買ったまま放置してあるDVD,BDがいくつもある.その中には,もったいないから観ようと思って観始めるのだが,いつもすぐに寝てしまう作品がある.こういうのはどうしようもないが,理由なく放置のものもあり,これは何とか消化せねば.
ということで,ディズニー映画『シンデレラ』(2D,字幕版) をようやく鑑賞した.この作品は公開時,米国でも日本でも,大ヒットの部類に入る興行成績を上げ,映画賞受賞もなかなかの成績だったのである.
私が購入したのは『シンデレラ MovieNEX 』で,これ以外に他のエディション (例えばよくあるのは「ディレクターズ・カット・エディション」とかだが) はないはず (日本では販売されていない) だ.しかし,Wikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】を読むと,書かれている粗筋に微妙な齟齬がある.もしかすると,Wikipediaの記述は劇場公開版に基づいているのかも知れないが,その場合でも,実写版BDの字幕の翻訳文は多少変えられても,英語の台詞まで変えられてしまうことはないはずだ.劇場公開版とBDとで英語の台詞が異なっているとすれば,それはもはや編集の域を超えて別の作品ということになってしまうからである.エディションごとの違いは,撮影後に確定した版から,あるシーンをカットするか残すか,の違いであるから,Wikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】とBDのあいだで,ストーリーが異なるという点は,どうにも腑に落ちない.以下に,不審な点の一部を列挙する.《 》はWikipediaの「ストーリー」から引用した箇所である.(なお,BDの英語台詞と字幕翻訳文に大きな食い違いはないことを確認してある)
(a);
《遠い昔、ある裕福な家に一人の女の赤ちゃんが生まれた。エラと名付けられたその赤ちゃんは、両親の愛情を一身に受けて美しく聡明で優しい娘に成長する。
しかし病により母親が亡くなった後、エラ(リリー・ジェームズ)の将来を案じた父親は二度目の結婚相手としてトレメイン夫人(ケイト・ブランシェット)と、その連れ子であるアナスタシア(ホリデイ・グレインジャー)とドリゼラ(ソフィー・マクシェラ)を迎え入れる。》
Wikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】には《エラ (リリー・ジェームズ) の将来を案じた父親は 》と書いてあるが,それは1950年公開のディズニーアニメ『シンデレラ』の設定だ.アニメの冒頭に,そのようにナレーションがされる.
しかし実写版BDでは父親の再婚理由が全く異なっている.父親がエラに再婚したいと打ち明けるシーンの会話を下に示す.
[ナレーション:時が流れて悲しみが思い出に変わりました.エラの心は変わらず,約束〈病気で死んだ母親との約束のこと;下記 (c) を参照〉を忘れませんでした.勇気と優しさを.しかし父親は人生に変化を求めました]
…屋敷の居間でエラが,声に出して小説を読んでいるシーン.エラは本をパタンと閉じて言う…
エラ「今日はここまで.ハッピーエンドが好き」(註;「ハッピーエンドが好き」は“I do love a happy ending, don't you?” )
父親「私もそうだよ」
エラ「そうよね」
父親「エラ,私は決心した.新しい人生の扉を開こうと思うんだ」
エラ「そうなの?」
…ここで父親はエラに,亡くなった知人が残した未亡人と結婚したいと告げる…
エラ「私のことは心配しないで.自由に決めて.お父様が幸せなら」
父親「きっと幸せになれる.最後のチャンスに賭けてもいいかな? その女性との再婚に」
エラ「もちろんよ,お父様」
このように,父親は自分が再婚したかったのであり,《エラの将来を案じた》からではない.Wikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】は勝手にストーリーを創作している.呆れてものが言えない.
ちなみに,このWikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】の「ストーリー」項目では,映画の冒頭部分 (エラが幼い頃) を「遠い昔、… 美しく聡明で優しい娘に成長する」と一行で片づけているが,実はここに大事な最初の伏線が張られている.“シンデレラ 実写 ネタバレ”で検索し,「ネタバレ」と自称するブログを幾つも読んでみたが,この伏線に触れたブロガーはいなかった.若い連中は,みんなこの映画のどこを見ているんだ.チコちゃんなら「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱るところだ.
その伏線とは,旅から戻った父親がエラにお土産を渡すシーンだ.エラが箱を開けると,中に入っていたのは蝶 (フランス語で「パピヨン」) のおもちゃだった.この伏線がどのように回収されるかは後述する.ついでだが,エラの幼い頃を演じた子役のエロイーズ・ウェブの愛らしさは絶賛モノだ.
(上の画像は,テレビでBDを再生した画面をデジカメで撮影したものであり,BDから抽出複製したものではない.以下に掲げるいくつかの画像も同じである)
もう一つ,ちなみに.上記のエラと父親の会話にある“I do love a happy ending, don't you?”という台詞は,この映画の二つ目の伏線である.この伏線がどのように回収されるかは,本稿の最後で示す.
