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2019年5月

2019年5月31日 (金)

まさかのお一人様ディズニー

 爺さん婆さんたちも,昔は若かった.子育ての時期,例えば上の子が中学校で下の子が小学校だなんて頃に,東京ディズニーランドに子供たちを連れて行った思い出のある人は多かろう.

 それが次第に,子供たちは学校の友達と遊びに行くようになり,私たちはTDRと縁遠くなった.
 今の若い人たちにとってミッキーマウスはキティちゃんと同じ着ぐるみジャンルのキャラではないかと思うが,私たち爺婆には両者は全く異なるものだ.ミッキーマウスは映画スターだったのだ.
 私たち団塊の年寄りが初めてミッキーを知ったのはアニメーション映画作品『ファンタジア』だと思う.日本公開は1955年だから,1950年生まれの私は観ていないが,それからずっと後に,日本テレビの高視聴率番組『ディズニーランド』で,太っ腹なスポンサーの三菱電機が『ファンタジア』のダイジェストを放送したのを観た.もちろんこの番組では,初期のモノクロ短編アニメのミッキー映画を何度も再放送した.しかしそれは「ギャグで笑いをとる」タイプのアニメであり,「それを観た少年が爺さんになっても内容を覚えている」といった質の高いアニメではなかった.
 Wikipedia【ファンタジア】に次のように書かれている.
 
製作過程
ウォルト・ディズニーは一連のミッキーマウス映画を製作しつつ、ミッキー映画と全く正反対の、芸術性の高い作品を製作することを願っていた。その手始めとしてSilly Symphony(シリー・シンフォニー)シリーズが誕生した。しかし、ウォルトはこれにも満足せず、さらに自身初の大作「白雪姫」を1937年に世に問うたことにより、かねてから願っていた「芸術性の高い映画」の目標を、完成度が高かった「白雪姫」よりもさらに高いものにすることに決めた。そこで、ウォルトはSilly Symphonyの方向性を多少は維持しながらもより物語性のある音楽作品を作ることにして、その筆頭候補として「魔法使いの弟子」を題材として取り上げることにした。さらにウォルトは、権威付けを狙って著名な指揮者の起用を考え、レオポルド・ストコフスキーを指名した。レストランで意気投合した後、1937年頃から製作を開始した。
 
 ウォルトの意図は果たされた.短編アニメに出てくる真っ黒なネズミではないミッキーを初めて見た日本の子供たちは,『ファンタジア』のミッキーが夢と魔法の国の主人公であることを知ったのである.
 ミッキーマウスの他にもう一人,子供たちをわくわくさせたのは,不定期に放送されたテレビ映画『トム・ソーヤーの冒険』シリーズだった.
 現在,Wikipedia を始め,ネット上を隈なく探しても,このディズニー版『トム・ソーヤーの冒険』に関する資料は見つからない.しかし,このテレビ映画があったればこそ,米国と東京のディズニーランドに「トム・ソーヤ島」が作られたのである.カリフォルニアの元祖ディズニーランドのものはウォルト・ディズニー自身が設計に携わったとされ,おそらくウォルトには,世界中の子供たちに人気のあったマーク・トウェインの原作に対する,自分自身の思い入れがあったのだろうと思われる.
 だが今や,テレビ映画『トム・ソーヤーの冒険』を記憶しているのは高齢者世代だけになった.だから元祖ディズニーランドの「島」は改装されてしまったし,パリのディズニーランドには元から「トム・ソーヤ島」がない.
 私の子どもたちが幼かった三十年近く前から,彼らが成長するまで,我が家では何度も東京ディズニーランドに出かけたが,子供たちと妻がアトラクションを楽しんでいる時に,私はウエスタンランドで少年時代の追憶に浸るのが好きだった.
「モノより思い出」と言ったのは誰であったか.確かに人生の終末期になって,何が大切かといったら,誰にとっても子供時代の思い出が一番だろう.私は,自分自身の少年時代と,私の子どもが小さかった頃のことを思い出したりしているうちに,ウエスタンランドで一日を過ごしてみたくなった.いわゆる「まさかの一人ディズニー」をしてみようと思ったのである.
 ディズニー好きな若者のブログ情報にあたってみると,宿泊は東京ベイ舞浜ホテルクラブリゾートが一人客が多いので,一人ディズニーにオヌヌメなんぞと書いてある.そこでJTBの特設コーナーで宿泊プランを探してみた.すると,スタンダードの部屋一室に大人一人で泊まると四万円~,デラックスなら五万円~だとのこと.若者よ,君たちは結構リッチだなあ.でも一室大人二人宿泊の場合は,一人当たりの宿泊料金はその半額だから,まあリゾートとしてはそこそこリーズナブルだといっていいだろう.つまり東京ベイ舞浜ホテルは,そもそも「まさかの一人ディズニー」は想定していないんじゃなかろうか.
 私ゃよく知らぬが,旅行代理店によって得意な宿泊施設が異なるのではないか.私はいつもは楽天トラベルで予約していて,これまで不満を感じたことはなかったが,今回は楽天トラベルには希望する条件の宿泊プランは見つからず,JTBのサイトで比較的リーズナブルなプランを見つけた.最初の希望日は,天気予報を調べたりしてオタオタしているうちに売り切れてしまったが,第二希望日は予約がとれた.
 というわけで,まさかの一人ティズニーを決行する.w 一日目はランド,二日目はシーで遊び,そのレポートは来週にでも書くつもりである.

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2019年5月27日 (月)

クラシック・レイディオ (三)

 内田悟氏の個人サイト《ラジオ工房》に,《ラジオ少年製 3R-STD 真空管ラジオ 3球受信機の組み立て 》と題した記事があるのだが,これが丸々,原恒夫氏の「ラジオ少年」批判になっている.私は,内田氏の原氏批判はまことにその通りであると思う.内田氏は露骨には書いていないが,「ラジオ少年」の組み立てキットが実際には少年には組み立てできないものである以上,「ラジオ少年」はNPO法人を隠れ蓑にした営利事業者,単なる不親切なキット通販業者だと内田氏は指摘しているのだ.「ラジオ少年」のキットを購入したが組み立てられずに困った消費者が,内尾氏のサイトへ相談を持ち掛けているらしい.内尾氏は,いわば「ラジオ少年」による消費者被害を救済する破目に陥っているわけで,ネット上で公然と名指し批判に踏み切ったのは,よっぽど業腹だったからであろう.
 ま,内尾氏の怒りはよく理解できるのであるが,原氏の「ラジオ少年」が悪質な団体かというと,そうとも言い切れないのではある.というのは,「ラジオ少年」が頒布 (実態は販売) しているラジオのパーツで,真空管回路用IFT (中間周波数トランス) というものがあり,これが新品は世の中を探しても「ラジオ少年」製しかないのである.中古品がオークションで流通しているが,これはほとんどが経年劣化しており,よほどの熟練者でなければ修理して再生利用することができない代物である.つまりラジオ製作初心者は,「ラジオ少年」のIFTを買って使わざるを得ない.従って「ラジオ少年」は,そのIFTがある限り,真空管ラジオ製作趣味の世界での存在意義が揺るがないのだ.
「ラジオ少年」と内尾氏の対立は,私には無関係だとして放っておけばいいかというと,実はそうもいかない.内尾氏の原恒夫氏批判の中で最も厳しいのは,「ラジオ少年」製のトランスが設計不良だとの指摘であるが,実は私は,「ラジオ少年」のチョークトランス (電源回路に使う部品の一つ) を使ったことがあるのだ.その指摘の箇所を,テキストのみ下に引用する.
 
出力トランスは分解してみませんでしたが、噂によると鉄芯の組み方が電源トランスと同じだと言われています。
シングルの出力トランスはB電流が流れるので、直流磁化を防ぐため鉄芯の組み方にギャップを開けるのが常識です。
また200Hのチョークコイルも同様です。
EIの鉄心がそのまま組み立てられ、ギャップがあるのが正常です。
電源トランスの場合、EIが交互に組み合わされ、ギャップができません。
カバーを外せばわかります。
鉄芯を揃えて組み立て、間にパラフイン紙を挟んでギャップを作る。
逆に電源トランスの場合、ギャップは作らない。
分解してみると、噂通りEIのコアが交互に組み込まれています。
この方法は拙いです、直流磁化が防げない出力トランスです。
これが素人が設計したラジオ部品の正体です。
速やかに訂正することを望みます。
 
 書いてある技術的内容は「出力トランス (段間結合用チョークコイルも同じ) はEの形とIの形の鉄心を組み合わせるのだが,その組み合わせ方を間違えると,コイルを流れる直流成分の影響 (直流磁化) で周波数特性が劣化する」ということである.これはたぶん常識だ.
 この箇所の原文で内尾氏は,フォントサイズを大きくしてまで《これが素人が設計したラジオ部品の正体です》と罵っている.こともあろうに日本アマチュア連盟の副会長を名指しで,電気回路の素人だと断じているのだ.ここまでは「ラジオ少年」を「不親切な通販業者だ」程度に批判していたのだが,ここに至ってはもう「悪質な通販業者だ」と言っているに等しい.もはや喧嘩腰である.
 私は電気回路の素人だが,内尾氏の主張が正しいことはわかる.それで,以前「ラジオ」少年から購入したチョークコイルを,信用できる業者の製品に交換しようと結論したのである.秋葉原の春日無線に出かけたのは,それが理由であった.
 
 長々と書いてきたが,実はこれは前フリなのである.これからが本題.
 春日無線で買い物を終えた私は,秋葉原駅に戻り,駅ビルに隣接して部品屋さんが並んだ長屋であるラジオセンターに行った.そしてかなりショックを受けた.ここには,抵抗器とコンデンサの専門店や,スピーカーユニットの専門店や真空管専門店などあったはずだが,軒並みシャッターを降ろして,シャッター商店街と化していたからである.
 特に,海外ブランドのコンデンサを販売していたCR屋さんがなくなっていたのには驚いた.ラジオであれば部品はありきたりのものでいいが,管球アンプの場合は,部品にこだわることが製作する楽しみの大きな要素なのである.多少のストックは持っているが,もうあれやこれやの貴重なパーツは手に入らなくなるのだろうか.だが,もう一軒,その手の高級部品を扱っていた店が東京ラジオデパートの中にあったはず.
 それで私はラジオデパートに足をむけたのだが,そちらも惨状を呈していた.狭い通路でタバコを吸いながら酒をのんでいる店員の前をすり抜けながらエスカレーターで館内の上下を見て回った…しかし昔と同じ佇まいで営業していたのは,キョードー真空管ただ一軒であった.
 駅に隣接するラジオ会館で,若松通商がいまだ健在なのは心強いが,かつて自作派の聖地であった秋葉原電気街は,陥落寸前なのであった.ニュー秋葉原センターの春日無線,ラジオセンターの東栄変成器,東京ラジオデパートのキョードー真空管,そして少し駅から離れてクラシックコンポーネンツとアムトランス.さながらドイツ軍の猛攻の前に,分散孤立しつつ戦う自由フランスのレジスタンス小隊を想起させた.意味わからぬが,そういうことだ.
 しみじみとした思いを胸に帰宅し,廃墟のごとき東京ラジオデパートに残るキョードー真空管のサイトを私は閲覧した.
 するとそこには次のような文言が記されていた.
 
キョードーでは、新旧・真空管をはじめ、真空管アンプ用トランスやその他周辺部品、真空管ラジオ、IFT、コイルなどのラジオ用部品、また、ビンテージオーディオに関する書籍やデータブックなども随時買取をしておりますので、どうぞお気軽にご相談下さい。

 昔に購入した真空管の中から使わないものを売りたい。
 ご家族が残されたものをまとめて処分したい。
 いろいろなものが混在して大量に残っているので手がつけられないままで処分に苦慮している。

 など様々な状況に応じて、なるべく依頼されるお客様が不安のないように順次お客様とご相談をさせていただきながらお話しを進めさせていただきますのでどうぞ、安心してご相談いただければと思います。
 当店のお客様はどなたも真空管のことをよくご存知のいわばベテランの方がほとんどですので お売りいただきました貴重な真空管は また再び真空管を愛情を持ってお使いいただけるマニアの方の手にお渡しすることができます。
 
 どうだろうか.この文章は,故人が残した真空管などのラジオ部品を誠意をもって引き取らせて頂きます,と言っているのだ.
 とりわけ《お客様とご相談をさせていただきながらお話しを進めさせていただきますのでどうぞ、安心してご相談いただければと思います 》には,在りし日のラジオボーイに対する敬意が感じられるではないか.ある日,キョードーを訪れた遺族は,息子が6WC5とか2A3を詰めた箱を持ち,その横に遺影を掲げた老未亡人が立っている.そんな光景が目に浮かぶようだ.
 その日,私がエンディング・ノートにキョードー真空管の連絡先を書き足したことは言うまでもない.

