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2019年5月21日 (火)

ザゼンソウ (八)

 話をザゼンソウに戻す.
 昨日の記事《薔薇ノ花》に私は次のように書いた.(空白行と画像および一部文章を省略)

私たちの国は,四季折々に咲く花に恵まれた.花が咲くのは日常普段のことだから,何が咲いて何が散ったか,気もつかぬうちに四季は過ぎていく.
 北原白秋の大正三年の詩集『白金之独楽』(金尾文淵堂) に「薔薇二曲」がある.(中略)
一 薔薇ノ木ニ
  薔薇ノ花サク。
  ナニゴトノ不思議ナケレド。
二 薔薇ノ花。
  ナニゴトノ不思議ナケレド。
  照リ極マレバ木ヨリコボルル。
  光リコボルル。
 字面だけなら,薔薇の木に薔薇の花が咲くのは当たり前なのだけれど,「ナニゴトノ不思議ナケレド」は,薔薇の花を見た白秋の感動を表現している.何の不思議はないけれど私の心は打ち震えた,と言っているのだ.
 それに,この部分は「薔薇ノ木ニ」がなくても成立する.「薔薇ノ花サク。」だけで白秋の感動は読み手に伝わる.それは,季節巡りて,咲くべき時に花が咲く自然の営みに心驚く詩人の感性である.
 そのことは,第二連に繋がる.時が来れば花は咲き,そして時過ぎれば花は散るのだと詩人は歌ったのである.
 
 季節巡りて,咲くべき時に花が咲く自然の営み.現代の植物生理学の教科書は,花芽の形成に関わる遺伝子や,ホルモンなど細胞内の機序については語ってくれるが,では春夏秋冬それぞれの季節に,それぞれの花が咲くのはなぜなのかは教えてくれない.その秘密は依然として,詩人の言葉のうちにある.
 さて花が咲くことを開花というが,学問的には植物が花芽を付け,花芽が生長して蕾となり,そして私たちの目に見える形で花が開くまでの過程を開花と呼ぶ.花芽は,いずれ花となる芽のことであるが,これは三つの遺伝子の働きによって,葉となる芽から分化したものだ.花芽を構成する苞,萼片,花弁,雄蘂,雌蘂,心皮を花葉と云う.外側から順に葉の性質を失い,それぞれの花に特徴ある形態と機能を発現するようになる.
 園芸植物は元の野生植物から人為的に様々なものが作出されるので,開花の季節も様々であるが,野生植物の多くは特定の季節に花を咲かせる.これは多くの場合,花芽の形成が日長や温度によって決定されるからだ.これは確かめられた事実である.
 それでは,特定の季節に花を咲かせるための花芽が形成されるのはいつ頃か.これについては植物生理学者から園芸家に到る諸分野の人々によって,矛盾した様々な情報がネット上に記載されており,どれが本当なのか私たちにはよく理解できない状態だ.
 あるサイトには,一般の草本の場合は花が咲く一~二ヶ月前に花芽形成が始まっているとみられ,樹木では花の咲く数ヶ月前に花芽が形成される場合が多いと書かれている.また別のサイトでは,半年以上も前だと言う.
 花が一斉に咲いて一斉に散るソメイヨシノは,花芽形成がさぞクリティカルなんだろうと思われるが,ある趣味的な園芸愛好家は,サクラの類を十把一絡げにして
 
桜の花芽分化期は夏の7月〜8月頃で、花後に伸びた短果枝に作られ翌年に開花します
 
と述べている.こんな大雑把なことでいいのかなあと心配になるが….
 一方で日本植物生理学会のサイトでは,Q&Aにこう書かれている.短いからほぼ全文を引用させてもらう.
 
