そば粉の配合割合及び内容量の表示に際しては、製造業者等は、次の各号に規定するところによらなければならない。
(1) 名称
 加工食品品質表示基準第4条第1項第1号本文の規定にかかわらず、次に定めるところにより記載すること。
ア 手延べ干しそば以外の干しそばにあっては「干しそば」又は「そば」と記載すること。
イ 手延べ干しめん以外の干しめんにあっては「干しめん」と記載すること。ただし、長径を1.7㎜以上に成形したものにあっては「干しうどん」又は「うどん」と、長径を1.3㎜以上1.7㎜未満に成形したものにあっては「干しひやむぎ」、「ひやむぎ」又は「細うどん」と、長径を1.3㎜未満に成形したものにあっては「干しそうめん」又は「そうめん」と、幅を4.5㎜以上とし、かつ、厚さを2.0㎜未満の帯状に成形したものにあっては「干しひらめん」、「ひらめん」、「きしめん 」又は「ひもかわ」と、かんすいを使用したものにあっては「干し中華めん」又は「中華めん」と記載することができる。
ウ 手延べ干しそばにあっては「手延べ干しそば」又は「手延べそば」と記載すること。
エ 手延べ干しめんにあっては「手延べ干しめん」と記載すること。ただし、長径が1.7㎜以上に成形したものにあっては「手延べうどん」と、長径が1.7㎜未満に成形したものにあっては「手延べ ひやむぎ」又は「手延べそうめん」と、幅を4.5㎜以上とし、かつ、厚さを2.0㎜未満の帯状に成形したものにあっては「手延べひらめん」、「手延べきしめん」又は「手延べひもかわ」と、かんすいを使用したものにあっては「手延べ干し中華めん」又は「手延べ中華めん」と記載することができる。
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 上記の「乾めん類品質表示基準」によると,蕎麦を除く「乾めん類」は「手延べ干しめん」と「干しめん」に分類される.上記規格のうちの「イ」と「エ」である.
「手延べ干しめん」と「干しめん」の定義は,以下の通り,この品質表示基準の第2条でなされている.
 
[第2条の抜粋]
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干しめん
     乾めん類のうち、干しそば以外のものをいう。
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手延べ干しめん  干しめんのうち、食用植物油、でん粉又は小麦粉を塗付してよりをかけながら 順次引き延ばしてめんとし、乾燥したものであって、製めんの工程において熟成が行われたものであり、かつ、小引き工程又は門干し工程においてめん線を引き延ばす行為を手作業により行ったものをいう。
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「食用植物油、でん粉又は小麦粉を塗付してよりをかけながら 順次引き延ばしてめんとし、乾燥」するだけでは「手延べ干しめん」と食品表示はできない.これに加えて (1) 製麺工程で熟成が行われること,(2) 小引き工程または門干し工程において麺線を引き延ばすのを手作業で行うこと,の二条件が必要である.
 通販サイトで「半田そうめん」として販売されている半田食品,岡本製麺,木下製粉の三社の製品のうち,半田食品と岡本製麺は「手延べ干しめん」であるが,木下製粉のものは二社とは異なり,「そうめん」と食品表示されている.以下,木下製粉の製品について考察してみる.
 木下製粉の製品は,包装の表面の一部に「半田 阿波七 手延べそうめん ―あわしち―」と印刷されている.その印刷部分を下に画像として引用する.
 
20190904a
 
 これ↑を見た消費者は,商品名は「阿波七」であり,読みは「あわしち」であると理解する.「阿波七」の左にある「手延べそうめん」は,「阿波七」が「手延べそうめん」であることを示している.そのように理解するのが妥当である.
 ところが一番上にある「半田」の意味がわからない.「半田阿波七」ではなく「半田手延べそうめん」でもなく,他の文言と脈絡なく唐突に「半田」と書かれているのだ.その理由を考察してみよう.
 
(1) 「半田」が単独で宙に浮いて書かれているのは,徳島県美馬郡つるぎ町半田地区という意味を持ってしまうことを避けつつ,「阿波七」がつるぎ町半田地区と何らかの関係があるかのように消費者をミスリードするためである.「半田阿波七」としなければ,消費者から「阿波七は半田地区と関係ありますか?」と質問された際に「違います」と答えることができる.なぜなら「阿波七」は香川県坂出市で製造されているからである.
(2) また,「半田手延べそうめん」と書くと「半田そうめん」を意味してしまうが,「半田」と「手延べそうめん」を切り離して書くことにより,「阿波七」は「半田そうめん」ではない (後述) のに,あたかも「半田そうめん」であるかのように消費者を錯覚させることができる.
 
