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2019年5月13日 (月)

三角おむすび

 先週放送の『チコちゃんに叱られる!』で,例のインチキな「食文化史研究家」の永山久夫が,例によって例の如く,支離滅裂な「独自研究」を開陳した.
 この日の放送の最初の出題は,お握りが三角なのはなぜか,というものだった.そしてこのチコちゃんの質問に対する解説をしたのが,嘘デタラメを平気で放言する永山だった.まず永山は,お握りは弥生時代からあったと主張した.それが下の画像 (テレビ画面をカメラ撮影したもの) である.永山は昭和六十二年に石川県中能登町で発見された「杉谷チャノバタケ遺跡」から出土した炭化した飯の塊が,最古のお握りだと言うのだ.
 
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 確かに,この炭化物が発掘された当初は,日本最古のお握りだとして報道され,地元では町おこしのようにして盛り上がった.ところがよく調べてみると,これはお握りではなく,呪術に用いられたもので,餅米を粽 (ちまき) 状に包んで蒸してから,さらに焼いたものだと判明した.そのため現在は,学術的には「粽状炭化米塊」と呼ばれている.この出土品についての石川県埋蔵文化財センターのコンテンツから,下に引用する.
 
ご紹介する「チマキ状炭化米塊」は、1987年 (昭和62年) 11月22日、鹿島郡中能登町 (旧鹿西町) に所在する杉谷チャ ノバタケ遺跡から、弥生時代中期 (約2,000年前) の竪穴建物 (住居跡) の壁際より単独で出土したものです。底辺が約5.0㎝、他の二辺が約8.5及び8.0㎝の平面略二等辺三角形を呈する炭化米塊 (厚さ約3.5㎝) は、加工・調理されたものとしては日本最古の出土品として、翌月 (22日) の報道発表以来、「日本最古のおにぎり」(の化石:生物の痕跡を指すという広い意味では、確かに本品はイネの化石 とはいえるのかもしれません) として話題を集め、地元においても町おこしの各種イベント等が開催されてきました。米粒の解析結果により、短粒・極小粒の日本型を呈する水稲品種の晩稲の糯米 (もちごめ) で、おそらく蒸されたのち焼かれたものとされ、形状等からも、炊かれて握られた握り飯 (=おにぎり) というよりは、包まれて蒸された (あるいは煮られた) ものに近いという意味で、チマキ (粽) 状炭化米塊とされたものです。 建物の壁際からの単独出土であることや粽の民俗事例などから、本品については、食用というよりは魔除け等呪的な用途が想定されますが、食べられるものであることに変わりはなく、食に関する体験講座等を支える重要な「証人」ともなっています。》(文字の着色はこのブログの筆者が行った)
 
 中能登町は「おにぎりの里」を自称して町おこしに取り組み,地元の諸々の観光案内系サイトも,いまだにこの出土品を「最古のお握り」として町を応援しているが,学術的にはもう決着がついたことで,この出土品はお握りではなく粽なのだ.町おこしの材料にしたい地元の気持ちは理解できるが,そろそろ諦めたほうがいいのではないだろうか.そして自称「食文化史研究家」の永山久夫は,公共放送でテキトーなことを言うでないと非難されるべきであるが,永山の放言はとどまるところを知らない.何としてでも粽状炭化米塊がお握りだと言い張る永山は,これは粽ではなく,三角お握りの先端が尖ったものだと主張する.
 
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 この出土した炭化米塊が「お握り」であることの説明として永山は,ここら辺へんから独自の境地に立って御託宣を宣う.考古学の専門家が粽であるとした形を,いや違う,これは神のおわします山を象ったものである,とする.何となればお握りは神饌だからであるという.(下の三枚の画像)
 
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 次に永山は,神饌としてのお握りは三角形だったが,人々が口にした食べ物のお握りは三角形ではなかったと述べた.(下の二枚の画像)
 
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 そしてここから突如,永山の支離滅裂な妄想が爆発する.神饌の三角お握りは何処かに行ってしまい,昔のお握りは丸かったという話になる.粽状炭化米塊はお握りだったとする主張を忘れてしまったかのようである.
 そして古来,お握りは丸かったとする根拠に源氏物語を持ち出した.
 