まず質問の「花が咲いた後に葉が出る植物」の場合、いつ花芽を形成しているのか考えてみましょう。当たり前の話ですが、種子から発芽して、先に花をつけて、その後に葉をつける植物はありません。まず葉をだし、花を咲かせ、実を付けてから、葉を落とします(落葉樹の場合)。そして、また葉をつけるというサイクルになります。
サクラの場合も、前年の夏に花芽を形成し、冬には休眠して、翌春に花を咲かせるということをしています。もっとも夏にどういったきっかけでサクラが花芽をつくるのかはよく判っていません。この段階で日長が関係していることも考えられますが、'染井吉野'では6月にすでに花芽の形成は始まっているという報告もありますので、単純な短日植物でないことは確かなようです。また、花芽の分化に温度が関係しているとも考えられますが、詳細な関係は調べられていないようです。ちなみに10月ごろに'染井吉野'が咲く「狂い咲き」という現象がありますが、これはこの時期までに花芽が形成されていた証拠です。「狂い咲き」は花芽が形成された後、きちんと休眠していないときに気温が上昇して咲くのです。なお、きちんと休眠状態になった花芽は冬の低温期に休眠が破れます。休眠が終わった花芽は温度が上昇すれば開花しますので、春になって気温の上昇が南から北上するためにサクラの開花も北上することになります。これが桜前線とよばれているのです。》(文中の下線は,このブログの筆者が付した)
 
 さすがに研究者は違う.不明なことは不明であると,きちんと書いているから,これなら納得できる.しかし,数百本もの桜の並木が一斉に花開くという点で,ソメイヨシノは花芽形成の研究材料として非常に優れていると思われるが,にもかかわらず,花が咲くに至る一連の開花の機序のうちで,花芽が形成される最初のきっかけが「よく判っていない」というのだから,他の植物については推して知るべしだ.ここで「最初のきっかけ」というのは,関与する遺伝子が働き始めるきっかけということだ.
 すぐ上のQ&Aにある「短日植物」という用語があるが,これは説明が要る.Wikipedia【光周性】から下に引用する.
 

動物・植物を問わず、多くの生物で光周性が認められる。動物では渡りや回遊、生殖腺の発達、休眠、毛変わりなど、植物では花芽の形成、塊根・塊茎の形成、落葉、休眠などが光周性によって支配されている。中でも花芽の形成と光周性の関係については最も研究が進んでおり、有名である。
なぜ日長を用いるのか
年周期的に変化する外的要因には、日長のほかに気温があるが、気温は日長に比べて不安定な要因であり、日によってはしばしば一か月前や後の平均気温を示すこともめずらしくない。したがって、気温の変化によって花芽の形成や落葉などの時期が決定されてしまうと、季節はずれの時期に花が咲いたり、葉が落ちたりしてしまうことになりかねない。生物の年周期的な反応は、花芽の形成にしろ生殖腺の発達にしろ、生存上重要なものが多い。
長日植物
一日の日長が一定時間(限界日長)より長くならないと反応が起きないことを長日性といい、花芽の形成が長日性である植物のこと。(正しくは、長日植物とは、連続した暗期が一定時間(限界暗期)より短くなると花芽が形成される植物のことである。) 例としてアブラナ、ホウレンソウ、コムギなどが挙げられる。
短日植物
一日の日長が一定時間(限界日長)より短くならないと反応が起きないことを短日性といい、花芽の形成が短日性である植物のこと。(正しくは、短日植物とは、連続した暗期が一定時間(限界暗期)より長くなると花芽が形成される植物のことである。) 例としてアサガオ、キク、オナモミ、コスモスなどが挙げられる。
中性植物
一日の日長(暗期)と反応が無関係であることを中性といい、花芽の形成が中性である植物を中性植物という。例としてトウモロコシ、キュウリ、トマト、エンドウなどが挙げられる。
 
 ネット上に,ザゼンソウの植物学的な学術資料は,私が調べた限り,ない.わずかに,既に紹介した稲葉靖子氏の研究があるが,これは分子生物学的研究であって,植物学的な範疇の研究ではない.そこで国内に自生しているサゼンソウがいつ咲くのかを調べたら,《全国のザゼンソウの名所》という貴重な資料が見つかった.この資料の作成されたのがいつであるか不明 (かなり古い資料の可能性がある) だが,その資料を見やすく整理したのが下表である.
 