(b);
《新しい家族が出来たことに喜ぶエラだったが、今度は父親が旅先で病によって亡くなってしまった。すると継母は本性を表し、美しい義理の娘のエラには辛くあたり、自分に似て心の醜い意地悪な二人の娘だけを可愛がるようになった。そして継母や義姉たちが財産を浪費し、長らく家に仕えていた使用人達も次々に辞めさせてしまったため、瞬く間に屋敷は落ちぶれてしまった。 》
文字を赤く着色したこの箇所は,実写版BDの物語進行と全く異なる.実写版BDでは,再婚相手のトレメイン夫人は,エラと父親が住む屋敷に初めてやってきた時,既に悪女オーラを放っていたし,連れ子の娘二人も育ちの悪さ丸出しだった.そして夫人は,たちまちパーティー漬けの浪費生活を始めたのである.父親が亡くなってから継母が本性を現したのではない.
新しい妻に幻滅したエラの父は,この再婚が失敗であったと悟る.そして最後となった商談の旅に出る前日,父親はエラに問いかけた.
父親「お土産は何がいい? 義理の姉たちはパラソルとレースをせがんだ.エラは?」
エラ「お父様の肩が最初に触れた木の枝を」
父親「変わった土産だな」
エラ「持ち歩く間,ずっと私を思ってくれるから.その枝を持って早く戻って.私のお願いよ」
父親「エラ,新しい母親や姉たちと仲良くするんだよ.たとえ3人に不機嫌な時があっても」
エラ「約束するわ」
父親「この家に私の思い出を残していくよ.いいね.目には見えないが,お母さんの面影も宿ってる.至る所に.だからお母さんのために家を大事にするんだよ」
エラ「お母さまが恋しい.お父様は?」
父親「恋しいよ」
エラにとって不幸なことに,この会話は偶然,継母のトレメイン夫人に盗み聞きされた.継母は,夫の愛情が死んだ先妻とエラにあることを知り,心中に黒い嫉妬を燃え上がらせた.そして父親が旅に出たその日から,エラを虐待し始めたのである.Wikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】に書かれているような「夫が旅先で病没したあと」ではない.夫が死んだあとトレメイン夫人が本性を現した,というのは1950年のアニメ『シンデレラ』の冒頭でナレーションが語った設定である.実写版『シンデレラ』を観もせずにテキトーな粗筋を書いたりするから,こんな嘘をでっち上げてしまうのだ.
で,虐待の開始だが,エラの父親が旅に出た直後に継母は,自分を「お義母さま」と呼ぶエラを制して言う.
「奥様,とお言い」(字幕ではなく,当ブログ筆者による和訳;字幕では「奥様」ではなく「マダム」だが,それでは「今日からお前は使用人なんだ」というトレメイン夫人の意図がわからない.この字幕台詞は英語台詞のmadamを片仮名にしただけであり,これでは翻訳としては誤訳といっていい.というのは,使用人は主人の妻を「奥様」と呼ぶ,ということを踏まえて翻訳しなければいけないからである)
これはエラが,屋敷の主の正統な娘の地位から,使用人の立場に転落した瞬間であった.そしてエラは屋根裏部屋に追われた.
ちなみに,「お父様の肩が最初に触れた木の枝」は,グリム童話『灰かぶり姫のものがたり (青空文庫) 』に出てくるアイテムの「ハシバミの枝」だ.少し長いが,ハシバミの枝が出てくる箇所を引用する.文中のアッシェンプッテルは英語でシンデレラである.
《ある日のこと、お父さんがおまつりに行くことになりました。まず、今のおくさんのむすめたちに、なにがほしい、とききました。すると、上の姉がこういいました。
「きれいなドレスがいいわ。」
いっぽう、下の姉はこういいました。
「しんじゅと、ほうせきがたくさんほしい。」
さいごに、じぶんのじつのむすめの、アッシェンプッテルにききました。
「おまえは、いったいなにがほしいんだい?」
アッシェンプッテルはこういいました。
「おまつりからのかえりみち、お父さまのぼうしに、いちばんさいしょにひっかかった小えだでかまいません。」
お父さんはおまつりで、ふたりの姉がたのんだとおり、きれいなドレスと、しんじゅにダイヤをかいました。そしてかえりみち、ばしゃにのって、林をとおりがかったときに、ぼうしがハシバミの木にひっかかって、取れそうになってしまいました。ですから、その木のえだをおって、もってかえることにしました。いえにかえるなり、その木のえだをアッシェンプッテルにあげました。アッシェンプッテルはハシバミのえだをもって、お母さんのおはかへ行き、そばにうえました。アッシェンプッテルがいつもながす、たくさんのなみだが、水やりのかわりになったので、ハシバミのえだはすくすくそだち、ついには、りっぱな木になりました。まいにち、さんかいはおはかへ行きました。そのたびにいつもないていると、ふと、小鳥があらわれました。木の上にすをつくり、アッシェンプッテルとおはなしをするようになりました。小鳥はアッシェンプッテルをやさしく見まもって、アッシェンプッテルののぞみなら、なんでもかなえてくれました。》
閑話休題
上述の,夫がどこにいるかと笑顔で家の中を探していた継母トレメイン夫人 (ケイト・ブランシェット) が,夫とエラの会話を盗み聞きしたシーンがすばらしい.トレメイン夫人は,浪費家で享楽的な性格ではあったが,彼女なりにうまくやろうとは思っていたのだ.ところが夫とエラの会話で,自分がもはや愛されていないことを知った.この「女がダークサイドに堕ちる瞬間」を演じた大女優ケイト・ブランシェットの表情の変化は,美しいだけに怖い.この映画の中で特筆されるシーンだ.
