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2019年7月

2019年7月31日 (水)

記事「薔薇ノ花」への追記

 私のブログの閲覧記録を見てみたら,今年の五月に書いた記事《薔薇ノ花 》にアクセスがあった.当該記事を再読してみると,文中に挿入したリンクが切れていた.
 どんなリンクかというと,北原白秋の詩「薔薇二曲」の一行「照リ極マレバ木ヨリコボルル」を「照リ極マレド木ヨリコボルル」と誤記している例として挙げたブログのURLであった.そのブログが移転したためにリンク切れとなっていたのである.
 そこで再度,誤りの例を探すべく,「極マレド 薔薇二曲」で検索してみた.検索語がは前回の調べとは違っているようで,今回は誤記の例が出てくるわ出てくるわ.いささか驚いた.(検索結果)
 最初に誰かが「極マレバ」を「極マレド」と誤記し,それがコピペで拡散したのであろう.
 この国の若い人 (誤記しているブログ記事の様子から,そう断定してよかろう) の間にはびこっているコピペの悪習はもう取り返しのつかないところまできているように思う.

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2019年7月30日 (火)

冷たい塩ラーメン

 竹内結子さんがサッポロ一番塩ラーメンを「氷であえる!」(リンク切れになるだろうけど) と言うので, やってみた.商品サイトはこちら
 まず麺を袋から出して,鍋で四分間煮る.通常より一分間長いが,普通に三分間煮るのでは,氷で冷やした時に麺が硬い.
 で,四分経ったら湯を捨てる.水道水で洗うのを二回くらいやる.そして麺を氷水で充分に冷やす.
 丼に別添スープを入れ,水100mlを加えて溶かす.レシピは50mlだが,それでは塩っぱい.
 この丼によく冷えた麺と,氷をいくつか入れる.冷蔵庫の製氷皿で作った氷なら五,六個くらい.下の写真の氷はコンビニのカチ割り氷で,小さい氷は麺を冷やすのに使ったものの残り.大きいのはそのあとに追加したものだ.
  
20190730a
 
 麺と氷ををよく和えて更に冷やし,具を飾り付ければできあがり.私はキュウリとハムを細く切ったものを載せて食べた.そこで思ったのだが,これからの季節には素麺や冷や麦を食べることが多いから,錦糸玉子を作って冷蔵庫に常備しておくといいかも.
 
 普通に調理した熱いスープの塩ラーメンの場合は,スープを飲まなければ食塩摂取量はそれほど気にしなくてもいいが,この冷やし塩ラーメンの場合は,スープの大部分が麺にからんでしまうので,一日の推奨食塩摂取量 (成人男性で8g) のほとんどをこれで摂ってしまう (サッポロ一番塩ラーメンは麺とスープの合計で6.1g) 可能性が高い.
 そういうリスクを冒してまで食べておいしいかというと,そんなことはない.リスクがなければ食べたいかというと,そんなこともない.スーパーで売られている生麺の冷やし中華を百点とすると,このサッポロ一番冷やし塩ラーメンは三十点くらいだ.
 いくら竹内結子さんが美人だからといって,爺さんはうかうかとこんなラーメンを食べないように.

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2019年7月26日 (金)

トラック島

 この七月末日で,吉村昭が亡くなってからもう十三年も経つ (平成十八年七月没).
 先日,アマゾンで何か面白そうな本はないかと探し回って,吉村昭『海軍乙事件』(Kindle版) が眼にとまったので購入した.
 これには「海軍乙事件」の他に「海軍甲事件」「八人の戦犯」「シンデモラッパヲ」の四篇が収録されている.
 海軍甲事件とは,太平洋戦争中の昭和十八年 (1943年) 四月十八日,連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将の搭乗機がアメリカ軍戦闘機に撃墜され,山本大将が戦死した事件である.(Wikipedia【海軍甲事件】)
 海軍乙事件は,山本海軍大将戦死の翌昭和十九年の三月三十一日,山本大将の後任として連合艦隊司令長官に任ぜられた古賀峯一海軍大将が,搭乗機の墜落により殉職した事件である.(Wikipedia【海軍乙事件】)
 山本司令長官の戦死は正真正銘の大事件であったが,海軍乙事件は,大事件というよりも大不祥事というほうが適切かも知れない.
 事件当時,拠点としていたトラック島 (後述) から退避した連合艦隊はパラオ (現パラオ共和国のコロール島) を拠点にしていたが,パラオも米空軍の空襲の標的となったため,パラオからさらにミンダナオ島のダバオへと退避することとした.
 三月三十一日,古賀大将ら艦隊司令部要員が搭乗した飛行艇二機 (二式大艇) は低気圧に遭遇し,古賀大将の搭乗した一番機は行方不明となり,連合艦隊参謀長福留繁中将以下の連合艦隊司令部要員が搭乗した二番機はセブ島沖に不時着したが,親米ゲリラの捕虜となった.古賀司令長官と福留参謀長は,後述する海軍丁事件の主役でもある.
 この時,東條英機の「戦陣訓」にある「生きて虜囚の辱を受けず」  (*ブログ筆者の註) が福留参謀長らの頭にあったかどうかはともかくとして,福留らは,いとも易々と最重要機密書類 (連合艦隊の作戦計画書,司令部用信号書,暗号書など) をゲリラの手に渡してしまった.
 
(*ブログ筆者の註)
 東條は皇軍兵士に「捕虜になるくらいなら死ね」といっておきながら,ポツダム宣言を受諾して日本が敗戦した昭和二十年八月十五日以降もずるずると一ヶ月近くも過ごした.八月十五日には現職の陸軍大臣阿南惟幾が割腹自決した.宇垣纏海軍中将は玉音放送後に特攻した.東條の娘婿であり,宮城事件 (徹底抗戦派軍人によるクーデター未遂事件) の首謀者のひとりであった近衛第一師団の古賀秀正少佐も自決した.しかるに東條に自決する気はさらさらなく,裁判で所信を述べると語った.しかも連合軍が自分を捕虜 (逮捕) ではなく戦争指導者として処遇することを望んだという.何様のつもりであったのだろうか.
 しかし九月十一日,当然のことながら米軍が東條の私宅に来て逮捕令状を示すと,ようやく逃れられぬことを悟り,応接間で椅子に座り,拳銃自殺 (未遂) を図ったのである.しかもこの自殺未遂は,左手で左胸を撃つという,本気が疑われるものであったため,情けなくも,死ななかったのである.
 ちなみに,宇垣中将は自分が搭乗した彗星43型艦上爆撃機一機で特攻すればよいものを,特攻隊合計十一機二十三名を道連れにして特攻した.しかも宇垣機は米空母発見を打電したあと,敵艦に損傷を与えることなく洋上に墜落したとされる.
 
 さてセブ島でゲリラの捕虜となった福留中将であるが,捕虜となることには何らの問題もない.しかし機密書類を敵の手に渡したことは,高級軍人として極めて無様なことであった.仮に自分より下級の軍人がそのようなことをしたら,死をもって償えと福留は要求したであろう.しかし皇国日本の指導部層の精神性は悲しいかな「他人に厳しく自分に甘く」であった.
 福留はゲリラから解放されたあと海軍に戻ったが,一向に反省せず,自決によって責任をとろうとはしなかった.福留の扱いに困った海軍は,この件は「なかったもの」とした.すなわち福留を第二航空艦隊司令長官に任命し,海軍の要職に留めたのである.この不祥事を海軍乙事件と呼ぶ. 
 福留は戦後になっても全く反省をせず,機密を敵に渡したなどというのは事実ではないと主張していたそうである.半藤一利がそう書いている.
 
 上に記した海軍甲事件と乙事件は有名であるが,もう一つ海軍丁事件というのがある.これは昭和十九年二月十七日から十八日にかけて,米軍機動部隊が日本軍の拠点であるトラック島の停泊地 (泊地) へ攻撃を行い,日本軍に大打撃を与えた空襲を指す. 海軍甲事件と海軍乙事件は,甲乙丙丁の甲乙だが,海軍丁事件の丁はトラック島の頭文字をとったもので,海軍T事件とも書く.
 詳細はWikipedia【トラック島空襲】に譲るが,この米軍の空襲によってトラック島の泊地が壊滅的な打撃を受けたことを海軍丁事件と呼ぶのは,不祥事だからである.
 ここでいう不祥事には二つの意味がある.
 一つは,戦争遂行上,あってはならない失策が起きたということ.
 もう一つは,いわゆる不祥事である.
 まず前者について,掻い摘んで記す.昭和十九年二月五日にマーシャル諸島守備隊が玉砕したことで,日本は絶対国防圏構想に破綻をきたした. (破綻したというより,元々日本のこの構想は,島嶼に置いた拠点を制空権で繋ぐという思想を持たずに,遠く離れた島々に孤立した守備隊を置くだけという,ザルのように抜け穴だらけの構想であったという.事実,終戦まで米軍に無視され,日本軍にも捨てられて孤立した基地もあった)
 マーシャル諸島の守備が壊滅したあと,米軍の攻撃がトラック泊地に及ぶのは必至の状況となった.そこで日本海軍は,拠点とするには防備も兵站も貧弱なトラック泊地からの撤退を決定した.そしてこれ以降,現代の私たちから見ると信じがたい事態が進行した.連合艦隊司令部は,トラック泊地に米軍の攻撃が迫っていることを,トラック泊地の他の艦船に知らせることなく,つまり置き去りにして,内地へ転進したのである.
 連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将の搭乗機が米軍機に撃墜され,山本が戦死した事件に関して,Wikipedia【海軍甲事件】に次の記述がある.
 
無能な敵将であれば生かしておくほうが味方に利益である。そのため山本の前線視察の予定をつかんだニミッツは幕僚と会議を開き、そもそも山本を殺害すべきなのかを検討した。検討の結果、真珠湾攻撃の立案者として人望の高い山本が戦死すれば日本軍の士気が低下すること、山本長官より優れた者が後任となる可能性は低いことを理由にニミッツは山本の殺害を決断し、南太平洋方面軍司令官ウィリアム・ハルゼーに山本長官の行程を連絡、予備計画の作成を命令した。》 
 
 まさにニミッツが予想した通り,山本五十六亡き後の連合艦隊首脳 (古賀峯一司令長官,福留繁参謀長) は無能だった.現代の会社員なら情報の共有と報・連・相は業務遂行に関する基礎中の基礎である.
 例えばある会社に営業部に第1課と第2課があるとする.そして第1課の営業課員がある日,第1課と第2課共通の顧客が不渡りを出しそうだとの情報を得たとする.部下から報告を受けた第1課長は,営業部長に報告すると共に第2課長にも情報を伝えるだろう.会社なら当然の事である.
 しかし古賀・福留ラインには一切そのような職務遂行能力はなかったようだ.当時のトラック泊地には,日本のシーレーンの防備を担当していた海上護衛総司令部の輸送船や駆逐艦などが在泊していたが,古賀・福留は,自分たちの直接的な指揮系統にない艦船にはトラック泊地に迫る米軍の襲来を知らせることなく,トットと内地に帰ってしまったのである.連合海軍司令部における情報共有意識の欠如,これが現代の私たちからすると,トラック泊地が壊滅的打撃を受けた主たる原因であると考えられ,上に述べた「あってはならない失策」であった.
 次に,不祥事について.
 二月十日に連合艦隊主力がトラック泊地を去ったあと,トラック地区の最高責任者は連合艦隊隷下第四艦隊司令長官小林仁海軍中将 (内南洋方面部隊指揮官) となったが,これ以降,トラック泊地の防備は弛緩していく.この状況をWikipedia【トラック島空襲】から引用する.
 