との理由が考えられる.
 そこで包装の裏面に書かれている商品説明 (下の画像) を読んでみよう.
 
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 最初の段落は,「半田そうめん」とは無関係の話.次の段落は,「半田そうめん」には阿波職人の気質が受け継がれているという話.最後の段落には「阿波七」を賞味してください,ということだけが書いてある.この全文のどこにも「阿波七」が「半田そうめん」であるとは書かれていないのに,漫然と読むと「阿波七」が阿波の国と何か関係があるかのような漠然とした印象を与えることに成功している.
 なぜこのように手の込んだ印象操作をしているかというと,食品の包装は表面は裏面と一体であり,商品名や他の宣伝文句と食品表示事項が大きく食い違う場合には,「景表法」など「食品表示法」以外の法律に抵触するおそれがあり,あまりデタラメをするのは危険なのである.
 ところが木下製粉は,企業サイト上の商品宣伝は,食品の包装上に印刷される食品表示事項とは無関係だと思っているらしく,やりたい放題である.木下製粉の家庭用商品を製造販売している子会社である株式会社ファリーナコーポレーションの公式サイトに掲載されている「阿波七」説明ページを,このページが削除隠滅された時の証拠として下に画像で引用する.
 
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 この画像に描かれている文章の一部を下に引用する.
 
阿波半田産・太口手延素麺・阿波七です!250年の伝統を誇る阿波・半田産。
 
「阿波七」は「阿波半田産」「阿波・半田産」であると明記している.「半田産」と「・半田産」を使い分けしている理由はよくわからないが,とにかく子会社ファリーナコーポレーションは親会社木下製粉の敷地の近く,香川県坂出市高屋町1150-5が所在地である.私はこれまでに色々な食品会社のコンプライアンスについて調べてきたが,ここまで図々しく大胆な産地偽装は珍しい. 
 なぜ木下製粉が「阿波七」の産地を偽装しているかというと,「半田そうめん」には,我が国の素麺発祥の地である大和三輪から製法を伝えられたとする説があり,その伝統的製法に価値があるからである.
「半田そうめん」の伝統製法は徳島県美馬郡つるぎ町半田地区に伝えられているが,この地で「半田そうめん」を作り続けてきた製麺所が集まって「半田手延べそうめん協同組合」を結成している.組合員は以下の通りである. 
 
半田手延べそうめん協同組合
組合員:赤川手延製麺,㈱オカベ,小野製麺㈲,カネマル製麺,㈲亀吉製麺,木村製麺㈲,坂口手延製麺,上蓮製麺,塩田製麺,㈲芝製麺,㈲白滝製麺,杉本手延製麺,財田手延製麺㈲,㈲滝原手延製麺,㈲竹田製粉製麺工場,半田食品㈱,半田製麺㈱,㈲前田製麺工場,美馬製麺㈲,森脇製麺,山下手延製麺,雪光製麺,㈲北室白扇
 
 この協同組合には規格を統一した組合ブランドもあるが,各製麺所ごとに製法に個性があるためそれぞれのブランドがあるという.
 この記事の初めに,到来物の木下製粉製「阿波七」を食べて次のように思ったと書いた.
 
先日偶々,その「半田そうめん」を知人からもらったので食べてみたところ,Wikipediaの記述 (後述) とかなり違うので「おや?」と疑問に思った.食べてみたのは木下製粉の製品だが,これは素麺でも冷や麦でもなく,もっとずっと太い「細うどん」としか思えないものであった.
 
 そのことから色々と調べて,木下製粉の「阿波七」は産地偽装の似非「半田そうめん」であることを知った.そして伝統的な「半田そうめん」は半田手延べそうめん協同組合に加盟している製麺所で作られていることがわかった.各組合員は独自の原料配合や製法でそれぞれの「半田そうめん」を作っているというのだが,年に一回注文するくらいでは,私が死ぬまでに組合員の全商品を一渡り賞味することは叶わぬ.残念だが,「半田そうめん」ってのはおよそこんなものであると知る程度にしておくのがよさそうだ.
 というだけでは終わらない.木下製粉のデタラメぶりをもう少し書いておく.まずパッケージ表面に印刷されている部分を再掲する.
 
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 ここには二つの問題がある. 

(1) 木下製粉は「阿波七」の包装裏面の食品表示において,名称を「そうめん」としている.名称を「そうめん」としてよいのは「手延べ干しめん」以外の「干しめん」であると「乾めん類品質表示基準」に定められている.つまり「阿波七」は,「手延べ干しめん」ではない.
「阿波七」の左側に「手延べそうめん」と書いてあるが,これは虚偽である.「乾めん類品質表示基準」に定められた定義では,「手延べそうめん」は「手延べ干しめん」のうち,長径が1.7mm未満であるものをいう.「阿波七」の食品表示に記載されている名称は「そうめん」であって「手延べ干しめん」ではないから,すなわち「手延べそうめん」ではありえないのである.
 