BDには特典映像として,[監督]ケネス・ブラナー,[脚本]クリス・ワイツ,[製作]サイモン・キンバーグ,アリソン・シェアマー,デヴィッド・バロン,[出演者]リリー・ジェームズ,ケイト・ブランシェット,リチャード・マッデンらへのインタビューが収録されている.
その中で,脚本のクリス・ワイツは次のように言っている.
《意地悪なまま母,舞踏会,時を告げる鐘,ガラスの靴,…,そうした基本的な要素は残しながら,物語の空白部分を埋めたかった 》
「物語の空白部分」とは何か.クリス・ワイツは言う.
《これは現代 (映画) の傾向と言えるかも知れないが,悪人の行動には何らかの動機が求められる.原作 (1950年のアニメ) では,まま母というだけで意地悪な理由として通用したが,本作ではもう少し書き加えた.どんな役柄もこなすケイトにふさわしくね 》
そのケイト・ブランシェットはこう言う.
《意地悪なまま母を演じるに当たり,その動機を考えたわ.完全な悪者なんて誰一人いないもの.何が人間を邪悪にするのか探りたかった 》
続いて製作のアリソン・シェアマーは,何が継母を邪悪にしたかについて語った.
《まま母は自らの喪失に苦しみ,心を痛めてる.それに怒りで対処してるの.そのうえで悪のイメージを膨らませていった 》
《自らの喪失 》とはアイデンティティーの喪失という意味だが,具体的に何を指すかは,もう少し後で述べることにする.
さて,エラの父は旅先で病没した時,エラと約束した旅の土産,「肩に最初に触れた木の枝」を遺品として遺したが,妻とその連れ子二人には遺言も遺品も残さなかった.父の死を伝えに戻ってきた従者のジョンは,エラに枯れた木の枝 (ただし画面に映ったのはハシバミではない;下の画像の赤↓) を手渡してこう言った.
ジョン「最期まであなたとお母さまの話をしてました」
(画像中の赤↓が枯れた葉である.不鮮明ではあるがハシバミとは形が違うことがわかる)
これを聞いたトレメイン夫人の憤怒の形相がすさまじい.死んでいく夫から,一片の別れの言葉ももらえなかった女の怒りである.
継母の連れ子二人は,義父の死を悼むどころか,自分たちへのお土産はどうなったのかと心配する有様.そこでトレメイン夫人は娘たちに言う.
「分からないの? 身の破滅よ.どう生きろと?」
既に怒りによってダークサイドに堕ちたトレメイン夫人には,夫の死を悲しむことよりも,これからの生活費のことがまず第一の心配なのだった.
この有様に,ジョンを「ありがとう.あなたも大変だったわね」と労ったあと,エラは泣き崩れた.
このシーンに続いてナレーションが入る.
[ナレーション:生きるのは大変.まま母は倹約のために使用人をクビにしました.まま母と娘たちはエラにつらく当たり,だんだん使用人のようにこき使い始めました.家事はエラ1人の役目.でも「悲しみを忘れるには働くのが一番」,まま母はそう言いました.彼らは大きな顔をして山のような仕事をエラに押しつけたのです]
Wikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】の「ストーリー」項目には《そして継母や義姉たちが財産を浪費し、長らく家に仕えていた使用人達も次々に辞めさせてしまった 》と書いてあるが,実写版BDには,エラの父の死後,トレメイン夫人と娘たちが財産を浪費したという描写はない.さらに,上に引用したナレーションでは,トレメイン夫人がむしろ倹約のために使用人を解雇したと言っている.そりゃそうだ.収入がなくなったのに財産を浪費をする馬鹿はいない.トレメイン夫人はそこまで馬鹿ではない.というか,ファンタジー作品にとって大切なのは,リアリティである.稼ぎ頭を失った遺族が浪費生活をしたのでは,映画の観客は席を立ってしまう.
ここで英語版Wikipedia【Cinderella (2015 Disney film) 】を調べてみた.するとその“Plot”には次のように書かれている.
《Ella and her parents live a humble but happy life until her mother falls ill. Ella promises to follow her mother's dying wish: to have courage and be kind. Years later, Ella's father marries Lady Tremaine, who has two unpleasant daughters, Drisella and Anastasia. Ella's father leaves on business, and Lady Tremaine reveals her cruel and jealous nature, pushing Ella to give up her bedroom to the stepsisters and move to the attic. When Ella's father unexpectedly dies, Lady Tremaine dismisses the household staff to save money and forces all chores on Ella. Seeing Ella's face covered in cinders after sleeping by the fireplace, her step-family mockingly dubs her "Cinderella". 》
英語版Wikipediaでは,きちんと物語通りに,“to save money” と書かれている.ついでに言うと,この映画のキーワードである“ to have courage and be kind” が早々と2センテンス目に明示されているのも,この箇所の編集者が有能であることを示している.
(森の中で初めて王子と出会ったエラの言葉.エラの心優しさと美貌に王子が一目ぼれするシーンだ)
ということは,Wikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】の「ストーリー」を執筆した者は,この映画の解説に関しては本家本元でありリファレンスともいうべき英語版Wikipediaを参照していないのである.これは理解に苦しむことだ.