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2019年5月26日 (日)

クラシック・レイディオ (二)

 構想を練っている途中のクラシック・レイディオの部品を調達に,昨日,秋葉原へ出かけてきた.
 まず秋葉原駅の電気街口を出て左に行く秋葉徘徊コースを取った.駅の改札口を出てすぐのところは以前のままだが,そこを左に折れたら,通りの左側にあったファストフーズ店がなくなっていた.その代わり通りの右側に『コメダ謹製「やわらかシロコッペ」秋葉原店』が出店していた.あとで調べたら去年の秋にできた店だった.
 それはいいのだが,この通りが三差路にぶつかる信号の向かい側に磯丸水産があったので驚いた.これも調べたら,できたのは最近の話ではないらしい.いかに私の足が秋葉原から遠ざかっていたということだ.買い物に来たのでなければ,そのまま磯丸に入って昼飲みするところだが,それはやめた.
 磯丸水産の隣がニュー秋葉原センターで,その地下続く階段を降りると「喫茶室ルノアール ニュー秋葉原店」がある.秋葉原にはルノアールが幾店もあって,昭和通りに近い店「Cafeルノアール秋葉原昭和通り口店」はヨドバシカメラで買い物した帰りに立ち寄る.「喫茶室ルノアール秋葉原店」では,ドスパラ本店の周辺で買い物した帰りに一休みする.少しずつ店名を変えているのがおもしろい.
 さて何年か前まで,ニュー秋葉原センターの主は「国際ラジオ」だった.知らない人が見れば廃棄物置き場のような店だったが,これは戦後の秋葉原に誕生した「ジャンク屋」の最後の一軒だった.私も何度かここで買い物をしたことがある.
 しかし五年前に《「国際ラジオ」がひっそりと廃業 》したとのニュースが流れた.
 戦後の電気工作ファンたちは,廃棄物の民生用ラジオや軍需の放出品の中から使えるパーツを集め,同好の士以外には全く意味不明な機械を拵える趣味世界に遊んだ.
『スター・ウォーズ』に惑星タトゥイーンのジャンク屋が出てくる.壊れたロボットや,山賊部族がかっぱらってきた宇宙船の残骸が店に積まれていて,客はそのガラクタの中から自分に必要な物を探して買っていく.あんな風にしてこの国の戦前・戦中生まれの世代は,自分のR2D2を作っていたのである.
 だがその後,みんなが豊かになって,新品の部品を買って見栄えの良い作品を製作する時代がやってきた.かく言う私はその時代に育った.こうして秋葉原の「戦後」が終わったのだったが,国際ラジオは頑として営業を続けた.平日の売上なんか,はほとんどなかったのではないかと思う.若かった私が,たまに休日に店を覗くと,かなり高齢の男性が,私には用途が想像できない金属製の箱,その箱からは線材が何本か飛び出していたが,それを手に取ってしみじみと眺めていたりした.それはもしかすると,通信兵だったその人が満州の戦場で死守した通信機の部品だったかも知れない.
 それからまた時代が過ぎていき,戦前戦中生まれの世代がすべて逝ったあと,とうとう国際ラジオは店を閉めた.私が最後に訪れたのは,その隣にある「春日無線」に,真空管オーディオアンプの電源トランスを特注しに行ったときだったから,国際ラジオ閉店の一年くらい前だった.客は一人もいなかったが,時代遅れのラジオ爺である私は,少年柴田翔もこの場所に立ったことがあるかも知れぬと,少しばかり感傷的になったことを覚えている.
 書き出しからして話が横に逸れた.春日無線には,ラジオの電源に使うチョークコイルを買うためであった.
 
 チョークコイルのことの前にまた話が横に逸れる.
 少し前にヤフオクに手を染めてから,ずっと骨董品のラジオやその部品の出品をウォッチしているのだが,非常に活発に取引が行われているので少々驚いている.これはきっと,仕事から引退した団塊爺さん婆さんたちが売ったり買ったりしているのに違いない.婆さん,と聞いて不審に思う向きがあるかも知れないが,私がラジオ部品を買った相手の一人は女性だった.このジャンルの趣味には女性もいるようなのだ.
 で,ヤフオクで取引されている骨董品のラジオは何に使うかというと,全くのジャンクは分解していわゆる「部品取り」をする.まだ使える部品を取り出して自分で使うのが普通だが,希少品の「お宝」であれば再びオークションに出す目利きの人もいる.この手の転売もヤフオクではよく見かける.
 骨董品ラジオのもう一つの用途は,修繕して再び放送が聴取できるようにすることだ.あまり知られていないが,老人の趣味として確立しているように思う.団塊世代を対象にした書籍も何冊か出版されている.(『定年前から始める 男の自由時間 真空管ラジオ・アンプ作りに挑戦!』,技術評論社;『真空管式スーパーラジオ徹底ガイド』,誠文堂新光社など)
 この趣味の世界で有名人が何人かいるが,『真空管式スーパーラジオ徹底ガイド』の著者である内尾悟氏はその一人だ.氏の個人サイト《ラジオ工房》も有名.
 内尾氏とは別のタイプの有名人に原恒夫氏がいる.この人はNPO法人「ラジオ少年」の代表で,一般社団法人日本アマチュア無線連盟 (JARL) の副会長でもある.「ラジオ少年」の公式サイトには同法人の事業理念が謳われ,真空管式ラジオの組み立てキットや測定器の頒布事業を行っているのだが,理念と事業実態との乖離を指摘する声がある.内田悟氏である.(三に続く)

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2019年5月24日 (金)

早春の思い出

 会社員時代の友人と会って昼飲みをし,色んな昔話をした.「そんなこと,あったっけ?」という話題もあったが,二人ともよく覚えていた話もある.そのうちの一つはずっと以前,今は閉館して久しい個人サイト『江分利万作の生活と意見』の「雑事雑感」に記事 (2002年2月1日付) を書いた.三十年近く昔の話だが,別稿で早春のザゼンソウの話を書いている最中でもあり,懐かしい文章なので再掲する.
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 取り立ててどうということもない出来事なのに,いつまでも覚えている事ってあるものだ.

 もう随分と前の冬のこと.僕は同僚と二人で出張し,上越新幹線を新潟で乗り換え,午後も遅くになった頃,日本海に面した雪国のとある駅で下車した.
 その時の出張の目的は,この駅からタクシーで30分ほどのところにある顧客の工場で,うちの会社の製品を使用した新製品の試作を指導する事だった.仕事は翌日の朝からの予定であったが,真冬のことで不測の交通事情が発生しないとも限らないから前泊することにし,その日の夜はフリーなのだった.
 その駅のある町は一応○○市という名であるが○○郡○○町でもおかしくはない,というかその方が相応しいような田舎町だった.
 出張先の工場の人から,その町を真冬に訪れる人間は滅多にいないから特に宿泊の予約をしなくても大丈夫と聞いていたが,駅を出てその駅周辺でたった一軒の旅館に電話で問い合わせてみると,はたしてその通りだった.
 僕達は部屋に案内されてとりあえず荷物を置き,相談の結果,外へ酒を飲みに行くことにした.なにしろ新潟で,米処で,日本海の魚で地酒なのだというわけだった.
 お茶を運んできてくれたおばさんに夕食は要らない旨を告げて外に出てみるともう薄暗くなっていた.

 その年は暖冬で,駅の周辺にはそれほど雪が積もってはおらず,普通の靴でも歩くのに不自由はなかった.年が明けてから少しずつ陽の落ちるのが遅くなってはいたが,それでも雪国という先入観のせいか,何となくまだ冬の底にあるような日の暮れかただった.

 駅前をぶらついてみると,蕎麦屋の他には焼き鳥屋らしき赤提灯が一軒あるだけのようであったので,僕達はその焼き鳥屋の引き戸を開けた.客は僕達だけだった.
 椅子に腰をかけ,壁に貼ってある品書きを眺めて見ると,焼き鳥と肉ジャガと,つまりはそういう感じの普通の飲み屋であった.店のおやじに酒は何があるのか訊ねると伏見の酒の名が返ってきた.
 地酒は置いていないとのことであったが,地元の酒を有り難がるのは旅行者だけかも知れないなあと思った.

 僕達はレバやらタン塩やらを食ってから早々にその店を出ることにし,おやじに近所にスナックみたいな店はあるかと聞いてみると一軒だけあるという.その店の名と場所を聞き,ごちそうさん,と礼を言って外にでた.
 教えてもらった方向に少し歩いていくと,突然家並みが途切れて町はずれになってしまった.あれれ,と思ったが,よく見るともう少し先の雪だらけの田んぼの中にポツンと看板らしき灯りがある.
 あれだあれだ,と僕達は雪をキシキシと踏んで歩いていった.
 店の扉を開けて中に入ると,その店は五人掛けのカウンターだけの作りで窓はなく,壁際で石油ファンヒーターが盛大に燃えていて暑いくらいだった.
 女性一人でやっている店のようだったが,歳の頃は四十くらいと思われるママと思しきその女性が,何だかびっくりしたような顔で僕達を見て,いらっしゃいませと言った.彼女は,袖がシースルーでグリーンのワンピースを着ていた.冬でも強力暖房だからそれで良いという方針のように思われた.
 型どおりとりあえずビールを頼み,おしぼりで手を拭いているとその女性が「……(お客さん達は東京の人であるか?)」と言った.
 二人とも東京都民ではないが,口を揃えてそうだそうだと答えた.
(この「……」は土地の言葉なのであるが,正確に書けないのでカッコ内にいわゆる共通語にしたものを書く)
 他に客もいないので黙って飲むわけにもいかず,色々と会話をしてみたところ,彼女の名前はユミという名らしかった.僕が彼女に,若いのに一人でお店をやってるなんて大変ですねと言うと,三十二歳だからもう若くはない,と推定年齢四十歳のユミさんは言った.
 三人の会話がうち解けてきた頃,僕達が店に入ってきた時に驚いたような顔をしたわけを聞いてみた.

ユミ「……(お客さん達はいわゆるサラリーマンであるか)」
我々「そうです」
ユミ「……(この店の客でサラリーマンは初めてである)」
我々「はあ?」
ユミ「……(この町にサラリーマンはいないのだ)」

 何だかすごいところに来てしまったようであったが,瓶ビールを二本あけて,次は水割りに変えることにした.ボトルキープの値段を訊ねると格安なので国産ウイスキーを一本出してもらった.
 彼女と話をしていてナルホドと思ったのは,ここらの土地の人達の気持ちとしては上越の山のある方向が「前」で,日本海は背中側なのだという事だった.ユミさんはこの土地の生まれ育ちで,東京には数えるほどしか行ったことがないという.東京は雪がなくっていい所だろうね,とも言った.
 僕達はボトルを半分以上あけて,カラオケで『北国の春』なんかを歌い,それからお勘定をしてもらった.とうとう最後まで次の客は来なかった.ユミさんはカウンターの外に出て,扉を開けて僕達を見送りながら言った.春はまだ先の話だけど,春になったらまた来てね,ボトルはとっておくから.

 二月はまだ冬だけれど,早春の気配がしないでもない.あれから何度も何度も二月が来て,またもうすぐに春がやってくるけれど,あの時のボトルがまだユミさんのお店のボトル棚の隅においてあるような気がする.
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 上の記事を書いたのは2002年だが,同僚と新潟の寂れた町へ出張したのはそれよりまた十年ほど前だった.
 これを読み直して思うのは,もうこの頃から私は,こんな文体で書いていたのだなあということだ.そしてあと十年くらいは,こんな文体で記事を書けたらいいなあと思う.(了)

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2019年5月21日 (火)

ザゼンソウ (八)

 話をザゼンソウに戻す.
 昨日の記事《薔薇ノ花》に私は次のように書いた.(空白行と画像および一部文章を省略)

私たちの国は,四季折々に咲く花に恵まれた.花が咲くのは日常普段のことだから,何が咲いて何が散ったか,気もつかぬうちに四季は過ぎていく.
 北原白秋の大正三年の詩集『白金之独楽』(金尾文淵堂) に「薔薇二曲」がある.(中略)
一 薔薇ノ木ニ
  薔薇ノ花サク。
  ナニゴトノ不思議ナケレド。
二 薔薇ノ花。
  ナニゴトノ不思議ナケレド。
  照リ極マレバ木ヨリコボルル。
  光リコボルル。
 字面だけなら,薔薇の木に薔薇の花が咲くのは当たり前なのだけれど,「ナニゴトノ不思議ナケレド」は,薔薇の花を見た白秋の感動を表現している.何の不思議はないけれど私の心は打ち震えた,と言っているのだ.
 それに,この部分は「薔薇ノ木ニ」がなくても成立する.「薔薇ノ花サク。」だけで白秋の感動は読み手に伝わる.それは,季節巡りて,咲くべき時に花が咲く自然の営みに心驚く詩人の感性である.
 そのことは,第二連に繋がる.時が来れば花は咲き,そして時過ぎれば花は散るのだと詩人は歌ったのである.
 