(2) 木下製粉は「阿波七」は「そうめん」だと主張している.「乾めん類品質表示基準」は「そうめん」を長径1.3mm未満であると定めている.「阿波七」が「そうめん」であるかどうか確かめるために,パッケージから麺をランダムに十本選び,ノギスで長径を測定してみた.
 実測の結果は,最小値2.1mm,最大値2.7mm,平均値2.2mmであった.
 つまり「阿波七」は,食品表示において名称を「うどん」とすべきところを「そうめん」と偽称している.これは「乾めん類品質表示基準」違反である.しかもその上,包装の表面に「手延べそうめん」と書いており,産地偽装と合わせて三重の虚偽を行っているのだ.
 
 実際に食べてみると,「阿波七」は,半田食品の「半田そうめん」とは明らかに食味が異なる.木下製粉の「阿波七」は細いうどんである.
 百科事典には,「半田そうめん」は徳島県美馬郡つるぎ町半田地区の製麺所に江戸時代から連綿と伝えられてきた乾麺であると書かれているが,地方企業とはいえ企業規模が小さくはない香川県の製粉業者が,伝統的な品質を無視して「半田そうめん」を騙っていることがわかった.「半田そうめん」を賞味したいと思われる向きは,つるぎ町半田地区の製麺所の製品を取り寄せされることをお勧めする.

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2019年9月 2日 (月)

呼び捨て

 今朝,偶々テレビをオンにしたら,テレビ朝日「グッド・モーニング」で香港の民主活動家,アグネス・チョウ (周庭) さんのインタビューが放送されていた.MCの坪井直樹アナはアグネスさんについて「日本語でまくし立てる」とか「過激」などと言った.誰が聞いてもアグネスさんの日本語は「まくし立てる」とは遠いものであるにもかかわらず,だ.
 改めてウェブを調べてみると,他局がアグネス氏とか周庭氏と書いているのに,「グッド・モーニング」の公式サイトではチョウと呼び捨てにしていた.この局は,香港の現在について何か含むところがあるようだ.
 香港の民主化運動が過激かどうかは,その只中にいる香港の人々が判断する.たかがテレビのアナウンサーが,現場から遠く離れた東京のスタジオで何を偉そうに.現地からレポートしろ.

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武士の献立

 北國新聞創刊百二十周年記念作品として制作された映画『武士の献立』(2013年公開) は,浅草の料理屋の娘に生まれた春が加賀藩江戸屋敷に奉公に上がり,まだ幼いのに生まれつきの料理の才を発揮する場面から始まる.本作の時代背景は江戸時代の三大御家騒動といわれる加賀騒動である.
 加賀騒動は,六代藩主前田吉徳が,軽輩であった大槻伝蔵を側近に抜擢し,逼迫していた藩財政の改革に取り組んだことに端を発する.
 結局,吉徳の死後に守旧派の反撃で大槻伝蔵は失脚し,配流された越中五箇山で自害する.そして大槻伝蔵が思いを寄せていたとされる吉徳の側室,真如院もまた無実の罪を着せられて殺害されたのであるが,その真如院に女中として仕えたのが本作のヒロインの春だという設定である.
 映画『武士の献立』は六年も前の作品であるから,鑑賞した感想の記事はたくさんブログ等に書かれているが,ネタバレと称してはいるものは単なる粗筋を書いたものばかりである.そんな粗筋はWikipediaを読めばわかる.そうではなくて,調べなければわからない幾つかの点,調べてもわからなかったを幾つかのことを解説しながら,一度あるいは数度この映画を観た人のために,ノベライズ版『武士の献立』の誤りを指摘しつつ,以下に真のネタバレを記す.w
 
 映画は,ある日の夜分,風邪で体調すぐれぬお貞の方 (出家して真如院) のために,春が七輪で粥を炊く場面から始まる. 
 粥は,米から炊く方法 (炊き粥) と残り飯を炊き直すやり方 (入れ粥) がある.江戸時代は一日に何度も米の飯を炊くことはしなかった.上方では昼または夜に飯炊きをするが,江戸では朝に飯を炊く.加賀藩とはいえ江戸屋敷ではおそらく竈に薪で火を熾すのは朝だろうから,夜に粥を拵える場合は七輪に炭火で残り飯を炊き直すことになる.
 下の画像 (以下の画像はテレビ画面をカメラ撮影してトリミングしたもの) は,春が残り飯を水で洗っているところ.洗ってネバ (糊) を取り除かないと.おいしくないからだ.
 