(c);
《しかし彼女は亡き母から繰り返し教えられた、いつかは希望の虹が見えてくる、いつかは夢が叶うという言葉を信じて希望を失わなかった。》
BD版の英語ナレーションでも英語台詞でも,エラの母親は《いつかは希望の虹が見えてくる、いつかは夢が叶う 》などとは一度も言っていない.Wikipediaにこんな嘘を書いた奴は,一体どこからこの言葉を引っ張り出してきたのだろうかと不思議に思ったら,実はWikipedia【シンデレラ (1950年の映画) 】に,
《しかし、シンデレラはきっと幸せがやってくる、いつかは夢が叶うと信じ、明るさと希望を失わなかった。》
という一行があるのだった.つまりWikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】の「ストーリー」は,Wikipedia【シンデレラ (1950年の映画) 】から剽窃したものだと考えられる.だが剽窃したのはいいが,実写版を観ずに粗筋を書いた 間抜け 無能な執筆者は,実写版とアニメ版ではシナリオがかなり違うということを知らなかったので,結果的にこんなことになってしまったのだ.
となると《亡き母から繰り返し教えられた 》と《いつかは希望の虹が見えてくる 》が,どこから剽窃したものであるかが興味深い.実は実写の『シンデレラ』はディズニー作品以外にもあり,そちらのストーリーからコピペしたものの可能性があると私は見ている.暇な時に調べてみようと思う.
(6/22に判明したところによれば,《いつかは希望の虹が見えてくる 》の初出は,《ディズニー長編アニメーション映画一覧》というまとめサイトに含まれる「この記事」(←2012年に書かれた) である.Wikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】は,ここから剽窃したものと考えられる)
まとめると,Wikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】の記述は大嘘で,本当は母親は亡くなる前にエラを傍に呼び,遺言として次の言葉を言ったのである.下の「 」に日本語字幕を引用する.
母親「愛しい子,話しておくわ,人生の試練を乗り切るための秘訣を.覚えておいて,勇気と優しさを持つことを.エラは誰よりも優しい心を持っているわ.あなたの大きな力になるはずよ.魔法の力よ」
エラ「魔法?」
母親「そう.勇気と優しさを忘れないで.約束して」
エラ「約束する」
母親「よかった.ママはもうすぐお別れなの.許してね」
これ以後,母親の最後の言葉「勇気と優しさを忘れないで」を巡って実写版の物語は進行するのである.
(d);
《継母はエラに、もし全ての仕事を済ませ、舞踏会に着ていくに相応しいドレスを用意できたら行ってもいいという。》
再びWikipedia【シンデレラ (1950年の映画) 】から下に引用する.
《そんなある日のこと、お城の王子であるプリンス・チャーミングの花嫁選びを兼ねた帰国祝いの舞踏会を開くことになり、シンデレラの家にも招待状が届いた。義理の姉達は大はしゃぎし、自身も行きたいと願うシンデレラに継母は、全ての仕事を片付け、ドレスを用意できたら舞踏会に行ってもいいという。》
すなわち,ここでもまたWikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】は,Wikipedia【シンデレラ (1950年の映画) 】からパクッている.いくらパクッても辻褄があっていれば,まあ実害はないようなものだが,辻褄が合わないのにパクるという恥知らずな若者たちがいることは,例の小保方晴子事件で広く世の知るところとなった.このWikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】も,そのような世代の者が執筆したのであろう.
Wikipediaからコピペするのは日本の大学生の日常風景としても,Wikipediaそれ自体の中でもコピペが行われていたとは w
しかもコピペしたのは大失敗だったという ww
洋画作品のWikipedia項目で稀にあるのだが,劇場公開の前に項目が立てられ,そこに粗筋が書かれていることがある.どうすれば劇場公開前に粗筋を書けるのか私は知らないが.
想像するに,このWikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】もそうだったのかも知れない.執筆者は,実写版とアニメ版のシナリオが異なるとは思いもせずに,Wikipedia【シンデレラ (1950年の映画) 】からコピペして粗筋を書いたのだろう.ところが公開後に,その粗筋が嘘だとバレて,他の執筆者たちによって手を入れられたのだが,修正から漏れて残ってしまった間違いがある,そういうことなのではなかろうか.
実際の実写版BDで舞踏会当日までのお話がどのように描かれているかについて,ここで簡単に説明する.
アニメ版では郵便屋が登場し,この郵便屋が若い娘のいる家庭に宮廷舞踏会への招待状を配達するが,実写版では違う.国王からの使者が,村の広場で「お触れ」を読み上げるのである.エラは帰宅して「お触れ」の内容をトレメイン夫人らに報告する.すると夫人はエラに,ドレスを三着注文してこいと命令する.義理の姉二人とエラの服のことかとエラは喜ぶが,夫人は自分のドレスだと言い放つ.森で出会った素敵な青年に恋をしていたエラは,宮廷舞踏会に行けばあの青年 (エラは彼が王子であることを知らない) に再会できるかもと思い,屋敷のネズミたち (*) の手を借りて亡き母のドレスを手直しする.(ここまでの描写でエラは,料理裁縫家事万端に長けて,音楽の才能があり,しかもフランス語ができるという教養ある女性であることが描かれる.シンデレラ・ストーリーは一攫千金の話ではないのである w)
舞踏会の夜,支度が出来てトレメイン母娘の三人が出かけようとすると,かつて母が着ていた淡いピンクのドレスを着たエラが屋根裏部屋から降りてくる.どう見ても,義姉二人は容姿的にエラに完敗 (**) である.逆上した母娘たちはエラのドレスを引き裂き,ボロを着た小娘を舞踏会に行かせるわけにはいかないと夫人は言う.トレメイン夫人は,エラを行かせたくない本当の理由 (実の娘たちの出来の悪さ) を死んでも口に出したくないので,ドレスがボロだからという口実のためにエラの服を引き裂いたのである.
