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2019年6月10日 (月)

ザゼンソウ補遺 あるいは弱者の戦い

 日本のザゼンソウ群生地の一覧を再掲する.
 
日本のザゼンソウ群落
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栃木県 大田原ザゼン草群生地      2月中旬~3月中旬 (?)
群馬県 菖蒲沢&針山群生地       4月上旬~下旬
群馬県 赤城山中腹           2月中旬~3月下旬
群馬県 草津ザゼンソウ公園       3月上旬~4月下旬
新潟県 原虫野のザゼンソウ       4月上旬~4月下旬
長野県 白馬ざぜん草園         3月下旬~5月上旬
長野県 落倉自然園           4月下旬~5月中旬
長野県 宮の森自然園          3月下旬~4月中旬
長野県 居谷里湿原           3月下旬~4月下旬
長野県 鷹山湿原ザゼンソウ群落     3月下旬~4月上旬
長野県 和田峠・湿原歩道        4月中旬~5月上旬
長野県 有賀峠「ザゼンソウの里公園」  3月下旬~4月中旬
長野県 阿智村寺尾座禅草群生地     3月下旬~4月下旬
長野県 伍和原の平禅草群生地      3月上旬~4月上旬
山梨県 竹森のザゼンソウ群       2月中旬~3月下旬
滋賀県 今津広川座禅草群落       2月下旬から3月
兵庫県 ハチ北高原           3月下旬~4月下旬
芦津渓谷                絶滅危惧状態

 日本のザゼンソウ群生地は,滋賀県を南限としてそれ以北にある.北限はどうか.北海道森林管理局のサイトにザゼンソウが一株,咲いている写真が掲載されている.撮影時期は2012年4月27日,撮影地は石狩地方と推察される.このように,ザゼンソウは北海道にも存在しているのだが,群生地という規模には繁殖していないと思われる.
 植物にとって,寒冷な地域は温暖な地域よりも厳しい環境であると断定してよかろう.なぜなら,あらゆる高等生物の生命維持はその細胞内の酵素反応によって行われているからである.酵素には至適温度 (Wikipedia【酵素】から引用《最適pHと同様に、酵素の活動がもっとも激しくなる温度が存在する。これを最適温度(optimal temperature)という。至適温度ともいう。ヒトの酵素の場合、通常は生理的温度である35℃から40℃付近とされる。》) があり,それ以下の温度では活性が低下する (高温では失活する).啓蟄という言葉も,毎年の春,桜前線に象徴される「花の便り」が北上するのも,まさにこのことを示している.
 ではなぜザゼンソウは,厳しい環境である寒冷地や標高の高い土地に群生地があるのだろう.繁殖地に南限があるということは,細胞の活動が不活発なところで繁殖することを意味している.すなわちザゼンソウ (だけでなく厳しい環境で繁殖する多くの植物) の性質は,植物本来の生命活動とは逆の方向を向いている.つまり,生命全体に押し広げていいかどうか私は知らないが,植物について言えば,必ずしも繁殖に良い環境で繁殖しているわけではないのだ.土壌や日照や大気温などはいわばインフラだが,それ以外の条件がある.それは競争と競争に勝つ戦略である.
 こういう分野の話について,一般向けに解説してくれる本はないかと探したら,静岡大学農学研究科の稲垣栄洋教授の著書に,植物の競争と競争戦略について論じた書物があった.
 『たたかう植物 ──仁義なき生存戦略』 (ちくま新書)
 『雑草はなぜそこに生えているのか』 (ちくまプリマー新書)
 『弱者の戦略』 (新潮選書)
等である.
 稲垣先生の論法には,生物の競争に関する考察を人間社会のことに外挿してしまうなど,いささか大胆すぎる記述が見られることと,進化を,結果ではなく合目的な変化であるかのように書いてしまっているところがある (もちろん一般人に理解しやすくするためだろう) ので,読む際には注意が必要だが,色々な生物,特に植物の競争について実例を挙げているところが,わかりやすくてよい.
 注意が必要なのは,もう一つは専門用語の問題.稲垣教授の本には,定義のはっきりしない用語が出てくる.
 例えば『たたかう植物 ──仁義なき生存戦略』には次のような記述がある.
 