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 水で洗った飯は行平鍋で炊く.行平鍋は,普通は単に行平と呼ばれる.銅を鍛造した片手鍋 (木製の柄が付いている) や,甚だしきはアルミをプレスしたチープ感あふれる片手鍋を行平と書いている書物や通販サイトがあるが,これは誤用である.正しくは下の画像のように注ぎ口と片手の柄が付いている土鍋の一種をいう.Wikipedia【鍋】には
 
雪平(行平)鍋(ゆきひらなべ)
和風鍋であり、蓋のない中程度の深さの片手鍋。汁の注ぎ口が左右両方に付いている場合が多い。煮物、茹で物、出汁を作る時など、鍋を利用する日本料理で使用される事が多い一種の万能鍋である。蓋は落とし蓋を利用する。本来は取っ手や蓋、つぎ口の付いた土製の鍋、あるいは銅製の鍛造鍋であったが、現在ではアルミ製の軽量な片手鍋であることが多い。鱗のように表面を覆うポリゴン状の模様は、本来は銅板を金槌で叩いて成型した跡である。廉価なプレス成型品でも、鍛造鍋に似せる装飾として模様を付けている。木製の柄がネジで固定されている物があり、これは取っ手が傷んだ場合に木製の柄だけを交換することが可能である。
 
と書かれているが,これは全くの誤りである.「本来は」も何も,行平と呼んでいいのは土製で蓋つきの片手鍋だけである.銅の鍛造片手鍋やアルミの安物は,単に片手鍋と呼べばいいのである.
 行平は,実用性からいうと一般的な形状の土鍋 (両手で持つ形) や,ツルが付いた鉄製の囲炉裏鍋より遥かに劣る.その理由は,行平に中身が入っている状態では片手で扱うには重すぎて,結局のところ両手で持たねばならないからであることが大きい.そのため次第に使われなくなり,いつの頃からか,日常の台所仕事の場から姿を消した.しかし明治以降,戦前に至る文学作品や料理本に「行平」とあるのは土鍋の行平のことである.
 私が行平のことを知ったのは,四十年ほど前に読んだ大橋鎮子さんの随筆に書かれていたからである.本が手元にないので確認していないが,たぶん『すてきなあなたに』の最初の一冊だったかと思う.
 大橋さんは,今の流行り言葉でいうところの「丁寧な暮らし」を読者に示した人だった.その人が粥は行平で炊くものだと書いている.私自身は行平を使ったことはないのであるが,おそらく行平で炊いた粥は格別においしいのであろう.
 さてテレビドラマは言うまでもなく,映画でも行平で粥を炊くという場面があるのは空前絶後,この『武士の献立』だけではないか.少なくとも私は『武士の献立』で初めてスクリーン上に行平を見た.映画『武士の献立』のオープニングに,日本の料理の伝統を象徴する行平を映し出したのは,朝原雄三監督の行き届いた演出だと思う.
 もちろん監督だけで映画はできないわけで,エンドクレジットを読むと,本作には舟木家に繋がる金沢の老舗料亭大友楼や料理専門家たちが指導監修に携わっている.また私は何度も繰り返して意地悪く粗を探す目で本作を鑑賞したが,時代考証にほとんど瑕疵はないと考える.
 ちなみに本作のシナリオを,作家の大石直紀がノベライズしている (小学館文庫『武士の献立』).大石は行平のことを土鍋と書いているが,それは不適当だ.大石は行平という名称を知らなかったのだろう.料理のことであれば『包丁侍 舟木伝内』(平凡社) が参考になるという.この本の著者であり歴史家である陶智子先生 (故人) は本作の料理考証を担当した人である.
 
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 さて,まだ幼かった春が加賀藩江戸屋敷へ奉公にあがったあと,実家である浅草の料理屋は火事で燃え,家族は焼死して春は天涯孤独の身となった.そんな春の料理の才能を見込んで,加賀藩台所方である舟木伝内 (実在の人物がモデル) は,跡取り息子の安信 (これまた実在の武士がモデル) の嫁に是非欲しいと談判する.下の画像はその際のワンシーンである.春が調理したアシタバ (明日葉) を賞味した伝内は箸を膳に戻すのだが,箸の先を膳の縁に掛けた (赤い矢印).現代の私達は,つい皿の縁に箸先を掛けてしまいがちなのであるが,実は膳の縁に掛けるのが正しいのである.その際の伝内 (西田敏行) の動作がさりげなく速やかで,ここは感心する場面だ.
 なお,この場面で伝内の懐紙は,通常よりもかなり大きいサイズである.映画『武士の献立』の時代考証はかなり行き届いていると思われるので,このような大きい懐紙が実際に存在したのだろうが,大きさや用途などを調べてもよくわからなかった.もしかすると縦にして懐に入れている可能性があるかもと思ったが,それにしても普通の男性用懐紙より大きいように見える.
 