(註*) ディズニー映画自身によるディズニー・プリンセスのパロディ作品『魔法にかけられて』では,ヒロインを助けるのはニューヨークのドブネズミたちである.シンデレラに出てくるヨーロッパ産の家ネズミについては,ネット上に資料が見当たらず,よくわからない.
(註**) 実写版BDの特典映像に,義姉を演じたソフィー・マクシェラとホリデイ・グレインジャーが出ている.二人共,チャーミングな女優さんなので私は驚いた.
大切にしていた母のドレスを引き裂かれたエラは,とうとうポッキリと心が折れてしまう.
この実写版を観た人は,この映画で使われている“courage”が日本語の「勇気」よりも広いニュアンスであることを知るだろう.「勇気」は危険を怖れないという意味合いが強いが,この映画における“courage”は,不幸に屈しない強い心,というニュアンスである.それが上の画像の台詞だ.何も信じられなくなったエラが庭の噴水のところですすり泣くアニメのシーンは,今作にも受け継がれた.
ここで満を持してフェアリー・ゴッドマザーが現れ,エラに魔法をかけるのだが,この場面はアニメ版をはるかに凌ぐファンタスティックで,かつ重要なシーンである.
カボチャの馬車やネズミの馬を作ったフェアリー・ゴッドマザーは,エラにドレスを新調しようとするが,破られてしまった母の思い出のドレスを直して着たいと言う.舞踏会へ母と一緒に行きたいのだと.
納得したフェアリー・ゴッドマザーは,派手ではないそのピンクのドレスに魔法をかけ,超ゴージャスなブルーのドレスに変える. なぜブルーなのかということについて,花嫁を幸せにしてくれる四つのものの一つ,something blue であるとの説があるが,これが欧米人にとってどれくらい説得力のある話なのかは知らない.それよりも1950年代以降,ブルーはシンデレラ物語のシンボル・カラーなのだと考えておけばいいように思う.実際にこの実写版では,少女から花嫁以前の若い娘に成長したエラは,ずっと淡く青いワンピースを着ているからである.
さて,フェアリー・ゴッドマザーがエラのドレスに魔法をかけると,たくさんのパピヨンが現れてエラの周りを舞う.そしてパピヨンはブルーのドレスの胸元を飾るのだ.
さらに,ガラスの靴にもパピヨンが飾られる (下の画像の赤→).パピヨンは,この稿の(a)で述べたように,エラが少女の頃に父がプレゼントしてくれたものであり,大切な家族の思い出を象徴している.これはつまり,お父さんお母さんと一緒に舞踏会へ行ってらっしゃいというフェアリー・ゴッドマザーからのメッセージである.こうしてこの物語の第一の伏線が回収された.
宮廷舞踏会以降の実写版物語の進行はアニメ版と大きく異なる.エラは,森で出会った初恋の青年が王子であることを知るが,舞踏会から戻ったあと,夢のような出来事の思い出のために,残ったガラスの靴の片方を木箱に入れ,大切に床下にしまう.その木箱には父からもらったパピヨン,父の遺品の枯れた木の枝,そして母の小さな肖像画が入っていた.
ところがこれがトレメイン夫人の知るところとなり,以下のように屋根裏部屋で夫人とエラは対峙し,本作のクライマックスを迎えることになる.このシーンこそが,特典映像に収録されたインタビューの中で脚本のクリス・ワイツが《物語の空白部分を埋めたかった 》と語った,そのことである.
ある日,エラが馬に乗って屋敷に駆け戻る.表情は明るい.ナレーションによる説明はないが,「ガラスの靴の王女」を探す一行がエラたちの村にやって来ることを知ったからだろう.あれは素敵な夢だったのだと諦めていたけれど,もしかしたら王子様に再会できるかも知れない.そう思ってエラの胸は希望に膨らんだ.