2月16日の索敵結果を受けて、日本側は同日午前中に警戒体制を緩めた。ちょうど大本営陸軍部 (参謀本部) の秦彦三郎次長以下瀬島龍三や服部卓四郎らと大本営海軍部 (軍令部) の伊藤整一次長一行が南方視察行の途中でトラックに立ち寄っていた。この件に関し、16日の晩に夏島の料理屋で宴を催していたため、空襲がはじまると指揮官達は各自の島に戻れなくなった……という噂がある。なお次長一行は翌17日の空襲に遭遇し、18日サイパン到着 (秦次長はサイパン島防備について懇談) 、20日東京に戻った。また士官の人事異動のため深夜まで送別会を開いており、多くの者が陸上施設に泊まり込んでいた……という噂もあった。元海軍大尉の佐藤清夫 (トラック島空襲時、駆逐艦野分乗組) によれば、五五一空の肥田真幸飛行隊長 (機44期、当時海軍大尉) や整備長の回想に「司令部が接待をしているのに部隊だけ警戒配備でもあるまい」という記述があっため、瀬島に手紙で質問した。瀬島からは、陸軍単独の視察であったが、料亭に泊まった士官は居り、空襲に対する警戒心が弛緩している傾向は見られた旨の返信があったという。
 戦後、海上自衛隊幹部学校教官を務めた竹下高見 (元海軍軍人) が、本空襲についてのセッションで、事前警戒の不備問題について、「 (前略) トラックとか、テニアンとか、サイパン辺りは、意識の問題もあると思うんですね。同時にやっぱり、さっきいったように防備施設というようなものは、中央の問題もあると思うんです。私は、戦史部におります時に、小林中将に二回ほどなんとか聞きだそうと思いまして、お話伺いましたけれども、トラック空襲については一言もしゃべられませんでした。そのことから『太平洋方面の海戦』の中では『専任防空戦闘機隊の不在、所在航空機部隊の不明確な指揮関係、多数商船隊の在泊など、むしろ連合艦隊司令部あるいは大本営海軍部が事前に適切に処置すべき問題が多かったように思われる。』という表現になったわけです」と語っている。》(引用文中の文字の着色は,当ブログの筆者が行った)
 
 戦争の真っ最中に警戒態勢を弛緩し,陸軍視察団一行の接待で艦船指揮官たちが自艦を離れて料亭で飲酒したり,士官の送別会とやらの宴会が行われていたとか,トラック島防備態勢の緊張感のなさに驚くが,これはおそらく,トラック泊地の総責任者となった第四艦隊司令長官小林中将の資質によるものだろう.上記Wikipedia【トラック島空襲】からの引用文中の着色部分「…という噂がある」「…という噂もあった」には,以下の出典が示されている.いずれもアマゾンで入手できる.私は注文済みだが,まだ手元に届いていないので未読である.
* 門司親徳『空と海の涯で―第一航空艦隊副官の回想』(光人社NF文庫)
* 佐藤清夫『駆逐艦「野分」物語 若き航海長の太平洋海戦記』(光人社NF文庫)
* 三神國隆『海軍病院船はなぜ沈められたか―第二氷川丸の航跡』(光人社NF文庫) 
 実は,これらの書籍に書かれている第四艦隊の「噂」の他に,Wikipedia【トラック島空襲】が触れていない「噂」がある.それは,空襲が行われた二月未明,小林中将は釣りに出かけて司令部を留守にしていたというのである.これは複数のウェブページが記述しているのだが,どれも出典を示していない.この「噂」の出処をウェブ検索したが,見つからない.根も葉もない嘘かも知れないが,さりとて事実でないと断定する資料もない.肯定否定のいずれになるかはともかく,流言の伝播を追跡して事実を明らかにすることは,社会学や心理学の学問的研究の対象となるくらい難しい.
 海軍甲事件と海軍乙事件のドキュメンタリー作品を書いた吉村昭が,なぜ海軍丁事件を取り上げなかったのか.
 吉村昭には流言による悲惨な事件を扱った作品『関東大震災』がある.私の推測であるが,吉村昭の調査力をもってしても,海軍丁事件の「噂」を資料的に裏付ける確かな証言が得られなかったのではあるまいか.充分な根拠に立たずに書けば,自著が流言の伝播に与するもあり得る.それを吉村は避けたのであろう.
 実は今年の二月にNHK『歴史秘話ヒストリア』で《南の島は戦場になった トラック空襲75年目の真実 》が放送された.
 番組はトラック泊地の海底に潜水調査を行った.撮影された
沈没艦船の映像は私も所見で,これには見るべきものがあったが,その他の内容は御粗末だった.それは番組アーカイブに書かれている次の記述を読めば明らかである.
 
エピソード2 消えた連合艦隊
トラック島には連合艦隊の大作戦を支える物資輸送のため、民間から徴用された船がたくさん送られました。そこに迫るアメリカ軍の大艦隊。連合艦隊はこれに決戦を――挑まず、なぜか撤退してしまいます。取り残された徴用船とその船員たち。彼らには壮絶な運命が待っていました。
 
 この引用箇所に《連合艦隊はこれに決戦を――挑まず、なぜか撤退してしまいます 》とあるが,これはおかしい.「決戦を挑まなかったのはなぜだ」と言われても,連合艦隊のトラック泊地からの撤退は,トラック空襲の前に既に決定されていたことなのだと答えるしかない.そういう事実関係を調べずにNHKは番組を作っているのか.不思議なことをいうものである.
 もし「なぜだ」と問うのであれば,連合艦隊がトラック泊地を捨てた理由 (これは調べればわかること) ではなく,トラック泊地に在泊していた民間徴用船など多数の艦船に,米軍の攻勢に関する情報を伝えずに,連合艦隊がトラック泊地を去ったことを問題にしなければならない.ところが番組のナレーションは情報共有が行われなかった原因を「指揮系統が複数あったからである」で済ませていた.大組織であるNHK的感覚ではそう理解するのだろうが,上に会社組織を例にして述べたように一般には,情報共有と指揮系統の問題は別々のことだ.指揮系統 (縦割り組織) を横断して情報共有するのが近代組織である.
 一般には,トラック泊地が壊滅した責任は,当時の連合艦隊司令部の,縦割り意識に囚われて硬直した組織が原因だと理解していいのだろう.また連合艦隊司令部のエリート意識に遠因を求めることも可能だろう.Wikipedia【連合艦隊】に次の記述がある.
 
長い間、連合艦隊が帝国海軍の戦力のほとんどを占め、戦艦など主力艦はいうに及ばず、駆逐艦・輸送艦のような補助艦まで、大多数が連合艦隊に取り込まれた。また、連合艦隊こそが実戦部隊のエリートであり、そこに有能な人材を集中し、局地警備部隊や海上護衛隊の人材育成を軽視した。
 
 エリート中のエリートたる大本営海軍部と古賀司令長官ら連合艦隊司令部には,トラックに在泊の民間徴用船がどうなろうと関心がなかったのかも知れない.米軍のトラック空襲によって軽巡洋艦三隻,駆逐艦四隻,徴用商船三十四隻が沈没し,戦わずして破壊された最新式零戦52型百機を含む航空機三百機弱が失われた.戦死者は陸上部隊六百名,沈没艦船乗組員を合わせると七千人と言われる.まさに『歴史秘話ヒストリア』が語った《取り残された徴用船とその船員たち。彼らには壮絶な運命が待っていました 》の通りであろう.
 しかし, この大損害に関して,真の責任者である古賀司令長官らには一切の咎めがなかった.もしもこの時に連合艦隊司令部が刷新されていれば,海軍乙事件はなかったはずである.
 またトラック泊地守備の責任者であった小林中将は,更迭されはしたものの予備役に編入されただけで厳しい責任追及はなかった.そして小林中将は戦後もトラック空襲について硬く口をつぐんだ.
 これが帝国海軍の体質だったと言えばそれまでだが,今の私たちの感覚ではどうにも理解しがたい.現代社会の企業経営者のほうが余程厳しい責任を負わされているように思う.これではトラック泊地の七千人の戦死者は浮かばれまい.
『歴史秘話ヒストリア 南の島は戦場になった トラック空襲75年目の真実』は,海軍丁事件の原因についても責任論についても全く語らなかった.一切の《真実》を示さなかった.
そのような番組は放送する意味がないと私には思われる.吉村昭を筆頭とする戦争ドキュメンタリーを書ける作家がもはやいない現在,トラック空襲の「真実」は謎のままに残されたのである.
 
 ちなみに空襲の際に,トラックには特務艦宗谷が在泊していた.宗谷は高角砲と機銃の全弾を撃ち尽くすまで奮戦したが,座礁したため総員退鑑して放棄された.しかし沈没は免れたため,後に内地に帰還し,現存する唯一の帝国海軍艦船となった.
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[トラック島 (補遺)
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2019年7月25日 (木)

なめこのピリ辛煮

 もう二十年近く前の事.妻と東北の夏祭りを見物に出かけた.青森のねぶた祭の前日は盛岡で宿泊したのだが,旅館の夕食に「なめこを辛く煮付けたもの」(一般的な名称は不明) が小鉢で出された.食べてみると,これが実にうまかった.
 以来,観光地に行くとキノコ加工品の瓶詰を探しているのだが,同じようなものは見つかっていない.
 
 つい先日,アマゾンで酒肴を探していたら,「なめこ三升漬け」というものがあった.製造販売者は「北海道名販」だが,同社が経営する北海道土産の販売店である「きのこ王国」のほうが通りがいいらしい.北海道名販は自社でもネットショップを運営しているが,どういうわけか,そのネットショップにはこの商品はなく,アマゾンと楽天にある.アマゾンでは「合わせ買い対象商品」のため配送料無料の五百四十円のみだが,楽天は配送料八百円を取るのでかなり高いものにつく.楽天で買うのはやめたほうがいい.
 それはさておき,その三升漬けを買って食べてみたのであるが,これが実に甘い.くどい味だ.甘すぎる.
 なんだこれは,と思って現材料表示を読むと,次の通りである.
 
なめこ、醤油、塩麴、唐辛子、醗酵調味料、酒、麹調味料、砂糖、鯖エキス、煮干エキス、一味唐辛子、カラメル色素、ph調整剤、調味料(アミノ酸等)、ビタミンB1、甘味料(カンゾウ) 》(phは誤りだが原文のままにした)
 
 塩麹を使っておきながら更に「麹調味料」なるものを使用している.塩麹自体が麹調味料なのだが,それとは別の「麹調味料」とは一体何なのか.わかりやすく書かないのが腑に落ちない.想像するに,麹調味料という名称で内容不明の業務用調味料なのではないか.
 また麹だけでも甘いのに,その上に砂糖を加え,更にカンゾウも使っているのが,理解に苦しむレシピだ.星一徹の晩酌の膳に,こんな甘ったるいものを明子が出したら,一徹は必ずや卓袱台返しの挙に出たであろう.
 ちなみにWikipedia【三升漬け】の記述は以下の通り.
 
三升漬(さんしょうづけ)は、青なんばん・麹・醤油をそれぞれ、一升ずつの分量で漬け込んだ保存食。北海道・東北地方の郷土料理である。
 
 なるほど,このいかにも北海道・東北の郷土料理らしいシンプルなレシピなら納得だ.辛いもん好きの御仁は大いに飯が進むであろう.北海道名販の「なめこの三升漬け」は,本来の三升漬けには使わない余計な調味料や食品添加物を加えて,どんどんまずくしたとしか思われぬ.
 さて昔々私が盛岡で食べた「なめこ加工品」と三升漬けはどうも別物のようだ.かくなる上は自作しかあるまいと,ネットのレシピを検索して作ったのが下の写真のものだ.
 