 季節巡りて,咲くべき時に花が咲く自然の営み.現代の植物生理学の教科書は,花芽の形成に関わる遺伝子や,ホルモンなど細胞内の機序については語ってくれるが,では春夏秋冬それぞれの季節に,それぞれの花が咲くのはなぜなのかは教えてくれない.その秘密は依然として,詩人の言葉のうちにある.
 さて花が咲くことを開花というが,学問的には植物が花芽を付け,花芽が生長して蕾となり,そして私たちの目に見える形で花が開くまでの過程を開花と呼ぶ.花芽は,いずれ花となる芽のことであるが,これは三つの遺伝子の働きによって,葉となる芽から分化したものだ.花芽を構成する苞,萼片,花弁,雄蘂,雌蘂,心皮を花葉と云う.外側から順に葉の性質を失い,それぞれの花に特徴ある形態と機能を発現するようになる.
 園芸植物は元の野生植物から人為的に様々なものが作出されるので,開花の季節も様々であるが,野生植物の多くは特定の季節に花を咲かせる.これは多くの場合,花芽の形成が日長や温度によって決定されるからだ.これは確かめられた事実である.
 それでは,特定の季節に花を咲かせるための花芽が形成されるのはいつ頃か.これについては植物生理学者から園芸家に到る諸分野の人々によって,矛盾した様々な情報がネット上に記載されており,どれが本当なのか私たちにはよく理解できない状態だ.
 あるサイトには,一般の草本の場合は花が咲く一~二ヶ月前に花芽形成が始まっているとみられ,樹木では花の咲く数ヶ月前に花芽が形成される場合が多いと書かれている.また別のサイトでは,半年以上も前だと言う.
 花が一斉に咲いて一斉に散るソメイヨシノは,花芽形成がさぞクリティカルなんだろうと思われるが,ある趣味的な園芸愛好家は,サクラの類を十把一絡げにして
 
桜の花芽分化期は夏の7月〜8月頃で、花後に伸びた短果枝に作られ翌年に開花します
 
と述べている.こんな大雑把なことでいいのかなあと心配になるが….
 一方で日本植物生理学会のサイトでは,Q&Aにこう書かれている.短いからほぼ全文を引用させてもらう.
 
まず質問の「花が咲いた後に葉が出る植物」の場合、いつ花芽を形成しているのか考えてみましょう。当たり前の話ですが、種子から発芽して、先に花をつけて、その後に葉をつける植物はありません。まず葉をだし、花を咲かせ、実を付けてから、葉を落とします(落葉樹の場合)。そして、また葉をつけるというサイクルになります。
サクラの場合も、前年の夏に花芽を形成し、冬には休眠して、翌春に花を咲かせるということをしています。もっとも夏にどういったきっかけでサクラが花芽をつくるのかはよく判っていません。この段階で日長が関係していることも考えられますが、'染井吉野'では6月にすでに花芽の形成は始まっているという報告もありますので、単純な短日植物でないことは確かなようです。また、花芽の分化に温度が関係しているとも考えられますが、詳細な関係は調べられていないようです。ちなみに10月ごろに'染井吉野'が咲く「狂い咲き」という現象がありますが、これはこの時期までに花芽が形成されていた証拠です。「狂い咲き」は花芽が形成された後、きちんと休眠していないときに気温が上昇して咲くのです。なお、きちんと休眠状態になった花芽は冬の低温期に休眠が破れます。休眠が終わった花芽は温度が上昇すれば開花しますので、春になって気温の上昇が南から北上するためにサクラの開花も北上することになります。これが桜前線とよばれているのです。》(文中の下線は,このブログの筆者が付した)
 
 さすがに研究者は違う.不明なことは不明であると,きちんと書いているから,これなら納得できる.しかし,数百本もの桜の並木が一斉に花開くという点で,ソメイヨシノは花芽形成の研究材料として非常に優れていると思われるが,にもかかわらず,花が咲くに至る一連の開花の機序のうちで,花芽が形成される最初のきっかけが「よく判っていない」というのだから,他の植物については推して知るべしだ.ここで「最初のきっかけ」というのは,関与する遺伝子が働き始めるきっかけということだ.
 すぐ上のQ&Aにある「短日植物」という用語があるが,これは説明が要る.Wikipedia【光周性】から下に引用する.
 

動物・植物を問わず、多くの生物で光周性が認められる。動物では渡りや回遊、生殖腺の発達、休眠、毛変わりなど、植物では花芽の形成、塊根・塊茎の形成、落葉、休眠などが光周性によって支配されている。中でも花芽の形成と光周性の関係については最も研究が進んでおり、有名である。
なぜ日長を用いるのか
年周期的に変化する外的要因には、日長のほかに気温があるが、気温は日長に比べて不安定な要因であり、日によってはしばしば一か月前や後の平均気温を示すこともめずらしくない。したがって、気温の変化によって花芽の形成や落葉などの時期が決定されてしまうと、季節はずれの時期に花が咲いたり、葉が落ちたりしてしまうことになりかねない。生物の年周期的な反応は、花芽の形成にしろ生殖腺の発達にしろ、生存上重要なものが多い。
長日植物
一日の日長が一定時間(限界日長)より長くならないと反応が起きないことを長日性といい、花芽の形成が長日性である植物のこと。(正しくは、長日植物とは、連続した暗期が一定時間(限界暗期)より短くなると花芽が形成される植物のことである。) 例としてアブラナ、ホウレンソウ、コムギなどが挙げられる。
短日植物
一日の日長が一定時間(限界日長)より短くならないと反応が起きないことを短日性といい、花芽の形成が短日性である植物のこと。(正しくは、短日植物とは、連続した暗期が一定時間(限界暗期)より長くなると花芽が形成される植物のことである。) 例としてアサガオ、キク、オナモミ、コスモスなどが挙げられる。
中性植物
一日の日長(暗期)と反応が無関係であることを中性といい、花芽の形成が中性である植物を中性植物という。例としてトウモロコシ、キュウリ、トマト、エンドウなどが挙げられる。
 
 ネット上に,ザゼンソウの植物学的な学術資料は,私が調べた限り,ない.わずかに,既に紹介した稲葉靖子氏の研究があるが,これは分子生物学的研究であって,植物学的な範疇の研究ではない.そこで国内に自生しているサゼンソウがいつ咲くのかを調べたら,《全国のザゼンソウの名所》という貴重な資料が見つかった.この資料の作成されたのがいつであるか不明 (かなり古い資料の可能性がある) だが,その資料を見やすく整理したのが下表である.
 
日本のザゼンソウ群落
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栃木県 大田原ザゼン草群生地      2月中旬~3月中旬 (?)
群馬県 菖蒲沢&針山群生地       4月上旬~下旬
群馬県 赤城山中腹           2月中旬~3月下旬
群馬県 草津ザゼンソウ公園       3月上旬~4月下旬
新潟県 原虫野のザゼンソウ       4月上旬~4月下旬
長野県 白馬ざぜん草園         3月下旬~5月上旬
長野県 落倉自然園           4月下旬~5月中旬
長野県 宮の森自然園          3月下旬~4月中旬
長野県 居谷里湿原           3月下旬~4月下旬
長野県 鷹山湿原ザゼンソウ群落     3月下旬~4月上旬
長野県 和田峠・湿原歩道        4月中旬~5月上旬
長野県 有賀峠「ザゼンソウの里公園」  3月下旬~4月中旬
長野県 阿智村寺尾座禅草群生地     3月下旬~4月下旬
長野県 伍和原の平禅草群生地      3月上旬~4月上旬
山梨県 竹森のザゼンソウ群       2月中旬~3月下旬
滋賀県 今津広川座禅草群落       2月下旬から3月
兵庫県 ハチ北高原           3月下旬~4月下旬
芦津渓谷                絶滅危惧状態
 
 日照時間 (正しくは連続した暗期) を感知するセンサーは葉にあるという.多年生植物であるザゼンソウは秋に地上部が枯れるから,その時点で地下部分に花芽が生じているはずだ.ザゼンソウが特殊な植物ではないとすると,花芽は直ちに休眠状態になるが,その後に冬の低温ストレスを受けて休眠が打破され,気温が上昇すると苞と花序が生長を始めることになる.
 上の一覧表で,まだ春にならぬうちから咲き始めるのは,栃木県大田原,赤城山中腹,山梨県竹森の各群生地である.栃木県大田原の群生地については,地元の観光案内サイトの記述では「一月から二月にかけて咲く」としている.おそらくこちらが事実だろうから,上表には?を付しておく.また大田原群生地と赤城山山腹は積雪地帯ではない.山梨県竹森も,ネット上の写真を見た限りでは,それほど積雪がある地帯ではない.大田原群生地では毎年,二万株のザゼンソウのうちの一割,二千株が花をつけるという.これは随分と低い数字のように私には思われるのだが,専門家はどうみるのだろう.
 上に挙げた資料では,上記三ヶ所に少し遅れて,長野県白馬ざぜん草園が開花する.ここは数十万株のザゼンソウがある日本最大の群生地であるという.おそらくザゼンソウの繁殖に好条件を備えたところなのだろう.だとすると,三月下旬から五月上旬というのが,ザゼンソウが咲く本来の時期なのだろうと考えられる.ただし,他の資料によれば,熊の食害のために,ここのザゼンソウは激減したと書かれている.残っている古い写真を見ると,雪解けが進んでから花が咲いており,積雪はあまり多くない地帯のようである.
 一方,咲くのが遅いのは新潟県原虫野,長野県の落倉および和田峠,並びに群馬県の草津および菖蒲沢群生地 (片品村) である.これらは多積雪地帯であり,開花は四月にずれこんでいる.開花が早い栃木県大田原に遅れること三ヶ月である.このことから推察するに,各地で開花時期が異なるのは,気温と共に積雪量が関係しているのではないだろうか.ぶ厚く積もった雪の下では,花芽は大量の雪で冷却されてしまうから,生長開始したばかりの花序が多少の発熱をしたとしても,花を咲かせるまでには至らないのではないか.また,当然だが,たとえ苞が生長して花が咲いても人の目には観察されない.つまり開花時期が遅い群生地というのは「低温条件下で開花の遅れた株が融雪後に咲き,その花が観察される」のだと思われる.
 いよいよ尾瀬 (尾瀬ヶ原,尾瀬沼) のザゼンソウについて考える.少年時代に私は遂に尾瀬でザゼンソウの花を見ることができなかった.当時は尾瀬のザゼンソウについて記した資料自体がなかったが,今はネットが参照できる.しかしそれでも,尾瀬のザゼンソウに関する記事は少ない.またそれらの記事を見ると,現在も尾瀬ではザゼンソウはレアなのだという.目撃できた人は幸運だと書かれている.
 それはなぜなんだろう.私の郷里である群馬県のザゼンソウ群生地を考えてみる.赤城山の頂上は,最高峰黒檜山 (1,828m) とその他の外輪山 (1,500m級) に囲まれたカルデラになっている.このカルデラには覚満淵という小さな湿原があるが,上の資料にある「赤城山中腹」の群生地は赤城山南面に広がる富士見村の村有林のなかにあると書かれているので,覚満淵ではないようだ.だとすると,ここには積雪は滅多にない.冬の寒さもそれほどではない.
 標高はそれとあまり変わらないが,片品村の菖蒲沢と針山の群生地は,雪深い土地である.片品村は,スキー場があり,関東地方では豪雪地帯として知られるが,降水量は西に隣接するみなかみ町よりも少ない.
 さて尾瀬である.尾瀬は片品村の北限部にあるが,峠を南に下ったあたりよりもずっと積雪量は多い.五月になっても雪は融けず,例年の雪解けは五月の下旬である.いわんや各地の群生地でザゼンソウの花が咲く三月,尾瀬一帯はニメートル余の雪に埋もれている.花の目撃情報によると,尾瀬のザゼンソウ開花は五月中旬から下旬にかけてであるとのこと.開花の期間がこんなに短いのは,雪のために咲き遅れたザゼンソウがけなげに急ぎ花を開くからだろう.
 ザゼンソウが同類のミズバショウに比較してかなり悪条件下に開花するよう進化したのは,他の湿原植物,とりわけ一緒に生えていることが多いミズバショウとの競争を回避したからだろう.回避することで生き延びてきたと言うほうがいいかも知れない.虫媒花にとって競争というのは,具体的には昆虫の獲得競争ということだ.
 尾瀬のザゼンソウが開花する五月の下旬,既に一帯はミズバショウの大群落となっている.五月下旬の尾瀬では,山小屋周辺には下界から移り住んで増えたハエがいるが,その他の昆虫は非常に少ない.そんな条件下では,ザゼンソウの花序が発熱するとか,花序が臭気を発するだとかの昆虫誘因能力を持っていたとしても,ミズバショウ大群落の中では,一つのザゼンソウ個体に昆虫が来てくれる可能性は著しく低いと想像するに難くない.
 他のザゼンソウ群生地では,ミズバショウと開花時期をずらすことで,棲み分けを行ってきたのだろうが,豪雪の尾瀬では,かつて両者が真正面から競争せざるを得なかった.そしてザゼンソウは負けた.尾瀬でザゼンソウが繁殖していないのは,そういうことではないだろうか.
 ミズバショウが競争に強いのは,自家受粉が可能だからである.昆虫が少ない時期でも結実し,個体を増やす.数で他の種を圧倒すれば,虫媒花として本来の繁殖様式が可能となる.
 一方のザゼンソウは自家不和合であるから,昆虫が訪問してくれなければ結実しない.昆虫が少ない雪解け時期の尾瀬でもミズバショウは旺盛に繁殖していくが,ザゼンソウはいつまで経っても増えないのである.これが,尾瀬ではザゼンソウが希少な植物である理由だと思われる.
 ちなみに,ミズバショウにしてもザゼンソウにしても,これを散布する役割は小哺乳類だと思われるが,これについて貴重な調査研究「尾瀬地域の小哺乳類の分布および捕獲率の変動」があるので,リンクを示しておく.(了)
[関連記事;ザゼンソウ補遺 あるいは弱者の戦い]
  
〈この連載記事は以下の通りである〉
ザゼンソウ (一)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-58529a.html
ザゼンソウ (二)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-c44799.html
ザゼンソウ (三)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-ec0a59.html
ザゼンソウ (四)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-95901e.html
ザゼンソウ (五)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-bf99e9.html
ザゼンソウ (六)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-b9fed4.html
ザゼンソウ (七)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-183e34.html
ザゼンソウ (八)
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/05/post-f235f1.html
ザゼンソウ補遺 あるいは弱者の戦い
http://mreveryman.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-1264d6.html

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2019年5月20日 (月)

薔薇ノ花

 私たちの国は,四季折々に咲く花に恵まれた.花が咲くのは日常普段のことだから,何が咲いて何が散ったか,気もつかぬうちに四季は過ぎていく.
 