エラは屋根裏部屋に上がり,床下に隠してある宝物の箱を開けた.しかしそこにあるはずのガラスの靴がなかった.狼狽するエラに,部屋の隅から継母の声が問いかけた.「捜し物はこれ?」
継母「この靴にはどんな物語があるのか聞かせて.嫌なの? だったら私が話してあげるわ」(註*)
継母「昔々,ある所に美しい娘がいました.愛する人と結婚して,2人の娘に恵まれました.幸せな毎日でしたが,ある日,夫が不運にも亡くなりました.彼女は娘たちのために再婚.でも二番目の夫も他界したのです.彼女はその夫の娘 (註;エラのこと) を毎日世話するハメ (註;これは嘘) に.望みは,美人で (註;これも嘘) で愚かな実の娘が王子と結婚すること.でも王子はガラスの靴の小娘に夢中.そして私はずっと不幸な一生を送りました…」
継母「でもそうはならない.次はお前が話す番よ.靴を盗んだの?」
エラ「いえ,もらった靴よ」
継母「もらった? お金がないと手に入らないわ」
エラ「違います.優しさも愛もお金じゃないわ」(註:英語は“Kindness is free, love is free.”;「優しも愛も無償よ」)
継母「愛はタダじゃない.王子と結婚するなら恩を返して頂だい.親のいない使用人が名乗り出ても誰も信じないわ.私のような立派な後見人がいれば別だけど.結婚後は私を女官長にしてもらうわ.2人の娘は有力者に嫁がせ,私はあの若造 (台詞では“boy”) を操るの」
エラ「若造じゃないわ」
継母「偉そうに.王国を支配するつもり? 私にまかせれば悪いようにはしないわ」
エラ「断るわ (註;台詞では“No”) 」
継母「断る?」
エラ「王子と王国をあなたから守ります.私がどうなっても」
継母「とんでもない間違いよ」
…激情にかられたトレメイン夫人は部屋の出口の柱にガラスの靴を叩きつけて割った …
エラ「ひどい! どうして? どこまで意地悪なの? 優しくしようと努力したのに」
継母「優しく?」
エラ「そうよ.どれだけいじめれば気が済むの? なぜなの? なぜ!」
継母「なぜ? お前は若くて清らかで素直だからよ! でも私は…」(註**)
(トレメイン夫人は複雑な怒りの表情でドアから出て鍵をかけ,エラを屋根裏部屋に閉じ込めた;ケイト・ブランシェットの眼の演技に凄みがある)
(註*;「だったら私が話してあげるわ」は日本語として曖昧.これではトレメイン夫人の話が「ガラスの靴の物語」だと受け取られかねない.英語台詞を素直に訳せば「だったら私がお話を一つしてあげるわ」とするところである.「お話」とは夫人の身の上話である)
(註**;《でも私は… (もう若くはなく,清らかでも素直でもない.だからお前が憎い) 》がこのシーンのクライマックスだ.この場面のケイト・ブランシェットの演技こそ,彼女がインタビューに答えて《意地悪なまま母を演じるに当たり,その動機を考えたわ.完全な悪者なんて誰一人いないもの.何が人間を邪悪にするのか探りたかった 》と語ったことの解答である.彼女の演技によって,このファンタジーは大人の鑑賞に耐える作品になった)
トレメイン夫人にはわかっていた.エラにはあって,しかし自分が失ってしまったものを.
失った理由も明らかだった.彼女は,二人の子を抱えて寡婦となったとき,経済力のある男と再婚する以外に生きる術を知らなかったのである.だが自分に「娘たちのため」と言い聞かせ,愛のない再婚 (エラの父と) をした時,彼女は自分の生きる意味を喪失した.そして自分を捨ててまで再婚したのに,その二番目の夫も死んでしまった.私の人生は,いったい何だったのか.やり場のない怒りが彼女を邪悪にしたのである.このトレメイン夫人の人物造形について,プロデューサーのアリソン・シェアマーが《まま母は自らの喪失に苦しみ,心を痛めてる.それに怒りで対処してるの.そのうえで悪のイメージを膨らませていった 》とインタビューに答えて語ったのは既に述べたところである.
(e);
《エラがそれに応えるように足を入れると、ピッタリと一致した。城に向かう途中、義姉達は今までの意地悪と非礼を詫び、これ以上彼女達を責めても無意味なことを知るエラは、それを許した。》
Wikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】に書かれている上の引用箇所 (赤い文字の部分) は,実写版BDの描写と全く異なっている.
Wikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】の記述がストーリーに関しては全くデタラメなので,記述の嘘を指摘すると共に,物語のクライマックス周辺の少し詳しいストーリーを以下に紹介してみる.
さて,エラを屋根裏部屋に監禁したトレメイン夫人は,砕けたガラスの靴のヒール部分を持参して,国王の次の地位にある大公 (Grand duke) の館を訪問した.舞踏会の夜,大公が,王子とスペイン領サラゴサの王女との政略結婚を強引に画策していることを知ったからである.夫人は大公に,ガラスの靴の持ち主を監禁しておくと申し出て,大公は夫人と結託した.邪悪な欲望にまみれたトレメイン夫人が大公に要求した報酬は,夫人を伯爵夫人 (Countess) にする (註;つまり伯爵と結婚できるように計らってもらう.下の爵位では嫌だし,公爵侯爵では拒否されるかも知れないという心理だろうか) ことと,二人の娘を有力者に嫁がせることだった.愛はタダじゃない,と言い切る夫人にとっての生き甲斐は,金に困らぬ上流階級に仲間入りすることだった.
大公は新国王に,国中から「ガラスの靴の王女」を探すから,もし見つからなかったらサラゴサの王女 (この王女は,無礼にも大国であることを鼻にかけ,舞踏会の時に高慢な言葉遣いをした) と結婚するよう進言し,国王は「ガラスの靴の王女」を探すために,表面上はこの進言を受諾した.