20190725a
 
 材料のなめこは,軸を切った小粒のものがポリ袋入りで味噌汁用に売られているが,あれは粘質物が多すぎて汁物以外には向かないように思う.
 そこで,大粒で軸が長い煮物用のものを買ってきた.調味料は日本酒,濃縮麺つゆ,水を同量ずつ.なめこがひたひたになるくらいに鍋に入れる.輪切りの唐辛子は適当量だが,私はかなりの量を鍋にブチこんだ.鍋を火にかけ,泡立たぬように弱火でちょっと煮立て,火を止めてできあがり.
 炊き立ての飯に載せて食ってみると,実にうまい.常備菜にしようと思う.
 

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売るためなら嘘でも平気…富岡の「はや味」

 日曜日の昼にテレビをオンにしたら,フジテレビで『なりゆき街道旅』という番組をやっていた.澤部佑,つるの剛士,小倉優子,平野ノラの四人が群馬県富岡市へ行くという旅番組である.群馬県は私の郷里であるので,どれどれと思って観てみた.
 御一行は,上州富岡駅 (上信電鉄の駅) をスタートし,鶏唐揚げの店と観光物産館に立ち寄ってから,世界遺産の富岡製糸場を飛び込みで見学とテレビロケをした.見学を終えて富岡製糸場を出たところで昼飯時になり,製糸場のすぐ前にある「はや味」という飲食店に入った.この店がトンデモな店で,私は呆れてしまった.
 元々が上州人 (の男) はお調子者で物事を深く考えない県民性がある.上州人の私がそう言うのだから間違いない.
 昔,山口瞳は,品性に劣る者を「田舎者」と呼んで蔑んだ.生粋の都会人だった山口瞳が言うところの「田舎者」は,地方に住んでいる人の意味ではなかった.山口瞳は,都会の住民にも「田舎者」は多いと書き,むしろ山口が嫌ったのは都会の中にいる「田舎者」であった.
 だが私は思う.田舎にも色々あって,「田舎者」の少ない地方と,多い地方がある.中央から離れた土地で,その土地の文化を大切にしている人々が多いところと,そうではない単に粗雑な人間ばかりの土地がある.群馬県は後者の代表格だ.
 昔の話だが,中曽根康弘と福田赳夫が衆議院旧群馬3区で覇を競っていた頃,選挙になると,どちらがトップ当選するかで県民はお祭り騒ぎ状態となった.有権者は自分の一票を,両議員の政策に投じるのではなく,どっちが飲み食いさせてくれるかで公然と売った.現金も要求した.選挙で勝てば何らかのご祝儀があるから,県民は勝ち馬に乗りたくて必死になった.
 そんな時代に全国に報道された恥ずべき事件があった.中曽根選挙事務所と福田選挙事務所のどっちが先に仕掛けたのかよく覚えていないが,選挙事務所にヤクザのような殴り込みが行われ,報復の殴り込みが起きて暴力も振るわれたのである.旧群馬3区では良識ある市民は少数派であり,この選挙区の大部分の有権者はケチ臭い飲食や僅かな金品が欲しくて福田や中曽根の恥ずべき「支持者」となった.これを当時のメディアは「上州戦争」と呼んだ.Wikipedia【上州戦争】から少し引用する.
 
福田料亭・中曽根レストラン・小渕飯場
選挙時は、有権者に対してご馳走攻めが行われた。1905年(明治38年)生まれの福田は懐石料理を、1918年(大正7年)生まれの中曽根は小
洒落た西洋料理を有権者に対して振る舞い、支持層の拡大を図った。これに対し、1937年(昭和12年)生まれの小渕は資金に余裕がなく、おにぎり程度しか出せなかった。これらは、公職選挙法の選挙違反であたるが、当時は実質的に野放しにされていたのである。
 
 勝ち馬に乗る.これが群馬県人の県民性である.文化とか人間の品性とか,そんなものに興味はないのが群馬県人であり,正真正銘の田舎者なのである.その例が,冒頭に書いた「はや味」という店である.
 
20190715a
 
 製糸場の正門を出ると,すぐ前に「はや味」が店を構えている.ロケの一行は撮影の許可を取って店に入った.
 
20190715b
 
 一行のリーダー役の澤部が,店の女性店員に「おっきりこみうどん」とは何かと訊ねた.
 
20190715c
 
 するとこの店員が,初っ端から嘘デタラメを開陳したのである.
「おっきりこみ」とは何か.Wikipedia【おっきりこみ】から下に引用するが,このWikipedia項目の記述は,群馬県庁の公式サイトにあるコンテンツ《群馬県おっきりこみプロジェクト 》の記述と全く同工異曲であることからして,おそらく群馬県庁の関係者が編集したものと考えられる.このコンテンツに次の記述がある.
 
「おっきりこみ」は、ぐんまの伝統料理。
「おっきりこみ」を食べて、つくって、応援してください!
※このプロジェクトは、本県の伝統食である「おっきりこみ」を再評価し、本県の名物料理として県民運動で県外に発信し、本県ブランドの創出につなげるため、平成25年4月1日にスタートしました。
 
 これを読んだだけで,こりゃダメだ,と思わざるを得ない.
 いつの頃からか,“「食」で町おこし”というブームが起きた.Wikipedia【B級グルメ】に次のように書かれている.
 
B級グルメは、1985年~1986年頃から使われるようになっている用語・概念である。外食の他に、家庭料理の場合もある。
ただし2006年頃から、各地で安価で庶民的な料理を新たに造り、それを自地域のものとして地域おこしに活用しようとする試みが目立つようになった。その結果、「B級グルメ」全般を指さずに、特定の地域に結びつけようとした料理、つまり「B級ご当地グルメ」に焦点が当たることが増えてきた。このような「B級(ご当地)グルメ」は、郷土料理とは大きく異なっており、歴史が浅く、農山漁村の生活に根付いたものではなく、基本的に近年になって開発された料理、激安な料理、作為的な料理である。また「町おこしのため」と称していても、実際には、特定の飲食店や特定飲食店グループが流行りに便乗して自店・自グループの目先の金儲けのためだけにやっていることが増え、批判されるようになっている。

 
 引用文中に《ただし2006年頃から、各地で安価で庶民的な料理を新たに作り、それを自地域のものとして地域おこしに活用しようとする試みが目立つようになった 》とあるのは,日経新聞が「B級ご当地グルメでまちおこし団体連絡協議会」 をバックアップして発足した「B-1グランプリ」を指している.このB-1グランプリが引き起こした問題については以下のような記述がなされている.
 
知名度の上昇に比例し、2008年頃からグランプリ出場のために急造のB級グルメを創作する傾向が広がった。特にご当地焼きそば、ご当地カレーが乱立しており、単に地域特産の食材を無理やり詰め込んだだけで「ご当地グルメ」を名乗る安易な発想には批判も強い。
 
 新たに創作した料理で町おこしを展開しようとする試みそれ自体には何の問題もないのであるが,中には新作料理であることを隠し,さも歴史的な背景があるかのようなデッチ上げを行った例がある.その恥ずべき例の典型が,横須賀市当局と横須賀市内の多くのカレー店が結託し,地域振興のためではなく単なる業者の金儲けのために,明治時代の海軍における兵食史を捏造した「よこすか海軍カレー」である.この問題については,このブログで糾弾してきた.左サイドバーにあるカテゴリーの「外食放浪記」を開き,連載記事《記念艦三笠でカレーを 》の (1)~(25) および (補遺) をお読み頂ければ幸いである.
 上に引用したWikipedia【B級グルメ】の文中に《また「町おこしのため」と称していても、実際には、特定の飲食店や特定飲食店グループが流行りに便乗して自店・自グループの目先の金儲けのためだけにやっていることが増え、批判されるようになっている。》と書かれているが,問題はそういうことではない.横須賀市内のカレー店が「町おこし」を騙って消費者や観光客を騙そうが何をしようが業者の自由だ.観光客が騙されなければいいのである.しかし横須賀市民にしてみれば,特定の飲食店への利益供与が横須賀市の経費 (つまり税金) で行われていることは厳しく批判されねばならない.税金の使途の公正公平は民主主義の根幹だからだ.
 このように,自治体当局と飲食業者が癒着した形で行われる町おこしは全国的に存在するだろうが,「群馬県おっきりこみプロジェクト」はその中でも悪質な一例だ.
「おっきりこみプロジェクト」の謳い文句を再掲する.
 
「おっきりこみ」は、ぐんまの伝統料理。
「おっきりこみ」を食べて、つくって、応援してください!
※このプロジェクトは、本県の伝統食である「おっきりこみ」を再評価し、本県の名物料理として県民運動で県外に発信し、本県ブランドの創出につなげるため、平成25年4月1日にスタートしました。

 
「おっきりこみ」が群馬県あたり (だけではなく埼玉県地方にも存在する) で古くから食べられてきた料理であることは間違いないが,現在,群馬県の飲食店や県当局が「おっきりこみ」と称しているものは,実は上州の食文化 (と呼べるほどの“文化”ではないが) を歪曲したデッチ上げなのである.以下,そのデッチ上げについて述べる.
 
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 上の写真の女性店員は,「おっきりこみ」とは「幅の広いうどん」で,「温かいつゆに具材を切っては煮込んで切り込んでは煮込んでる」と言った.まず「おっきりこみ」が「幅の広いうどん」であるという認識がそもそも間違いなのである.
「おっきりこみ」は郷土料理というよりも,群馬の農家の家庭料理である.江戸時代なら就農人口が多かっただろうから,郷土料理といえなくもなかっただろうが,農業人口が激減した昭和時代,特に私が記憶している戦後には,都市部の住人にはほとんど忘れ去られた食べ物になっていた.私自身,「おっきりこみ」を食べたのは昭和三十年代に数回しかない.その時の麺はすべて,幅の広いうどんではなかった.普通のうどんと同じ太さであった.「おっきりこみ」は純然たる家庭料理だから,それぞれの家で,普通のうどんと同じ太さと形に切ることもあれば,「きしめん」のように切る家もあったろう.その多様性を無視して「おっきりこみは幅の広いうどん」だと決めつけたのは,上記の「おっきりこみプロジェクト」である.庶民の暮らしにおいて自然発生する料理を,無能な「官」が調査もせずに町おこしのプロジェクトなんぞにすると郷土の伝統的食文化を破壊してしまうという好例だ.こうして「官」がこしらえた嘘がやがて「民」に広まり,富岡市の「はや味」の店員が客に「おっきりこみは幅の広いうどんです」と無知をさらけ出ようになった次第である.
 余談だが,群馬県は最近,肉牛の生産量が増えて全国的にも上位の生産県となった.ところが群馬県民には昔から牛肉を食べる食習慣がなかった.群馬では食肉といえば豚肉と鶏肉だった.だから群馬県産牛肉は県外が販路だった.それを知らない無能な群馬県庁は五年前に,香川の「うどん県」を模倣して,「すき焼き応援県」を宣言した.群馬はコンニャクもネギも生産量が多いから「すき焼き自給率が百パーセントだ」と胸を張った.ところが県民の食肉摂取量が全国最低水準にあり,すき焼きをほとんど食わないことが産經新聞等で暴露されてしまった. 元々すき焼きを食わないのだから,自給率が百パーセントなのは当然だというわけで,全国に恥をさらしたのであった.
 