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 番組の画面では全く説明がなかったが,下の画面で「屯食」と書かれているのが,お握りだという.書物を引用するなら,最低でも書物の名称くらいは示さねばならぬが,永山にはそんな常識はない.下の画像の書籍は書誌事項が不明だが,現代語訳だ.読み取りにくいが,潤一郎訳と表紙に書かれているから,三つある谷崎源氏のうちの最初に刊行されたものだろう.谷崎源氏には同じテキストでも普及版やら愛蔵版などがあり,私はこの表紙の本を見たことがないので,どれであるかはわからない.ただし出版社は中央公論社で,国会図書館の蔵書だ.この現代語訳では,屯食は現代語に訳さず,屯食のままにしている.
 
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 しかし,この引用箇所は比較的よく知られたところであり,源氏物語の読者には「源氏物語 桐壺 第六段 源氏元服」であるとわかる.
 そこで下に,源氏物語の原文と,与謝野晶子による現代語訳を示す.

[原文]
 その日の御前の折櫃物 籠物など  右大弁なむ承りて仕うまつらせける 屯食 禄の唐櫃どもなど ところせきまで 春宮の御元服の折にも数まされり なかなか限りもなくいかめしうなむ

[与謝野晶子訳]
 この日の御饗宴の席の折り詰めのお料理、籠詰めの菓子などは皆右大弁が御命令によって作った物であった。一般の官吏に賜う弁当の数、一般に下賜される絹を入れた箱の多かったことは、東宮の御元服の時以上であった。
 
 実は永山久夫の学歴はよくわかっていない.もしかするとそのためかも知れないが,古典文学を読む基本姿勢ができていないようなのである.というのは,屯食が現代のお握りを意味するようになったのは江戸時代なのだ.これは我が国の食文化の常識である.食文化に関する常識がない「食文化史研究家」の永山は,高校生がそうするように,古語辞典を調べてみるべきであったのだ.すなわち平安時代の屯食は,酒食一般,あるいはそれを盛った台のことである.無知無学の永山は,江戸時代の屯食はお握りだから,平安時代もお握りだったと思い込んだのである.今なら大学入試に失敗するに違いない.
 源氏物語の現代語訳はいくつもあるが,与謝野晶子は屯食を「弁当」としている.さすがにこれは,なかなかこなれた訳文である.源氏の元服の祝いの席で,唐櫃と一緒にお握りが並べられているはずがないではないか.絹を収めた唐櫃と,食べ物を詰めた引出物の弁当箱が所狭しと並べられたのである.もちろん弁当箱に詰められたのは,質素なお握りなんかではなく,山海の御馳走であったに相違ない.
 この点について昨年,同志社女子大学の吉海直人先生 (日本語日本文学科教授) が《「おにぎり」と「おむすび」の違い 》と題したエッセイを同大学のサイトに載せておられる.その一部を下に引用する.
 
なおここにあげられている「屯食」は、平安時代から用いられている古い言葉ですが、既に意味が違っています。もともとは酒食のこと、あるいは酒食を載せた台のことだったのですが、江戸時代には公家社会において「握り飯」の意味で用いられるようになっているようです。そのことは『松屋筆記』の「屯食」項に、「公家にては今もにぎりめしをドンジキといへり」とあることからも察せられます。
 
 永山の高校生以下の思い込みは,江戸時代の有名な『守貞漫稿』の「握飯」項に「にぎりめし古はとんじきと云 屯食也 今俗或むすびと云 本女詞也」とあるのを読み齧ったからであろう.だがこれは,永山の無教養だけを指摘すればいいというわけではない.Wikipedia【おにぎり】も,次のように同じ間違いをしでかしている.
 
おにぎりの直接の起源は、平安時代の「屯食」(とんじき) という食べ物だと考えられている。この頃の「屯食」は大型の楕円形 (1合半) で、使われているのは蒸したもち米であった。「屯食」が意味するものは時代によって異なり、江戸時代に入ると公家社会では現在のおにぎりのことを「屯食」と呼ぶようになった。
 
 上の引用の前半が間違いである.平安時代には,台の上に蒸した餅米を盛ったものを屯食と呼んだが,屯食はそれに限定されるものではなかった.吉海先生がお書きになっているように,食べ物一般を屯食といったのである.そしてその平安時代の屯食,一合半ものおこわを台に盛ったものは,手にもって食べられる現代のお握りとは無関係である.いずれにせよ,弥生時代にお握りが存在したという証拠はなく,また平安時代の屯食はお握りではなかった.『チコちゃんに叱られる』で永山久夫がしゃべったことは大嘘なのである.
 