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 下の画像は,伝内の妻である満 (余貴美子) の箸遣いのアップ.作法通りでとてもきれいだ.『武士の家計簿』に松坂慶子が武家の内儀役で出演しているが,箸をきちんと持てない上に懐紙の使い方も心得ない松坂に比べると,余貴美子は女優としての格が違うのが歴然としている.
 余貴美子は『シン・ゴジラ』で防衛大臣花森麗子を演じているが,その時の存在感ある演技と,本作における口の軽い御内儀の演技が好対照で,これには感服した.
 ところで一般に料理屋とか旅館で,食事が銘々の膳で供される場合,箸は紙の箸袋に収めた利休箸か,紙の帯で巻いた卵中箸ではなかろうか.外食ならばそういうことになるが,自宅での食事なら布の箸袋に各自の箸を入れておくことになる.下の画像で右手の下,飯碗の手前にある布がそれだ.ただし,この形の布製箸袋を通販サイトで探してみたのだが見当たらなかった.御存知の向きに御教示頂きたいものだ.
 
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 いたって好人物であるが口が軽い満の性格を描写しているシーンがいくつかあるが,春が加賀の舟木家に到着して義母の満に挨拶するときの場面がおもしろい.満は,春が出戻りであることに触れて「江戸では初鰹をありがたがるようだが脂の乗った戻り鰹を好む者もいます」と口を滑らす.加賀では北上する鰹も戻り鰹も出回らないわけで,見たこともない戻り鰹のことを知ったかぶりして出戻りの女に喩えてしまう満の性格がよく描かれている.
 この時に春は畳に目を落としたままムッとした表情をする.春が舟木家に嫁いだ時点では,春に料理の才能を認め,それ故に舟木の家の嫁に欲しいと懇願したのは伝内ただ一人であった.義母の満も夫の安信も,武家の嫁は跡継ぎを生めばよいのだとしか言わないのである.これは,加賀騒動が落着したあと,春が舟木家を去ることに繋がる大切な伏線の一つである.それを,下の画像のワンシーンで眉間にしわを寄せ,口をとがらせて心中の不満をかわいらしく演じた上戸彩さんに私は拍手する.貴兄も拍手しなさい.
 しかしあちこちのブログに書かれた映画批評をざっと一通り読んだ限りでは,この伏線すなわち江戸時代における武士社会の強固な身分世襲制と,武家に嫁いだ女性の地位役割について触れたものは見当たらない.この時の春の表情が,本作における上戸彩さんの演技中の白眉なのに,みんなスクリーンのどこを観ているのだろう.
 
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 下の画像は,安信が昇進を果たした翌日の早朝,春が南瓜の煮物を拵える場面である.ここで春は手で種とワタを取り除いたが,包丁の背でこそげ取るやりかたがいいらしい.手前に半分に割った南瓜があるが,これを見た限りでは日本カボチャである.当然だが.
 
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 下の画像にあるように,春は南瓜を小豆と一緒に煮た.これは奈良の郷土料理として知られている「(南瓜と小豆の) いとこ煮」だが,江戸生まれの春が作ったところをみると,江戸でも知られていた料理ということだろう.一説には,南瓜と小豆のいとこ煮は,神仏にお供えした南瓜と小豆を下げてから煮たことに起源があり,婚礼や法事の料理であるという.つまり春としては安信の昇進祝いに作ったのであるが,北陸地方の「いとこ煮」は,小豆を大根などの根菜や里の芋と一緒に煮るもののようで,どうやら春の心尽くしは,満には理解してもらえなかったようだ.だがそれは各地の風習であるから致し方ない.味が良いと満にほめられた春はうれしげに微笑むのだった.
  
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 話は先に進んで,この頃から安信はいわゆる加賀騒動に巻き込まれる.
 六代加賀藩主前田吉徳が,軽輩であった大槻伝蔵を側近に抜擢して進めようとした藩政改革は,吉徳の急死で頓挫し,加賀騒動が始まる.このあたりをWikipedia【加賀騒動】から引用する.
 