 北原白秋の大正三年の詩集『白金之独楽』(金尾文淵堂) に「薔薇二曲」がある.
 青空文庫には入っていないようだが,国立国会図書館デジタルコレクションに収載され,原著は保護期間満了であるとして公開されている.同詩集の五十四ページと次ページにある「薔薇二曲」を下に引用する.原詩はもちろん縦書きである.

一 薔薇ノ木ニ
  薔薇ノ花サク。
  ナニゴトノ不思議ナケレド。
 
二 薔薇ノ花。
  ナニゴトノ不思議ナケレド。
  照リ極マレバ木ヨリコボルル。
  光リコボルル。
20190520b  
(画像は国立国会図書館デジタルコレクションから引用) 

 字面だけなら,薔薇の木に薔薇の花が咲くのは当たり前なのだけれど,「ナニゴトノ不思議ナケレド」は,薔薇の花を見た白秋の感動を表現している.何の不思議はないけれど私の心は打ち震えた,と言っているのだ.
 それに,この部分は「薔薇ノ木ニ」がなくても成立する.「薔薇ノ花サク。」だけで白秋の感動は読み手に伝わる.それは,季節巡りて,咲くべき時に花が咲く自然の営みに心驚く詩人の感性である.
 そのことは,第二連に繋がる.時が来れば花は咲き,そして時過ぎれば花は散るのだと詩人は歌ったのである.
 
 さて徒然にネットを彷徨していたら,《国語の先生のブログ 》と題したブログがあった.ブログタイトルのキャプションに,

Lan-Lan教育研究所を開設いたしました。
教育の新しい形をめざして、情報、意見を発信してまいります。
また、プロ国語教師として、国語教育についても語りたいと思います
 
とある.
「プロ国語教師」とは何か.この文脈からすると「アマチュア国語教師」と対語を成すと思われるが,それでは両者の違いは何か.広く通用しているわけではない言葉を何の説明もなく用いる「国語教師」が仮にいるとして,それは本当に教師に値する人物なのだろうか.
 ま,それはさておいて,そのブログ記事から下に一部を引用する.テキストの下の画像は,リンク切れに備えて,ブラウザ画面をコピーしたものである.
 
北原白秋の作品にこんな詩があります。
 
 一 薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲ク
   ナニゴトノ不思議ナケレド
 
 二 薔薇ノ花ナニゴトノ不思議ナケレド
   照リ極マレド木ヨリコボルル
   光リコボルル
 
         北原白秋 「薔薇二曲」『白金ノ独楽』
 Photo_20191116225701
 
国語の先生のブログ 》の筆者は,間違いなく白秋の「薔薇二曲」を読んでいない.
 なぜなら,この人 (女性) は,原詩にはある句点を,引用文中では書き落としている.
 次に,原詩の改行位置を勝手に改竄している.常識として,元の詩の改行位置を変えてはいけない.
 挙句の果ては「照リ極マレ」を《照リ極マレ》に改竄している.これでは意味が違ってしまう.
 余りの酷さに呆れて,記事の続きを読んだら,

私が理事を務める「社団法人日本Webライティング協会」授与の資格。お勧めです。
 
と書いてある.なーんだ.「教師」を自称するからには学校の先生かと思ったら,「国語」を金儲けのタネにしている人だった.
 その程度の人じゃあ,白秋の詩をズタズタにしても平気なのは当たり前で,なるほどね,と腑に落ちた.
 
 続いて白秋の「薔薇二曲」の改竄について調べてみたら,《きらびやかでもないけれど 》(2019/7/31時点でリンク切れを確認した) というブログも《照リ極マレ》としていることがわかった.きっと《国語の先生のブログ 》は,《きらびやかでもないけれど 》からコピペしたのだろう.そういう人物がやっている団体「社団法人日本Webライティング協会の授与する資格は,持っているのが恥ずかしい資格に違いない.

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2019年5月18日 (土)

昼めし旅

 今年の二月だったと思うが,ネット上のニュースで「これまで確定申告にはマイナンバー通知カードを提示すればよかったが,マイナンバーカードの普及を促進するために,来年の確定申告から,マイナンバー通知カードではなく,マイナンバーカードを提示することが必要との方向で政府は検討を進めている」との報道がなされた.
 今その情報ソースを探しているのだが,見つからない.記録しておけばよかったと反省している.
 というのは,私はこれまで確定申告の際に,通知カードの提示で済ませてきたのだが,「いよいよマイナンバーカードを作らねばいけないのか」と観念して,カード取得を申請したのである.
 ところがその後,一向にその続報がない.これは国民をミスリードするためのガセネタだった可能性が高い.つい先日 (5/10),「デジタルファースト法案」が衆院本会議で与党などの賛成多数で可決され参院に送付されたが,むしろ調べてみると,マイナンバーカードは今後も普及しないだろうとするレポートがぽつぽつ現れている.
 現在,マイナンバーカード普及率は今年の三月で,わずかに12.8%に過ぎない.普及が望めないとして既に廃止され,新規発行が停止された住基カードと同レベルの普及率である.これでは何のためにシステム開発に巨費を投じたかわからぬ事態になっている.そこで東京新聞は,マイナンバーカード制度が行き詰まる可能性もあると指摘している.

マイナンバーカード普及率12.8%止まり 来年から更新時期 》(2019年3月18日 東京新聞朝刊)
 
 この記事に次のことが書かれている.
 
昨年秋の内閣府の世論調査では、53・0%が「カードを取得する予定がない」と回答。うち26・9%が取得しない理由を「個人情報の漏えいが心配」と答えており、不信感は根強い。
 
 この引用文中の《個人情報の漏えいが心配 》とあるのは言葉のアヤで,ここで言う個人情報とは収入と金融資産のことである.マイナンバーカードを持ちたくないとする国民は,マイナンバーカードのそもそもその目的であるところの,全国民に広く課税することに拒否感を持っているのである.
 日本国民の過半を占める勤労者 (給与所得者) 層は,マイナンバーカードを持たなくても何の痛痒もない.政府はマイナンバーカードの利便性をテレビでしきりに宣伝しているが,普通の勤労者は,税務署に完全に収入を捕捉されているから,この国民階層には,マイナンバーカードを普及させる意味がないのである.行政サービスを受ける際の利便性がどうのこうのと政府は言うが,運転免許証と健康保険証があれば生活に全く困らない.だから,失うものを何も持たぬ大半の勤労者国民はマイナンバーカードに無関心だ.
 マイナンバーカードに《個人情報の漏えいが心配 》と不信感を持っているのは,収入や金融資産を税務署に捕捉されては困る富裕な国民階層である.それはどのような人々か.
 
 テレビ東京の人気番組『昼めし旅』は,タレントや局のADなどのレポーターが,一般人の食事を拝見するという番組である.
 大半の場合は,レポーターが農村あるいは漁村を歩きながら,畑や漁港で働いている人にインタビューをして「あなたの御飯を見せてください」とノー・アポで頼み込む.都市部で勤労者層の人にインタビューすることは,まずないが,自営業の人たちにはインタビューすることがある.
 それで「いいよ」と承諾してくれた農家や漁師の人の自宅をレポーターが訪問するのだが,これがほとんどの場合,大豪邸なのである.番組レポーターが「すごい豪華なおウチですねー」と驚くと,農家の人は「田舎はみんなこんなもんだー」と事も無げに答える.
 外観こそ普通の瓦葺き日本家屋の農家であっても,玄関を上がると,リフォーム済みの近代住宅だ.システムキッチンを備えた台所だけで六畳あったりして,これに広いダイニングルームが付く.都会なら会社役員のお宅みたいな様子である.
 というわけで,この番組を観ていると,日本の税制に関して,古くはクロヨン,その後はトーゴーサン呼ばれた言葉を思い出さざるを得ない.本来課税対象とされるべき所得の内,税務署がどの程度の割合を把握しているかを示す数値を捕捉率というが,クロヨンとトーゴーサンは次のように書かれている.
 
勤労者が手にする所得の内、課税の対象となるのは必要経費を除いた残額である。本来課税対象とされるべき所得の内、税務署がどの程度の割合を把握しているかを示す数値を捕捉率と呼ぶ。この捕捉率は業種によって異なり、給与所得者は約9割、自営業者は約6割、農業、林業、水産業従事者は約4割であると言われる。このことを指して「クロヨン」と称する。
捕捉率の業種間格差は「9対6対4」に留まらないとの考え方から「トーゴーサン」という語も生まれた。即ち、捕捉率を給与所得者約10割、自営業者約5割、農林水産業者約3割にそれぞれ修正した呼称である。

 大抵の都市部勤労者は,一生働いても,一億円以上の資産を蓄財できる人はホンの一握りだ.だが私の住む陋屋の周辺には,まるで『昼めし旅』に出てくるような農家の豪邸がたくさんある.彼らは地元の祭りにポンと信じがたいような寄付金をだす.以前,氏神様の例祭に使う子供神輿を作るからといって寄付の要請が町内会経由できたとき,農家の皆さんは一戸あたり,現金で若い会社員の年収ほどの寄付をした.
 その時に思ったのだが,現代日本での勝者は農業と漁業の従事者である.彼らの豪邸は,給与所得者たちの血税で贖われている.
 彼らは戸数が減った (言い換えれば,富裕になれなかった人々は離農したのであろう) とはいえ,今でも地方の保守政治家の有力な支持者である.従って,いくら国税当局がマイナンバーカードを普及させようとしても,立法サイドがそれを押しとどめる.国民すべてに公平な課税の理念は,夢のまた夢だ.私の推測だが,マイナンバーカードは,住基カードと同じ運命を辿るだろう.

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2019年5月17日 (金)

天は二物を与えり

 昨日放送されたTBS系列全国ネット/MBSの特番『プレバト!! 3時間SP』はよかった.この番組は長く視聴しているが,録画を二度も再生して観たのは,今回が初めてである.
 何がよかったか.いつもの夏井先生による芸能タレントたちの俳句の才能査定は,前にも書いたがこれは大喜利みたいなもので,一種のお笑い番組である.生け花と料理の盛り付けも,エンタメ路線だ.しかし水彩画 (査定は野村重存先生担当),消しゴムはんこ(田口奈津子先生担当) は,素人芸の域を超える腕前を,芸能人の皆さんが披露してくれるので,私はもうテレビ画面を観て感嘆しているのみである.
 そこへもってきて今回は,楽器演奏の才能を査定するというのだから,おもしろくなかろうはずがない.他の企画と異なって,楽器演奏の才能査定は,若い人の言葉でいう「ガチ」である.出場者の受けるプレッシャーはかなりのものだったろうと想像に難くない.
 最初に登場した小倉優子さんはフルートでG.ビゼー『アルルの女』,元AKB48の松井咲子さんはピアノでピアノ協奏曲第五番『皇帝』,女優の黒坂真美さんはバイオリンでジュール・マスネ『タイスの瞑想曲』,立川志らくはハーモニカでレモ・ジャゾット『アルビーノのアダージョ』を演奏した.オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団,指揮は三ツ橋敬子さんである.
 最初の演奏は小倉優子さん.このきゃしゃな人が,演奏の前半は不出来だったが後半は持ち直して,見事「才能あり」の評価を獲得した.続く松井咲子さんには驚いた.音楽大学卒とはいえ,アイドルとして多忙な日々を過ごしてきた人が,三ツ橋さんの評価もオケの皆さんの評価も高く,テレビのこちら側として,このお二人には,天は二物を与えたり,と驚くしかない.
 残念だったのは,黒坂真美さん.素人目にも間違いなく緊張に負けていらっしゃって,著しく音程が不安定だった.査定は「才能なし」だったが,これは御気の毒だった.
 残る立川志らくは,そもそもクラシックの演奏は無理だったようで,まるで演奏になっていなかった.初めてだったのではなかろうか.
 今回の楽器演奏の才能査定は,芸人だとかそこら辺の人間を集めて来ればいい俳句の才能査定とは違うから,半年に一度の特番が制作できればいい方だろう.しかし,もう一度この企画を観てみたいものだ.オケの指揮はもちろんキュートな美女,三ツ橋敬子さんに決まりである.
 