日本のザゼンソウ群落
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栃木県 大田原ザゼン草群生地      2月中旬~3月中旬 (?)
群馬県 菖蒲沢&針山群生地       4月上旬~下旬
群馬県 赤城山中腹           2月中旬~3月下旬
群馬県 草津ザゼンソウ公園       3月上旬~4月下旬
新潟県 原虫野のザゼンソウ       4月上旬~4月下旬
長野県 白馬ざぜん草園         3月下旬~5月上旬
長野県 落倉自然園           4月下旬~5月中旬
長野県 宮の森自然園          3月下旬~4月中旬
長野県 居谷里湿原           3月下旬~4月下旬
長野県 鷹山湿原ザゼンソウ群落     3月下旬~4月上旬
長野県 和田峠・湿原歩道        4月中旬~5月上旬
長野県 有賀峠「ザゼンソウの里公園」  3月下旬~4月中旬
長野県 阿智村寺尾座禅草群生地     3月下旬~4月下旬
長野県 伍和原の平禅草群生地      3月上旬~4月上旬
山梨県 竹森のザゼンソウ群       2月中旬~3月下旬
滋賀県 今津広川座禅草群落       2月下旬から3月
兵庫県 ハチ北高原           3月下旬~4月下旬
芦津渓谷                絶滅危惧状態
 