一方加賀藩の財政は元禄期以降、100万石の家格を維持するための出費の増大、領内の金銀山の不振により悪化の一途を辿っていた。
享保8年 (1723年)、藩主綱紀が隠居し息子の前田吉徳が第六代藩主となった。吉徳はより強固な藩主独裁を目指した。足軽の三男で御居間坊主にすぎなかった大槻伝蔵を側近として抜擢し、吉徳・大槻のコンビで藩主独裁体制を目指す一方、藩の財政改革にも着手する。大槻は米相場を用いた投機、新税の設置、公費削減、倹約奨励を行った。しかし、それらにより藩の財政は悪化が止まったものの、回復には至らなかった。さらに、悪化を食い止めたことを良しとした吉徳が大槻を厚遇したことで、身分制度を破壊し既得権を奪われた門閥派の重臣や、倹約奨励により様々な制限を課された保守的な家臣たちの不満はますます募り、前田直躬を含む藩内の保守派たちは、吉徳の長男前田宗辰に大槻を非難する弾劾状を四度にわたって差出すに至った。
延享2年 (1745年) 6月12日、大槻を支え続けた藩主吉徳が病死し、宗辰が第七代藩主となった。その翌年の吉徳の一周忌も過ぎた7月2日、大槻は「吉徳に対する看病が不充分だった」などの理由で宗辰から蟄居を命ぜられた。さらに延享5年(1748年)4月18日には禄を没収され、越中五箇山に配流となる。
 
 安信の親友である今井定之進は家禄没収の上で加賀藩追放の身となった.定之進と妻の佐与が旅立つ朝,春は二人のために弁当を拵える.映画中で全く説明されないが,薄焼きにした卵の上に薄く削いだ鱒 (鱒寿司と同じ) を載せ,これで酢飯を巻いたものである.これと同じものをウェブ検索したが見当たらない.市販はもちろん,家庭でも作られなくなった加賀の伝統料理なのだろうか,実に旨そうである.しかしこの巻き寿司をノベライズ版『武士の献立』は《定之進と佐与が加賀を離れることを昨夜話すと春は、何も言わずに押し寿司を作り始めた 》として,押し寿司に変えてしまった.著者は春が拵えた寿司を説明するのが面倒だったのかも知れないが,だからといってシナリオを勝手に改変するノベライズがあっていいものか.
 
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 加賀藩守旧派は大槻伝蔵一派を一掃するだけでなく,陰謀は真如院の身にまで及ぶ.同じくWikipedia【加賀騒動】から下に引用する.
 
その後、宗辰は藩主の座に就いてわずか1年半で病死し、異母弟の前田重煕が第八代藩主を継いだ。ところが延享5年の6月26日と7月4日に、藩主重熙と浄珠院への毒殺未遂事件が発覚する。浄珠院は宗辰の生母であり、重熙の養育も任されていた人物である。藩内で捜査した結果、これは奥女中浅尾の犯行であり、さらにこの事件の主犯が吉徳の側室だった真如院であることが判明した。これを受けて真如院の居室を捜索したところ、大槻からの手紙が見つかり不義密通の証拠として取り上げられ、一大スキャンダルとなる。寛延元年 (1748年) 9月12日、真如院の身柄が拘束されたことを聞いた大槻は五箇山の配所で自害した。寛延2年 (1749年) には禁固中の浅尾も殺害され、真如院と前田利和 (勢之佐) は幽閉されていたが、真如院は自ら絞殺を望んでその通りに殺されたという。大槻一派に対する粛清は宝暦4年(1754年)まで続いた。
 
 加賀騒動のスキャンダルとして世に知られた大槻伝蔵の不義密通事件は史実として疑わしいが,本作は歌舞伎や実録本によって世間に流布したいわゆる加賀騒動を一部取り入れ,吉徳の側室お貞の方と伝蔵は相思相愛の間であったという設定になっている.
 金沢城下で拘束されている真如院に会いたい思いが募る春に,満は軽率な行動をするなと命じる.しかし安信は春のために手はずを整え,そのおかげで春は真如院に密かに面会することができた.春は加賀に来て覚えた料理の数々を重箱に収めて持参するが,偶々城下で購った柚餅子も差し上げたところ,真如院は懐かしいと殊の外喜んだ.そして柚餅子がゆっくりと熟成されて作られることになぞらえて,春もそのような夫婦になれよと諭した.
 このシーンを大石直紀によるノベライズ版『武士の献立』は次のようにしている.
 
真如院は、重箱の横に並んだ小皿に目を留めた。柚餅子は小さい頃よく食べた。思わず笑みがこぼれる。
 
 だがこれはおかしい.《小さい頃よく食べた 》などという台詞は劇中にない.これは大石直紀が勝手にシナリオに書き加えたのだ.
 真如院は江戸の芝神明宮の神職の家に生まれた.能登の特産品が江戸市中にまで一般に流通していたとは考えにくいから,真如院が柚餅子を口にしたのは吉徳の側室となって加賀藩江戸屋敷に住むようになってからであり,国元からの献上品を食べたのに違いない.大罪人として幽閉された真如院は,藩主に寵愛されて何不自由なく暮らしていたかつての日々を,柚餅子を見て懐かしんだのだ.《小さい頃よく食べた 》は一体どこから引っ張り出してきたのだと言いたい.
 