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2019年5月16日 (木)

自然科学書はやはり最近の書籍がよろしいかと…

 別稿のザゼンソウに関する記事はまだ未完だが,動物でも植物でも細胞が熱を産生するのはミトコンドリアの機能だ.私はもう来年には齢七十であり,ミトコンドリアがどうのこうのという基礎的な科学の勉強から遠ざかって久しい.ザゼンソウの記事を書きながら思ったのだが,忘れてしまったことが多いから,また少し勉強し直してみようという殊勝な考えを持つに至った.
 ミトコンドリアについて書かれているネット上の資料をいくつか読んだら,参考図書として『ミトコンドリアが進化を決めた』(みすず書房) を挙げている大学の現役研究者がいた.定価4,104円 (本体価格3,800円) という少々お高い本である.それで古書を買うことにしてAmazonを検索すると,配送料込で3,296円で評価「中古品 - 非常に良い」の出品が見つかった.早速注文して,それが昨日届いた.
 梱包を解き,本を手に取って「オヤ?」と私は思った.「中古品 - 非常に良い」というより,これは読んだ形跡がないのである.みすず書房宛の読者カードはもちろん,書店の注文伝票までが挟まれているではないか.
 
20190516a
 
 不思議に思いつつ読み始めたら,まだ本論に入る前の「序 ミトコンドリア ― 世界を操る陰の支配者」の,一ページ目の終わりから,次のような記述があった.
 
《… ミトコンドリア遺伝子は母系の姓ののような役目を果たし、そのおかげで、征服王ウィリアムや、ノアや、ムハンマド (マホメット) まで父系の出自をたどろうとするように、母系の祖先をたどれるわけである。最近ではこうした考えの一部に異論も出ているが、おおかたこの見解は有効となっている。もちろん、これを利用すると、われわれの祖先がわかるばかりか、どれがわれわれの祖先でないのかも明らかになる。ミトコンドリア遺伝子を分析した結果によれば、ネアンデルタール人は現代のホモ・サピエンスと交雑しておらず、ヨーロッパの縁 (ルビは「へり」) で絶滅に追い込まれてしまったのである。
 
 ここまで読んで私はガックリとうな垂れた.なぜなら,今からもう十年近くも前 (2010年) に,ネアンデルタール人と現生人類は交雑していたらしいとのことが,DNA分析の結果で認められたからである.(Wikipedia【ネアンデルタール人】)
『ミトコンドリアが進化を決めた』の奥付をみると,2007年に第一刷が出版されていた.そのたった三年後に,著者が書いた《ミトコンドリア遺伝子を分析した結果によれば、ネアンデルタール人は現代のホモ・サピエンスと交雑しておらず、ヨーロッパの縁で絶滅に追い込まれてしまったのである 》はひっくり返ってしまったのだ.これからこの書物で説かれるだろうミトコンドリア遺伝子の分析の信憑性に,疑問が生じたわけである.
 こうなると,『ミトコンドリアが進化を決めた』は内容が古いから,「これは正しい」「これは「誤り」と,書かれていることの正誤を一つ一つ判断しながら読まなければいけないことになる.しかし,それは最新の論文誌に目を通している現役の研究者でなければ無理な相談である.つまり私のような門外漢は,最新の出版物を買って読むべきだったのである.
 ところで,私が購入した『ミトコンドリアが進化を決めた』は読まれた形跡がないと上に書いたが,もしかすると,この本を古本屋に売った人も「序」のネアンデルタール人の交雑の箇所を読んでガックリし,それ以上は読まずに売り払った可能性が高い.w
 さて私はどうするか.読者カードと注文伝票を挟み込んで再度売るか,あるいは書かれていることを他の資料にあたりつつ慎重に読んでみるか,いま思案中である.

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2019年5月14日 (火)

本件、隠蔽せよ (三) /工事中

「東京建電」が犯した企業犯罪をかい摘んで説明する.

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2019年5月13日 (月)

三角おむすび

 先週放送の『チコちゃんに叱られる!』で,例のインチキな「食文化史研究家」の永山久夫が,例によって例の如く,支離滅裂な「独自研究」を開陳した.
 この日の放送の最初の出題は,お握りが三角なのはなぜか,というものだった.そしてこのチコちゃんの質問に対する解説をしたのが,嘘デタラメを平気で放言する永山だった.まず永山は,お握りは弥生時代からあったと主張した.それが下の画像 (テレビ画面をカメラ撮影したもの) である.永山は昭和六十二年に石川県中能登町で発見された「杉谷チャノバタケ遺跡」から出土した炭化した飯の塊が,最古のお握りだと言うのだ.
 
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 確かに,この炭化物が発掘された当初は,日本最古のお握りだとして報道され,地元では町おこしのようにして盛り上がった.ところがよく調べてみると,これはお握りではなく,呪術に用いられたもので,餅米を粽 (ちまき) 状に包んで蒸してから,さらに焼いたものだと判明した.そのため現在は,学術的には「粽状炭化米塊」と呼ばれている.この出土品についての石川県埋蔵文化財センターのコンテンツから,下に引用する.
 
ご紹介する「チマキ状炭化米塊」は、1987年 (昭和62年) 11月22日、鹿島郡中能登町 (旧鹿西町) に所在する杉谷チャ ノバタケ遺跡から、弥生時代中期 (約2,000年前) の竪穴建物 (住居跡) の壁際より単独で出土したものです。底辺が約5.0㎝、他の二辺が約8.5及び8.0㎝の平面略二等辺三角形を呈する炭化米塊 (厚さ約3.5㎝) は、加工・調理されたものとしては日本最古の出土品として、翌月 (22日) の報道発表以来、「日本最古のおにぎり」(の化石:生物の痕跡を指すという広い意味では、確かに本品はイネの化石 とはいえるのかもしれません) として話題を集め、地元においても町おこしの各種イベント等が開催されてきました。米粒の解析結果により、短粒・極小粒の日本型を呈する水稲品種の晩稲の糯米 (もちごめ) で、おそらく蒸されたのち焼かれたものとされ、形状等からも、炊かれて握られた握り飯 (=おにぎり) というよりは、包まれて蒸された (あるいは煮られた) ものに近いという意味で、チマキ (粽) 状炭化米塊とされたものです。 建物の壁際からの単独出土であることや粽の民俗事例などから、本品については、食用というよりは魔除け等呪的な用途が想定されますが、食べられるものであることに変わりはなく、食に関する体験講座等を支える重要な「証人」ともなっています。》(文字の着色はこのブログの筆者が行った)
 
 中能登町は「おにぎりの里」を自称して町おこしに取り組み,地元の諸々の観光案内系サイトも,いまだにこの出土品を「最古のお握り」として町を応援しているが,学術的にはもう決着がついたことで,この出土品はお握りではなく粽なのだ.町おこしの材料にしたい地元の気持ちは理解できるが,そろそろ諦めたほうがいいのではないだろうか.そして自称「食文化史研究家」の永山久夫は,公共放送でテキトーなことを言うでないと非難されるべきであるが,永山の放言はとどまるところを知らない.何としてでも粽状炭化米塊がお握りだと言い張る永山は,これは粽ではなく,三角お握りの先端が尖ったものだと主張する.
 
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 この出土した炭化米塊が「お握り」であることの説明として永山は,ここら辺へんから独自の境地に立って御託宣を宣う.考古学の専門家が粽であるとした形を,いや違う,これは神のおわします山を象ったものである,とする.何となればお握りは神饌だからであるという.(下の三枚の画像)
 
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 次に永山は,神饌としてのお握りは三角形だったが,人々が口にした食べ物のお握りは三角形ではなかったと述べた.(下の二枚の画像)
 
20190514h
 
20190514i
 
 そしてここから突如,永山の支離滅裂な妄想が爆発する.神饌の三角お握りは何処かに行ってしまい,昔のお握りは丸かったという話になる.粽状炭化米塊はお握りだったとする主張を忘れてしまったかのようである.
 そして古来,お握りは丸かったとする根拠に源氏物語を持ち出した.
 
20190514j
 
 番組の画面では全く説明がなかったが,下の画面で「屯食」と書かれているのが,お握りだという.書物を引用するなら,最低でも書物の名称くらいは示さねばならぬが,永山にはそんな常識はない.下の画像の書籍は書誌事項が不明だが,現代語訳だ.読み取りにくいが,潤一郎訳と表紙に書かれているから,三つある谷崎源氏のうちの最初に刊行されたものだろう.谷崎源氏には同じテキストでも普及版やら愛蔵版などがあり,私はこの表紙の本を見たことがないので,どれであるかはわからない.ただし出版社は中央公論社で,国会図書館の蔵書だ.この現代語訳では,屯食は現代語に訳さず,屯食のままにしている.
 
20190514k
 
 しかし,この引用箇所は比較的よく知られたところであり,源氏物語の読者には「源氏物語 桐壺 第六段 源氏元服」であるとわかる.
 そこで下に,源氏物語の原文と,与謝野晶子による現代語訳を示す.

[原文]
 その日の御前の折櫃物 籠物など  右大弁なむ承りて仕うまつらせける 屯食 禄の唐櫃どもなど ところせきまで 春宮の御元服の折にも数まされり なかなか限りもなくいかめしうなむ

[与謝野晶子訳]
 この日の御饗宴の席の折り詰めのお料理、籠詰めの菓子などは皆右大弁が御命令によって作った物であった。一般の官吏に賜う弁当の数、一般に下賜される絹を入れた箱の多かったことは、東宮の御元服の時以上であった。
 
 実は永山久夫の学歴はよくわかっていない.もしかするとそのためかも知れないが,古典文学を読む基本姿勢ができていないようなのである.というのは,屯食が現代のお握りを意味するようになったのは江戸時代なのだ.これは我が国の食文化の常識である.食文化に関する常識がない「食文化史研究家」の永山は,高校生がそうするように,古語辞典を調べてみるべきであったのだ.すなわち平安時代の屯食は,酒食一般,あるいはそれを盛った台のことである.無知無学の永山は,江戸時代の屯食はお握りだから,平安時代もお握りだったと思い込んだのである.今なら大学入試に失敗するに違いない.
 源氏物語の現代語訳はいくつもあるが,与謝野晶子は屯食を「弁当」としている.さすがにこれは,なかなかこなれた訳文である.源氏の元服の祝いの席で,唐櫃と一緒にお握りが並べられているはずがないではないか.絹を収めた唐櫃と,食べ物を詰めた引出物の弁当箱が所狭しと並べられたのである.もちろん弁当箱に詰められたのは,質素なお握りなんかではなく,山海の御馳走であったに相違ない.
 この点について昨年,同志社女子大学の吉海直人先生 (日本語日本文学科教授) が《「おにぎり」と「おむすび」の違い 》と題したエッセイを同大学のサイトに載せておられる.その一部を下に引用する.
 
なおここにあげられている「屯食」は、平安時代から用いられている古い言葉ですが、既に意味が違っています。もともとは酒食のこと、あるいは酒食を載せた台のことだったのですが、江戸時代には公家社会において「握り飯」の意味で用いられるようになっているようです。そのことは『松屋筆記』の「屯食」項に、「公家にては今もにぎりめしをドンジキといへり」とあることからも察せられます。
 
 永山の高校生以下の思い込みは,江戸時代の有名な『守貞漫稿』の「握飯」項に「にぎりめし古はとんじきと云 屯食也 今俗或むすびと云 本女詞也」とあるのを読み齧ったからであろう.だがこれは,永山の無教養だけを指摘すればいいというわけではない.Wikipedia【おにぎり】も,次のように同じ間違いをしでかしている.
 
おにぎりの直接の起源は、平安時代の「屯食」(とんじき) という食べ物だと考えられている。この頃の「屯食」は大型の楕円形 (1合半) で、使われているのは蒸したもち米であった。「屯食」が意味するものは時代によって異なり、江戸時代に入ると公家社会では現在のおにぎりのことを「屯食」と呼ぶようになった。
 
 上の引用の前半が間違いである.平安時代には,台の上に蒸した餅米を盛ったものを屯食と呼んだが,屯食はそれに限定されるものではなかった.吉海先生がお書きになっているように,食べ物一般を屯食といったのである.そしてその平安時代の屯食,一合半ものおこわを台に盛ったものは,手にもって食べられる現代のお握りとは無関係である.いずれにせよ,弥生時代にお握りが存在したという証拠はなく,また平安時代の屯食はお握りではなかった.『チコちゃんに叱られる』で永山久夫がしゃべったことは大嘘なのである.
 
