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2019年5月 7日 (火)

本件、隠蔽せよ (一)

 池井戸潤『七つの会議』を読了した.私は,池井戸潤の作品を読んだのは初めてだ.その理由は,いくつもの作品がテレビドラマ化されて圧倒的な人気を博したからである.私は元々が,娯楽番組の三時間スペシャルは平気で観るくせに,一時間の連続テレビドラマを何週間も観続ける気力に欠ける男なので,例の『半沢直樹』や『下町ロケット』『陸王』などが気にはなっていたが結局は録画すらしなかった.(『陸王』は第一回放送を試しに観たのだが,第二回以降を続けては観なかった.キャストがあまり魅力的でなかったからである)
 それがどうして『七つの会議』を買って読んだかというと,この小説が野村萬斎主演で映画化され,今年の初めにて劇場公開されたのだが,そのCМをテレビで見たからである.
 その映画宣伝広告にはある種の作品が持つ訴求力があったので,原作を購入した.そしてそのあとで知ったのだが,既に六年前にNHKで東山紀之主演の同名のテレビドラマ『七つの会議』が全四回にわたって放送されていたのである.(2013年7月13日 - 8月3日)
 このTVドラマはDVDが発売されているが,映画の方はまだのようだ.TVドラマにせよ映画にせよ,単に映像化しただけで原作を忠実になぞるのでは制作する意味があまりない.いい例が松本清張の『砂の器』である.小説『砂の器』は,ハンセン病に関する偏見と患者に対する差別問題を取り上げた社会性を高く評価されるが,映画『砂の器』(脚本;橋本忍,山田洋次:監督;野村芳太郎:1974年) は,原作の社会性を映画音楽 (主人公を現代音楽ではなくクラシックの作曲家に設定を変えたことが特筆される) と,父と子の放浪を描く映像美によって,さらに高い境地に昇華させた.むしろ原作よりも芸術性が高いと評価してよい.このように原作を凌駕する感動を鑑賞者に与えるのでなければ,制作する意味がないのである.野村芳太郎監督作品『砂の器』以降,何度もTVドラマ化されたが,どれも映画化作品はおろか,原作以下の水準に終わった.原作小説の映像化というのは難しいものである.
 その意味では,東山紀之主演のNHKドラマも,野村萬斎主演映画も,ただの直感であるが,期待できるものがある.そして,映像化作品を観るために必要な前提として,池井戸潤『七つの会議』を読んだのである.
 前置きが長くなった.原作の『七つの会議』の書評を始めよう.

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