20190831b
 
 大槻伝蔵は自害し,真如院は殺害された.こうして加賀騒動は,守旧派の勝利で幕を閉じた.
 守旧派を率いた重臣前田土佐守直躬は,八代藩主重煕の国許入りを祝って徳川家や近隣の大名を集めて饗応料理を振舞うことを企画した.そして舟木伝内が差配を勤めることになった.
 ところが大槻派の残党が前田直躬の殺害を図ったのである.安信もこれに加わろうとしたが,春は安信を死なせたくない一念で,安信の大小を持って逃げた.
 結局残党は全員が討たれた.ただ一人死に損なった安信は怒り心頭で,心ここにあらずの態で家に戻ってきた春を手討ちにしようとする.春は,安信が生きていてくれさえすれば,己は安信に討たれても構わぬと思った.そして安信が刀を振り下ろそうとしたその時,間一髪で満が止めに入った.この親不孝者と,泣き崩れる満の様子を見て安信の気勢が削がれた時に,出かけていた伝内が倒れたと知らせが入る.こうしてその場は大事に至らずに収まった.
 翌日,病床の舟木伝内は安信に,包丁侍の本分は刀剣ではなく料理で主君に仕えることにあると諭す.そして春と共に能登の食材と料理の調査をせよと指示する.能登にはまだ加賀に知られていない食材と料理があるだろう.それを用いて加賀藩饗応料理の完成度を高めたいというのが伝内の目論見であった.
 城下を出立した二人はまず日本海を左手に見て輪島に向かう.安信は,仲間の中で一人生き残ったことで心に深い傷を負った.そのわだかまりを抱えて黙々と歩く.春は,夢中でしたこととはいえ,そのために夫の心がもはや自分を離れてしまったのだと思いつつ,安信の後ろを離れて歩く.下の画像のシーンに,二人の心の距離が描かれている.本作のラストシーンでは,二人が仲睦まじく離れずに歩くのと対照的である.
 
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 輪島から先,能登半島の先端にかけて揚げ浜式製塩 (下の画像) が盛んな村々があった.これは今でも石川県の文化財としてわずかに行われているようだ.ロケ地は株式会社奥能登塩田村と思われる.左奥の建屋には鹹水を煮詰める釜がある.
 
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 塩の味は,塩田ごとに異なるという.日本古来の製塩方法は,濃縮した海水 (鹹水) を釜で煮詰めて塩の結晶を得るのだが,煮詰める塩梅で塩の組成が違ってくるからであろう.安信と春は塩田を訪ね,作られている塩を舐めては帳面に記録していく.
 塩田を訪ねる旅の途中で春は,柚餅子作りを目にした.今は亡き真如院が,過ぎし日々を懐かしんだ,あの柚餅子である.
 下の画像,和紙に包まれて糸で吊り下げられているのが「輪島の丸柚餅子」である.これは,各地に在る一般的な和菓子の柚餅子と異なり,柚子を丸々一個使うところが他所の柚餅子と違う.元々は能登の柚餅子が全国に伝播しているうちに餅菓子に変化したのであろう.丸柚餅子は,いささかお値段は張るが能登土産として知られ,通販でも購入できる.(柚餅子の資料と通販は柚餅子総本家中浦屋)
 下の場面は,ラストシーンに繋がる伏線である.
 
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 安信と春は,能登漁師たちが使う「いしる」(魚醤) も調査をする.下の画像で安信が手にしている徳利に入っているのが「いしる」だ.鮑等の貝殻に魚介を入れて焼く能登の「貝焼き」は「いしる」で調味するものだという.無論「いしる」は工業生産品ではないから,漁家ごとに風味は異なったであろう.それもまた安信夫婦は帳面に書き留めて旅を続けた.
 能登の塩はともかく,「いしる」を耳にしたことのない人には,全く台詞のないままに進む下の場面は,何のことやら全くわからない.
 
20190831e
 
 下の画像は熟成中の「いしる」の樽.既に述べた鱒の巻き寿司と同じく,これについても劇中で全く説明がないが,映画の観客が物語を追体験することを欲するならば,映画に対して能動的に関わるべし (つまりわからないことは自分で調べよ!) というのが監督の姿勢なのだろう.文学作品も映画も同じだ.漫然とスクリーンを眺めていたのでは物語を理解できないという映画作法に私はむしろ好感を持つ.
  