 以上のことだけなら永山は視聴者を騙せたかも知れないが,再び永山の説は暴走を始めた.
 永山は,ここまでの説明で《実は三角形だったのは神様にお供えするおにぎりだけ 》《人々が日常的に食べていたのはより簡単に作れる丸いものが多かった 》としていたが,江戸時代になると《三角おにぎりも日常的に食べるように》なったと述べた.(下の漫画中の赤い矢印は,このブログの筆者が描き入れた;実は私はこの漫画は初見であるため,出典を示せないのが残念である)
 
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 視聴者は,この漫画と永山の説明を聞いて,江戸時代には三角形のお握りが庶民に食べられるようになったのだと思うだろう.
 ところが永山の解説はアクロバット的に急転する.
 江戸時代には三角お握りが日常的にたべられるようになったと言ったすぐあとで,永山が子供の頃,三角お握りはなかったと前言を翻したのだ.なんだそりゃ,である.
 
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 そして,三角お握りが普通になったのはコンビニの影響だと語った.
 
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 下の写真で《思うんですよ》などと言っているが,そういうのを独自研究というのだ.思うのではなく,コンビニ本部に取材に行けと言いたい.
 
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 下の写真で,コンビニが三角形お握りを販売したので《全国的におにぎり=三角形に変化 》と永山は言うが,そんなことはない.今でもコンビニでは,丸い形のお握りが販売されている.中に具を入れて海苔で巻いたお握りを作る製造ラインでは,コンビニにお握りを供給している業界で普及しているお握り成型機の,米飯を充填する型が三角形なのである.フィルムのあいだに海苔を挟んでおいて,食べる時に海苔を巻くタイプのお握りは,三角形に成形するのが都合がいいのである.これについては,お握りの包装に関する技術史をネットで調べると大変に面白いので,関心ある向きはどうぞ検索して頂きたい.
 一方,赤飯とか鶏飯とか,あるいは刻んだ野沢菜を混ぜこんだものとか,要するに海苔で巻かないお握りは丸い形のものが多い.海苔を巻かないタイプのお握りは,成型機の型を交換して自由な形に成形できるのだ.永山はお握りの自動成型の製造ラインを見たことがないのだろう.
 また,現在の主要なコンビニは1970年代に実験店や一号店を出店し,1980年代に店舗数が拡大したのだが,それ以前,私の大学生時代に,立ち食い蕎麦屋やスーパーの食品売り場でお握りが売られていた.東京ではそれらのお握りはすべて三角形であった.三角お握りは,コンビニが普及させたわけではない.お握りの形には地方性があり,関東,特に東京では,コンビニの出店が増えるずっと前から,お握りは三角形だったのである.永山は,自分の母親が作ったお握りが丸かったからというだけの理由で,三角お握りを普及させたのはコンビニだと言うが,世間が狭すぎる.この爺さんは,その歳になるまで一体全体,世の中のどこを見てきたのか.
 ちなみに,私が中学生だった頃,三角のお握りを上手に作れない人のために,木製のお握りの型枠があった.これに飯を詰めてから抜き取ると,今のコンビニお握りのような三角お握りができる.それから,ちょっと角ばったところを丸みをつけるように軽く握れば,きれいな形のお握りができるという次第.やがて木製の型枠はプラスティック製に取って代わられた.合成樹脂製の型は,抜き取っただけでフンワリと丸みを帯びているので,手で形を整えることが不要で,大変に便利なものだ.これが画像の一覧
 
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 下の写真では,まるで丸い形のお握りはコンビニで販売されていないとでも言いたいようだ.丸いお握りが運搬や陳列の際に安定せず不都合があるなどとは,食品業界にいた私には初耳である.不都合があるなら,もうとっくにお握りは三角形だけになっているはずで,永山はここでも,取材せずに妄想で語っているのだ.
 
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『チコちゃんに叱られる!』に永山久夫がたびたび出演するが,いい加減にNHKは公共放送であることを自覚し,このような嘘吐き爺さんを登場させないで欲しい.幼い視聴者が多いこの番組で永山に解説をさせるのは,嘘を吐いてギャラをもらう生き方を見せることになり,児童教育的に大きな問題である.

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2019年5月10日 (金)

本件、隠蔽せよ (二)

『七つの会議』について所見を書く.この小説は謎解きミステリーではないし,結末にいささか問題があるのを指摘しなければいけないから,ストーリーのネタバレのようなこともどんどん書いていく.
 今から十年以上も昔のことだが,食品業界の不祥事が連日のように報道された時代があった.悪質な産地偽装ならばともかく,小さな会社の表示の誤りまでもが偽装だと指摘されて新聞に叩かれた.その新聞やテレビは,余程の事件性のあるもの以外は報道しなくなった.Wikipedia【企業による犯罪事件の一覧】から,この十年間の企業犯罪をピックアップしてみよう.
 
《2018年 KYB - 免震装置データ改竄
 2018年 スルガ銀行 - 不正融資
 2018年 SUBARU - データ書き換え
 2018年 はれのひ - 粉飾、詐欺
 2017年 神戸製鋼所 - 品質検査データ改竄
 2017年 てるみくらぶ - 粉飾、詐欺
 2017年 リニア中央新幹線建設工事 - ゼネコン4社談合
 2015年 旭化成建材 - 杭打ち工事のデータ改ざん
      (三井住友建設施工、三井不動産販売)
 2016年 スズキ - 燃費詐称
 2016年 三菱自動車 - カタログ燃費の詐称及び不正計測発覚後の
           再測定における燃費詐称
 2015年 東芝 - 長期に及ぶ不適切会計
 2015年 東洋ゴム - 免震パネル、防振ゴムなど試験データ偽装
 2015年 タカタ (企業) - エアバッグ不具合
 2013年 みずほ銀行暴力団融資事件 - 反社会勢力取引
 2013年 カネボウ化粧品・ロドデノールによる白斑症状 - 製品瑕疵
 2011年 オリンパス事件 - 粉飾決算
 2011年 大王製紙事件 - 不正による巨額損失
 2009年 JR東日本 - 信濃川発電所で10年に渡り違法な取水、虚偽報告
 2009年 三菱自動車 - 内部告発が行われるまでリコールを放置》
 
 上記の一覧の中で,カネボウ化粧品の件は品質事故であるが,他はすべて「不正の隠蔽」事案である.池井戸潤『七つの会議』は,企業はなぜ違法行為をするのか,誰が違法行為を指示するのか,そしてなぜ隠蔽をするのか,を描いた作品である.
 物語の舞台は,航空機からパイプ椅子に到るまで,広範な分野で事業を展開する大企業「ソニック」である.この社名からすぐにパナソニックが連想されるが,なぜ池井戸潤がこんなあからさまなことをしたのか.おそらく企業犯罪に関する取材の過程で,創作のアイデアをパナソニックから得たのであろう.それに対してパナソニックは何らの抗議もしていない.高校で習う英国の諺に“Every family has a skeleton in the cupboard.”というのがある.その筆法で言えば,どこの会社も不正を隠蔽している,だ.抗議して藪から蛇が出てはたまらぬからだろう.
 池井戸潤は,仮にモデル問題が生じても,対抗できるほどの材料を持っているのであろうが,映画とテレビドラマの制作サイドはそんなものは持っていないから,パナソニックから抗議されれば全く釈明できない.よってこの二つの映像化作品では,企業名を変更している.
 半沢直樹シリーズは,池井戸潤の銀行員時代の知識経験が土台になっているだろうが,製造業の会社内部で行われる不正は銀行側からは見えない.その会社は銀行に知られたら万事休すなので,絶対に知られぬように隠蔽するからである.(ま,銀行側の不正が企業からは見えないのと同じだ)
 従って,『七つの会議』は池井戸潤の周到な取材によって支えられていると見ていい.実際に,『七つの会議』に登場する会社員像,経営者像にはリアリティがある.
 話は横道に逸れるが,企業犯罪は,銀行よりも取引のある商社の方が知る機会があるだろう.一つ例を挙げる.
 昔,某社 (以下,A社) の一部門に,マーガリンを製造販売する部門があった.「あった」というのは,その会社はマーガリン製造部門を会社本体から分離して売却し,その売却先の企業も他社に吸収されたため,今はもうマイナーなブランド名が残っているだけである.
 A社は,昭和四十年代の初め,マーガリンの製造技術を海外から導入して,製造販売を開始した.マーガリンは,触媒を用いて植物油に水素を反応させ,油脂の不飽和度を下げることを行う.マーガリン製造技術の中心部分は,その触媒である.ところがA社が海外から導入した製造技術で用いられていた触媒 (水素添加触媒という;消耗品である) は,日本の食品衛生法では,食品の製造に使用が認められていなかったのである.その触媒は,触媒の活性を調節するのに使用する化合物 (触媒毒という) が少しずつ製品に漏れ出して,人体に対する安全性に疑念があったからである.
 そこでA社は,その触媒を使用していることを極秘事項として隠蔽することにし,製造したマーガリンを長年に亘って販売した.だが,その触媒は海外からの輸入品であったため,その触媒を輸入してA社に納入していた商社は,A社の違法行為を承知していた.マーガリン製造会社にその触媒を販売するということは,もちろんマーガリンの製造に使うに決まっているからである.
 今から十数年前のこと.A社はマーガリン事業をある企業 (以下,B社) に譲渡した.事業を買ったB社は,A社のマーガリンが食品衛生法違反の製品であることを,事業買収の事後に知った.B社は騙されたといっていいだろう.というのは,触媒を輸入していた商社が,メーカーの違法行為に加担したくないとして,マーガリン製造の事業主体が変わったのはいい機会だから,もうこれ以上,違法な触媒の使用をやめたらどうだとB社に申し入れたのである.商社は商売のためなら何でもするかのように見られていた時代も過去にあったが,実はそうでもないのである.メーカーの違法行為を諫めることもあったのだ.
 B社は本来,A社に騙されたのであるから,製造を断念し,損害賠償をA社に請求すべきであった.しかしB社はそうしなかった.食品製造において安全性が認められている触媒に変更することとし,製造技術が確立されるまでの間,違法を承知で製造と販売を続けたのであった.B社はその後,業界再編成の波の中で社の歴史を閉じたが,B社を欺いたA社は今も存続している.
『七つの会議』の舞台は二つの会社である.一つは先に述べた「ソニック」であるが,企業犯罪は,その子会社である「東京建電」で行われた.その犯罪について以下に説明する.

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2019年5月 9日 (木)

ザゼンソウ (七)

 前回の記事に「ザゼンソウは積雪を融かして開花する」という珍説が広まっていることを紹介した.数少ないが各地の群生地に関する公式サイトにそう書かれているし,ヨタ話を疑うことを知らぬブロガーが自分のブログに引用してこの説を拡散している.
 そんなことを書いているサイトが例に挙げているのは,積雪がほんの少ししかないザゼンソウ群生地の話だ.たかだか五センチとか十センチメートルの積雪であれば,開花期を迎えたザゼンソウの苞は積もった雪を割って顔を覗かせるだろう.そうすればしめたもので,あとは暗色のザゼンソウの苞が太陽光の熱エネルギーを吸収して,周囲の雪を融かすのである.これはザゼンソウ以外にも,冬の終わりに姿を見せる植物一般にも観察される現象だ.ザゼンソウの苞が発熱して雪を融かすわけではない.
 この小稿の目的は,なぜ尾瀬にはザゼンソウが,近縁のミズバショウほどには群生せず,むしろ尾瀬ではレアな植物であるかについて述べることなのだが,その前にザゼンソウの変わった性質について,もう少し考察してみよう.
 ザゼンソウの特徴は,Wikipedia【ザゼンソウ】によると以下の通りである.
 
