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2019年7月 3日 (水)

クラシック・レイディオ (四)

 我が国のラジオ放送の黎明期は,大正十四年三月二十二日九時三十分,社団法人東京放送局 (現在のNHK東京ラジオ第1放送) の京田武男アナウンサーによる第一声「アーアー,聞こえますか……JOAK,JOAK,こちらは東京放送局であります.今日只今より放送を開始致します」により始まった.この放送は芝浦にあった東京高等工芸学校の中に仮送信所を設けて行われた.
 
 当時,新しく登場した画期的なメディアであったラジオ放送を所管する官庁となった逓信省は,上記の東京放送局の放送開始に先立つ大正十二年 (1923年),東京,名古屋,大阪の三地域で放送を行うこととし,それぞれの地域で事業を行う三つの公益法人すなわち社団法人東京放送局,同名古屋放送局,同大阪放送局に放送事業を許可した.このような形をとったが,三法人は実質的に国家機関であった.
 東京放送局に続いて六月には大阪放送局も仮放送に踏み切り,さらに七月には東京放送局は愛宕山山頂に建設された送信所からの本放送を開始した.名古屋放送局も七月に本放送を開始したが,大阪放送局の本放送は大幅に遅れて翌年十二月であった.
 翌年,三放送局は統合され,社団法人日本放送協会が発足した.これ以後のラジオ放送は国策事業として推進されていくのであるが,当時の日本はラジオ放送事業のインフラ整備から始めねばならなかった.例えばラジオ放送用送信機は国産機がなく,米国ウェスタン・エレクトリック社製の放送用送信機が用いられた.しかしその送信電力は,わずか1kWであった.現在の首都圏民放局 (TBSラジオ・文化放送・ニッポン放送) が100kW,NHK東京第1放送が300kWで送信されているのとはまるで比較にならない小規模な放送であった.
 しかも受信する側はといえば,信号増幅回路のない鉱石ラジオなのであった.もちろんこの頃既に電池管 (交流電源ではなく電池を使用する真空管) 式のラジオが米国で開発されてはいたが,ランニングコストが非常に高く,富裕層にしか手の出ないものであった.(資料;《大正時代の真空管ラジオ 》および《ラジオ放送開始から1928年まで -鉱石と電池式受信機の時代-》)
 そのため政府は当初,鉱石ラジオでの聴取を前提にインフラ整備に努め,全国各地に放送局を設置した.
 今の高齢者層には,昭和三十年代前半の児童学習雑誌の付録で鉱石ラジオを作った経験のある人がいるだろう.しかし私の郷里の群馬県では,鉱石ラジオは実用性のないものだった記憶がある.それは喩えて言えば,ホワイトノイズに埋もれた宇宙の果てからの異星人の呼びかけのような音だった.
 しかし間もなく真空管式家庭用ラジオは普及し,政府は国民に対する直接的な訴求手段を手に入れることができた.新聞というものが,そもそもの意義として国民の自由と民権の意識を基盤にしていたのとは異なり,我が国のラジオ放送は最初から政府の国家統治手段の側面を持っていたのである.
 先の戦争中は,ラジオ放送が新聞と並ぶ二大メディアであった.ラジオ受信機は民間会社が製造してはいたものの,戦局が厳しくなると物資の供給を受けるためにメーカーは苦労したという.当時の真空管式ラジオの名称が「国策一号」とか「愛国二号」などであるのは,国策協力のためだったらしい.
「ラジオと戦争」というのはなかなか興味ある話題で,それは真空管の歴史と密着している.例えば映画『史上最大の作戦』の中に,第二次大戦中のフランス人が,英BBC放送による歴史的な暗号ラジオ放送を真空管式ラジオで聴く場面が描かれている.これはWikipedia【ノルマンディー上陸作戦】で次のように記されている.
 
連合軍が徹底的にオーバーロード作戦を秘匿したにもかかわらず、ヴィルヘルム・カナリス海軍大将が指揮するアプヴェーア(国防軍情報部)は、オーバーロード作戦が開始される前兆として、BBC放送がヴェルレーヌの「秋の歌」第一節の前半分、すなわち「秋の日の ヴィオロンの ためいきの」を暗号として放送するという情報をつかんでいた。これは「連合軍の上陸近し。準備して待機せよ」という、イギリス軍特殊作戦執行部(SOE)発でヨーロッパ大陸の対ドイツレジスタンス全グループに宛てられた合図の暗号放送であった。放送予定は当月の1日または15日。
アプヴェーアが見込んでいた通り、6月1日、午後9時のBBC放送ニュースの中のコーナー「個人的なおたより」でこの暗号は放送され、アプヴェーアは国防軍最高司令部(OKW)とカレー方面を防衛する第15軍司令部、西方軍集団総司令部、B軍集団司令部に警告を発する。第15軍は警戒態勢に入ったが、B軍集団麾下でノルマンディー方面を守備する第7軍はなんの連絡も受けなかった。OKWで連絡を受けた作戦部長アルフレート・ヨードル大将は陸軍参謀本部の第三課長レンネ大佐に警告の件を伝えたが、レンネ大佐は格別な措置をとらなかった。
「秋の歌」の最初の部分の録音を聞き終えると、マイヤーはただちに第一五軍の参謀長ルドルフ・ホフマン少将に報告した。「暗号の第一部が発せられました。どうやら何かが始まりそうです」と彼は言った。 — コーネリアス・ライアン『史上最大の作戦』62ページ
 