20190831k
 
 時には野宿をしながらの長い旅は,女の身の春には辛かったであろう.しかし安信の調査を助けながら,足袋に血を滲ませながらも健気につき従ってくる春を見て,一度は凍りかけた安信の心は遂に融けた.春を,この妻をいとおしく思った.
 ちなみに邦画の名作『砂の器』で,石川県の寒村に生まれた本浦秀夫と父・千代吉が放浪の旅に出たのが能登であった.安信と春の二人が海岸を旅する光景は『砂の器』へのオマージュである.
 
 能登の旅から戻った安信は,伝内を後見にして加賀藩伝統の饗応料理の献立を作成した.それには能登の旅の成果を取り入れた.
 そして饗応の当日,安信は伝内に代わって差配を執った.
 だが伝内父子が城中で一世一代の技を揮っているとき,春は舟木の家を出た.あの日,舟木伝内は厨房の土間に膝をついて,安信を一人前の包丁侍にしてくれと春に頭を下げた.安信が立派にお役目を果たす侍になった今,自分の役目はもう終わったと思ったのである.
 真如院の墓前に柚餅子を供え,柚餅子のような夫婦になれませぬでしたと春は掌を合わせ,脚は北へ向かった.
 
20190831f
 
 それから暫く経った頃,舟木家から出奔した春は,能登の浜で海女相手の食い物商いをして暮らしていた.能登は,かつて夫と旅した思い出の地である.
 海女のために貝焼きを拵えていると,「うまそうだ」と懐かしい声がした.
 
20190831g
 
 安信は,春をみつけるまで戻るなと伝内に命じられたと言った.
 そして,満には,孫を生むのは春しかいないと言われたと.
 安信は,二人で能登を旅した時以来,春以外の妻は考えられなくなっていた.だから頭を下げた.俺と一生を共にしてくれと.
 
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 こうして安信と春の夫婦の絆は確かなものとなった.
 それからまた少しして,能登から金沢へ向かう街道に二人の姿があった.それは,春を安信と巡り合わせてくれた恩人であり,優しかった真如院を偲びながらの帰路であった.春は通りかかった村で柚餅子を購い,夫婦は路辺の地蔵尊に柚餅子を供え,供養とするのであった.
 ちなみに,本作における舟木安信のモデルは,加賀藩御料理頭に登った二代目舟木伝内すなわち長左衛門安信である.舟木家当主たちの書き遺した書物のうち,安信が著したとされる『料理の栞』は国会図書館にある.
 
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 邦画の楽しみ方は様々だろう.とりわけ時代劇は.
 よく言われることだが,海坂藩の武士たちは現代に生きる私たちなのである.そして,加賀藩の包丁侍も,その妻も,私たちなのだ.
 だとすれば,ある場合には,映画を作った者の意図を離れた鑑賞も許されるだろう.
 例えば,南洋諸島における玉砕で死に損なった兵士はその後の人生をどう生きたか.これは戦後の文学と映画のモチーフの一つとなった.
 例えば私と同世代なら,バリケードに立て籠もった友たちが大学を追われたあと,日常性に復帰したたくさんの安信たちはそれからあとをどう生きたか.
 老人は時代劇を観て,そんなことを考えるのである.

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2019年9月 1日 (日)

超耳垢栓塞

 昨日の夜,綿棒で耳の掃除をしていたら突如,右耳が聞こえなくなった.
 痛みはないから鼓膜を破ったのではないだろう.
 そこで色々と調べてみたら「耳垢栓塞」(読み;じこう‐せんそく) というらしい.「じこう-せんさい」かと思ったら違った.超耳垢栓塞マクロスとか.ヾ(--;)
 平たく言えば綿棒で耳垢を押し込んでしまったのであり,治療には耳鼻科のお世話になる必要があるが,とりわけ大事に至るというものではないらしい.
 それはよかったのであるが,原因が情けない.若い人の外耳道は耳垢を自動排出できるらしいが,老化が進むと耳垢が出にくくなるという.そこへ綿棒なんぞを使うと,耳垢を奥へ奥へと押し込んでしまうのだとさ.
 右耳の聴力がなくなると,すべての音が左耳の極く近くに聞こえる.音楽を聴いてもステレオ感が全くない.音源の方向が全く把握できなくなるのには驚いた.聴覚の障害を生まれて初めて実体験したのだが,この状態で道を歩くのは危険かも知れない.
 私の眼は老化によるドライアイが進行して,目薬 (第3類でないとだめだが,生理食塩水でもいいかも) が手放せない.首には小さなイボが多数ある.これも老化によるもので,関西では「お迎えイボ」と呼ぶ.これができると,もうすぐお迎えがくるらしい.老化が廊下の奥に立ってゐた.超耳垢栓塞なんて言ってる場合かよ.






 


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