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2019年7月25日 (木)

売るためなら嘘でも平気…富岡の「はや味」

 日曜日の昼にテレビをオンにしたら,フジテレビで『なりゆき街道旅』という番組をやっていた.澤部佑,つるの剛士,小倉優子,平野ノラの四人が群馬県富岡市へ行くという旅番組である.群馬県は私の郷里であるので,どれどれと思って観てみた.
 御一行は,上州富岡駅 (上信電鉄の駅) をスタートし,鶏唐揚げの店と観光物産館に立ち寄ってから,世界遺産の富岡製糸場を飛び込みで見学とテレビロケをした.見学を終えて富岡製糸場を出たところで昼飯時になり,製糸場のすぐ前にある「はや味」という飲食店に入った.この店がトンデモな店で,私は呆れてしまった.
 元々が上州人 (の男) はお調子者で物事を深く考えない県民性がある.上州人の私がそう言うのだから間違いない.
 昔,山口瞳は,品性に劣る者を「田舎者」と呼んで蔑んだ.生粋の都会人だった山口瞳が言うところの「田舎者」は,地方に住んでいる人の意味ではなかった.山口瞳は,都会の住民にも「田舎者」は多いと書き,むしろ山口が嫌ったのは都会の中にいる「田舎者」であった.
 だが私は思う.田舎にも色々あって,「田舎者」の少ない地方と,多い地方がある.中央から離れた土地で,その土地の文化を大切にしている人々が多いところと,そうではない単に粗雑な人間ばかりの土地がある.群馬県は後者の代表格だ.
 昔の話だが,中曽根康弘と福田赳夫が衆議院旧群馬3区で覇を競っていた頃,選挙になると,どちらがトップ当選するかで県民はお祭り騒ぎ状態となった.有権者は自分の一票を,両議員の政策に投じるのではなく,どっちが飲み食いさせてくれるかで公然と売った.現金も要求した.選挙で勝てば何らかのご祝儀があるから,県民は勝ち馬に乗りたくて必死になった.
 そんな時代に全国に報道された恥ずべき事件があった.中曽根選挙事務所と福田選挙事務所のどっちが先に仕掛けたのかよく覚えていないが,選挙事務所にヤクザのような殴り込みが行われ,報復の殴り込みが起きて暴力も振るわれたのである.旧群馬3区では良識ある市民は少数派であり,この選挙区の大部分の有権者はケチ臭い飲食や僅かな金品が欲しくて福田や中曽根の恥ずべき「支持者」となった.これを当時のメディアは「上州戦争」と呼んだ.Wikipedia【上州戦争】から少し引用する.
 
福田料亭・中曽根レストラン・小渕飯場
選挙時は、有権者に対してご馳走攻めが行われた。1905年(明治38年)生まれの福田は懐石料理を、1918年(大正7年)生まれの中曽根は小
洒落た西洋料理を有権者に対して振る舞い、支持層の拡大を図った。これに対し、1937年(昭和12年)生まれの小渕は資金に余裕がなく、おにぎり程度しか出せなかった。これらは、公職選挙法の選挙違反であたるが、当時は実質的に野放しにされていたのである。
 
 勝ち馬に乗る.これが群馬県人の県民性である.文化とか人間の品性とか,そんなものに興味はないのが群馬県人であり,正真正銘の田舎者なのである.その例が,冒頭に書いた「はや味」という店である.
 
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 製糸場の正門を出ると,すぐ前に「はや味」が店を構えている.ロケの一行は撮影の許可を取って店に入った.
 
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 一行のリーダー役の澤部が,店の女性店員に「おっきりこみうどん」とは何かと訊ねた.
 
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 するとこの店員が,初っ端から嘘デタラメを開陳したのである.
「おっきりこみ」とは何か.Wikipedia【おっきりこみ】の記述は,群馬県庁の公式サイトにあるコンテンツ《群馬県おっきりこみプロジェクト 》の記述と全く同工異曲であることからして,おそらく群馬県庁の関係者が編集したものと考えられる.このコンテンツに次の記述がある.
 
「おっきりこみ」は、ぐんまの伝統料理。
「おっきりこみ」を食べて、つくって、応援してください!
※このプロジェクトは、本県の伝統食である「おっきりこみ」を再評価し、本県の名物料理として県民運動で県外に発信し、本県ブランドの創出につなげるため、平成25年4月1日にスタートしました。
 
 これを読んだだけで,こりゃダメだ,と思わざるを得ない.
 いつの頃からか,“「食」で町おこし”というブームが起きた.Wikipedia【B級グルメ】に次のように書かれている.
 
