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2019年8月24日 (土)

群ようこ『れんげ荘』

 群ようこという作家はストーリー・テラーではないので,エッセイにしろ小説にしろ,彼女の作品世界は狭い.肉親との争い,広い意味での断捨離,ネコとの暮らし etc. が基調音になっている.『れんげ荘』は,会社勤めにほとほと愛想が尽きた中年の独身女性が,四十五歳で退職し,東京の都市部にある極端なボロアパートに引きこもり,貯えを取り崩しながら暮らすという話だ.一種の断捨離譚だが,モノを捨てるに留まらず,主人公は人間関係などのしがらみも整理してしまう.この小説のテーマは,そのような生活が可能かどうかということである.
 
 残念なことに,作者の群ようこには,最底辺の生活に関する知識も経験もないから,この小説にはリアリティがない.想像力と調査能力があれば,経験がなくてもリアリティのある物語を書けただろうが,群ようこにはその力がなかったということである.
 例えば小説の基本設定として,主人公は「月々十万円を銀行口座から引き出して生活し,無収入で三十数年間生きるだけの預貯金を持っている」とされているのだが,この「月々十万円を銀行口座から引き出して生活する」という設定の詳細が曖昧なのである.家賃と電気代.国民健康保険料,国民年金保険料,電話料金などは実際上,銀行口座からの引き落としとなるが,この種の経費のことは非常に重要なことなのに『れんげ荘』には一切書かれていないのである.十万円にこれらが含まれるかどうかで,主人公の持っているとされる預貯金額が大幅に異なってくるのだが,小説中ではこれが曖昧にされていて,「口座残高が八桁」とだけ書かれている.しかし簡単に「八桁」といっても,九千万円と五千万円ではエライ違いだ.
 
 作者の群ようこは,たぶん年金システムについての知識がない.健康保険は一種の税金だが,それを多分知らない.生活保護制度における「最低生活費」が東京都ではいくらに設定されているかも知らないに違いない.もし知っていればこんな空想貧乏小説は恥ずかしくて書けなかっただろう.(最低生活費については,弁護士などの専門家が解説しているサイトがある.関心ある向きはウェブを検索されたい)
 高齢の年金生活者にとっては常識だが,無職で生活をするに際して決定的に重要なのは住居費である.これと最低限の食費,年金保険料と健康保険料等々の義務的経費,年齢に並行して増加する医療費,厚労省が想定している「健康で文化的な生活」に必要なお金を合計すると,月々十万円では東京都の都市部では毎月五~六万円が不足する.しかし申請すれば様々な条件付きではあるが,不足分がいわゆる「生活保護費」として受給できるわけだ.
『れんげ荘』の主人公の生活は生活保護レベルの収入 (預貯金の取り崩し) しかないのに,姪に高価なアクセサリーを買ってあげたり,おいしいコーヒーを飲みに出かけたり,健康のためと称してオーガニックの野菜を買って食べている.そして崩壊寸前のボロアパートで一日中テレビを見て過ごしている.たぶんお金に困っていない群ようこの感覚では,こういう生活が月々十万円でもやれることなのだろう.
 
 世の中には,低賃金の仕事しか見つけられずに生活保護を受けながら子供を育てているシングルマザーや,国民年金と生活保護だけが頼りの独居老人がたくさんいる.そしてそのような人々について書かれたルポルタージュは多いが,たぶん群ようこは読んでいない.彼女は作品中で森茉莉への憧れを滲ませているが,彼女の関心は森茉莉的生活であって,底辺の社会的弱者には向いていないのである.
 自分の身辺雑記なら空想小説に過ぎないと批判されることはなかろう.群ようこは,その種のエッセイや,あるいは未婚独身女性が憧れるおしゃれな小説 (『パンとスープとネコ日和』的な) を書くにとどめているのがいいと思われる.

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