 閑話休題
 さて「幅の広いうどん」は一般に「平打ちうどん」と呼ぶ.もっともよく知られているのは現在の名古屋の「きしめん」である.よく知られていると同時に,おそらく愛知県のうどんが平打ちうどんのルーツである.江戸時代の尾張の名物「きしめん」が,三河では芋川という土地の名物で「芋川うどん」と呼ばれた.これが江戸に伝わり,訛って「ひもかわ (うどん)」と呼ばれたと,江戸時代の百科事典ともいうべき『守貞謾稿』にある.そして「ひもかわ (うどん)」は関東一円に伝播した.
 日本で発展した小麦の粉食の中における「うどん」の特徴は,塩を用いた麺を熟成することでグルテンを引き出し,裁断して茹でる製法にある.このグルテンのおかげで,麺帯は容易に煮崩れしなくなることが発見されたのである.こうすると,麺を打つ→下茹でして打ち粉を除去する→冷水で洗う→「コシ」と美しい光沢が得られる.この製麺法が確立して,「うどん」は「ハレ」の食べ物となった.「うどん」の一つである「ひもかわ」はハレの食べ物なのである.
 その一方で,関東地方には塩を用いない小麦粉製麺もあった.地粉を水で練って延ばし,包丁で切ってそのまま汁で煮て食べる.古くは俎板に載せた麺帯をヘラで切って鍋に投入したものだと年寄りから聞いたことがある.これは一種の団子汁あるいはスイトンだと思われ,だとするとそもそも「おっきりこみ」は「うどん」とは出自が異なることになる.
 塩を用いないこの製麺法の特徴は,塩と熟成によるグルテン生成が行われないので,短時間で調理 (と食事) が終わる点にある.上州郷土料理の「おっきりこみ」や甲州郷土料理の「ほうとう」は塩を用いずに製麺するが,いずれも元々は多忙な農家の働き手 (女性) が手間をかけずに日常の食事を作れるようにと考案されたものだ.簡単で短時間で作って食べることが「おっきりこみ」の身上なのである.だから「うどん」のように下茹ではしないし,というより,コシがないから下茹なんかすれば湯に溶けて切れてしまう.また汁に入れても煮込まない.コシがないから,煮込んだりしたら汁に煮溶けてグチャグチャになってしまう.
「おっきりこみ」は群馬の農家の家庭料理だと言うと聞こえはいいが,ただもう塩っぱい汁に根菜をぶち込んだごった煮で,汁はドロドロで,見た目はお世辞にも旨そうな食い物ではなかった.「ハレ」の料理ではなく,腹に入ればいいという「ケ」の食い物だったのである.
 
 話を上州の「ひもかわ」に戻す.昭和二十五年生まれの私が群馬県を出て上京するまで,「ひもかわ」は何度も食べたが,それは「きしめん」とあまり変わらない幅の平打ちうどんであった.それが突然おかしくなったのは昭和五十年代のことである.桐生市あたりで「ひもかわ」の幅広化競争が始まった.テレビ番組で何度も取り上げられたのでイイ気になったか,どんどん「ひもかわ」の幅は広くなり,遂には口の大きさがトレードマークだった京唄子師匠の口よりも幅広の,十センチを超えるものまで現れた.いかにもお調子者で伝統を大切にしない上州人らしい.その異様に幅広の「ひもかわ」を売り出したのは桐生市の「ふる川」という店だ.店の公式サイトに「創業40年」と書いてあるように,この幅広「ひもかわ」は上州における粉食の伝統とは無縁の最近の食べ物だ.店のウェブサイトのトップページに
 
群馬県桐生地方に伝わる幅広麺のうどん。群馬は有数の小麦の産地でもあり、その歴史は古く、きしめんのルーツでもある「芋川(いもかわ)うどん」がなまったものとも伝えられます。
 
と書いてあるが,昔の「ひもかわ」を食べたこともない若いやつが《その歴史は古く》などとテキトーな嘘をつくなと言いたい.「ウチの店が考案した創作麺です」と正直に言え.

 とまあ,こうして上州の昔ながらの「ひもかわ」は今はもう廃れて,奇妙なワンタンの皮みたいなものに変容してしまった.江戸時代からの郷土料理の伝統が.このたった四十年で失われてしまったことの腹いせに,今度は「おっきりこみ」の話に戻す.
  
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 上の写真の女は,「具材を切り込んで煮るから,おっきりこみだ」とテレビの一行に説明したが,違う.田原坂の戦いの抜刀隊じゃあるまいし,料理に「切り込む」なんていう言葉はない.麺を「切」って鍋に放り「込む」から「おっきりこみ」と言うのだ.
 
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 この店の献立は「おっきりこみうどん」と「冷やしおっきりたぬき」と「冷やしたぬき」である.
 
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 上の写真は「おっきりこみうどん」と「はや味」が称するものだが,群馬の年寄りは,この画像を見て首を傾げるであろう.これは「おっきりこみ」ではない,「煮込み ひもかわうどん」じゃないかと.
「おっきりこみ」は,塩を使わずに打ったコシのない (グルテンが引き出されていない) 麺を打ち粉がついたまま煮込みうどんにするから,麺が溶けて汁がドロドロに濁る.しかるに上の写真では汁が透明である.
 これはどういうことかと不思議に思って調べたら,《ぐんラボ!》という口コミサイトに,富岡市の人がこんなことを書いていた
 
今回は【おっきりこみうどん(並盛・250g)950円】を頂きました。麺の量を店長に確認したところ、茹で上げ後250gあるようです。》(文中の文字の着色は当ブログ筆者が行った)
 
 これで謎が解けた.どうやら「はや味」の亭主は「おっきりこみ」を「ひもかわうどん」にすり替えているのだ.塩を使わずに打ったコシのない麺を打ち粉が付いたまま煮るのが「おっきりこみ」の「おっきりこみ」たる所以だ.コシがないから下茹ではできない.ところが「はや味」では下茹でしている.ということは「はや味」では塩を用いて製麺しているということである.
「はや味」の亭主は,本来の「おっきりこみ」を見たことも食べたこともないのだろう.ただもう県庁の宣伝に書いてあるものを自己流で拵えて客に食わせているのである.
 そもそも「おっきりこみ」は汁が熱い煮込み料理である.それが「冷やしおっきりたぬき」とはどういう了見か.煮込み料理をどうすれば「冷やし」にできるのだ.しかも「こみ」がなくなって単に「おっきり」になってしまった.その上さらに「たぬき」が付いて「冷やしおっきり」だとさ.馬鹿なことを言うな.これは「たぬき ひもかわうどん」である.「おっきりこみ」とは全く無関係な食い物だ.
 斯くして,上州郷土料理の「ひもかわ」も「おっきりこみ」も姿を消した.別に旨い食い物ではなかったから,なくなっても構わぬが,食文化的伝統にないものを捏造し,嘘をついて平気で売る群馬県民の精神風土には,群馬出身者としては腹が立つ.
 
 山梨県側富士山麓の富士吉田には,「吉田のうどん」という伝統的郷土料理がある.いかにも垢ぬけないうどんだが,昔ながらの製法が今に伝えられているようで,この地方の出身者の郷愁を誘うと聞いた.
 また東京の西部地域には江戸時代から「かて (糧) うどん」と呼ばれるものがあり,これには保存会があるようだ.
 このような郷土料理がある地方のこと思うと,群馬のような伝統食に一瞥もくれない地方もある.群馬県には「水沢うどん」という名物がある.これは郷土料理ではなく寺に参詣する人を相手にしたうどんであるが,これも私が若い頃とは違うものになってしまった.伝統食が守り保存されている地方がうらやましい.

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2019年7月22日 (月)

『天気の子』 / テラスモール湘南「梅蘭」

『天気の子』を観てきた.
 前作『君の名は。』に続いて“Boy Meets Girl”のストーリーである.ただし,いい意味で.
『君の名は。』は物語にSF的な設定を施すことで,ストーリーの解釈に多様性あるいは膨らみとでもいったものを持たせることに成功していたが,今作『天気の子』は,SF風味を全く削ぎ落して,軽いファンタジーに仕立てている.
“Boy Meets Girl”モノというのは,少年と少女 (あるいは青年と乙女;特殊な例では『マジソン郡の橋』など) のあいだに何かしらの「試練」がなければいけない.その試練を二人が乗り越えて (あるいは乗り越えられないことで) 初めて物語が設立するのである.試練が何もなければ,よかったよかった,の一行で話は終わってしまう.
『天気の子』のストーリーは一本道で,「そうだったのか!」と驚くような仕掛けはない.それに粗筋はWikipedia【天気の子】に書かれているので,何を書いてもネタバレというほどのことはないから書いてしまうが,『天気の子』では東京を襲った異常気象が,今作『天気の子』の“Boy Meets Girl”における「試練」となるのである.
 
 家出して上京した高校一年生の森嶋帆高は,小学生の弟と暮らす中学生の天野陽菜と知り合う.この陽菜は,天空と地上の人間界を繋ぐ巫女として描かれる.『君の名は。』の宮水三葉と同じである.おそらく巫女は,新海誠監督にとって少女という存在が持つイメージなのだろう.
 ちなみにここで「天空」と書いたが,これは天界ではない.この物語の中では,天空に聳える積乱雲の最上部には,地上と異なる世界があるのだとされている.
 さて東京を襲った異常気象,すなわち降り続いて止まぬ「異常な連続降雨」は,このファンタジーにおける災厄である.しかし「異常な連続降雨」が起きた理由は,作品中で説明はされない.これはファンタジーのお約束だ.そして陽菜はこの「異常な降雨」を局所的かつ一時的に停止する「晴れ女」の能力を持っている.しかしそれは陽菜の真の能力ではない.
 ファンタジーの世界では,ヒーローあるいはヒロインの真の能力とは,この世において与えられた使命を果たす能力を意味する.使命とはこの世の災厄を祓うことである.そしてヒーローあるいはヒロインが,なにゆえにその使命を与えられたのかは不明でも構わない.一例を挙げれば,現代ファンタジーの出発点である『指輪物語』で,主人公フロド・バギンズ は,古の王の末裔でもなければ剣の達人でもない.たまたま「一つの指輪」を破壊する旅にでることになってしまったのである.
 陽菜も同じ.雨が降り続く東京.母の臨終の病室で,たまたま窓の外を見たら,廃ビルの屋上にそこだけ陽光がさしていた.誘われるようにして
そのビルの屋上に行くと,稲荷社があった.ちなみに稲荷は農業神であるが,すべての商工業の神でもあり,ビルの屋上には稲荷社が祀られていることが多い.
 民間信仰的な根拠資料を私は知らないが,新海誠監督は『天気の子』の物語において,雨は水神が,晴は稲荷が司っているとしている.両神の拮抗バランスが崩れて,異常な降雨現象が発生したという設定だ.
 降り止まぬ雨という災厄を祓うために稲荷神が人柱に立てた巫女こそが陽菜である.それは,たまたま,であった.陽菜でなければならぬということはなかった.しかし陽菜は,自分の運命を抗わずに受け入れて,人柱となった.
 陽菜の運命を受け入れなかったのは,帆高であった.ここから先は映画を観て欲しいが,物語は“Boy Meets Girl”から初々しいラブ・ストーリーへと変わる.
 普通のヒロイック・ファンタジーであれば,主人公は世界を救うことを選ぶか,愛する娘を選ぶか,悩み葛藤するのであるが,帆高は全く躊躇しない.ただ一途に陽菜を選ぶのである.世界なんかより愛だ.そしてその結果,東京は水没する.
 だが,若い人たちは帆高の選択に共感するだろう.私みたいな老人だって,若ければ帆高のように生きたいものだ.
 色々あって,帆高と陽菜は二年間,遠く離れて暮らす.二年後,二人は再会するのだが,帆高が坂道を歩いて行くと,坂の上に陽菜がたたずんでいる.このシーンで新海監督は観客に「回収されない伏線」を提示する.観客の想像力を掻き立てるかのように.『君の名は。』のラストシーンは素晴らしかったが,『天気の子』も劣らない.
 映画を観終わったらエンドロールで主題曲「愛にできることはまだあるかい」を聴いて頂きたい.『天気の子』は前作よりも音楽性の高い映画になっていると私は思う.
 才能ある若い人というのは羨ましい.『天気の子』公開の朝,新海監督がテレビに出て,音楽を担当すると共に映画創りにも大きく貢献したRADWIMPSに謝辞を述べていた.おそらくこれからもRADWIMPSは新海監督作品に関わっていくのだろう.
 