こうして王国中の女という女にガラスの靴を試着させるという大捜索隊が宮殿を出発した.捜索隊の指揮は国王の側近 (護衛隊長) である大佐 (実写版『シンデレラ』の登場人物には,姓名のある者と役割名で呼ばれる者がいる) が執るが,これに大公が責任者として同行した.しかし大公を信用していない新国王は,密かに兵士の姿で捜索隊に加わっていた.
「ガラスの靴の王女」はトレメイン夫人が監禁しているから見つかる心配はないと安心しきっている大公は,捜索の最後にトレメイン夫人の屋敷を訪れる.
もちろん夫人の娘二人の足はガラスの靴に入らない.ガラスの靴はエラ以外のどんな女の足にもフィットしないのだ.エラの足が小さいのではなく,ガラスの靴はエラの守護妖精が作った魔法の靴だからである…という設定ならとてもよかったのだが,エラの足はとても小さいという条件を,アニメ版から踏襲してしまったことは残念であった.本人にはどうしようもない肉体的器質に女性性的な意味をもたせるのは現代的でないと思う.
それはともかく屋敷の一階で,捜索隊の持ってきたガラスの靴に,なんとか足を入れようと娘二人が必死に頑張っている時,屋根裏部屋に監禁されているエラは,夢のような舞踏会の夜を思い出しながら一人で踊ったり,幼い頃に母が歌ってくれた子守唄を歌ったりしていた.エラは,楽しい思い出があればそれで充分なのであり,王妃になりたいなどということには関心がなかったのである.
しかしトレメイン夫人のいじめから抜け出す折角のチャンスなのだから,何とかしたいと考えた屋敷に住むネズミたちは,協力して窓の取っ手を回して,窓を開いた.するとエラの歌声が外に流れ出た.昔,エラの母が歌ってくれた子守唄だ.
♪グリーンやブルーのラヴェンダー 私を愛してね あなたを愛するわ
私が王様ならばあなたは王妃 小鳥たちが歌い羊が飛び跳ねる
ここなら安心よ (字幕から引用)
大公とトレメイン夫人は想定外のアクシデントに狼狽したが,捜索は終わったと言い張って城に帰ろうとする.
だが指揮官の大佐と,兵士に扮装していた新国王の耳にエラの歌声は届いた.新国王は扮装を解いて,大佐に屋敷の捜索を命じる.
“Captain, would you be so kind as to investigate?”
“It would be my pleasure, Your Majesty.”
私見だが,物語の流れを見誤らないためには,BDに吹替版が入っているので,まずはそれを鑑賞するとしても,これ以降のお話のクライマックスは英語の台詞を聴きながら画面を観たいものだ.新国王とエラの再会場面は大変に聞き取りやすい英語で,今の中学生なら理解できる程度である.“Captain, would you…”と“It would be my pleasure…”は基本文型だ.w
屋根裏部屋にやってきた大佐に,トレメイン夫人はエラを下働き女だと偽る (英語台詞は“I told you it was no one of any importance.”;ここは字幕より吹替版の翻訳が正しい) が,この時既に夫人と大公の陰謀を見抜いていた大佐は「私は国王の司令官だ.邪魔をするな」(英語台詞は“Who are you to stop an officer of the king? Are you an empress? A saint? A deity?”) と厳しく夫人を追求する.
夫人は“I'm her mother”とまた偽りを言うが,エラはきっぱりと否定する.
“You have never been and you never will be my mother.”
夫人の虐待に耐えてばかりであったエラの勇気ある反撃である.
大佐に促されて階下に降りながらエラは,果たして自分は王子に相応しいのだろうかと自問する.
新国王がまだ王子だった時,エラは森に鹿狩りにきた王子と出会った.その時王子が「お嬢さん,君の名前は?」と訊ねたら,エラは「聞かないで」と答えた.何か辛い事情がありそうだと察した王子は,エラが気を遣わずに済むよう,身分を隠したのだった.
舞踏会で再会した時,王子は身分を明かし,再び君は誰?と訊ねた.
Why don't you tell me who you really are.
エラはためらう.
If I do, I think everything might be different.
どういう意味か私にはわかりません.せめてあなたの名前だけでも教えてください.
I don't understand. Can you at least tell me your name.
私の名前は…そう言いかけた時,真夜中を告げる鐘の音が鳴り渡った.もう行かなければ.
My name is … I have to leave. It's hard to explain.…
あの時,エラには本当の自分を打ち明ける勇気がなかったのだった.でも,今度こそは.
[ナレーション:魔法には頼れません.最大の難関が待ち受けていました.ありのままの自分を見せるのです.勇気と優しさを忘れずに](註;字幕版では「勇気と…」の部分はエラの母の声である.)
今度こそは自分が誰であるかを,ありのままに,あのかたにお話ししよう.
そう決心して階下の居間に入ってきたエラに,新国王が三たび訊ねた.
“Who are you ?”
エラは,屋根裏部屋の寒さに耐えるために暖炉の前で横になり,暖炉の灰にまみれて生きてきた自分を,自ら「灰まみれのエラです」と勇気を持って名乗った.
“I'm Cinderella.”
陛下,私は王女ではありません.馬車もありません.両親もいませんし,持参金もありません.その美しい靴が私の足に合うかどうかわかりませんけれど,もし靴に足が入ったら,ありのまの私を受け入れて頂けますか.あなたを愛する正直な村娘を.
