« まさかのお一人様ディズニー | トップページ | 曲学阿世の売国奴 »

2019年6月 1日 (土)

チャップリンの音楽 (二)

 昨年秋 (十月) に《チャップリンの音楽 (一) 》を書いたのだが,横須賀海軍カレーにまつわる嘘の数々を指摘する記事を連載しているうちに,《チャップリンの音楽 (二) 》をアップするのを忘れてしまった.ヾ(--;)
 で,以下は続き.

『ライムライト』は,他のチャップリン作品と同じく,忘れがたい台詞がちりばめられている.
 例えば,脚がマヒしたと思い込んでいるヒロインのテリーに,カルヴェロ (チャップリン) が語る台詞,《人生に必要なものは勇気と想像力と少々のお金だ 》(Pioneer LDCが出版したDVDの日本語字幕から引用;「少々の」には,引用者によって「少しの」「少しばかりの」「ほんの少しの」などの変化形がある) は,多くの場合,出典を示さずに (カルヴェロの言葉だと誰でも知っていることを前提にしているから) 引用されることの多い言葉だ.つい最近のCМにもあった.このCМスポンサーの事業を《人生に必要なものは…》が実によく説明している.まれに見る傑作CМだと私は思う. 
 それはさておき,映画『ライムライト』には不思議なことがいくつかある.主題歌とされている「エターナリー」のことである.
 Wikipedia【エターナリー】から下に引用する.
 
「エターナリー」(Eternally)は、チャールズ・チャップリン監督・主演による1952年公開の映画『ライムライト』の主題歌。チャップリンの自作曲で、作詞はジェフリー・パーソンズ(英語版)、ジョン・ターナー(英語版)。第45回アカデミー作曲賞を受賞した。「テリーのテーマ」(Terry's Theme )の別称もある。
 
 不思議なことの一つ目.
 この既述に続いて《カバーをした主なアーティスト 》として,チャップリンと交流のあった李香蘭ほか,エンゲルベルト・フンパーディンクなど何人かの歌手がリストアップされている.しかし「カバー」というからには当然,オリジナルの歌手がいるはずだが,それが誰であるかが Wikipedia には書かれていないのである.
 さらにいうと,そもそも映画の中では「エターナリー」は歌われていないのだ.つまり「エターナリー」は,おそらく映画の主題曲 (劇中曲)「テリーのテーマ」に後から歌詞を付けた歌で,映画公開時にはなかったのである.
 現代の私たちの感覚では,そういう歌を映画の「主題歌」と呼ぶのに違和感があるが,ところが実は『モダン・タイムス』(1936年公開) の「スマイル」(1954年発表) も,主題曲に歌詞を後付けして作った主題歌なのである(後述).
 しかも「エターナリー」も「スマイル」も,作詞者はジェフリー・パーソンズとジョン・ターナーの二人であると日本版 Wikipedia に氏名だけが記載されているが,二人の人物像の詳細は不明である.それどころかジェフリー・パーソンズとジョン・ターナーがどのような人物だったかは英語版 Wikipedia にも事典項目自体が存在せず,謎である.
 第二次世界大戦前後の映画では,映画公開後に主題歌が作られることがよく行われたのだろうか.
「スマイル」の場合は,主題曲にあとから歌詞が付けられた「主題歌」を最初に歌ったのがナット・キング・コール (←オリジナル) であることは記録があってはっきりしている.彼がこの曲歌うに至った経緯も知られている.そしてナット・キング・コールのあとで,多くの歌手たちがカバーしたのだ.
 しかし「エターナリー」は,どういう経緯で映画主題曲に後から歌詞が付けられたのか,そしてそれが主題歌とされたのはなぜか,誰の歌唱がオリジナルなのかが不明なのである.
 
 不思議なことの二つ目.
『ライムライト』のオープニングクレジット (英語;ディスクケースのジャケットに邦訳が記載) には,主題曲の作曲者はチャップリンであること,編曲はレイ・ラッシュとチャップリン,指揮はキース・ウイリアムズであると記されているが,Wikipedia【ライムライト】には以下のように記述されている.
 
メインスタッフ
監督:チャールズ・チャップリン
製作:チャールズ・チャップリン
脚本:チャールズ・チャップリン
撮影:カール・ストラス
音楽:チャールズ・チャップリン、ラリー・ラッセル、レイモンド・ラッシュ
 
 たぶん「レイ・ラッシュ」と「レイモンド・ラッシュ」は同一人物で,チャップリンが作ったメロディを譜面に写し,かつ編曲およびオーケストレーションを手伝った人と思われる.
 次に,オープニングクレジットに記載されていない「ラリー・ラッセル」とは誰なのか,詳細がわからない.私の推測だが,『ライムライト』には“テリーのテーマ”以外にも何曲かの器楽曲があるので,その作曲者ではないだろうか.
 
 不思議なことの三つ目.
 オープニングクレジットに「指揮はキース・ウイリアムズ」と記されているのだが,『ライムライト』において「指揮」とは何を指しているのかがよくわからない.
 キース・ウイリアムズはジャズ奏者であり,自分のオーケストラを持っていたらしく,探すと“Keith Williams And His Orchestra”とクレジットがあるジャズの録音盤が見つかる.ただし同姓同名のジャズ奏者がいるので,間違いやすい.
 で,『ライムライト』の一場面で,舞台の下 (オーケストラピット;客席より一段下に沈んでいる ) でオーケストラが演奏している様子が描かれる.ここで指揮棒を振っているのがカメオ出演しているキース・ウイリアムズなのだろうか.あるいは彼は劇中には登場せず,映画音楽の録音の際の指揮者だったのか.それがわからない.
 もちろん,そのようなディテイルを知らなくても『ライムライト』を鑑賞して感動することは可能だ.しかし,映画のメイキングを知ることは,例えばチャップリンがどのような考えで映画を作ったのかを知る材料になる.これは,町田智浩氏の映画批評の方法でもある.最近の映画DVDには,メイキングを記録した特典盤が付いてくることが多いが,それはこのような理由があるからなのである.
 現代映画は,エンディングで長々と数分間にわたってクレジットが流れる.そこには映画の制作に関与したすべての人々の名前と役割が記されている.これがチャップリン時代の映画と,現代の作品の大きな違いなのである.(了)

|

« まさかのお一人様ディズニー | トップページ | 曲学阿世の売国奴 »

続・晴耕雨読」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« まさかのお一人様ディズニー | トップページ | 曲学阿世の売国奴 »