ザゼンソウの発熱細胞には豊富にミトコンドリアが含まれていることが明らかになっている。しかしながら、発熱の詳細な分子メカニズムは、現在のところ分かっていない。動物における発熱には、「脱共役タンパク質」(だつきょうやくたんぱくしつ)が関わっていることが突き止められているが、このタンパク質は、発熱しない植物にも幅広く存在しており、ザゼンソウの発熱に関与しているかは不明である。
 
一つの肉穂花序には約100個の小花(両性花)がある。個々の小花は雌性先熟の開花システムを持ち、雌性期(雌蕊のみが成熟して露出した期間)と短い両性期(雌蕊と雄蕊が同時に露出する期間)を経て、雄性期(雄蕊のみが露出した期間)の順で性表現を変える。花序での発熱は雌性期と両性期で顕著であり、雄性期に至ると急速に発熱は低下する。この植物は自家不和合であり、昆虫などによる送粉(花粉の運搬)を必要とする。しかしながら気温の低い時期に開花するため、訪花昆虫の活動は低調であり、そのため種子の結実率は低い。
多くの種子は野ネズミによって食害されるが、一部は野ネズミの貯食行為によって運ばれる。種子はそれによって散布され、被食を逃れて発芽することが出来る。
 
 まず,最初の引用箇所について.実はザゼンソウが雪を融かすというヨタ話の出処は,日本人研究者なのである.その研究者は,岩手大学農学部付属寒冷バイオフロンティア研究センター研究員 (2010年当時;現在は宮崎大学農学部植物生産環境科学科・准教授) の稲葉靖子氏である.氏の研究テーマは観葉植物の開花結実における熱産生機構で,その概要は宮崎大学のサイトに紹介されている.小生浅学ながら氏の研究の凡そを拝読するに,氏の主たる研究課題はザゼンソウを材料に用いて植物細胞の熱産生機構を解明することである.すなわち氏は,ザゼンソウのミトコンドリアに存在する二つのタンパク質 (シアン耐性呼吸酵素と脱共役タンパク質) の働きが,ザゼンソウ花序の発熱に関して重要なタンパク質であるとして,その働きを分子生物学的に明らかにしようとしている.
 それは貴重な研究であることは間違いないと考えるが,しかし,発熱するザゼンソウの花序が実際に雪を融かすほどの熱を産生するのかという“高校の部活レベルの物理実験結果”(ザゼンソウ花序の比熱を測定したりすることは稲葉氏の全くの専門外もいいところであるし,氏はそんなことに関心はないだろう) を,氏の論文の中に私は見つけることができていない.しかるに氏の研究研究結果を報じた朝日新聞DIGITALの記事《ザゼンソウ咲く 雪解けの岩手・北上「ざぜん草の里」》(2010年3月19日掲載) には次のように書かれている.
 
ザゼンソウについては昨年、岩手大学農学部付属寒冷バイオフロンティア研究センター研究員の稲葉靖子さんらのグループが、雪を溶かして花を咲かせるザゼンソウの発熱はミトコンドリアが影響していることを世界で初めて解明した。》(文字の着色はこのブログの筆者が行った)
 
 稲葉氏の論文には書かれていないこと (上の引用中の赤字の箇所) を,なぜか新聞が報道している.想像するにこれは,取材にきた新聞記者へのリップサービスだったのではないか.例えばこんな遣り取りだ.
「ザゼンソウの花は雪を融かすってことですか?」
「その可能性はありますね」
 
 この朝日の記事に先行する地方紙の記事があったかも知れないが,岩手県の地方紙,例えば河北新報などには見当たらなかった.朝日の記事が初出のように思えるが,それはそれとして「ザゼンソウは雪を融かす」という妄説は,新聞記事であった可能性がある.それがいつの間にか,各地のザゼンソウ群生地の公式サイトや Wikipedia【ザゼンソウ】に無批判に引用され,
 
そのため周囲の氷雪を溶かし、いち早く顔を出すことで、この時期には数の少ない昆虫を独占し、受粉の確率を上げている。開花後に大型の葉を成長させる》(文字の着色はこのブログの筆者が行った)
 
などと記述 (例によって例の如く,記述に不可欠な根拠文献を示さないのが Wikipedia の流儀であるが,いくら何でも新聞記事が根拠では恥ずかしくてできないだろう) されて事実としてまかり通ることになってしまったのだろう.あほらしくて詳しく書く気にはなれぬが,植物でも動物でも,熱を産生するのは,細胞内の酵素反応が至適条件以下になることを防ぐためである.いや「防ぐため」というのは言葉のアヤで,そういう能力を獲得した生物が繁殖に有利であったという意味である.ザゼンソウでいえば,開花期の初期 (雌性期と両性期) に体温を外気温よりも高く保たねばならぬ切実な理由があり,そのため,花序の発熱機構を獲得したザゼンソウが今日まで生き延びたのである.強調するが,ザゼンソウは雪を融かすために花序が発熱するのではない.花序の雌性期に細胞の活動を担保するために発熱細胞を発達させたのである.
 
 ちなみに私たち哺乳類など恒温動物の筋肉や内臓の細胞は常に発熱を続けて,高い体温を保っている.これに対して,爬虫類などの変温動物は太陽熱の吸収や気温の上昇に応じて体温が変化する.進化論的にいうと,変温動物から次第に恒温動物へと進化してきた.「次第に」という意味は,全くの変温動物と全くの恒温動物の間に,中間的な動物がいるからである.動物の体温調節方法は多様であるため,大雑把な話をする時以外は,現在は変温動物と恒温動物という語による分類は用いられない.詳しくは Wikipedia【恒温動物】を参照して頂きたいが,この小稿は大雑把な話なので,変温性動物と恒温性動物という語を用いる.
 さて,かつて動物界は変温性な生き物で満ちていた.その中では,強い者が弱い者を捕えて食うという力関係が支配していた.弱い者を捕食する側は,太陽光や外気によって体が温められて活動的な時に,好きなように弱い者を捕えて食っていればよかった.だがこれでは,捕食される側はたまったものではない.この捕食される側の動物の中に,細胞の有酸素呼吸能力が高く,動物個体としては有酸素運動能力 (スピードと持久力)が向上した変異が出現した.そしてこの変異に対して,自然選択は有利に作用した.捕食者から逃げることが可能となったのである.このような自然選択によって上昇した最大代謝率 (有酸素能) が基礎代謝率を引き上げ,体温維持の熱生産を発達させた.体内の熱生産によって高い体温を恒常的に維持する動物への進化に関するこの仮説は,1979年にカリフォルニア大学のベネット博士とオレゴン大学のルーベン博士によって提唱されたもので,信憑性が高いとして受け入れられた.(細胞の呼吸については Wikipedia【呼吸】を参照)
「体温維持の熱生産」とはどういうことか.私たちは外界から食物を取り込んで消化するが,高分子 (例えばデンプンやタンパク質) から成るその食物を低分子化合物 (例えば糖やアミノ酸) に分解する過程で生じるエネルギーを用いて,ATP (アデノシン三リン酸) を作る.このATPが筋収縮に必要なエネルギーを供給している.それだけでなく,ATPは生命活動の基本物質である.簡単なまとめを Wikipedia【アデノシン三リン酸】から下に引用する.
 
ATPの役割
ATPはエネルギーを要する生物体の反応素過程には必ず使用されている。ATPは哺乳類の骨格筋100 gあたり0.4 g程度存在する。反応・役割については以下のものがある。
解糖系 - グルコースのリン酸化など
筋収縮 - アクチン・ミオシンの収縮
能動輸送 - イオンポンプなど
生合成 - 糖新生、還元的クエン酸回路など
発光タンパク質 - ルシフェラーゼなど
発電 - 電気ウナギに見られる筋肉性発電装置
発熱 - 反応の余剰エネルギーなど
 
 摂り入れた食物から発生したエネルギーがすべてATPの合成に用いられたとする (これを「共役」という) と,この反応場で熱は産生しない.ところが摂取したエネルギーを無制御にATP化していると,細胞内にフリーラジカルが発生することがわかっている.そこで登場するのが脱共役タンパク質である.脱共役タンパク質は,ATP合成を必要としない時には,ATP合成の効率を落とす (脱共役) 役割を持っている.そうすることで,フリーラジカルが細胞を傷害するのを防ぐのだという説がある.これはケンブリッジ大学のブランド博士が指摘した説である.一方,ATP合成に使われなかったエネルギーは,熱として放散される.フリーラジカル発生の抑制と,運動能力の向上と,どちらが脱共役タンパク質の本質的な役割であるかは,小生には全くわからないので,動物細胞の呼吸と熱産生の話はここまでとする.
[ザゼンソウ (八) へ続く]

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2019年5月 8日 (水)

クラシック・レイディオ (一)

 私は小学校高学年のときに,初めて真空管を見た.民生用トランジスタが量産されるようになる時代の少し前のことだった.普及し始めたテレビも真空管式で,テレビに使われていたのは性能が優れているミニチュア管 (Miniture Tube) であったが,歴史の古いST管 (Standard Tube) もアマチュアが製作する趣味的なラジオではまだ採用されていた.むしろST管より少しあとに開発されたGT管 (Glass Tube) や軍用に重宝されたメタル管 (Metal Tube) よりもその外観の点で,アマチュアのラジオ製作者には好まれていた.
 これらの真空管の他に,柴田翔『されどわれらが日々』(現在は文春文庫) に表題作 (芥川賞受賞作) と共に収められた「ロクタル管の話」には,ロクタル管つまりLOCTAL管 (Lock-in-Octal Tube) が登場する.この真空管は今でも,品薄と種類の少なさもあって,昔は少年だった人々に強い人気がある.柴田翔よりも若い世代の人間である私もその一人で,真空管ステレオアンプを製作するのに必要なロクタル管を,製作に取り掛かるその日のために大切にとってある.手が震えてハンダゴテを持てなくなる前に作りたいものだ.
 さて近々,私がラジオ少年時代に憧れたST管の六球スーパー (スーパー・ヘテロダイン信号増幅方式) のラジオを作ろうと思う.これまで私が製作してきたのは五球スーパーである.これは,数百kHz~千数百kHzの範囲にある商業放送電波をいきなり455kHzの固定中間周波数 (高周波であるラジオ電波と,音声周波数の中間だからそう呼ぶ) に変換して一段だけ増幅するという,いわば普及品のラジオである.これでも東京のラジオ局の放送を関東地方一円で聴取するには充分だが,その他の地方局の放送を聴くにはいささか力が足りない.それで昔は,周波数変換段の前に高周波増幅を一段行う方式が,高級品のラジオには採用されていた.真空管の数として六球になる.だから六球スーパーというのだが,これを昭和懐かしのST管で作って,私のラジオ少年の思い出に,われらがラジオの日々に,幕を引こうというのである.幕を引くという意味は,現在の商業ラジオ放送,つまり中波帯AM放送は廃止の方向にあるからで,それほど遠くない時期に,おそらくまだ私が存命のうちに,AMラジオは歴史的使命を終えるのだが,その前に,敗戦後の復興期日本で作られた最高性能の真空管式ラジオを製作して,その懐かしの音を耳に記憶しておきたいということなのだ.
 
 ところで私の電気工作部品箱には,六球スーパー用の部品である三連バリコンとコイルがない.これをまず調達しなければならないのだが,秋葉原でも入手難である.少し前にネット通販で叩き売りされていた骨董ラジオを買い,この中から部品取りをしようと思ったのだが,解体してみたらバリコン (バリアブル・コンデンサ) はサビなどの状態が悪くて,そのパーツを私の最後のラジオに使いたくはないなと思った.
 それで,バリコンをヤフオク (旧ヤフー・オークション) で手に入れることにした.骨董の三連バリコンの出品を何度か見送ったあと,商品写真で見る限り美品のバリコンが出品されたので,即入札し,セリ勝って手に入れることができた.それが下の画像のものである.
 
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 状態から判断すると,これはおそらく未使用品である.いい物が手に入ったので私は深く満足した.ただし出品者のコメントには,容量を実測したところ420pFであると書かれていた.標準は430pFであるから少し足りない.また,全波受信機用だったらしく,トリマー・コンデンサ (バリコンと並列に入れる容量可変の小型コンデンサ) が付いていない.そのトリマー・コンデンサとの兼ね合いで,容量が少し小さいのであろう.
 中波AM放送用の受信回路に使用するコンデンサは,バリコン 430pF+トリマー20pFが標準であったから,私が手に入れたバリコンに組み合わせるトリマー・コンデンサには少し容量を増やすなど細工しなければいけないかも知れない.
 さらに言うと,トリマー・コンデンサは,往時の真空管ラジオを偲ばせる陶板を絶縁体基板として使用したものが,もはや流通していない.あるのは,中国製の粗雑な造作の製品である.私は 習近平が嫌いなので 昭和レトロが好きなので,日本が技術立国を志した時代の高品質コンデンサをぜひとも使いたい.そこで,これもヤフオクから調達することにしたが,同じことを考えている人は他にもいるらしく,もう二度もセリ負けた.あまりに高価な価格で落札されているので勝てる気がせず,気弱になっている.w 
 秋葉原にはもうこの種のラジオ用ジャンクパーツを扱う店はない.最後の店が閉店した時にはニュースになったが,あれからもう数年経った.だが,もしかすると,クラシック真空管を販売している某店にいけば,棚の片隅の部品箱に眠っているかも知れない.久しぶりに出かけてみようかと思う.