 また第二次大戦後のベトナム戦争では,北ベトナム軍がサイゴンに迫る中,既に南ベトナムからの撤退を決めていた米国は,サイゴン陥落前夜の1975年4月29日に,米軍放送でビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」を流すことで,在越アメリカ人にサイゴン脱出を呼び掛けた.歴史的に記憶されるべきラジオ放送は,おそらくそれが最後だったろう.そしてもうこの頃には,工業製品としての真空管式ラジオ受信機は市場から姿を消しており,その後の真空管式ラジオは趣味の対象として生き続けたのである.またメディアとしてのラジオ放送 (短波放送を含む) は二十世紀末にはインターネットに席を譲り,歴史の舞台から去ったことは周知の通りである.
 余談だが,昭和五十一年 (1976年)九月六日,旧ソ連のミグ25戦闘機が演習中に隊を離脱し,函館空港に強行着陸する事件があった.パイロットのベレンコ中尉が米国亡命を意図したのである.米国はベレンコ中尉の亡命を受け入れ,ミグ25の機体は自衛隊の協力下に百里基地 (茨城県) に移送され,ここで分解されて機体検査を受け,検査ののち機体はソ連に変換された.機密事項であるはずだが,なぜか検査の内容は後にリークされ,ミグ25に搭載されていた電子機器が真空管を使用したものであったことが世間の知るところとなった.
 テレビや新聞は当初,宇宙開発で米国と競争したはずのソ連科学技術の意外な後進性を笑ったが,ずっと後に専門家が指摘したところによれば,極地や成層圏など厳しい環境においては半導体よりも真空管のほうがタフなのだという.要は物の考え方であり,真空管電子回路を搭載したミグ25が別に「張子の虎」だというわけではないらしかった.軍事的なことの真偽は私にはわからないが,旧ソ連の真空管製造技術は大したものだったらしい.日本でも欧米でも真空管が作られなくなってから,旧ソ連が真空管の供給源である時代が暫く続いた.戦前生まれの無線技術者や音響技術者の座談記事を読んだことがあるが,不届きな業者が旧ソ連製の真空管に印字された型式表示を洗浄除去し,代わりに赤い“RCA”のスタンプ (米国製真空管ブランドの一つ) を押した製品が出回っていたようだ.だからといって粗悪製品ではなかったという.日本人のブランド信仰を衝いただけのことであった.
 閑話休題
 真空管がまだ実用品だった頃,日本の技術者 (三田無線研究所の茨木悟氏) が開発を推進し,アマチュア無線家の真空管愛好者にとって必携となった測定器があった.真空管回路を使用したグリッド・ディップメーターである.
 この測定器は,真空管が工業製品でなくなったあと,回路にトランジスタを用いた「ディップメータ」と呼ばれ (トランジスタにはグリッドがないからw) るようになり,暫くは命脈を保っていたが,それも今世紀の初めに製造停止となった.ディップメータの機能が他の測定器で代替可能となったからであった.
 私の真空管弄りは専らラジオとオーディオのアンプであり,アマチュア無線には関心がなかったから,製造が停止されてからのディップメータについてはどうなったか知らなかったのであるが,つい最近になってラジオの部品を集めているうちに,ディップメータがかなりの頻度で取引されていることを知った.アマチュア無線家にとって,ディップメータよりも優れた測定機器が新品で入手できるのにも関わらず,ヤフオクで八万円もの異常な高値で落札されたことがある.これはもう完全に骨董品扱いである.測定器としての現在の価値は,せいぜい一万数千円といったところだからである.
ディップメータの中身は単純な回路であり,自作可能である.ところが下の画像でディップメータ本体の下に並べてあるコイル群,特にラジオ放送の周波数範囲をカバーするコイルは,自作が困難である.
 それが数日前,上に書いた三田無線研究所製の,中波帯をカバーするディップメータ (下の画像;WB-200型) がヤフオクに出品されたのである.これは貴重品だ.出品者は個人ではなく,このテのジャンク品を扱う業者のようで,コイルは全部揃っていたが,取説は欠品しており,「動作は保証しない」だった.動作保証なしということは,動作しないということである.つまりこれは中古品以下のジャンクである.
  
20190703b
 
 このジャンク品は,結局私が一万三千円と少しで落札した.完動品なら数万円の骨董価値があるだろう.
 私がこれに入札したのは,このタイプのディップメータはラジオの製作に役立つからだ.故障していても中身の修理はどうにでもなる.おそらく回路のコンデンサは劣化しているだろうから,これを新品に交換するだけでもいいし,何なら中の基板を全部作り直してもいい.重要パーツであるコイルと内蔵のバリコン,そして周波数を目盛ったダイアルの三点が揃っているから,まあまあ良い買い物である.
 ただし,このコイルは,そのままコルピッツ発振回路に接続しても動作しなかった.点検すると,コイルの根元にある接続ピン (本体のソケットに挿す部分) の表面が黒く酸化 (?) していた.そこでまずはこのコイルの修理から取り掛かった.
 下の画像は,コイル下部のピンを接写したものである.上側のピンは黒く変色していて,触るとガサガサとしていた.テスターでチェックすると,二本のピンは導通していないことが判明した.何かしらの皮膜に覆われているようなので,目の細かいダイヤモンドやすりを用いてピン表面を慎重に研磨した.下側のピンは,研磨して金属面を出したものである.結局,黒い皮膜が何なのかはわからなかったが,これで良しとして,七本のコイルの接続ピンをすべて研磨することにした.次は内部の点検である.
 
20190705a

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