 さて物語のいくつかのシーンを反芻しながらシアターを出ると,昼飯時をかなり過ぎていた.いつもなら藤沢駅に戻って昼飯にするのだが,空腹だったので,テラスモール湘南の中にあるフード・コート「潮風キッチン」で済ませることにした.潮風キッチンには「梅蘭」という中華料理の店が入っていて,そこの「梅蘭焼きそば」が一風変わった料理なので食べてみることにした.(下の写真)
 

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 梅蘭焼きそばは,どこが一風変わっているかというと,普通の餡かけ焼きそばは,中華鍋またはフライパンで蒸し麺をパリッと焼き,その麺の上に八宝菜風の餡がかかっているのだが,梅蘭焼きそばは,餡と麺が上下逆になっている.作り方は,調理の実際を目で見たわけではないが,蒸し麺を中華鍋に押し付けるようにしてパリパリになるまで焼く.そこに餡をタップリと載せ,これに皿を上から被せる.あとは鍋を引っ繰り返して皿に載せる.チキンライスを薄焼き卵で包んでオムライスを作るのと同じやりかただ.(オムライスの動画)
 さて実食した感想.
 普通の餡かけ焼きそばは,餡の水気が麺に移って,食べていくうちにパリパリの食感からシンナリとした状態に変わる.この変化が餡かけ焼きそばのおいしさなのだと私は思うが,梅蘭焼きそばは麺が餡の上に載っているので水気が移らず,麺はパリパリのままで,軟らかくほぐれるということがない.全体が焼き固まっているので,箸先でほぐすのが難しい.いわゆる「ちぎり箸」をせずに上品に食べるのは少々大変だった.プラスティック製でディスポのナイフがあれば持参するのがいいだろう.というか梅蘭の店員は中国人だが,客は日本人である.日本人は箸のマナーを大切にしている.この焼きそばを箸だけで食べろというのは客への配慮が足りない.ま,そういう店なんだと思う.
 余談だが,以前中国旅行の時に,ちょっと高級な料理店で食べた餡かけ焼きそばがおいしかった.作り方は,まず麺をパリパリに焼いて半球状の器を作る.大きさは大き目のメロンの横二つ割りくらい.それに野菜と肉の餡を盛り付ける.そして餡を食べ進んでいくと,次第に麺でできた器が食べ頃の軟らかさになるという次第だ.
 それはさておき,梅蘭焼きそばのお味はどうだったか.残念ながら餡の塩味にしても旨味にしても,一味足りないというか味がボケているというか,それが正直な感想だ.この焼きそばは見た目は面白いが,この味で九百二十円はいかがなものか.話のネタに一度食べれば充分だ.ごちそうさま…か…な…
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闇社会系芸人

 ネットメディア (デイリースポーツ 2019/07/22 14:45) の報じたところによれば,吉本興行の岡本社長が記者会見し,反社会的勢力を相手に営業したとして契約解消および謹慎処分されたお笑い芸人二名に対する処分を撤回した.
 私は,ちっともおもしろくない「芸」人には無関心だが,これで吉本の契約社員たる「芸」人たちは,晴れて闇社会と付き合えることになったわけで,関西のお笑い「芸」人の皆さんにお喜びを申し上げたい.
 反社会的契約社員を「クビだ」と恫喝した
岡本社長を屈服させたと思われる明石家さんま,松本人志は思うとおりになってさぞやうれしかろう.
 これで,テレビに出てくる吉本「芸」人は闇社会系「芸」人ということになった.
 普通の上場企業の話だが,社員が反社会的勢力を相手に営業をしたら,懲戒免職である.しかるに吉本興行では,反社会的勢力と親しい契約社員をクビにできないことがあからさまになってしまった.関西の「芸能」界は真っ暗闇だ.
 吉本興行が「芸」人たちにまともなギャラを支払わないから反社会的勢力を相手に営業するんだとの意見があるが,広域暴力団からギャラをもらわないと飯が食えないなら,そんな「芸」人商売はやめてしまえ.私たち国民に迷惑をかけるな,馬鹿者が.芸というのは,三代目米朝のような人物のものだ.お笑いは,そもそも芸じゃない.国に帰って,額に汗してまともに働け.
 お笑い界の売れっ子たちが,揃って反社会的「芸」人たちを援護する中,上沼恵美子は
 
吉本興業は実力がそこまでない芸人にもテレビ番組出演の機会が回ってくることが他の事務所所属の芸人より多いなどチャンスが多く、吉本のギャラの取り分が多いのはそういった理由があると指摘。食べていけないから闇営業に行くという意見を「芸人さんのわがままやと思うし、あんたの力がないからや」と一蹴し、「事務所の責任にしちゃいかん」と厳しい言葉を投げかけた。
 
と語った.まともな人間が,たった一人でもいたことが救いである.(上沼の発言についてはWikipedia【お笑い芸人による闇営業問題 】に資料があるが,この項目自体が削除予定のようだ)

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2019年7月19日 (金)

大量無差別犯と精神鑑定

 京都アニメーションが放火され.三十三人もの人が殺された事件.アニメファンの若い人たちが受けたショックの大きさは想像もできない.
 この種の不条理かつ無差別な殺人は昔からあったのだろうが,人々に長く記憶されることになったのは,横溝正史『八つ墓村』のモチーフとされる「津山事件」だろう.しかし私自身の記憶にある最初の大量無差別殺人事件は,「深川通り魔殺人事件」だ.
 余談だが,この深川通り魔事件の犯人の名が川俣軍司であることはたくさんの人々が記憶しているだろう.しかるにWikipedia【深川通り魔殺人事件】では川俣軍司という姓名は書かれていない.ところがWikipedia【津山事件】には,犯行に及んだのは都井睦雄である (ただし犯行直後に自殺したため,容疑者とされている) と明記されている.両殺人犯の,Wikipediaにおける扱いの違いが何に基づくのか,不明である.
 さて,京都アニメーション放火殺人事件について,ネットで若い人たちが遣り取りしているのを読んでみた.すると「どうせ人権派弁護士がシャシャリ出てきて,精神鑑定されて責任能力なしで無罪放免だよ」との発言があり,他の若者たちは賛同していた.
 ふと思ったのだが,犯人に精神異常が疑われて精神鑑定が行われた事件は日常茶飯事のように数多いが,その結果はどうなんだろう.果たして無罪放免になっているのだろうか.少し調べてみたら,弁護士の寺林智栄という人が 書いた文章が目にとまった.
 
事件を起こした精神的にマズい人の、その後。》(2014年5月25日掲載)
 
 事は法曹の専門性が高く,私が上に掲げた文章を要約批評すると誤りが生じるかも知れないので,当ブログ読者はその全文をお読みいただきたい.
 上掲の文章が正確だとすると,ネット上の発言のように,無罪放免には必ずしもなっていないようだ.事実,川俣軍司は東京地裁で行われた判決公判で,裁判長は「覚醒剤中毒による心神耗弱状態にあったが刑事責任能力は問える」として,無期懲役の判決を言い渡した.
 警察は,放火犯が火傷を負って治療をうけているため,まだ逮捕に踏み切っていないが,おいおいこの男の詳細が報道されるだろう.メディアの報道を見守りたい.

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2019年7月18日 (木)

熊や哀れ

 今日の午後,下野新聞社が報じた記事《飼料タンクにクマ3頭 塩谷町営放牧場、親子か 》によれば,栃木県塩谷町上寺島の町営豊月平放牧場 (町営の牧場らしい) で,牛の配合飼料を貯留するタンク (高さ6m) の中に母子三頭のツキノワグマが落ちていることがわかった.側面に設置されたハシゴを登り,上部のハッチ (開口部;直径50cm) の蓋を開けて中に落ちたらしい.
 配合飼料タンクの周辺に飼料が散らばっていたので母子のクマたちはそれを食べたのだろうが,その結果,タンクの中にもっと食べ物があるはずだと推理したクマの知能の高さに驚いた.
 もっと驚いたことがある.配合飼料タンクのことである.
 この種のタンクのハッチは必ず,作業者の墜落や,異物の投入等の事故を防ぐために施錠できる構造になっている.これを通常は施錠しておくことが常識であり,“must”の作業である.私は牧場の飼料タンクの管理マニュアルについてはよく知らないが,同様の構造のタンクは工場にもあり,会社で工場勤務の経験がある私は,タンクの管理についてはよくわかっている.工場では,タンクのハッチ蓋の施錠は重要な作業なのである.もし作業員が施錠を怠ったことが発覚すれば,譴責間違いなしなのである.
 新聞記事にはクマたちの処分については書かれていないが,おそらく麻酔銃で眠らせたあと,タンク下部の横にある開口部の蓋 (圧力がかかるのでボルト締めになっていることが多い) を外し,外に出すと思われる.そののちに母グマは殺処分されるだろうが,コグマたちはどうなるのだろう.
 きちんと施錠してあれば,母子は立ち去ったに違いない.だが町営牧場の無責任な作業員 (公務員だろうか?) が,行うべき施錠を怠けたために,あたらクマたちは命を落とすことになった.哀れである.

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2019年7月17日 (水)

クラシック・レイディオ (七)

 前回の記事《クラシック・レイディオ (六) 》の末尾を再掲する.
 
上の説明書には色々なタイプのIFTについて説明がされている.これらが現在もオークションで入手できるかどうか私は知らない.
 さて次回は,この骨董品IFTがちゃんと動作するものかどうか,確かめてみる.
 
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 ディップメーターでIFTの共振周波数が確認できたのは,二本のIFTのうちの一本だけ,それも二次側のLC同調回路だけだった.この劣化は想定内で,劣化の原因であるコンデンサーを全部新品に交換してしまおうと思ったのだが,アルミケースから同調回路を取り出してみると,今はもう製造されていない旧式のコンデンサーである所謂「キャラメルマイカ」(湿度が高いと劣化するとの説がある) が使われており,その表面になぜか静電容量値がプリントされていないことがわかった.
 そこでハンダ付けを外して静電容量を測定しようとしたのだが,大昔の製品のせいかハンダの融点が高い上にハンダをこってりと盛ってあり,手持ちの普通のハンダ吸収線では融けたハンダを吸い取れず,どうにも始末が悪い.
 
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(ハンダ吸収線)
 
 IFTのコイルは極細のリッツ線を巻いてあり,これをウッカリ切断してしまったら,もう修復は不可能だ.それで乱暴だが,コンデンサーのリード線をニッパーで切断してしまった.
 
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(IFTのコイルと,切断して取り外したキャラメルマイカコンデンサー)
 
 LCRメーターで測定したところ,コンデンサーを取り外した側のコイルのインダクタンスは1.246mH,コンデンサーの静電容量は104.2pFであった.
 
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(愛用の安物LCRメーター;誤差は数%ある)
 
 誤差を含むこの測定値をそのまま使って共振周波数を求めると,442kHzである.仮にこのIFTの設計値が1.25mHと100pFであるとすると,その共振周波数は450kHzとなる.目標値455kHzの1%程度に収まっており,たぶんこの値が設計値だとしていいだろう.コンデンサーには,99pFなどという中途半端な製品はないからである.そこで,新品のマイカコンデンサー (100pF) を買って交換することにした.
 ちなみに,コイルとコンデンサーの数値から共振周波数を計算してくれる《LC共振の周波数 》という大変便利なウェブコンテンツがある.世の中には奇特なおかたがいるものであるなあと感謝.
 次回は,骨董品ラジオから部品取りをしてみる.