ジョン・フィリップ・グライムは、植物の成功戦略を三つに分類した。それがCSR戦略と呼ばれるもので、植物の成功戦略には、C、S、Rという三つの戦略があるというものである。》(Kindle版の位置No.285)
 
 まず,書名に含まれている「生存戦略」は,実は生物学で用いられる言葉である.Wikipedia【戦略】に以下のように書かれている.

生物学における戦略
 生物学の分野、特に生態学の個体群生態学や行動生態学の分野では「個々の生物種あるいは個体が複数の行動を取りうるときに、それぞれの行動や行動の組み合わせ」を戦略と呼び、以下のように用いる:
 生存戦略
 繁殖戦略
 繁殖戦略の中の小卵多産戦略
 捕食行動における待ち伏せ戦略
 個体群増加に関するr-K戦略
 最適戦略
 生活史戦略
 生物学における「戦略」は生物自身の意思や自主性を含意しない。つまり意図的にその生物が特定の戦略をとっているのではなく(そのような場合もあるかもしれないが)「そのような行動を促す遺伝子が自然選択によって広まる(広まった)」という意味で用いられている点に注意が必要である。》(引用文中の文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
 その一方で,《ジョン・フィリップ・グライムは、…》に出てくる「成功戦略」はビジネス界でよく用いられる用語であるが,植物学ではあまり用いられない.なぜかというと,「生存戦略」の意味は明確だが,植物にとっての「成功」が何を意味するかはっきりしないからだ.実際,「成功戦略 × 植物」でネット検索すると,稲垣教授の著書関連の資料が上位にヒットする.つまり「(植物の)成功戦略」は,おそらく稲垣教授が植物の戦略を説明する際に,ビジネス用語を援用して定義なしに用いている言葉である.
 このように稲垣教授の著作には,読者の誤解を招きかねない比喩 (植物の競争を人間社会の競争に喩えている) が多々あるのだが,それを指摘した上で,以下に引用する.
 
弱い植物が、強い植物に勝てる条件というのは、どのようなものなのだろうか。
 野球やサッカー、テニスなどのスポーツの試合を考えてみるとわかりやすいが、条件が良い場合には、番狂わせは起こりにくい。恵まれた好条件であれば、誰もが実力を出すことができる。そして、実力どおりの結果になるから、実力のない弱者には勝つ見込みがないということになる。
 逆に、条件が悪かったとしたら、どうだろう。雨が土砂降りで、強風も拭いている。けっして良いコンディションとはいえない。こんな環境で勝負をするのは、誰だっていやである。しかし、番狂わせが起きるとすれば、得てして条件が悪いときだ。
 そもそも、実力のあるチャンピオンは、わざわざそんな実力も出せないような条件の悪いところでゲームはしたくないと思うだろう。そうなれば、実力のない弱者が不戦勝である。
 そこで、弱い植物は、自ら強い植物が力を発揮できないような悪条件を選んで生えている。それが、S戦略とR戦略の植物である。
 S戦略は、「ストレス・トレランス(ストレス耐性型)」と呼ばれる。植物にとってのストレスとは生育に対する不良な環境のことである。たとえば、水が不足したり、光が不足したり、温度が低いことなどは、植物にとってストレスとなる。このような環境では、競争に強い植物が勝つとは限らない。とても競争をしている余裕などないのだ。このようなストレス環境に耐える力を持ち、過酷な環境を棲みかとしているのがS戦略の植物なのである。
 たとえば、水の少ない砂漠に生きるサボテンや、氷雪に耐える高山植物は、S戦略の典型である》(引用文中の文字の着色は当ブログの筆者が行った)
 