 以上のことだけなら永山は視聴者を騙せたかも知れないが,再び永山の説は暴走を始めた.
 永山は,ここまでの説明で《実は三角形だったのは神様にお供えするおにぎりだけ 》《人々が日常的に食べていたのはより簡単に作れる丸いものが多かった 》としていたが,江戸時代になると《三角おにぎりも日常的に食べるように》なったと述べた.(下の漫画中の赤い矢印は,このブログの筆者が描き入れた;実は私はこの漫画は初見であるため,出典を示せないのが残念である)
 
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 視聴者は,この漫画と永山の説明を聞いて,江戸時代には三角形のお握りが庶民に食べられるようになったのだと思うだろう.
 ところが永山の解説はアクロバット的に急転する.
 江戸時代には三角お握りが日常的にたべられるようになったと言ったすぐあとで,永山が子供の頃,三角お握りはなかったと前言を翻したのだ.なんだそりゃ,である.
 
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 そして,三角お握りが普通になったのはコンビニの影響だと語った.
 
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 下の写真で《思うんですよ》などと言っているが,そういうのを独自研究というのだ.思うのではなく,コンビニ本部に取材に行けと言いたい.
 
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 下の写真で,コンビニが三角形お握りを販売したので《全国的におにぎり=三角形に変化 》と永山は言うが,そんなことはない.今でもコンビニでは,丸い形のお握りが販売されている.中に具を入れて海苔で巻いたお握りを作る製造ラインでは,コンビニにお握りを供給している業界で普及しているお握り成型機の,米飯を充填する型が三角形なのである.フィルムのあいだに海苔を挟んでおいて,食べる時に海苔を巻くタイプのお握りは,三角形に成形するのが都合がいいのである.これについては,お握りの包装に関する技術史をネットで調べると大変に面白いので,関心ある向きはどうぞ検索して頂きたい.
 一方,赤飯とか鶏飯とか,あるいは刻んだ野沢菜を混ぜこんだものとか,要するに海苔で巻かないお握りは丸い形のものが多い.海苔を巻かないタイプのお握りは,成型機の型を交換して自由な形に成形できるのだ.永山はお握りの自動成型の製造ラインを見たことがないのだろう.
 また,現在の主要なコンビニは1970年代に実験店や一号店を出店し,1980年代に店舗数が拡大したのだが,それ以前,私の大学生時代に,立ち食い蕎麦屋やスーパーの食品売り場でお握りが売られていた.東京ではそれらのお握りはすべて三角形であった.三角お握りは,コンビニが普及させたわけではない.お握りの形には地方性があり,関東,特に東京では,コンビニの出店が増えるずっと前から,お握りは三角形だったのである.永山は,自分の母親が作ったお握りが丸かったからというだけの理由で,三角お握りを普及させたのはコンビニだと言うが,世間が狭すぎる.この爺さんは,その歳になるまで一体全体,世の中のどこを見てきたのか.
 ちなみに,私が中学生だった頃,三角のお握りを上手に作れない人のために,木製のお握りの型枠があった.これに飯を詰めてから抜き取ると,今のコンビニお握りのような三角お握りができる.それから,ちょっと角ばったところを丸みをつけるように軽く握れば,きれいな形のお握りができるという次第.やがて木製の型枠はプラスティック製に取って代わられた.合成樹脂製の型は,抜き取っただけでフンワリと丸みを帯びているので,手で形を整えることが不要で,大変に便利なものだ.これが画像の一覧
 
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 下の写真では,まるで丸い形のお握りはコンビニで販売されていないとでも言いたいようだ.丸いお握りが運搬や陳列の際に安定せず不都合があるなどとは,食品業界にいた私には初耳である.不都合があるなら,もうとっくにお握りは三角形だけになっているはずで,永山はここでも,取材せずに妄想で語っているのだ.
 
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『チコちゃんに叱られる!』に永山久夫がたびたび出演するが,いい加減にNHKは公共放送であることを自覚し,このような嘘吐き爺さんを登場させないで欲しい.幼い視聴者が多いこの番組で永山に解説をさせるのは,嘘を吐いてギャラをもらう生き方を見せることになり,児童教育的に大きな問題である.

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