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2019年7月16日 (火)

永山久夫がまた嘘を

 昨日 (7/15),首都圏ではフジテレビでやっている『新説!所JAPAN』を初めて観てみた.よくある情報バラエティ番組で,MCは所ジョージ,この日の放送のゲストは,井森美幸,陣内智則,パックン,三浦春馬だった.内容は番組のサイトに次のように書かれている.
 
所ジョージが日本にまつわる身近な謎に迫る知的バラエティー! 今回は、外国人が驚く「実は日本人だけ?」という行動や習慣を大特集!
 
 番組が取り上げた話題は幾つかあるのだが,そのうちの一つが「肉を薄く切って食べるのは日本人だけだ」という珍説だった.同様に引用すると,番組サイトには,次のように書いてある.
 
続いては、分厚いステーキが主流の外国人が驚く「どうして日本人は肉を薄く切って食べるのか?」。
 その意外な理由を食文化史研究家が解説。その鍵となるわれわれの食文化にゆかりのあるモノとは?
 はたして、欧米との違いが生まれたその理由とは?
 
 上の引用箇所に「食文化史研究家」としてあるのは,食文化に関する大嘘デタラメを本やテレビでまき散らしている,あの永山久夫だった.永山は「日本人が肉を薄く切って食べる理由」として「箸でつかみやすいように肉を薄く切って食べるのが日本人の美意識だからである」という何を言いたいのかわからぬことをぬかした.
 そもそも「肉を薄く切って食べるのは日本人だけだ」という立論からして間違っている.
分厚いステーキが主流の外国人が驚く 》などと永山は言うが,明治時代の日本人じゃあるまいし,日本人以外の人々を一括して外国人と呼ぶセンスが大馬鹿野郎である.日本人以外の人々をすべて外国人と呼ぶのであれば,外国人の中で最も数が多いのは中国人だが,私の知る限り中国の肉料理の主流は分厚いステーキではない.インドなどの多くのヒンドゥー教徒は,そもそも肉を食わないしステーキなんて論外だ.きっと永山の頭の中には欧米人=外国人という等式があるのだろう.中国人やインド人やエジプト人やラオスの山岳民族等々は,永山にとっては外国人ではないのだ.
 また欧米人が薄く切った肉料理を食わないかというと,そんなことはない.ローストビーフは,厚くカットすることもあるだろうが,サンドイッチには薄く切ったものを挟むのが普通だろう.イギリスでは昔から残り物の薄切りローストビーフを煮込んで食べていた.これがハッシュドビーフの始まりである.
 南米のシュラスコも,食べやすい大きさの串焼きもあるだろうが,串に挿して焼いた大きな塊の肉は,テレビの旅番組なんかで見ると,食べやすくスライスしている.
 永山は,思いついたことを,よく調べもせずに滔々と語る.いつぞやは講演で,日本人は箸を使うから頭がいい,と言っていた.箸を使うのは日本人だけではないし,箸を使っても永山のように頭が悪い者がいる.口に出す前に,よく考えろといいたい.

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2019年7月15日 (月)

詐欺にも似て /工事中

 あるポータルサイトに東京スター銀行の広告が掲載されていた.
 その広告は《【最新2019年版】やっぱり、年金だけでは足りなくなる!30代40代に必要な老後のお金は? 》である.
 
スルガ銀行の不祥事を地銀は笑えない
 
「老後2000万円不足」騒動に映る年金制度の弱点 安倍政権が慌てた本当の未来の危機


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2019年7月11日 (木)

機械翻訳前の文章を知りたい

 スーパーヘテロダイン方式のラジオを製作すると,簡易型信号発生器 (一般にテストオシレーターと呼ばれている) を用いて調整をしなければならない.私は昭和の香り高いアナログ式テストオシレーターを所有しているのだが,周波数を目盛版から目で読み取る関係上,周波数の有効数字が二桁しかない.周波数の有効数字が二桁というのは,例えばダイヤルの目盛りで455kHzに合わせても,実際には454kHzとか456kHZかも知れない,ということである.(テストオシレーターは下の写真で,台湾製)
 
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 そこで精度の高い周波数カウンターを購入した (下の写真;これは中国製で,有効数字は四桁である) のであるが,テストオシレーターと周波数カウンターを接続するのにBNC端子付き同軸ケーブルという被服電線を使用する.
 
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 それをアマゾンで見繕っているときに,《uxcell RG58 BNC - BNC同軸ケーブル 50オーム 50 cm長さ 同軸延長ケーブル 1個入り 》という商品を見つけた.“uxcell”がメーカー名で,中国製品である.その商品説明を下に引用する.
 
《・完全にBNCオス同軸ケーブルにRG58 BNCオスを組み立て
 ・RG58 / U定格50Ω低インピーダンス同軸、95%編組カバレッジ
 ・高品質のニッケルメッキコネクタ本体と金メッキ真鍮コンタクト
 ・放送、ビデオ伝送、ビデオ監視に最適
 ・RG58は細いRG316またはRG174から作られたケーブルよりはるかに少ない減衰を意味します。特に重要な人がいる場合は、それほど落ち着かないでください。
 
 この箇条書き説明文の,最初の四項目は日本語に妙な箇所はあるが,言いたいことは理解できる.
 しかし最後の項目《特に重要な人がいる場合は、それほど落ち着かないでください。》は一体どういう意味なのであろうか.
 日本のアマゾンにおける中国製品の見分け方は割と簡単で,商品説明の日本語が,上記の同軸延長ケーブルのようにブロークンであるからすぐわかる.そしてこの手の製品は大抵は低品質である (*).
 逆に言うと,日本語の商品説明が明解正確であると,中国製かどうか見分けるのが難しい.しかしこのような製品は高い品質のことが多いから,無問題ではある.
 さて想像するに,粗製中国製品 (若い反中国青年諸君は,これを中国ではなく「中華」と呼んでいる) の商品説明は,中国語→(機械翻訳)→英語→(機械翻訳)→日本語という方法で作成されているものと考えられる.《完全にBNCオス同軸ケーブルにRG58 BNCオスを組み立て 》なんてのは,元の英文がおよそ想像できる.
 しかし,だ.《特に重要な人がいる場合は、それほど落ち着かないでください。》は皆目,元の英文が想像できない.わかる人がいたら,ぜひご教示を頂きたいものである.
 
(*) 中国製品すべてが低品質であるというのではない.中国は日本を凌ぐ工業国家であるからして,例えば小さな電気部品にしても優れた製品が作られているに違いない.実際に私は,アマゾンで購入した電気部品が中国製にもかかわらず極めて高い品質であるのに驚いたことがある.
 だがアマゾンあたりに出品されている中国製品の多くは劣悪なものばかりである.そして大きな問題は,日本ではもう優秀な電気部品を作る小企業が絶滅しつつあるということだ.
 笑い話のようなことを一つ.抵抗器やコンデンサは両端にリード線が付いており,これに日本製 (実際の製造地が海外であっても) は錫メッキ銅線を使うが,中国製は単なる鉄の針金だったりする.磁石にくっつくので,買った後で騙されたと悔しい思いをする.w
 だが他国を批判するのは控えたほうがいいも知れない.私が生まれた頃の日本製品は,劣悪粗悪品の代名詞だったのだ.大根をサイコロ状にカットして黄色く着色し,甘く味付けしたものを缶詰にして「パイナップルの缶詰」と称してアメリカに輸出したことがあるのだ.
 昭和三十五年,それまで「牛肉大和煮缶詰」と称して売られていた日本製缶詰のほとんどは中身が馬肉や鯨肉だったことがバレて問題になった.偽装は日本が本場なのである.

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2019年7月 9日 (火)

フォー対決

 先日,藤沢駅北口「さいか屋」の地下にある成城石井で食料品を物色していたら,ケンミンのフォーが置いてあった.私はこれまでエースコックのフォーばかり食べてきたので,このケンミンの製品も食べてみようと思った.
 とりあえず比較のために,両社の公式サイトに記載されている表示事項を下に引用する.
 
ケンミン食品株式会社
ベトナム風フォー 鶏がらスープ味
内容量   68.9g (米めん50g+粉末スープ18.9g)
 標準栄養成分
  エネルギー   238kcal
  たんぱく質    5.0g
  脂質       0.5g
  炭水化物     53.3g
  ナトリウム    1.8g
 原材料名
  米めん (米、でん粉)、粉末スープ (デキストリン、食塩、魚醤 (魚介類)、チキンエキス、コリアンダー、たまねぎ、にんにく、こしょう、唐辛子、ごま油、調味料 (アミノ酸等)、酸味料、リン酸カルシウム、(原材料の一部に大豆を含む)
 
エースコック株式会社
ハノイのおもてなし 鶏だしフォー
内容量:48g(めん 40g)
 標準栄養成分
  エネルギー   168kcal
  たん白質     3.6g
  脂質       1.6g
  炭水化物     34.8g
  食塩相当量    3.7g
    (米めん・かやく/スープ 0.9g/2.8g)
 原材料名
  米めん (ベトナム製造 (米、でん粉、食塩))、スープ (食塩、香味油、植物油脂、香辛料、動物油脂、砂糖、でん粉、香味調味料、ねぎ、ネギエキス、酵母エキス、チキンパウダー)/加工でん粉、調味料 (アミノ酸等)、乳化剤、増粘剤 (グァーガム)、酸味料、甘味料 (スクラロース、アセスルファムK)、香料、酸化防止剤 (ビタミンE)、(一部に卵・大豆・鶏肉・豚肉を含む)
 
 上記二つの製品は,スープの原材料表示に微妙な違いがある.「ハノイのおもてなし」は主たる原材料と食品添加物を「/」で区切って,食品添加物を明示している.これに対してケンミンのフォーはずらずらと並べているだけである.いずれも工場あるいは本社の所在地を所管する保健所に目を通してもらっているはずだが,エースコックの書き方が好ましい.
 それはさておき,まずはおいしいかどうか,だ.両者のスープを比較してすぐわかることは,ケンミンのフォーのスープがシンプルなレシピで作られていることだ.これについて少し説明する.
 
[ケンミンのベトナム風フォー]
スープの原材料;デキストリン … これは,粉末乾燥したあとで取扱いやすい量にするための増量剤である.
        食塩,魚醤 (魚介類),チキンエキス,コリアンダー,たまねぎ,にんにく,こしょう,唐辛子,ごま油 … これらの材料で味を整えている.他に,調味料 (アミノ酸等) を使っているが,これはたぶんグルタミン酸ナトリウム (を主とする添加物製剤) で,旨味を増強するために使っていると見られる.酸味料も,保存性向上の意味もあるが,フォーのスープにわずかな酸味を加えるためだろう.リン酸カルシウムは色々な機能を持っているので,このスープに入れている目的は不明だ.こうしてみると,純然たる添加物的用途はリン酸カルシウムだけのように思われる.
 これらの材料のうちで,魚醤は東南アジア感を付与したくて入れているのだろう.コリアンダーも同じ.加工食品の設計におけるこのような姿勢に私は好感を持つ.
 
 これに対してエースコック「ハノイのおもてなし」は,いちいち解説するのが面倒くさいくらいに食品添加物に頼り切っている.おそらく業務用商品として販売されている香味油,香味調味料を使用し,さらに食品添加物の香料も使っているが,「ハノイのおもてなし」に魚醤は使われていない.魚醤は東南アジア風味のキモであると私は思うのであるが.
 またそのことに加えて,食品添加物の加工でん粉,乳化剤,増粘剤,甘味料を用いているが,本当にそれらは必要なのか.消費者は疑問に思うかも知れない.実は私も疑問に思うのである.
 