B級グルメは、1985年~1986年頃から使われるようになっている用語・概念である。外食の他に、家庭料理の場合もある。
ただし2006年頃から、各地で安価で庶民的な料理を新たに造り、それを自地域のものとして地域おこしに活用しようとする試みが目立つようになった。その結果、「B級グルメ」全般を指さずに、特定の地域に結びつけようとした料理、つまり「B級ご当地グルメ」に焦点が当たることが増えてきた。このような「B級(ご当地)グルメ」は、郷土料理とは大きく異なっており、歴史が浅く、農山漁村の生活に根付いたものではなく、基本的に近年になって開発された料理、激安な料理、作為的な料理である。また「町おこしのため」と称していても、実際には、特定の飲食店や特定飲食店グループが流行りに便乗して自店・自グループの目先の金儲けのためだけにやっていることが増え、批判されるようになっている。

 
 引用文中に《ただし2006年頃から、各地で安価で庶民的な料理を新たに作り、それを自地域のものとして地域おこしに活用しようとする試みが目立つようになった 》とあるのは,日経新聞が「B級ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会」 をバックアップして発足した「B-1グランプリ」を指している.このB-1グランプリが引き起こした問題については以下のような記述がなされている.
 
知名度の上昇に比例し、2008年頃からグランプリ出場のために急造のB級グルメを創作する傾向が広がった。特にご当地焼きそば、ご当地カレーが乱立しており、単に地域特産の食材を無理やり詰め込んだだけで「ご当地グルメ」を名乗る安易な発想には批判も強い。
 
 新たに創作した料理で町おこしを展開しようとする試みそれ自体には何の問題もないのであるが,中には新作料理であることを隠し,さも歴史的な背景があるかのようなデッチ上げを行った例がある.その恥ずべき例の典型が,横須賀市当局と横須賀市内の多くのカレー店が結託し,地域振興のためではなく単なる業者の金儲けのために,明治時代の海軍における兵食史を捏造した「よこすか海軍カレー」である.この問題については,このブログで糾弾してきた.左サイドバーにあるカテゴリーの「外食放浪記」を開き,連載記事《記念艦三笠でカレーを 》の (1)~(25) および (補遺) をお読み頂ければ幸いである.
 上に引用したWikipedia【B級グルメ】の文中に《また「町おこしのため」と称していても、実際には、特定の飲食店や特定飲食店グループが流行りに便乗して自店・自グループの目先の金儲けのためだけにやっていることが増え、批判されるようになっている。》と書かれているが,問題はそういうことではない.横須賀市内のカレー店が「町おこし」を騙って消費者や観光客を騙そうが何をしようが業者の自由だ.観光客が騙されなければいいのである.しかし横須賀市民にしてみれば,特定の飲食店への利益供与が横須賀市の経費 (つまり税金) で行われていることは厳しく批判されねばならない.税金の使途の公正公平は民主主義の根幹だからだ.
 このように,自治体当局と飲食業者が癒着した形で行われる町おこしは全国的に存在するだろうが,「群馬県おっきりこみプロジェクト」はその中でも悪質な一例だ.
「おっきりこみプロジェクト」の謳い文句を再掲する.
 
「おっきりこみ」は、ぐんまの伝統料理。
「おっきりこみ」を食べて、つくって、応援してください!
※このプロジェクトは、本県の伝統食である「おっきりこみ」を再評価し、本県の名物料理として県民運動で県外に発信し、本県ブランドの創出につなげるため、平成25年4月1日にスタートしました。

 
「おっきりこみ」が群馬県あたり (だけではなく埼玉県地方にも存在する) で古くから食べられてきた料理であることは間違いないが,現在,群馬県の飲食店や県当局が「おっきりこみ」と称しているものは,実は上州の食文化 (と呼べるほどの“文化”ではないが) を歪曲したデッチ上げなのである.以下,そのデッチ上げについて述べる.
 
