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2019年4月 1日 (月)

ほっといてくれ

 私が会社員だった時の同期入社で,定年まで残ったのが私の他に三人いる.
 一人は定年後,ちょっと広めの農地を借りて野菜などを作っている.道の駅に出品しているそうだ.
 一人は,元々が資産家である.働く必要がないので,定年後は取っつき易い趣味を探したらしいが,数年で飽きてしまったらしく,今はもうやっていないようだ.というより,彼の「趣味」は,その道を究めたいという趣旨ではなく,それを通じて人間関係を作るということらしい.
 もう一人は取締役まで出世したので,これまた資産を蓄えた.蕎麦打ちをやったり釣りをしたりしていたと聞くが,趣味としてモノにはならなかったようである.
 さて,最初の一人はどうか知らないが,あとの二人は,会えば株式投資で資産運用することしか話さない.○○社はいくら上がっていくら儲かった,なんて話を延々と話している.それが彼らの今の趣味らしい.
 
 書店に行くと,高齢者が残された人生をどう生きるかについて,ふざけた説教を垂れている本がたくさんある.やれ残間里江子『それでいいのか蕎麦打ち男』 (新潮社) とか,内館牧子『終わった人』(講談社) などなど.
 もう充分に働いたから,あとはなーんにもしないでノンビリしたいという「終わった人」である私たちの希望を,成功者である彼女らは許してくれないのである.
 彼女らは団塊世代の女性である.内館牧子は昭和二十三年 (1948年) 生まれで,残間里江子は昭和二十五年 (1950年) の三月生まれで,私と同年同月生まれだ.ちなみに,吉永小百合様は昭和二十年三月の御誕生であります.
 内館と残間は,その拙い筆で同世代の男たちを嘲る.よっぽど男社会の中で悔しい思いをしたのだろう.その悔しさを,同世代の男たちがリタイアしたあとになって晴らしているのだろう.その気持ちはとてもよく理解できるのだが,戯画化され,嘲られた同世代の普通の男たちが,彼女らの高慢をどう思ったかは,たぶん理解できないだろう.理解できるなら,あんなことは書かない.
 彼女らの,同世代の男たちに対する嘲笑の理由は,彼女たちが若くして虚業で身を立てたことである.
 私たち団塊の世代の男たちは,ほとんどが実業社会で生きてきた.工場で汗水たらして働き,あるいは営業の外回りをして靴底をすり減らして日々を過ごしてきた.サービス業もしかり.いい時ばかりではなく,顧客の前で平身低頭もしてきた.家のローンとか,子供の教育費とか,余命を減らすような思いをしてきた.そして,だから,悔しさを堪えている男を笑うことはしなかった.自分自身が情けない思いを肚の底に沈めて生きてきたからである.内館や残間は,そのような同世代の男たちの実像を知らない.知っていたら,あんな戯画化はしない.
 
 何を根拠に彼女らは傲慢に男たちを嘲るのだろう.かねてよりそう思っていたら,私たち一般庶民の男たちの異議申し立てを代弁してくれる人がいた.勢古浩爾『定年バカ』(SB新書)だ.
 この本は,内館や残間だけでなく,高齢者に生き方指南をする若造たちも滅多切りにしてくれる.痛快この上ない.
 借りた農地で野菜を作って何が悪い.昼酒を飲みながら株の上がり下がりに一喜一憂して何が悪い.私みたいに日記ブログしかやることのない男で何が悪い.ほっといてくれ.
『定年バカ』は,「終わった人」たちへの応援歌だ.

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