 以上のように書くと,ケンミンのフォーのスープがおいしいかのようであるが,実はさにあらず.原材料表示を読んだ限りは如何にも人工的なレシピである「ハノイのおもてなし」のスープのほうが東南アジア感を漂わせているのだ.ケンミンのフォーのスープは,食品開発の姿勢はエースコックのそれよりも良いのに,求められる味を実現する技術に足らぬものがあったと言わざるを得ない.まことに惜しい.
 
 それでは麺はどうか.これはもうケンミンのベトナム風フォーが圧勝である.「ハノイのおもてなし」の麺は,茹でると麺と麺がくっついてほぐれないのに対して,ケンミンの麺はそれがほとんどないから食べやすい.米粉麺の製造技術にかけては,ケンミンはさすがであると言うほかない.
 結論として,ケンミンのベトナム風フォーは,スープの味にもう一工夫あれば,「ハノイのおもてなし」よりもうまくなるはずだ.期待している.
 本記事の終わりに少し補足すると,エースコック「ハノイのおもてなし」もケンミンのベトナム風フォーも,カップ麺のうどんや豚骨ラーメンなどに比較すると塩分は少ないが,それでもスープを全部飲んでしまうと,成人男性の一日のナトリウム摂取目標量の半分近くになってしまう.スープは麺にからんで口に入るのを楽しむ程度にするのがよい.

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2019年7月 8日 (月)

クラシック・レイディオ (六)

 昭和三十年代に,通信系機器のパーツや通信機を製造していた富士製作所 (ブランドは“STAR”) というメーカーがあった.他にも幾社か通信機器パーツを作っていたメーカーはあったが,私の少年時代は既にトリオ商事 (春日無線電機商会,後のケンウッドの前身;ブランドは“TRIO”) と富士製作所の二社がシェアを分け合っていた.富士製作所は後に通信機部門だけが八重洲無線に買収されて,会社としては消滅した.ケンウッドも業界再編成の波に呑まれ,ブランドだけを残して,今はない.
 二十年近く前,秋葉原の内田ラジオにボッタくられて買ったIFT (\8500) は,STARの[A2s・B2s]である.中古ではなく箱入りの未使用品だが,その付加価値を考慮しても高すぎると思う.しかし当時は骨董パーツ屋と,ネットオークションとの競争原理が働いていたわけではないから,私たち素人は売り手の言い値で掴まされることが多かった.
 下の写真の右側の箱はボロボロで,今にも崩壊しそうである.IFTは二本が一組 (ただし中間周波増幅が一段の場合;二段増幅の場合は三本が一組になる) であるが,黄色のリード線が上から出ている左端のものが,中間周波増幅段の入力部に置かれる.昔のラジオで中間周波増幅に使用されたST管「6C6」のグリッドが管球の上から出ているので,それに接続するために黄色のリード線が,シールドの意味も兼ねてIFTのアルミケースの上の穴から出されている.
 
20190710a
 
 中間周波増幅管のグリッドに接続される入力用のIFTと,その真空管のプレートに接続される出力用のIFTとでは,中に入っているコイルの一時側と二次側との距離が少し異なっている.そういう設計で作られているので,二つのIFTは区別して使用しなければいけない.骨董品のmT (ミニチュア) 管ラジオに使われていたIFTは,黄色いリード線が切断されているものがあり,知識のない者が無造作にラジオから部品取りしたIFTは,外観では区別できなくなっているので,注意が必要である.
 さて私が入手したこの製品は,たぶん昭和三十年代半ばに製造されたものではないかと思われる.一応,取説も著作物ではあるが,保護期間は過ぎているし,発行者自体が既に消滅しているからコピーしても大丈夫だろう.セピア色に色焼けした取説のコピーを下に掲げる.
 
20190709a_20190709165001
 
 左側のIFT (A2・B2) は特性図の谷底が広くなっている.これは音質を重視する一般のラジオ向け製品だった.
 右側のIFT (A2s・B2s) は谷がシャープである.これは近接した周波数の信号を分離するのに優れた特性で,通信機用の製品だった.
 
Img_20190710_0003
 
 ラジオの製作は,当時は割とアマチュア愛好者の多い趣味だったので,上の取説の一番下に,作ったラジオの調整方法が親切に解説されている.
 
Img_20190710_0006
 
 上の説明書には色々なタイプのIFTについて説明がされている.これらが現在もオークションで入手できるかどうか私は知らない.
 さて次回は,この骨董品IFTがちゃんと動作するものかどうか,確かめてみる.

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2019年7月 6日 (土)

クラシック・レイディオ (五)

 底ブタを開けると,筐体の中には電池ボックス (単三×6) が内蔵されている.ボックスにはナショナル・ハイトップ乾電池が入ったままになっており,もしかすると二,三十年もの間,ほったらかしにされていたのかも知れない.すべて激しく液漏れしていて,そのため乾電池の電極に接するボックス自体の金属部分が完全に腐食していた.
 ちなみにパナソニックの乾電池部門の資料によればハイトップ乾電池は昭和三十八年の発売である.ただし同部門の資料には昭和三十九年の発売だと書いた記事もあり,社内で統一がとれていないようだ.
 ハイトップ乾電池は後継のネオ・ハイトップと並行生産されていたような記憶があるが,いつ生産終了したのかは,わからない.いずれにせよ,このディップメータの私より前の所有者が,電池を入れたままにして使用しなくなってから何十年か経ったと思われる.想像を逞しくすれば,その人が亡くなって遺族が遺品を整理していたら何に使うのかわからない機器が出てきたので,遺品整理の専門業者に引き取ってもらった.その業者には,動作確認したり修理したりする専門的な知識がないので,「動作保証なし」でヤフオクに出品したところ,買い手 (私w) がいた.そんなところだろうか.メンテされていて動作が確認されているなら,もうちょっと高い値段で売れたと思われる.私が落札したディップメータは業者の出品だったが,ヤフオクをウォッチングしていると,個人が出品している場合もたまにある.その場合は「○MHzで発振を確認した」などとコメントが付いている.そういう機器は何万円かで取引されているようだ.とはいうものの,台湾製の新品が一万円台で販売されているから,骨董品的付加価値が含まれていることは間違いない.
 
20190706a
 
 上の写真ではそうは見えないが,真ん中の部品は底ブタで,電池ボックスのホルダーが付いている.この箱状のものに電池ボックスが収容される.電池ボックスはもう使い物にならないので,単三電池が六本入るボックスをアマゾンで探したら,一商品だけ出品されていたので注文した.
 また,ディップメータの前面パネルにはDC9Vを入力できるようにもなっている.普段の使用では,内蔵電池ではなく外部から供給するほうがいいだろう.暫く使わない時に電池の外し忘れをしやすいから,それを防ぐためだ.
 内部の基板の状態を目を皿のようにして (実際は天眼鏡を使ったw) 点検したが,電池から漏れた液が付着してはいないようであり,また回路のパーツも特に異常はないようだった.ということなら,いよいよ通電である.コイルは中波放送帯域をカバーするGコイルをディップメータ上部のソケット (ソケットは二つあり,コイルによって挿すソケットが指定されている) に挿した.外付けの電池ボックス (単三×6=9V) のDCジャックをディップメータ本体に接続した.
 
20190709a
 
 電源スイッチのポジションは,OFFとCWとMODであった.CWは無変調波,MODはAM変調波を意味していると思われた.そこでMODの位置にオンした.ソニーの携帯ラジオもスイッチ・オンにしてNHK第一放送を受信する.ディップメータのコイルをラジオに近づけ,周波数ダイアルをNHK第一 (東京) の594kHzの近辺でゆっくり回すと,ピーという音 (たぶん1kHZ) がラジオから聞こえて,NHKの放送に混信した.これでディップメータは発振していることが確認できたことになる.基板の回路に手を付ける必要はなかった.
 
 さてこのディップメータの使い道だが,詳しくは「グリッドディップ・メーターの使い方 万能測定器グリッドディップ・メーターの徹底的活用法」に書かれているように,昔は色々な用途があったのだが,ディップメータならではの使い道は,現在では一つだけである.現在では,円盤型ダイヤルで周波数を読み取るタイプの骨董品的ディップメータ (ダイヤルから読み取れる周波数の有効数字は二桁しかない) よりも,ずっと安価で,比較にならないほど精密度,正確度の高い測定器があるからだ.
 さて秋葉原辺りでラジオ部品を漁っていると,たまに中古の中間周波数トランス (IFT;スーパーヘテロダイン方式受信機の部品の一つ) が売られている.こういうIFTは骨董ラジオから部品取りしたものが多く,そのまま使えるものは珍しい.大抵はケースの中に入っているLC (コイルとコンデンサ) 同調回路のコンデンサが劣化しているか,あるいは調整ネジを回し過ぎて455kHzから大きく外れた周波数になってしまっている.このような中古IFTを使ってラジオを組み立てる際,要修理か否か,事前にチェックするのにディップメータが役立つのである.組み立てたあとでテストオシレータを用いて調整することが可能ではあるが,もしも不良品だった場合には良品に交換するのに大変な手間を食う.これに対して,回路に組み込んでいない部品の状態でIFTの良品不良品の判定ができるのは,ディップメータだけの特長であり,そして今ではこれだけがディップメータ特有の用途なのである.
 かなり前に,秋葉原パーツ街で有名な中古部品店だった内田ラジオ (既に閉店して久しい) で買ったIFTが,手持ちのラジオ部品の中にある.今のヤフオクの落札価格の二倍以上の値段で買ったものだ.ボラれたといっていい.高価だったから後生大事にしまっておいたが,ディップメータを入手したことだし,こいつの点検をやってみようと思う.

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2019年7月 3日 (水)

クラシック・レイディオ (四)

 我が国のラジオ放送の黎明期は,大正十四年三月二十二日九時三十分,社団法人東京放送局 (現在のNHK東京ラジオ第1放送) の京田武男アナウンサーによる第一声「アーアー,聞こえますか……JOAK,JOAK,こちらは東京放送局であります.今日只今より放送を開始致します」により始まった.この放送は芝浦にあった東京高等工芸学校の中に仮送信所を設けて行われた.
 
 当時,新しく登場した画期的なメディアであったラジオ放送を所管する官庁となった逓信省は,上記の東京放送局の放送開始に先立つ大正十二年 (1923年),東京,名古屋,大阪の三地域で放送を行うこととし,それぞれの地域で事業を行う三つの公益法人すなわち社団法人東京放送局,同名古屋放送局,同大阪放送局に放送事業を許可した.このような形をとったが,三法人は実質的に国家機関であった.
 東京放送局に続いて六月には大阪放送局も仮放送に踏み切り,さらに七月には東京放送局は愛宕山山頂に建設された送信所からの本放送を開始した.名古屋放送局も七月に本放送を開始したが,大阪放送局の本放送は大幅に遅れて翌年十二月であった.
 翌年,三放送局は統合され,社団法人日本放送協会が発足した.これ以後のラジオ放送は国策事業として推進されていくのであるが,当時の日本はラジオ放送事業のインフラ整備から始めねばならなかった.例えばラジオ放送用送信機は国産機がなく,米国ウェスタン・エレクトリック社製の放送用送信機が用いられた.しかしその送信電力は,わずか1kWであった.現在の首都圏民放局 (TBSラジオ・文化放送・ニッポン放送) が100kW,NHK東京第1放送が300kWで送信されているのとはまるで比較にならない小規模な放送であった.
 しかも受信する側はといえば,信号増幅回路のない鉱石ラジオなのであった.もちろんこの頃既に電池管 (交流電源ではなく電池を使用する真空管) 式のラジオが米国で開発されてはいたが,ランニングコストが非常に高く,富裕層にしか手の出ないものであった.(資料;《大正時代の真空管ラジオ 》および《ラジオ放送開始から1928年まで -鉱石と電池式受信機の時代-》)
 そのため政府は当初,鉱石ラジオでの聴取を前提にインフラ整備に努め,全国各地に放送局を設置した.
 今の高齢者層には,昭和三十年代前半の児童学習雑誌の付録で鉱石ラジオを作った経験のある人がいるだろう.しかし私の郷里の群馬県では,鉱石ラジオは実用性のないものだった記憶がある.それは喩えて言えば,ホワイトノイズに埋もれた宇宙の果てからの異星人の呼びかけのような音だった.
 しかし間もなく真空管式家庭用ラジオは普及し,政府は国民に対する直接的な訴求手段を手に入れることができた.新聞というものが,そもそもの意義として国民の自由と民権の意識を基盤にしていたのとは異なり,我が国のラジオ放送は最初から政府の国家統治手段の側面を持っていたのである.
 先の戦争中は,ラジオ放送が新聞と並ぶ二大メディアであった.ラジオ受信機は民間会社が製造してはいたものの,戦局が厳しくなると物資の供給を受けるためにメーカーは苦労したという.当時の真空管式ラジオの名称が「国策一号」とか「愛国二号」などであるのは,国策協力のためだったらしい.
「ラジオと戦争」というのはなかなか興味ある話題で,それは真空管の歴史と密着している.例えば映画『史上最大の作戦』の中に,第二次大戦中のフランス人が,英BBC放送による歴史的な暗号ラジオ放送を真空管式ラジオで聴く場面が描かれている.これはWikipedia【ノルマンディー上陸作戦】で次のように記されている.
 