 日照時間 (正しくは連続した暗期) を感知するセンサーは葉にあるという.多年生植物であるザゼンソウは秋に地上部が枯れるから,その時点で地下部分に花芽が生じているはずだ.ザゼンソウが特殊な植物ではないとすると,花芽は直ちに休眠状態になるが,その後に冬の低温ストレスを受けて休眠が打破され,気温が上昇すると苞と花序が生長を始めることになる.
 上の一覧表で,まだ春にならぬうちから咲き始めるのは,栃木県大田原,赤城山中腹,山梨県竹森の各群生地である.栃木県大田原の群生地については,地元の観光案内サイトの記述では「一月から二月にかけて咲く」としている.おそらくこちらが事実だろうから,上表には?を付しておく.また大田原群生地と赤城山山腹は積雪地帯ではない.山梨県竹森も,ネット上の写真を見た限りでは,それほど積雪がある地帯ではない.大田原群生地では毎年,二万株のザゼンソウのうちの一割,二千株が花をつけるという.これは随分と低い数字のように私には思われるのだが,専門家はどうみるのだろう.
 上に挙げた資料では,上記三ヶ所に少し遅れて,長野県白馬ざぜん草園が開花する.ここは数十万株のザゼンソウがある日本最大の群生地であるという.おそらくザゼンソウの繁殖に好条件を備えたところなのだろう.だとすると,三月下旬から五月上旬というのが,ザゼンソウが咲く本来の時期なのだろうと考えられる.ただし,他の資料によれば,熊の食害のために,ここのザゼンソウは激減したと書かれている.残っている古い写真を見ると,雪解けが進んでから花が咲いており,積雪はあまり多くない地帯のようである.
 一方,咲くのが遅いのは新潟県原虫野,長野県の落倉および和田峠,並びに群馬県の草津および菖蒲沢群生地 (片品村) である.これらは多積雪地帯であり,開花は四月にずれこんでいる.開花が早い栃木県大田原に遅れること三ヶ月である.このことから推察するに,各地で開花時期が異なるのは,気温と共に積雪量が関係しているのではないだろうか.ぶ厚く積もった雪の下では,花芽は大量の雪で冷却されてしまうから,生長開始したばかりの花序が多少の発熱をしたとしても,花を咲かせるまでには至らないのではないか.また,当然だが,たとえ苞が生長して花が咲いても人の目には観察されない.つまり開花時期が遅い群生地というのは「低温条件下で開花の遅れた株が融雪後に咲き,その花が観察される」のだと思われる.
 いよいよ尾瀬 (尾瀬ヶ原,尾瀬沼) のザゼンソウについて考える.少年時代に私は遂に尾瀬でザゼンソウの花を見ることができなかった.当時は尾瀬のザゼンソウについて記した資料自体がなかったが,今はネットが参照できる.しかしそれでも,尾瀬のザゼンソウに関する記事は少ない.またそれらの記事を見ると,現在も尾瀬ではザゼンソウはレアなのだという.目撃できた人は幸運だと書かれている.
 それはなぜなんだろう.私の郷里である群馬県のザゼンソウ群生地を考えてみる.赤城山の頂上は,最高峰黒檜山 (1,828m) とその他の外輪山 (1,500m級) に囲まれたカルデラになっている.このカルデラには覚満淵という小さな湿原があるが,上の資料にある「赤城山中腹」の群生地は赤城山南面に広がる富士見村の村有林のなかにあると書かれているので,覚満淵ではないようだ.だとすると,ここには積雪は滅多にない.冬の寒さもそれほどではない.
 標高はそれとあまり変わらないが,片品村の菖蒲沢と針山の群生地は,雪深い土地である.片品村は,スキー場があり,関東地方では豪雪地帯として知られるが,降水量は西に隣接するみなかみ町よりも少ない.
 さて尾瀬である.尾瀬は片品村の北限部にあるが,峠を南に下ったあたりよりもずっと積雪量は多い.五月になっても雪は融けず,例年の雪解けは五月の下旬である.いわんや各地の群生地でザゼンソウの花が咲く三月,尾瀬一帯はニメートル余の雪に埋もれている.花の目撃情報によると,尾瀬のザゼンソウ開花は五月中旬から下旬にかけてであるとのこと.開花の期間がこんなに短いのは,雪のために咲き遅れたザゼンソウがけなげに急ぎ花を開くからだろう.
 ザゼンソウが同類のミズバショウに比較してかなり悪条件下に開花するよう進化したのは,他の湿原植物,とりわけ一緒に生えていることが多いミズバショウとの競争を回避したからだろう.回避することで生き延びてきたと言うほうがいいかも知れない.虫媒花にとって競争というのは,具体的には昆虫の獲得競争ということだ.
 尾瀬のザゼンソウが開花する五月の下旬,既に一帯はミズバショウの大群落となっている.五月下旬の尾瀬では,山小屋周辺には下界から移り住んで増えたハエがいるが,その他の昆虫は非常に少ない.そんな条件下では,ザゼンソウの花序が発熱するとか,花序が臭気を発するだとかの昆虫誘因能力を持っていたとしても,ミズバショウ大群落の中では,一つのザゼンソウ個体に昆虫が来てくれる可能性は著しく低いと想像するに難くない.
 他のザゼンソウ群生地では,ミズバショウと開花時期をずらすことで,棲み分けを行ってきたのだろうが,豪雪の尾瀬では,かつて両者が真正面から競争せざるを得なかった.そしてザゼンソウは負けた.尾瀬でザゼンソウが繁殖していないのは,そういうことではないだろうか.
 ミズバショウが競争に強いのは,自家受粉が可能だからである.昆虫が少ない時期でも結実し,個体を増やす.数で他の種を圧倒すれば,虫媒花として本来の繁殖様式が可能となる.
 一方のザゼンソウは自家不和合であるから,昆虫が訪問してくれなければ結実しない.昆虫が少ない雪解け時期の尾瀬でもミズバショウは旺盛に繁殖していくが,ザゼンソウはいつまで経っても増えないのである.これが,尾瀬ではザゼンソウが希少な植物である理由だと思われる.
 ちなみに,ミズバショウにしてもザゼンソウにしても,これを散布する役割は小哺乳類だと思われるが,これについて貴重な調査研究「尾瀬地域の小哺乳類の分布および捕獲率の変動」があるので,リンクを示しておく.(了)
[関連記事;ザゼンソウ補遺 あるいは弱者の戦い]
  
〈この連載記事は以下の通りである〉
ザゼンソウ (一)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-58529a.html
ザゼンソウ (二)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-c44799.html
ザゼンソウ (三)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-ec0a59.html
ザゼンソウ (四)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-95901e.html
ザゼンソウ (五)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-bf99e9.html
ザゼンソウ (六)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-b9fed4.html
ザゼンソウ (七)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-183e34.html
ザゼンソウ (八)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-f235f1.html
ザゼンソウ補遺 あるいは弱者の戦い
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-1264d6.html

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