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 上の写真の女性店員は,「おっきりこみ」とは「幅の広いうどん」で,「温かいつゆに具材を切っては煮込んで切り込んでは煮込んでる」と言った.まず「おっきりこみ」が「幅の広いうどん」であるという認識がそもそも間違いなのである.
「おっきりこみ」は郷土料理というよりも,群馬の農家の家庭料理である.江戸時代なら就農人口が多かっただろうから,郷土料理といえなくもなかっただろうが,農業人口が激減した昭和時代,特に私が記憶している戦後には,都市部の住人にはほとんど忘れ去られた食べ物になっていた.私自身,「おっきりこみ」を食べたのは昭和三十年代に数回しかない.その時の麺はすべて,幅の広いうどんではなかった.普通のうどんと同じ太さであった.「おっきりこみ」は純然たる家庭料理だから,それぞれの家で,普通のうどんと同じ太さと形に切ることもあれば,「きしめん」のように切る家もあったろう.その多様性を無視して「おっきりこみは幅の広いうどん」だと決めつけたのは,上記の「おっきりこみプロジェクト」である.庶民の暮らしにおいて自然発生する料理を,無能な「官」が調査もせずに町おこしのプロジェクトなんぞにすると郷土の伝統的食文化を破壊してしまうという好例だ.こうして「官」がこしらえた嘘がやがて「民」に広まり,富岡市の「はや味」の店員が客に「おっきりこみは幅の広いうどんです」と無知をさらけ出ようになった次第である.
 余談だが,群馬県は最近,肉牛の生産量が増えて全国的にも上位の生産県となった.ところが群馬県民には昔から牛肉を食べる食習慣がなかった.群馬では食肉といえば豚肉と鶏肉だった.だから群馬県産牛肉は県外が販路だった.それを知らない無能な群馬県庁は五年前に,香川の「うどん県」を模倣して,「すき焼き応援県」を宣言した.群馬はコンニャクもネギも生産量が多いから「すき焼き自給率が百パーセントだ」と胸を張った.ところが県民の食肉摂取量が全国最低水準にあり,すき焼きをほとんど食わないことが産經新聞等で暴露されてしまった. 元々すき焼きを食わないのだから,自給率が百パーセントなのは当然だというわけで,全国に恥をさらしたのであった.
 
 閑話休題
 さて「幅の広いうどん」は一般に「平打ちうどん」と呼ぶ.もっともよく知られているのは現在の名古屋の「きしめん」である.よく知られていると同時に,おそらく愛知県のうどんが平打ちうどんのルーツである.江戸時代の尾張の名物「きしめん」が,三河では芋川という土地の名物で「芋川うどん」と呼ばれた.これが江戸に伝わり,訛って「ひもかわ (うどん)」と呼ばれたと,江戸時代の百科事典ともいうべき『守貞謾稿』にある.そして「ひもかわ (うどん)」は関東一円に伝播した.
 日本で発展した小麦の粉食の中における「うどん」の特徴は,塩を用いた麺を熟成することでグルテンを引き出し,裁断して茹でる製法にある.このグルテンのおかげで,麺帯は容易に煮崩れしなくなることが発見されたのである.こうすると,麺を打つ→下茹でして打ち粉を除去する→冷水で洗う→「コシ」と美しい光沢が得られる.この製麺法が確立して,「うどん」は「ハレ」の食べ物となった.「うどん」の一つである「ひもかわ」はハレの食べ物なのである.
 その一方で,関東地方には塩を用いない小麦粉製麺もあった.地粉を水で練って延ばし,包丁で切ってそのまま汁で煮て食べる.古くは俎板に載せた麺帯をヘラで切って鍋に投入したものだと年寄りから聞いたことがある.これは一種の団子汁あるいはスイトンだと思われ,だとするとそもそも「おっきりこみ」は「うどん」とは出自が異なることになる.
 塩を用いないこの製麺法の特徴は,塩と熟成によるグルテン生成が行われないので,短時間で調理 (と食事) が終わる点にある.上州郷土料理の「おっきりこみ」や甲州郷土料理の「ほうとう」は塩を用いずに製麺するが,いずれも元々は多忙な農家の働き手 (女性) が手間をかけずに日常の食事を作れるようにと考案されたものだ.簡単で短時間で作って食べることが「おっきりこみ」の身上なのである.だから「うどん」のように下茹ではしないし,というより,コシがないから下茹なんかすれば湯に溶けて切れてしまう.また汁に入れても煮込まない.コシがないから,煮込んだりしたら汁に煮溶けてグチャグチャになってしまう.
「おっきりこみ」は群馬の農家の家庭料理だと言うと聞こえはいいが,ただもう塩っぱい汁に根菜をぶち込んだごった煮で,汁はドロドロで,見た目はお世辞にも旨そうな食い物ではなかった.「ハレ」の料理ではなく,腹に入ればいいという「ケ」の食い物だったのである.
 