氷雪に耐える高山植物は、S戦略の典型である 》は,「C-S-R三角形」仮説 (稲垣教授はこの仮説を「CSR戦略」と呼んでいるが,それは一般的ではなかろう) の立場からすれば,そういう解釈になる.そして《実力のあるチャンピオンは、わざわざそんな実力も出せないような条件の悪いところでゲームはしたくないと思うだろう 》は妥当な比喩であることになってしまう。
 だが,そうだろうか.“「強い植物」は条件の悪いところでゲームをしたくない”から悪環境では生えないのだろうか.この理屈は,「強い植物」はどこでも強いという前提に立っている.しかしそうではなくて,稲垣教授が言うところの「強い植物」でも,自分にとって条件の悪いところにおいては単に「弱い植物」に過ぎないから生えないとする方が自然ではないか.
 どの植物も「自分が他の植物よりも強い環境」で生えている,とする考え方がある.「棲み分け」とか「競争排除」と呼ばれる考え方である.Wikipedia【ニッチ】から下に引用する.

棲み分け
生物を見れば、同じ場所で同じものを食べているように見えても、種類が違えば何かしら違ったやり方で食べたり、時間をずらしたりして、互いの活動が完全にぶつからないようになっていることが多い。これは、一見同じニッチに見えても、それぞれ少し異なるニッチを占めていると見ることができる。
同じようなニッチを占める2種が、少し場所をずらせることで共存する場合がある。たとえば、渓流釣りの対象となる魚であるヤマメとイワナはいずれも上流域に生息するが、イワナの方がやや冷水を好む。それぞれが単独で生息する川ではどちらの魚も上流域を占有するが、両者が生息する川では混在することなく、最上流域をイワナが、そして上流域のある地点を境に、それより下流をヤマメが占有する。
このように、活動範囲を分けることで2種が共存することを棲み分けという。
生態学者の今西錦司は、河川の水生昆虫の分布からこのような生物種間で生息域をずらせる現象を指摘して棲み分けと呼び、独自の棲み分け理論を展開した。

競争排除
棲み分けは微小な環境差を使い分けることで2種が共存する仕組みであるが、共存するためにはそのような環境の差が存在する必要があるとも見える。逆に、共存しているよく似た2種は、環境に対する要求に何らかの差を持っているはずだとも言える。
一般に同じ資源(餌や営巣のための場所など)を必要とする生物同士は、一か所に長期間共存することはできないと言われる。1つのニッチを複数の種が共有することはできないため、その環境によって適応した種が生存し、環境への適応という点で劣る種は排除されてゆく。この過程ないし現象を競争排除といい、競争排除が起こるメカニズムのことを競争排除則(ガウゼの法則)という。
 
 ザゼンソウの繁殖地に南限があるのは,緯度がそこよりも低いところでは,ザゼンソウの開花期には他の植物も活動を活発にしていて,ザゼンソウは生存あるいは繁殖に必要な資源の獲得競争に勝てないからである.
 寒冷地の冬の終わりにザゼンソウが群生して開花するのは,気温が低すぎて資源の獲得競争に他の植物が参加できないからだろう.
 同じ湿地帯に生えるザゼンソウとミズバショウについて考えると,この二つは長い年月をかけて,開花期を少しずらすことで競争排除を回避したのであると私には思われる.逆に言うと,ミズバショウと開花期が重なるバリエーションのザゼンソウは滅んだのだ.
 
 尾瀬一帯でザゼンソウがレアな植物であるのは,ザゼンソウにとって不幸なことに,尾瀬では五月の前半も深い積雪が残っているからである.五月後半に雪が解け始めると,ミズバショウの開花が始まる.本来の開花期に出遅れたザゼンソウは,昆虫などの資源をミズバショウと争わねばならないが,ミズバショウの大群落にはとても勝てない.雪解けの尾瀬では,そのような現象が起きているのだと思われる.
 私が少年期に,尾瀬でザゼンソウの花を見ることができなかったのは,今にして思えば上のようなことがあったからだろう.あれから五十年後に,ようやく納得できたように思う.(了)

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