“Your Majesty, I'm no princess. I have no carriage, no parents, and no dowry. I do not even know if that beautiful slipper will fit. But if it does, will you take me as I am? An honest country girl who loves you.”
国王はエラの言葉“take me as I am”を繰り返すことで,これに応えた.
“Of course I will. But only if you will take me as I am. An apprentice still learning his trade.”
アニメ版『シンデレラ』が古色蒼然としていることは否めない.何しろ私が生まれた1950年に公開されたアニメなのだ.女性の生きかたについて,古い時代の影響を受けている.この点をディズニー映画は厳しく批判されてきた.女性差別の象徴とまで言われた.だがディズニー作品は批判に対して手をこまねいていたわけではない.
「玉の輿に乗る」ことを幸運と考えている点において,1950年のシンデレラは継母と同類であるが,しかし2015年のシンデレラは,愛した人が実はたまたま王子であったという設定だ.こうして2015年の『シンデレラ』は,原作にある古い恋愛と結婚の姿を六十五年後に修正したのである.そしてこのディズニー作品の新しいコンセプトは,2017年の実写版『美女と野獣』に繋がって行く.
さて,この項の最初に掲げた《これ以上彼女達を責めても無意味なことを知るエラは、それを許した 》についてである.
《これ以上彼女達を責めても 》では,エラが姉たちをある程度は責めたという意味になる.ところが実写版BDで,エラは全く姉たちを責めていないのである.そして《許した 》という描写もない.エラが許したのは姉たちではなく,彼女たちを意地悪な娘に育てた毒親のトレメイン夫人なのである.
不思議なのはWikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】に書かれている《これ以上彼女達を…それを許した 》が,そのパクリ元であるWikipedia【シンデレラ (1950年の映画) 】には書かれていないことだ.執筆者が一体どこからこの文章を引っ張り出したのか,調べてもわからない.謎だ.
ちなみに,姉二人は毒親のトレメイン夫人のせいでエラに意地悪をしたけれど,根っからの悪人ではなかった.目の前で王妃が誕生したシーンに感激したのか,それまでの下品で意地悪な二人とは全く違う素直な笑顔でエラを見送ったのだ.姉二人を演じた女優さんたちが元々チャーミングなこともあって,これは好印象の演出だと思う.
だが,エラが出ていったあと,階段の途中で崩れ落ちるように膝を折ったトレメイン夫人の顔は,真人間に戻ったようには見えなかった.悪人はそう簡単に改悛しないということか.ちなみにアニメ版『シンデレラ』には劇場公開されなかった続編があり,トレメイン夫人は反省しなかったということになっている.
(f);
《後日、継母達と大公は国から姿を消した。追放されたのか、自ら去ったのかは明らかでない。》
この箇所の実写版ナレーションは次のとおりである.
“Forgiven or not, Cinderella's stepmother and her daughters would soon leave with the Grand Duke, and never set foot in the kingdom again.”
このナレーションをそのまま翻訳すれば「許したとか許されなかったとか,そういうことではなく,継母とその娘たちは大公と一緒に姿を消して,王国に二度と足を踏み入れることはありませんでした」である.
エラが国王にエスコートされて屋敷を出る時,エラは継母に“I forgive you”と言った.王妃が「許します」といったのだからお咎めがあったはずがない.にもかかわらずトレメイン夫人たちと大公は王国を去った.つまりシナリオの意図は,彼らは自分たちの打算的な生き方を恥じて去った,ということに決まっている.もっとも,大公の打算は私的な欲望とは異なるものだけれど.
どこへ行ったかわからないけれど,もしかすると大公が母と娘たちを助けてくれて,母娘三人でどこかで平穏に暮らしていたらいいですね,というのがディズニー映画『シンデレラ』が用意したハッピー・エンディングなのである.
《追放されたのか、自ら去ったのかは明らかでない 》などとWikipedia【シンデレラ (2015年の映画) 】の「ストーリー」に余計なことを書いた執筆者は,この映画のどこを観ていたんだ (これは遠慮勝ちな言い方である.執筆者は実は映画を観ずに粗筋を書いたのだと考えていい) と言いたくなるお粗末さである.ちなみに吹替版では“Forgiven or not”は訳されていない.許すかどうかなんてことはどうでもいいので省略する,という吹替版の翻訳姿勢に私は同意する.
ファンタジーのオープニングに本を開く,エンディングで本を閉じるという演出がある.下の画像はアニメ版『シンデレラ』の冒頭とラストのシーンだが,本が閉じられる時,それはハッピー・エンディングでなければならない.これはもうほとんどウォルト・ディズニーの遺訓のようなものだ.
(左,オープニング;右,エンディング)
まだ父と二人で幸せな日々を過ごしていた時,エラは読んでいた本をパタンと閉じて,父親に“I do love a happy ending, don't you?”と言った.実写版『シンデレラ』の物語に幕が降りる時,それはハッピーエンドでなければいけない.古くから欧州に伝えられてきたダークでグロテスクな昔話を,このようなファンタジーに創り上げた監督,脚本家,俳優陣の功績は褒められて然るべきだと私は思う.わずかな瑕疵はあるけれど.
実写版『シンデレラ』の劇場公開予告編の映像に「本当の魔法は あなたの勇気」とあった.映画の内容をよく表現した卓越したコピーである.(了)
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