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2019年5月 7日 (火)

本件、隠蔽せよ (一)

 池井戸潤『七つの会議』を読了した.私は,池井戸潤の作品を読んだのは初めてだ.その理由は,いくつもの作品がテレビドラマ化されて圧倒的な人気を博したからである.私は元々が,娯楽番組の三時間スペシャルは平気で観るくせに,一時間の連続テレビドラマを何週間も観続ける気力に欠ける男なので,例の『半沢直樹』や『下町ロケット』『陸王』などが気にはなっていたが結局は録画すらしなかった.(『陸王』は第一回放送を試しに観たのだが,第二回以降を続けては観なかった.キャストがあまり魅力的でなかったからである)
 それがどうして『七つの会議』を買って読んだかというと,この小説が野村萬斎主演で映画化され,今年の初めにて劇場公開されたのだが,そのCМをテレビで見たからである.
 その映画宣伝広告にはある種の作品が持つ訴求力があったので,原作を購入した.そしてそのあとで知ったのだが,既に六年前にNHKで東山紀之主演の同名のテレビドラマ『七つの会議』が全四回にわたって放送されていたのである.(2013年7月13日 - 8月3日)
 このTVドラマはDVDが発売されているが,映画の方はまだのようだ.TVドラマにせよ映画にせよ,単に映像化しただけで原作を忠実になぞるのでは制作する意味があまりない.いい例が松本清張の『砂の器』である.小説『砂の器』は,ハンセン病に関する偏見と患者に対する差別問題を取り上げた社会性を高く評価されるが,映画『砂の器』(脚本;橋本忍,山田洋次:監督;野村芳太郎:1974年) は,原作の社会性を映画音楽 (主人公を現代音楽ではなくクラシックの作曲家に設定を変えたことが特筆される) と,父と子の放浪を描く映像美によって,さらに高い境地に昇華させた.むしろ原作よりも芸術性が高いと評価してよい.このように原作を凌駕する感動を鑑賞者に与えるのでなければ,制作する意味がないのである.野村芳太郎監督作品『砂の器』以降,何度もTVドラマ化されたが,どれも映画化作品はおろか,原作以下の水準に終わった.原作小説の映像化というのは難しいものである.
 その意味では,東山紀之主演のNHKドラマも,野村萬斎主演映画も,ただの直感であるが,期待できるものがある.そして,映像化作品を観るために必要な前提として,池井戸潤『七つの会議』を読んだのである.
 前置きが長くなった.原作の『七つの会議』の書評を始めよう.

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2019年5月 2日 (木)

低糖質ナポリタン

 およそ料理の発祥店とか,ウチが元祖だと称する話は眉唾が多い.いわゆるスパゲッティ・ナポリタンは,横浜の山下公園に面して建つホテル・ニュー・グランド (先の戦争が終わったとき,厚木に降り立ったD.マッカーサーが東京へ進駐する際に立ち寄ったことで知られる.マッカーサーの新婚旅行の思い出のホテルであった) の二代目料理長が考案したと一般に思われている (テレビの雑学番組など) が,よく調べてみると,彼の考案した料理は,ケチャップで味付けした日本の大衆料理「ナポリタン」ではなく,トマトソースを使用したちゃんとしたパスタ料理であった.そりゃそうだよね.ホテルのシェフなんだもの.ちなみにホテル・ニュー・グランドのレストランは,フレンチの「ル・ノルマンディ」とイタリアンの「イル・ジャルディーノ」だが,ホテル・ニュー・グランド流の「スパゲッティ・ナポリタン」は,コーヒーハウスの「ザ・カフェ」の献立だ.
 
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 レトルトパウチに包装されたパスタソースで「ナポリタン」を標榜する製品がカゴメやマ・マーマカロニから,あるいは同様の缶詰がハインツから出ている.Wikipedia【ナポリタン】に次のように書かれている.
 
マ・マー マカロニでは、1964年(昭和39年)にソース入りゆで麺のパックを「イタリアン」という商品名で販売しており、その後1983年(昭和58年)にイタリアンのソースをグレードアップしたものを「ナポリタン」という商品名で発売するようになった。
 
 昭和四十年代の洋食屋や喫茶店の献立であった「ナポリタン」はほんのわずかの玉葱とウインナ・ソーセージをフライパンで炒めて,これに茹でて作り置きしてあるスパゲッティを投入し,ケチャップで味付けしたものだ.うっすらと記憶しているのだが,確かにマ・マーマカロニ (日清フーズのブランド) のソース入り茹で麺のパックで「イタリアン」というのがあった.その影響だろうか,かつて関西圏と中京圏では,関東地方で「ナポリタン」と呼んでいた料理を「イタリアン」と呼んだ.しかし私たち関東地方の者は「そもそもスパゲッティはイタリアンだろうがw」と,その製品のネーミングを嘲笑した.それがあってか,日清フーズは「イタリアン」を「ナポリタン」と変更したのであった.紛らわしいが,これが日清フーズ式の「ナポリタン」の始まりである.そのパスタソースの名称が現在もレトルトパウチのパスタソースとして生き残っているのであるが,もちろんこれは関東地方の大衆料理の「ナポリタン」とは無関係である.
 家庭で「ナポリタン」を作るのなら,レトルトのトマトソースを使えばいいようなものだが,それらはいかにも現代風においしくて,昭和四十年代の首都圏における洋食屋あるいは喫茶店の「ナポリタン」のチープ感に欠ける.高齢者の爺さん婆さんはきっと覚えているだろう,皆さんが青春時代に通ったサ店のマスターは,オープンキッチンでトマトピューレとスパイスを炒めてソースを作ったりはしなかった.彼らは堂々と,私たちの目の前で業務用のケチャップで味付けしていたのだ.だから以下の記述において私が作る「ナポリタン」は,ケチャップを用いた「正統ナポリタン」である.
 
 記事《低糖質スパゲッティ》で試食したポポロの「低糖質ミートソース CarbOFF」は,パッケージの「調理例」写真と実物が大きく異なる内容貧弱な製品であった.これは同社経営者の見識の程度を示している.モノ言わぬ消費者をなめているのである.だから私はもう二度と「低糖質ミートソース CarbOFF」を買わないつもりだ.このブログ読者で,まだこのミートソースを買ったことのない人には,買わぬようアドバイスしたい.
 だが,同社製「ポポロスパ CarbOFF 1.4mm」は話が別だ.これは「緩い糖質制限食」の食材として価値があると私は思う.
 ただし,これは麺としておいしいというものではない.有体にいえば「うまくない」のだが,それを如何にして普通のスパゲッティ並みの味の料理にするか,これが消費者の腕の見せ所だ.何となれば,低糖質という付加価値は捨てがたいからである.
「うまくない」理由の一つは,茹でても硬いことだ.主原料はデュラム・セモリナではあるが,これに水不溶性の食物繊維からなるブラン (糠) を加え,押し出し製麺法で圧力をかけて成形してある.しかも成形後に乾燥工程を経ている.これは喩えてみれば,セメント (小麦粉) に水と砂利 (繊維質) を加え,圧を加えてから乾燥したようなものだ.非常に堅固なコンクリート構造物ができあがっているのである.w
 この記事の前では,この麺を15分茹でてみたが,やはり「博多ラーメン的バリカタ」状態であった.そこで今回は20分に延長してみた.茹で途中の一本を取り出して噛んでみたら,少しは食感が改善されたように思えたが,これ以上に長時間茹で続けるのは,煮込み料理ではあるまいし,浪費というものだ.Amazonのレビューに,圧力鍋で茹でた人の感想が掲載されているが,それが正解かも知れないと思った.
 今回はバリカタでも致し方ないと諦めて,20分で茹で上げた.
 この麺が「うまくない」理由の二つ目は,この麺にはブラン特有の臭気があることだ.もし20分以上茹でるのであれば,臭いが溶け出し,かつ煮詰まった湯を捨てて,新しい湯で茹で続けるとよいと思われる.
 具材だが,昔の喫茶店ではピーマンは入れなかったと思う.ピーマンを嫌いな人が多かったからだろう.野菜は玉葱のみが正調である.あとはウインナ・ソーセージだが,これはいわゆる赤ウインナを数ミリの厚さにカットして用いるのが正しい「ナポリタン」の在り方であるが,安価なハムの切り落としでもよろしい.ところが残念ながら私の冷蔵庫には赤ウインナの買い置きがなかった.そこで近所のファミマに出掛け,代替に「お母さんシリーズ」のチョリソを買ってきた.使ったのは二本である.赤ウインナなら三本ちょっとくらいに相当するか.
 まずフライパンで玉葱を炒め,火が通ったらチョリソの輪切りを加えて少し炒める.続いて茹でておいた低糖質スパゲッティ (まだ冷めていない) を投入し,塩と胡椒で軽く味をととのえる.次いでカゴメのチューブ入りケチャップを加えて,全体が均一に見えるように混ぜ合わせる.
 塩胡椒をしたのは,ケチャップだけだと糖分が多くなってしまうからである.それでは何のために低糖質スパゲッティにしたのかわけがわからなくなるからだ.以上で,上に掲載した写真のナポリタンの出来上がりである.
 食べた感想を正直に書けば,前回の記事で紹介した五木食品の低糖質うどんをケチャップで味付けした方がよほど「ナポリタン」に近い.ポポロの低糖質乾麺は,商品として失敗作だと思う.

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2019年5月 1日 (水)

低糖質スパゲッティ

 熊本県の製麺会社「五木食品」が,三菱食品の健康志向ブランド「からだシフト」シリーズで,うどん,そうめん,蕎麦を製造販売している.(「五木食品xからだシフト」でAmazonを検索すると出てくる)
 実際に食べてみると,これらがなかなか出来がよく,普通の乾麺と比較しても遜色ない.重度の糖尿病治療のために厳格な糖質制限を実行している場合は麺類は実際上食べられないが,糖尿病予備軍の人が健康のために,山田悟医師 (北里大学北里研究所病院糖尿病センター長) が提唱している「緩やかな糖質制限」をしている場合ならば,麺類を諦める必要はないことを実証してくれている.麺好きにはありがたい製品だ.
 ところが残念ながら,低糖質のパスタを五木食品はラインアップに持っていない.パスタと日本の麺類では,原料の小麦粉も製麺方法も技術的に全く異なるからだろう.
 しかし調べてみたら,はごろもフーズが,低糖質のパスタとパスタソースを販売していた.
 そこで「ポポロスパ CarbOFF 1.4mm」と「低糖質ミートソース CarbOFF」を購入して試食してみた.
 ここで私は失敗したのだが,スパゲッティの内容量を確認せずに目分量で半分に分けて茹でてしまった.つまり茹でたのは120gであるが,これは多すぎた.下の写真は大皿 (22cm径) に溢れるほどである.これではソースが明らかに足りない.従って一人前は一袋の三分の一,80gだ.
 
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 で,Amazonのユーザーレビューを読むと,酷評と好意的評価が相半ばしている.
 実はこのスパゲッティは,標準の茹で時間が10分なのであるが,これでは固くてまずい,として低評価である.
 しかし最近のレビューは好意的で,茹で時間を15分に延長すると,普通のパスタのアルデンテになる,と書いている人もいる.そこで私は15分間茹でてみた.
 しかし,その茹であがりは,明らかにアルデンテとは異なる食感であった.単に硬いのである.おまけに,咀嚼すると舌触りがボソボソしている.そこで,包装に表示されている原材料を下に書く.
 
原材料名 デュラム小麦粉のセモリナ、小麦たんぱく、とうもろこしでん粉、難消化性でん粉、米糠、オーツブラン / 加工でん粉 (小麦由来)、増粘剤 (キサンタンガム)
 
「難消化性でん粉」は最近はやりの食品素材で,レジスタントスターチともいう.ただし内容的には色々なものがあり,このスパゲッティに使用されているレジスタントスターチが食感を悪くしているかどうかはわからない.だが米糠とオーツブランがボソボソ感に寄与していることは確実だ.これらは食物繊維であり,いくら長時間茹でても,軟化することがない.「ポポロスパ CarbOFF 1.4mm」の食感が悪いのは,米糠とオーツブランの配合量が多すぎるからだろう.この硬くてボソボソな食感は,たぶんソースを工夫することでマスキングできるのではないかと私は思う.
 ところが「低糖質ミートソース CarbOFF」は,缶詰によくあるタイプの濃厚な食感ではなく,むしろ逆方向で,ゆるくてシャバシャバなのである.これでは全く麺にからまない.
 ついでだが,下の画像はミートソースのパッケージに印刷されている「調理例」の写真だ.右下に小さく「調理例」と書いてある.
 
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 実際の商品は,一番上の画像の通りで,ほとんど挽肉が入っていない.これのどこがミートソースなんだか不明な商品だが,パッケージの「調理例」は,まあまあミートソースっぽい.これだけ「調理例」と実際が異なると,購入した消費者は不信感を持つ.はごろもフーズは,そこら辺をどう考えているのだろうか.しかも,食塩 (相当量) が2.4gもあるのに,味がいわゆる「ボケている」のだ.不勉強な病院の給食のようである.
 この商品の実際の製造者は,はごろもフーズと同じく静岡市清水区の山梨缶詰株式会社である.すなわち,はごろもフーズからの受注生産品であるが.レシピは,はごろもフーズが作成したはずである.またスパゲッティの方は,群馬県太田市にある赤城食品株式会社だ.これも原料配合は,はごろもフーズが指定したはずだ.
 しかるに,この二つの製品の相性の悪さは何としたことか.「ポポロ」ブランドで世に知られた,はごろもフーズの製品とはとても思えない.もしかすると,「からだシフト」のブランドホルダーである三菱食品の意向が働いているのだろうか.
 いずれにせよ,いささかがっかりした.麺が残っているので,ナポリタンでも作ってみる.実行したらまた記事にしようかと思う.

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