連合軍が徹底的にオーバーロード作戦を秘匿したにもかかわらず、ヴィルヘルム・カナリス海軍大将が指揮するアプヴェーア(国防軍情報部)は、オーバーロード作戦が開始される前兆として、BBC放送がヴェルレーヌの「秋の歌」第一節の前半分、すなわち「秋の日の ヴィオロンの ためいきの」を暗号として放送するという情報をつかんでいた。これは「連合軍の上陸近し。準備して待機せよ」という、イギリス軍特殊作戦執行部(SOE)発でヨーロッパ大陸の対ドイツレジスタンス全グループに宛てられた合図の暗号放送であった。放送予定は当月の1日または15日。
アプヴェーアが見込んでいた通り、6月1日、午後9時のBBC放送ニュースの中のコーナー「個人的なおたより」でこの暗号は放送され、アプヴェーアは国防軍最高司令部(OKW)とカレー方面を防衛する第15軍司令部、西方軍集団総司令部、B軍集団司令部に警告を発する。第15軍は警戒態勢に入ったが、B軍集団麾下でノルマンディー方面を守備する第7軍はなんの連絡も受けなかった。OKWで連絡を受けた作戦部長アルフレート・ヨードル大将は陸軍参謀本部の第三課長レンネ大佐に警告の件を伝えたが、レンネ大佐は格別な措置をとらなかった。
「秋の歌」の最初の部分の録音を聞き終えると、マイヤーはただちに第一五軍の参謀長ルドルフ・ホフマン少将に報告した。「暗号の第一部が発せられました。どうやら何かが始まりそうです」と彼は言った。 — コーネリアス・ライアン『史上最大の作戦』62ページ
 
 また第二次大戦後のベトナム戦争では,北ベトナム軍がサイゴンに迫る中,既に南ベトナムからの撤退を決めていた米国は,サイゴン陥落前夜の1975年4月29日に,米軍放送でビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」を流すことで,在越アメリカ人にサイゴン脱出を呼び掛けた.歴史的に記憶されるべきラジオ放送は,おそらくそれが最後だったろう.そしてもうこの頃には,工業製品としての真空管式ラジオ受信機は市場から姿を消しており,その後の真空管式ラジオは趣味の対象として生き続けたのである.またメディアとしてのラジオ放送 (短波放送を含む) は二十世紀末にはインターネットに席を譲り,歴史の舞台から去ったことは周知の通りである.
 余談だが,昭和五十一年 (1976年)九月六日,旧ソ連のミグ25戦闘機が演習中に隊を離脱し,函館空港に強行着陸する事件があった.パイロットのベレンコ中尉が米国亡命を意図したのである.米国はベレンコ中尉の亡命を受け入れ,ミグ25の機体は自衛隊の協力下に百里基地 (茨城県) に移送され,ここで分解されて機体検査を受け,検査ののち機体はソ連に変換された.機密事項であるはずだが,なぜか検査の内容は後にリークされ,ミグ25に搭載されていた電子機器が真空管を使用したものであったことが世間の知るところとなった.
 テレビや新聞は当初,宇宙開発で米国と競争したはずのソ連科学技術の意外な後進性を笑ったが,ずっと後に専門家が指摘したところによれば,極地や成層圏など厳しい環境においては半導体よりも真空管のほうがタフなのだという.要は物の考え方であり,真空管電子回路を搭載したミグ25が別に「張子の虎」だというわけではないらしかった.軍事的なことの真偽は私にはわからないが,旧ソ連の真空管製造技術は大したものだったらしい.日本でも欧米でも真空管が作られなくなってから,旧ソ連が真空管の供給源である時代が暫く続いた.戦前生まれの無線技術者や音響技術者の座談記事を読んだことがあるが,不届きな業者が旧ソ連製の真空管に印字された型式表示を洗浄除去し,代わりに赤い“RCA”のスタンプ (米国製真空管ブランドの一つ) を押した製品が出回っていたようだ.だからといって粗悪製品ではなかったという.日本人のブランド信仰を衝いただけのことであった.
 閑話休題
 真空管がまだ実用品だった頃,日本の技術者 (三田無線研究所の茨木悟氏) が開発を推進し,アマチュア無線家の真空管愛好者にとって必携となった測定器があった.真空管回路を使用したグリッド・ディップメーターである.
 この測定器は,真空管が工業製品でなくなったあと,回路にトランジスタを用いた「ディップメータ」と呼ばれ (トランジスタにはグリッドがないからw) るようになり,暫くは命脈を保っていたが,それも今世紀の初めに製造停止となった.ディップメータの機能が他の測定器で代替可能となったからであった.
 私の真空管弄りは専らラジオとオーディオのアンプであり,アマチュア無線には関心がなかったから,製造が停止されてからのディップメータについてはどうなったか知らなかったのであるが,つい最近になってラジオの部品を集めているうちに,ディップメータがかなりの頻度で取引されていることを知った.アマチュア無線家にとって,ディップメータよりも優れた測定機器が新品で入手できるのにも関わらず,ヤフオクで八万円もの異常な高値で落札されたことがある.これはもう完全に骨董品扱いである.測定器としての現在の価値は,せいぜい一万数千円といったところだからである.
ディップメータの中身は単純な回路であり,自作可能である.ところが下の画像でディップメータ本体の下に並べてあるコイル群,特にラジオ放送の周波数範囲をカバーするコイルは,自作が困難である.
 それが数日前,上に書いた三田無線研究所製の,中波帯をカバーするディップメータ (下の画像;WB-200型) がヤフオクに出品されたのである.これは貴重品だ.出品者は個人ではなく,このテのジャンク品を扱う業者のようで,コイルは全部揃っていたが,取説は欠品しており,「動作は保証しない」だった.動作保証なしということは,動作しないということである.つまりこれは中古品以下のジャンクである.
  
20190703b
 
 このジャンク品は,結局私が一万三千円と少しで落札した.完動品なら数万円の骨董価値があるだろう.
 私がこれに入札したのは,このタイプのディップメータはラジオの製作に役立つからだ.故障していても中身の修理はどうにでもなる.おそらく回路のコンデンサは劣化しているだろうから,これを新品に交換するだけでもいいし,何なら中の基板を全部作り直してもいい.重要パーツであるコイルと内蔵のバリコン,そして周波数を目盛ったダイアルの三点が揃っているから,まあまあ良い買い物である.
 ただし,このコイルは,そのままコルピッツ発振回路に接続しても動作しなかった.点検すると,コイルの根元にある接続ピン (本体のソケットに挿す部分) の表面が黒く酸化 (?) していた.そこでまずはこのコイルの修理から取り掛かった.
 下の画像は,コイル下部のピンを接写したものである.上側のピンは黒く変色していて,触るとガサガサとしていた.テスターでチェックすると,二本のピンは導通していないことが判明した.何かしらの皮膜に覆われているようなので,目の細かいダイヤモンドやすりを用いてピン表面を慎重に研磨した.下側のピンは,研磨して金属面を出したものである.結局,黒い皮膜が何なのかはわからなかったが,これで良しとして,七本のコイルの接続ピンをすべて研磨することにした.次は内部の点検である.
 
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2019年7月 1日 (月)

こんな奴らに負けるなPIZZA-LA

 TBSテレビ『ジョブチューン ~アノ職業のヒミツぶっちゃけます!』で【超一流ピザ職人がジャッジ!ピザーラで食べるべきメニューは!? リベンジマッチ!】という企画の放送をやっていたので観てみた.この番組を観たのは初めてである.
 企画の内容は,番組制作サイドが選んだ「一流ピザ職人」たちが,ピザーラの商品を試食して「合格」「不合格」の判定をするというものである.(下の画像はテレビ画面を撮影したものであり,録画データから抽出したものではない.以下同様)
 
20190701a
 
 実は同じ企画を昨年もやっていて,結果はピザーラの看板メニューの十品中三品が「不合格」と判定されたのだという.(下の画像)
 
20190701b
 
 そこで今回は,ピザーラ側からリベンジの申し出があったのだという.(下の画像)
 前回の放送で惨敗したピザーラは,その後,商品の改良に努め,ピザーラの全従業員の投票により再び十品を選んだ.
 
20190701c
 
 その結果がどうだったかというと,今度は十品中の四品がダメ出しをされ,一敗地にまみれた.
 そのこと自体については,ピザーラのピザを今までに数回しか食べたことがない私は,興味関心がない.
 だが,次の画像を見て実に情けない思いをした.
 
20190701d
 
 この「超一流ピザ職人」と称する連中のうち,ヒゲを剃って清潔にし,着帽しているのは,たった二人なのである.
 残り五人は,番組収録時に無帽だったというのではない.店でピザを作っている時も無帽であった.
 帽子は頭髪の落下を防止するということの他に,無意識に頭に手を触れてしまうことを防ぐためでもある.客から金をとって料理を拵える者がまず第一に心がけるべきは,食中毒を出さないことである.そして料理に異物を混入させないことである.うまいかまずいかは,その次だ.
 上の五人は番組放送中にヒゲ面をアップされたが,目を背けたいくらいの不潔感が溢れていた.料理人がヒゲを伸ばしたいのならば,必ず調理中はマスクをつけなければいけない.それが調理における食品衛生の基本中の基本だということを,こやつらは理解していない.自分の店でピザを作っている時に,マスクを着用している者は一人もいなかった.そんな連中が一流であるはずがないのである.
 こんな三流料理人にケチをつけられて,おめおめと引き下がったピザーラも情けない.ピザーラの経営者は,企業価値を下げてでもテレビに出ろと担当者に指示したのか.理解に苦しむ.
 この番組を観た消費者は,ただでさえ消費が冷え込んでいる宅配ピザから遠のくだろう.ピザーラは宅配ピザ業界全体に迷惑をかけたことを反省し,こんな下らぬ番組とは,さっさと絶縁するべきだ.迷惑といえば,不潔シェフどもに,自分たちが誇りにして作っているピザを「まずい」と言われたピザーラの従業員たちが気の毒でならない.
 ところで,西洋料理の料理人たちは,どうしてこのようにヒゲをはやしたがるのか.日本料理分野では,テレビに出てくる一流の料理人はもちろん,庶民的な料理店の料理人も身ぎれいな人たちばかりである.ヘッポコ西洋料理人のヒゲについて,誰か論考してくれぬものだろうか.

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