 話を上州の「ひもかわ」に戻す.昭和二十五年生まれの私が群馬県を出て上京するまで,「ひもかわ」は何度も食べたが,それは「きしめん」とあまり変わらない幅の平打ちうどんであった.それが突然おかしくなったのは昭和五十年代のことである.桐生市あたりで「ひもかわ」の幅広化競争が始まった.テレビ番組で何度も取り上げられたのでイイ気になったか,どんどん「ひもかわ」の幅は広くなり,遂には口の大きさがトレードマークだった京唄子師匠の口よりも幅広の,十センチを超えるものまで現れた.いかにもお調子者で伝統を大切にしない上州人らしい.その異様に幅広の「ひもかわ」を売り出したのは桐生市の「ふる川」という店だ.店の公式サイトに「創業40年」と書いてあるように,この幅広「ひもかわ」は上州における粉食の伝統とは無縁の最近の食べ物だ.店のウェブサイトのトップページに
 
群馬県桐生地方に伝わる幅広麺のうどん。群馬は有数の小麦の産地でもあり、その歴史は古く、きしめんのルーツでもある「芋川(いもかわ)うどん」がなまったものとも伝えられます。
 
と書いてあるが,昔の「ひもかわ」を食べたこともない若いやつが《その歴史は古く》などとテキトーな嘘をつくなと言いたい.「ウチの店が考案した創作麺です」と正直に言え.

 とまあ,こうして上州の昔ながらの「ひもかわ」は今はもう廃れて,奇妙なワンタンの皮みたいなものに変容してしまった.江戸時代からの郷土料理の伝統が.このたった四十年で失われてしまったことの腹いせに,今度は「おっきりこみ」の話に戻す.
  
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 上の写真の女は,「具材を切り込んで煮るから,おっきりこみだ」とテレビの一行に説明したが,違う.田原坂の戦いの抜刀隊じゃあるまいし,料理に「切り込む」なんていう言葉はない.麺を「切」って鍋に放り「込む」から「おっきりこみ」と言うのだ.
 
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 この店の献立は「おっきりこみうどん」と「冷やしおっきりたぬき」と「冷やしたぬき」である.
 
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 上の写真は「おっきりこみうどん」と「はや味」が称するものだが,群馬の年寄りは,この画像を見て首を傾げるであろう.これは「おっきりこみ」ではない,「煮込み ひもかわうどん」じゃないかと.
「おっきりこみ」は,塩を使わずに打ったコシのない (グルテンが引き出されていない) 麺を打ち粉がついたまま煮込みうどんにするから,麺が溶けて汁がドロドロに濁る.しかるに上の写真では汁が透明である.
 これはどういうことかと不思議に思って調べたら,《ぐんラボ!》という口コミサイトに,富岡市の人がこんなことを書いていた
 
今回は【おっきりこみうどん(並盛・250g)950円】を頂きました。麺の量を店長に確認したところ、茹で上げ後250gあるようです。》(文中の文字の着色は当ブログ筆者が行った)
 
 これで謎が解けた.どうやら「はや味」の亭主は「おっきりこみ」を「ひもかわうどん」にすり替えているのだ.塩を使わずに打ったコシのない麺を打ち粉が付いたまま煮るのが「おっきりこみ」の「おっきりこみ」たる所以だ.コシがないから下茹ではできない.ところが「はや味」では下茹でしている.ということは「はや味」では塩を用いて製麺しているということである.
「はや味」の亭主は,本来の「おっきりこみ」を見たことも食べたこともないのだろう.ただもう県庁の宣伝に書いてあるものを自己流で拵えて客に食わせているのである.
 そもそも「おっきりこみ」は汁が熱い煮込み料理である.それが「冷やしおっきりたぬき」とはどういう了見か.煮込み料理をどうすれば「冷やし」にできるのだ.しかも「こみ」がなくなって単に「おっきり」になってしまった.その上さらに「たぬき」が付いて「冷やしおっきり」だとさ.馬鹿なことを言うな.これは「たぬき ひもかわうどん」である.「おっきりこみ」とは全く無関係な食い物だ.
 斯くして,上州郷土料理の「ひもかわ」も「おっきりこみ」も姿を消した.別に旨い食い物ではなかったから,なくなっても構わぬが,食文化的伝統にないものを捏造し,嘘をついて平気で売る群馬県民の精神風土には,群馬出身者としては腹が立つ.
 
 山梨県側富士山麓の富士吉田には,「吉田のうどん」という伝統的郷土料理がある.いかにも垢ぬけないうどんだが,昔ながらの製法が今に伝えられているようで,この地方の出身者の郷愁を誘うと聞いた.
 また東京の西部地域には江戸時代から「かて (糧) うどん」と呼ばれるものがあり,これには保存会があるようだ.
 このような郷土料理がある地方のこと思うと,群馬のような伝統食に一瞥もくれない地方もある.群馬県には「水沢うどん」という名物がある.これは郷土料理ではなく寺に参詣する人を相手にしたうどんであるが,これも私が若い頃とは違うものになってしまった.伝統食が守り保存されている地方がうらやましい.

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